ヤダリンのひとりごと
現実的になること
平成13年9月4日

 20代後半の女性。もう5、6年以上はかかわっていると思う。おそらく大学受験勉強中に幻覚妄想状態で発症した精神分裂病である。数年前に3か月の入院歴が2回あると記憶している。とにかく大学受験にこだわっていた。最初は、京大の法学部を目指していた。その後、目標は東大になった。女性官僚になることが夢だったようである。学歴への異常なまでのこだわりがあった。数年前は、外来診察室に入るたびに泣き、また死にたいと訴え、診察時間も長びき、正直言って私の中に陰性感情を引き起こす患者さんであった。彼女の話からは両親の病気に対する理解も悪いようであった。

 彼女は、3、4年前にとりあえず地元のA大学に入学した。よく頑張ったと思う。このように精神分裂病者であっても大学受験に合格できる人が数少ないがおられる。(彼女の他にも、高校生の時に入院歴があるが、4年制大学を卒業し、その後も通院を続けわずかの薬を飲みながら働いている人がいる。つまり、精神分裂病にかかったからといって学校を必ずしも諦めないといけないというわけではない。)ところで、もちろん彼女にとって、A大学への進学は本意ではなかった。家族からの再三の説得で受験し合格したのであった。従ってA大学に進学後もさらに京大の法学部、他の国立大学の薬学部や理学部への進学を諦めなかった。彼女は、通学中であるA大学の勉強、さらに他大学進学のための受験勉強をしながら、その上、家庭教師やホテル、飲み屋(とてもそんなところで働ける人とは思わないが)などでアルバイトをすることがあった。いつ眠っているのかわからないような生活を送っていた。私は、頑張り過ぎでいつ彼女の病状が悪化するかとても心配であった。しかし、運良く病状の大きな悪化はなかった。といっても今でも幻聴は出没している。(幻聴がありながらも通院でやっていける人は多い。)彼女は、私の処方した薬をとても気にいってくれている。(私が担当になってから主剤はスルピリドであり、ずっと変更はない。)この薬のおかげで集中力が出て勉強ができるのだといつも感謝される。自分が精神分裂病だと診断されていることも知っていて、本などを読んである程度の知識も持っている。時々、大学の定期試験が受けられず、診断書を書いてあげ再試験にのぞんだりしている。

 そんな彼女にも最近、変化が現れ出した。あれほどまで有名大学の法学部、そして中央での女性官僚にこだわっていたのに「もう県外就職はやめた」「受験はやめた」「とりあえず今の大学を卒業するようにしようと思う」としだいに考えが変わってきたのである。「ずいぶん現実的に物事が考えられるようになったね」と私は彼女を評価した。彼女は言う。「あの頃は病気が受け入れられなかったんです。なぜ私ばかりがこんなことになるのかと思って。でも、まず現状認識が大切だと思うんです。今の自分を認めなければ何も始まらないでしょう。6年浪人しても○○大学に合格する能力がなかったわけですから。自分の病気を人のせいにしてはいけないということです。皆に迷惑をかけたけど、そして母はああいう人だけど、でも周囲の人には感謝しています・・・」私は感激した。自らここまでの表現ができるようになったのだ。病気を受け入れられるようになったのだ。私からするとまだそれでも目標がやや高いと思う面はあるが、今まで以上に現実的に物事を考えられるようになったことは非常に評価できる。現実的になること、これは病気の受容と同時に非常に重要な治療目標だと思う。そのためには今の自分を客観的に捕え、自分ができることとできないことを区別できなければならない。

 そして周囲の人に感謝の気持ちを持てるようになったことも評価できる。人を批判、攻撃するだけではなく、人に感謝できることはとても大切なことである。人は誰も一人で生きていくことはできない。必ず他人のお世話になっているはずである。感謝の気持ちが表現できるのは、それだけゆとりが出てきたと考えていいであろう。

 彼女は些細なことでも私の当直の時によく電話してくる。時には、深夜の1時、2時、いやもっと遅い時があったかもしれない。カルテに貼られた電話のメモは膨大な量になっている。しかし「迷惑になっていたら言ってください。外来診察時にできるだけ時間がかからないようにするためにこうして電話しています」と言う。私にとってはありがたいことだ。外来診察時に時間をとらないように配慮してくれているのだ。私の外来日の予約以外の患者さんの診察時間は、一人2〜3分。それを超えるとカルテがたまってしまい他患に多大な迷惑をかけてしまう。限られた時間に受診する患者さんの数が増えれば、一人あたりの診察時間が減るのは当然であるが、この算数が理解できない人が多くて困る。彼女はそのあたりもよくわかってくれている。相手の状況まで考えた言動がとれることはとても評価できる。電話でも簡潔明瞭に要領よく短時間で話せるようになっている。病状の安定度が高まったことにもよる。私にとっては外来で時間をとられるよりも、当直の深夜にでも電話をいただく方が好都合なのだ。などと言うと事務当直の方は怒るかもしれない。なぜなら私の当直の夜間は電話が鳴り続け、しかも「電話をかけたら電話中であり、7回目でやっとつながった」といった現象が生じており苦情が出ることがあると聞いている。

 本当にここ数年で彼女はずいぶん成長した。しかし、ここまでくるのに数年かかったのだ。やはり年単位の時間が必要だ。以前は私の中に陰性感情が生じたが、今はそのようなことは全くない。そして少し太ったが、とても美しくなった。病状の改善につれて外見が綺麗になることはよく見受けられる。それだけ気持ちに余裕が出てくるのであろう。今は泣くことはない。しんどくないことはないはずだが生き生きしている。彼女の大学生活も後半に入っている。周囲からはかなり変わり者扱いされているようではあるが、なんとか無事、卒業してもらいたいものである。

「ヤダリンのひとりごと」のINDEXに戻る
トップページに戻る