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指先の告白



「あちー」

もう、何度その言葉を聞いたろうか……。
縁先に腰を下ろして、おっきな氷の固まりがはいった『たらい』に足を突っ込んで、わたしとヒロ兄さんは寝転がっていた。
でも、その恩恵が頭まで上がってこない。何故だろうか……。

氷は、二階建ての、米倉で、物置で、車庫にもなっている大きな倉庫にあった、これまた大きな冷凍庫で作られていたもの。ヒロ兄さんが取ってきた。
「一つぐらい無くなっても、この家で怒るような人はいないよ」
それもそうなんだけど…わたしどもは一応客人なんだから、少しは遠慮が必要かと思ったりする。もう、子供でもない…。
田舎に住んでいる人は、変に心が広い。変に心が狭いときもあるんけど…。
そして、田舎にあるものは、まちなかのものに比べ、色々なもののサイズが、ひとまわり大きい気がする。
この氷だって10センチ角。なかなか溶けないから、ありがたいのだけれど、限度ってものがあると思う。

わたしの父さんは、この家の主であるおじさんの弟で、ヒロ兄さんの母さんは、おじさんのお姉さんで…わたしとヒロ兄さんはいとこ同士。

父さんの兄弟は8人もいる。年も一番上と下では一回り以上違う。
さすが古い人は子沢山だなと思う。もちろん、そうなると『いとこ』も沢山いる。
毎年、お盆前になると父さんの兄弟達がこの家に集まってきていた。
そして、親にくっついて、沢山のいとこ達が集まってきていた。修学旅行みたいだった。

それも、最近では年長のいとこ達に中には、家を出てしまう者や嫁に行っちゃうもの者もいて、この時期に、ここに顔見せるものも半分くらいになったと思う。おじさんもそろそろ家督を息子の『はっちゃん』に譲ると親類縁者に話しているらしい。

ヒロ兄さんは、今年四大を卒業して、社会人になったんだよね。
…仕事で転勤なんかしたら、この家とも疎遠になっちゃうんだろうか。
そして、お嫁さんなんか貰っちゃうんだろうか。

「おい」

見上げると、ヒロ兄さんがソーダーバーを差し出してきた。
いつの間に取りに行ってんだろう…わたし暑さで相当、気が遠くなっていたのねぇ。

「ありがとう、ヒロ兄さん」と、わたしは、起きあがってそれを受け取る。

受け取ったときには、熱された空気で表面が溶けつつあった。
落ちてしまいそうな部分を集中的に舌先ですくい上げる。
甘い! 冷たい!

「うぅ。生き返りますぅ〜」

ヒロ兄さんは、既に食べ終わってしまっていて、名残惜しそうにバーを口に差し込んで上下にさせていた。
『たらい』の中にはわたしの貧相な足とヒロ兄さんの骨張った足が差し込まれている。昔は大して変わらなかったんだけどなぁ。むしろ、わたしの方が黒く日に焼けていたはず。

背中に何か触れた気がした。んん?

「なに? ヒロ兄さん」
「いま、何て書いたか分かる?」
「…もう一回書いてみてよ」
「慣れてるだろ?」
わたしは口を尖らせる。
「久しぶりだもの。勘が鈍ってる。暑いし…」
「…最後は余計」

子供の頃とは少し違うしっかりした指先が背中をうごく。

「ひ」

「ろ」

一文字…一文字…。

「き」

いとこ同士の簡単にできる遊びだった。互いにの背中に文字を書いてそれを言い当てる。
一番多く当てた人は、おやつを多く貰うことができた。

「は」

「あ」

「き」

「が」

そこまできて、思わず息を呑んでしまった。
次の文字が、背中をくすぐる。
しかし、その文字をなかなか口に出せなかった。

「な、な、な…」
「『な』じゃないぞ」

間髪入れず、後ろから声がした。
こ、この男(ひと)は!
思わず、顔を真っ赤にしたまま、後ろをゆっくりと振り向いた。
ニンマリとしたヒロ兄さんの顔が見えた。
ぱっと、顔をもとに戻し、目をぎゅっとつむったまま背を丸め、体を硬くした。手はいつの間にか膝の上で握り拳になっている。そして、か細く声に出した。

「す」

「そ。じゃ、次」

何事もなかったかのように、指先がすらすらと次の文字を書く。
背中から変な汗が噴き出しそうだった。

今度は振り向けなかった。暑いのに、とても暑いのに。
でも、それは外ではなく、体の中から吹き出してきそうな「あつさ」で。汗も、冷や汗の類のような気がする。
ヒロ兄さんは、わたしをからかっているのかしら? あまりに暑いから、正しい考えができなくなっているのかしら? 
頭に疑問符ばかりが浮いてくる。

「次は?」

声は後ろからしていなかった。顔の真横から聞こえた。

「…ヒロ兄さん…本気なんでしょうか? からかっていらっしゃるのでしょうか?」

ちらっと横を見ると、ヒロ兄さんが破顔一笑しているのが見えた。

「大真面目だ」
「転勤とかなさらないの?」
「何で転勤なんだ?」
「嫁とか貰われないの?」
「いつ俺は結婚することになったんだ?」
「…」
「おまえ、熱中症にでもなったのか? まー、面倒みてやらんこともないが…」

「…最後は、『き』でしょうか?」

ヒロ兄さんの整った唇が、ゆっくりと近づいて……。