まばたき三回
彼女は驚くとまばたきを三回する。
パチパチパチ。
その仕草があまりにも可愛くて、俺はわざと彼女を驚かせてしまう。
しかし、今、目の前にいる彼女は微動だにしなかった。
!? これはどういう……。
と、思考が中途半端に途切れる。
左頬を思いっきり平手打ちされてしまった。
頭の中がぐわんぐわん。
思考もぐわんぐわん。
「何言ってんの? 冗談?」
見開かれた目。確かに、本気ではなかった。
そして、もしかして……もしかしなくても、かなり怒ってる。
この時、俺は彼女が怒るとまばたきをしなくなるのを知った。
で、あれから彼女と会っていない。
いや、会えないでいる。
会うのがとてつもなく怖いのだ。
引導を渡されたら……。
怖い時、人はそれを紛らわすために不自然にしゃべりまくる。
実はこれも彼女を怒らせてから初めて知った。
俺ってこんな情けない人間だったっけ?
ざわざわした居酒屋の一画。
みんな来週からの大型連休の予定を話し合って楽しげだ。
俺の心はアラスカ大地のように凍っているというのに……。
どうすれはこの永久凍土から抜けられる?
隣に座っているのは闇鍋仲間の菊千代君。
上品に梅酒のオン・ザ・ロックを啜ってる。
こいつは自分家でも梅酒を飲んでなかったか。
「菊千代君よぉ、女の怖さを知ってるか?」
「は?」
「……したためるんだ」
「何を?」
「思いの丈を……みっちりと……手紙に……」
「誰に?」
知ってて聞いてくる奴にイラッとして大きな声で怒鳴ってしまう。
「俺んにだよ!」
周りの陽気が一瞬停止し、すっと、またざわめきだした。
「それって怖いの」
「こえーよ。無言で渡されてみろよ」
「直に渡されたの?」
「いや……正確には送られてきた」
「じゃ、手紙で返事出せばいい」
「……」
「……書けないの?」
「書こうにも……そもそも手紙の内容って、俺の言動にあいつがどう感じたかと一つ一つ事細かに記してあっただけだかんなぁ〜」
「……ふーん……困ったね」
「だろ! 困んだろ! どう返事すりゃいいんだ! あやまりゃいいの? 『ごめん』でいいの? それで許してくれるの? 分かんねー! 俺ビックリしたよ。あいつ、まばたき三回する間に400字詰め原稿用紙20枚以上のこと考えてたんだ!」
「ぶっ。原稿用紙に書いてきたの?」
「……そうだよ」
そこで、俺はまだ口を付けていなかった生ビールを一気に飲み干した。
飲み終わると肩に菊千代君の手が置かれていた。
意味ありげな表情だ。
かすかに笑いが浮かんでないか。
「で? そもそも何て言って怒られたの? 書いてあったんでしょ」
うわっ。嫌な野郎。
ここまで言ってしまった手前、言わざるを得ない。
「ボソッ」
「あぁ〜っ?」
「だか〜ら……ボソッ」
「はっきり言ってよ、イツミちゃん」
「だ〜か〜ら、お婿に貰ってって!」
はずかしくて、俺は手のひらで顔を覆い隠した。
「それで怒られたの?」
「そうだよ」
「????? よく分からん?」
「あいつによるとだな。そう言うことは真面目な話なんだから決して冗談で言ってはいけないことなんだとさ。特におつき合いをしている仲なんだから軽々しく言ってはいけないことなんだとさ。慎重に扱うべき事柄なんだとさ」
「……それってちょっと重くね?」
「重い? ……いや。不思議とそうは感じなかった…と思う」
俺は、顎に手を添え、その時の自分を考察してみる。
「そうだな、何ツーか。興味深いっていうか」
「……」
「……勉強になりましたっていうか」
「イツミちゃ〜ん。それは普通『悩み』じゃなくて、『のろけ』って言うんだよ」
「そうか?」
「そうだよぉ〜。つまんないなぁ〜」
そう言って、菊千代君は、隣でまた梅酒をちびちびと飲み始める。
「『勉強になりました』って、言ったらさ、許してくれるよ」
「そうか?」
「そうだよぉ〜!」
そんなもんか?
でも……そう言われると、それが一番ぴったりな『答え』な気がしてきた。
『答え』が見つかった!
一気に気が晴れる。
「そっか。それじゃ、俺、今から行ってくるわ」
そう言い残し、俺分の勘定をテーブルにおいて、さっさと居酒屋を抜け出す。
菊千代君は、そんな俺を無視して梅酒をちびちび飲んでいる。
今度、菊千代君に、うまい梅酒をおごってやろう。