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2006年4月23日 「ありがとう25周年 松若雅優由感謝の集い」にて
左側:松若 雅優由、有田一彦廿日市市議会議長、山下三郎廿日市市長、
松若寿恵由宗家、清水八千代様、谷口雅子様
右側:松若 雅優由、藤田博之広島市議会議長、松若寿恵由宗家、大片輝之様
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このたび、4月23日に「ありがとう25周年 松若雅優由会感謝の集い」に 宗家様はじめ、多数のご来賓のご臨席を賜りまして、盛大に開催することができました。 松若雅優由社中一同、大変喜んでおります。 一言で25周年と申しましても、発会当時、子供だった生徒さんが、成人、結婚、出産をして、 その子供がまたお稽古に来ると言うように世代交代が進む長い歳月でございます。 その間には、松若雅優由会にも大きな波と節が何度も訪れましたが、おかげさまで乗り越えて参りました。 今日があるのも、宗家様はじめ、流派の皆様、地域の皆様に支えて頂いたからと一同感謝しております。 その感謝の気持ちを「ありがとう」と言う言葉に込めて、今回皆様と共に喜びを分かち合うことが 出来ました。そして明日からも、「ありがとう」の気持ちを常に心に持って、より一層の精進を 積ませて頂く所存です。 今後とも何卒、松若雅優由会をよろしくお願い申し上げます。
前日までの雨も上がり、好天に恵まれた朝を迎え、リーガロイヤルホテル広島には9時に到着。 早速名取りの皆さんと受付の設営を行っている間に、続々と花が届き、華やかな雰囲気に 包まれて来ました。
会場入口を彩る花の数々
会場入り口に飾られた会員一同からのお祝い。「鳥獣戯画」の絵柄の帯と着物一式。
受付の準備と並行して、ホテルのスタッフの方と司会進行の打合せを行いました。 この日の会場責任者の西原さん、音響担当の森田さんと、進行台本を見ながら全体の流れと 音出しのタイミングと照明の確認を行いました。 開場の11:30よりもかなり早くから、既に多くの方々がお見えになったので、受付を済ませた方で 入り口近辺はかなり賑わっていました。着物を来た女性がほとんどだったので、隣の会場の方も 何事だろうと思われたようです。特に、宗家が到着の際には、会員一同が両側にずらりと整列し、 その間を堂々と歩いて入られる姿は大変威厳がありました。
受付風景
開宴に先立って司会者より、会の発足当時より多大なるご支援を頂いた元後援会長の津江義美さんが、 4月19日にお亡くなりになったことをお知らせしました。長らく入院されていたので、今回の会にも 欠席のご予定でしたが、きっと会場にもお越し頂けたものと存じます。 定刻の12:00になり、名取の皆さんによる祝儀舞「寿」、「松の緑」で開宴しました。 続けて、松若寿雅知さんによる開会の辞で松若雅優由会の今日までの歩みを読み上げられました。 ずっと支え続けて下さった、松若寿雅知さんの言葉だけに、当時を知る会員の方の目に涙も浮かんでいました。 続いて、ご来賓の紹介をさせていただきました。 広島市長 秋葉忠利様、廿日市市長 山下三郎様、広島市議会議長 藤田博之様、 広島県議会議員 冨永健三様、広島市議会議員 児玉光禎様、廿日市市議会議長 有田一彦様、 廿日市市議会議員 中山 薫様、廿日市市文化協会副会長 重本繁行様、 廿日市市文化協会副会長・佐伯支部長 名越 積様、五日市商工会会長・後援会会長 三島正義様 皆様には、大変お忙しい中ご臨席いただき、大変光栄に存じております。 広島市長 秋葉忠利様、廿日市市長 山下三郎様、広島市議会議長 藤田博之様、の3名様にはお祝辞で 過分なるお言葉を頂戴いたしました。 更に、松若寿恵由宗家よりお祝いのお言葉をいただき、松若雅優由から宗家に感謝の花束を送らせて 頂きました。続いて後援会会長 三島正義様から出席の皆様にご挨拶がありました。
続いて、賀堂流師範 石澤賀笙翠様の詩吟、都山流師範 伊藤酣山様の尺八による、 お祝い吟「松竹梅」に耳を傾けた後、松若雅優由からのご挨拶と「七福神」をごらん頂きました。 松若雅優由は、七福神が大好きで、自宅には七福神のコレクションがあふれています。 以前からいつか七福神を踊りたいと思っていた所、今回夢が実現いたしました。
式典は約1時間で予定通り終了し、続いてパーティに移りました。まずは、乾杯です。 リーガロイヤルホテル広島のご厚意で、お祝いに乾杯用のシャンペンをご提供頂きました。 ありがとうございました。シャンペンが出席者のグラスに注がれた所で、広島松若会の重鎮である 松若寿恵亮 宗師範の発声で乾杯をいたしました。 ここからしばらくは料理をゆっくり味わって頂く予定でしたが、次の出番の子供達が着物のままでは 落ち着いて食事が出来ないと言うことで急遽予定を変更して、すぐに雅会Jr.の出番となりました。 詳しくは子供教室のページをご覧下さい。 続いて、記念品・花の贈呈を行ってから、歓談の時間となりました。
食事が終わってから、これまでに700曲近く踊ってきた中から、特に松若雅優由の 心に残る曲6曲を司会が説明しながら、各教室の皆さんが踊りました。
1.「祝い船」 ♪いまは名もない船だけど、いつかなります宝船 今日はめでたい希望の船出 夢の帆柱 天までとどけ、舵を明日へ祝い船 名取披露目の会は、この曲で幕を開けました。3番の歌詞を自分の心に刻み付け 毎日毎日稽古にはげみ、元気で今日まで頑張ることが出来ました。 ありがとうございました。 2.「想夫恋舞扇」 五周年記念発表会に、五日市在住の新田得二郎先生が作詞作曲して下さいました。 この曲は、私が前に向いて生きて行く為の力となり、今は雅優由会の課題曲として、 生徒さん達全員が踊っています。 ♪かざす扇の松絵の中に あなたのお顔がまた浮かぶ 心配はしないでいいの 残る子供を抱きしめて 強くやさしく生きるから 三人の子供がやさしく見守ってくれました。長男は司会者等諸々に協力してくれ、 長女、次女は私についてきてくれ、寿雅広、寿雅晴と名をいただき、一緒に がんばっております。ありがとうございました。 3.「仙寿鶴の舞」 ♪鶴の巣入り、いとしやな 抱いて温めて祈りをこめて ひなを育てる親心 忘れますまい真心伝えて 千代に八千代に、千代に八千代に 歌詞の心をかみしめて、八周年末広記念の会では、宗家様への感謝の気持ちを込めて 名取さんと一緒に踊らせていただきました。 ありがとうございました。 4.「祝賀の宴」 ♪縁と言う名の紅い糸 絆と言う名の白い糸 相生結び おしどり結び 月日が経つほどほどけない 千代に八千代に幸せかけて 交わす杯 祝賀の宴 松若流宗家様とのご縁も、全国・広島松若会の仲間の皆様とのご縁も、今までに出会った 生徒さんはじめ、お世話になった皆々様とのご縁も、余程強い見えない糸で結ばれている のでしょう。大切に大事に育てようと思いました。二十周年を祝う会で踊らせて頂きました。 ありがとうございました。 5.「舞人生」 ♪一、命ひとすじ一つの夢に 賭けてきました幸せでした 花も実もある舞人生 極めても、極めても 追えば逃げ水 空の青さが身にしみる ♪二、一人かくれてさめざめ泣いた くやし涙を礎にして 花も実もある舞人生 祈るほどこころさえざえ澄み渡る 風の姿に似た さだめ 松若流の名をいただいてから、ずっと私を支え育てて下さり、一緒に舞人生を歩んで来ました、 平均年齢83歳の皆さんが踊ります。今では寿雅広も代稽古で可愛がっていただき、 共に頑張っておられます。これからも、心豊かに健康に気をつけて一緒に舞人生を生きて行きましょう。 ありがとうございました。 6.「夕鶴の舞」 ♪春爛漫の夕映えを 翼をうけて群れ遊ぶ 変わらぬ時代に幾年の 長寿を目出て鶴は舞う ああ鶴は舞う 神の島宮島に稽古に入らせていただき早十五年が過ぎました。厳島神社が世界遺産になって 十年目、大願寺に護摩堂の再建と不動明王の大仏が建立され、大聖院が千二百年を迎え、 合併により佐伯郡宮島町から廿日市市となるなど、色々な変化がありました。 そのような中、いつも変わらずやさしく温かい心で接して頂き、稽古に励んで下さった 皆さんが踊ります。ありがとうございました。
宮島の皆さんが踊り終わった所で、大願寺の平山様よりお祝辞をいただきました。 宮島の素晴らしさもしっかりとPRしていただき、また行きたくなりました。 最後は松若寿雅晴の踊る、「静の舞」です。幽玄な雰囲気の中、情感を込めて舞わせていただきました。 松若雅優由からの挨拶の後、お開きとさせていただきました。
この度、リーガロイヤルホテル広島で開催された「ありがとう25周年 松若雅優由会感謝の集い」は 今あらためて振り返ってみると、目に見えない導きがあって、開催を許されたしか考えられません。 日程にしても、場所にしても、この日のここしかないと言う形で決定しました。 もともと、この日に計画をしていたのですが、様々な問題があって、計画が二転三転したものの 結局当初の計画案で開催することになりました。そうなると、準備期間が短かく、ご来賓への案内等が 果たして間に合うのかと心配されましたが、何とか間に合いました。 リーガロイヤルホテル広島の木村様には打ち合わせ段階から大変お世話になり、当日は西原様、森田様はじめ 多くのスタッフの方々のすばらしいサービスのお陰で、無事終えることが出来ました。 急な予定変更や要望にもしっかりと応えて頂いた姿に、一流と呼ばれるホテルの行き届いた訓練を 垣間見た気がします。あらためて感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。 このご縁も大切にしたいと思います。