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なくした手袋



気付いたのは週明けの朝。

指先が冷たくて、即座にカバンの中に手をつっこんだ。
ところが、いつもそこにあるはずの手袋がない。
急がなくてはいけないにもかかわらず、カバンの中をひっくり返して探してみた。
見当たらない。
部屋に戻り、床に落ちてないか調べてみる。ないと知りつつ、ベットの下も覗いてみる。
やはりない。

どこにいったんだ?
時計を見ると、時間が迫っていた。
いいかげんに出かけなければ、バスに間に合わない。
仕方なく「行って来ます」と台所に向かって叫んでから走り出す。

バス停には、いつものように美帆が待っていた。
「おはよう」
「うっす」

美帆は、いつものように俺の隣にやってきて挨拶をする。
その間も俺の頭の中は、なくしてしまった手袋の在り処をフル回転で探っていた。
金曜の夕方までは自分の手にはめていた記憶はある。無くしたとしたらその後のはずだ。
途中で立寄った本屋だろうか? 本を手に取とうとして、邪魔だと思ったからはずした気もする。
バスの中かな? 暖房が効き過ぎててはずした気がする。
いや、土曜の塾の帰りに行ったスタバで無くしたのかも。一緒に行った池田の恋話でかなり盛り上がってしまって、テープルを良く見もせずに立ち去ってしまった。あの時、置き忘れたのかも知れない。
どっちにしろ、今どうこうすることはできないのだが……。

「……ねぇ」
「ん?」
「難しい顔してるよ。どうしたの」
「え?」

別に後ろめたいことをした訳でもないのに、どぎまぎしてしまった。

「え? いや。そんなことないけど」
「そう言えば、手袋してないね。忘れたの?」

美帆は、俺を良く見ている。
こいつと付き合い出して、そのことを、度々感じる。なんていうのかな。迂闊に嘘がつけないんだよな。
遠慮会釈もない俺が、二手も三手も先のことを考えて喋ることだってあるのだから。
だけど、こいつを見方にすると、心強くて安心できるのもまた事実なのだ。
そんな訳で、今のところ、とても上手くいっている。

「そう。どっかいったみたいなんだ」
「探してみたの?」
「いや、まだ。気付いたの今朝だから」
「心当たりは?」
「……あるような、ないような」
「なんなのよ。それは」
「うーん。まーちょっと探してみるよ」
「そんなに気落ちするほど大切なものなの?」
「そんな風にみえるかな。俺」
「うん。何だか振られたみたいな顔してる」

胸の奥がきゅっと締め付けられたような感じがした。
動揺が顔に表れないようにするのに必死だった。
さり気なさを装いながら、なるべく顔を見られないようにそらす。
俺の顔は正直だから上手くいったか自信はない。
下車までの時間がとても長く感じられた。

あの手袋は、俺がこの街にやって来る前。美帆とつき合うことになるずっと前。
当時つき合ってた女の子から貰ったものだった。
初めてつき合った子だけど、互いに『好き』って言い合った覚えもなかった。本当に、自然に始まった感じの二人だった。
何となく一緒にいて、何となく一緒に帰って。
だけど、互いが互いの気持ちをよく理解しあっていたと思う。喧嘩なんてしたこともなかった。
そして、そんな感じだから、俺が転校することになっても、「それはそれでしようがない」と自然にそう思ってしまっていた。決して、冷めているのではなくて、幼い割に、とても穏やかな関係だったんだ。

家、本屋、バス、塾、スタバ、その他諸々。
いろいろ探してみたけれど、結局あの手袋は出てこなかった。
先週まではあったんだよな。
真新しさは消えてしまっていたけれど、この手に確実にしていたのだ。
今でもあの手袋を渡された時のことをはっきりと覚えている。

でも……。

あの手袋が無くなってしまったら、自分はこの記憶を覚えていられる自信がなかった。
もしかしたら、そんな事実なんて本当はなかったのかも知れない。
あの子のことも思い違いだったのかも知れない。
そんな風に思えてしまうようになるのではないだろうか。

転校してからは、連絡も取らなかった。
そのまま新しい彼女とつき合って、自分は成長してきたのだ。これから先もそうだろう。
あの時、あの子は泣きながら、「来年はこの手袋をしてね」と渡してくれた。
あの子は渡すことによって、自分との関係に区切りをつけたのかもしれなかった。
でも、自分は記憶という繋がりが、二人の間に一生ありつづけるのだと思ってしまったのだ。

あの手袋さえあれば……。


++++++


「少しは元気が出てきた?」
「……」
俺と美帆は、バスの一番後ろの座席でゆらゆら揺られていた。
バスの中は珍しく人気がない。

「ずいぶんと一生懸命に探してたね」
「……」
「大事なものだったんだね」
美帆の言葉が引き金になった。鼻の奥がつんとして、とたんに目頭が熱くなる。目もとを手で押さえて、美帆から顔をそらす。みっともないぞ、俺。
「……うっ」
「泣いたら?」
「……っぐ」
「しっかり、泣きなよ」

「……お前は……俺のことが良く……分かってんな」
「ふふっ。あんたのね、馬鹿が付くくらい正直なトコが魅力的過ぎて、目が離せないのよ」
「ふふっ。何いってんのさ。……そうだよ。すっごく大事だったんだよ。大切な思い出だったんだよ。」
「……」
「その思い出まで……俺、なくしてしまうよ」
「……なくならないわよ」
「なんで……そう思うんだよ?」
「あたしが、覚えてるから。あんたが大泣きしたこと。あたしがしっかり覚えてるから」
「……」
「いつでも言ってあげるわよ。手袋なくして大泣きしたって」


何てことを言い出すのだ。泣きながら、笑いが込み上げてきた。
「…………恥ずかしいからさ、やっぱり言わなくていいよ」
美帆は、そう?と片眉を上げる。

そうして、二人はしばらく笑い続けていたのだった。