ヤダリンのひとりごと
過保護
〜それは自然な回復を妨げる
平成12年6月8日

 過保護という言葉が適切かどうかわからないが、患者さんにべったりの親がいる。子離れできていないと言い換えることもできよう。入院中は毎日のように面会に来る、面会に来ると何時間も病室におられる、患者さんはすっかり大人であるのに「○○ちゃん○○ちゃん」と言い着替えさせたり涙を流したりする、本人に代わって病棟や看護者への不満を述べる、退院すると外来受診のたびに同伴する、そして診察時は患者さんはほとんど無口で同伴した親だけがああだこうだとしゃべる、といった具合である。経験的に言って、こういう症例では病状の回復が遅れるように思う。なぜだろうか。おそらくこういった場合、たいてい親の要求水準が高く過干渉で、医療や治療そのものに批判的であり、問題が今すぐ解決することを望んでいるように見える。患者さんに近づき過ぎて状況が客観視できていない。それに加えて家族の不満や要求を「早く解決しようという気持ち」が私の方に働き私がそれに振り回され、そして私自身の家族に対する陰性感情のために患者さんのことが十分に考えられなくなるのであろう。
 精神科の治療には時間が必要だ。治療が順調に進む場合、自然経過にまかせておけば、そのうち少しずつ良くなることが多い。われわれからみると治療経過中どうしても避けることのできない病状や薬の副作用が現れることがある。つまり一時的にすごく無気力になったり眠ってばかりになる、またはろれつが回らなくなったりぼおっとした表情になるなどである。自然経過にまかせておけばよいのに早く問題を解決しようとして処方を変更すると、全体のバランスを失いやすくなるせいかむしろ病状の改善が遅れるように思う。(注:何事も放置すれば良いと言っているのではない。もちろん緊急事態のこともある。)頻回な処方変更を要求する人がいる。そのような人には私は次のように言う。「この問題を解決しようとして今処方変更をすると、この問題は解決しても全体のバランスを失い新たな別の問題が発生する。だから待ちなさい」と。処方変更が多い例はうまくいっていないことが多い。
 外来診察時に家族を入室させなくなり経過が好転することがある。たいてい処方箋をみると変更がない。ずっと同じ処方が続いている。家族の訴えに振り回されて頻回な処方変更をしたり自然な回復を捻じ曲げると失敗するのだ。私はしばしば診察時に親の入室を拒む。それは私の判断が狂わされることを恐れるからだ。もちろん医師が病状すべてを完全に把握することは困難で、ご家族からみて気づいたことを教えていただくことは大切だと理解していることは強調しておきたい。しかし、できる限り外来受診時には親が同時に入室しないで欲しい。話がある時には別に伝えてもらいたい。診察時には患者さん自身に話して欲しい。親が入室しなくなり笑顔を見せてよく話し良好に経過するようになった例は多い。ご家族にお願いしたいことの一つ。過保護になりすぎずゆっくり待って欲しい、あまり近づき過ぎず適切な距離をおいて客観的にみて欲しい、ということである。そして、患者さんができることは自分でさせて欲しい。

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