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01. | プロコンスル(Proconsul)類人猿 | 1948年アフリカ東部ビクトリア湖ルシンガ島で 発見、チンパンジーと人類の共通の祖先 (1,700-2,300万年前) | |
02. | サヘラントロプス・チャデンシス (Sahelanthropus tchadensis) | 2001年中央アフリカのチャド北部の砂漠で発見 (当時のチャド湖畔) 通称トゥーマイ猿人 | |
03. | オロリン(Orrorin) 古猿人 | 2000年ケニア北西部のバリンゴ地方で発見 通称「ミレニアム・アンセスター」 | |
04. | オロリン・ツゲネンシス (Orrorin tugenensis) | 2000年ケニア中西部のツゲン・ヒルで発見 | |
05. | カダバ猿人 (Ardipithecus kadabba) | 2001年エチオピアで発見 | |
06. | ラミダス猿人 (Ardipithecus ramidus) | 1992年エチオピアで発見 通称『アルディ』 二足歩行? | |
07. | アナム猿人 (Australopithecus anamensis) | 二足歩行 | |
08. | ケニアントロプス・プラティオプス (Kenyanthropus platyops) | 1999年ケニア北西部のトゥルカナ湖近く | |
09. | アファール猿人 (Australopithecus apharensis) | 1974-1979年、エチオピアで発見 愛称ルーシー(Lucy)「直立二足歩行」 | |
10. | アウストラロピテクス・アフリカヌス 猿人(Australopithecus africanus) | 1924年、南アフリカ共和国キンバリー近郊の町 タウン (Taung) で発見 200-300万年前 道具の使用? | |
11. | パラントロプス・エチオピクス (Paranthropus aethiopicus) | 1985年ケニア北東部トゥルカナ湖岸で発見 230-270万年前 | |
12. | ガルヒ猿人 (Australopithecus garhi) | 1999年エチオピアで発見 | |
13. | ロブストス猿人 | 南アフリカで発見 | |
14. | セディバ猿人 (Australopithecus sediba) | 2008年08月 南アフリカの世界遺産 「スタークフォンテン、スワートクランズ、 クロムドライおよび周辺地域の人類化石遺跡 群から発見 | |
15. | ホモ・ハビリス (Homo habilis) ハビリス原人 | 1964年タンザニアのオルドヴァイ峡谷で発見 愛称「ハンディマン(Handy man)」 |
01. | 人類の進化 by 生命と宇宙(Ken Yao のページ) | ||||||
02. | エチオピア、コンソ遺跡群の古人類学調査 by 諏訪 元 fromOuroboros(ウロボロス)Vol.1 第3号 (東京大学総合研究博物館ニュース) | ||||||
03. | ヒトがサルと分かれた日 by 生命40億年はるかな旅5(NHK出版) from THE SELFISH GENE | ||||||
04. | 人類の歴史。霊長類の共通の祖先から、現生人類誕生まで。 byNAVERまとめ | ||||||
05. | 人類史 FROM社長室 by片岡電業社 | ||||||
アナム猿人が語る直立二足歩行の起源by 日経サイエンス1997年9月号
| 類人猿ゲノム計画 "Silver"
| 猿人か ヒトの祖先か 南アフリカ共和国で見つかった『セディバ猿人』の | 化石 byナショナルジオグラフィック日本版 2011年8月号 猿人 byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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猿人「ルーシー」の300万年前の死因が明らかに「彼女の人間味がより増してきた」2016年08月30日 David Freeman The Huffington Post
エチオピアで発見され、「ルーシー」と名付けられた約318万年前のアファール猿人の化石人骨調査をテキサス大学の研究グループが、300万年以上前に生存し亡くなった人類の先祖の標本の代表である「ルーシー」の死因を明らかにしたと発表した。
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ルーシーは、小さな二足歩行の動物であり、学名「アウストラロピテクス・アファレンシス」で、絶滅種に属している小柄な二足歩行の猿人の化石だ。アリゾナ州立大学ヒト起源研究所の |
ウェブサイトによると、ルーシーは1974年にエチオピアで発見され、その名前はビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」に由来している。
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雑誌「ネイチャー」に8月29日発表された論文によると、研究グループはルーシーの右上腕骨(肩から肘まで通る長い骨)に骨折の跡があり、これは彼女が「地面に向かって垂直に落下したとき、腕を骨折した結果」亡くなったことを示しているという。
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つまり、かなり高い場所から落下したとみられる。
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■ ルーシーはどのように木から落ちたのか
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研究グループが長い間議論してきたのは、ルーシーが木の上と地上の両方で過ごしていたのかどうか。ネイチャーに発表した論文の主要執筆者が述べているポイントだ。
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「皮肉なのは、樹上生活が人類の進化上どのような役割を果たしてきたのかという議論の中心にある化石が、おそらく木から落ちた負傷により死亡したということだ」と、テキサス大学オースティン校の人類学と地質学のジョン・カッペルマン教授は述べた。
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ルーシーはどのように木から落ちたのか。研究グループの仮説によると、彼女はまず足で着地し、体は右側に向けて前に投げ出されたという。
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この研究において、カッペルマン教授と地質学のリチャード・ケッチャム教授はCTスキャナーを使用し、ルーシーの化石化した骨格を35000以上の断面にスキャンし、記録を作成した。
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断面の解析から、ルーシーの右上腕骨の端に見受けられる鋭いはっきりとした損傷が明らかになった。研究グループが言うように、落下したけが人に見られる骨の損傷と似ている。
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テキサス大の研究グループは、これらと彼女の骨格の他の損傷からみて、ルーシーはおよそ3フィート6インチ(約114cm)の身長、60ポンド(約27kg)の体重だと推定した。
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研究グループは、ルーシーが高さ約12メートルの木から落下したと考察。地面に落ちた時の速さは時速約11メートルだったと推定した。まず、足から落ちて自分をかばうために腕を使ったが、衝撃の強さが大きすぎたために助からなかったと考えている。
この分析は理にかなっているが、少しむごい。しかし、他の科学者たちは疑念を抱いている。
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アフリカのケープタウン大学で考古学者を務めるレベッカ・アッカーマン博士はワシントンポストの取材に対し、「今回の研究ではルーシーの骨折に対する他の説を覆すまでには至らない」と語った。しかし、アッカーマン博士は調査結果自体を否定していない。
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「個人的には、科学的に見ても歴史的に見ても、人類の進化を理解する上で重要な役割を果たしたルーシーに関する興味深い話を教えてくれる、いい研究だと思います」と、アッカーマン博士は語った。
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■ 懐疑的な見方も
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しかし、新しい説をより厳しく評価する研究者もいる。
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「説明のつく骨折の原因は数え切れないほどある」と、ルーシーを発見した研究者の1人で、人類起源研究所長のドナルド・C・ヨハンソン博士はガーディアン紙に語った。「ルーシーが木から落ちたという説は、立証も反証もできない、ただその通りの話なので確証がありません」
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ヨハンソン博士はニューヨークタイムズに、「ルーシーの骨折は死後かなり経過してから起こった可能性が高く、象の骨やカバの肋骨も似たような損傷を起こすし、そのような動物が木から落ちる可能性は低い」と述べた。
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これに対し、カッぺルマン教授はハフポストUS版に「新たな研究では骨折のごく一部分に焦点を当てており、それは骨と骨の間に起こる高エネルギーの衝撃と一致し、さらには骨化化石によく見られる類の損傷とは異なっている」「これらの骨折は死戦期(死亡時あるいはその近辺)に起こったと考えられます」と説明した。
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いずれにせよ、ルーシーの化石に新しい視点をもたらしたことは、彼女をより人間らしくした。少なくともカップルマン教授はそう考えている。教授はハフポストUS版に次のように語った。
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「我々の仮説では、ルーシーの上腕の骨折は落下の衝撃を和らげようと、死に物狂いで両腕を伸ばした時に起こったものです。我々も、転ぶ時には同じようなことをしています。彼女の死因がわかった瞬間、そして彼女が経験したことをそのまま同じように体験できた瞬間、感情移入してしまったのです。彼女の死因がわかって、人間味が増したのです」
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類人猿ギガントピテクス、大きすぎて絶滅していた2016.01.12 NATIONAL GEOGRAPHIC News - 10万年前の絶滅の原因を科学者が検証 -
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絶滅した類人猿ギガントピテクスは、かなりの大きさだった。化石から、身長は3m、体重は500kgほどだったとされる。
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動物にとって、大きいことは有利だ。捕食者に食べられにくいし、食料を探すときにも広範囲をカバーできる。ギガントピテクスは、現在の中国南部にあたる熱帯雨林に600万〜900万年にわたって生息していたが、今からおよそ10万年前、更新世の後期に絶滅した。原因は、気候が変化したなかで、この類人猿の大きな体が仇になったらしいことが、新たな研究でわかった。
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「ギガントピテクスは、その大きさゆえに、大量の食料に依存していたと考えられます。更新世の間に、多くの森林がサバンナの草原に変化していきました。巨大な類人猿にとって、単純に食料供給が不十分だったのです」と、今回の研究を行ったドイツ、テュービンゲン大学のエルベ・ボヘレンス氏は語る。
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果実を食べていたギガントピテクスは、新しい環境で主な食料源となった草、根、葉に適応できなかった。体がもう少し小さかったら、何とか生き延びられたかもしれない。「この巨大な類人猿の親戚には、オランウータンのように特定の環境に特化しながらも生き延びたものもいます。代謝が遅く、少ない食料でも生きられたからです」とボヘレンス氏は解説する。(参考記事:「シベリアで氷河期の絶滅ライオン見つかる」)
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大きいことはいいことなのか?
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ギガントピテクスの繁栄と衰退は、体の大きさによって得られる見返りが、やがて消えゆくことを意味している。「大きいことは短期的には利点があるものの、長期的にはリスクも伴います」と言うのは、米ボールダー大学のコンピューター科学者で、200万年に及ぶ化石記録から動物の体の大きさを研究しているアーロン・クラウセット氏だ。
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体が大きいと、食料が多く必要になるだけではない。「大きいほど、子どもの数が減る傾向があります。つまり、個体数が減り、環境変化に対して敏感になります」とクラウセット氏。その結果、天候や気候の変化によって食料源が脅かされると、体の大きい種は減少し、絶滅に至る。
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クラウセット氏は実際、種は大きくなるほど絶滅率が高まることを発見した。ギガントピテクスやオオナマケモノのような巨大動物が、現在の地球上に存在しないのはそのためだ。すべての動物種には、それぞれに見合った大きさの限界がある。(参考記事:「特集:巨獣はなぜ消えた?」)
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少なくとも哺乳類にはこのストーリーが当てはまるが、恐竜は違う。隕石によるアルマゲドンが起こるまでの長い間、その巨体と繁栄を維持していた。なぜ、ギガントピテクスはそうならなかったのか?< |
クラウセット氏は言う。「哺乳類は温血動物のため、代謝が大きく、摂人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか取したエネルギーの多くを熱に変換するからかもしれません」(参考記事:「絶滅した動物は復活させるべきか?」)文=Mark Strauss/訳=堀込泰三
| 謎の人類ホモ・ナレディ、手足は極めて異例だった2015.10.09 NATIONAL GEOGRAPHIC News - 直立二足歩行、樹上生活、手で道具を扱うという3つの特徴を兼備 -
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謎多き人類の祖先「ホモ・ナレディ」の手足の特徴を分析した結果が、10月6日付の科学誌「Nature Communications」に掲載された。
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南アフリカのライジング・スター洞窟で発見された化石人骨を基に、2つの研究チームが運動の様子を再現。いずれもナショナル ジオグラフィック協会の助成を受け、一方のチームは足の骨107個を、他方はほぼ完全な右手の骨26個をそれぞれ詳しく調べた。(参考記事:特集「眠りから覚めた謎の人類」)
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その結果、ホモ・ナレディの足は多くの点で驚くほど現生人類に似ていることが明らかになった。足首の関節、他の4本と平行になった親指、幅の広いかかとは、2本の脚で直立して効率よく歩く生活に十分に適応した生物のものだった。一方、土踏まずがそれほど発達しておらず、足指の骨が曲がっている点は類人猿に近い。
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曲がっている手の指は、ホモ・ナレディが軽々と木に登れたことを示す。同時に、長く力強い親指と衝撃を吸収できる手首で、道具を使いこなすこともできたとみられる(ホモ・ナレディの道具はまだ見つかっていないが)。
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このように対照的な特徴が混ざっている状態を、現生人類を含むヒト属(ホモ属)において科学者がはっきり目にするのは初めてのことだ。特に、ホモ・ナレディの樹上生活を強く示唆する点は異例である。
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ホモ・ナレディの足に関する論文の著者、米ニューヨーク市立大学リーマン校のウィリアム・ハーコート・スミス氏は、「彼らは、ヒト属の一員としては独特な運動の形態を有していました」と語る。「直立二足歩行」「木登り」「手で道具を扱う」という3種目で競う先史時代のトライアスロンがあったなら、彼らはきっと活躍できるだろう。
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樹上生活はいつまで続いたのか
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人類は進化の過程で、いつ木から下り、大地を歩き始めたのだろうか。
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その判断はまだ難しい。アウストラロピテクス属として知られるルーシーなど、ごく初期の人類の祖先たちは、少なくとも400万年前には直立二足歩行をしていた。だが、樹上生活もまだ続けており、同時に石器も使っていた可能性がある。(参考記事:「人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか」)
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とはいえ、ヒト属の系統から見つかっている樹上生活の証拠は少ない。科学者たちは、「器用な人」を意味するホモ・ハビリスは約200万年前の時点でも木登りの能力を保っていた可能性があると推測しているが、根拠はわずかな化石の断片しかない。そんな中、ホモ・ナレディの手が物語るのは、彼らが驚くほど現代的な足で二足歩行をしながら、類人猿のように巧みに木に登る能力も保っていたということだ。(参考記事:「人類学をみんなに広めたルイス・リーキーの大発見」)
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「人類の進化の大部分で、我々の祖先たちは歩行と樹上生活の能力を並行して活用しており、それが変化にうまく対応できた一因です」と語るのは、米ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のビル・ジャンガーズ氏だ。「ホモ・ナレディも例外ではありません」
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年代にかかわらず異例
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ライジング・スター洞窟の人骨の年代測定はまだ行われていないため、ホモ・ナレディが人類進化の系統樹のどこに入るかは明らかではない。形態だけに基づくなら、初期のヒト属に近いように見える。ホモ・ナレディの手に関する論文の著者、英ケント大学のトレーシー・キビル氏は、「それが正しければホモ・ナレディの年代はおよそ200〜250万年前となり、道具の使用を容易にした手の特徴はこれまで科学者たちが考えていたよりも早く現れたことを意味します」と話す。(参考記事:「新種のヒト属ホモ・ナレディ発見に驚きと疑問の声」)
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一方、ホモ・ナレディが10万年前のような比較的新しい年代と判明すれば、現生人類と同時代に生きていたヒト科の種が、曲がった指などの原始的な特徴を保っていた(あるいは、独自に発達させていた)ことになる。キベル氏は「どちらのシナリオも非常に興味深い」と話している。 文=Nadia Drake/訳=高野夏美
| 人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか2015.09.16 NATIONAL GEOGRAPHIC News - 新種ホモ・ナレディの発見で、「世紀の謎」をめぐる論争が再燃 -
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南アフリカ、ヨハネスブルクから北西に1時間。草原地帯をドライブしていると、「人類のゆりかご」と呼ばれる世界遺産に行き着く。アカシアやクサギが点在する500平方キロメートル弱の広大な草地にこのような名前が付けられた理由は、主に地中に隠されている。石灰岩の岩盤を通る洞窟や陥落穴が作る迷路には、化石が大量に含まれているのだ。
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9月10日、その人類のゆりかごから、ホモ・ナレディと呼ばれる初期人類の新種が見つかったと発表された。化石の特徴から、私たちヒト属(ホモ属)の非常に初期のメンバーと考えられる。では、このなだらかな丘陵地は、本当に人類発祥の地なのだろうか? それとも、かの有名な二足歩行の猿人「ルーシー」が発見された東アフリカの荒野こそが、私たちのルーツなのだろうか?(参考記事:「小顔のヒト属新種ホモ・ナレディを発見、南ア」)
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1924年、最初の発見場所は南アフリカだった
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南アフリカが初めて人類発祥の地として名乗りを上げたのは、今からおよそ100年前のことである。1924年、解剖学者レイモンド・ダートは、カラハリ砂漠の端、タウングにある採石場の管理者から送られた化石を含む石の中から、霊長類の子どもの頭蓋骨を発見した。脳は小さく、類人猿のような特徴もあったが、頭蓋骨の底にある脊髄が通る穴の位置から、この「タウング・チャイルド」はヒトと同じように直立歩行していたとダートは確信した。彼はこの霊長類を、アウストラロピテクス・アフリカヌス(アフリカの南の猿人)と名付けた。
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タウング・チャイルドは長い間、ほとんどの科学者が相手にしなかったが、スコットランドの医師であり古生物学者のロバート・ブルームだけは例外だった。ブルームは1936年、大人のアウストラロピテクス類の断片を初めて発見した。発見の地、スタークフォンテインは、人類のゆりかごで現在最も訪問者数が多い洞窟となっている。その後ブルームは、同じ場所でほぼ完全な骨盤を発見し、アウストラロピテクス類が直立歩行していたことが確認された。そして1946年の研究で、「(これらの祖先は)ほぼヒトであり、間違いなく人類との結び付きが強い」と結論付け、南アフリカの化石を、科学の地図にしっかりと刻みこんだ。
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1959年、東アフリカが巻き返す
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ブルームが研究を行っているころ、英国人宣教師の息子としてケニアに生まれたルイス・リーキーは、人類発祥の地は東アフリカであるという長年の考えを証明しようと、躍起になっていた。彼の探求は、ついに1959年に実を結ぶ。タンザニアのオルドバイ峡谷で、妻のメアリーとともに、アウストラロピテクス類の頭蓋骨を発見し、その1年後、明らかにヒトに近い特徴をもつ別種の化石を発見した。夫妻はこれをホモ・ハビリスと名付けた。また、周囲に散らばっていた石器にちなんで、別名「ハンディマン」という愛称も付けられた。
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リーキーのカリスマ性(とナショナル ジオグラフィックの大々的な報道)も手伝って、この発見は世界中から注目を集めた。しかし、人類発祥の地としてのスポットライトが東アフリカに照らされた本当の理由は、リーキー夫妻らが発掘した骨の年代が、正確に特定できたためである。化石そのものも、古代の堆積物も、年代を直接特定することはできなかったが、堆積物の間にちりばめられていた火山灰層の年代が特定できたおかげで、その上下にある化石の年代を推定できた。
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この火山灰層は、東アフリカを南北に走る大地溝帯全域の特徴である。そのため、リーキー夫妻の発見以外にも、彼らの息子リチャードがケニアのトゥルカナ湖畔で発見した時や、ドナルド・ジョハンソンのチームが1974年にエチオピアのハダールでルーシーの骨格を発見した時にも、年代の特定に重要な役割を果たした。(参考記事:「人類学をみんなに広めたルイス・リーキーの大発見」)
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それぞれが発見した化石の相対的な古さが明らかになったおかげで、東アフリカの大地溝帯における化石の系統発生、すなわち人類系統樹を研究者らは作り出すことに成功した。ジョハンソンとその協力者ティム・ホワイトは、ルーシーの骨格とその他の化石を、320万年前の新種「アウストラロピテクス・アファレンシス」とした。彼らの主張する系統発生では、アウストラロピテクス・アファレンシスは、200万年ほど前に出現した、ヒト属のもっとも原始的なメンバーであるホモ・ハビリスの祖先とされた。ホモハビリスは、より若くて現代的な種であるホモ・エレクトスに進化し、さらに私たち人類に進化した。
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では、ダートの「南の猿人」、アウストラロピテクス・アフリカヌスは? 頑丈な頭蓋骨と歯、およびゴリラによく似た頭頂部という共通する特徴をもついくつかの仲間とともに、系統樹における絶滅した枝に割り当てられたのである。(参考記事:「エチオピアで新種の猿人化石が見つかる」)
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東アフリカで作られた系統樹は、南アフリカに暗い影を落とした。それでも、人類のゆりかごからは新たな化石が出土し続けていた。それまでに発見されたどの化石よりも完全なアウストラロピテクス類の骨格「リトルフット」が発見されたのも同じ時期だ。しかし、発見者のロン・クラークがスタークフォンテイン洞窟奥深くの岩からそれを取り出すまでに、15年の歳月がかかった。
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そして、南アフリカで発見された他の化石と同じように、リトルフットの年代を正確に特定することはできなかった。東アフリカの火山灰のような、年代特定可能な堆積物がなかったのだ。弱酸性雨が石灰岩を浸食し、数々の亀裂や穴を含むカオスを作り出していたため、化石がそこに至ったルートと時期はいくらでも考えられた。(参考記事:「南アの初期人類化石、370万年前のものと判明」)
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2008年、南アフリカの再浮上
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南アフリカには課題が多く、大きなブレークスルーはあまり期待できない。しかしこのところ、リー・バーガーが驚異的な化石群を発見したことで、人類のゆりかごに注目が戻っている。バーガーのチームは2008年、マラパと呼ばれる発掘現場で、かつてない数の化石を発見し、2つの新種を人類系統樹に付け足した。興味深いことに、それらは現代的な特徴と原始的な特徴をあわせ持っていたため、南アフリカが真の人類発祥の地として再び名乗りを上げた。
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マラパから16キロのライジングスター洞窟で発見されたホモ・ナレディの骨格は、現在年代特定の結果を待っている状態であり、人類発祥におけるその役割はまだはっきりしていない。しかし、バーガーがマラパで発見したアウストラロピテクス・セディバは、ウラン−鉛年代測定法により年代が特定された。200万年前とされたこの種は、先ごろ東アフリカのレディ・ゲラルで発見されたヒト属最古の280万年前の顎ほど古くはなかった。(参考記事:「最古のヒト属化石を発見、猿人からの進化に新証拠」、「セディバ猿人、ヒト属の系統樹に異議?」)
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アウストラロピテクス・セディバは、その年代にかかわらず、ヒト属の最も新しい祖先の最有力候補であるとバーガーは主張している。レディ・ゲラルの顎より古い同種の化石が、まだ発見されていないだけだと。これは根拠のない主張のように聞こえるが、他の研究者が13の研究データを集めて別の分析を行った結果からも、同じ結論が得られている。つまり、人類のゆりかごこそ、人類発祥の地なのだろうか? そうとも限らない。
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古生物学者のブライアン・リッチモンドは言う。「セディバはおそらくヒト属と共通の祖先を持ちますが、セディバ自身は人類の直接の祖先としては遅すぎるようです。そして、その共通の祖先が南アフリカにいたのか、東アフリカにいたのか、はたまたアフリカのまったく異なる場所にいたのかは、まだわかりません」
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バーガーの主張に対する意見はどうあれ、マラパとライジングスターのおかげで南アフリカの洞窟に注目が集まっているのは事実であり、この地での新発見によって、人類発祥のシナリオはいっそう複雑な様相を呈している。それに、化石ハンターはまだ、アフリカ大陸の97%近くを調査していない。
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古生物学者のパトリシア・クレイマーは言う。「人類の起源を500ピースのジグソーパズルだと考えてください。これまでに、私たちはたぶん東アフリカから8ピース、南アフリカから4ピースを見つけました。多少の傾向はわかるかもしれませんが、これだけでは全体像はまったくつかめません。そして、東と南のどっちが重要ということではなく、私たちには両方が必要なのです」
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※ホモ・ナレディ発見についての詳細は、9月30日発売の『ナショナル ジオグラフィック日本版』2015年10月号で図解や写真を含めて詳しく紹介します。
| 小顔のヒト属新種ホモ・ナレディを発見、南ア2015.09.10 NATIONAL GEOGRAPHIC News - 1500以上の化石、ヒトとアウストラロピテクスの特徴をあわせもつ -
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南アフリカ・ヨハネスブルク郊外の洞窟でヒト属(ホモ属)の新種が発見され、ホモ・ナレディ(Homo naledi)と名付けられた。頭が小さく、部分ごとに原始的な特徴と現代的な特徴をあわせもつという。米ナショナル ジオグラフィック協会付き研究者で南アフリカ・ウィットウォーターズランド大学の古人類学者リー・バーガー氏らが、9月10日付け学術誌「eLife」に発表した。
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発見現場はヨハネスブルク北西およそ50キロにあるライジング・スター洞窟。この一帯は、20世紀前半に初期人類の骨が多数出土し、「人類のゆりかご」と呼ばれるようになった。研究チームは2013年以降ここで1550以上の骨を発見。これはアフリカ大陸では過去最大規模で、少なくとも15体分に相当するという。
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新旧入り交じる特徴
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頭骨、顎、肋骨、多数の歯、それにほぼ完全な状態の足の骨。年老いた成人や未成年者の骨、さらには幼児のものとみられる小さな脊椎も見つかった。復元モデルを分析すると、部分的には驚くほど現代的な特徴を備えていたが、アウストラロピテクス属よりもさらに類人猿に近い、原始的な特徴も見られた。
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たとえば、手の骨のつながり方はとても現代的なのに、なぜか指だけは樹上で生活する動物のように曲がっていた。肩の骨も猿人に近い。脚の骨では、大腿骨のつけ根はアウストラロピテクス属と似ているが、下に行くにつれて現代的になる。足の形態にいたっては、私たちの足とほとんど区別がつかない。
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「腰に線を引いて上は原始的、下は現代的と分けられそうでした」と、米デューク大学の古生物学者スティーブ・チャーチル氏は言う。「足の骨だけ見つけたら、現代のアフリカの奥地にいる狩猟民族の骨だと思うでしょう」
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だが、頭の骨は極めて原始的だった。全体的な形態はヒト属に分類できるほど進化したものだったが、脳容量はわずか500立方センチほどとホモ・サピエンスの半分にも満たない。大きな脳は、知能を頼りに生存するように進化した種の特徴であり、ヒト属の証しと言ってもいい。であれば、これはヒト属の骨ではないことになる。
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「脳はとても小さいのに、それを支えている体は決して小さくはないのです」。成人男性は身長約150センチ、体重約45キロで、女性はそれより少し小柄だと推測された。「こうした証拠から、アウストラロピテクス属からヒト属に進化する移行期に位置する種と考えられます」と、バーガー氏は語る。
なぜ洞窟の奥に人骨が?
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ライジング・スター洞窟の骨は、部分的にはホモ・エレクトス以上に現代人に近い。バーガー氏らは、明らかにヒト属に分類できると考えたが、ヒト属のどの種とも異なる特徴をもつため、新種だという結論に達した。地元の言語であるソト語で、星はナレディと言う。彼らはこの新種を洞窟の名にちなんで「ホモ・ナレディ」(星の人)と名づけた。
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ところで、このような洞窟の奥の入りにくい場所に、なぜ人類の遺体があったのだろう。
そこが住居だったとは考えられない。石器や食べ物の化石などが一切ないからだ。骨はおそらく数百年かけて積み上げられているため、集団で洞窟に迷い込んだとする仮説も成り立たない。肉食動物が運び込んだのだとしたら、歯の痕がついた骨があるはずだが、それもない。バーガー氏らは、非常に突飛な仮説を立てている。
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※ この発見についての詳細は、9月30日発売の『ナショナル ジオグラフィック日本版』2015年10月号で図解や写真を含めて詳しく紹介します。
| 世界最古の石器発見、330万年前に猿人が作る?2015.05.22 NATIONAL GEOGRAPHIC News - ヒト(ホモ)属登場以前では初。ケニアのトゥルカナ湖西岸 -
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2011年7月9日、ケニアのトゥルカナ湖西岸の干上がった河床で車を走らせていたソニア・アルマン氏は、本来右折すべきところを左折してしまった。
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「あれは私の責任です」と言うのは、米ラトガース大学の古人類学者、ジェイソン・ルイス氏だ。ルイス氏は、地質図とGPSを頼りにナビゲーターを務めていた。アルマン氏は米ストーニーブルック大学の考古学者。2人は、数百万年前の堆積物から人類の祖先による行動の痕跡を探すチームの陣頭指揮を執っていた。
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このミスディレクションが大きな収穫をもたらした。これまで最古とされていたものよりも、さらに70万年ほど古い石器が見つかったのだ。この発見は、5月21日付「Nature」に発表された。
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袋小路に入ったチームは、そのまま引き返さずに、車を降りて調査を開始した。それが思わぬ発見の始まりになる。日陰のない、強風の吹きつける荒れ地だった。1時間後、アルマン氏のトランシーバーが鳴る。目の利く現地人、サミー・ロコロディ氏が、前方の丘に興味深い石があると言うのだ。
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砂や土の地表に、砕かれた大きな石が並んでいた。熟練の考古学者の目には、意図的に砕かれたものに映った。粉砕された石の大半は地表に出ていたが、そのうちの3つは部分的に埋まっていたことから、堆積物が侵食されて顔を出したものであることが示唆された。つまりその下には、さらなる埋蔵物が眠っているかもしれない。
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当時知られていた最古の石器は、エチオピアのゴナと呼ばれる遺跡で発見された、260万年前の石器だった。タンザニアのオルドバイ渓谷で初めて発見されたことから、オルドワン石器と名付けられている。しかし、アルマン氏とルイス氏を含む多くの研究者が、オルドワン技術は人類の祖先が初めて作った石器にしては、あまりにも注意深く作られていると考えていた。つまり、まだ発見されていない、もっと原始的な技術があるはずだと。
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アリゾナ州立大学の考古学者、カーティス・マレアン氏は言う。「これがオルドワンより古いことはよくわかります。これまで皆が探していた技術とは、明らかに見た目が違います。そのせいで誰にも発見されなかったのでしょう。皆、心に違うイメージを抱きながら、調査を行っていたのです」
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道具作りは、脳の大きいヒト属、具体的にはホモ・ハビリス(「器用なヒト」という意味で、「ハンディマン」の異名を持つ)が始まりであると考えられていた。ホモ・ハビリスの骨が、オルドワン石器の近くで見つかっているためである。しかし、ロメクウィ3での発見により、道具を最初に作り始めたのが既知のヒト属という可能性はほぼ否定された。なぜなら、最古のヒト属として知られている化石は、280万年前のものにすぎないのだ。
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「ホモ・ハビリスが最初の『ハンディマン』であることは、ほぼ教科書的な知識でした。今回の発見で、300万年前以前から、すでにハンディマンとハンディウーマンがいたことが明らかになりました」と、カリフォルニア科学アカデミーの古人類学者ゼラセナイ・アレムサゲド氏は言う。
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では、誰が初めて道具を作ったのか。ひとつの可能性は、まさにその当時東アフリカに生息していた、「ルーシー」に代表されるアウストラロピテクス・アファレンシスだ。とりわけ重要なのは、エチオピアのディキカで発見された化石である。ディキカの化石が見つかった場所は、340万年前、石器によって付けられた傷を持つとされる動物の骨が出た場所から180mしか離れていない。(参考記事:「初期人類の少女の化石発見」)
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もうひとつ、さらに魅力的な候補がある。それは、何かと議論の多いケニアントロプス・プラティオプスだ(アウストラロピテクス・アファレンシスなどのアウストラロピテクス類と別の属であることを認めていない科学者もいる)。ケニアントロプス・プラティオプスのオリジナルの標本である頭蓋骨は、ロメクウィ3から1.6km圏内で見つかっている。また、同種のものと考えられる破片は、もっと近くで発見されている。
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どちらもヒト亜科に分類されるが、ヒト属ではない。しかし、彼らが道具を作っていたとしても、それほどの驚きはないだろう。
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石器時代研究所のニック・トス氏はかつて、ナショナル ジオグラフィックにこう語っている。「(アウストラロピテクス類は)それだけの認識能力を持っていたと思います。それほど手は器用でなかったものの、石を薄くすることは問題なくできたのではないでしょうか」(参考記事:「最初に道具を使った人類はアウストラロピテクス」)
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しかし、ロメクウィ3で発見された埋蔵物の年代を、すべての科学者が認めているわけではない。アウストラロピテクス・アファレンシスの分析で重要な役割を果たしたカリフォルニア大学バークレー校の古人類学者、ティム・ホワイト氏は、アルマン氏のチームが堆積物の年代を特定する際、同地域の複雑な地形を入念に考慮したかどうか、疑問を呈している。特に、地表にあった石器の年代が疑わしいと言う。「それらがいつ作られたものでもおかしくありません。通りがかりの遊牧民が、数年前に作ったものかもしれない」
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トゥルカナ流域の地質学の権威であるユタ大学の地質学者、フランク・ブラウン氏は、年代測定に問題はないと話す。
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「河床の年代についての懸念はありません」。大きな岩の一部が堆積物に埋もれていたことから、「それが埋蔵物であるなら、330万年前の石器であると考えられます」
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しかし、ロメクウィ3の石器の大きさに困惑している科学者もいる。13kgを超えるものもあり、典型的なオルドワン石器よりも桁違いに大きいのだ。ジョージ・ワシントン大学の考古学者、デビッド・ブラウン氏によると、オルドワン石器は骨から肉を切り落とすのに使われていたと考えられているが、ロメクウィ 3の石器が同じ目的で使われていたとは考えにくい。それが、私たちよりも器用でない生き物によって使われていたとすればなおさらだ。
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「こんな大きな石器を使って何をしていたかを知るのは至難の業ですし、私にとってもまだ不可解です」 文=Nadia Drake/訳=堀込泰三
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石器が見つかった堆積物の年代を特定するには、1年以上が必要だった。その間、同チームはナショナル ジオグラフィックの資金を受け、「ロメクウィ(Lomekwi)3」と名付けられたその遺跡の調査に再び向かった。チームは150個近くの埋蔵物と、30個以上の動物の化石を収集した。しかし、大発見だと判明したのは発掘現場ではなく、ナイロビの国立博物館だった。アルマン氏が、地表にあった石のかけらと埋蔵物のひとつが、ジグソーパズルのピースのようにぴったり重なり合ったのだ。これにより、地表で発見されたものと堆積物の間の関係が確認された。
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2013年末には、埋蔵物の年代測定が完了。堆積物と石器は、330万年前のものであると特定された。つまり、ゴナのオルドワン石器よりも、およそ75万年近くも古い。ロメクウィ3の石器は粗雑な作りのため、我々の祖先の石器使用における大きな変化――チンパンジーのように木の実を叩きつける使用法から、意図的に石の形を変えて鋭利にする「道具作り」への変化――を表している可能性がある。
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最古のヒト属化石を発見、猿人からの進化に新証拠2015.03.05 NATIONAL GEOGRAPHIC News
ヒト属の起源を知る重大な手掛かりとなる2つの化石が、3月4日付『Science』誌と同日付『Nature』誌にそれぞれ発表された。
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どちらも下顎骨の化石で、一方はエチオピアで2013年1月に発掘されたばかりの化石、もう一方は半世紀前に発見された重要な標本をCGで復元したものである。これらの化石は、我々が属するヒト属(ホモ属)が猿人(アウストラロピテクス)からいかに進化したかについて、新たな証拠を与えてくれる。
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ヒト属の起源50万年さかのぼる
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エチオピアで発掘された化石は、東アフリカでのヒト属の出現を、これまでよりも50万年近くさかのぼらせ、280万年前とするものである。これは、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)が最後に存在していたとされる300万年前にほど近い。アファール猿人は、ルーシーと呼ばれる頭蓋骨に代表される、直立歩行をしていた小さな脳を持つ種で、ヒト属の直接の祖先と考えられている。今回見つかった「LD 350-1」と呼ばれるこの下顎骨は、1974年にルーシーが発見された場所からわずか数十kmの地点で、2013年1月に発見された。
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東アフリカ地溝帯に属するアファール州では、これまでにも貴重なヒト亜科の化石が数多く出土している。これまでヒト属最古の上顎として知られていた「AL 666-1」と呼ばれる230万年前の化石も、同州で発見されている。
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200万年前から300万年前のヒト属の化石は、極めて珍しい。新発見の標本の分析で共同責任者を務めたアリゾナ州立大学人類起源研究所のビル・キンベル所長は、かつてこう言っていたことがある。「(その時期の化石を)すべて小さな靴箱に入れても、まだ一足分ぐらいの余裕がある」
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この時期の化石は、臼歯や下顎の形状など、現代のヒト属と共通する特徴を持っている一方で、顎の前部の形はヒト属よりも原始的で、アファール猿人の特徴に近い。「今回の発見により、ヒト属の出発点を探す期間が狭まり、焦点を絞ることができます。(この下顎骨は)その時期に想定される、移行期にありがちな形態をしています。顎は過去にさかのぼり、歯は先取りしているのです」
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南アフリカ起源説と対立か
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この新しい下顎骨は、ヒト属の東アフリカ起源説を強調する一方で、ヒト属の直接の先祖をアフリカ南部のアウストラロピテクス・セディバ(セディバ猿人)とする説とは対立する。Science誌に掲載された論文の著者らは、セディバ猿人の唯一の標本は、エチオピアで新しく発見された顎よりも100万年近く後のものであることを指摘している。
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ところが、ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校のフレッド・グラインは、セディバ猿人やそれによく似た種が、もっと古くから存在していた可能性があると反論する。「新しい下顎骨の発見によって他の先祖が考えにくくなるというアイデアはばかげています。それでは、化石記録が完全だと言っているようなもの。我々は、そうではないことを知っています。なぜなら彼らは、ただそれまでになかったものを発見したに過ぎないのだから」
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ペンシルベニア州立大学のエリン・ディマジオらによる付随論文によると、Ledi-Geraruと呼ばれる下顎骨の発掘現場は、280万年前、草と低木が混在した、現在のセレンゲティのような土地だった。同時期に存在していた動物種から、より開けた乾燥地へ移動したことが示唆されている。このことは、世界的な気候変動が、多くの動物の進化系統における進化的変化のきっかけになったという仮説を裏付ける。
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人類起源研究所でLedi-Geraruプロジェクト・ディレクターを務めるケイ・リードはこう言う。「280万年前のLedi-Geraruの動物界が、乾燥していたことを示すシグナルが見られます。だからと言って、気候変動がヒト属の起源に寄与していたと言いきるのはまだ早いですが」
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「Handy Man」を復元
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エチオピアの新発見は古人類学者らを驚かせたが、その重要性をさらに強調する論文が同日、『Nature』誌に掲載された。エチオピアの下顎骨より100万年後(180万年前)のヒト属の化石が再現されたという内容だ。
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ホモ・ハビリス(ハビリス原人)またはそのタイプ種に属するこの顎は、1964年にタンザニアのオルドバイ渓谷で、ルイス・リーキーとメアリー・リーキーによって発見された。当時としては最古の石器とともに発見されたため、「Handy Man」(器用な人)というあだ名が付けられた(その後、それよりもずっと昔の260万年前の道具がエチオピアで発見されている)。
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以降ホモ・ハビリスは、人類系統樹の重要な位置を確保してきたが、標本が断片的(大きくゆがめられた顎骨、頭蓋骨の小さな破片多数、手の破片から成る)であるという問題も抱えていた。
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ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのフレッド・スプアーは、ドイツマックスプランク進化人類学研究所との共同研究により、コンピューター断層撮影(CT)と最新の3次元イメージング技術を使用して、下顎の外見をデジタルで再現した。その細い顎の形と、歯が平行に並んでいる様子から、アウストラロピテクス属の顎に近いことがわかる。アウストラロピテクス属は、ヒト属以前から存在する、人類の祖先の仲間である。
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アファールで発見された230万年前のヒト属AL 666-1の上顎よりも50万年後のものであるにもかかわらず、新しく再現された顎骨は、明らかに原始的である。このことは、230万年前より前に、さらに原始的なヒト属が存在しており、それが2つの系統に分かれたことを示唆している。
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そして、エチオピアで新しく発見された280万年前の顎も、その条件にピタリと当てはまるのだ。
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「Ledi-Geraruの顎は、あたかも“リクエストに応じて”出土したかのように、アウストラロピテクス・アファレンシスとホモ・ハビリスの間に存在する進化の関係を示唆するものです」とスプアーは述べている。
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脳の大容量化は、もっと古くから始まっていた
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スプアーらは、オリジナルのホモ・ハビリスの標本から、頭蓋もデジタルで再現している。それまで頭蓋の容量は、典型的なアウストラロピテクス属よりも多く、後の人類よりも少ない700ccと考えられていたが、新しく再現された頭蓋容量は、800ccとなった。これによりホモ・ハビリスは、200万年前の東アフリカのサバンナを歩いていたヒト属の2つの種(ホモ・ルドルフエンシスとホモ・エレクトス)と同じ知識階級に属することになる。
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スプアーは昨年8月、ケニアのトゥルカナ盆地研究所で開かれた会議で初めてこの再現計画を議論した際、「ここにあるのは、非常に原始的な鼻先と、大きな脳を持つ獣である」と述べている。
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同時期に存在した3つの種(ホモ・ハビリス、ホモ・ルドルフエンシス、ホモ・エレクトス)が個別に脳の大きさを進化させたとは考えにくいため、それらに共通の祖先が、これまで考えていたよりもずっと昔から、すでに大きな脳を持つ針路を取っていたと考えられる。このことは、今まで考えられていた、ヒト属の系統における脳の大型化と最初の石器の間の関係を覆すかもしれない。 文=Jamie Shreeve/訳=堀込泰三
| 最初に道具を使った人類はアウストラロピテクス2015.01.28 NATIONAL GEOGRAPHIC News - 手の骨の解析で従来説より50万年さかのぼる -
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最初に石を振り下ろし、ものを叩き割ったのは誰だったのだろう?
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英国ケント大学の古人類学者マシュー・スキナー氏の研究チームは、手の骨の化石を解析することで、300万年以上前の初期人類が道具を使っていた可能性があることを『サイエンス』誌2015年1月23日号に発表した。これまでに見つかっている最古の石器は250万年前のものとされているが、今回の結果はそれを50万年さかのぼる。
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研究チームは、現生人類(ヒト)とチンパンジー、ネアンデルタール人、アウストラロピテクスほか初期人類の手の骨について、内部の海綿質という網目構造のパターンを比較した。ヒトのように日常的にものをつまみ、叩き石をつかんでいれば、この網目構造パターンに痕跡が残る。
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この研究で、アウストラロピテクス・アフリカヌスという初期人類について重大な事実が判明した。類人猿の手の骨にはなかった網目構造パターンの痕跡が、アウストラロピテクスの手の骨に見つかった。手のひらを形づくる中手骨の海綿質に、地面に握りこぶしをついて歩いたり、木に登ったりする動作ではできず、「道具を使うときに、親指と他の4指を向かい合わせて力を入れる動作」のパターンが見られたのだ。
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人類である証拠
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古人類学者たちは、初期人類が道具を使い始めた時期をめぐって、以前から論争を繰り広げてきた。人類特有の生存技術として最初に示されるのが、道具の使用だ。ここ数十年の間、200万年ほど前に生息したホモ・ハビリス(「器用な人」の意)という原人が最古の石器を作ったとされていた。
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ところが2000年にエチオピアで260万年前の道具が発見され、道具の出現時期は従来の説より50万年以上も前にさかのぼることになった。今回の研究は、もっと古くから道具が使われていたという説を裏づけるものだ。
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研究チームによると、鋭くとがった石の破片をつまんで「骨から肉をはがす」といった、精密把握と呼ばれる動作では、骨に大きな負荷 がかかるという。人類が進化の過程で道具を使うようになった時期を見きわめるには、手の骨の外見を見るよりも、その内部構造を調べ、継続的な動作によって形成されるパターンを見つける方がはるかに良い方法だ。これなら実際に使った道具が見つからなくても、使用していたと証明することができる。
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この研究結果は人類の祖先が少なくとも300万年前には道具を使っていたことを示すもので、考古学者が新たに石器を探す際のヒントとなるだろう。 文=Dan Vergano/訳=三枝小夜子
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セディバ猿人、ヒト属の祖先か猿人かApril 9, 2010 Ker Than for National Geographic News
新たに発見された200万年前の人類の祖先の化石、“アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba、セディバ猿人)”。研究チームによると、猿人に近いアウストラロピテクス属と、最初期のヒト属(Homo)との間をつなぐ重要な種の可能性があるという。
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今回の研究チームのリーダーでヨハネスバーグにあるウィットウォータースランド大学のリー・ベルガー氏は、研究成果の掲載誌「Science」(2010年4月8日発行)で、「初期の人類としては、これまで確認されたことがない特徴がある」とコメントしている。
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南アフリカ共和国の地下に広がる洞窟で発見された2体の化石は、年齢30歳前後の女性と8〜13歳の少年と推定されている。2人の血縁関係は不明だが、ほぼ同時期に洞窟内の穴に墜落死したようだ。穴の底にはサーベルタイガーなどの捕食動物の獣骨も散乱していたという。
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“セディバ”は南アフリカのソト語で「泉」を意味し、現生人類の祖先である可能性を研究チームは報告している。ただしベルガー氏は、別の可能性にも期待しているという。
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同氏は古代エジプトの象形文字の解読に道を開いたロゼッタ・ストーンを例にして、「これは私と同僚の考えだが、セディバはヒト属の謎を解明する重要な手掛かりを提示してくれるかもしれない」とコメントしている。
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最大でも身長1.2メートル程度と見られるセディバには、ホモ・ハビリスのような初期人類に分類できる重要な特徴が数多くある。長い足や骨盤の筋肉などの下半身を備え、優れたエネルギー効率の歩行や走りが可能だったのではないかと研究チームは述べている。また、小さな歯と現生人類に似た鼻の形も大きな特徴であるという。さらに保存状態が極めて良好だった頭蓋骨からは、右脳、左脳の形が人間と同じように不揃いだったとわかる。
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現在は顔の復元中で、「あまりにも人間らしいセディバに、きっと多くの人々が驚くことだろう」と、ベルガー氏は4月7日の記者会見でコメントしている。
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しかし、ここまで類似点があるにもかかわらず、なぜ研究チームはセディバをヒト属に分類しないのだろうか。
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それについて同チームは、セディバにはアウストラロピテクス属に似た特徴もあり、猿人に分類せざるを得ないと考えているという。例えばアウストラロピテクス属と類似する特徴として、脳が極めて小さい点が挙げられる。原始的な手首と長い腕という木登りに適した猿人の特徴も兼ね備えている。
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多くの人類学者たちも興奮を隠せない様子だ。だが、セディバを先史時代の猿人種と現生人類の間をつなぐ種とする研究チームの考えには、疑問の声も上がっている。 |
ジョージ・ワシントン大学の人類学者バーナード・ウッド氏は、「アウストラロピテクス属とヒト属をつなぐ有力な証拠はほとんどない」と指摘している。同氏は今回の研究には参加していないが、「セディバは、われわれが予想していたヒト属の祖先と一致しない」と話している。例えば、猿人類そっくりの非常に長い腕だ。またセディバの身体は最初期の人類の祖先のように直立歩行に適していないという。
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さらに同大学の人類学者ブライアン・リッチモンド氏は、178万〜195万年前のセディバは、ヒト属の祖先にして単純に”若すぎる”と主張している。同氏は230年前のホモ・ハビリスを念頭に置いて、「50万年近くも遅れて登場したセディバはヒト属の祖先と断定できないだろう」と述べている。
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ベルガー氏は、別のアウストラロピテクス属に近い可能性を主張している。セディバの骨格は木登りに向く特徴を備えているからだ。「セディバは、ヒト属へと進化する前の段階の種だ」と同氏は説明する。
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年代について同氏は、今後の研究でセディバがさらに数十万年溯ると予想しているという。初期のホモ・サピエンスの祖先として十分考えられる年代ということになる。「セディバはある時間の断面に存在していた。彼らが種の最初、または最後の生き残りというわけでもない」と同氏は話している。
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アメリカ、オハイオ州にあるケース・ウェスタン・リザーブ大学のスコット・シンプソン氏は、「今回発見された化石は極めて重要だ。あらゆる議論のきっかけになるだろう」と述べている。「疑問を一刀両断に解決する答えなどありはしない。新たな観点を示してくれたセディバについて、長いディスカッションが交わされることになる」。
| 南アフリカに眠る新種の猿人、Google Earthが見つけ出す2010/04/09 マイコミジャーナル
発見された新種の猿人の骨の一部
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南アフリカに眠る新種の猿人、その発見に貢献したのは「Google Earth」だった──。Googleの発表によると、ウィットウォーターズランド大学のLee Berger教授は、Google Earthの情報共有や衛星画像を駆使し、190万年前の猿人の骨の発見に至ったという。
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南ア・ウィットウォーターズランド大学の研究チームはこのほど、南アフリカの世界遺産「スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライおよび周辺地域の人類化石遺跡群」から猿人の頭蓋骨など骨の一部を発見した。178万〜195万年前のアウストラロピテクス属の新種「アウストラロピテクス・ゼティバ」、ヒト属の身体的特徴と似た部分が多く、直立歩行を行なっていた。
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この「最も古い人類の祖先ついて重要な疑問に答える」発見に、Google Earthが貢献したという。Lee Berger教授の研究チームは、研究者間での情報共有を目的に、Google Earthを利用して洞窟や化石産出層の地図を作成。さらに衛星画像を利用した遺跡識別やナビゲーションを活用することで、もっとも調査が進んでいた地域にもかかわらず、約500の洞窟と化石遺跡を発見した。そうした調査で見つかった遺跡の一部から、新種の猿人が発見された。
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Googleではこの発見に関し、「Google EarthやGoogle マップのようなフリーのマッピングツールを使って、著名な科学者から子供たちまで、すべての方が自分たちの住む世界を探検したり、なにかを学び続ける機会になっていることを嬉しく思う」とコメントしている。
| ヒト属祖先? 南アフリカで新種の猿人化石を発見2010.04.08 MSN産経新聞
新種の猿人「アウストラロピテクス・セディバ」の少年の頭蓋骨(ウイットウオーターズランド大、リー・バーガー氏提供)
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南アフリカの洞窟(どうくつ)で、190万年前ごろの猿人の化石が発見された。この化石は猿人から原人への進化の過渡期的な特徴を持ち、現生人類(ホモ・サピエンス)を含むホモ(ヒト)属の祖先にあたる可能性があるという。南アフリカ、米国などの国際研究チームは新種の猿人として「アウストラロピテクス・セディバ」(セディバ猿人)と名付け、8日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。
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現生人類やネアンデルタール人、ジャワ原人などが含まれるホモ属は、およそ200万年前にアウストラロピテクス属の猿人から進化したという説が有力だが、その起源はよく分かっていない。
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研究チームは2008年8月、195万〜178万年前の洞窟堆積(たいせき)層から、2体の部分的な化石骨を見つけた。30歳前後の女性と8〜9歳の少年と推定され、身長はともに約130センチ。寄り添うような発掘時の状態などから、ほぼ同時に死亡したとみられる。
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頭蓋(ずがい)骨の大部分や骨盤、足首など見つかった化石の状態は良好で、研究チームは、脳の容量や上半身の骨格からアウストラロピテクス属の猿人と分類。歯の大きさや骨盤など初期のホモ属と同じ特徴がみられることから、ホモ属の祖先である可能性があるとした。
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年代的には、代表的なアウストラロピテクス属のアファール猿人よりも約100万年新しい。この時期の化石資料は極めて乏しく、今回の発見は猿人からホモ属の原人への進化の過程を探る手がかりになりそうだ。研究チームは「樹上生活が多く小柄だった祖先(猿人)から、大柄で完全二足歩行動物となったホモ属へと、徐々に進化を遂げていったことが、今回の発見で明らかになった」としている。
| 最古の「人類の祖先」はルーシーではなくアルディ(ラミダス猿人)2009年10月02日 WIRED VISION
『Science』誌10月2日号、ラミダス猿人の化石人骨『アルディ』――『アルディピテクス・ラミダス』[ラミダス猿人の英語名]から取った愛称――に関する論文を多数取り上げている。
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[1992年以降エチオピアで発見された諸化石から全身像などを復元した研究者グループによると、]アルディは、人間という種族に属する最初の猿人だと認められた種の有名な化石人骨『ルーシー』より100万年以上も前に、直立歩行をしていた可能性があるという。
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「人類の最初の祖先」という地位は今やルーシーではなくアルディのものとなったわけだが、これは、人類の系図を表面的に書き換えるだけでは済まない。ルーシーの発見以来、人類の起源はサバナ[疎林と潅木を交えた熱帯草原地帯]にあるとされてきたが、アルディは森林地帯に生息していたと見られる。さらに、科学者らはルーシーの骨格から、人類と他の類人猿の最後の共通祖先はチンパンジーに似たものだと判断していたが、アルディの発見で、そうした判断は否定されることになる。
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アルディなどのラミダス猿人は、ルーシーなどのアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)より前の時代のものだ。ルーシーの祖先の一部は数百万年前に枝分かれして1つの種族となり、現在はチンパンジーやピグミーチンパンジーとなっている。ラミダス猿人がすべてのヒト科の動物の起源ではないとしても、のちに人間となったヒト科の動物の起源だという可能性はある。
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ダーウィン以来、ほとんどの科学者は、人類、チンパンジー、およびゴリラの最後の共通祖先を「チンパンジーに似たもの」と推測していた。チンパンジーのDNAが人間のDNAと99%一致し、チンパンジーがルーシーの骨格的特長の多くを持っていたことが、こうした考え方の裏付けとなっていた。
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しかしラミダス猿人は、チンパンジーの典型的な特徴(オスが持つ大きな犬歯など)をほとんど持っていない。これは、チンパンジーに見られる非常に攻撃的な社会的行動を、ラミダス猿人が早い段階で行なわなくなったことを示していると研究者らは言う。[犬歯の縮小は人類の大きな特徴とされる]。こういったことは、チンパンジーや大型霊長類には、ヒトと枝分かれしてからかなりの変異が起こったことを示している。
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[ラミダス猿人の化石を最初に発見し、今回の研究にも参加している諏訪元・東京大教授によると、「チンパンジーは、樹上では懸垂運動をし、地上では前肢の中指を地面に付けて歩くが、ラミダスにはそうした特徴の名残はなく、チンパンジーとは相当異なった祖先から進化したようだ」という]
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「これまでの研究ではアウストラロピテクスを、サルに似た先祖と初期のヒトをつなぐものと見る傾向が強かったが、ラミダス猿人はこういった推定を覆すものだ」と、ケント州立大学のC. Owen Lovejoy氏は『Science』論文で述べている。
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土踏まずがなく、親指のような大きな爪先を持つラミダス猿人の足は「掴む動作」が可能で、木登りもまだできていたようだが、骨盤は直立歩行に適した形と見られる。アルディは、木の上での生活にも地上での生活にも適応していたようだ。ただし、二足歩行説には異論もある。
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[「ルーシー」は約320万年前の化石で、全身に近い人類骨格としてはこれまで最古とされてきた。440万年前のラミダス猿人より古い人類化石には、チャドで見つかったサヘラントロプス・チャデンシス(約700万年前)、ケニアで見つかったオロリン・ツゲネンシス(約600万年前)などがあるが、化石が部分的で、姿や生活についてはよくわかっていない] {この翻訳は抄訳です}[日本語版:ガリレオ-佐藤卓/合原弘子]
| 人類祖先、同時期に2種 定説覆す化石発見 ケニア2007/08/09 The Sankei Simbun WEB-site
ケニア北東部で、いずれも約150万年前のものとみられる2種類の人類祖先の化石を発見したと、英米などの国際チームが9日付の英科学誌ネイチャーに発表した。 |
2種類のうち一方は猿人と原人の特徴を併せ持つホモハビリス、もう一方は原人ホモエレクトスとみられる。現在、人類はこの200万年の間に、ホモハビリスからホモエレクトスに進化、さらに現代人のホモサピエンスになったと考えられている。今回の発見で、ホモハビリスとホモエレクトスは同時期にほぼ同じ地域で暮らしていたことになり、定説の見直しが迫られるという。
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チームは2000年、トゥルカナ湖東岸で上あごと頭骨の化石を発掘。上あごには6本の歯があり、犬歯や臼歯の形状からホモハビリスと判断した。地層の火山灰から144万年前のものとされ、これまで165万年前までとされていたホモハビリスの存在時期を20万年以上更新した。
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頭骨は頭頂部やあごとの結合部の形状などから155万年前のホモエレクトスと判断された。
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この結果、ホモハビリスとホモエレクトスは50万年間にわたって、ほぼ同じ地域で生きていたことになり、チームは「ホモエレクトスはホモハビリスから進化したのではなく、共通の祖先から分かれたのだろう」としている。
| 人類の祖先「ルーシー」の化石が米国へ、6年間の旅に2007.08.08 - CNN/REUTERS/AP
アディスアベバ──人類の起源を探る上で貴重なアウストラロピテクス属の化石「ルーシー」の化石骨格標本が間もなく、米国へ6年間の旅に出る。これまで、国外に持ち出されたことはなく、エチオピア国内では出立を前に、壊れやすい貴重な標本が長旅で破損する恐れがあると、懸念の声が挙がっている。
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「ルーシー」は1974年にエチオピア北東部で米国の研究者ドナルド・ヨハンソンらが発見した、約350万年前の猿人の化石。見つかった骨格から、現代人と同じく直立二足歩行をしていた個体と考えられ、アフリカで誕生した人類の祖先と見られている。分類上は、現代人と同じヒト科ヒト亜科の、アウストラロピテクス属に含まれる。
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人類の進化を探る上でも非常に貴重な標本をエチオピア国外に持ち出すことについて、同国の古生物学者ゼライ・アレムセジドさんはロイター通信に対し、「国にとって大きな利益になることがあれば、持ち出しても良いと考えているのだが」と、今回の米国行きに賛成しかねている様子。
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アレムセジドさんは2000年に、ルーシーが見つかった地点から近い場所で、ルーシーと同じアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)の、約3歳女児の化石を発見しており、「ルーシーをアメリカで展示するという危険を冒すに値するだけでの大金を、得られるかどうかだ」と話している。
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また、アディスアベバの公務員ディル・ケベデさん(34)も、「エチオピア人が2回しか見ていないのに、どうしてアメリカ人に見せなきゃいけないんだ?」と語っている。
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ルーシーの化石は通常、厳重に保管されており、エチオピア国立博物館でも、複製が展示されている。
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米国のスミソニアン博物館も、ルーシーのエチオピア国外持ち出しに反対。科学的に重要な理由がなければ、壊れやすい化石を移動させるべきではないと主張している。
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一方、エチオピア政府は昨年、ルーシーの化石が2013年までに米国の10都市を回ることについて、エチオピアの知名度を上げて観光客の増加につながると、好意的に容認している。
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米国の最初の展示場所は、テキサス州ヒューストンの国立自然科学博物館となっている。
| ラミダス猿人、さらに9人 エチオピアで発見2005/01/20 asahi.com
最も古い人類の祖先の一つ、ラミダス猿人の歯や手足の一部の化石がエチオピアの約450万〜430万年前の地層から見つかった。ラミダス猿人の化石の発見は、94年に数十キロ離れた同国内で見つかって以来2件目で、この猿人が当時ある程度広く分布していたことがわかった。20日付の英科学誌ネイチャーに米国とスペインの研究チームが発表する。
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99〜03年に見つかった化石で、少なくとも9個体分ある。犬歯の上部がダイヤモンド形をしているなどの特徴から、ラミダス猿人と分類された。初めて足の指の骨も見つかり、横に広いなど二足歩行の特徴が確認された。
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ラミダス猿人を初めて発見した諏訪元・東京大助教授は「化石が別の場所からも見つかり、特異的な存在ではなかったことが証明された。今後、住んでいた環境などの研究が進むと期待できる」と話している。
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ラミダス猿人の発見後、チャドなどアフリカの別の国で、さらに古い約600万年以上前の猿人化石も見つかっている。
| 1300万年前の類人猿化石、バルセロナ近郊で発見2004/11/19 読売新聞 Yomiuri On-Line
【ワシントン=笹沢教一】人間やチンパンジー、ゴリラなどすべての大型類人猿につながる約1300万年前のサルの全身化石を、スペインの発掘チームが、同国バルセロナ近郊で発見した。「大型類人猿の共通祖先か、共通祖先に非常に近い存在」と推定されている。成果は19日発行の米科学誌「サイエンス」に掲載される。
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ミゲール・クルサフォン古生物学研究所の発掘チームによると、発見した化石は、頭骨や肋骨(ろっこつ)など全身にわたり、保存状態がよい。
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オスと見られ、体格はチンパンジーより少し小さい。推定体重は約35キロ。柔軟な手首の関節や腰、胸部などの構造が現在の大型類人猿と共通していることから、木登りが得意だったと考えられる。
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学名は発見された地名にちなみ「ピエロラピテクス・カタラウニクス」と命名された。近くのアフリカにも生息したと推定され、大型類人猿のアフリカ起源説を支持する証拠という。
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大型類人猿の共通祖先は、約1100万―1600万年前にテナガザルなどに近い小型類人猿から分岐し、その後、段階的にオランウータン、ゴリラ、チンパンジーが派生したと考えられている。しかし、化石の発見例が少なく、研究上の空白期となっていた。
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◆大型類人猿=ヒトに最も近い類人猿のグループ。チンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー)、ゴリラ、オランウータンの4種類が知られている。これにテナガザル科を加えたグループが類人猿と呼ばれる。遺伝子分析の進歩で、チンパンジーがヒトと非常に近縁であることが判明、「ヒト科」に分類する研究者もいる。
| 580万年前の歯「新種の猿人」…米・東大チーム2004/03/05 読売新聞 Yomiuri On-Line
約580万―560万年前の人類の歯を見つけ、米クリーブランド自然史博物館や東京大などの研究チームが、5日付の米科学誌サイエンスに発表する。
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見つかった犬歯は、類人猿よりも小さく人類への進化を示しつつも、形は鋭く、下あごの歯(小臼歯)に研がれるような、類人猿に特徴的な構造が認められた。こうした特徴から、これらの化石は新種の猿人「アルディピテクス・カダバ」であると結論付けた。
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研究チームはエチオピアで2001年、この猿人の下あごや上腕などの化石(約580万―520万年前)を見つけて報告していたが、新たな調査でさらに6本の歯を発見した。
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また、ほぼ同時代の猿人である「サヘラントロプス・チャデンシス」「オロリン・ツゲネンシス」の犬歯と比較したところ、3種の猿人は同じ「属」である可能性が高いとし、人類が誕生初期から様々なグループに分かれていたとする説を疑問視している。 |
研究チームの東京大総合研究博物館の諏訪元・助教授は「見つかった歯は、人類が類人猿から分岐したばかりのころのもので、人類起源を明らかにする上で貴重な化石だ」と話している。
| 260万年前最古の石器と使用跡、エチオピアで発見2003/10/27 読売新聞 Yomiuri On-Line
【ワシントン=笹沢教一】米・南コネティカット州立大などの国際発掘チームが、エチオピア北部で約260万年前の人類最古の石器とその使用跡を発見した。数百個の石器群と解体された痕跡を残す動物の骨がまとまって見つかり、ヒトの文化の起原とされる肉食の始まりを示す重要な発見として注目される。人類進化学の国際専門誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・エボリューション」最新号に発表した。
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発表によると、発掘チームは、同国のゴナ川支流域の1か所から、石同士をたたきつけて作った剥片(はくへん)石器と石器で傷つけられた跡のある獣骨を発見した。石器はナイフとして動物の皮や肉を切ったり、骨を割って中の骨髄を取り出すのに使われたと推定されている。
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ゴナ川地域からは、最も古いとされた約250万年前の石器が発見されている。近くの火山灰に含まれる鉱物の分析から年代を判定し今回の石器はさらに10万年さかのぼることがわかった。これまで、石器と使用痕のある骨が一緒に見つかることはなく、石器の使途や信ぴょう性をめぐり専門家の意見が分かれていた。
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この石器を使用した人類の化石は見つかっていないが、ほぼ同時代に生息していた猿人の一種「アウストラロピテクス・ガルヒ」などが考えられる。人類は石器の使用を始めたことで、栄養価の高い肉食が可能になり、石器文化の獲得とともに脳容積も飛躍的に増大したと考えられている。
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馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長の話「どんな動物が解体され、食されていたのかがわかり、謎に包まれていた石器の特徴が詳細にわかってきたことは興味深い。年代が古くなったことより、石器がどう使われ、食文化をどう獲得したかを探る上で有意義な発見だ」
| 猿人化石:「ゴリラ」説に「明らかに人類祖先」と反論 仏教授2002年07月13日 Mainichi INTERACTIVE
アフリカ中部チャドで見つかった約700万年前の最古の猿人化石について英メディアなどは12日までに、ライバル研究者を含む一部専門家が「ゴリラの化石にすぎない」と指摘したと報じ、発見者の一人であるフランス・ポワチエ大のミシェル・ブルネ教授は同日の会見で「明らかに人類祖先としての特徴を備えている」と反論した。
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英科学誌ネイチャーに論文が掲載された11日から一部で「ゴリラ説」が出されていることに、同教授は化石の実物を示しながら「世界的な人類学者とネイチャー誌の検証を経て認められた。この化石を見て類人猿と混同することは不可能だ」と語った。(パリ共同)
| <人類化石>最古の頭がい骨アフリカで発見 進化の手がかりに2002年07月11日(毎日新聞)YAHOO!ニュース
【ワシントン斗ケ沢秀俊】600万〜700万年前の猿人の頭部化石6個を中央アフリカのチャドで発見したと、フランス・チャドの合同調査団が11日発行の英科学誌「ネイチャー」に発表した。年代測定が確定すると、最古の人類化石となる。人類発生の初期に当たる化石とみられ、人類の進化史解明の大きな手がかりになりそうだ。
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化石が発見されたのはチャド北部のジュラブ砂漠。仏ボワチエ大を中心とした調査隊は01年以降、ほぼ完全な頭骨1個、下あごの破片2個、歯の化石3個を発掘した。
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周辺で見つかった動物群の化石の分析から、600万〜700万年前の化石と判定された。ほぼ完全な頭骨としては過去の最古の化石より約300万年さかのぼる。
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脳の容量が少ないなどの形態は類人猿に似ているが、顔面の長さが短く、犬歯が小さい点は人類に近い。頭骨から背骨につながる穴の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、額が隆起していることなどがヒト属の直接の祖先の猿人の一種であることを示しているという。
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調査団は、頭骨化石には厚みがあり男性のものと推定している。顔が平らで、口が出っ張っていない特徴から新種と判断し、学名は「サヘラントロプス・チャデンシス」と命名。この地域で乾期の直前に生まれた子供に付けられる名前「トゥーマイ」(生命の希望)を愛称にした。
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これまで、エチオピアで発掘された約440万年前の「ラミダス猿人」(アルディピテクス・ラミダス)や、その仲間の約520万〜580万年前の「アルディピテクス・ラミダス・カダバ」、ケニアで発見された約600万年前の「オローリン・ツーゲネンシス」の化石が最古級とされていた。
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ヒトと類人猿のチンパンジーはDNAの分析では、約500万年前に分かれたとされている。トゥーマイはこれより古く、ヒトと類人猿の分岐時期が見直される可能性がある。
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また、人類祖先はアフリカ東海岸で発生したとする説があるが、今回の発見から、調査団は「600万年前より前に、アフリカ全体で広範囲に発生した」と分析している。
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中央アフリカのチャドで見つかった600万〜700万年前の猿人「トゥーマイ」の頭骨化石は、ヒトと類人猿の分岐がアフリカの東海岸をただ1カ所の起点として、人類はここから世界に広がったという考えに対し、分岐はアフリカの広い範囲で同時期に起きていたという新たな説を提示するものだ。今回の化石が人類最古と確定すれば、どの起源が現代人につながる1本の道筋となるのか新たな論議となりそうだ。
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「ミッシング・リンク(失われた環)」という言葉に代表されるように、人類起源の研究では、ヒトと類人猿の共通祖先からチンパンジーと猿人が分かれた後も進化経路は1本の道をたどったとの考えが重視されている。そのため、各地で見つかる猿人化石によってその道筋をつなぐことに重点が置かれている。
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その起点は、アフリカ東部に南北に走る大地溝帯(大地の裂け目)の東側の草原で、ここで人類は生まれ世界に広がったという説が広がった。この一帯から猿人化石が多数見つかっていることが根拠だった。
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最古とみられる人類化石「トゥーマイ」が、大地溝帯から離れた中央アフリカで見つかったことは、アフリカ各地に人類の祖先がいた可能性を示す。馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長は「はるか昔、いろいろな種類の人類の祖先たちがいて、それぞれが進化した結果、我々につながったといえるのではないか」と話す。
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ほぼ完全な頭骨化石としては、約350万年前の猿人とみられる「ケニアントロプス・プラティオプス」や「アウストラロピテクス・アファレンシス」の化石以来の発見になる。ただ、「トゥーマイ」の「平らな顔」という特徴は、これまで進化ルートの主流と見られているアウストラロピテクス・アファレンシスとは異なり、ケニアントロプス・プラティオプスと共通するという。フランスとチャドの合同調査団は、「トゥーマイ」が「ケニアントロプスとヒトに似ている特徴を持つ」と強調しており、これが猿人からヒトへの進化の本筋である可能性があるとしている。 【永山悦子、去石信一】
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東京大総合研究所博物館の諏訪元(げん)助教授(形態人類学)の話
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700万年近く前の頭骨の化石が、ほぼ完全な形で出たのは素晴らしいことだ。化石は森林では残りにくいし、地殻変動があったり、地表に現れれば風などで壊れてしまうからだ。時期としては、最初期の人類の祖先だろう。DNA分析によるヒトと類人猿が500万年前に分岐したという説に、いよいよ無理が出てきたといえる。
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京都大理学部の中務(なかつかさ)真人・助教授(自然人類学)の話
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アフリカの大地溝帯の西側で人類化石が見つかったという点が興味深い。地溝帯の東側で人類が、西側で類人猿が進化したとする人類起源の仮説「イーストサイド物語」をもう一度検討し直す可能性が出てきた。重要な発見なので、今回発見された化石が人類の系統なのかきちんと調べる必要がある。
| 「最古の人類化石エチオピアで発見」 米チーム発表2001.07.13 (CNN)
エチオピアで発見された猿人の化石が、約580万―520万年前のものだったと明らかになった。米カリフォルニア大バークレー校などの研究チームが報告を、12日発行の英科学誌「ネイチャー」に掲載した。同チームは「人類につながる最古のもの」と主張している。
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580万年前のものとみられる猿人の化石は、1997年以降、エチオピアの首都アディスアベバから北西約230キロのミドルアワシュ地区で発見された。下あごや歯、上腕など最低5体のもの。2足歩行を推定するのに重要な、左つま先の骨も含まれていた。
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発掘調査を報告したバークレー校の研究者ヨハネス・ハイル=セラシエさんによると、下あごの骨は現在のチンパンジーくらいの大きさ。臼歯は大きく、門歯が細いことから、果物や野菜よりも繊維質の多い食物を主食としていた可能性があるという。
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発見場所は、320万年前のアファール猿人「ルーシー」の全身骨格が1974年に発見された場所から、南約80キロの地点でもある。
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ハイル=セラシエさんは、1993年に同じエチオピアで見つかり、これまで最古とされてきた約440万年前のラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)の祖先にあたるのではないかと推定しており、ラミダス猿人の学名に続けて、「カダバ」という亜種名が付けられた。
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人類の祖先である猿人の化石については、仏などの研究チームが、ケニアで昨年末に発見した約600万年前の骨格化石を、最古の猿人「オロリン・ツゲネンシス」として報告している。
| 500万年以上前の猿人化石/「確証ある中では最古」/共同研究チーム、エチオピアで発見【ワシントン11日共同】(2001/07/12)by山陰中央新報 今から520万-580万年前の人類の祖先、猿人の骨とみられる化石を米カリフォルニア大とエチオピアの共同研究部ループがエチオピアで発見、12日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
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ケニアで昨年、約600万年前とされる猿人化石の発見が報告されているが、グループは、確証が得られたものとしては今回のが最古で、チンパンジーなどの類人猿と共通の祖先から、人類が分かれた直後の貴重な資料だとしている。
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化石は、アディスアベバの北東約230キロの地点で見つかった。歯の残ったあごの骨や、腕や脚の骨などで、少なくとも五体の猿人のものだった。
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つま先の骨の鑑定結果で520万年から580万年前の化石と判明した。
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あごの骨は現在のチンパンジーほどの大きさ。へらのような形をした犬歯や、平らな乳臼(きゅう)歯の形から、類人猿ではなく、人類の祖先である猿人の化石で、1994年に東大などのグループが発見した約440万年前のラミダス猿人の亜種とみられる。
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研究グループは「ケニアで600万年前の猿人の化石を発見したとの報告があるが、本当に猿人かどうかは疑問がある」と指摘。今回の化石が最古の猿人の化石だと主張している。
| 猿人を「完全な形」で発見1999年12月16日【ヨハネスブルク共同】
南アフリカの科学専門誌、南ア科学ジャ−ナルは15日声明を発表し、南アの人類学者グループがこのほど、ヨハネスブルク近郊の、スタークフォンテーン洞くつで、約330万年前のアウストラロピテクス(猿人)の腕と手の化石を「完全な形」で発見したことを明らかにした。完全な形での発見は初めてで、人間の祖先の体の構造などを調べるうえで画期的な成果だという。
| ミャンマーの中期〜後期始新世の地層から見つかった新しい真猿類の化石Takai, M., Shigehara, N., Aung, A.K., Aung Naing Soe, Soe Thura Tun, Tsubamoto, T., and Tin Thein
| A New Anthropoid from the Late Middle/Late Eocene of Pondaung, central Myanmar.
| Journal of Human Evolution, 40(5):393-409.(2001年5月号)/(JUL/17/2001) |
京都大学霊長類研究所の調査隊は、1998年からミャンマー中央部のポンダウン地域で中期始新世末の地層の発掘調査をおこなっている。 この調査では既に複数の霊長類化石を発見しており、順次記載作業が進められている。 本論文では1998年に発見した真猿類の新属 Myanmarpithecus yarshensis (=「ヤーシェで見つかったミャンマーのサル」)を報告する。 見つかった標本は右上顎骨片(第4小臼歯〜第3大臼歯まで残存)と2個の左下顎骨片(犬歯〜第3小臼歯まで残存したものと第2〜3大臼歯が残存したもの)で、形や大きさから同一個体のものと推測される。
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Myanmarpithecus は現生のティティモンキー位の大きさ(約2kg )の果実食性のサルと思われる。下顎骨は比較的深く、上顎大臼歯は4咬頭性であることなどから真猿類と考えられる。下顎大臼歯の形態は北米大陸などからみつかっているユタイア族(tribe Utahiini、オモミス類の一種)と類似しているが、下顎骨体の形態からはっきりと区別される。下顎小臼歯は特殊化しており、同じポンダウン層からみつかっている Pondaungia や Amphipithecus と近縁である可能性も捨てきれない。 中期始新世の東アジアには、すでに原始的な初期真猿類が出現していたと考えられる。
| 元謀の考古学者、新発見1999年12月27日「人民日報海外版」
中国の考古学活動家はこのほど雲南の元謀において調査を行ない、類人猿の左下顎骨を発見した。これは最近10数年行なわれてきた元謀類人猿研究における重大な発見である。
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中国科学院の古脊椎動物・古人類研究所の祁国琴研究員によると、今回発見された下顎骨の歯と頭蓋骨の接触部分は保存状態が完全で、その湾曲の程度から、類人猿の進化のプロセスを推定することができ、元謀類人猿の顎骨と頭蓋骨の接触部分の研究における空白部分を埋めるものだという。
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雲南には豊富な類人猿および古人類化石資源がある。1960年代に発見された「元謀人」は、中国ないしアジアにおける最も初期の人類の一種であると認められており、12百万年前の開遠類人猿、8百万年前の禄豊類人猿、4百万年から6百万年までの元謀類人猿および同時代の保山類人猿化石の、大量の発見は、一定の時代において継続した年代の順番を構成している。
| 600万年前、最古の猿人化石 ケニアで発掘2000/12/05 信濃毎日新聞
【ナイロビ4日共同】ケニア・コミュニティー博物館とフランスの合同学術チームは四日、ケニア北西部のバリンゴで約六百万年前の人類の直接の祖先である猿人の最古の化石を発掘したと発表した。
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これまでの最古の猿人化石は、東大の諏訪元・助教授らが一九九二年から九三年にエチオピアで発見した約四百四十万年前のラミダス猿人。
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今回の化石発見が学界で認められれば、人類の直接の祖先を約百六十万年もさかのぼらせる。さらに、ラミダス猿人が二足歩行をしていたことを示す足などの化石は未発見だが、今回は大腿(たい)骨=長さ約三十センチ=の化石が発見されたことなどから、二足歩行が裏付けられたとしており、人類進化の研究に画期的な成果をもたらすことが期待される。
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化石が最初に発掘されたのは今年十月末で、合同チームは「今年のクリスマス前には研究成果を学術雑誌で公表する」としている。同チームは化石を「ミレニアム・アンセスター」(千年紀の祖先)と名付けた。
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バリンゴは首都ナイロビの北西約二百五十キロ。チームは約四十五キロ平方の約二百カ所の発掘地点から足や手、指の一部や歯のついたあごの化石を多数発掘した。
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合同チームは、地層の溶岩の年代、一緒に見つかったカバやアンテロープなど他の野生動物の化石などから約六百万年前と断定した。一帯の地層の年代は英国や米国の他の研究チームによっても裏付けられているという。
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少なくとも男女の五体で、年齢は六歳から三十歳まで。チンパンジーほどの大きさの成人の大腿骨は食いちぎられたあとがあり、他の肉食動物に食べられたとみられる。
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手や指の形から木を機敏に登ることができ、歯の形状や摩耗の程度から堅い皮の果実を主食にしていたと推定される。
| 250万年前の新種猿人-ガルヒ猿人-1999年04月23日 共同通信社
エチオピアで出土した 250万年前の化石が新種の猿人のもので、現代人につながる直接の祖先の可能性が高いことを東大総合研究博物館の諏訪元・助教授ら日米エチオピアの国際共同チームが突き止め、23日発行の米科学誌サイエンスに発表した。
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器を使って肉食をしていたとみられ、石器の使用例としては最古。足も長く、猿人から現代人への進化を跡付ける新しい手掛かりとなりそう。研究チームは『驚き』を意味する現地の言葉からガルヒ猿人と名付けた。
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