ヤダリンのひとりごと
ホームページ開設にあたり
平成11年5月23日

 こんなに簡単に個人でホームページが開設できるなんて思いもよらなかった。そもそも個人でホームページを開設しようとしたのは、私が勤務する病院でのホームページの立ち上げに始まる。平成10年12月、病院内でホームページ作成委員会が発足。構成メンバー8名は、私も含めて多少パソコンを使用することに慣れてはいるが、ホームページの作成については皆、全くの素人であった。でもなんとか平成11年3月に一応、形はできあがった。しかし、病院のホームページであるから、病院が承認をしないことには公開することができない。4月中旬の院内の会議では、「一部を除いて承認」という条件つき承認となった。ところが、除かれたその一部というのが、私が一番公開したかった部分なのであった。そのうち「そうだ。自分のホームページを作ってそこで公開しよう」と思い立ったのである。平成11年4月29日、メールで、契約しているCATV局に申し込み、翌日帰宅すると、登録完了の通知がメールできていた。さっそく、FTP転送プログラムを指示に従いダウンロードし、それを用いて、自分のファイルをアップロードしたのが、4月30日午後11時である。当然のことではあるのだが、さきほどまで自分のパソコン上でしか見られなかったものが、次の瞬間には、いかなる人でも私の作った画面を見られる状況になったことに、とにかく感激した。少し興奮気味であった。親しい人にはメールですぐ連絡した。これまで約40年生きてきて、何度か興奮するような感動を経験したが、個人ホームページ開設の瞬間は、そのうちの1つとなった。しかも、個人ホームページ開設を思い立って、それが実現するまで、3〜4日の間、ホームページの開設に関しては誰とも顔を合わさず会話をすることもなかった。自室にいてメールによるやりとりだけですべて手続きは済んだ。もちろん、数ヶ月前にインターネットの契約をCATV局と結んでいたからではあるが。
 インターネットの発達、普及はこれまでの情報社会を一変させた。今、欲しい情報を部屋の中にいて簡単に入手できる。印刷物を探すことを考えれば比較にならないほどの便利さである。また、電子メールは、電話とも手紙とも違う新しいコミュニケーション形態を作り出した。さまざまな批判はあるが、場合によってはより親しみのあるやりとりができる。今後、インターネットはますます発展し続けるであろう。個人、皆がホームページを持つ時代も来るであろう。
 私にとってインターネットの使用をより身近にしたのは、ケーブルテレビの回線を利用したサービスを利用できたことにある。私が居住している広島市佐伯区のCATV局、チャンネルUは、平成10年4月、関西地区で初めてケーブルテレビ回線を利用したインターネットサービスを開始した。このケーブルインターネットは、電話回線を利用するのと違い、ダイアルアップの必要がない。パソコンの電源を入れると同時にインターネットが利用できる。また、通信速度が速い。画像ファイルの転送やファイルを開くのにも手間がかからない。非常に便利である。
 現在、ホームページを開設はしたものの人に見せるのも恥ずかしいような貧困な内容である。しかし、ホームページというものは、完成してから公開するものではなく、作成過程を見せるものであると考えている。人間が成長するようにどんどん内容が更新され増えていくところに意味がある。私のような一個人が、自分や自分の考えを多くの人に知ってもらう方法はホームページしか有り得ない。それが実現できたのも今の時代に生を受けたおかげである。本当に幸せだと考えたい。私は人生のほぼ中間点を過ぎたようなものである。最近、急に老け込んだ気がする。頭の回転は、もともと良いとは思わないが明らかに悪くなっている。体力にも自信がなくなってきた。といっても、まだ、後2週間ほどでやっと40歳になるのだが。老人のようなことを言うようだが、残された人生に自分ができることには限りがある。自分の能力には限界がある。私は、本当に精神科医にふさわしい人間ではないと思うし、そのような人間になることは無理であると認識している。かといって、精神科医以外のことは何もできない。社会性を欠くつまらない落ちこぼれ人間だと思っている。でも、せっかくこんなすばらしい時代に生きることができるのだから、ほんの少しでもいいから何かの役に立ちたい。自分の存在を残したい。そのささやかな試みが、このホームページ開設の目的である。

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