TOPIC No.9-3 原人類/旧人類/新人類

- 旧石器時代(1万6千年前〜250万年前) - 
No.
時代
名称
  化石発見の年月日及び場所
01.
100万年前
エチオピア原人(ホモ・エレクトス)2000年ケニア北東部トゥルカナ湖東岸で発見
02.
100万年前
ジャワ原人(ホモ・エレクトス)1891年10月ジャワ島で発見(ピテカントロプス1号)
03.
50万年前
北京原人 (ホモ・エレクトス)1929年中国・周口店で発見(前期旧石器時代)
04.
40-25万年前
ホモ・サピエンス 古代ホモ・サピエンス(前期旧石器時代)
05.
20-15万年前
ソロ人 中部ジャワのソロ川流域
06.
15-4万年前
ネアンデルタール旧人 1856年ドイツ・ネアンデル谷(中期旧石器時代)
07.
6万年前
ホモ・サピエンス類似? 1974年オーストラリア・マンゴ湖遺跡
08.
4.2万年前
デニソワ旧人 2008年ロシア西シベリアアルタイ山脈の
デニソワ洞窟
09.
4-1.0万年前
クロマニヨン 新人 1868年フランス(後期旧石器時代)
10.
3.2万年前
山下町第一洞人 新人 1962年、1968年沖縄/那覇市山下町
11.
2.6万年前
ピンザアブ洞人 新人 宮古島上野村で発見
12.
1.8-0.8万年前
港川人 新人 1967年沖縄/具志頭村港川
南方系の古モンゴロイドの一派
13.
1.2-1.0万年前
ワジャク人 新人 ジャワ東部

原人/旧人/新人 関連リンク

01. 人類の進化 by 生命と宇宙(Ken Yao のページ)
02. 宇宙誕生から紀元前まで by
03. 人類の歴史 by本当の日本人の食事物語-(嶋本 菜穂子)
04. きまぐれNEWSLINK by考古学のおやつ
05. 日本列島の新人化石 by Digital Archaeology Resources in Japan
06. 日本人類のあけぼの by独立国家 真珠帝國
07. ミトコンドリアDNAの可能性と限界
08. No.9-3-2 旧人類ネアンデルタール人(ホモ・サピエンス)
09. No.9-3-3 新人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)

No.9-3-1 原人類(ホモ・エレクトス)


01. 人類の誕生 byWikibooks
02. 「続・人類の拡散」シリーズ 初期ホモ属〜人類初の出アフリカ ホモ・エレクトス@〜
 2011-02-15
03. ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis) 愛称:ホビット 
 byフリ−百科事典 Wikipedia
04. 解説:約70万年前の超小型原人発見、フローレス島解説:約70万年前の超小型原人発見
 、フローレス島 人類進化の異端児フローレス原人の由来示す「すばらしい証拠」 
 2016.06.10 NATIONAL GEOGRAPHIC NEWS

グレートジャーニー2001年人類の旅50,000キロ

by Fuji TV

 人類は400万年前、東アフリカに誕生したと言われている。そして、百数十万年前、アフリカを飛び出し、アジア、そして氷河期に陸続きとなったベーリング海峡を越え、極北の地を経てアメリカ大陸へと進み、南米大陸最南端のパタゴニアへと到達した。コロンブスがアメリカ大陸を発見する1万年ほど前のことである。この東アフリカから南米大陸へと続いた人類の大遠征は5万キロにおよぶ壮大な歴史である。グレートジャーニー、それは人類400万年をさかのぼる壮大な旅に挑戦し続ける一人の男の物語である。


許昌人の化石を追加発見、専門家「大きな学術的価値」

2008/06/12 中国情報局

 11日付中国新聞社電によると、河南省の許昌霊井遺跡で6月初旬に、今から8−10万年前に生きていた旧人類とみられる「許昌人」の頭蓋骨が新たに見つかった(写真)。「許昌人」は2007年12月に初めて見つかり、現在の人類に直接関係する可能性もあるとして注目されている。

 6月初旬に見つかったのは、頭骨の化石12点。河南省文物局の孫英民副局長によると、07年12月の出土地点の近くで見つかり、互いに重複した部分がないことから同一人のものである可能性があるという。

 霊井遺跡では「許昌人」の骨だけでなく、使用していたと見られる石器や牛、馬、鹿、サイの骨も出土している。

 現在の人類の誕生については、主にふたつの説がある。ひとつは、ネアンデルタール人や北京原人などの旧人類は20万年前ごろまでに、なんらかの理由でいったん絶滅。改めてアフリカで現人類の直接の祖先が出現し、世界的に広まったとする「アフリカ起源説」。もうひとつは、旧人類が世界のいくつかの地域で平行して現人類に変化したとする、「多地域進化説」だ。

 世界的には、最近の遺伝子の研究も踏まえ、「アフリカ起源説」が優勢になりつつあるが、中国では「多地域進化説」を支持し、中国も現人類が誕生した地域のひとつだとする「中国における旧人類連続進化説」が根強い。

 「連続進化説」の支持者にとって大きな問題は、中国では200万年前と見られる巫山人に始まり、50万年前の北京人、10−10万年前の遼寧金牛人など、幅広い時期にわたる旧人類の骨が出土しているが、5−10万年前に人類が存在した証拠はなく、「断絶」を否定できないことだった。

 孫副局長は、8万年前まで生きていた可能性がある許昌人の存在は、アジアでの旧人類の進化や現代中国人の祖先の問題を研究する上で、極めて大きな学術的価値があるとの考えを示した。(編集担当:如月隼人)

中国、10万年前の頭骨発見 アジア人の起源解明に糸口

2008年01月23日 中国新聞ニュ−ス

 【北京23日共同】中国国家文物局などは23日までに、河南省許昌市で先月、10万−8万年前の人類の頭蓋骨が発見されたと発表した。アフリカ以外で同時期の人類の化石が見つかった例は極めて少なく、中国の専門家は「北京原人以来、最大の発見」と注目している。中国紙、人民日報などが同日伝えた。

 現代人の起源は、10数万年前にアフリカから世界へ広まり旧人に取って代わったホモ・サピエンス(新人)とする「アフリカ単一起源説」が有力。

 今回発見された「許昌人」は、同説で新人が東アジアにも広まった後の時代の化石となるとみられ、現代東アジア人の起源解明の糸口となると期待されている。

 許昌市の旧石器時代の遺跡で先月17日、地下約8メートルの場所から計16個の骨片が出土、復元するとほぼ完全な形の頭蓋骨になった。眼窩上が隆起し、前頭部は平らで後頭部も隆起している。保存状態は良く、変形もしていないという。


55万年前、朝鮮半島に原人 韓国・万水里遺跡

2007/11/25 中国新聞

 同志社大の松藤和人まつふじ・かずと教授(考古学)ら日韓共同研究チームは、前期旧石器が見つかった韓国忠清北道の万水里マンスリ遺跡の年代を五十六万―五十四万年前と割り出し、二十四日、同大で開いた国際セミナーで発表した。

 中国・北京近郊の周口店で骨が見つかった北京原人が六十万―三十万年前とされ、ほぼ同じ時期に朝鮮半島にも原人が進出していたことになる。

 アフリカで誕生したとされる人類がどう広がったかや、日本列島に原人が来たかどうかの議論にも影響を与えそうだ。

 万水里遺跡は韓国中央部にあり、団地造成に伴い二〇〇五年に発見された。地下約六メートルの最下層から三点の石器が出たが、年代を判定する決め手がなく、同志社大と韓国・漢陽大などが共同で研究していた。

 松藤教授らは氷期に積もった白っぽい砂の層と、温暖な間氷期に風化で赤くなった地層が交互に重なっている点に着目。過去何度も繰り返された氷期と間氷期の年代に対応させた結果、最下層は五十六万―五十四万年前の氷期と割り出した。

 この年代特定法は比較的新しく、日本の地質学者らが古地磁気法などの科学的測定で妥当性を証明した。

 韓国では同教授が同様に三十万年前と測定した全谷里チョンゴンニ遺跡(京畿道)が、年代の分かる最古の旧石器遺跡だった。日本では旧石器発掘捏造ねつぞう問題で、四万年より前についてはほとんどすべてが遺跡でないことが分かった。

人類祖先、同時期に2種 定説覆す化石発見 ケニア

2007/08/09 The Sankei Simbun WEB-site

 ケニア北東部で、いずれも約150万年前のものとみられる2種類の人類祖先の化石を発見したと、英米などの国際チームが9日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 2種類のうち一方は猿人と原人の特徴を併せ持つホモハビリス、もう一方は原人ホモエレクトスとみられる。現在、人類はこの200万年の間に、ホモハビリスからホモエレクトスに進化、さらに現代人のホモサピエンスになったと考えられている。今回の発見で、ホモハビリスとホモエレクトスは同時期にほぼ同じ地域で暮らしていたことになり、定説の見直しが迫られるという。

 チームは2000年、トゥルカナ湖東岸で上あごと頭骨の化石を発掘。上あごには6本の歯があり、犬歯や臼歯の形状からホモハビリスと判断した。地層の火山灰から144万年前のものとされ、これまで165万年前までとされていたホモハビリスの存在時期を20万年以上更新した。

 頭骨は頭頂部やあごとの結合部の形状などから155万年前のホモエレクトスと判断された。

 この結果、ホモハビリスとホモエレクトスは50万年間にわたって、ほぼ同じ地域で生きていたことになり、チームは「ホモエレクトスはホモハビリスから進化したのではなく、共通の祖先から分かれたのだろう」としている。

80万年前の人類の遺跡発見 広西チワン族自治区

2002年09月12日「人民網日本語版」

広西チワン族自治区百色地区田東県百渡村では先ごろ、80万年前のものと思われる人類の遺跡を発見した。遺跡の規模は700平方メートル。土器や石器など1000点以上が出土した。今回発掘された遺跡は、百色盆地で見つかったこの時代の人類の遺跡としては最も広い。また出土品の数も最多となった。

アフリカ、アジアの原人交流?特徴併せ持つ頭骨発見

2002年3月21日(読売新聞)YAHOO!ニュース

 アフリカ・エチオピア中東部の約100万年前の地層から、現代人の直系祖先であるアフリカ原人とアジア原人の双方の特徴を併せ持つ頭骨化石を、米カリフォルニア大バークレー校などの研究チームが発見した。

 ◆進化論に波紋広げそう◆

 北京原人やジャワ原人などのアジア原人は、現代人のホモ・サピエンスとは無縁の地域集団とする見方が有力で、別種扱いする学者もいた。研究チームは今回の発見で、「アフリカ原人とアジア原人は同一種で、行き来しながら現代人への進化の道を一緒に歩んでいたことがわかった」としており、人類の進化論争に大きな波紋を広げそうだ。21日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。

 化石は1997年に同国のアワシュ川中流域で発見。頭骨は顔の下半分が失われているが、脳容積は995ccで、中後期の原人に相当。まゆの部分の隆起が太いなど、アジア原人の特徴があった。

 アフリカに出現した原人は約170万年前に、アジアへ進出し、北京原人やジャワ原人などに進化したが絶滅した。アフリカに残った原人が現代人へ進化したとされている。

 国立科学博物館の馬場悠男人類研究部長の話「アジア原人が独自の集団ではないことを示すだけでなく、アフリカの古い原人と新しい原人の空白を埋める特徴もある。ただ、アジアから現代人が発生したわけではなく、アフリカを起源とすることに変わりはない」

人類最古?79万年前の火の使用跡、イスラエル北部で

2004/04/30 asahi.com
 約79万年前には人類が火を使っていたことを示す、これまでで最古の証拠が、イスラエル北部の「ゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡」で発掘された。石器やオリーブの木、野生のブドウの木片に、高熱で焼けた跡が残っていた。30日付の米科学誌サイエンスで、同国のヘブライ大研究チームが発表した。


ジャワ原人


1万8千年前に別種の人類…ジャワ原人子孫の化石発見

2004/10/28 読売新聞 Yomiuri On-Line

 現生人類が世界に広がっていた約1万8000年前に、別種の人類が生き残っていたことを示す化石がインドネシアで発見された。

 ジャワ原人の子孫と見られる新種で、脳の大きさが現生人類の約3割に当たる380ccとチンパンジー並みに小さく、身長も1メートルと小柄だった。人類進化は脳が大型化する方向に向かうとする定説が特殊な環境では合致しないことを示し、「ここ半世紀で最も注目すべき人類化石」との評価も出ている。オーストラリアとインドネシアの研究チームが、28日付の英科学誌ネイチャーに発表する。

 発見場所は、インドネシア・ジャワ島の東にあるフローレス島の洞穴。骨盤の特徴や歯の摩耗の状態などから大人の女性と判断した。研究チームは「ホモ・フローレシエンシス」と名付けた。

<ジャワ原人>独自に進化 現代人「アフリカ起源説」有力に

2003年02月28日(毎日新聞)YAHOO!ニュース

 頭部をほぼ完全に残した数十万年前のジャワ原人の脳頭がい化石を、インドネシアと日本の研究グループが初めて発見した。骨の特徴から、ジャワ原人が、現代人の祖先である新人にならなかったことを示し、人類の起源を探る上で重要な成果となりそうだ。28日発行の米科学誌「サイエンス」に発表した。

 化石は01年10月、インドネシア・ジャワ島のソロ川で見つかった。すぐ上流にある数十万年前の地層から流れ出したもので、顔部分を除いて頭がいがほぼ完全に残り、男性とみられる。脳の大きさは現代人の約7割の約1000立方センチだった。

 化石の解析は、馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長や諏訪元・東京大助教授らが担当した。諏訪助教授が開発したCT(コンピューター断層撮影装置)を使い、外部から見えにくい骨の特徴を調べた。

 その結果、顎(がく)関節やまゆの部分の「眼窩(がんか)上隆起」などで、他の原人や現代人に見られない特徴が見つかった。過去に発見された、約10万〜約100万年前のジャワ原人の化石約20個の形態と合わせて比較すると、時間の経過とともに、その独特の特徴が徐々に鮮明になっており、現代人への進化から、ずれていくことが明確になった。

 現代人の起源に関する有力説の中には、アフリカや東アジア、東南アジアなど、世界各地の原人がそれぞれ新人に進化したとする「多地域進化説」がある。今回の発見はこの説を否定するもので、10万〜20万年前にアフリカで誕生した新人が世界各地に広がったとする「アフリカ起源説」が一層有力になった。

 馬場部長は「ジャワ原人がアジア大陸から事実上隔離されていたために、独自の進化が起きたと考えられる」と話している。 【田中泰義】

ジャワ原人は十人十色?定説と違う形持つ頭骨見つかる

2002年06月30日 Yomiuri On-Line

 9年前にインドネシア・ジャワ島で発見された約70―100万年前のものとみられる頭骨化石が、29日までの同国と日本の合同研究でアジア最古の人類「ジャワ原人」のものと分かった。化石にはジャワ原人の定説に当てはまらない特徴があることも判明。研究に参加した国立科学博物館は「ジャワ原人の外見は、考えられてきた以上に多様だったことを示す貴重な資料」と、同館発行の英文学術誌に発表した。

 化石は1993年5月に同島中部で見つかり、ほぼ完全な頭がいと、ほお骨や上あごの臼歯(きゅうし)を含む顔面の中央部が残っていた。

 バンドン工科大学と日本の国立科学博物館、京都大学の合同チームは、この化石の形を詳細に分析した結果、平らな顔面や歯の形から「ジャワ原人」と断定した。

 しかし頭がいは、前頭部が丸みを帯びているうえ、全体の幅も狭く、「平らな前頭部と、幅のある頭がい」というジャワ原人の特徴は見られなかった。丸い前頭部は、北京原人やアフリカの原人に見られる特徴だという。

 原人の外見は、暮らしていた地域で固有の特徴があるというのが定説。だが、アフリカで最近、北京やジャワの原人に似た特徴を持つ頭骨が見つかっており、研究者から「原人はもっと多様な姿をしていたのではないか」との指摘も出ていた。ジャワ島の化石は、こうした説を補強するため、合同チームは、より正確な復元を行う予定。

 馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長の話「見たことのないジャワ原人で驚いている。進化上の位置付けを詳しく調べたい」

骨とう店で原人化石発見

1999年09月07日【ニューヨーク・共同通信社 】

 ニューヨーク・マンハッタンの骨とう品店に持ち込まれた古い頭骨の化石が、インドネシア・ジャワ島で発掘された直立原人(ホモ・エレクトス)の頭骨で、しかも従来知られていた原人より前頭部が張り出しているなど現在の人類に近い特徴を持っていることが明らかになった。

北京原人


北京原人の時代、定説より20万年早く

March 13, 2009 National Geographic News/Brian Handwerk

 北京原人が生きていた時代は、これまでの想定に比べて20万年も前だった。1920年代に存在が公になった彼らは進化論に大きな弾みをつけたが、最新の研究によってその生息時期が数十万年単位で前倒しされることになった。

 この研究は、北京原人を含むホモ・エレクトスの移動ルートが2手に分かれたことを裏付けるものでないかとみられている。アフリカを出た後に、中国北東部と東南アジアの2ルートに分岐したという説だ。

 北京原人はホモ・エレクトスの亜種で、その化石はかつて中国北京近郊の周口店(しゅうこうてん)で発見された。周口店はホモ・エレクトスの発見場所として世界で最も重要視されている場所であるが、新たに特定された時代は、以前の想定時期よりも涼しく快適な環境であったとみられる。

 今回発表された研究では、この地域に埋まっていた石英粒子の同位体分析が行われた。その結果、北京原人が生息していたのはおよそ75万年前のことで、以前の定説に比べると20万年も早かったことが判明した。この研究は中国にある南京師範大学の沈冠軍(Shen Guanjun)氏らによって実施された。

「アフリカから始まったホモ・エレクトスの集団移動ルートが、書き換えられる可能性もある」と同研究の添付資料とされている分析結果を発表したアメリカのアイオワ大学の人類学者ラッセル・ショホーン氏は語る。同研究と添付資料は12日発行の「Nature」誌に掲載されている。

 同氏によると「新たな研究結果に基づけば、中国における北京原人の生息時期は、そのほかのホモ・エレクトスのグループとほぼ同じ時期であった可能性が高い」という。

 ホモ・エレクトスは約200万年前にアフリカから集団移動を始めたが、同氏は次のような仮説を立てている。「彼らは長期にわたる旅の途中で、さまざまな方向へ分かれていったのではないか。アラビア半島から中国南部に到達したホモ・エレクトスは亜熱帯林に行き当たったが、サバンナや開けた森林地帯に慣れていた彼らにとってそこは魅力的な場所ではなかった可能性がある。そこで、あるグループは南東へ進路を変え、東南アジアに住み着いたと想定される」。これは従来の説と重なる。

 さらに別のグループは北東へ進路を取り、ユーラシア大陸を横断して現在の中国にたどり着いた可能性が高い。移動距離は東南アジアを通るより短くなり、定住時期も早くなる。そのうち周口店付近に定住したグループの一部が、北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)と呼ばれる亜種へと進化を遂げたのだ。北京原人は完全な直立歩行ができ、洗練された石器を操っていたと考えられている。その脳の容積は、現生人類の4分の3に匹敵するものだった。

 ホモ・エレクトスたちが今回提示された時代に中国北東部までたどり着いたとすると、そこには彼らがもともと慣れていた土地に似た、食糧が豊富な環境があったと考えられる。

「周口店付近も彼らが到着するころには涼しく乾燥した気候に変化し、草原に近づいていた可能性がある。獲物も多く集まり狩りもしやすかったのではないか。北京原人が肉を食べていた証拠も現に数多く見つかっている」と前出のショホーン氏は話す。

 一方、ニューヨーク大学の古人類学者スーザン・アントン氏は、この研究について次のように指摘する。「今回得られたデータだけで彼らの移動ルートがアジアで2つに分かれたことを示す証拠にはならない。分岐は2ルートにはとどまらず、6ルートや9ルートになっていた可能性もある。だが、そうした分岐を証明するには、経路の途中に見られる何かしらの証拠を示す必要がある。また、その分岐がアフリカのどの辺りから始まったのかを明らかにする必要もあるだろう」。

 とはいえ、同氏は次のようにも述べている。「北京原人がほかのホモ・エレクトス亜種と同じ時代にいたとすると、この研究分野で長らく謎とされてきた問題も解決することになりそうだ。当初の想定時期を前提とした場合、ホモ・エレクトスは旅を終えてずいぶん長いことアジアにとどまっていたことになる。彼らの傾向からすれば、これほど長い間の定住は少々不可解であったが、時期がもっと早かったとなればその疑問は氷解する」。

有力情報は「皇居の地下室」? 北京原人化石の行方やいかに

2006/09/27 The Sankei Shimbun

 27日付の中国各紙によると、日中戦争が激化する中で行方不明になった北京原人の頭蓋(ずがい)骨の化石を探している中国の専門委員会は26日、昨年7月以降、国内外から107の情報が寄せられ、うち3つを有力情報として捜索を継続していくと発表した。北京原人の頭蓋骨の化石は北京郊外にある周口店遺跡で1929年に発見された。その後、日中戦争の激化を受け関係者が米国移送を決定したが、移送途中に行方不明になった。北京市房山区政府などは昨年、同遺跡にある博物館に専門委員会を設置した。

 同委員会によると、有力情報は(1)移送前に保存されていた北京市の病院で目撃した(2)米軍が駐留していた天津市の病院の地下室で頭蓋骨を詰めた可能性がある箱を目撃した(3)東京の皇居の地下室に保管されているとの報道―という。(共同)

北京原人

2005年07月05日 毎日小学生新聞

 今から約50万〜20万年前に生きていたと推定されます。1927年ごろに中国・北京市郊外の小高い丘から、現代人と異なる歯の化石が発掘され、29年にほぼ完全な頭がい骨の化石が見つかりました。現在保管されている頭がい骨は66年に発見された2個だけです。北京市の区政府は、第二次世界大戦中に行方不明になった北京原人の頭がい骨の化石捜索を本格化するため、専門委員会を発足させた、と中国各紙(かくし)が3日、報じました。行方不明になっているのは、ほぼ完全な形の頭がい骨5個、歯147個などです。今回は、2008年の北京五輪に向けた文化活動の一環です。 

北京原人の頭蓋骨捜索チームが政府主導で始動

2005/07/04 中国情報局

  北京市房山区政府は、第二次世界大戦中に行方不明になった北京原人(ぺきんげんじん、学名:Homo erectus pekinensis、ホモ・エレクトス・ペキネンシス)の頭蓋(ずかい)骨の化石を捜索する、中国初の専門チームを発足させた。3日付で中国新聞社が伝えた。

  化石は、1941年に米中関係者が米国に移送する決定をしていたが、日米開戦という混乱を受けて、行方不明になったとされている。中国ではこれまでも捜索を進めてきたが、民間及び学識関係者主導で行ってきたこともあり、依然大きな成果は得られていない。そのため、政府主導の捜索体制の確立が求められていた。

  捜索チームはまず、民間の手がかりをもとに中国大陸、米国、日本、韓国などで調査を進め、少しでも可能性のあるルートは徹底的に調べ上げる方針。その後、政府主導の捜索作業に移る計画だ。

  北京のメディアは、頭蓋骨に関する情報を募集したところ、北京周口店遺跡博物館には21の情報が届いたと紹介。北京市房山区政府などは、価値のある手がかりについて関係部門と連携して捜索活動を進める。

  写真は、北京房山周口店文化広場で開催された「人類文明の火は燃え続ける」イベントのもよう。(編集担当:齋藤浩一)

【北京原人】/Beijing Yuanren

2005/07/04 中国情報局

 北京市郊外の房山区周口店で化石が発見された旧人類。スウェーデンの地質学者、ヨハン・アンダーソンが1921年から23年にかけて周口店で採取した動物の化石を1926年に整理していたところ、人類の歯と思われるものを発見。その後、周口店で発掘作業をおこなった中国人考古学者の裴文中が、1929年に完全な頭蓋骨化石を発見した。

 しかしその化石は、日中戦争の激化により、アメリカへ輸送する途中に紛失した。日本軍が途中で奪ったという説もある。

 中国では「1945年4月に台湾海峡で米潜水艦に撃沈された阿波丸に積まれていた」として、2004年に阿波丸引き上げの計画が発表されたが、その後の具体的な動きは報道されていない。

 北京原人が生息していたのは、50万−20万年前だとされる。旧学名は「シナントロプス・ペキネンシス」だったが分類が変更され、現在の学名は「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」となっている。

 なお現在の人類「ホモ・サピエンス」は、10数万年前にアフリカで発生して、全世界に広がったとされている。したがって、北京原人は現在の中国人の直接の祖先ではない。(編集担当:如月隼人)

北京原人、中国人の祖先ではない 雲南省の研究所

2005/01/16 The Sankei Shimbun

 北京原人は中国人の祖先でない−。中国雲南省の昆明動物研究所がこのほど、中国人の祖先はアフリカから移住したとの説を証明する研究結果を発表した。14日の華僑向け通信社、中国新聞は「北京原人は中国人の祖先か否か」の論争に決着をつけるものだと伝えた。

 同研究所は世界各国の男性1000人分の染色体を検査。中国人のほか日本人やモンゴル人ら東アジアの男性の染色体は、生粋のアフリカ人が有する染色体と特徴が一致したという。

 また、中国人の祖先は約6万年前にアフリカから中国南部に移住、その後北部へ分布していったとしている。

 北京原人がいたのは50万−20万年前とされるが、中国新聞によると、別の研究者も、北京原人の化石が発見された中国北部にある約10万−4万年前の地層から、異なる原人などの化石は一切出土していないと強調。北京原人とその子孫らは氷河期に死滅し、その後、アフリカから現代人の祖先が移住してきたとの説を主張している。

 北京原人は1929年に北京郊外の周口店遺跡で頭蓋(ずがい)骨の化石が発掘された。中国では、北京原人が中国人の祖先だとする原人研究者らと、祖先説を否定する生物・遺伝学者らとの間で論争が続いてきた。(共同)

北京原人

2005年01月16日 東奥日報

 1927年に北京郊外の周口店遺跡の発掘調査で現代人と異なる人の歯が出土。29年にほぼ完全な頭蓋(ずがい)骨の化石が発掘され、北京原人の存在が判明した。脳が入っている頭蓋腔の容積は900―1200ccで、現代人と猿人のほぼ中間の大きさ。生存していた時代は50万―20万年前とされる。37年まで発掘が行われ多数の化石が見つかったが、これらの資料は日中戦争の激化の中で、行方不明になった。中国科学院は昨年10月、周口店遺跡周辺で北京原人の再調査を始めた。(北京、共同)

北京原人の頭蓋骨搬送中?撃沈の「阿波丸」引き揚げへ

2004/10/09 読売新聞 Yomiuri On-Line

 【北京=佐伯聡士】中国国営新華社通信は9日、第2次大戦中に行方不明になった北京原人の頭蓋骨を捜索するために、中国福建省沖の海域で米潜水艦に撃沈された日本の船舶「阿波丸」を来年引き揚げる計画が進んでいると伝えた。

 引き揚げ計画は、地方政府と民間組織が共同設立した会社が実施する方向で調整が進んでいるという。

 北京原人の頭蓋骨は、保管していた北京から戦火を避けて米国に運ばれる途中、行方不明になったとされている。第2次大戦史の研究者によると、米国から提供された資料の中から、1996年、「不明になった北京原人の頭蓋骨は沈没した阿波丸にある可能性が高い」との情報を得たという。

 77年には1度、阿波丸の引き揚げが行われたが、当時の潜水技術に限界があり、発見には至らなかった。ただ、その際に、「満州国」指導者の官印などが見つかったことが、頭蓋骨が阿波丸の中にあるとする説の有力な傍証ともなっていた。

 一方、阿波丸は、1945年、旧日本軍が東南アジアから引き揚げる日本人を乗せて日本に向かう途中の4月1日、福建省牛山島東方の海域で、米潜水艦の魚雷攻撃により沈没した。

中国で166万年前の石器発見…東アジアで最古

2004/10/03 読売新聞 Yomiuri On-Line

 東アジアで最古の石器が、約166万年前とみられる中国の地層から見つかった。従来の記録を約30万年さかのぼる。アフリカで誕生した人類が西アジアに進出したのは約180万年前とされるが、東洋にまで早期に進出していた可能性を裏付ける成果といえそうだ。

 中国科学院などの研究チームが、英科学誌ネイチャー最新号に発表した。

 発見場所は、北京の東百数十キロ・メートル。多数の石器とともに、石器で砕いて骨髄を取り出した痕跡が残る哺乳(ほにゅう)類の骨なども見つかった。

 地層の年代から、約166万年前から30万年以上、この地域で人類が生活していた可能性が高いという。当時は、衣服もなく火も使いこなせなかったとされるが、研究チームは地球の温暖化が進んだ時期のため、高緯度地方へも進出できたのだろうと見ている。

 東アジアでは、年代が不明なジャワ原人の化石が、アフリカの180万年前ごろの人類に近い歯やアゴなどの特徴をもち、ほぼ同時代のものと見られている。しかし、年代のわかる証拠はこれまで、今回と同地域で見つかった約135万年前の石器が最古だった。

北京:北京原人の頭骨を初公開、一部は日本に?

2004/10/02 中国情報局

 北京市周口店の「北京人遺跡博物館」で30日、北京原人の頭骨化石が初めて一般公開された。輸送は公安局の爆弾処理班が担当するほどの厳重な警戒だった。公開は10月14日まで。1日付で中国新聞社が伝えた。

 北京原人の頭骨で、現在も残っており公開されたのは頭頂の手のひらほどの大きさの部分。1966年5月4日に発見されて以来、北京にある中央科学院に保管されていた。日本で展示されたことはあったが、中国国内では初めて。

 今回の公開は、同博物館の成立50周年を記念するためのもの。また、「一片の骨に450万元の保険がかけられた」ということも話題に上った。平安保険公司が引き受けている。

 中国科学院の古代脊椎動物・古代人研究所の高星・副所長は「1929年から36年の間に、5つの完全体、比較的状態の良い頭骨化石が見つかっている。しかし、日中戦争の混乱期にすべて行方不明になった」と語った。

 北京原人の化石の行方に関しては、さまざまな説がある。日本人が持ち帰ったという見方もある。高・副所長は「日本の学術団体が保管している可能性も、排除はできない」としている。(編集担当:黒川真吾)

北京原人の頭蓋骨化石を初公開、周口店遺跡博物館

2003.09.22〜28 中国通信社

 (中国通信=東京)北京21日発新華社電によると、中国国内で唯一保存されている50万年前の北京原人(シナントロプス)の頭蓋骨(前頭骨)化石が同日から初めて北京の周口店北京原人遺跡博物館で公開展示されている。

 周口店北京原人遺跡は北京市西南部の房山区にある。1929年12月2日、50万年前の北京原人の頭蓋骨が初めて出土し、国際的に注目された。61年3月4日、遺跡は国務院から第1次全国重点保護文物に指定され、87年12月11日にはユネスコから世界文化遺産に指定された。

 中国科学院古脊椎動物・古人類研究所の朱敏・所長によると、遺跡は27年から正式に発掘が行われ、37年までに5つの完全あるいは比較的完全な頭蓋骨が出土した。しかし、第2次世界大戦中、スウェーデンの研究室にある3本の歯以外、すべて行方不明となり、いまも分かっていない。新中国成立の49年から発掘作業が再開され、40体の北京原人の化石資料と10万点余りの石器、多数の火を使った跡および大量の脊椎動物の化石が出土した。

 今回展示された頭蓋骨化石は66年に中国の著名な古人類学者、裴文中氏が中心になって発掘したもので、国内に保存されている唯一のものであり、行方不明の頭蓋骨化石と同時代のものである。大きさは手の平より少し大きい程度だが、他が代わることのできない学術的価値と重要な影響力があり、発見からこれまで国内で公開展示されたことがなく、ごく少数の専門家しか目にしていない。

 専門家によると、この化石が見つかった場所は遺跡の南で、34年に見つかった場所から遠くない。発掘作業は66年3月15日から始まり、7月4日に終わった。3カ月余りで頭蓋骨1つ、歯1本、石器173点、火を使った跡と動物化石が多数見つかった。うち頭蓋骨の前頭骨部分は5月5日、後頭骨部分は5月4日に見つかった。この2つとも中国科学院が保管しており、国内の北京原人の頭蓋骨化石はこれだけ。

 興味深いのは、66年に発掘された頭蓋骨の一部と34年および36年に見つかった第5号頭骨の2つの側頭骨と合わせると、ほぼ1つの完全な頭蓋骨となることで、1体の原人のものであることを示している。これは中年男性の頭骨で、脳の大きさが約1140ミリリットルあり、北京原人の典型的特徴を備えている。

 中国科学院院士(会員)で、著名な古人類学者の呉新智氏は「周口店北京原人遺跡は国際的研究の最前線にあり、古人類学、旧石器時代考古学、第4紀地質学の研究に新たな発展の契機をもらしている。人類の起源、進化、文化的発展の一層の研究は周口店と切り離すことができない」と語った。

 今回、公開展示されたのは前頭骨化石だけで、展示期間は来月7日まで。化石の安全を確保するため、主催者は厳重な警備体制をとっている。


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