TOPIC No.9-13 豊前国一之宮 宇佐神宮(うさじんぐう)「二礼、四拍手、一礼」

01 八幡総本宮 宇佐神宮
02 宇佐神宮(うさじんぐう;通称:宇佐八幡) byフリー百科事典『ウィキペディア
 (Wikipedia)』
03 宇佐神宮の謎!祭神がわからないなんてことある? by終活ネット
04 宇佐神宮 by神奈備
05 宇佐神宮を宇摩説で解く(1)比売大神 天皇即位の勅使(2008/04/20) by建国と今(元から考える)
06 2.3 卑弥呼と宇佐神宮の祭神 ー倭女王卑弥呼 by邪馬台国の位置と日本国家の起源
07 拍手 (神道) -はくしゅ、かしわで- byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
08 秦氏を追って宇佐神宮へ
09 宇佐八幡神は新羅の神だった by mansongeの「ニッポン民俗学」
10 豊前国(ぶぜんのくに)byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
11 鹿児島神宮(かごしまじんぐう)別名大隅正八幡宮。byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 日本書紀巻第一神代上第六段一書第三の条に「則ち日神の生れまする三の女神[ミハシラノメガミ]を以ては、葦原中國の宇佐嶋に降り居さしむ。今、海の北の道の中に在す。号けて道主貴と曰す。」とあり、今の御許山に天降ったとされる比売大神の降臨譚かと思われる伝承を伝えている。

 主祭神は、一の御殿に八幡神(はちまんしん、やはたのかみ)誉田別尊:ほむたわけのみこと(応神天皇)、二の御殿に比売大神(ひめのおおかみ)多岐津姫命たぎつひめのみこと、市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと、多記理姫命たぎりひめのみこと、以上宗像三神/三女神)、三の御殿に息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后:じんぐうこうごう)


由来と歴史

 社伝等によれば、欽明天皇32年(571年)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、誉田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があった(扶桑略記 東大寺要録、宮寺禄事抄)と言われている。

 そして遅くとも社殿を新たに建て替えたと考えられている和銅元年(708年)頃までには大神比義と関係がある大神一族が大和朝廷より宇佐の地にやってきて、あるいは大和朝廷と手を結んで、神仏習合、八幡神創出を行ったと考えられている。

 また、宇佐神宮は三つの巨石を比売大神の顕現として祀る御許山(おもとさん)山頂の奥宮・大元(おおもと)(=御許:おもと)神社の麓に位置し、豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態であろうと言われている。

 そこに、当初は香春岳山麓に住み、その後、現在の中津市大貞薦神社で神官もしくは巫女を務めていたと思われる、渡来系のスサノオの子、五十猛命(いそたける)が始祖と言われている辛嶋氏が比売大神信仰を持ち込み、後に宇佐辛嶋郷に住んで、辛嶋郷周辺に稲積六(いなずみろく)神社(単に稲積神社とも表記。宇佐市中561)、乙刀iおとめ)神社(宇佐市下乙女宮本1343)、さらに酒井泉神社(宇佐市辛島泉1)、郡瀬(ごうぜ)神社(昔の表記は瀬社(せしゃ)。宇佐市樋田字瀬社187-1)と社殿を建築した。

 崇峻天皇(588 - 592年)の御代に鷹居社(たかいしゃ)(宇佐市上田字1435)が建てられ、和銅5年(712年)には官幣社となり、辛嶋勝乙目が祝(はふり)、意布売(おふめ)が禰宜(ねぎ)となって栄える。宇佐にある葛原古墳は辛島勝氏の墓である、という説がある。

 社殿は、宇佐亀山に神亀2年(725年)、一之殿を建立、天平元年(729年)には二之殿、弘仁14年(823年)には三之殿が造立され、現在の形式の本殿が完成したと言い伝えられている。

 東大寺造営の際に宮司等が託宣を携えて都にのぼり、造営を支援したことから中央との結びつきを強め、宇佐神宮は伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟として崇拝の対象となり繁栄した。

 宇佐神宮の神職を束ねる大宮司は、宇佐神宮を顕した大神比義の子孫(中央から派遣された氏族ともされる)の大神氏が務めた。後に菟沙津彦らの子孫・宇佐氏と大神氏の祝が大宮司職を継承し宮成氏と三氏で祭祀を行ってきた。現在では祝氏、宇佐氏、宮成氏は祭祀を離れ、終戦直後には宇佐氏の流れと云われる阿蘇神社宮司の到津(いとうづ)氏が継承し、祭祀を行っていたが、平成16年(2004年)ごろより到津宮司に代わって代務者が置かれるようになった。

 平成18年(2006年)には代々宮司家に替わって、中津市薦神社宮司である池永公比古氏が79代宇佐神宮宮司に就任した。これは異例のことであり、到津克子(いとうづよしこ)禰宜への橋渡しととらえるむきもあった。ところが、池永宮司が平成20年に急死したため、平成21年に神社本庁は大分県神社庁長の穴井伸久氏を80代宮司に選出した[2]が、これに反対して、宇佐神宮の責任役員会と氏子総代会は到津克子氏の80代宮司就任を決め、神社本庁からの離脱届を出す騒ぎになった[3]。

 宇佐神宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(豊前綾幡郷矢幡八幡宮。現在の金富神社。矢幡氏が社家として代々宮司を務める。)であるとする説がある。 また、宇佐神宮にある由緒書き「八幡宇佐宮御託宣集」には筑前国穂波郡の大分八幡宮は、宇佐八幡宮の本宮であり、箱崎宮の元宮であると明記されている。


「八幡神」と「道教」との関係 by神奈備にようこそ

 八幡神のルーツは道教の最高神として信仰されている「玉皇大帝」である。 宇佐神宮の名を高めた大神比義は「仙翁」と呼ばれたなど、道教の教典に出てくる伝承が多い。

 託宣集には八幡神は「震旦国の神であった。」と自ら述べたと記録されている。また「八幡とは諸葛孔明の四頭八尾の八陣図戦法を元に唐代に生まれた破陳楽舞で使われる八っの旗から来ている」 と福永光司氏が論証されている。         以上参考−『日本史を彩る道教の謎』から−

 玉皇大帝、玉皇上帝、昊天上帝などと呼ばれる。北宋の真宗が、帝室の祖先が天降るというふしぎな事件をきっかけとして、玉皇に「太上開天執符御暦含真体道玉皇大天帝」という号を奉ってから、玉皇は昊天上帝と同じ神と見なされるようになった。 この考え方は後に「昊天玉皇上帝」という号で決定的となった。         以上参考−『道教の神々』から−


宇佐神宮訴訟で「矛盾判決」パワハラ認定も解雇は有効

2018年3月8日 週刊金曜日オンライン

全国に約4万4000社ある八幡宮の総本社である宇佐神宮(大分県宇佐市)から解雇されたのは不当だとして、宮司を代々世襲してきた社家・到津家の到津克子さんが解雇無効などを訴えた裁判で、大分地裁中津支部(澤井真一裁判長)は2月13日、到津さんに対する宇佐神宮側の数々の嫌がらせを「人格的利益を侵害した」とし「不法行為に基づく損害賠償」の請求を認めたものの、「解雇は有効」との判決を出した。

到津さんは2008年7月に当時の責任役員会から、神社を統括する宮司に選任されたが、神社本庁(田中恒清総長)がこれを拒否し、本件訴訟の被告でもある穴井伸久大分県神社庁長(当時)を「特任宮司」として宇佐神宮に送り込んだ。その人事の不当性をめぐる裁判は最高裁まで争われたが、到津さん側の敗訴が確定(13年5月)。今回の裁判は、その翌年(14年5月)に当時ナンバー2の権宮司の職にあった到津さんを監視、暴言、暴行などのパワーハラスメントの末に解雇したことの是非が争われたもので、前述のとおり解雇は認められたが、当時の穴井特任宮司と永弘健二権宮司、宇佐神宮に対しパワハラによる損害賠償として「連帯して110万円」の支払いを命じた。また、裁判では到津さんの居住する宇佐神宮敷地内の建物を明け渡せとの宇佐神宮側の反訴事件も争われたが、澤井裁判長は「到津家がこれまで保存継承してきた(略)宗教行為」は「消滅していない」などとし、到津さん側の使用権を認めた。

原告代理人の岡村正淳弁護士は「パワハラという人権侵害を認めながらも、そのような状況下で行なわれた解雇を認めるという矛盾した判決。宮司邸の使用権を認めたのは、雇用関係がなくなっても社家としての役割が残っているとの判断であり、これは容認できるものの、解雇を有効とした判断は認められず控訴する」と述べた。(片岡伸行・編集部、2018年2月23日号)

宇佐神宮が課税漏れ 50年以上か

2018年1月27日 毎日新聞

 大分県宇佐市は26日、法解釈を誤り、市内の宗教法人に対し、固定資産税などを長期にわたり課税漏れを続けていたと発表した。宗教法人の名前は非公表としたが、国宝の宇佐神宮とみられる。市は5年間分をさかのぼって徴収するとしているが、課税漏れ期間は不明で、50年以上の可能性もあるという。市は「個別の課税情報だ」として、徴収額も公表していない。

 宇佐神宮周辺には、表参道に宇佐八幡駐車場(乗用車など238台収容)、呉橋側に呉橋駐車場(同126台収容)がある。市は、同駐車場に宗教法人の土地が含まれているため宗教法人所有の「境内地」として非課税の扱いにしていた。しかし、市などによると、宇佐神宮所有の土地などは第三セクターや市に貸し出され、駐車場を運営。昨年度の宇佐八幡駐車場は約5395万円、呉橋駐車場は約800万円の収益を上げており、市は宗教活動以外の土地と判断した。【大漉実知朗】

「邪馬台国宇佐説」を漫画化

2010年06月03日 読売新聞 YOMIURI On-Line

古代史研究家ら取材

「邪馬台国宇佐説」を題材にした漫画を出版する山上さん(右)と小林さん

 古代史研究家の山上智さん(61)(横浜市)と、イラストレーター小林裕美子さん(36)(東京)が「古代史最大の謎とされる邪馬台国は宇佐にあった」との説に基づいた漫画を出版することになり、大分県の宇佐市や豊後高田市を取材で訪れた。

 山上さんは大学卒業後、古代史や心霊の研究に取り組み、聖徳太子を題材にした本などを発表している。霊的な力を持っていたとされる卑弥呼にも関心があり、魏志倭人伝を研究した結果、▽邪馬台国の所在地は、宇佐神宮を中心にした場所▽卑弥呼の墓は、環状列石(ストーンサークル)がある豊後高田市の猪牟礼(いのむれ)山だった――などと、約20年前から考えてきた。

 「邪馬台国宇佐説」を自分のブログで紹介しているうち、小林さんと意気投合し、作品にすることになった。漫画のタイトルは「古代史探偵タケル」。横浜の中学生3人が、大学生と一緒に旅をしながら、魏志倭人伝に書かれた謎を解いていく。卑弥呼の墓が見つかるまでを10巻にまとめ、年内にも出版する。

 小林さんは「漫画の舞台は大分と福岡が中心。中津市のハモ料理や関アジ、関サバなども登場する予定なので、楽しみにしてほしい」とアピールしている。

 山上さんと小林さんは、5月上旬、宇佐神宮や宇佐風土記の丘などを回り、30日に宇佐神宮で開かれた「全日本邪馬台国論争大会」にも参加。山上さんは「宇佐や国東半島を邪馬台国の所在地として有名にしたい。(漫画では)卑弥呼の墓を見つけた後の展開も描きたい」と話している。問い合わせは山上さん(080・5514・7947)へ。

宇佐神宮内紛 「宮司任命無効」と世襲支持側提訴

2010年05月31日 読売新聞 YOMIURI On-Line

 宇佐神宮(大分県宇佐市)の宮司職を巡り、同神宮責任役員の男性(72)が同神宮を相手取り、神社本庁(東京)が任命した穴井伸久宮司(61)の地位不存在確認を求める訴えを、大分地裁中津支部に起こした。

 訴状などによると、同神宮責任役員会は2008年7月、宮司職を世襲してきた到津家の先々代宮司の長女で当時、権宮司だった克子(よしこ)さん(41)を宮司に選び、神社本庁に申請。しかし、神社本庁は09年2月、「克子さんは経験不足」と判断し、県神社庁長の穴井さんを宮司に任命した。

 こうした手続きは、宗教法人法に基づいて宇佐神宮規則に明文化されておらず無効、としている。

 克子さんは「宮司は自分」として地位存在確認などを求める訴訟を同支部に起こしている。

ぐるっと県内:前中津市長らが自説披露 邪馬台国論争大会−−30日、宇佐市 /大分

2010年5月18日 毎日新聞 地方版

 ◇多彩な5人の論者決まる

 アマチュア研究家が古代史最大の謎に迫る「第6回全日本邪馬台国論争大会」(宇佐市観光協会など主催)を前に15日、宇佐神宮上宮本殿前広場で、ミニ独立国「新邪馬台国」の高橋宜宏(よしひろ)総裁(同市議)らが会見し、弁論者を発表した。会見にはミス卑弥呼の銀行員、佐藤博美さん(23)とミス壱与の信金職員、行時未加さん(22)=ともに市内在住=が邪馬台国の礼装で姿を見せ、花を添えた。

 大会は神宮参集殿で30日午前10時から。コーディネーターは「新・武士道」などの著書がある作家・評論家の岬龍一郎さん。中津市長を4期務め、「卑弥呼の使い」など著書があり、邪馬台国に造詣が深い鈴木一郎さん(75)が「福岡県飯塚市」を主張する。鈴木さんは「自信を持って16年間の研究を披露したい。意見交換が楽しみだ」と話した。

 他に「佐賀平野」の茨城県土浦市の獣医ら4人が自説を披露する。応募17件のうち1件だけ畿内説があったが、論理的ではないとして採用されなかった。

 新邪馬台国は、故高木彬光さんが「邪馬台国は宇佐」を推理した小説「邪馬台国の秘密」から着想したパロディー国家。国旗、国歌も制定した。先進国サミットならぬ「後進国サミット」を開催したこともある。89年に鎖国をしたが、昨年開国し、23年ぶりに論争大会を復活させた。参加料は昼食付き2000円。問い合わせは同観光協会(0978・37・0202)。【大漉実知朗】

新酒造り:宇佐の小松酒造、若い杜氏が挑戦 米生産者と「幸」瓶詰め /大分

2010年5月18日 毎日新聞 地方版

 ◇農薬、肥料無使用の地元産米にこだわり

 宇佐市長洲の小松酒造場を再開した杜氏(とうじ)で6代目・小松潤平さん(34)は、再開2年目の今年は新酒造りにも挑戦した。14日、宇佐市の農業生産法人「宇佐本百姓」と組み、農薬・肥料無使用の米を使った純米酒「幸(しあわせ)」の瓶詰めをした。県内や福岡市などで試験販売する。【大漉実知朗】

 同酒造場は1868(明治元)年創業の老舗だが、1988年に製造を休止した。東京農大で醸造学を学んだ小松さんは実家の再興を夢見て、滋賀県などの蔵元で修業。08年秋から実家で蔵酒造りを始め、09年「初しぼり豊潤」など1万本を出荷した。酸度が高く、すっきりした辛口で評判がいい。

 今回、「豊潤」の他に、地元産の米にこだわった酒造りを目指し、同世代の生産グループ「本百姓」が生産する「しあわせ米」を使い醸造した。精米をほとんどしない玄米とこうじを通常の2倍使った製法で仕上げた。瓶詰めには、「本百姓」の深見壽孝代表(37)ら4人も駆けつけ、手伝った。「幸」は貝類などくせのある食べ物に合う通好みの酒という。720ミリリットル入りで1500円(税別)。

 深見さんらは「自分たちが作った米が日本酒になり感無量です」。小松さんも「小さい酒蔵だけど、手間ひまかけた付加価値の高い日本酒造りの開発にこれからも取り組みたい」と夢を語った。問い合わせは同酒造(0978・38・0036)。

古代ハス:大輪咲かせ−−宇佐神宮 /大分

2009年07月09日 毎日新聞 地方版

 宇佐神宮(宇佐市南宇佐)の古代ハスが見ごろを迎えている。大きな青い葉に、ピンクの大輪を咲かせ、梅雨にも映え、参拝客を楽しませている。

 ハスの群落は宝物館と参集殿が浮かぶ初沢池と、絵馬殿前の菱形池にある。「午前中が見事です」と神宮。

 縄文時代の遺跡から発見された種子を開花させたことから、「古代ハス」の名が付いた。スイレン科の多年草でインド原産。花の中心部がハチの巣に似ているところから別名「ハチス」と言われる。【大漉実知朗】

友好親善大使:大分・九重の白イノシシ「さくら」、「マグマ共和国」に /鹿児島

2009年07月05日 毎日新聞 地方版

 大分県九重町の宝八幡宮で5月に生まれた白イノシシ5匹のうち雌2匹が、鹿児島市・桜島の振興を図るパロディー国家「マグマ共和国」と、京都市上京区の護王神社にそれぞれ友好親善大使として派遣される。5日、宝八幡宮で任命式がある。大分、鹿児島、京都は偶然、奈良時代末に弓削道鏡の皇位継承を阻んだ和気清麻呂(733〜799)ゆかりの地だった。

 両親は白イノシシ夫婦。桜島のは東桜島保育園児が名付けた「さくら」。島名や11年全線開通する新幹線の車両名からとった。護王神社へは「花梨(かりん)」。ともに体重約2キロ、体長35センチ前後。可愛い盛りのおてんば娘だ。

 宝八幡宮の甲斐素純宮司、飼い主の藤原三治さんは「三つの土地は不思議な1本の糸で結ばれている」。

 769年の「道鏡事件」。僧道鏡は宇佐八幡宮から御神託があったとして皇位継承を狙ったが、清麻呂は現地調査し「偽託」と天皇に復奏。道鏡は怒り、大隅国に流した。途中「道鏡の刺客に襲われたが、宇佐八幡宮の近くで突如300匹のイノシシが現れ、道案内した」と伝わる。1年後に復権し、平安京の建都にかかわった。

 配流先の霧島市牧園町の和気神社、護王神社とも祭神は和気清麻呂。護王神社はイノシシ神社として知られ、和気神社には白イノシシがいる。ともに境内に、こま犬ならぬこまイノシシ像がある。

 藤原さんは「宝八幡宮は宇佐八幡宮の末社で、この縁は、神の使いの白イノシシのおかげ。地域間交流を深めたい」と話す。11日、桜島に「さくら」を連れてゆき、大分の伝統芸能「豊後万歳」を舞う。【楢原義則】

宇佐神宮で「御田植祭」

2009年06月28日 大分合同新聞社

能舞台前に設けられた斎田に稲の苗を投げ入れる、かわいらしい早乙女役の女児たち

 宇佐市の宇佐神宮で26日、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る祭礼行事「御田植祭」(県選択無形民俗文化財)があった。

 本殿祭の後、能舞台前に設けられた斎田であり、市内外の3〜5歳の10人が早乙女を務めた。見物客が見守る中、水守役の少年が斎田に水入れ。その後、花笠(がさ)にかすりの着物をまとったかわいらしい早乙女が田の周りを歩きながら、稲の苗を中に投げ入れた。早乙女役をした保田侑奈ちゃん(5)=同市城井=は「楽しかった」と話していた。

 同神宮では、境内の田で育てたコメを11月23日の新嘗祭(にいなめさい)で本殿に奉献する。御田植祭は1123(保安4)年に始まったとされ、2年前から夏越祭り(7月31日〜8月2日)の関係で1カ月早めて実施している。

吟詠吟舞大会:祝歌や剣舞など、68種目で吟じる−−宇佐神宮 /大分

2009年06月04日 毎日新聞 地方版

 第40回吟詠吟舞大会(日本吟道奉賛会大分地方本部主催)が先月31日、宇佐市の宇佐神宮で開かれた。全国各地から約1200人が参加し、「早(つと)に白帝城を発す」(李白)などを吟じ、観客から大きな拍手が送られた。

 大会は、参加者全員が上宮本殿前で大合吟した後、宇佐詩道会が「吉野懐古」の合吟を披露。祝歌や剣舞、詩舞など計68種目が、約5時間にわたって能楽殿で繰り広げた。最後に日本吟道奉賛会の江藤壽洋会長が自作の「宇佐神宮奉納詩」を吟じた。

 宇佐詩道会宇佐八幡分会の新貝義郎会長は「七言絶句、五言絶句など漢詩の世界に親しんでもらうため、若い人にも参加してほしい」と話す。問い合わせは同大分地方本部(0978・38・0172)まで。

小笠原長次墓前祭:初代中津藩主の遺徳しのぶ−−きょう吉富天仲寺山頂 /福岡

2009年5月29日 毎日新聞 地方版〔京築版〕

 初代中津藩主・小笠原長次(ながつぐ)の墓前祭(吉富歴史文化の会主催)が命日にあたる29日午前10時、吉富町広津の天仲寺山頂の墓前である。今年は344回忌で、読経や焼香、献花などを行い、遺徳をしのぶ。

 小笠原氏の本流とされる長次は寛永9(1632)年、豊前国中津8万石の城主となり、宇佐神宮(大分県宇佐市)をはじめ領内の神社仏閣を修復。新田開発や灌漑(かんがい)工事など農村振興にも力を注いだ。善政を行い、庶民に慕われたという。

 寛文6(1666)年、52歳で病死したが、甲冑(かっちゅう)を付けて天仲寺山頂に埋葬するよう言い残したとされる。

 墓は公園整備事業での再建が決まり、1973年から発掘調査を開始。74年に遺言通り甲冑姿の遺体が見つかり、墓前祭が始まった。【陣内毅】

邪馬台国所在地を議論、宇佐神宮で23年ぶり大会

2009年05月18日 読売新聞 Yomiuri On-Line

論者が唱える持論に耳を傾ける参加者

 古代史最大の謎・邪馬台国の所在地を巡って持論を出し合う「全日本邪馬台国論争大会」が17日、宇佐市の宇佐神宮で開催された。全国各地の論者が語る諸説に、県内外約350人の古代史ファンが夢を膨らませた。

 点在する古墳などから「宇佐が邪馬台国だ」と主張し、1976年に発足したまちづくりグループ「新邪馬台国建設公団」(高橋宜宏総裁)のメンバーら実行委員会の主催。読売新聞西部本社など後援。

 論争大会はアマチュア研究者を集め、81年からの6年間に計4回開催。その後、途絶えていたが昨今の経済不況などの閉塞(へいそく)感を打ち破るには「笑いとユーモア」が必要と、23年ぶり5回目となる復活開催を決めた。

 論者は全国公募した17人から選ばれた東京都練馬区、元会社役員鷲崎弘朋さん(66)(宇佐中津説)、千葉県山武市、農業金田弘之さん(62)(朝倉説)、大阪府吹田市、会社員井上修一さん(59)(日田・吉野ヶ里説)、鳥取県境港市、会社員田中文也さん(53)(山陰説)、鹿児島市、主婦高橋ちえこさん(64)(宇佐説)の5人。

 鷲崎さんは、宇佐神宮でまつる比売(ひめ)大神を挙げ、「日本書紀では天照大神の尊称を除いた本名はヒルメで現代語で言えばヒメ。卑弥呼も戦前まではヒメコと呼ばれており、卑弥呼と比売大神、天照大神は同一人物だ」と主張。

 田中さんは「畿内には銅たく、九州には銅矛、銅剣という定説があるが、すべての青銅器がそろう山陰地方が、弥生時代の中心」としながらも、「畿内、九州など場所を特定せずに研究することが日本文明の解明につながる」と訴えた。

 初めて参加した宇佐市の自営業吉用春孝さん(75)は「諸説があっていいし、それが邪馬台国の魅力。これから自分も勉強してみたい」と話し、高橋総裁は「予想以上の反響。来年以降も大会を続けたいし、二十数年前に行っていた『春の園遊会』なども復活させ、暗い世相を吹き飛ばしたい」と意気込んでいた。

邪馬台国論争で記念焼酎

2009年05月12日 西日本新聞

パロディー国家「新邪馬台国」がつくった記念焼酎「邪馬台国 黒米」

 邪馬台国の地の1つとされる大分県宇佐市の地域おこしグループは、17日に宇佐神宮で開く「全日本邪馬台国論争大会」を前に、地元の酒造メーカーと協力して記念焼酎を造り、12日発表した=写真。

 推理小説「邪馬台国の秘密」(高木彬光著)で、邪馬台国の地とされた宇佐市。当日は宇佐説、吉野ケ里説、朝倉説など主張の異なる九州や関西の歴史愛好家5人が議論を戦わせる。

 焼酎は、地元で栽培された古代米の黒米約400キロを原材料に、800本を造った。720ミリリットルで2500円(税込み)。「論戦に熱が入っても、最後はこれで乾杯すれば、円満に締めくくることができるはず」と地域おこしグループのメンバー。 (宇佐)

宇佐風土記の丘にある古墳群(宇佐市)

2009年04月20日 大分合同新聞

古墳群の中の一つ角房古墳

クニの首長眠る

 宇佐市の真ん中を流れる駅館川(やっかんがわ)の右岸台地に「宇佐風土記の丘」がある。ここが風土記の丘になり、県立歴史博物館が置かれたのは、一帯に多くの古墳があるからだ。地名を取って川部・高森古墳群と呼ばれ、六基の前方後円墳を中心に、円墳や周(しゅう)溝(こう)墓(ぼ)など百を超す古墳・墓地が集積し、国の史跡となっている。九州では宮崎県の西(さい)都(と)原(ばる)古墳群に続く規模である。

 前方後円墳で最大のものは福勝寺古墳(全長八十二メートル)で、次いで車坂、赤塚、免(めん)ケ平(ひら)、角(かく)房(ぼう)、鶴見などの古墳がある。この中で最も注目されるのが赤塚古墳。全長五七・五メートル、高さ約五メートルで、大きさはさほどではないが、築造は三世紀末と考えられ、九州で最も古い時期のものだ。

 一九二一(大正十)年の秋、二人の村人が夜陰に乗じてひそかに発掘、後円部にある箱式石棺の中に五面の青銅鏡を発見した。情報はすぐに考古学者の耳に入り、現地調査の結果、鏡はいずれも中国製とみられる優秀なもので、ほかに管(くだ)玉(たま)、鉄刀、鉄(てっ)斧(ぷ)や土器片を伴っていることが分かった。

 梅原末治氏(元京都大学教授)による調査報告が学会誌に掲載され、一躍して赤塚の名が知れ渡った。特に目を引いたのが、鏡のうち四面の三(さん)角(かく)縁(ぶち)神(しん)獣(じゅう)鏡(きょう)が大和など各地で出土した鏡と同じ鋳型で作られたものだったことや、墳形から極めて初期の前方後円墳と判明したこと。

 つまり、それは初期のヤマト政権が畿内から瀬戸内海各地の首長と同盟関係を結びながら、統一王権を目指してついに九州に足がかりを得た証拠と考えられたのである。

 宇佐平野は海陸の要衝であり、九州の玄関だった。弥生時代以降、宇佐地方に勢力を張った有力集団・クニの首長たちは、赤塚に次いで免ケ平古墳に眠り、六世紀の鶴見古墳まで、代々の古墳群を形成していったのか。

百人一首「永世クイーン」、楠木さんが4連覇…宇佐

2009年03月09日 読売新聞 読売新聞 Yomiuri On-Line

鮮やかな手さばきを見せる楠木さん

 全国かるた競技宇佐神宮大会(全日本かるた協会主催)が8日、大分市のコンパルホールで開かれ、中津市出身の小倉百人一首競技かるた「永世クイーン」楠木早紀さん(19)(立命館大1年)が4連覇を果たした。

 全国から小学生から60歳代まで約180人が出場。有段者のA〜C級、初心者らのD、E級に分かれ、トーナメント戦を繰り広げた。緊張感が漂うなか、上の句が詠み始められると、参加者は札を狙って素早く手を伸ばし、畳をはじく小気味よい音が響いた。

 楠木さんは「永世クイーンになって初めての地元での大会で、みんなにかっこいい姿が見せられてよかった」と笑顔で話していた。

宇佐神宮で後継争い 世襲家外した神社本庁に信者ら反発

2009年03月08日 asai.com

宮司人事をめぐり揺れる宇佐神宮=大分県宇佐市南宇佐

 大分県宇佐市の宇佐神宮が後継ぎ争いに揺れている。昨年8月に死去した前宮司の後任を、神社本庁(東京都)が別の神社の宮司から選んだことに地元信者らが反発。地元側は2月下旬、長く宮司を世襲してきた到津(いとうづ)家の長女を初の女性宮司に決め、神社本庁に脱退届を提出した。

 宇佐神宮の宮司は長く到津家と宮成家が務めてきたが、戦後は到津家だけで世襲してきた。73年から宮司を務めた到津公斉(きみなり)氏(今年1月死去)が体調を崩したため、06年5月、宇佐神宮とかかわりの深い同県中津市の薦(こも)神社の宮司だった池永公比古(きみひこ)氏が後任についた。世襲家以外からの異例の人事だったが、公斉氏の長女でナンバー2の権宮司を務める克子(よしこ)氏(40)が、十分な神職の経験を積むまでのピンチヒッター役と見られていた。

 ところが、池永氏は昨年8月に病死した。宮司の選任は通常、信者らの責任役員会が人事案を決め、神社本庁の人事委員会で承認を得るのが慣例だ。責任役員会は克子氏を宇佐神宮で初の女性宮司に選ぶ考えだったが、神社本庁側は「克子氏ではまだ経験が浅い」と反対の意向だったため、宮司職は「空席」のままとなっている。

 一方、克子氏以外の神職は、神社本庁に「後任宮司は、神社本庁や県神社庁からお願いしたい」とする嘆願書を提出。神社本庁は2月26日、県神社庁長で同県玖珠町の瀧神社宮司を務める穴井伸久氏(60)を後任宮司に決めた。

 こうした動きに反発した克子氏と責任役員会は、穴井氏は責任役員会の承認を受けていないとして認めず、2月24日に開いた氏子総代会と責任役員会で克子氏の宮司就任を決定。28日には神社本庁に文書で脱退届を提出した。

 克子氏は「宇佐神宮の宮司には一子相伝の就任秘儀があり、私だけが受け継いでいる。それを行えない者は宮司になれない」と強調。「都」での動きに「否」の“ご神託”を突き付けた。一方の穴井氏は「争いごとに似つかわしくない舞台でこんなことになるなんて。胃の痛い思いです」と話している。

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 〈宇佐神宮〉 全国に約4万8千社ある八幡宮の総本社。皇室にとっては伊勢神宮に次ぎ格式が高いとされる。国指定史跡で、本殿は国宝。創立は725年。769年に称徳天皇の勅使として神宮を詣でた和気清麻呂が神託を受け、皇位を望んだ道鏡の野望を阻んだとされる。

宇佐神宮の巫女さんが破魔矢袋詰め

2008年12月18日 読売新聞 Yomiuri On-Line

破魔矢を丁寧に袋に詰める巫女

 宇佐市の宇佐神宮で、縁起物の破魔矢を包装する作業がピークを迎えている。

 同神宮では、長さや色が異なる15種類の破魔矢を約1万5000本準備する。作業は神宮上宮で行われ、緋(ひ)袴姿の巫女(みこ)たちが、一本一本入念に確かめた後、袋に詰めている。

 巫女の稲桝恭子さん(22)は「皆さんに良い年を迎えてもらえるようにと、気持ちを込めながらの作業です」と話していた。

 同神宮は、正月三が日の初詣で客を35万〜40万人と見込んでいる。

宇佐神宮の「行幸会」 現代に復活

2008年11月11日 読売新聞 Yomiuri On-Line

みこしを担いで表参道を練り歩く男衆

 約400年間途絶えている宇佐神宮の最大の祭礼「行幸会(ぎょうこうえ)」を現代風に再現した歴史体験イベントが9日、大分県宇佐市の同神宮などで開かれ、約350人によるみこし行列などが行われた。

 同市歴史観光推進協議会(井本裕明会長)が企画した。行幸会はご神体のマコモ(イネ科の多年草)の枕を作り替える際の行事。マコモは薦神社(中津市)の三角池で刈り取られ、みこしに乗せられて宇佐、豊後高田両市の神社8か所を巡った後、同神宮に納められる。平安時代に始まり、6年に1度行われたが、鎌倉時代に中断。1616年に中津藩主細川忠興に再興されたが、その後途絶えた。

 みこし行列には子ども神楽や文化財愛護団体など8団体が参加。太鼓や笛のおはやしのなか裃(かみしも)や法被などを着込み、表参道に設けられた8か所の神社に見立てた鳥居を巡行した。終了後には北原人形芝居(中津市)やキツネ踊り(姫島村)などの伝統芸能大会も行われた。

「比売」降臨の伝説 地下に石棺情報も

2008年10月29日 読売新聞 Yomiuri On-Line

 邪馬台国九州説を追って、佐賀から大分の宇佐神宮へ。ここは全国の八幡様の総本宮。八幡様とは応神天皇の御神霊で、欽明天皇の32年(571年)に宇佐の地に現れたのが、この神宮の始まりだとか。が、それより前、この地には天から「比売大神」が降りてきたという。ひめ? 考古学素人の私から見ても、卑弥呼に通じるのでは?

 総本宮だけに敷地は広大。参拝前、郷土料理のだんご汁で元気を出す。野菜たっぷりのみそ仕立て汁でほかほかした。濃い緑のイチイガシの森や大きな蓮の葉で埋まった初沢池、菱形池。階段を上って、若宮神社、亀山神社を過ぎ、やっと国宝の本殿へ。一之御殿、二之御殿、三之御殿と分かれた壮麗な建物だ。その二之御殿に比売大神が祭られている。

 ここで興味深い話が。昭和初期、本殿前の樹齢800年の御神木の根が伸びすぎて、地面を掘って処置した際、地下に石棺が目撃されたという。小高い亀山は、菱形池を掘った土で作った古墳との言い伝えもある。さらに西に少し離れた「百体神社」は、魏志倭人伝で卑弥呼が亡くなったときに殉葬された「奴婢百余人」に通じる!?

 杉やクスの巨木に囲まれ、野鳥の声が響く。池では蓮の葉がゆらゆら。神秘的な雰囲気のこの地に卑弥呼は眠るのか。謎はまだまだ深い。(ペリー荻野 コラムニスト)

中世醸す田染荘 御田植祭に200人 豊後高田

2008年06月14日 西日本新聞朝刊

 中世の荘園風景を残す豊後高田市田染小崎の田染荘(たしのぶしょう)でこのほど、手で苗を植える「御田植祭」があり、県内外から約200人が参加した。地元農家などでつくる「荘園の里推進委員会」の主催で、今年で9年目。

 田染荘は平安末期から鎌倉時代にかけ、九州最大の荘園領主だった宇佐神宮の直轄荘園。水田整備をせず、昔ながらの棚田や集落が残っている。

 水田では、中世の衣装などの大学生や家族連れなどが1列に並んで苗を植えた。学生約40人と参加した別府大学の飯沼賢司教授は「人間と自然のバランスを学ぶ良い題材」と話した。

二豊路:田染荘で早乙女と田植え /大分

2008年06月11日 毎日新聞 地方版Mainichi INTERACTIVE

 豊後高田市の「田染荘(たしぶのしょう)」で8日、御田植祭があった。中世荘園の面影が残る棚田で「田のオーナー」らが、にぎやかに田植えをした。

 宇佐神宮(宇佐市南宇佐)の神職による神事の後、はりぼての牛が登場。わざと転ぶなど、おどけた田ならしに見物客から笑いが起きた。すげがさ姿の早乙女と一緒に参加者は、苗を植えた。

 豊後高田市は00年から田染荘の棚田を残そうと、全国各地から「荘園領主」を募集。今年は神奈川県などから138人が田のオーナーになった。秋には、収穫祭を行い、田染荘産の米やシイタケなどがオーナーに贈られる。【大漉実知朗】

写真展:大分の田中さん、宇佐・国東三十三霊場巡る−−豊後高田「昭和の町」 /大分

2008年05月01日 毎日新聞 地方版 Mainichi INTERACTIVE

 宇佐神宮くにさき三十三霊場の寺や仁王像の写真展(宇佐神宮・国東半島を「世界遺産」にする会主催)が、豊後高田市の「昭和の町」にあるホテル清照別館(旧野村銀行ビル)で開かれている。18日まで。

 

 アマチュア写真家の田中みのるさん(85)=大分市南生石(いくし)=が、国東半島にある富貴寺や宇佐市にある福昌寺など33カ所を巡って写した作品を含む計55点を展示。期間中、会場で、霊場5カ所のお寺の名を当てるクイズに正解した50人に、写真展終了後、抽選で「ハガキ写真集」をプレゼントする。入場無料。問い合わせは清照別館0978・22・1182まで。【大漉実知朗】

杉の葉ぶきのみこし練る 香春町採銅所で神幸祭

2008年04月28日 西日本新聞朝刊

 香春町採銅所の古宮八幡神社の神幸祭が27日あり、屋根を杉の葉でふいた珍しいみこしが町内約4キロを練り歩いた。

 杉の葉ぶきのみこしは、同地区が杉の産地だったことに由来。同神社は720年ごろから約千年、宇佐神宮(大分県宇佐市)に香春産の銅鏡を奉納していたが、その運搬にこのみこしが使われたという。古宮音頭を歌うなど、独自の祭りの形態から、県無形民俗文化財に指定されている。

 この日は、前日の「お上り」に続く「お下り」。白装束の住民ら約40人が約500キロのみこしを担ぎ、同神社下のお旅所から、かつて銅鏡が作られたとされる清祀(せいし)殿などを経て同神社に戻った。

二豊路:日田・大原八幡宮の御田植祭 /大分

2008年04月16日 毎日新聞 地方版 Mainichi INTERACTIVE

 日田市の大原八幡宮で15日、古来の作法を継承した御田植祭(春季例大祭)があり、早乙女6人が豊作を祈願して苗を植えた。

 神事は鎌倉時代に宇佐神宮から伝わったといわれ、県指定無形民俗文化財。氏子の平島昇さん(64)と矢野忠頼さん(82)がそれぞれ牛と牛使いに扮(ふん)して田すき。牛が「あー、きつい」と不平を漏らせば牛使いは「こらこら」と追い立てるなどユーモラスなしぐさが参拝客の笑いを誘った。

 平島さんは今年初めて神事に参加。「実家は農家で、中学時代までだだをこねる牛を使っていた。牛の気持ちがよく分かった」

 続いて足達遥奈ちゃん(5)=三芳幼稚園児=ら早乙女がピンクの花笠と華やかな舞衣をまとい、早苗に見立てたセキショウ(ショウブの一種)を可愛い手付きで植えた。【楢原義則】

香春(かわら) 神社豊前 田川

 香春岳(かわらだけ)一ノ岳のふもとにある香春(かわら)神社。社伝によると祟神(すじん) 天皇の時代(西暦300年頃)の創設とされています。『豊前国風土記』によればこの神社の神様である鹿春(香春)の神は新羅(しらぎ)より渡ってきた神様で香春岳の一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳にはそれぞれの神三体が鎮座しているとのことです。

 祭神は辛国息長大姫大目命(カラクニオキナガオオヒメオオメノミコト)と記載されています。この祭神名の頭2字辛国(からくに)は韓国あるいは唐国を意味する字です。

 香春岳は昔より銅の産出した場所であり、奈良東大寺の大仏造営(西暦752年大仏開眼)にも相当量の銅が、ここから搬出されたと言われています。この香春の銅山の採掘や精錬に従事したのが新羅系渡来氏族集団であり、この集団の守り神が香春神社であったのであろうと言われています。

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