ヤダリンのひとりごと
楽をすること
平成12年5月26日

 「楽をすること」はとても大切なことだと思う。私の基本的考え方は「楽をすること」である。こんなことを言うと怠慢だと思われるかもしれない。しかし「楽をすること」を目指して、さまざまな工夫や努力をする結果、進歩が生まれると信じている。
 私は、ずいぶん前からコンピュータや数学に関心をいだいてきた。その理由は、複雑なことを簡単にしてくれることだ。私がコンピュータとかかわりを持ち出したのは約25年前にもなる。それから数年間は、特別な言語を使ってコンピュータを動かすためのプログラムを作ることにエネルギーを注いだ。今ならパソコンやワープロ、電卓などどんなものにでも附属しているが、たとえばカレンダーを表示させることだって大変な作業であった。任意の年のカレンダーを打ち出すためのプログラムを作るのである。その他、数学の問題を解いたりグラフを描くプログラムなどを次々と考えていった。現在のように、あいまいな表現であってもパソコンが認識して動く時代ではなく、膨大な行数のプログラム上で「.」と「,」を間違えるだけでコンピュータは動かず、目標が達成できるまで何日もあるいはそれ以上も費やした。夕方から翌日朝方にかけてコンピュータの前に座りっぱなしのこともあった。やっとのことでコンピュータが自分の思い通りに動いたときの感激は大きかった。現在は、あらかじめ完成されたソフトを使えば何も考えなくても簡単に同様の複雑な繰り返し作業ができる。表計算ソフトにはさまざまな関数やグラフ、高度な統計処理のプログラムがあらかじめ準備されている。隔世の感がある。昔は、記憶媒体も紙の袋につつまれた今よりも大きなフロッピーディスクや磁気テープや紙のカードであった。いったんプログラムを完成させると、同様の複雑な作業をコンピュータはあっという間に行ってくれる。数学にも同じような面がある。ものすごく複雑な展開であっても、いったん公式や定理を導いておけば、それを利用してどんどんいろんな問題が解決できる。
 「楽をすること」・・・それは、現在の日常の診療にも当てはまる。私の治療の基本的考え方は、「簡略化」にある。できるだけ単純な処方と治療法、そしてできるだけ簡単な説明をこころがける。そして患者さんや家族までもが楽ができるように考える。ある日、ある看護者に言われたことがある。「先生の薬をセットするのは楽でいい」と。どうも「処方箋の使い方の関係」で、薬袋の準備が簡単にできるらしい。そして全体的に私の患者さん一人当たりの錠剤の数が少ないというのだ。初めて聞いた話であったがなるほどと思った。ここで具体的に説明するのは困難なことだが、「処方箋の使い方の関係」というのも、ただ私は自分が楽をするためにとっていた方法である。私が楽をするためにやっていたことが、結果的に看護者が楽できることにつながったのである。単純な処方と考え方の採用で結果的に錠剤の数が減るのは望ましいことである。患者さんの負担も減るであろう。また、別のところで述べるかもしれないが、私の外来患者さんは、1日1回〜2回服薬が多い。1日、3度も4度も服薬するのは大変だろうから服薬回数を減らすことを常に考えている。限られた時間内で多くの患者さんを診ることができるのも、楽をするために作られた病院独自の特異な処方箋のおかげである。
 「楽をすること」が、ただそれだけで終わってはならない。「楽をすること」で良い結果が生まれることが大切だ。そして「楽をすること」で生まれた余裕は、また次に「楽をすること」を考えるエネルギー源になるのである。楽をするためには努力と工夫が必要だ。そこがポイントである。努力と工夫の結果得られる達成感は大きい。毎日の業務を簡略化し、その結果生まれたゆとりを患者さんとのコミュニケーションに当てたり、またスタッフ自身がストレスを軽減する時間に使えばよいのである。

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