ヤダリンのひとりごと
ゆとり
平成13年10月11日

 今日は外来日であったが、めずらしくゆとりがあった。途中で患者さんが途切れることもしばしばあった。午前中の外来は昼前にほとんど終わり、午後の予約外来も予定より早く進んだ。いつもどんなに頑張っても診察は遅れがちで患者さんを長時間待たせてしまうことが多い。今日のような日は滅多にない。途中、職員の健康診断を受けることができたし、ゆっくりと昼食をとることもできた。空き時間に退院患者さんのサマリー(要約)を書く時間さえあった。不思議である。今日の外来受診者数が少なかった上に、状態の悪い人がほとんどおらずスムーズに診療が進んだということもある。

 退院後、初めての外来受診者が2人いた。いずれの方もさほどすっきりしない状態で退院されたので、退院後のことが心配であったが、まずまずのようだった。一人は、60歳近い躁うつ病の男性。昏迷状態で入院。(入院時、全く反応がなく瞬きもせず一点をみつめたままで地べたに寝っころがっていた。)彼は、入院してしばらくは「僕は絶対に治らない。死にたい」と言い張っていたが、抗うつ薬の投与で少しずつ回復した。引きこもりがちで、まだ活気がないが、どちらかというと奥さんが早めの退院を望んでおられるように見えたので私としてはやや早いとは思ったが退院を許可したのであった。彼は約束どおり一人で来院されていた。とりあえず、退院後初めての外来としては合格としよう。もう一人は、60歳近いうつ病の女性であった。意欲低下が著しく、5か月ほど入院しておられたが、「家に帰って本当にやっていけるのか」と常に不安が強く入院が長引いていた。私は、退院と同時に「やはり駄目でした」と言われるのではないかと心配していたが、「大丈夫でした。眠れるし家事も少しずつできてます」と聞き一安心した。彼女はつい先ほど、たまたま娘婿のお母さんとばったり出会ったとの事だった。この娘婿のお母さんは、1年以上前から私の外来に通院されている方であるが、初診当時の「胸が苦しい」との訴えは全く陰をひそめており「おかげさまで調子いいです」とニコニコしながら語ってくれたばかりであった。抗うつ薬がとてもよく効き、体の訴えがみごとにとれた方であった。

 さて、話を元に戻そう。ゆとりがあると、いつもとは違って少しのことでカッカッと腹が立たないことに改めて気づいた。いつもよりもゆっくりと話し、患者さんに穏やかに応対することができる。これは大切なことだと思う。おそらく忙しい時には「今こんなこと言うなよ」という陰性感情が知らないうちに患者さんに伝わり、「受診しなければよかった」という思いを持たれているかもしれない。やはり短時間でも受診してよかったと思っていただけるような外来にしたい。「今日も先生のその笑顔が見られて良かった」と言ってくれる、スポーツ刈りで上下黒ずくめ、大柄な、見方によっては少し怖そうに見える薬物依存の患者さんがいるが、こう言ってもらえるのはありがたいことだ。彼にはなんとか薬物をやめて欲しいし、彼も「本当は自分もやめたい」と言っているのであるが、残念ながら私はこの領域は苦手であり、彼にどう協力していいのかわからない。彼にはそんな事実を伝えている。私はできないことや苦手なことやわからない事はそのまま伝えることにしている。

 今日は、同僚の先生方と何人かの患者さんについて話す余裕もあった。自分一人ではどう考えていいかわからない症例が時々あるが、他の先生やスタッフと話していて新たな発見や気づきのあることは多い。自分がどう対応していいか迷う時、他の先生方がどう考えるのか知ることができ自分の診療に役立てることができる。私は参加者の多い会議ではまず一言もしゃべらないが、他の先生やスタッフと一対一で対話するのは好きである。本を読んで自分で勉強したり講義を聴くよりはるかに得るものが多い。考えてみれば、今、私が使っている技法や基本的な考え方は、やはり現場で先輩の先生方との一対一の対話で学んだものがほとんどである。年数が経って少しは独自な物の見方ができるようになった気はするが。

 また、今日は、早く帰宅した。時間があった。多少、文献を読むことができた。明日も少し頑張ろうという気にもなれた。ここのところ、常にくたびれていて、常に不機嫌で、常に何かと不平不満を持ち、常に怒りっぽい日が続いていた。でも今日は一息入れて、多少エネルギーを蓄えることができたと思う。ゆとりや暇は時には必要である。

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