こころにやすらぎを こころに楽しみと喜びとを!

好きな詩吟をうたいながらわいわいがやがや。。。。。

面白く 楽しく をモットーにに集まってます


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詩吟は・・詩(言葉)に節をつけ歌うのではなく
一つの言葉(子音)を読み切って、
詩吟独特の揺り(を母音で)を加えます
歌を歌うのと違って言葉の一字一字に節をつけない
揺り・・・旋律・節調・節・節回し
※言葉にはアクセント・イントネーション

声って
声ってどうして出るの①
声ってどうして出るの②
腹式呼吸って
五線譜をなぞるだけ
基本形
漢詩って
一歩リード
無声音とは
H26本部研修会範吟「寒梅(新島襄)」吟詠:塩路澄誠 
28年度指導者 級準師範優勝 「春望(杜甫)」吟:澤田千鶴香
28年度指導者級 師範以上 吟士権者  「過零丁洋(文天祥)」 吟:玉越律子 

高音域での呼気圧は大切で、フルパワーボイスをしっかりと出すこと、
声門閉鎖で、しっかりと換声点を行き来するトレーニングで手抜きせずに、
しっかり汗を掻くことで喉のコントロールは確かなものになってきます


(しおじ先生)

コロナに負けない!! 池田哲星先生より
井戸 清明  「自宅で復習」 井戸 清明  「自宅で復習」 其の一

 男の着物の着方
ミニ 構成吟
西郷隆盛
  上野公園に立っている西郷隆盛の銅像は、誰しも知っていることでしょう。  
太い眉にギョロリとした大きな目をして、

短い絣の着物を着、犬を曳いている例の銅像です。

日本の歴史にあって、英雄・豪傑と称される人物は少なくありませんが、

分けても明治維新の動乱時期にはそうした人物が多く世に出ました。

それから今日に至るおよそ百年、時代の風雪を

凌いで、ますます徳望を慕われるのは、西郷隆盛ではないでしょうか。

英雄と言われた西郷隆盛が幕末の激浪を乗り切ったあと、

一転して悲劇へと至った軌跡を漢詩によって辿ってみましょう。

青年南州二十七歳、内憂外患の時、

自分の行く道を悩み求める西郷、

しかし、その反面、大いにその活眼を開いた頃、

日本の将来を考え、人生の抱負を述べた詩があった。


 書懐
 一葦わずかに西すれば 
 大陸に通ず
 鴨緑送る処 崑崙迎う
 秋草漸く老いて
 馬晨に嘶き
 天際雲無く 地は茫々
 嗚呼予二十七将に
 一生の半ばを終わらんとす
 肺肝其れ能く
 何れの処にか傾けん
 感じ来たって睥睨す 
 長風の外
 月は東洋より 
 西洋を照らす

鹿児島の南方海上には沖永良部島があります。

幕末の文久二年倒幕気分の高まる中で、

血気にはやる西郷南州の独断的行動は、藩主島津久光の怒りを買い、

この年の七月この沖永良部島へと流されました。

謹慎の身となった彼は、終日獄中に端座してその真心を詠んだのです。

  獄中感あり  
朝に恩遇を蒙り 夕に焚抗せらる
人生の浮沈 晦明に似たり
縦い光を回らさざるも
葵は日に向う
若し運開く無きも 意は誠を推す
洛陽のの知己 皆鬼と為り
南嶼の俘囚 独り生を窃む
生死何ぞ疑わん 天下の付与なるを
願わくは魂魄を留めて 
皇城を護らん

五十一歳の生涯の中で、人々に最もよく知られている西郷隆盛の活躍は

四十歳前後すなわち長州との倒幕連合を結んで王政復古を実現させ、

討幕軍の参謀として勝海舟との江戸開城交渉に臨んだころありましょう。

江戸百万の民を思い、無血開城を成功させた。

この二人の心を徳富蘇峰は次のように詠じています

両英雄  
 堂々たる錦牌 関東を圧す
 百万の死生 談笑の中
 群小は知らず 天下の計
 千秋相対す 両英雄


苦悩をつきぬけてもう揺るがぬ我が志、

英士すべて斃れ一生生き残る恥ずかしさ、

人に知らせるまでも無いが、

「児孫のために美田を買わず」と、だけ言って残そう。

西郷は、自分に私利私欲のないことを何度も公言しています。

家憲と人生観を新委託して・・・・・。

  偶感
 幾たびか辛酸を歴て 
 志始めて堅し
 丈夫玉砕するも
 甎全を恥ず
 我が家の遺法
 人知るや否や
 児孫の為に
 美田を買わず


思いおこせば十七年前、安政の大獄をのがれて、

鹿児島に身をひそめた西郷と僧月照は、進退きわまって、

満月の夜に錦江湾に舟を出し、

両人は相抱いて海に投じ、西郷は息を吹き返しましたが、

月照は帰らぬ人となったのです。

十七回忌の供養を終え自責の念にかられた

西郷の慟哭の詩です。

 亡友月照十七回忌辰の作
 
 相約して淵に投ず 後先無し
 
 豈図らんや波上 再生の縁
 
 頭を回らせば 十有余年の夢
 
 空しく幽明を隔てて 墓前に哭す


わずか一寸たりとも胸中にひそむ忠誠心は、

国の一大事には曇りの無い三尺の剣で示すであろう

それよりも見せかけの忠誠心でへつらっている者どもを、

我輩の拳で張り飛ばしてやろう。

血気盛んな西郷隆盛の胸中を詠じた詩を紹介しましょう。

偶成

 大声酒を呼んで
 高楼に坐す
 豪気呑まんと欲す
 五大州
 一寸の丹心
 三尺の剣
 拳を握って先ず試みん
 侫人の頭

征韓論が入れられず鹿児島に帰った西郷は、

自然の中で「若い者を純粋に育てよう」と、

私学校を創設して子弟を教育し、国家有事の際に備えました。

その頃、佐賀の乱、熊本の新風連の乱、

長州の前原一誠の萩の乱などが

相次いだため、政府は南州の動向に対して深く警戒し、

薩摩出身の警部らにその身辺の探索を命じました。

その間、南州暗殺の噂さえ立つに至ったので、

私学校生徒は大いに憤激して、明治十年二月、

南州を擁して兵を挙げ西南戦争へと発展していったのです。

征韓論炸裂後、西郷に従い西南戦争で西郷と共に戦った

多感な青年、佐々友房の戦争の激しさと無残な敗北、

敗残の恨みと無念を詠んだ詩をお聞きください



     西南の役陣中の作

 大声は戦ぼうを撲ち風沙を捲く
 
 江山十里 両三家

 壮図一蹶 窮まり無きの恨み

 馬を断橋に立てて 落花を見る


戦いを起こして交戦すること八ヶ月、

明治十年九月一日ついに官軍に破れた西郷と

一心同体となった三百余人の決死隊は、囲みを突破して鹿児島に戻り

そして城山の背後に陣をかまえ、岩崎谷の洞窟にこもり、

静かな一時を過ごすのでした。

その頃の、心境を詠じた和歌と、漢詩二題を続けてお聞きください。

   和歌

 君のため 
  いそしみつくせ 
  国のため
 こころはげめよ 
  武夫の道

     岩崎谷の洞窟に題す

 百選功なし
 半歳のの間
 主邱幸に
 家山に返るを得たり
 笑う儂死に向として
 先客の如く
 尽日洞中
 棋響静かなリ

明治十年九月二十四日午前四時、政府軍は一斉に攻撃を始めました。

腹心が次々に斃れ、西郷も二発の銃弾を腰に受け歩行不能となり、

もうこれまでと覚悟した西郷は、「晋どん、ここらでもうよかろう」と、

大地にどっかり座り、はるかに皇居をふし拝み、ただ一人残る腹心、

別府晋介の介錯で自刃しました。

ここに西郷南州五十一年の生涯は、露と消えたのです。

これを詠んだ西道僊の「城山」を力強く詠じていただきましょう。

城山
 孤軍奮闘 囲を破って還る

 一百の里程 塁壁の間
 
 我が剣は既に摧れ 
 
 吾が馬は斃る

 秋風骨を埋む 故郷の山


さあ 皆さん今日の吉之助どうでしたか。

「大和心」の余韻にしたりながら

会場の皆様と共に構成吟「西郷隆盛」を終わりたいと思います