TOPIC No. 9 歴史と民話

INDEX
00.
産経新聞
【日本人解剖】ルーツ
01.
イワクラ(磐座)/
巨石文化
02.
類人猿/猿人

- 分岐点は?? -
03.
原人/旧人/新人

- 旧石器時代 -
04.
旧石器時代
-氷河時代-

(250万-1万2千年前)
05.
アイスマン(BC3,200年)
06.
縄文時代

(BC12,000-BC1,000年?)
06a.
縄文語/
日本語の起源
07.
弥生時代

(BC1,000年?-AD300年)
08.
古墳時代/飛鳥時代

(AD300年-700年代)
08-1.
纒向遺跡
(まきむくいせき)
08-2.
日向国
(ひむかのくに)
09.
出雲大社
10.
伊勢神宮
11.
浦島太郎
12.
宗像大社/沖ノ島
13.
宇佐神宮
14.
渡来人

「中空土偶」が大英博物館へ 国宝指定後、初の海外展示

2009年05月08日 中国新聞地域ニュース

 北海道函館市が所有する道内唯一の国宝で、縄文時代後期の「中空土偶」が、ロンドンの大英博物館で9−11月に開かれる展覧会に出展されることが8日までに固まった。同市の承諾を受けた文化庁が大英博物館と協定を交わし、6月にも正式決定する見込み。市によると、2007年に国宝に指定されてから初めての海外展示となる。

 文化庁によると、大英博物館側から「国宝、文化財級の縄文文化の土偶を展示したい」と依頼があり、函館市を含む国内約60件の収蔵先に出展を依頼。展覧会では約70点の土偶などが展示されるという。

 中空土偶は1975年に南茅部町(現函館市)の畑から出土。高さ41・5センチと国内最大級で、現在は市立函館博物館に展示されている。

 同博物館の田原良信館長(56)は「道内唯一の国宝が日本代表として展示されるのはうれしい。海外の人に縄文文化を知ってもらういい機会になりそう」と話している。

北海道唯一の国宝・中空土偶の謎に迫れ!

ハコダテ150


花見から生まれた美しき日本 by白幡洋三郎 [京都新聞 2006年04月02日掲載]
サクラbyフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桜と日本人

by株式会社ノーク

 桜と日本人の関わり合いの歴史を塗り替えた発見は、福井県の三方町の鳥浜貝塚でなされた。三方五湖の畦の泥中に無酸素状態で埋もれていた多くの出土品から、石斧の柄や、弓に桜の樹皮を巻き付けたものが何点も発見された。 縄文前期、今から約1万年前も前に彼らが使っていたものである。山桜の開花は種蒔きの時期を知る暦として認識されていたはずだが、特記すべきは桜の樹皮を6〜8ミリの均一な細さで1m以上も隙間無く巻き付けた縄文人の技術の素晴らしさだ。平行という概念を完全に理解していたようだ。単に実用品の装飾としてでなく、桜に対する特別の思い入れがあったのだろう。

 花見と言えばわざわざ断らなくとも桜を連想する。縄文人もその開花によって農作物の出来具合を占い、豊作を祈っての農作業前の祝を兼ねていた。その延長上に弥生時代以降、稲の稔りを占う事も含まれる。

 若狭・鳥浜貝塚 by邪馬台国大研究 &
縄文紀行 北日本の遺跡 - 実像に迫る(2003.04.01-2004.03.24)byデ−リー東北新聞社 

13.植物の世界29 日本文化の中の桜

byGLN(GREEN & LUCKY NET)グリーンコーナー

[農民と桜]

『古事記』『日本書紀』が成立する8世紀から1000年以上も遡る紀元前300年頃に日本列島に導入された稲作文化の中に,既に桜の宗教的位置付けが観られます。

 折口オリグチ信夫シノブ氏(1887〜1953)は,『花の話』(1928)の中において「花と言ふ語は、簡単に言ふと、ほ・うらと意の近いもので、前兆・先觸れと言ふ位の意味になるらしい」と云っています。雪は「米の花の前兆」であり,雪を「稻の花」と呼んで,秋の稲作を占ったように,古代人は山に生えている桜を,後には庭に植えた「家桜」を眺めて「稻の實りを占った」。ですから「花が早く散ったら大變である」。こういう解釈をした折口氏は,古代人の桜に対する態度を「実用的」と称し,奈良時代には桜の花を 賞した歌が無いことを指摘しています。

 和歌森ワカモリ太郎氏は,千葉県銚子市付近の花見歌の中に「春は花、秋は稲穂を待ちやかねたる」とあることを指摘し,折口氏と同じように,花,中でも桜と稲との関係を重視しています。田においての仕事が忙しくなる時期に丁度桜が盛りになりますので,農民は桜をただ美しいものとして眺めるだけでなく,「前途を暗示するもの」と観て,「桜の花そのものに、稲穀の霊さえ観念した」と和歌森氏は解釈します。

 和歌森氏は「サクラ」の語源として,「サ」は「サツキ(五月)」「サナエ(早苗)」「サオトメ(早乙女)」のように,全て稲田の神霊(サはサガミ(田神)のサ)を指すこと,また「クラ」は古語で「神霊が依り鎮まる坐ザ」を意味したことと合わせて,「サクラ」とは「稲穀の神霊の依る花」と云う意味であったと指摘しています。(後略)

-花見の起源- 2002.3.3〜 by酒と桜の民族

花と豊饒by木人子室

 

時代に見られるサクラ

by 花のいのち(日立メディコ
 サクラと日本人とのかかわりは古く狩猟時代にまでさかのぼります。 福井県三方湖の鳥浜遺跡から、補強のためサクラの樹皮が巻かれた五千年以上も前の縄文前期の弓が出土しました。まずサクラは樹皮の実用性で認識されていました。

 そして水田耕作の頃には、名前の由来の説によれば、「さ」は早で稲の霊を象徴、「くら」はその寄り集まりということから見られるように、田の神の化身として(開花状況で稲の豊凶を判断)人々にとって重要な存在としてありました。

 その後、奈良時代になると花を鑑賞する文化が中国から伝わり、それによりまず中国の鑑賞花である梅が愛されますが(「万葉集」では桜の歌よりも梅の歌が多く詠まれている)、都が京都に移ると花といえば桜となり(「古今和歌集」ではその数は逆転)、御所の左近の梅は桜に植え変えられ、時の平安貴族たちは花見に興じました。そして「新古今和歌集」の時代ともなるとこの傾向は一層強くなり、西行法師の「山家集」には百首に余る歌が、また「平家物語」では若い平家の公達の死を桜によせて詠んだ歌がみられるようになります。当時の貴族や武士が桜を愛したことは、絵巻物や武器の装飾に知ることができます。足利義満は金閣寺や室町の居所がその花で埋るほどの桜を配し、「花の御所」と呼ばれました。

 花見は安土桃山時代、秀吉の吉野、醍醐の豪華絢爛な宴を頂点として、広く行われました。その様子は「洛中洛外図屏風」「風俗図屏風」で伝えられています。また、着物や調度品などに桜がさかんに描かれました。

 江戸時代には家康、秀忠、家光など花好きの将軍によって植栽が盛んに行われ、参勤交代で江戸は品種交流の場ともなり数々の名所も出来、花見は一般化して行きました。落語の「長屋の花見」には庶民の花見の様子が伺えます。桜は芸術上のモチーフとしても重要な存在となりましたが、ことに歌舞伎「義経千本桜」「京鹿子娘道成寺」「妹背山女庭訓」等での巧みなデフォルメによる舞台での演出効果は、日本人の心を映す象徴として大きな役割を果たしたといえます。以後、今日まで桜は日本人にとって民族を代表とする花として定着し、花見は国民的行事といえるものに発展していきました。


山の神・田の神(やまのかみ・たのかみ)

by八百万の神々

 基本的に山の神は山村で、田の神は農村で祭られていましたが、いつの頃からか、山の神が春になると里に降りて来て田の神になり、秋にはまた山に登って山の神になる、という伝承が広く信じられるようになりました。ここで神様が里に降りて来ることを「さおり」、山に帰ることを「さのぼり」と呼びました。ここで「さ」は神のことで、「早乙女」・「早苗」の「さ」もこれが語源のようです。

 ところで山の神は不美人の女神であるという伝承がよくあります(ここから木花咲耶姫の姉の石長姫ではないかという俗説もあります)。山の神の好物はオコゼだということによくなっているのですが、これはオコゼが自分より不細工なので、山の神が優越感に浸って喜ぶからだとされます。

 この一方で、山の神は天狗であるとか熊であるとかいった伝承もあります。韓国に行くと山の神は虎であるということになっている地方もあるそうです。

 また狩りをした時に獲物を分ける時に一人分を山の神のために分けるという風習を持っている地方があります。この分配単位は「タマス」(沖縄ではタマシ)と呼ばれ、「たましい(魂)」の語源ではないかとも言われているようです。

 一部の地方では年末またはお正月になると、山の神が村に客としてやってくるという祭があります。有名なのは男鹿半島のナマハゲですが、他にも淡路島のヤマドッサン、石垣島のマユンガナシ、国東半島のヤマド、能登半島珠洲のアマメハギ、などといったものが知られています。

 これがまたある地方では、収穫の時期に田の神が客人として家々を訪問するケースもあります。これは能登半島のアエノコトが有名です。

 日本には約8万社の神社があるということですが、ここで数えられているのはあくまで、きちんと神官がいて、祭神は何々であると決められ、宗教法人として届出の出ているような神社です。ところが、道祖神や山の神・田の神を祀る祠は日本全国に凄まじい数があり、よく近所のお婆さんなどがお供え物をしているのを見掛けます。やはりこの国には八百万ほどの神様がいても不思議ではありません。


「日本人解剖」に従って…

2008/06/22 Iza! やさしい古代史 iZa版

日本人のルーツに迫る「縄文VS弥生」展

2005年07月16日 読売新聞 Yomiuri On-Line

 日本人とその文化の“原風景”縄文と弥生。この両時代を様々な角度から比較する特別展「縄文VS弥生」(読売新聞社など主催)が16日、東京・上野公園の国立科学博物館で始まりました。近年、考古学や人類学の分野では分析技術の進歩などによって、縄文・弥生のイメージが劇的に塗り変わりつつあります。特別展では、こうした最新の研究成果を分かりやすく紹介するほか、土笛や勾玉(まがたま)作りの体験などを通じて、まだ教科書にも載っていない新しい縄文・弥生ワールドを体感していただきます。この夏、私たちのルーツを訪ねる<時間旅行>に出かけてみませんか。

 縄文・弥生の両時代をめぐっては、国立歴史民俗博物館のグループが一昨年、弥生人の食べ残したおこげを最新技術で分析し、弥生時代の始まりが従来の常識より500年前倒しされるという学説を発表。縄文から弥生への変化が、これまでの予想よりゆっくり進んでいた可能性が高まりました。

 この発見を受けて、人類学者と考古学者らの間で「弥生文化の担い手は、だれか?」といった論争も巻き起こりました。稲作や機能的な土器に代表される弥生文化の立役者は、以前から日本列島にいた縄文人の子孫なのか、それとも、大陸からやってきた人々の子孫なのか。そもそも、縄文人は弥生人の祖先なのか―――。謎を解く手がかりを得ようと、人類学の国立科学博物館、考古学の国立歴史民俗博物館という、それぞれの分野における日本最高の研究機関がタッグを組み、実現したのが今回の特別展なのです。

 会場には「衣食住」など分野別に両時代を楽しく対比してもらう工夫がいっぱいです。教科書でおなじみの火炎形の縄文土器や、丸みがある弥生土器など貴重な出土品の展示はもちろんのこと、遺跡や出土品から推測した衣装やアクセサリー、食事メニューと調理法、当時の子供の体格なども豊富に紹介。近年の学問的発見によって、縄文・弥生の時代観がどう変わったのかも、分かりやく解説しています。

 体験コーナーも充実しています。縄文・弥生時代の音色を再現する土笛作りや、装飾品の勾玉(まがたま)作り、頭骨(模造品)の測定や土器片のつなぎ合せなど研究者の気分が味わえる人類学・考古学体験――など、盛りだくさんです。夏休みの自由研究を兼ねて、親子でチャレンジしてみてはいかがでしょう。

分子レベルでみた日本人のルーツ

日本人はるかな旅展 by日本科学博物館

Gm遺伝子から探る日本人の起源

日本人のルーツ by Tron Talker

縄文人骨からの解読

DNA人類進化学/進化と遺伝 by遺伝学電子博物館

3. 縄文人と弥生人 -身長・遺伝-

by倭人の形成(九州大学ミニミュージアム)

北海道・東北・九州・沖縄に酒豪が、
中部・近畿に下戸が多いそのわけは・・・。

酒の強さは遺伝子で決まる−(2000年5月号)by KODAWARI ACADEMY(アットホーム株式会社)
 


耳あか遺伝子に地域差 長崎の高校生が学会発表

2007年09月15日 中国新聞ニュース

 耳あかが湿っているか、乾燥しているかは遺伝子のタイプで決まるが、どちらの型の人が多いかは地域によって微妙に違う−。

 長崎県の高校生らが、全国の高校生から集めたつめのDNA分析を基に、長崎大と共同でこんな研究結果をまとめ、東京で開催中の日本人類遺伝学会で15日発表した。

 研究に取り組んだ県立長崎西高3年の山田賢輔君(18)らは、地域による違いがあるのかを調べようと計画。長崎西高は理数教育に重点を置く「スーパー・サイエンス・ハイスクール」の指定を文部科学省から受けており、全国のスーパー高校に協力を呼び掛けた。これまでに28道府県の32校から計771人分の高校生のつめを集め、長崎大で遺伝子の型を分析してもらった。

 すると、乾燥型の比率は岐阜、京都、愛媛、大分などで比較的高く、岩手、三重、島根、沖縄などでは低めとの結果が出た。

縄文人の由来は多様?歯の特徴、東海と関東で大違い

2004/11/07 読売新聞 Yomiuri On-Line

 均質一様な集団とみられがちな縄文人にも、固有な特徴を持つ集団が地域ごとに群居していた可能性が高いことが、京都大大学院の橋本裕子・研究員(自然人類学)の調査で浮かび上がった。

 縄文時代の9つの遺跡から発掘された482人分の歯の特徴を分析した結果、東海地方と関東地方では大きな違いがあったことが判明した。

 長崎市内で開かれている日本人類学会で6日発表された。

 橋本研究員が調査したのは、縄文晩期(紀元前1000年以降)の愛知県内の5遺跡と岡山県内の1遺跡、縄文後期(紀元前2000―1000年)の千葉県内の2遺跡と茨城県内の1遺跡の計9遺跡で見つかった人骨のうちの歯の部分。

 比較したのは、前歯の裏のくぼみの有無、奥歯の形など計15項目で、遺跡が異なっても同じ地域で出土した歯の形状は酷似していたが、地域が異なると、特徴の違いが大きくなる傾向が顕著だった。

 橋本研究員によると、調査対象の遺跡は摂取食物が異ならない、いずれも沿岸部地域で、歯の形状の違いは、食べ物の違いに由来するものではなく、遺伝的な違いを反映していると考えられるという。

 縄文時代の人骨を巡っては、これまでも頭骨の特徴から地域差の存在が指摘されてきたとはいえ、「縄文人骨」とひとくくりにされる傾向が強かった。

 橋本研究員は「各地の縄文人は、多様な由来を持つ可能性がある」と話している。

4人に1人精子が少ない Y染色体の分類で判明

[1999-11-17-10:59] 共同通信ニュース速報 by MIYAKE Women's Clinic

 男性が持つY染色体は、東アジアの人で四タイプに分かれ、日本人男性では約二五%が持つ「タイプ2」の人は、通常の人に比べ遺伝的に精子数が少なく、同時に二―四倍も無精子症になりやすいことが徳島大医学部公衆衛生学教室の中堀豊教授の調査で分かった。

 このタイプの人はDNAの系統からみると縄文系の流れをくんでいるという。仙台で開催中の人類遺伝学会で十八日発表する。  

 Y染色体上には精子を形成する遺伝子のほか、無精子症に関連する領域があることが分かっている。またY染色体は父から息子に配列がそのまま受け継がれる。   

 同教授は、Y染色体上の三つの領域で異なる配列の組み合わせから、タイプ1から4の四つのグループに分類。無精子症の関連を調べるため、少なくとも子供が一人いる男性百九十八人の精子と血液、百六人の無精子症患者の血液を解析した。      

 その結果、子供のいる男性の精液一CCに含まれる精子数を比べると、タイプ1、3、4は平均で一億三百万個あったのに、タイプ2の人は同約八千三百万個と二○%ほど少なかった。またタイプ2の三人に一人は妊娠しにくいとされる四千万個以下だった。   

 無精子症患者の分析では、タイプ2が無精子症になる確率が通常の二―四倍も高いことが分かったという。           

 また、タイプ2の人は三十歳までは一CC平均一億二百万個程度の精子があるが、三十歳を超えると同七千万個ほどに減少していた。               

               中堀教授は「今回、男性のタイプによって精子数が遺伝的に異なることが分かった。タイプ2は縄文人の系統を引いていることが分かっており、まだ裏付けはないが環境ホルモンに弱いのかもしれない」と話している。                     

縄文人系男性の精子 弥生人系より少ない

August 08, 1999 by今日の気になった記事

 男性だけに存在するY染色体の違いで日本人男性の精子を調べたところ、縄文人(原日本人)の系統とされるタイプの男性の精子数が、弥生人系より2割以上も少ないことが、中堀豊・徳島大医学部教授らのグループの研究でわかった。厚生省の研究班の一環として行った研究で、9月1日発行の「ジャーナル・オブ・ヒューマンジェネティクス」に発表される。

 Y染色体は、父親から息子に直接受け継がれる性染色体で、こう丸や精子の形成にかかわっている。この染色体中の3つのDNAの型をもとに、日本人男性は「タイプ1」から「タイプ4」まで4つに分けられる。

 中堀教授らは、子供を持つ198人を調査し、タイプ別に統計分析。その結果、大陸や半島から数千年前に渡来した弥生人系とされるタイプ1、3、4では、精液1cc中の精子数が1億〜1億2,000万個あったのに対し、縄文人系タイプ2は8,000万個と2割以上少なかった。無精子症になる確率も、タイプ2は2倍ほど高いこともわかった。

研究結果は9月1日発行の日本人類遺伝学会雑誌「Journal of Human Genetics」に掲載される。

縄文系は秋、弥生は春に濃い?日本人の精子に2タイプ

2004/09/25 読売新聞 Yomiuri On-Line

 日本人男性の精子濃度には季節変動があり、遺伝情報を担うDNA(デオキシリボ核酸)の特徴から2月以降に濃くなるタイプと7月ごろから濃くなるタイプに大別されることが、徳島大学大学院医科学教育部の中堀豊教授、聖マリアンナ医大の岩本晃明教授らの研究でわかった。

 さらに研究が進めば、この精子濃度の季節変動を不妊治療に利用できるかもしれないという。

 中堀教授らは1999年から2002年にかけて、札幌、金沢、大阪、福岡で、妻が妊娠している男性に協力してもらい、月ごとに違う人(計764人)から精液を採取し、X、Yという性染色体のうち、精子や睾丸(こうがん)の形成にかかわる、男性特有のY染色体の遺伝情報を調べた。

 Y染色体のDNAは大部分が父から子にそのまま伝わり、DNAが祖先を探る手がかりとなるとされる。

 中堀教授によれば、このDNA構造の違いから、日本人男性は、2万年以上前、アジア大陸から日本に移住してきた「縄文系」と、3000年前から朝鮮半島経由などで渡来した「弥生系」に大別できるという。

 両グループの精子濃度をみると、理由は不明だが、「縄文系」は7月ごろから12月までが濃く、「弥生系」は2―7月に濃いパターンだとわかった。


弥生人の頭骨に朝鮮半島の特徴

2004/05/15 中国新聞地域ニュース

 鳥取県青谷町の青谷上寺地遺跡で出土した弥生後期の頭骨に、韓国で出土した頭骨に近い特徴があることが鳥取大の研究で分かり、同県教育委員会が十四日、発表した。

 山陰地方の弥生人の体格や顔の特徴などの形質が形成されるのに、朝鮮半島から強い影響があったことを示す成果だ。

 県教委によると、研究では、頭骨のさまざまな部位を計測して統計的に処理し、似ている程度を数値化する手法を採用。同遺跡から出土した約三十体分の頭骨と、韓国・金海市の礼安里古墳群(四―七世紀)出土の頭骨を比較した。

 既に出土していた山口県の土井ケ浜遺跡(弥生前―中期)や福岡県の金隈遺跡(弥生前―後期)出土の頭骨より、韓国の頭骨に似ている程度が高いと分かった。

 青谷上寺地遺跡の頭骨には弥生人の脳も残っていたが、DNAを抽出することはできなかったという。県教委は「技術の発展がないと難しい」としている。

 十五日午後一時から、研究に当たった井上貴央鳥取大教授(形態解析学)の講演会が鳥取市尚徳町の鳥取県民文化会館で開かれる。

日本人は縄文人と渡来系弥生人のハイブリッド

2004/09/15 『SENKI』1155号4面から

「日本人の起源」

文献・資料により、日本人の起源についての最新の情報を紹介. by 邪馬台国の会

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