ヤダリンのひとりごと
遠方からの通院者
平成12年7月30日

 私の患者さんには県外からの通院者がけっこういる。遠いところから何時間もかけて通院されている。「毎月遠いところからご苦労様です」と頭の下がる思いである。
 50歳過ぎの男性。昭和61年頃、分裂病を発病したと思われ、平成5年に数か月入院歴がある。退院後は復職し、退職するまで無欠勤。柳井から月1度の通院は6年以上に及ぶ。病状に良くなったり悪くなったりの波は全くなく安定度は非常に高いと言える。処方変更もない。(私は、「本当に病気が良くなったこと」イコール「何年も病状に波がないこと」プラス「処方変更が非常に少ないこと」だと思っている。)家族によれば、私の勤める病院に入院となるまで希望しても入院させてもらえず、会社も出勤したり休んだりの繰り返しであったとのこと。ある時、暴れるのを高速を使って何とか広島まで連れてきて、とりあえず一般病院に駆け込み、その後公立の病院を紹介されその後、たまたま私の所に来られた。初診時は、専門用語で言うと「緊張病性興奮状態」にあり、話は全く通じない状態で、鎮静目的で注射をするのに男性スタッフ何人もの力を要した。入院治療で劇的に良くなった。「入院」には、「もう何年も良くなったり悪くなったりの状態をすっかり良くする力」を有する場合がある入院を嫌がっていた人でも「入院して良かったです」と言う患者さんは多い。
 ところで、先ほどの話に戻るが、今度はその奥さんの知人の紹介で、また柳井から別の患者さんが来られた。医療関係者であった。初診時、職場のストレスがきっかけのうつ病と思われ入院を要するまでにも見えなかったため、近くの病院への通院をすすめたが、その患者さんの奥さんが「絶対、草津病院でないといけない」と強調するのである。そうこうするうちに病状が更に悪化。結果的に開放病棟に入院となった。入院直後は「自分の過去が皆に知られている」とか「食事をする価値もない人間だ」と言い食事を拒否したりした。分裂病性の病的体験が明らかになり、結局「うつ」は二次的なものであることが判明、抗精神病薬であるリスパダールを少量使用することでみるみるうちに病状は改善した。奥さんの判断は正解だったのかもしれない。
 その他にも、Oさん、Iさん、もう一人のIさん、Nさん、・・・など多数県外からの通院者がおられる。一人一人振り返ると、入院当初はそれなりに大変な方が多かったように思う。それでも皆とりあえず良くなっている。だから遠方から月1回の通院でやっていけるのであろう。

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