世界文化遺産「厳島神社」支援チャリティー歴史フォーラム

「清盛と義経」を語る

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「静の舞」を踊る、松若寿雅晴です

松若雅優由社中の写真です 対談風景の写真です 山下廿日市市長の写真です

平成17年7月3日(日)14時より、宮島ホテル「まこと」大ホールにおいて「清盛と義経」を語ると題して、元広島県立大学教授の田中昭男氏と作家の見延典子氏の対談が行われました。主催はNPO法人ひろしま生涯教育研究所、NPO法人ひろしま女性NPOセンター未来が主催で昨年の台風で大きな被害が出た厳島神社復興のチャリティとして開催されました。

今年は、NHK大河ドラマも「義経」。源氏と平家が注目を集めています。平家と言えば清盛、清盛と言えば厳島神社。宮島の地での源氏と平家の対談を聞こうと、当日は朝からの強い雨であったにも関わらず 定刻には300席の会場が満席となり、熱気であふれていました。

対談の内容は、平家方を見延先生が、源氏方を田中先生が語られ、義経を中心にあっという間の一時間でした。私ども松若雅優由会も不思議なご縁を頂き、松若寿雅晴が「静の舞」(しずかのまい)を、宮島教室の松若寿雅響が「天翔の舞」を、木村繁子、木坂竹子、佐伯恵美子が「城」を踊らせていただきました。平家の島で源氏に縁の「静の舞」を踊ると言うことで、東京の宗家の許に何度も通い稽古を付けて頂き、練習を重ねてまいりました。当日は平家一門の御魂の供養になればと精一杯心を込めて踊らせて頂くことが出来ました。


【 静の舞 】

静御前は当代名うての白拍子で、義経との悲恋はよく知られています。
若き武将と美しい白拍子との出遇いは劇的であり、 また悲劇的でもありました。

義経は平家征討に活躍し、都での評判が高まるにつれ、兄頼朝とは不和が次第に深まり
鎌倉ではついに義経追討の議が決せられます。
京都にいた義経は鎌倉方の土佐房昌俊らに堀川の館を夜討されましたが、
静の機転により危うく西国へ逃れます。

そののち静は雪深い吉野山に義経と行き別れます。
やがて捕われ、義経捜査の為、鎌倉へ送られてきた静は、八幡宮の神前に舞を奉納することとなります。
文治2年(1186)4月8日のことでした。

『吾妻鏡』は「誠に社壇壮観、梁塵もほとほと動つべし、上下皆興感を催す」
その感動ぶりを伝えています。
静は頼朝が期待していた関東の繁栄を寿ぐ祝儀舞に反して義経との別れの曲を舞うのでした。

 吉野山峰の白雪踏みわけて
 入りにし人のあとぞ恋しき
 静や静しずのおだ巻きくり返し
 昔を今になすよしもがな


感動を引き破る頼朝の冷厳な態度に政子は「夫を慕う本心を形にして幽玄である」と訴えたのでした。
『吾妻鏡』は頼朝が卯の花襲の衣を褒美にそっと差出した事を記してこの出来事を締めくくっています。

現在も毎年4月上旬の日曜日、舞殿で日本舞踊家による“静の舞”が奉納されており、往時が偲ばれます。


【出典】鶴岡八幡宮ホームページ http://www.hachimangu.or.jp/about/lineage/index.html


「静の舞」の4つの場面です      


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