ヤダリンのひとりごと
残念なこと
平成13年5月20日

 一度だけ受診歴があるが、そのままになっており、忘れた頃に警察から問い合わせがありカルテを見て初めて思い出すような症例がある。
 少し前のことだが、比較的若い男性が家族につきそわれ私のところにやって来た。同行した家族の話や診察時の状況から、まず精神分裂病であろうと思われた。すぐ治療を開始した方が望ましい状態であった。その時、病名を告げたかどうかは覚えていないが、おそらく「精神病の状態なので、特別なお薬を飲む治療が必要です」といった説明はしたと思う。ところが家族は、ある宗教の熱心な信者らしかった。本人を診察室の外に連れ出し、私の診察を非難した上で「それならもうよいです。来週は本人を温泉旅行にでも連れて行き、その後に考えますから」と治療を断ってきた。その後、受診することはなかった。
 数か月後、ずいぶん離れた県外の警察から「ある事情(具体的内容は忘れたが犯罪行為だったと思う)で保護している。お宅の病院に受診歴があると聞いたので教えて欲しい」と問い合わせがあった。その時、思ったことは「あの時、治療を始めていたらこのようなことにならなかったのに」ということだ。家族は、私の病院に薬を使わない治療を望んで来られたようだった。草津病院にいくらストレスケア病棟があるからといっても、また優秀な臨床心理士が多数いるからといっても、精神病を薬なしで治療するのはまず無理である。そこが理解してもらえなかったのであろう。背景に信仰する宗教の影響があったかもしれない。私は決して宗教に対し否定的な考えを持つ者ではなく、宗教は心のよりどころになり、また宗教の仲間によりささえられている患者さんも多数おられることは認めるが、「宗教で精神病は治らない」ということは断言してよい。たとえ良くなったように見えることはあっても結果的に治すことはできない。
 また、この例で残念に思うのは、もし同行した家族が私の助言を聞き入れ私に治療を望んできたならうまく治療できていた可能性が高いことである。受診時の本人に治療を受けるかどうか判断する力がない場合、同行した家族の意見がどうしても重視されてしまう。家族が治療を望まない場合、我々は動きようがない。もちろん治療の重要性を十分説明するがどうしようもない場合がある。こういう場合、警察に保護されるまで待つしかないのである。でもしかたない。これが現実である。
 逆に、治療を受けて良くなった患者さんには、治療を受ける機会を与えてくれた家族に感謝の気持ちを持ってもらいたいと思う。

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