TOPIC No.9-5-3 ノアの大洪水/大洪水伝説

01. 世界の大洪水伝説 について調べてみた by草の実堂
02. 実際に起こった!?世界各地に伝えられているノアの箱舟伝説 2012年04月17日 
 NAVERまとめ
03. 大洪水(洪水神話、洪水伝説) Wikidpedia
04. 大洪水時代U〜ギルガメシュ叙事詩〜 2010.06.13 週刊スモールトーク 
 GAIAチャンネル
05. 大洪水時代V〜ウトナピシュティムの洪水伝説〜 2010.07.11 週刊スモールトーク 
 GAIAチャンネル
06. ギルガメシュ叙事詩 byWikipedia
07. 洪水神話の文脈『ギルガメシュ叙事詩』を中心に 渡辺和子 宗教研究86巻(2012)
08. ノアの方舟―大洪水が全世界をおおった証拠はあるのか? 2016-07-05 
 byTrue Ark Bible
09. 聖書の間違い: ノアの洪水の物語は盗作である--- 洪水物語は古代メソポタミアの文学
 から拝借したもの --- 佐倉 哲 1997年6月24日
10. ノアの箱舟伝説:旧約聖書に残された伝説は果たしてフィクションなのか!?
 by Central Reserch Center
11. 世界的大洪水は、まさに世界規模のものだったのか? byロシアの声
12. 古代中国の大洪水伝説、地質学で論証 2016年08月6日 
 ジョナサン・ウェブ科学担当記者、BBCニュース
13. 第7話 洪水伝説とギルガメシュ アトランティス幻想 by古代文明の世界にようこそ
 

 

「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂

2010年4月29日 18:08 発信地:香港/中国 AFP BP NEWS

 

【4月29日 AFP】旧約聖書に登場する「ノアの方舟(はこぶね、Noah's Ark)」を探す中国とトルコの探検家チームが26日、方舟が漂着したといわれるトルコのアララト(Ararat)山の山頂付近で、方舟の木片を発見したと発表した。

 

 トルコと中国の「キリスト教福音派」の考古学者ら15人からなる探検チーム「ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナショナル(Noah's Ark Ministries International)」が発表したところによると、木片はトルコ東部にあるアララト山の標高およそ4000メートル地点で発見した構造物から採取したもの。炭素年代測定を行ったところ、ノアの方舟がさまよったとされる今から4800年前と同時期のものであることが確認されたとして、方舟のものであることにほぼ間違いないとの見解を示した。

 

 探検チームに参加する香港のドキュメンタリー映像作家、楊永祥(Yeung Wing-cheung)さんは、「100%とは言い切れないが、99.9%は確信している」とAFPに語った。

 

 発見された構造物はいくつかの部屋らしきものに分かれ、木の梁(はり)があるが、これはノアが動物を乗せた船室ではないか、と楊さん。探検チームではこの構造物について、普通の住居の残がいなどではあり得ないと結論付けたという。標高3500メートル以上で人の住まいが発見されたことは過去にないからだ。

 

 楊さんによると、発掘作業が完了するまで現場を保存するためユネスコ(UNESCO)に世界遺産指定を申請するよう、地元自治体がこれからトルコ政府に要請する。

 

 旧約聖書の物語では、堕落した人類を大洪水で滅ぼそうとした神が、ノアに方舟を作ってあらゆる動物をつがいで乗せるように命じる。洪水が引いた時、方舟がたどり着いた陸地がアララト山の山頂とされている。アララト山は中東で最も標高の高い山で、同山こそが本当に方舟が乗り上げ、乗っていた人間や動物の子孫が船を降りた場所だと信じる人は多い。(c)AFP

テヘラン山岳部で化石化したノアの箱船を発見か イラン

2006年07月02日 X51

 

 【KUVE】イランはテヘラン北部にて、旧約聖書に伝えられるノアの箱船の化石と思しき物体が発見され、物議を醸しているとのこと。発表を行った米テキサスの聖書考古学研究所(B.A.S.E)によれば、今回の探索は元探偵で作家のボブ・コーンヌーク氏を含むチームによって行われ、先月テヘラン北部の山岳標高13000フィート(約3962m)の地点において、化石化した船体らしき木片などを発見したという。コーンヌーク氏によれば、発見された木片は全長400フィート(121m)に及ぶ巨大なもので、明らかに人間の手によるものであると語っている。「発見された化石の一部は正確な角度で切り取られています。また船体の横梁、マストのようなものも発見されました。」

 

 またコーンヌーク氏によれば、今回の発見を裏付けるように、山岳内で発見された他の化石は、同地帯がかつて海に覆われていたことを示唆しているという。「例えばこれなどは明らかに海の生物、貝の化石です。標高の高い山の中に、こんなものがどうして存在しうるでしょうか。我々はついにノアの箱船の残骸を発見したのかもしれません。」

 

 しかしまた、今回の発見がその実在を信じる信者(believers)達に希望を与える一方、コーンヌーク氏の発見を単なるガセであるとして批判する向きがあることもまた事実である。以前にもコーンヌーク氏は、モーゼが十戒を授かったというシナイ山の位置を特定したと発表し、また使徒パウロの船が遭難したとされる島を発見したといった主張を行っているが、一部では、彼は単に聖書に描かれたことが実際に起きたことであると証明するため、事実を歪曲しているといった批判を受けているのである。

 

 しかしコーンヌーク氏は今回の発見がまだ不完全でありながら、少なくともその意味だけは発見したと話している。「ノアの箱船とは一体何でしょうか?思うに、それは神の恩寵の象徴だと思うんです。」

アララト山の”ノアの箱船”人工衛星から全貌が明らかに

2006年03月10日 X51

 【SPACE.com】2003年、民間の商用画像衛星によって撮影されたアララト山(トルコ)の”ノアの箱船”の高解像度画像が、この度、一般公開されたとのこと。今回、公開された”箱船”と言われる物体の画像は、アララト山腹北西部、標高4,663mの地点で撮影されたものである。物体は氷河の中に埋没した状態で、その氷床下はまだ明かではない。しかし米ヴァージニア大学リッチモンド大学助教授、ポ−チャー・テイラー氏によれば、物体の形態は旧約聖書に描かれるノアの箱船とピタリと符号しているという。テイラー氏は、聖書に描かれるノアの箱船の縦横比率が6:1(300キュビット:50キュビット)とされていることを挙げ、衛星写真に映し出された物体がやはり6:1の比率を示していたことを指摘している。

 テイラー氏はこれまで13年間、ノアの箱船の研究を続ける一方、ワシントンD.Cの国家安全保障専門家として30年、また戦略国際問題研究所(CSIS)に5年間勤務している人物である。

 「今後も情報機関の人々に働きかけを続け、より鮮明な画像が公開されるようになれば、新たな発見を得られると楽観的に考えています。」そう語るテイラー氏は、今回、デジタルグローブ社のクイックバード人工衛星によって撮影され、一般公開されたこれらの写真を”非常に重要な一歩”であると指摘している。「私自身はこれらを衛星考古学プロジェクトと呼んでいます。」

 衛星考古学プロジェクト

 テイラー氏の計画は、クイックバード人工衛星、そしてジオアイ社(GeoEye)のイコノス商用画像衛星、カナダのレーダーサット1号、また米国の情報機関で機密除外された画像などを駆使して行うものである。テイラー氏のゴールは単純明快にそれらの画像を組み合わせ、アララト山にあるこの奇妙な物体を公にし、それを科学者、画像分析などの専門家らに託して研究を促すことにある。

 「1993年、この計画を始めた頃は、まだ何の具体的な指標はありませんでした。」しかし氏は研究を開始して間もなく、そこには注目すべき何かが存在することを確信したという。「あの奇妙な物体は氷河の稜線でも、岩でもなく、人工物に他なりません。もしもあれが、人工物で、そしておそらくは船舶の形であるならば、聖書に描かれるあの船だと考えたわけです。」

 そしてテイラー氏は情報機関が保持する鮮明な衛星写真公開を働きかける一方、今後打ち上げられる民間の商用画像衛星が、氏のプロジェクトを多いに助けることになると話している。

 「今後、まず3つの商用画像衛星が打ち上げられる予定です。様々な方面に訴えて、それらの衛星にアララト方面を撮影するよう、働きかけているんです。それが実現すれば、アララト山の物体の正体は更に明らかになっていくと思います。」

 解析と解釈

 また人工衛星が鮮明な写真を撮影することに合わせ、テイラー氏は様々な分野の専門家と連携し、謎を解き明かすつもりであるという。例えば米ネバダ州ヘンダーソンのサンテック・メディアグループ/ライトイメージ社のロッド・フランツ氏がその1人である。氏はその専門知識を生かし、これまで25年に渡って、軍の情報部で画像解析を行っている。

 「(衛星写真で)異常なものが発見された場合、政府機関と商用遠隔探査は同じソフトウェアを使って画像を解析します。それで地上からの距離と、物体の大きさを測定するんです。そのソフトは画像の明るさ、ぼやけ、シャープネス、コントラストといった要素を調整することが出来るんです。そしてそれらの画像補正機能と合わせて、時には疑似補色機能を使って、氷や雪の下に何かが検出できるかもテストします。

 フランツ氏によれば、アララト山の物体は長さ309m程であるという。「そしてあの物体は、丁度、円の中に収まっているんです。それが何を意味するのか、私には分かりません。しかし何であれ、興味深いことには変わりないですね。」

 テイラー氏によれば、物体の長さは、かのタイタニック号、そして戦艦ビスマルクといった巨大船よりも更に大きく、丁度現代における最大クラスの空母とほぼ同じサイズであるという。しかしもしそれが事実であり、物体が船舶であったとするならば、ここで重要な一つの問いが生ずる。それは(聖書に従うならば)木造であるとされるノアの箱船は、そのような巨大なサイズで本当に水に浮くことが出来たのだろうか、という問いである。

 懐疑的なスタンスでプロジェクトに関わる1人、ボストン大学リモート・センシング(遠隔探査)・センター所長、ファロウク・エルバス氏は次のように語る。

 「画像解釈は、技術です。物体の正体を明かすには、日光についての専門知識が必要になるでしょう。稜線の僅かな変化が影を形作り、それが画像の解釈に作用します。これまで見た限りでは、物体の全てを自然の地形として解釈することが出来ます。”アララトの不思議”と解釈されるあの物体の特徴は、私に言わせれば、様々な厚さの雪と氷に覆われた岩と影であると考えられます。」

 人工衛星からの発掘

 しかしこれら商用人工衛星の相次ぐ打ち上げ、そして他分野の専門家による研究によって、テイラー氏が目論む遠隔考古学研究は今後目覚ましい進歩を遂げると、氏は語っている。そしてテイラー氏の究極の目標は、無論、衛星から見定めた物体の現地調査である。「いずせにせよ、あれが何かであることは間違いがありません。」しかしひとまずのところ、人工衛星から考古学的”発掘”を行うことこそが、今後の現地調査を行う上で何よりも重要であるとテイラー氏は考えているのである。

 例えば数週間前には、NASAの科学者らは人工衛星と航空写真撮影技術を組み合わせ、中南米の密林に1000年以上前のマヤ遺跡を発見している。「今日の探検家にとって、ジオアイのイコノスが送る画像とGPS衛星の情報はもはや水や保存食と同じように、探検に欠かせないものとなっています。これ無しでは探検も出来ないでしょう。そして研究者にとって、ジオアイが提供するような”究極の俯瞰図”である衛星写真は、いかなる実地調査や航空写真でさえ不可能なものです。それは視覚的な自白薬なんです。」米ヴァージニアのジオアイ社副社長、マーク・ブレンダー氏はそう語っている。

最終氷河期 メタン放出で温暖化? 海洋研究開発機構

2005年04月19日 asahi.com

 最終氷河期の約2万3000年前から1万7000年前にかけてメタンが大規模に放出された形跡を、海洋研究開発機構などのグループが十勝沖で見つけ、18日発表した。将来のエネルギー源として注目されるメタンハイドレート層の崩壊によるメタン放出が、地球温暖化につながった可能性を示す発見だ。

 メタンハイドレートは、メタン分子を水分子が囲みシャーベット状になっている。深海のメタンガス層のふたとなり、崩れるとガスの噴出が考えられる。メタンが温暖化に与える影響は、二酸化炭素の20倍以上という。

 グループは、広範囲にメタンハイドレートが見つかっている十勝沖で堆積(たいせき)物を採取。化石に含まれるメタン由来の炭素量の変化を分析、2万3000年前から1万7000年前の間に海水中のメタン量が異常に増えた時期が6回あるのを見つけた。

 この時期は最終氷河期の最も寒い時期から氷が解け出す時期にあたり、メタン放出が急激な温暖化のきっかけになった可能性があるという。

ノアの箱船の位置を人工衛星で特定、調査始まる

2004年04月27日 X51

 【CNN】この夏7月15日から8月15日にかけての一ヶ月間、米トルコの合同調査団がノアの箱船が眠ると言われるアララト山に登り、本格的調査に乗り出すとのこと。今回の米国側の調査団を率いるハワイはホノルルのシャムロック・トリニティコーポレーション社長のダニエル・P・マッギヴァーン氏(写真)によれば、今回の捜索では昨年ヨーロッパを襲った熱波によって露わになったアララト山上の巨大物体 - 高さ13m,長さ22m - を目指し、現在トルコ政府の最終承認を待っている最中であると話している。

 「我々はそれを掘り出すつもりはありません。そこにあるいかなるものも持って帰るつもりはありません。ただ、写真に収めたいだけです。もしも神の祝福があれば、それを皆さんに公開することが出来ると信じています。」

 ノアの箱船は聖書に登場する洪水伝説をその起源とし、アララト山はその箱船が最後に漂着した場所とし、これまでにも多くの箱船らしき物体の目撃例が存在している。

 1957年にはトルコの空軍パイロットが山の傾斜部で船のような形をした物体を目撃したが、トルコ政府は特に調査を行うことはしなかった。またその後もアララト山へ向かう調査団は跡を絶たなかったが、ある時、ソ連がアララト山の探検隊は米国のスパイであるとトルコ政府に対して主張したため、トルコ政府は同山付近への外国人の立ち入りを一切禁止してしまったのである。

 そして1982年、ようやくその禁が解かれ、探検家達はこぞってアララトを目指したがとうとう決定的な証拠は掴めないまま現在に至っている。

 今回、マッギヴァーン氏はトルコの登山家アーメット・アリ・アルスラン氏(彼はアララトの側で育った人物である)らと協力して調査を行う予定である。また更にマッギヴァーン氏はこれまで人工衛星からアララト山付近を撮影し、既にピンポイントでノアの箱船の場所を特定することに成功している、と話している。

 創世記の記述では、洪水の難を逃れたノアの家族、そして全ての動物の一対のペアを乗せたノアの箱船はある山に漂着したと描かれている。

 ある地質学者によれば、シュメール文明の時代にもメソポタミアの辺りで洪水があった形跡が存在しており(この出来事はシュメール文明のギルガメシュ叙事詩にも描かれている。)、しかし、アララト山の標高ではそこに漂着することは容易ではないだろう、と話している。

ノアの箱舟の謎 タイタニック号発見者が調査へ

2003年07月18日 X51

 【Pravda.ru】タイタニック号を発見したことで有名な探検家ロバート・バラード氏がこのたび、本格的に「ノアの箱舟」の調査に乗り出す予定であるという。バラード氏はタイタニック号の発見は言うまでもなく、沈没船探索のエキスパートとして、地中海中に沈んでいた古代の貿易船、イスラエルを出航して深海に沈没した古代フェニキアの船2艘を発見といった輝かしい功績を持でその名を知られる水中考古学者である。氏の今回の探索は『聖書』を主な資料とするという。探査計画の詳細はまだ明らかにされていないが、おそらくはトルコ、イラン、アルメニアの間に位置する、アララト山(標高5615b)にて行われる予定である。キリスト誕生以前から、アルメニアにはアララト山の山頂に箱船が存在するという伝説が残っている。古代、そして中世の人々はノアの箱舟がそこに漂着した状態で存在していることを当然のように考えていたのである。

 例えば1316年、フランス人の僧侶オデリアはローマ教皇に宛てた手紙の中で、次のように記している。

 ”そこに暮らす人々は決してアララト山に登ろうとしません。なぜなら神がそれを好かないと考えているからなのです”

 この言い伝えは19世紀まで信じられていたため、ノアの箱舟に関して本格的な調査はほとんど行われてこなかった。しかし1829年、初めてアララト山に挑戦したのはドイツの探検家パロット博士である。彼の試みは失敗に終わったが、ガイドを務めた現地人はノアの箱舟が山頂にある、しかし、誰もそこには到達できないだろうと語ったという。

 そして1893年になると、当時の副司教を務めていたナリー氏によって、ある公式声明が発表された。声明によれば、彼は確かにその目でノアの箱舟を目撃したというのである。巨大な船が山頂の凍った湖に横たわっており、夏の強い日差しによって、その一部が溶け出し、船体の一部が山肌に露出していたという。19世紀の他の研究家達によれば、船体は氷とともに徐々に滑り出し、粉砕されて氷河の一部に成り果てのではないかと推測している。

 また1916年夏、空軍偵察機に搭乗したリアテナント・ロスコフツキーとその乗員は山頂上空を滑空中、氷河の割れ目の中に巨大な船の一部分を目撃した。更に同じ年、およそ150人から編成されたロシアの調査団がアララト山の違う側面から山頂を目指し、船を発見したという記録もある。調査員は船の内部にまで入り船の樹脂や木の一部を採集し、写真を撮ることにも成功したが、その直後に第二次ロシア革命が勃発し、そうした貴重な発見の成果は革命の混乱の内に全て失われてしまったという。

 しかし1949年、今度はアメリカの航空写真専門家が上空から山の斜面上に横たわる船の一部分らしき物体を撮影すると、1987年にはやはりトルコ空軍が再び同じものが撮影した。その後も、同付近にて同じような船体の一部と思しき物体の写真が数多く撮影されたのである。さらに1960年には、再びノアの箱舟目撃談が相次ぎ、ついに『聖書』に描かれたものと同一の箱舟らしきものさえ発見されたが、真相は未だ明らかではない。

無浸食状態の沈没古代船探索プロジェクト『エクスペディション2003』

2003年07月17日 Wired News Noah Shachtman

 ロバート・バラード氏は、海底に沈む『タイタニック』号を見出した。沈没したナチスの戦艦『ビスマルク』号を発見したほか、その沈没が第一次世界大戦勃発のきっかけとなったと言われるイギリスの客船『ルシタニア』号の位置も明らかにした。さらに第二次大戦中にジョン・F・ケネディ元米大統領(当時海軍中尉)が乗り組んでいた魚雷艇『PT-109』を発見した。

 そして今、バラード氏は、おそらくこれまで発見されたなかで最良の状態が保たれているはずの古代船を調査しに、黒海へ向かっている。お供をするのは、海中で船を探索してくれる考古学ロボット艇だ。700万ドルを費やし41日間におよぶこのミッションは、インターネットに接続できる人なら誰でもライブ映像で見ることができる。

 1500年前のこの船は、マストを上に向けて(写真)トルコの黒海沿岸の泥中に埋もれている。事務的に『レックD』(難破船D)と呼ばれているこの船が注目されるのは、残っている状態のよさからだ。沈没船は通常、海面下に沈むと急速に腐朽が進む。しかし、ビザンチン帝国時代に作られたレックDのメインマストと支柱は、何世紀も海底にあったにもかかわらず、すべてそのまま残っていた。

 「考古学の遺物発見現場の多くは、棒切れや石、骨がごろごろしている」とバラード氏は話す。「有機物質は浸食されてしまう。つまり、われわれの歴史の非常に大きな部分が、人や紙など浸食されるもののうえに作られているということだ」

 たいていの沈没船には、文化的に重要な情報は残っていないとバラード氏は話す。「当時の人々は誰と交易していたのか、どんな荷を運んでいたのか、船に乗っていたのはどんな人々だったのか――何もかもわからなくなってしまう。だが、黒海は別だ」

 長い間、科学的理論上、海底の一部には酸素が全くないに等しい――科学用語ではそういった場所を「無酸素水域」という――部分があり、そのためそこに沈んだ船は何百年、何千年ももとのままの状態で保たれるはずだと論じられてきた。沈没船の残骸の大半を食い尽くしてしまう微小生物は、そういった環境では生きられないからだ。

 だが現実にそれほど完全に保たれていた実例は、バラード氏がレックDを見つけるまで、皆無に等しかった。主な原因は、これまで海中考古学者が調査していたのが、岸に近い比較的浅い海域だったことにある。

 現在、マスト上方の先端部分以外、レックDの船体は泥の中に埋もれている。やらなければならないのは、船自体をもっと調べることと、船の装備――索具、ロープ、帆、そしておそらく船荷さえも――が引き揚げられるかどうかを検討することだと、ミッション・スペシャリストのドゥワイト・コールマン氏は述べる。

 コールマン氏とバラード氏は、泥を除去してこれら古代の遺留物を引き揚げる作業に、遠隔操作ロボット艇『ヘラクレス』が貢献してくれることを期待している。

 バラード氏によれば、この無人艇は、世界で初めて深海の考古学研究専用に設計されたものだという。操作は、海上に浮かぶバラード氏の船、『クノー』号からスタッフが行なう。ヘラクレスにはくちばしに似た特殊な感圧式の操作アームがついているので、操作スタッフはクノー号にいながら、ヘラクレスが何千メートルも下でつかむものを、まるで自分でつかむように感じることができる。

 これまで長年、バラード氏の海中探索では遠隔操作艇が主力だった。その間、探索のほとんどは、人間が沈没船のところまで行くことなく進められた。しかし、当時の無人艇でできることは限られていた。

 「以前は、われわれにできるのは見つけることだけで、発掘までは手が出せなかった。(レックDのような)船があれば、考古学者は決まって『手を触れるな、おまえたちでは台無しにしまう』と言う」とバラード氏。

 ヘラクレスの操作アームには、きわめてデリケートな残留品を扱うのに必要な感度が備わっている。特殊なソナーも装備されていて、海中で目の前にある物の超音波画像を船上の科学者に送る。これはきわめて重要なポイントだ。深海では、人間の目ではほとんど視界がきかないからだ。

 ミッション・スペシャリストのジェレミー・ウィアリッチ中尉によると、ヘラクレスのデータは光ファイバーケーブルを数百メートル伝わって、クノーが引っ張る水中通信プラットフォームであり光源でもある『アーガス』(ARGUS)に送られるという。アーガスはその情報を海上の船に伝送する。

 そして船上からは、揺れても安定が保てるよう特殊に設計されたパラボラアンテナ――船の揺れが15度までになっても安定した接続を維持する――が、得られた情報を米国本土に向けて送信する。クノーの周辺およびヘラクレスからの海面下の様子を映した6つのビデオ画像ストリームは、米国中に12ヵ所ほど設けられた拠点に送られる。

 衛星ストリーム画像は10Mbpsから13Mbpsで伝送される。この速さのおかげで、コールマン氏は10日間米国に戻り、ロードアイランド大学海洋学大学院に新設された『インナースペース・センター』から探索行程を指揮できる。このような遠隔地からの指揮監督が試みられるのは初めてのことだ。

 海面下で何が行なわれているのかを見られるのは、コールマン氏だけではない。バラード氏のチームにビデオ技術の支援を行なっている米ブイブリック・システムズ社のリチャード・マブロギンズ社長によると、このミッションの中継ビデオストリームは、『インターネット2』に接続可能な200の研究機関で誰でもモニターできるという。通常のインターネット接続の場合は、ミッションのウェブサイト『エクスペディション2003』で、『MPEG-4』エンコードのリアルタイム画像を楽しめる。

 バラード氏と52人のスタッフは、レックDのほかにも、トルコ近くのもっと水深の浅い地点で見つかったビザンチン帝国時代の船3隻を調査する予定だ。また、東地中海地方では紀元前750年(ホメロスの時代)のフェニキア人による沈没船2隻を探索する。さらには、有史以前の文明の証拠も探す計画だという。

 バラード氏は1999年と2000年に、黒海の海底で7500年近く前の文化遺物らしきものを発見した。この人々が大洪水を生き延びた証拠かもしれない――もしかしたら、これが聖書に書かれたノアの大洪水かもしれないと考える学者さえいる。以前の探索で見つかったのは、古代の建造物の土台になっていたと見られる石の数々だった。

 今回、バラード氏のチームは考古学ロボット艇のヘラクレスを使って、これらの石を黒海の底から引き揚げる計画だ。[日本語版:近藤尚子/高森郁哉]

黒海海底で住居跡発見=「ノアの箱舟」の洪水裏付ける証拠か−米チーム

2000年09月14日[時事通信社 ]

 【ロサンゼルス13日時事】米地理学協会(NGS)は13日、黒海の海底で住居跡とみられる建築物の残がいを発見したと発表した。黒海付近では約7000年前に大洪水が起きたとされており、専門家はこの発見が聖書の「ノアの箱舟」の物語に登場する大洪水が、実際に起きていたことを裏付ける証拠となる可能性があると指摘している。

 住居跡が見つかったのは、黒海のトルコ側の沖合約20キロの深さ約95メートルの海底で、彫刻が施された木製のはりや石の道具類も見つかった。発見したのは、大西洋に沈んだ大型客船タイタニック号の残がいを見つけたことで知られる米探検家のロバート・バラード氏が率いるチーム。

初の「ノアの大洪水」の証拠発見か---黒海

2000.09.14 by CNN .co.jp

ワシントン(AP) 黒海の海底で、約7000年前の人間の生活をしのばせる住居跡や石器類が12日、探検家グループによって発見された。黒海がかつては小さな湖を持つ陸地で、聖書に記されている「ノアの大洪水」によって海底に沈んでしまったことを証明する初の証拠になるのではとの期待も高まっている。

住居跡が発見されたのは、トルコの沖約19キロ、水深約91メートルの黒海海底で、谷があったとされる付近に、崩壊した建物のようなものと、石器や木で作られた道具が発見された。建物は「明らかに人の手によって作られた」もので、約7000年前にトルコ内陸部で作られていた石器時代のスタイルに準じたものだという。

「海底で発見された遺物は、非常によく保存されている。貴重な発見だ。すべての遺物を復元し、木に含まれる炭素から年代をさかのぼって、この場所に、いつ、どのような人々が住んで、どのような道具を使い生活していたのかを突き止めたい」と調査の指揮を取るロバート・バラード博士は黒海の船中から電話で語った。博士は、タイタニック号やドイツ・ナチス時代の戦艦ビスマルク号の残がいなどを発見したことで有名な探検家だ。

同じく探検グループに加わっている考古学者を指揮する、米ペンシルベニア大学のフレドリック・ハイバート氏は、今回の発見が「洪水前に、黒海が現在位置する場所に人間が住んでいたことを証明する初めての証拠になる」とし、「ヨーロッパ、アジア、そして古代中東に囲まれた重要な地域の歴史を塗りかえるような大発見になるだろう」とも説明している。

ノアの大洪水によって生まれた黒海?

古代中東文化には、聖書のノアの箱舟の話に代表されるように、大洪水にまつわる伝説が数多く存在する。

米コロンビア大学の研究者、ウィリアム・ライアン氏とウォルター・ピットマン氏は、1997年に出版された著書「ノアの大洪水」の中で、約7000年以上前にヨーロッパ地方の氷河が溶け始めて、地中海がはんらんし、当時は真水の小さな湖だった黒海に流れ込んだという学説を紹介している。

また、バラード氏は昨年、黒海の海岸から数キロ離れた場所で、古代の海岸線を発見し、2種類の貝も発見した。1種類は、すでに絶滅した真水に生息する貝類で、7000年からそれ以上、昔のものとみられ、もう1種類は海水に生息する貝類で、約6500年前にさかのぼるという。

「これからも分かるように、約7000年前に真水の湖から塩水の黒海に姿を変える、何らかの急激な変化が起こっているのです。大洪水の結果、現在のように大部分の陸地が海底に沈んでしまったのです。今分かっていることは、この土地に人間が住んでいたということですが、どのような人々が住んでいたのかは不明です。それを突き止めるためにも、さらに調査・研究が必要です」とバラード氏は述べている。

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