ヤダリンのひとりごと
外来診療
平成11年6月23日

 先日、保健センターと社会福祉協議会が協力して実施している、精神保健福祉ボランティア養成講座の講師をつとめる機会があった。変に思われるであろうが、私は人前で講義をしている時、心のやすらぎと充実感を味わうことができる。外へ出かけることを非常に苦手としている私にとって、講義をすることより運転して会場までまともに行けるかどうかの方が重大な問題であり、何日も前から悩まなければならないのである。20年間も広島に住んでいながら町の中を知らず、先日も電車を乗り違え笑われてしまった。
 さらに恥ずかしいことに私はこれまでこのボランティア講座そのものの存在を知らなかった。このボランティアというのは、共同作業所の作業やレクリエーション、バザー販売への協力、スポーツ交流などイベントへの協力を行なっているそうだ。精神科の病気にかかっても適切な治療を受けることでずいぶん良くなる人達がいる。しかし、ちょっとしたストレスで病気が悪化することがあるし、不幸にも発病が昔であるがために、また病気をこじらせたり、その後遺症のために、あるいは長期間社会生活から離れていたために、退院しても在宅で通常の生活を送ることが困難な方がいる。精神科の病気を持っておられる人々が病院外で、つまり地域で生活できるためには、さまざまな援助や制度が必要である。できるだけ多くの人に精神保健について関心を持っていただき、心の病を持った患者さんが堂々と生きていける世の中になることを望みたい。
 それにしても、私が外来で診させていただく患者さんの数は、11年前の約6〜7倍に増えた。外来診療日は、朝から夕方までほとんど外来診察室から出られることはない。ちょっと話が長引けば、目の前のカルテがすぐ山のように積まれてしまう。看護婦さんが患者さんの名前を呼び患者さんが診察室に入って来られるまでに、カルテを開け、日付など2種類のスタンプを押し、処方を書いておく。患者さんの入退室の時間をすべて含めて、午前中は平均約3分の診療である。短い場合は、数十秒ということもある。(午後は少しペースは落ちる。)(最近、カルテの文字は乱れるばかりで後で読み直してわからないことがしばしばある。)できるだけ患者さんの待ち時間が少なくなるよう努力している。具合が悪くて診察に時間がかかることが予測される場合は、順番を変わって後にしていただくことがある。一人の方のために何十人もの方の待ち時間が長くなるのを防ぐためである。診療中は、できるだけ電話はとらない。通常の自分の診療時間には新患を診ない。朝は、早くから診療を始める。それでも時間内に終わるのがやっとの状況である。ついつい早口になってしまう。そしてどうしても動作が遅くなってしまうお年寄りには、いけないと思いながらも、つい不機嫌な態度をとってしまうことがある。老人に好かれる医者はいい医者であると言われるが、私のところには老人は来られないし、去っていかれる傾向がある。いつそのつけが回ってくるか不安に思っている。再来の診察には時間をかけないが、逆に新患には時間をかける。時に2〜3時間を費やすこともある。それだけ、最初の出会いにはエネルギーを注いでいる。さまざまな情報をもとにして適切な判断をし、本人や家族が何を望んでいるかを知り、今後の方向を決め、それをわかりやすく説明するには時間がかかるのである。極端な言い方をすれば、最初がうまくいけば、あとは放っといてもなんとかなるというのが私の考えである。その位、最初は大切なのである。
 先日、ある職員から、要約すると「患者さん一人一人の応対に時間をかけすぎ。少しづつの積み重ねがまとまった時間になる。家族面談、福祉事務所の病状調査や電話応対にも時間をかけすぎている。これでは、新患が診られないし今後増えていくであろう患者さんに応対できない(ので考え直して欲しい)」という意味の指摘があった。これは、私にとって心外なことであった。スタッフはこういうふうにしか見ていないのかと残念に思った。その話を聞いたのが外来終了後ということもあり、完全に意欲を失ってしまった。しばらく言葉が出なかった。いいわけをする気力もなかった。自分だけがいっしょうけんめいやっているとは思わない。スタッフ皆、がんばっているのはよく理解しているつもりである。しかしながら、時に労働意欲を失わせるスタッフがいるのもまた事実である。・・・その後、数日たった今、患者さんへのゆとりを持った応対、診療の時間配分にもっと配慮すべきとも考え直しているところであるが、どうなることか。

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