ヤダリンのひとりごと
最大の課題、それは病識の獲得である
平成16年4月14日

   統合失調症の治療目標の一つは、「自分の病気を受け入れられるようになること」すなわち病識の獲得である。治療開始の時点では、大部分の患者さんは病識がないか、たとえあっても不十分である。多くの患者さんは、周囲から異常を指摘されて半ば強引に受診させられる。それさえ困難なことがある。治療開始時に、治療の必要性を本人に説明することは必要だが、十分に納得させなくてもよいと考えている。病気の性質上、病気を認めないことはやむをえないことである。時間をかけて、病気だ、病気でないと押し問答をすることは意味がない。そうすることでむしろ治療関係は悪化するかもしれない。「あなたは病気ではないと主張しているが、専門家の私から見ると、明らかに病気だ。ただ、それを今、あなたに納得させることは不可能だ。私は、あなたと同じような人を数多く診てきた。皆、最初は病気でないと言う。でも治療を受けて、多くの場合良くなっている。納得する必要はないからまず治療を受けなさい」とさらっと流すことにしている。強制的な治療への導入は重要である。だから、精神保健福祉法で医療保護入院なる入院形態すなわち、本人の意志に基づかない入院が認められているし、鍵のかかる閉鎖病棟が存在する。強制する問題よりも、状態が悪いまま長期間放置する問題の方が大きいと考える。未治療の期間が長いほど、脳の損傷が進行し、病気の本質である認知機能障害やその結果として生じる生活障害がひどくなると考えてよい。
   ところで、初対面で「私から診て病気だ」と述べた瞬間、非常に稀に「ああ、そうだったんですか。これは病気なんですか。安心しました」と言う人がいる。常に盗聴され、自分の行動を監視され恐ろしい思いを体験してきた患者さんが安堵を示すことがある。「もし病気だとすれば、現実でないとしたら、どんなに嬉しいことでしょう」と言った人がいる。しかし、こういう人は稀である。
   多くは強引な治療開始になってしまう。でも、治療が進むにつれ、ある程度の時間が経った時(1〜2か月前後が多い)、夢から覚めたように、現実的になる人がいる。これまで隠していた病的な体験を「こんなことがあった。あんなことがあった」と自ら詳しく説明できるのである。そして「これは病気なんですか。わかりました」と言う。こういう場合、「よく表現できた。これだけうまく説明できる人はいない。まるで教科書の記述のようだ」と評価する。「病気だということは治療すると良くなる可能性があるということなんですよ」とつけ加えておく。「ありがとうございました」と礼を言われる。家族を含めて周囲の人すべてを信用できなかった患者さんが自分の内面を言語化できた時は感動的である。新たな患者さんが強制的な入院で入って来られた時、この霧がすうっと晴れるような瞬間を私は楽しみに待つことにしている。過去の体験をレポート用紙に綴ってくる人がいた。そこには彼の不可解な行動をなるほどと納得させるヒントが数多く記載されていた。妻は、この数年間の被害妄想に基づく異常な言動に、どうすればいいかとずっと悩み、ようやく入院治療に至った例であった。入院時は全く疎通がとれず本人の同意は得られない入院であった。「これを奥さんにも見せてあげなさい」との指示を聞き入れ実行した後、「妻にも理解してもらえた。もう何年も僕に対して恐怖感を抱いていたと言われた。本当に申し訳ない。もっと早く病院に来ればよかった。治療を受けて早く良くなりたい。家族はやっぱりいいですよ」と述べ、夫婦関係が良好に戻った例がある。この夢から覚めたように明らかに考え方が変化した時点で、とりあえず治療が軌道に乗ったと判断する。先ほどの方は、「悪くなった時は自分ではわからないので教えてくれ」と妻に言い退院していった。ここまで回復する人もいるのである。
   ただ、皆がこのように自分の病気を受け入れられるわけではない。正確に治療開始前の状況を受け入れられなくても、入院前と比べると「イライラしなくなった」「ちょっとしたことで腹が立たなくなった」「眠れるようになった」「考えがまとまるようになった」といった形で、治療を肯定的に受け止められる場合がある。自分なりに納得できる点が見つけられるといい。
   ところが、いつまで経っても、「いいえ。病気とは思っていません」と言い続ける人がいる。こういう場合は、なかなかうまくいかない。たとえ退院しても、すぐに治療を中断し病状が増悪してしまう。そして再入院という結果に至る場合もあろう。初回入院で、病気ではないと言い続け退院し、予想通りまもなく強制的に再入院となったが、2回目の入院でみごとに病識を獲得した人がいる。彼女は「前は私は統合失調症を受け入れていませんでした。でも今は、受け入れています。自分で現実だと思っていたことが実は違ってました」と述べ、2回目に退院してからは、自ら規則的に通院し安定した状態を維持している人がいる。また、まずこの人はいづれ治療から脱落するだろうと思っていたのに、もう10数年間も通院し仕事を続けている人がいる。最近、彼は「あの当時は、タバコの先に盗聴器がついていると信じていた。でも科学はそこまで進歩していなかったんですね」と述べた。諦めてはいけないのである。
   毎日の診療の中で、少しでも自分の病気の受け入れができるような援助を地道に続けていくことが大切だと思っている。それは強制になってはいけない。自分の言葉で自ら表現できるように導いていくのである。精神病治療の最大の難しさは、病識のない人が自ら治療を受け入れられるように誘導していくことにあろう。病識の獲得に関しては、医師と患者の一対一のやりとりだけではなく、集団での学習の場を設けることに意味があるかもしれない。本年2月20日に開催された広島急性期治療研究会で、名古屋の八事病院の渡部和成先生が講演の中で、急性期の非常に早い時点で、集団での心理教育を行い効果を上げていることを話されたが、興味深く印象に残っている。私の病院でも、数年前の「SST服薬教室」が急性期の患者さんが入院してくる閉鎖病棟で復活することを望みたい。

   時間の過ぎるのが早い。桜も散ってしまった。なぜか、私にとって今年の桜は何度見ても綺麗に見えなかった。気温差の問題かと思っていたが、綺麗に見えなかったのはどうも私だけらしい。それだけ心に余裕がなかったのかもしれない。もっとゆとりを持って、綺麗なものを心から綺麗だと感じられるようになりたい。

   来週は、三原で開催されるジプレキサ学術講演会の「オランザピンによる急性期治療での有用性」と題されたパネルディスカッションに、パネリストとして参加する予定である。ジプレキサ高用量による統合失調症の急性期治療について症例呈示を行いコメントを述べることになっている。さてどうなることか。

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