ヤダリンのひとりごと
理解されにくい能力障害、そして親の偏見
平成14年4月14日

 40歳前後の女性、Rさん。診断は精神分裂病(まもなく統合失調症と呼ばれるようになる)である。もう10年以上前から私が診させていただいている。過去に入院歴があるが、この10数年間はずっと在宅生活であり、ここ数年は年1、2回の外来受診である。かなり遠方から数時間をかけて来られる。また、保険を使わず自費診療で長期間の薬を持って帰られるため、おそらく1回の受診に交通費を含め数万円以上かかっていると思われる。彼女は、もともとかなり知的レベルが高く学歴もある女性である。と同時にプライドも高かった。ある領域に関してはかなり高い能力を有しているようである。

 先日、約1年ぶりに彼女が受診した際に「私は能力の限界を感じる。私を雇ってくれる職場はもうない。年老いた親は年金生活だし、職のない私は今後どうやって生活していけばいいのか」と言われるのだ。深刻な悩みである。未婚で収入のない彼女が将来不安になるのは当然であろう。

 彼女がもっと若い時には、「私には能力がある。周囲は低脳な人間ばかりだ。とてもそんな人達の中で一緒にやっていくことはできない」という意味のことを述べ、職場の周囲の人間に対する不平不満、批判ばかり述べていたのを思い出す。ところが、あれだけ自信過剰にも見え目標を高く持ちすぎていた彼女が、数年経った今、自分の能力の限界について話すのだ。これには少し驚いた。おそらく年をとって気弱になってきたと同時に、数年間の自分の経験から、自分自身を客観視できるようになってきたのであろう。現実的な見方ができるようになった、すなわち病気そのものは改善していると言える。疎通はとても良く、外見上は普通に見える人である。

 精神分裂病という病気は、適切な治療を受けると派手な症状はかなり改善する。しかし、回復後もなんとなく疲れやすくなったり、何事にも長続きしなかったり、集中できなくなったりすることが長く続く。そして、対人関係や生活が下手になったりする。もともとの能力を100%として、発病して30%まで能力が落ちたとし、治療をして回復した時、90や95あるいは98%まで容易に戻ってもなかなか100%まで戻りきらないことがけっこうある。戻りきらない部分は、病気の後遺症みたいなものであり、生活障害や能力障害と言われるものに相当する。そのためにリハビリテーションを必要とするのである。ただ95や98%までも回復している場合には、ちょっと見ただけではわからないことが多い。我々専門家にもわからないことがある。本人をよく知っている人から以前の話を聞き、そこでようやくわかることがある。従って、なかなか周囲から理解されないことなのだ。周囲は、「こんなこともできないのか」「どうしてできないのだ」「わがままを言うな」「怠けるな」「努力が足りない」などと本人を責めることになる。本人は一生懸命やっている。でもこの後遺症みたいなものは回りからは理解されない。本人はとても悔しい思いをすることであろう。生活障害や能力障害を捉えることは、心の病を理解する上で非常に重要なポイントの一つである。回りからは当然働けると思われる患者さんでも、現実には困難がつきまとうのである。

 Rさんの場合も、私自身、限りなく100%近く病気は回復していると思っていた。そしてある程度、得意な領域において、もともと持つ高い能力を発揮できると考えていた。ところが、その領域においてさえ実際にはほとんど収入を得ることはできない状況に追い込まれている。Rさんによれば、「それでも母は私を一人前の人間にしようと考え、手に職を持たせるため、今、ある試験を受けさせようとしている。でも自分にはとても無理と思う」とのこと。私は、障害年金や生活保護、そして精神障害者保健福祉手帳など利用できる制度があることを説明したが、Rさんは「とんでもない。母は私が障害者であることを絶対に周囲に知らせたくないと思っている。だから通院も保険も使わず自費にしている。障害年金や生活保護などは絶対に受けさせないと言っている。通院公費負担制度などもってのほか。そんなことをすると皆に知られてしまう」と言う。彼女はずいぶん悩んでいる。「かといって私としても母に心配をかけたくないのである程度は母の言うことは聞かないと」と言われる。彼女は、自己の病気の後遺症としての能力障害に気づいているのに、親がそれを理解せず彼女に無理な要求をしているのだ。そして世間体にあまりにもこだわり、とにかく病気を隠し通そうとしている。今、ここで必要なのは母親への教育だと思った。世間体をあまりにも気にかけすぎ、そして精神疾患に偏見を持った母親に病気について理解していただくことが課題だと考えた。本来ならこういう時に、患者さんを持つご家族が集まって話し合いをしたり勉強をする「家族会」への参加が意味を持ってくると考える。精神疾患を有する人が回復し社会に適応していけるためには、家族を含め多くの人々の病気に対する理解が必要だと改めて考えさせられた。

 ここのところ、ホームページの更新ペースがかなり遅くなっている。いろんな場で指摘される一方、また応援もいただいている。なんとか頑張っていきたい。それにしても、今日は部屋に閉じこもっているのがもったいないくらい、溶けてしまいそうなくらいポカポカとてもいい天気だ。どこかに出かけたい気分である。またまた更新が遅れそうだ。やれやれ。

(注:患者様のプライバシー保護のため一部内容は変更してあります。)

「ヤダリンのひとりごと」のINDEXに戻る
トップページに戻る