詩吟で笑顔 心が和みます

一品二魄三節四声

一に品格、二に魄迫、三に節調、四に声力

詩吟の奥義である品格を求めて、謙虚に日々生きて行こうと思う今日この頃であります



こころにやすらぎを こころに楽しみと喜びとを!

好きな詩吟をうたいながらわいわいがやがや。。。。。

面白く 楽しく をモットーにに集まってます

ヘッドボイスについて
ヘッドボイスとは息漏れのしない裏声のことです。柔らかく膨らみのある声になります。
声楽や洋楽のソプラノ歌手の音域です。
詩吟の音域では(ドミソ)の高音域です。
ヘッドボイスとは頭に響かせる音のことをいいます。(福田旭芯)

構成吟
西郷どん
 

〈ナレーション〉

西郷(さいごう)隆盛(たかもり)薩摩(さつま)鍛治屋(かじや)(ちょう)下級(かきゅう)武士(ぶし)として()まれた。

生来(せいらい)すこぶる明朗(めいろう)豪胆(ごうたん)性格(せいかく)

十八歳にして農政(のうせい)(つかさど)るまでに(いた)った。

その後、藩主(はんしゅ)(なり)(あきら)()いだされ、

江戸(えど)藩邸(はんてい)(つと)めることとなった。

時に安政(あんせい)元年、西郷(さいごう)二十八歳の(はる)であった、

(今様)大和(やまと)(ごころ)  鈴木渓月

(はな)桜木(さくらぎ) (ひと)武士(ぶし)

薩摩(さつま)隼人(はやと)(かい)男児(だんじ)

()ゆる血潮(ちしお)に ふるい()

大和(やまと)(ごころ)吉之助(きちのすけ)

(和歌)()(むね)の  平野國臣

()(むね)の ()ゆる(おも)いに くらぶれば(けむり)(うす)桜島山(さくらじまやま)

(吟)(しょ)(かい)A  西郷(さいごう)南洲(なんしゅう)

あゝ予二十七歳 (まさ)一生(いっしょう)(なか)ばを ()わらんとす

肺肝(はいかん) 其れ()()く (いず)れの(ところ)にか(かたむ)けん

(かん)()たって脾睨(へいげい)す 長風(ちょうふう)(ほか)

(つき)東洋(とうよう)より 西洋(せいよう)()らす

Aあゝ西郷どん

〈ナレーション〉

西郷が常に敬意しやまなかった藩主斉彬の他界は

彼を悲嘆の渕に陥れ、殉死をも決意するほどであったが

僧月照諭されて思い止まったが

安政五年十一月十五日夜半、

国事を憂い、明日の望みも絶たれ

二人は錦江湾へその身を沈めた。

しかし西郷のみ生還したものの、

月照は永遠に還らぬ人となったのである

(吟)亡友月照十七回忌辰の作  西郷南洲

相約して渕に投ず 後先無し

あに図らんや 波上再生の縁

頭を回らせば十有余年の夢

空しく幽明を隔てて 墓前に哭す

Bあゝ西郷どん

(吟)獄中感あり  西郷南洲

朝に恩遇を蒙り 夕べに焚坑せらる

人生の浮沈 晦明に似たり

縦い光を回らさざるも 葵は日に向う

若し運開く無きも 意は誠を押す

洛陽の知己 皆鬼と為り

南嶼の俘囚 独り生を窃む

生死何ぞ疑わん 天の付与なるを

願わくは 魂魄を留めて 皇城を護らん

〈ナレーション〉

西郷は再度藩政に戻り尽力した。

さらに時至って明治新政府の成立にも認められたが、

彼の唱える征韓論の真意はだれにも通ずることなく、

遂に、野に下り私学校を開き

青少年の教育に努めたものの、

彼の意に反し若き氏族の熱情は西南戦争の火ぶたとなって

新政府へ、熊本城へと進軍の炎と化したのであった。

Cあゝ西郷どん

(民謡)田原坂

雨は降る(ふる)降る(ふる) 人馬は()れる

越すに越されぬ 田原坂

薩摩(さつま)隼人(はやと)は 死すとも退()かぬ

散るを覚悟(かくご)の 美少年

〈吟〉田原坂  乃木希典

田原(たはら)一望(いちぼう) (あき)(まさ)()いんとす

新戦場(しんせんじょう) ()れて 草木(そうもく) (くじ)かる

砂中(さちゅう)弾丸(だんがん)を 拾得(しゅうとく)(きた)

(民謡)田原坂

勝てば官軍 ()くれば(ぞく)

男泣(おとこな)きする田原坂(たばるざか)

(吟)城山  西道僊

孤軍(こぐん) 奮闘(ふんとう) (かこ)みを破って (かえ)

一百(いっぴゃく)の 里程(りてい) 塁壁(るいへき)の (あいだ) 

()が (けん)は (すで)に ()れ ()が (うま)は (たお)

秋風(しゅうふう)  (ほね)(うず)む 故郷(こきょう)(ざん)