TOPIC No.9-3 原人類/旧人類/新人類- 旧石器時代(1万2千年前〜250万年前) - |
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| No. | 化石発見の年月日及び場所 | ||
| 01. | エチオピア原人(ホモ・エレクトス) | 2000年ケニア北東部トゥルカナ湖東岸で発見 | |
| 02. | ジャワ原人(ホモ・エレクトス) | 1891年10月ジャワ島で発見(ピテカントロプス1号) | |
| 03. | 北京原人 (ホモ・エレクトス) | 1929年中国・周口店で発見(前期旧石器時代) | |
| 04. | ホモ・サピエンス | 古代ホモ・サピエンス(前期旧石器時代) | |
| 05. | ソロ人 | 中部ジャワのソロ川流域 | |
| 06. | ネアンデルタール旧人 | 1856年ドイツ・ネアンデル谷(中期旧石器時代) | |
| 07. | ホモ・サピエンス類似? | 1974年オーストラリア・マンゴ湖遺跡 | |
| 08. | クロマニヨン 新人 | 1868年フランス(後期旧石器時代) | |
| 09. | 山下町第一洞人 新人 | 1962年、1968年沖縄/那覇市山下町 | |
| 10. | ピンザアブ洞人 新人 | 宮古島上野村で発見 | |
| 11. | 港川人 新人 | 1967年沖縄/具志頭村港川 南方系の古モンゴロイドの一派 | |
| 12. | ワジャク人 新人 | ジャワ東部 |

| 01. | 人類の進化 by 生命と宇宙(Ken Yao のページ) | ||||||
| 02. | ミトコンドリアDNAの可能性と限界 | ||||||
| 03. | 人類のルーツはアフリカの一女性「イヴ」byおもしろバイオ基礎講座 | ||||||
| 04. | グレートジャーニー2001年人類の旅50,000キロ by Fuji TV | ||||||
| 05. | 私たちはアフリカで生まれ、そしてアジアで育った。人類進化概論 by国立科学博物館 | ||||||
| 06. | 日本人はるかな旅展 by国立科学博物館 < | ||||||
| 07. | ジャワ原人の故郷 byインドネシア歴史探訪 | ||||||
| 08. | 古人類学上のニュース | ||||||
| 09. | きまぐれNEWSLINK by考古学のおやつ | ||||||
| 10. | 日本列島の新人化石 by Digital Archaeology Resources in Japan | ||||||
| 11. | 港川人1号人骨 by東京大学総合研究資料館 | ||||||
| 12. | 人類の歴史 by本当の日本人の食事物語-(嶋本 菜穂子)
| 13. | ハカタントロプス 筑紫原人(福岡旧石器文化研究会)
| 14. | 理解する世界史
| 15. | 日本人類のあけぼの by独立国家 真珠帝國
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No.9-3-1 原人類(ホモ・エレクトス) |
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グレートジャーニー2001年人類の旅50,000キロby Fuji TV
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| 人類は400万年前、東アフリカに誕生したと言われている。そして、百数十万年前、アフリカを飛び出し、アジア、そして氷河期に陸続きとなったベーリング海峡を越え、極北の地を経てアメリカ大陸へと進み、南米大陸最南端のパタゴニアへと到達した。コロンブスがアメリカ大陸を発見する1万年ほど前のことである。この東アフリカから南米大陸へと続いた人類の大遠征は5万キロにおよぶ壮大な歴史である。グレートジャーニー、それは人類400万年をさかのぼる壮大な旅に挑戦し続ける一人の男の物語である。 |
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ネアンデルタール人、現代人にも遺伝子…10万〜5万年前に交雑か2010年05月07日 読売新聞 YOMIURI ON-Line
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| ネアンデルタール人の成人男性の復元像(国立科学博物館提供)
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| 【ニューオーリンズ(米ルイジアナ州)=山田哲朗】現代の人間とは別種の人類であるネアンデルタール人が、初期の人間と交雑していたという研究結果を、米独の研究チームが7日付の米科学誌サイエンスに発表する。
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| ネアンデルタール人は現生人類(ホモ・サピエンス)との生存競争に敗れ絶滅したとされてきたが、実際には現生人類と交流し、その遺伝子が受け継がれていたことになる。アフリカ以外の地域に住む現代人のゲノム(全遺伝情報)のうち1〜4%がネアンデルタール人に由来するという。
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| 独マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授らは、現在のクロアチアで3万8000年以上前に生きていたネアンデルタール人女性3人の化石から、骨粉400ミリ・グラムを採取。4年がかりでゲノム配列の6割を再現した。
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| 世界各地の現代人5人のゲノムと比較すると、欧州やアジア人で、ネアンデルタール人との共通部分があった。現生人類が故郷のアフリカを出て間もない10万〜5万年前、中東などで先住民のネアンデルタール人と出会って交雑し、その後に現生人類が世界中に進出したため、各地でネアンデルタール人の遺伝子が検出されたと研究チームは推定している。
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| 斎藤成也・国立遺伝学研究所教授(人類進化学)の話「ネアンデルタール人と同時代に同じ地域に生きていた欧州系だけでなく、日本人を含むアジア人にも遺伝子が受け継がれたとすれば驚きだ」
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| ネアンデルタール人 現生人類に最も近い人類で、40万〜30万年前に現生人類との共通祖先から枝分かれした。3万年前に絶滅するまで、欧州と西アジアに分布。現代人より顔の彫りが深く、頑丈な体格だった。 |
ネアンデルタール人と現生人類、混血か ゲノム比較で推定2010.05.07 MSN産経新聞
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| ゲノム解読に使われた約4万年前のネアンデルタール人女性3人の骨の化石(マックス・プランク進化人類学研究所提供)
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| 約3万年前に絶滅した旧人「ネアンデルタール人」のゲノム(全遺伝情報)を骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されるとの研究をドイツのマックス・プランク進化人類学研究所や米バイオ企業などの国際チームが7日付の米科学誌サイエンスに発表した。
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| 旧人と現生人類は数十万年前にアフリカで共通の祖先から枝分かれした近縁種で、ある時期、地球上で共存していたとされる。混血の有無は人類学上の論争の一つで、これまでは無かったとする説が有力だった。 研究チームは、クロアチアの洞窟で見つかった約4万年前の旧人3人の骨粉標本を分析し、ゲノムの約60%を解読。一方でアフリカ、フランス、中国、パプアニューギニアの現生人類5人のゲノムも解析。旧人と比較した結果、枝分かれの地であるアフリカの人より、それ以外の現生人類の方が旧人ゲノム配列に似ており、ゲノムの約1〜4%が旧人由来と推計された。 |
ネアンデルタール人、現生人類と交配May 07, 2010 National Geographic News/Ker Than
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| これからは他人のことを“旧人類”といってバカにする前に鏡を見る必要がありそうだ。最新の研究により、ほとんどの現代人がネアンデルタール人とのつながりを持っていることが明らかになった。遺伝子構造の少なくとも1〜4%はネアンデルタール人に由来するものだという。
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| 研究では、遺伝子解析により、現生人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の異種交配を示す確かな証拠が発見された。ネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅した人類の近縁種である。
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| また、現生人類とネアンデルタール人は中東地域で交わった可能性が高いとも結論付けている。従来の研究ではヨーロッパが第1候補地と考えられてきたが、実際には現生人類がアフリカから旅立った直後だったようだ。
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| 研究チームのリーダーでカリフォルニア大学サンタクルーズ校のエド・グリーン氏は、「ネアンデルタール人から現生人類に向けて遺伝子流動があったことは十中八九間違いない」と話す。
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| アメリカ、ミズーリ州セントルイスにあるワシントン大学の人類学者エリック・トリンカウス氏は、今回の研究を受けて次のように話す。「異種交配の可能性は以前から私も主張していた。当時は化石骨格を基にしたのだが、DNA解析によって一蹴された。ようやく汚名をそそぐことができたようだ」。
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| さらに、トリンカウス氏は、「われわれが実際に受け継いでいるネアンデルタール人のDNAは、今回の研究が示す数値よりもはるかに多いと思う」と話す。「1〜4%というのはあくまで最低限の値だ。10%、あるいは20%という可能性さえある」。
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| ◆ネアンデルタール人と現生人類が交配した意外な場所
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| 研究チームは、中国、フランス、パプアニューギニア、アフリカ南部、アフリカ西部の5人のヒトゲノムと、ネアンデルタール人のドラフトゲノムとを比較した。
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| 解析の結果、現生人類とネアンデルタール人のDNA配列は99.7%が一致していることが判明した。なおチンパンジーとは98.8%一致している。
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| また、アフリカ人以外の民族集団において、ゲノム中にネアンデルタール人のDNAの痕跡が存在していることも明らかになった。この事実は、異種交配の地をめぐって新たな謎を生むこととなった。ネアンデルタール人も現生人類と同様、アフリカ大陸で誕生したと考えられている。ただし、アフリカで両者の共存を示す化石証拠は発見されていない。
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| 「現生人類とネアンデルタール人の間で遺伝子交換があったとするなら、その地はヨーロッパだと考えるのがこれまでの常識だ。数千年の共存期間を証明する、十分な考古学的証拠があるからだ」と研究チームの一員デイビッド・ライヒ氏は話す。
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| 反対に、ネアンデルタール人が東アジアの中国や、南太平洋メラネシア地方にあるパプアニューギニアに住んでいた考古学的記録は存在しない。
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| 「ところが実際には、中国人もメラネシア人もネアンデルタール人と近い関係にあり、ヨーロッパ人だけの特徴ではなかった」とライヒ氏は明かす。同氏は、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学が共同運営するブロード研究所で集団遺伝学の研究に従事している。
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| ◆ネアンデルタール人と現生人類は一晩だけの関係?
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| では、ネアンデルタール人のDNAはどのようにしてアジアやメラネシアにたどり着いたのか?
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| 研究チームによると、ネアンデルタール人と現生人類が異種交配した期間は、現生人類がアフリカを旅立った直後、さまざまな民族集団に分かれて世界中に散らばっていく直前だという。最初の交配は約6万年前の中東地域で発生したと考えられる。アフリカに隣接しており、2つの種が一時期共存していた考古学的証拠も存在するという。
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| 研究チームのライヒ氏によると、2種間で生じた遺伝的影響には大規模な異種交配は必要ない。「ネアンデルタール人と現生人類は一晩だけの関係だったのかもしれないし、異種間のあいびきを何度も重ねていた可能性もある」。
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| ◆異種交配のDNA上の証拠はほかにも存在
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| 現生人類とネアンデルタール人の異種交配に関する遺伝的な証拠が発見されたのは、今回の研究だけではない。
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| アメリカにあるニューメキシコ大学の遺伝人類学者ジェフリー・ロング氏が率いる研究チームも、初期現生人類とネアンデルタール人やハイデルベルグ人との間に異種交配があったことを示すDNA上の証拠を発見しており、学会報告を先月行ったばかりだ。
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| 同チームはネアンデルタール人のゲノム解析を行ってはいないが、異種交配が起きた時期に関しては今回の研究と同様、現生人類がアフリカを旅立った直後だと結論付けている。ロング氏は次のように話す。「私たちの研究は現生人類の遺伝子情報を基に進化過程をたどったもので、実証的な裏付けは予想外だった。非常にうれしく思う」。
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| 研究成果は、5月7日発行の「Science」誌に掲載されている。 |
4万年前、中央アジアに「未知の古人類」生息 化石DNA分析2010.03.25 MSN産経新聞
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| 約4万年前、中央アジアに「未知の古人類」が生息していたとする研究成果を、ドイツ、米国、ロシアなどの国際研究チームが、25日付の英科学誌「ネイチャー」(電子版)に発表した。シベリア南部の洞穴で見つかった化石からミトコンドリアDNAを解読し、進化系統を分析した。未知の古人類は、現生人類やネアンデルタール人と共存していた可能性があるという。
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| マックスプランク研究所(ドイツ)などの国際研究チームは2008年、ロシア、モンゴル、中国の国境に近いシベリア南部・アルタイ山脈の「デニソワ洞穴」で、4万8千〜3万年前のヒトの指の化石を発見。10ミリグラムの化石の粉から、細胞内小器官「ミトコンドリア」のDNAを解読することに成功し、解析の結果、同時代に生息したネアンデルタール人とも現代人の祖先とも異なる系統の人類と結論づけた。
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| 未知の古人類は、約100万年前に現代人やネアンデルタール人の共通祖先から進化的に枝分かれをしたと考えられ、約46万年前に現生人類と分岐したとされるネアンデルタール人よりも早くから、独自に進化したと推定される。
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| 一方、化石が見つかった洞穴からは、多くの石器や骨器が見つかっており、ネアンデルタール人や現代人の祖先と近接して暮らしたことが示唆されるという。
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| 現生人類は、約5万年前にアフリカからヨーロッパ、アジアに進出したと考えられている。一方、ネアンデルタール人は約2万5千年前に絶滅するまでヨーロッパ、アジアの広範囲に生息した。
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| これまで、ネアンデルタール人以外でユーラシアに進出した現生人類と共存した可能性があるのは、小型人類(フローレス原人)だけと考えられていた。研究チームは、中央アジアでは、これまで考えられていたより多様な人類が共存していた可能性がある、としている。 |
5万年前のネアンデルタール人の貝飾り発見2010.01.10 MSN産経新聞
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| スペイン南東部の洞穴で見つかったネアンデルタール人の貝飾り(米科学アカデミー紀要提供・共同)
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| スペイン南東部の洞穴で、ネアンデルタール人(旧人)が作った約5万年前の貝殻の飾りが見つかり、英ブリストル大の研究者らが10日までに、米科学アカデミー紀要(電子版)で発表した。鉱物でできたオレンジ色の顔料を塗り、穴にひもを通して身に着けたらしい。
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| ネアンデルタール人が約3万年前に絶滅したのは、象徴的な記号を理解しないなど、現生人類と比べて知的に劣っていたのも一因との見方に疑問を投げ掛けるものだ。
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| 米紙ニューヨーク・タイムズによると、研究者は飾りについて「他人との違いを表すIDカードのようなもの。現生人類と似た行動様式を持っていたことを示している」と話している。(共同) |
国内最古の人骨:石垣、歴史的発見に沸く2010.02.05 MSN産経新聞
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| 「貴重な大発見だ」「洞穴は保存を」「開港は予定通りに」−−。新石垣空港の建設地から出土した人骨が、日本最古の約2万年前のものであると判明した4日、県内は歴史的な大発見に沸いた。一度は終了した洞穴の文化財調査の中で発見に手応えを感じ、本格調査を求め続けた専門家は、県が次年度、発掘調査に乗り出すことに安堵(あんど)し徹底調査を求める。一方、地元石垣島の住民からは、大きな喜びとともに、住民の“悲願”である開港への影響を懸念する声もあった。
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| 2008年に測量調査で洞穴に入った際、古い人骨や1万4000年前のイノシシの骨を見つけ、そのときの骨が日本最古と分かった沖縄鐘乳洞協会理事長の山内平三郎さんは、「(人骨は)かなり古いと手応えはあった」と発見当初を振り返る。しかし当初の調査では、遺物を含む包含層が見つからず、遺跡の可能性は低いと結論付けて調査は終了。山内さんは、日本人の起源にかかわる貴重な発見が失われることを恐れ、事実関係を文化庁に報告。それを受け、文化庁が県に助言することになり、山内さんの「直感」が県や専門家を動かした。「残された部分も細かくしっかり調査すべきだ」と詳細な調査を強く求めた。
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| 地元石垣市の大浜長照市長は「貴重な大発見だ。八重山の人や人類の起源をたどる研究に大いに役立ててほしい」と喜んだ。また今回の発見による空港開港への影響について「滑走路からだいぶ離れているので、空港の完成に影響はないと考えている。洞穴周辺は保存できるよう対応してほしい」と求めた。
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| 新石垣空港設置許可処分取り消し訴訟の原告の1人で「八重山・白保の海を守る会」の生島融(とおる)事務局長は「県は工事の既成事実を積み上げて強引に突き進んできた。開港ありきではなく、しっかり周辺も調べる必要がある」と話し、近く県に要請する。
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| 「新石垣空港早期建設を進める郡民の会」の真栄田義世事務局長は「空港は生活の足であり、完成が郡民の悲願。貴重な発見でも、事業の中断はあってはならない」と話した。(琉球新報) |
直接分析で国内最古の人骨 沖縄・石垣島 2万年前の男性の頭骨片2010.02.04 MSN産経新聞
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| 沖縄県教育庁などが発掘調査した石垣島(同県石垣市)の洞穴で発見された人骨片が、放射性炭素年代測定法で分析した結果、約2万〜1万5千年前の旧石器時代のものであることが4日、分かった。
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| 沖縄本島で出土した港川人(約1万8千年前)の骨は、一緒に発掘された炭化物を分析し年代を推定した。今回出土した骨片は、直接分析したものとしては日本最古。直接分析でこれまで日本最古とされていた約1万4千年前の静岡県浜北市(現浜松市)の浜北人を6千年さかのぼる。
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| 東大大学院が放射性炭素年代測定法で分析し、20代〜30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、性別不明の成人の中足骨が約1万8千年前、成人男性の腓骨(ひこつ)が約1万5千年前のものとそれぞれ判明した。 |
許昌人の化石を追加発見、専門家「大きな学術的価値」2008/06/12 中国情報局
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| 11日付中国新聞社電によると、河南省の許昌霊井遺跡で6月初旬に、今から8−10万年前に生きていた旧人類とみられる「許昌人」の頭蓋骨が新たに見つかった(写真)。「許昌人」は2007年12月に初めて見つかり、現在の人類に直接関係する可能性もあるとして注目されている。
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| 6月初旬に見つかったのは、頭骨の化石12点。河南省文物局の孫英民副局長によると、07年12月の出土地点の近くで見つかり、互いに重複した部分がないことから同一人のものである可能性があるという。
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| 霊井遺跡では「許昌人」の骨だけでなく、使用していたと見られる石器や牛、馬、鹿、サイの骨も出土している。
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| 現在の人類の誕生については、主にふたつの説がある。ひとつは、ネアンデルタール人や北京原人などの旧人類は20万年前ごろまでに、なんらかの理由でいったん絶滅。改めてアフリカで現人類の直接の祖先が出現し、世界的に広まったとする「アフリカ起源説」。もうひとつは、旧人類が世界のいくつかの地域で平行して現人類に変化したとする、「多地域進化説」だ。
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| 世界的には、最近の遺伝子の研究も踏まえ、「アフリカ起源説」が優勢になりつつあるが、中国では「多地域進化説」を支持し、中国も現人類が誕生した地域のひとつだとする「中国における旧人類連続進化説」が根強い。
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| 「連続進化説」の支持者にとって大きな問題は、中国では200万年前と見られる巫山人に始まり、50万年前の北京人、10−10万年前の遼寧金牛人など、幅広い時期にわたる旧人類の骨が出土しているが、5−10万年前に人類が存在した証拠はなく、「断絶」を否定できないことだった。
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| 孫副局長は、8万年前まで生きていた可能性がある許昌人の存在は、アジアでの旧人類の進化や現代中国人の祖先の問題を研究する上で、極めて大きな学術的価値があるとの考えを示した。(編集担当:如月隼人) |
55万年前、朝鮮半島に原人 韓国・万水里遺跡2007/11/25 中国新聞
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| 同志社大の松藤和人まつふじ・かずと教授(考古学)ら日韓共同研究チームは、前期旧石器が見つかった韓国忠清北道の万水里マンスリ遺跡の年代を五十六万―五十四万年前と割り出し、二十四日、同大で開いた国際セミナーで発表した。
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| 中国・北京近郊の周口店で骨が見つかった北京原人が六十万―三十万年前とされ、ほぼ同じ時期に朝鮮半島にも原人が進出していたことになる。
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| アフリカで誕生したとされる人類がどう広がったかや、日本列島に原人が来たかどうかの議論にも影響を与えそうだ。
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| 万水里遺跡は韓国中央部にあり、団地造成に伴い二〇〇五年に発見された。地下約六メートルの最下層から三点の石器が出たが、年代を判定する決め手がなく、同志社大と韓国・漢陽大などが共同で研究していた。
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| 松藤教授らは氷期に積もった白っぽい砂の層と、温暖な間氷期に風化で赤くなった地層が交互に重なっている点に着目。過去何度も繰り返された氷期と間氷期の年代に対応させた結果、最下層は五十六万―五十四万年前の氷期と割り出した。
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| この年代特定法は比較的新しく、日本の地質学者らが古地磁気法などの科学的測定で妥当性を証明した。
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| 韓国では同教授が同様に三十万年前と測定した全谷里チョンゴンニ遺跡(京畿道)が、年代の分かる最古の旧石器遺跡だった。日本では旧石器発掘捏造ねつぞう問題で、四万年より前についてはほとんどすべてが遺跡でないことが分かった。 |
人類祖先、同時期に2種 定説覆す化石発見 ケニア2007/08/09 The Sankei Simbun WEB-site
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| ケニア北東部で、いずれも約150万年前のものとみられる2種類の人類祖先の化石を発見したと、英米などの国際チームが9日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
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| 2種類のうち一方は猿人と原人の特徴を併せ持つホモハビリス、もう一方は原人ホモエレクトスとみられる。現在、人類はこの200万年の間に、ホモハビリスからホモエレクトスに進化、さらに現代人のホモサピエンスになったと考えられている。今回の発見で、ホモハビリスとホモエレクトスは同時期にほぼ同じ地域で暮らしていたことになり、定説の見直しが迫られるという。
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| チームは2000年、トゥルカナ湖東岸で上あごと頭骨の化石を発掘。上あごには6本の歯があり、犬歯や臼歯の形状からホモハビリスと判断した。地層の火山灰から144万年前のものとされ、これまで165万年前までとされていたホモハビリスの存在時期を20万年以上更新した。
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| 頭骨は頭頂部やあごとの結合部の形状などから155万年前のホモエレクトスと判断された。
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| この結果、ホモハビリスとホモエレクトスは50万年間にわたって、ほぼ同じ地域で生きていたことになり、チームは「ホモエレクトスはホモハビリスから進化したのではなく、共通の祖先から分かれたのだろう」としている。 |
80万年前の人類の遺跡発見 広西チワン族自治区2002年09月12日「人民網日本語版」
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| 広西チワン族自治区百色地区田東県百渡村では先ごろ、80万年前のものと思われる人類の遺跡を発見した。遺跡の規模は700平方メートル。土器や石器など1000点以上が出土した。今回発掘された遺跡は、百色盆地で見つかったこの時代の人類の遺跡としては最も広い。また出土品の数も最多となった。 |
アフリカ、アジアの原人交流?特徴併せ持つ頭骨発見2002年3月21日(読売新聞)YAHOO!ニュース
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| アフリカ・エチオピア中東部の約100万年前の地層から、現代人の直系祖先であるアフリカ原人とアジア原人の双方の特徴を併せ持つ頭骨化石を、米カリフォルニア大バークレー校などの研究チームが発見した。
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| ◆進化論に波紋広げそう◆
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| 北京原人やジャワ原人などのアジア原人は、現代人のホモ・サピエンスとは無縁の地域集団とする見方が有力で、別種扱いする学者もいた。研究チームは今回の発見で、「アフリカ原人とアジア原人は同一種で、行き来しながら現代人への進化の道を一緒に歩んでいたことがわかった」としており、人類の進化論争に大きな波紋を広げそうだ。21日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。
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| 化石は1997年に同国のアワシュ川中流域で発見。頭骨は顔の下半分が失われているが、脳容積は995ccで、中後期の原人に相当。まゆの部分の隆起が太いなど、アジア原人の特徴があった。
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| アフリカに出現した原人は約170万年前に、アジアへ進出し、北京原人やジャワ原人などに進化したが絶滅した。アフリカに残った原人が現代人へ進化したとされている。
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| 国立科学博物館の馬場悠男人類研究部長の話「アジア原人が独自の集団ではないことを示すだけでなく、アフリカの古い原人と新しい原人の空白を埋める特徴もある。ただ、アジアから現代人が発生したわけではなく、アフリカを起源とすることに変わりはない」 |
ネアンデルタール人のゲノム研究 新人と異なる進化2006/08/19 The Sankei Shimbun
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| 現生人類に最も近いといわれるネアンデルタール人のゲノム(遺伝情報)の解読に、ドイツのマックス・プランク研究所と米国のバイオ企業が挑んでいる。化石人骨からDNAを抽出し、近縁とみられるヒト、チンパンジーなどのデータと比較して、進化の度合いをつきとめるのだ。
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| ネアンデルタール人は19世紀に欧州の広範囲で化石がみつかり、当初は人類の祖先とされていた。何しろ、現人類より、脳の容量が多く、彫りが深い顔立ち。現生人類(新人)に対して旧人と呼ばれ、進化の途上にあると考えられたのも無理ではない。
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| しかし9年前、細胞質内のミトコンドリアという小器官のDNAの比較から、ネアンデルタール人は現生人類の直接の祖先ではなく、約60万年前に共通の祖先から分かれた人類だと判明した。どうやらネアンデルタール人は現生人類に滅ぼされたようなのだ。
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| 今回は、細胞の核内に含まれるDNAを対象に研究が行われる。うまくいけば、なぜ人類が高度な知能を身につけられるようになったかなど、人の人たるゆえんが明らかになるかもしれない。(坂口至徳) |
絶滅旧人のゲノム解読へ 米独が人類進化の謎に挑戦2006/07/21 The Sankei Shimbun
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| 約3万年前に絶滅した、旧人と呼ばれるネアンデルタール人の全遺伝情報(ゲノム)解読に、今後2年かけて取り組むと、ドイツのマックスプランク研究所と米バイオ企業の454ライフサイエンシズ(コネティカット州)が20日発表した。
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| 成功すれば、既に解読済みの人間やチンパンジーのゲノムと塩基配列を比べることで、高度な論理的思考能力など現生人類の特徴をゲノムのどこが決定しているのかについて、理解が大きく進む可能性もある。
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| 計画では、保存状態が良いネアンデルタール人の骨から核DNAを抽出して増やし、人間と同様に約30億塩基対とされるゲノム解読を試みる。(共同) |
1万8千年前に別種の人類…ジャワ原人子孫の化石発見2004/10/28 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 現生人類が世界に広がっていた約1万8000年前に、別種の人類が生き残っていたことを示す化石がインドネシアで発見された。
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| ジャワ原人の子孫と見られる新種で、脳の大きさが現生人類の約3割に当たる380ccとチンパンジー並みに小さく、身長も1メートルと小柄だった。人類進化は脳が大型化する方向に向かうとする定説が特殊な環境では合致しないことを示し、「ここ半世紀で最も注目すべき人類化石」との評価も出ている。オーストラリアとインドネシアの研究チームが、28日付の英科学誌ネイチャーに発表する。
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| 発見場所は、インドネシア・ジャワ島の東にあるフローレス島の洞穴。骨盤の特徴や歯の摩耗の状態などから大人の女性と判断した。研究チームは「ホモ・フローレシエンシス」と名付けた。 |
<ジャワ原人>独自に進化 現代人「アフリカ起源説」有力に2003年02月28日(毎日新聞)YAHOO!ニュース
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| 頭部をほぼ完全に残した数十万年前のジャワ原人の脳頭がい化石を、インドネシアと日本の研究グループが初めて発見した。骨の特徴から、ジャワ原人が、現代人の祖先である新人にならなかったことを示し、人類の起源を探る上で重要な成果となりそうだ。28日発行の米科学誌「サイエンス」に発表した。
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| 化石は01年10月、インドネシア・ジャワ島のソロ川で見つかった。すぐ上流にある数十万年前の地層から流れ出したもので、顔部分を除いて頭がいがほぼ完全に残り、男性とみられる。脳の大きさは現代人の約7割の約1000立方センチだった。
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| 化石の解析は、馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長や諏訪元・東京大助教授らが担当した。諏訪助教授が開発したCT(コンピューター断層撮影装置)を使い、外部から見えにくい骨の特徴を調べた。
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| その結果、顎(がく)関節やまゆの部分の「眼窩(がんか)上隆起」などで、他の原人や現代人に見られない特徴が見つかった。過去に発見された、約10万〜約100万年前のジャワ原人の化石約20個の形態と合わせて比較すると、時間の経過とともに、その独特の特徴が徐々に鮮明になっており、現代人への進化から、ずれていくことが明確になった。
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| 現代人の起源に関する有力説の中には、アフリカや東アジア、東南アジアなど、世界各地の原人がそれぞれ新人に進化したとする「多地域進化説」がある。今回の発見はこの説を否定するもので、10万〜20万年前にアフリカで誕生した新人が世界各地に広がったとする「アフリカ起源説」が一層有力になった。
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| 馬場部長は「ジャワ原人がアジア大陸から事実上隔離されていたために、独自の進化が起きたと考えられる」と話している。 【田中泰義】 |
ジャワ原人は十人十色?定説と違う形持つ頭骨見つかる2002年06月30日 Yomiuri On-Line
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| 9年前にインドネシア・ジャワ島で発見された約70―100万年前のものとみられる頭骨化石が、29日までの同国と日本の合同研究でアジア最古の人類「ジャワ原人」のものと分かった。化石にはジャワ原人の定説に当てはまらない特徴があることも判明。研究に参加した国立科学博物館は「ジャワ原人の外見は、考えられてきた以上に多様だったことを示す貴重な資料」と、同館発行の英文学術誌に発表した。
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| 化石は1993年5月に同島中部で見つかり、ほぼ完全な頭がいと、ほお骨や上あごの臼歯(きゅうし)を含む顔面の中央部が残っていた。
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| バンドン工科大学と日本の国立科学博物館、京都大学の合同チームは、この化石の形を詳細に分析した結果、平らな顔面や歯の形から「ジャワ原人」と断定した。
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| しかし頭がいは、前頭部が丸みを帯びているうえ、全体の幅も狭く、「平らな前頭部と、幅のある頭がい」というジャワ原人の特徴は見られなかった。丸い前頭部は、北京原人やアフリカの原人に見られる特徴だという。
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| 原人の外見は、暮らしていた地域で固有の特徴があるというのが定説。だが、アフリカで最近、北京やジャワの原人に似た特徴を持つ頭骨が見つかっており、研究者から「原人はもっと多様な姿をしていたのではないか」との指摘も出ていた。ジャワ島の化石は、こうした説を補強するため、合同チームは、より正確な復元を行う予定。
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| 馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長の話「見たことのないジャワ原人で驚いている。進化上の位置付けを詳しく調べたい」 |
骨とう店で原人化石発見1999年09月07日【ニューヨーク・共同通信社 】
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| ニューヨーク・マンハッタンの骨とう品店に持ち込まれた古い頭骨の化石が、インドネシア・ジャワ島で発掘された直立原人(ホモ・エレクトス)の頭骨で、しかも従来知られていた原人より前頭部が張り出しているなど現在の人類に近い特徴を持っていることが明らかになった。 |
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北京原人 |
北京原人の時代、定説より20万年早くMarch 13, 2009 National Geographic News/Brian Handwerk
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| 北京原人が生きていた時代は、これまでの想定に比べて20万年も前だった。1920年代に存在が公になった彼らは進化論に大きな弾みをつけたが、最新の研究によってその生息時期が数十万年単位で前倒しされることになった。
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| この研究は、北京原人を含むホモ・エレクトスの移動ルートが2手に分かれたことを裏付けるものでないかとみられている。アフリカを出た後に、中国北東部と東南アジアの2ルートに分岐したという説だ。
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| 北京原人はホモ・エレクトスの亜種で、その化石はかつて中国北京近郊の周口店(しゅうこうてん)で発見された。周口店はホモ・エレクトスの発見場所として世界で最も重要視されている場所であるが、新たに特定された時代は、以前の想定時期よりも涼しく快適な環境であったとみられる。
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| 今回発表された研究では、この地域に埋まっていた石英粒子の同位体分析が行われた。その結果、北京原人が生息していたのはおよそ75万年前のことで、以前の定説に比べると20万年も早かったことが判明した。この研究は中国にある南京師範大学の沈冠軍(Shen Guanjun)氏らによって実施された。
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| 「アフリカから始まったホモ・エレクトスの集団移動ルートが、書き換えられる可能性もある」と同研究の添付資料とされている分析結果を発表したアメリカのアイオワ大学の人類学者ラッセル・ショホーン氏は語る。同研究と添付資料は12日発行の「Nature」誌に掲載されている。
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| 同氏によると「新たな研究結果に基づけば、中国における北京原人の生息時期は、そのほかのホモ・エレクトスのグループとほぼ同じ時期であった可能性が高い」という。
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| ホモ・エレクトスは約200万年前にアフリカから集団移動を始めたが、同氏は次のような仮説を立てている。「彼らは長期にわたる旅の途中で、さまざまな方向へ分かれていったのではないか。アラビア半島から中国南部に到達したホモ・エレクトスは亜熱帯林に行き当たったが、サバンナや開けた森林地帯に慣れていた彼らにとってそこは魅力的な場所ではなかった可能性がある。そこで、あるグループは南東へ進路を変え、東南アジアに住み着いたと想定される」。これは従来の説と重なる。
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| さらに別のグループは北東へ進路を取り、ユーラシア大陸を横断して現在の中国にたどり着いた可能性が高い。移動距離は東南アジアを通るより短くなり、定住時期も早くなる。そのうち周口店付近に定住したグループの一部が、北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)と呼ばれる亜種へと進化を遂げたのだ。北京原人は完全な直立歩行ができ、洗練された石器を操っていたと考えられている。その脳の容積は、現生人類の4分の3に匹敵するものだった。
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| ホモ・エレクトスたちが今回提示された時代に中国北東部までたどり着いたとすると、そこには彼らがもともと慣れていた土地に似た、食糧が豊富な環境があったと考えられる。
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| 「周口店付近も彼らが到着するころには涼しく乾燥した気候に変化し、草原に近づいていた可能性がある。獲物も多く集まり狩りもしやすかったのではないか。北京原人が肉を食べていた証拠も現に数多く見つかっている」と前出のショホーン氏は話す。
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| 一方、ニューヨーク大学の古人類学者スーザン・アントン氏は、この研究について次のように指摘する。「今回得られたデータだけで彼らの移動ルートがアジアで2つに分かれたことを示す証拠にはならない。分岐は2ルートにはとどまらず、6ルートや9ルートになっていた可能性もある。だが、そうした分岐を証明するには、経路の途中に見られる何かしらの証拠を示す必要がある。また、その分岐がアフリカのどの辺りから始まったのかを明らかにする必要もあるだろう」。
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| とはいえ、同氏は次のようにも述べている。「北京原人がほかのホモ・エレクトス亜種と同じ時代にいたとすると、この研究分野で長らく謎とされてきた問題も解決することになりそうだ。当初の想定時期を前提とした場合、ホモ・エレクトスは旅を終えてずいぶん長いことアジアにとどまっていたことになる。彼らの傾向からすれば、これほど長い間の定住は少々不可解であったが、時期がもっと早かったとなればその疑問は氷解する」。 |
有力情報は「皇居の地下室」? 北京原人化石の行方やいかに2006/09/27 The Sankei Shimbun
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| 27日付の中国各紙によると、日中戦争が激化する中で行方不明になった北京原人の頭蓋(ずがい)骨の化石を探している中国の専門委員会は26日、昨年7月以降、国内外から107の情報が寄せられ、うち3つを有力情報として捜索を継続していくと発表した。北京原人の頭蓋骨の化石は北京郊外にある周口店遺跡で1929年に発見された。その後、日中戦争の激化を受け関係者が米国移送を決定したが、移送途中に行方不明になった。北京市房山区政府などは昨年、同遺跡にある博物館に専門委員会を設置した。
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| 同委員会によると、有力情報は(1)移送前に保存されていた北京市の病院で目撃した(2)米軍が駐留していた天津市の病院の地下室で頭蓋骨を詰めた可能性がある箱を目撃した(3)東京の皇居の地下室に保管されているとの報道―という。(共同) |
北京原人2005年07月05日 毎日小学生新聞
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| 今から約50万〜20万年前に生きていたと推定されます。1927年ごろに中国・北京市郊外の小高い丘から、現代人と異なる歯の化石が発掘され、29年にほぼ完全な頭がい骨の化石が見つかりました。現在保管されている頭がい骨は66年に発見された2個だけです。北京市の区政府は、第二次世界大戦中に行方不明になった北京原人の頭がい骨の化石捜索を本格化するため、専門委員会を発足させた、と中国各紙(かくし)が3日、報じました。行方不明になっているのは、ほぼ完全な形の頭がい骨5個、歯147個などです。今回は、2008年の北京五輪に向けた文化活動の一環です。 |
北京原人の頭蓋骨捜索チームが政府主導で始動2005/07/04 中国情報局
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| 北京市房山区政府は、第二次世界大戦中に行方不明になった北京原人(ぺきんげんじん、学名:Homo erectus pekinensis、ホモ・エレクトス・ペキネンシス)の頭蓋(ずかい)骨の化石を捜索する、中国初の専門チームを発足させた。3日付で中国新聞社が伝えた。
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| 化石は、1941年に米中関係者が米国に移送する決定をしていたが、日米開戦という混乱を受けて、行方不明になったとされている。中国ではこれまでも捜索を進めてきたが、民間及び学識関係者主導で行ってきたこともあり、依然大きな成果は得られていない。そのため、政府主導の捜索体制の確立が求められていた。
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| 捜索チームはまず、民間の手がかりをもとに中国大陸、米国、日本、韓国などで調査を進め、少しでも可能性のあるルートは徹底的に調べ上げる方針。その後、政府主導の捜索作業に移る計画だ。
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| 北京のメディアは、頭蓋骨に関する情報を募集したところ、北京周口店遺跡博物館には21の情報が届いたと紹介。北京市房山区政府などは、価値のある手がかりについて関係部門と連携して捜索活動を進める。
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| 写真は、北京房山周口店文化広場で開催された「人類文明の火は燃え続ける」イベントのもよう。(編集担当:齋藤浩一) |
【北京原人】/Beijing Yuanren2005/07/04 中国情報局
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| 北京市郊外の房山区周口店で化石が発見された旧人類。スウェーデンの地質学者、ヨハン・アンダーソンが1921年から23年にかけて周口店で採取した動物の化石を1926年に整理していたところ、人類の歯と思われるものを発見。その後、周口店で発掘作業をおこなった中国人考古学者の裴文中が、1929年に完全な頭蓋骨化石を発見した。
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| しかしその化石は、日中戦争の激化により、アメリカへ輸送する途中に紛失した。日本軍が途中で奪ったという説もある。
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| 中国では「1945年4月に台湾海峡で米潜水艦に撃沈された阿波丸に積まれていた」として、2004年に阿波丸引き上げの計画が発表されたが、その後の具体的な動きは報道されていない。
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| 北京原人が生息していたのは、50万−20万年前だとされる。旧学名は「シナントロプス・ペキネンシス」だったが分類が変更され、現在の学名は「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」となっている。
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| なお現在の人類「ホモ・サピエンス」は、10数万年前にアフリカで発生して、全世界に広がったとされている。したがって、北京原人は現在の中国人の直接の祖先ではない。(編集担当:如月隼人) |
北京原人、中国人の祖先ではない 雲南省の研究所2005/01/16 The Sankei Shimbun
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| 北京原人は中国人の祖先でない−。中国雲南省の昆明動物研究所がこのほど、中国人の祖先はアフリカから移住したとの説を証明する研究結果を発表した。14日の華僑向け通信社、中国新聞は「北京原人は中国人の祖先か否か」の論争に決着をつけるものだと伝えた。
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| 同研究所は世界各国の男性1000人分の染色体を検査。中国人のほか日本人やモンゴル人ら東アジアの男性の染色体は、生粋のアフリカ人が有する染色体と特徴が一致したという。
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| また、中国人の祖先は約6万年前にアフリカから中国南部に移住、その後北部へ分布していったとしている。
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| 北京原人がいたのは50万−20万年前とされるが、中国新聞によると、別の研究者も、北京原人の化石が発見された中国北部にある約10万−4万年前の地層から、異なる原人などの化石は一切出土していないと強調。北京原人とその子孫らは氷河期に死滅し、その後、アフリカから現代人の祖先が移住してきたとの説を主張している。
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| 北京原人は1929年に北京郊外の周口店遺跡で頭蓋(ずがい)骨の化石が発掘された。中国では、北京原人が中国人の祖先だとする原人研究者らと、祖先説を否定する生物・遺伝学者らとの間で論争が続いてきた。(共同) |
北京原人2005年01月16日 東奥日報
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| 1927年に北京郊外の周口店遺跡の発掘調査で現代人と異なる人の歯が出土。29年にほぼ完全な頭蓋(ずがい)骨の化石が発掘され、北京原人の存在が判明した。脳が入っている頭蓋腔の容積は900―1200ccで、現代人と猿人のほぼ中間の大きさ。生存していた時代は50万―20万年前とされる。37年まで発掘が行われ多数の化石が見つかったが、これらの資料は日中戦争の激化の中で、行方不明になった。中国科学院は昨年10月、周口店遺跡周辺で北京原人の再調査を始めた。(北京、共同) |
北京原人の頭蓋骨搬送中?撃沈の「阿波丸」引き揚げへ2004/10/09 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 【北京=佐伯聡士】中国国営新華社通信は9日、第2次大戦中に行方不明になった北京原人の頭蓋骨を捜索するために、中国福建省沖の海域で米潜水艦に撃沈された日本の船舶「阿波丸」を来年引き揚げる計画が進んでいると伝えた。
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| 引き揚げ計画は、地方政府と民間組織が共同設立した会社が実施する方向で調整が進んでいるという。
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| 北京原人の頭蓋骨は、保管していた北京から戦火を避けて米国に運ばれる途中、行方不明になったとされている。第2次大戦史の研究者によると、米国から提供された資料の中から、1996年、「不明になった北京原人の頭蓋骨は沈没した阿波丸にある可能性が高い」との情報を得たという。
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| 77年には1度、阿波丸の引き揚げが行われたが、当時の潜水技術に限界があり、発見には至らなかった。ただ、その際に、「満州国」指導者の官印などが見つかったことが、頭蓋骨が阿波丸の中にあるとする説の有力な傍証ともなっていた。
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| 一方、阿波丸は、1945年、旧日本軍が東南アジアから引き揚げる日本人を乗せて日本に向かう途中の4月1日、福建省牛山島東方の海域で、米潜水艦の魚雷攻撃により沈没した。 |
中国で166万年前の石器発見…東アジアで最古2004/10/03 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 東アジアで最古の石器が、約166万年前とみられる中国の地層から見つかった。従来の記録を約30万年さかのぼる。アフリカで誕生した人類が西アジアに進出したのは約180万年前とされるが、東洋にまで早期に進出していた可能性を裏付ける成果といえそうだ。
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| 中国科学院などの研究チームが、英科学誌ネイチャー最新号に発表した。
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| 発見場所は、北京の東百数十キロ・メートル。多数の石器とともに、石器で砕いて骨髄を取り出した痕跡が残る哺乳(ほにゅう)類の骨なども見つかった。
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| 地層の年代から、約166万年前から30万年以上、この地域で人類が生活していた可能性が高いという。当時は、衣服もなく火も使いこなせなかったとされるが、研究チームは地球の温暖化が進んだ時期のため、高緯度地方へも進出できたのだろうと見ている。
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| 東アジアでは、年代が不明なジャワ原人の化石が、アフリカの180万年前ごろの人類に近い歯やアゴなどの特徴をもち、ほぼ同時代のものと見られている。しかし、年代のわかる証拠はこれまで、今回と同地域で見つかった約135万年前の石器が最古だった。 |
北京:北京原人の頭骨を初公開、一部は日本に?2004/10/02 中国情報局
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| 北京市周口店の「北京人遺跡博物館」で30日、北京原人の頭骨化石が初めて一般公開された。輸送は公安局の爆弾処理班が担当するほどの厳重な警戒だった。公開は10月14日まで。1日付で中国新聞社が伝えた。
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| 北京原人の頭骨で、現在も残っており公開されたのは頭頂の手のひらほどの大きさの部分。1966年5月4日に発見されて以来、北京にある中央科学院に保管されていた。日本で展示されたことはあったが、中国国内では初めて。
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| 今回の公開は、同博物館の成立50周年を記念するためのもの。また、「一片の骨に450万元の保険がかけられた」ということも話題に上った。平安保険公司が引き受けている。
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| 中国科学院の古代脊椎動物・古代人研究所の高星・副所長は「1929年から36年の間に、5つの完全体、比較的状態の良い頭骨化石が見つかっている。しかし、日中戦争の混乱期にすべて行方不明になった」と語った。
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| 北京原人の化石の行方に関しては、さまざまな説がある。日本人が持ち帰ったという見方もある。高・副所長は「日本の学術団体が保管している可能性も、排除はできない」としている。(編集担当:黒川真吾) |
北京原人の頭蓋骨化石を初公開、周口店遺跡博物館2003.09.22〜28 中国通信社
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| (中国通信=東京)北京21日発新華社電によると、中国国内で唯一保存されている50万年前の北京原人(シナントロプス)の頭蓋骨(前頭骨)化石が同日から初めて北京の周口店北京原人遺跡博物館で公開展示されている。
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| 周口店北京原人遺跡は北京市西南部の房山区にある。1929年12月2日、50万年前の北京原人の頭蓋骨が初めて出土し、国際的に注目された。61年3月4日、遺跡は国務院から第1次全国重点保護文物に指定され、87年12月11日にはユネスコから世界文化遺産に指定された。
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| 中国科学院古脊椎動物・古人類研究所の朱敏・所長によると、遺跡は27年から正式に発掘が行われ、37年までに5つの完全あるいは比較的完全な頭蓋骨が出土した。しかし、第2次世界大戦中、スウェーデンの研究室にある3本の歯以外、すべて行方不明となり、いまも分かっていない。新中国成立の49年から発掘作業が再開され、40体の北京原人の化石資料と10万点余りの石器、多数の火を使った跡および大量の脊椎動物の化石が出土した。
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| 今回展示された頭蓋骨化石は66年に中国の著名な古人類学者、裴文中氏が中心になって発掘したもので、国内に保存されている唯一のものであり、行方不明の頭蓋骨化石と同時代のものである。大きさは手の平より少し大きい程度だが、他が代わることのできない学術的価値と重要な影響力があり、発見からこれまで国内で公開展示されたことがなく、ごく少数の専門家しか目にしていない。
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| 専門家によると、この化石が見つかった場所は遺跡の南で、34年に見つかった場所から遠くない。発掘作業は66年3月15日から始まり、7月4日に終わった。3カ月余りで頭蓋骨1つ、歯1本、石器173点、火を使った跡と動物化石が多数見つかった。うち頭蓋骨の前頭骨部分は5月5日、後頭骨部分は5月4日に見つかった。この2つとも中国科学院が保管しており、国内の北京原人の頭蓋骨化石はこれだけ。
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| 興味深いのは、66年に発掘された頭蓋骨の一部と34年および36年に見つかった第5号頭骨の2つの側頭骨と合わせると、ほぼ1つの完全な頭蓋骨となることで、1体の原人のものであることを示している。これは中年男性の頭骨で、脳の大きさが約1140ミリリットルあり、北京原人の典型的特徴を備えている。
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| 中国科学院院士(会員)で、著名な古人類学者の呉新智氏は「周口店北京原人遺跡は国際的研究の最前線にあり、古人類学、旧石器時代考古学、第4紀地質学の研究に新たな発展の契機をもらしている。人類の起源、進化、文化的発展の一層の研究は周口店と切り離すことができない」と語った。
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| 今回、公開展示されたのは前頭骨化石だけで、展示期間は来月7日まで。化石の安全を確保するため、主催者は厳重な警備体制をとっている。 |
人類最古?79万年前の火の使用跡、イスラエル北部で2004/04/30 asahi.com |
| 約79万年前には人類が火を使っていたことを示す、これまでで最古の証拠が、イスラエル北部の「ゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡」で発掘された。石器やオリーブの木、野生のブドウの木片に、高熱で焼けた跡が残っていた。30日付の米科学誌サイエンスで、同国のヘブライ大研究チームが発表した。 |
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No.9-3-2 旧人類(ネアンデルタール人)- ホモ・サピエンス - |
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ネアンデルタール人って筏を使っていたの?2006年01月17日 水中考古学/船舶・海事史研究
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| ネアンデルタール人がアフリカからスペインに渡っていたかもしれない、ということで研究が進められています。アフリカの北西部とスペインの遺跡が関連が深いこと、また化石が西から東へ動いているかもしれない可能性などから、海を渡ったのではないかと推理できます。はたして泳いで渡ったのか、筏を作ったのか、倒木などに捕まって渡ったのか?
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| 物的証拠を探すには難しいかもしれませんが研究を進めていくうちにどんどんいろいろなことがわかっていくでしょう。 |
2006年の「ネアンデルタール人年」に向けた展覧会、テュービンゲン大学の考古学者が中心に開催(29/08/2005) Campus Germany
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| 来年2006年はネアンデルタール人の化石がデュッセルドルフ近郊のネアンデルタールで発見されてから150年目に当たりますが、これに先駆けてドイツ南部のブラウボイレン先史博物館では、2005年8月27日から10月30日まで「ネアンデルタール人展」が開催されています。1856年にネアンデルタールで採石工が見つけた旧人類の骨の一部は人類の進化の研究にとってセンセーショナルな発見となりましたが、この展覧会では当時発見された骨に、テュービンゲン大学の考古学者、ラルフ・W・シュミッツ博士が1997年に、かつてネアンデルタール人の骨が発見された場所を再び突き止め、再発掘して得られた骨の断片を加えて完全な形にしたものが展示されています。
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| シュミッツ博士は1991年からネアンデルタール人に関する研究プロジェクトに携わり、その化石を最新の方法で調査してきました。この研究プロジェクトには、シュミッツ博士をはじめ、テュービンゲン大学の先史・原史学者らのほか、世界の14の研究所から、遺伝学者や人類学者を含む科学者19人が参加しており、現在はライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所と協力して、ネアンデルタール人の食生活を解明するための研究が行われています。こうした研究の成果は、来年出版される記念研究書で発表される予定です。 |
【ネアンデルタール人のDNAが語るヒトの進化】2004年09月15日 宮田隆の進化の話
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| 客観性は科学が持つ重要な特徴の一つだが、われわれヒトの進化についてはどうも例外のようで、強い思い込みに真実が歪められてきた苦い思い出が一度ならずある。ヒトがサルから進化したことは渋々認めたとして、その分岐を出来るだけ古い時期の出来事にしたいという気持ちが強く働いていたようだ。
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| 1967年までの古人類学の定説では、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンを一つのグループにまとめて、これらの類人猿からヒトの系統が分かれたのは2400万年前に遡るとなっていた。さらに、およそ1000万年前に生存していたラマピテックスこそが、証拠は歯の化石だけにも関わらず、現生人類の直接の祖先であると信じられていた。そのような当時の状況で、ヒトに最も近い類人猿はチンパンジーで、その分岐時期はたったの500万年前だとする分子進化学からの結論(1967年:ウィンセント・サリッチとアラン・ウィルソン)は、古人類学者にとっては信じ難いことであったに違いない。1980年にラマピテックスの完全な頭骨の化石が発見され、オランウータンのグループに分類し直されるに及んで、15年の長きに亘った「古人類学vs分子進化学」論争がサリッチとウィルソンの主張を認める形で決着した。
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| 現在、世界の各地にはさまざまな皮膚の色や体格の異なる人種が生存しているが、これらの現代人はすべて同じ種、ホモ・サピエンスに属する。ホモ・サピエンスには、現生人類(新人)のほかに、数十万年前に各地に生存していたジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人といった先行のグループ(旧人)もいる。ところで、われわれ現代人の起源に関して「多地域起源説vs単一起源説」と装いを新たに論争が再燃している。火付け役はまたもやアラン・ウィルソンである。
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| アフリカ大陸は長らく人類進化の揺りかごだったが、ヒトの祖先(ホモ・エレクトス)は150万年前頃になるとユーラシア大陸へ次々と進出し、各地の旧人となった。「多地域起源説」では、現代人に見られる人種の特徴はその地域で発見された旧人から受けついだもので、人種の起源は非常に古く、人種間では遺伝的な交流が常にあったのだと主張する。異なる地域の旧人の特徴はかなり違うのに対し、現代人では人種間にそれほどの差が見られずむしろ一様に見えるのは、混血のせいだというのである。われわれは、民族間の争いなどからほど遠い平和主義者の子孫というわけだ。一方、「単一起源説」では、現在の人種が成立したのはずっと最近のことで、もともとアフリカにいた現代人の祖先が世界中に広まり、各地域にいた旧人たちの子孫と混血することなく、それに取ってかわったのだと主張する。われわれ現代人は殺戮者集団の子孫というわけだ。アラン・ウィルソンは各地の現代人のDNAを取って系統樹をつくり、最も古い分岐を示すのはアフリカ人であることから、単一起源説を主張した。だが、これだけでは証拠として弱い。
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| われわれは平和主義者の子孫なのか、それとも殺戮者の子孫なのか? 2つの説の重要な相違点は、数十万年の時間を隔て「出アフリカ」を果たした旧人と新人の間の混血の有無にある。多地域起源説では「混血あり」を主張するので、現代ヨーロッパ人とネアンデルタール人とのDNAを比べると、両者にはほとんど違いが見られないはずである。一方、単一起源説では「混血なし」を主張するので、両者のDNAは出アフリカの時間差である数十万年分の違いが認められるはずである。ヨーロッパ人とネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを比べれば、どちらの説が正しいかが検証できることになる。
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| しかし、事はそう簡単ではないのだ。「現在生きている生物のDNAを比べるだけで、過去に起きた進化が分かる」というのが分子進化学の売りだが、DNAが取れなければ、その生物の進化が理解できない。化石からはDNAが取れない。そうした常識に果敢に挑戦し、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの単利に成功した人々がいる。スバンテ・ペーボのグループだ(1997年)。現代人のDNAと比べると、ネアンデルター人と現代人の系統が分かれたのがおよそ60万年前で、現代人のなかで最も古い分岐を示すアフリカのグループはせいぜい20万年前に遡る程度だった。つまり単一起源説を強く支持する結果を得たのだ。
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| 学生時代にたまたま聞いた、現代科学の研究姿勢を皮肉ったある物理学者の言葉を思い出す。「彼らは向こうの暗闇で鍵を落としたのは確かなのだが、暗くて見えないので、この電灯の下で探しているのです」。科学の本質に迫るには「暗闇で鍵を探す」勇気を持つことが大事であると諭した言葉である。ペーボは勇敢に暗闇で鍵を探し、現代人の進化の本質的理解に迫ったのみならず、分子進化学と古生物学の統合という大きな目標に向かって歴史的一歩を記した。 [宮田 隆] |
人類進化に新説:現代人はネアンデルタール人との混血?2002年03月07日 Wired NewsAP通信
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| 現代の人類の祖先はアフリカからやってきたとする「アフリカ起源説」が有力だが、最近のDNAの分析結果によって、新たな展開がもたらされた。それは、現生人類が旧人類に取って代わったのではなく、長い年月にわたって世界中で先住の旧人類と混血していったという説だ。
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| この研究でとりわけ注目すべきなのは、今日のヒトの遺伝子には、ネアンデルタール人などすでに絶滅した人類種の痕跡が残っているという点だ。
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| 従来の「アフリカ起源説」は、今日のヒトの祖先は10万年前にアフリカから世界各地に広がって、ヨーロッパとアジアの旧人類たちと交代したと説明する。
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| これに対し、セントルイス・ワシントン大学の集団生物学者、アラン・R・テンプルトン氏の新たな研究では、人類集団の大規模な移動が少なくとも2回はあったらしいことが示されている。
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| 移動の第一波は84万年前から42万年前の間に起き、第二波は15万年前から8万年前の間に起きたと、テンプルトン氏は述べている。
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| テンプルトン氏によると、少なくとも2回目の移動はそして、おそらくは最初の移動も人類の「交代劇」ではなかったという。
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| DNAの分析結果が示しているのは混血の証拠だ、とテンプルトン氏。
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| テンプルトン氏の論文は、3月7日号の『ネイチャー』誌に掲載される。この研究では、オリジナルのデータは載せていないものの、遺伝子が長い時を経てたどってきた軌跡を追跡するために独自の統計手法を用いている。従来より信頼度が高い手法だとテンプルトン氏は主張する。
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| テンプルトン氏は現在講演のためイスラエル訪問中で、コメントは得られなかった。
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| 人類の大規模な移動が1度だけではなかったらしい点は、それを示唆する化石証拠がすでに存在する。テンプルトン氏の結論はこの化石証拠と「アフリカ起源説」との矛盾を埋める可能性があると評価する科学者もいる。
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| しかし、テンプルトン氏の分析モデルが全面的に正確かということについては、評価はあいまいになる。
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| この研究を検証する論文を同じネイチャー誌に掲載する、ハワイ大学の分子生物学者レベッカ・L・キャン氏は、テンプルトン氏は「分析規模においてあまりに大がかり」であり、異論の多い人類の進化論争に一石を投じたいという意欲が強すぎるのではないかとほのめかした。
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| テンプルトン氏は、研究に際して『GEODIS』と呼ぶコンピューター・プログラムを開発し、世界中の現代人数千人から採取した遺伝物質を解析した。
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| テンプルトン氏のモデルは、各サンプルごとに10ヵ所から採取したDNAを分析する。従来の統計モデルは、たとえば、母親から次の世代へと代々伝えられるミトコンドリアDNAのように、DNAの1領域に焦点を絞って分析していた。こうした狭い取り組み方のせいで、不完全な「低精度の統計的分析」に終わる結果を招いてきたと、テンプルトン氏は主張している。
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| キャン氏は論文の中で、新モデル自体を独立させて検証する必要があるとし、その結論を、人類の起源に関して考古学や言語学ほかの科学的学問分野から得られた既存の証拠と比較検討しなければならないと述べた。
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| 「テンプルトン氏の世界的な規模での分析によって明らかにされたさまざまな示唆をどのように解釈するべきかを決定する前に、おそらく、GEODISが真実をあぶりだすかどうか証明することが必要だろう」とキャン氏は述べた。[日本語版:岩崎久美子/小林理子] |
DNA解析がヒト進化の歴史を解明する -2万9千年前のネアンデルタール人の骨-BioBeat by Michael D. O'Neill
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| 【SUMMARY】
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| 2万9千年前のネアンデルタール人、幼児の肋骨から得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)の分析から、ネアンデルタール人と現代型人類は、数千年間にわたってほぼ同じ領域に広く共存していたと考えられるにも関わらず、この両者の間にはおそらく交雑が行われていなかったことが示唆された。この結果は、ヒト進化についての“アフリカ起源説”と一致する。
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| DNA分析は、Applied Biosystems社のAmpliTaq GoldR DNA Polymeraseを使って行われた。2万9千年前の試料中のmtDNA断片増幅において、この酵素は極めて重要な役割を果たし、実験の成功に貢献した。mtDNAの解析は2つの研究室で行われたが、その内の1つ、スコットランドのグラスゴー大学付属のヒト識別センター、DNA研究室主任研究員のWilliam Goodwin博士は、「AmpliTaq GoldR DNA Polymeraseは、年代の古い試料の増幅に、最適の酵素である」と述べている。mtDNAのDNA配列決定は、ABI PRISMR 373 DNA Sequencer-XLにより行われ、論文は、ネイチャーの2000年3月30日号に掲載された。解析に使われたネアンデルタール人の肋骨は、カフカス山脈にある鍾乳洞を発掘中のロシア古学探検隊によって発見された。(後略) |
死滅したネアンデルタール人、現生人類と混血の可能性1999/10/25 (時事)
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| 3万4000年前に死滅したといわれたネアンデルタール人が、その後も欧州で生存し、現生人類と混血した可能性があることを、米国のフレッド・スミス北イリノイ大学教授ら人類学者チームが発見し、25日発行の全米科学アカデミー紀要に発表した。
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| 同チームがクロアチアの洞穴で発見されたネアンデルタール人の骨を最新の放射性同位元素による年代測定で調べた結果、2万8000年前の骨であることが判明した。同教授は「この事実は現生人類とネアンデルタール人が数千年間、中部欧州で共存した可能性を示している」と指摘した。これまで、原始的なネアンデルタール人はアフリカから到来したより優秀な現生人類によって駆逐されたといわれてきた。
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| 同チームの一員である米ワシントン大学のエリック・トリンカウス教授はこの説について、「現生人類は欧州でネアンデルタール人を駆逐する一方、混血もしたのではないか」と推測した。同教授によると、今春ポルトガルで発見された2万4500年前の人骨は現生人類とネアンデルタール人の両方の特徴を備えており両者の混血をうかがわせる。 |
No.9-3-3 新人類(ホモ・サピエンス・サピエンス) |
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中国、10万年前の頭骨発見 アジア人の起源解明に糸口2008年01月23日 中国新聞ニュ−ス
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| 【北京23日共同】中国国家文物局などは23日までに、河南省許昌市で先月、10万−8万年前の人類の頭蓋骨が発見されたと発表した。アフリカ以外で同時期の人類の化石が見つかった例は極めて少なく、中国の専門家は「北京原人以来、最大の発見」と注目している。中国紙、人民日報などが同日伝えた。
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| 現代人の起源は、10数万年前にアフリカから世界へ広まり旧人に取って代わったホモ・サピエンス(新人)とする「アフリカ単一起源説」が有力。
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| 今回発見された「許昌人」は、同説で新人が東アジアにも広まった後の時代の化石となるとみられ、現代東アジア人の起源解明の糸口となると期待されている。
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| 許昌市の旧石器時代の遺跡で先月17日、地下約8メートルの場所から計16個の骨片が出土、復元するとほぼ完全な形の頭蓋骨になった。眼窩上が隆起し、前頭部は平らで後頭部も隆起している。保存状態は良く、変形もしていないという。 |
人類の起源に関する特集2006/03/30 ナショナルジオグラフィック日本版/2006年3月号
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| 人類の母“ミトコンドリア・イヴ”
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| 人類がたどってきた壮大な旅路ほど,人を夢中にさせる物語はないだろう。最初の舞台はアフリカ。登場人物はほんの数百人とみられる狩猟採集民だ。やがて彼らの子孫は世界各地に広がり,約20万年後の今,65億人に膨れ上がるまで物語は続く。
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| その20万年の間に人類は移動を繰り返し,時には孤立したり,征服し合いながら生きてきた。ほとんどは先史時代の出来事だ。アフリカに出現した最初の現生人類はどんな人々だったのか。今から少なくとも5万年前,彼らの子孫の一団がアフリカを離れ,ユーラシアに進出したきっかけは何だったのか。彼らはどんなルートをたどったのか。移動の途中で,より原始的なネアンデルタール人などと交わったのか。どうやって南北アメリカに到達したのか。
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| これらの疑問をまとめると,次の二つに要約される。私たちはどこから来たのか? どうやって今の場所まで来たのか?
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| その答えを知る手がかりというと,これまでは祖先たちが大いなる旅の途中で残した骨や遺物だけだった。ところがこの20年のうちに,今生きている私たちのDNA(デオキシリボ核酸)に,はるか昔の大移動の記録が残っていることが判明してきた。
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| 人間がもつすべての遺伝子の情報,すなわちヒトゲノムは,世界中のどの人でも99.9%まで一致している。残り0.1%のDNAが,目の色や,どんな病気にかかりやすいか,といった個人差を生み出すのだが,なかにはこれといった働きをしないものもある。進化の歴史のなかで,まれにこの0.1%のDNAに無害な変異が起こる。すると,それが子孫にも延々と受け継がれていき,同じ変異(マーカー)をもっている者同士は,何十,何百世代を経ていても,祖先が共通していることがわかる。こうして多くの人々のマーカーを比較することで,遠い祖先までさかのぼることができるのだ。
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| (アフリカ南部のカラハリ砂漠で立ち止まって家族を待つ,サン人のクラース・クルーパー。彼らの遺伝子マーカーは,現生人類の起源にまでさかのぼる。サン人は獲物が接近してくると,独特の舌打ち音を発して仲間に知らせるが,この特徴は,古代の遺伝子マーカーを持つほかのアフリカの民族集団の言語にもみられる。)
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| わずかな変異であれば,DNAが父と母から子に受け継がれる時に混ざりあってよくわからなくなるのだが,幸い変異がきれいに保存される領域がある。例えばミトコンドリアDNAは,母から子にそっくりそのまま受け継がれるし,性別決定にかかわるY染色体は,父から息子に伝えられる。
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| ミトコンドリアDNAや男性のY染色体に残る変異は,ゲノムという複雑な織物のわずか2本の糸に過ぎない。だが様々な集団のミトコンドリアDNAやY染色体を比較すると,地球規模で起こった人類大移動の流れが大まかながら把握できる。
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| “出アフリカ”は7万から5万年前
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| 1980年代半ば,米カリフォルニア大学バークレー校の故アラン・ウィルソンを中心とする研究グループが,ミトコンドリアDNAを使って現生人類の出身地を突き止めた。世界各地の女性のミトコンドリアDNAを調べたところ,アフリカ出身の女性では,ほかの地域の女性より変異が2倍も多いことが判明。変異の発生周期はほぼ変わらないので,現生人類がアフリカに住んでいる期間は,ほかの地域の2倍も長いことが明らかになった。
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| 地球上に今暮らしている全人類は,さかのぼれば約15万年前のアフリカにいた一人の女性「ミトコンドリア・イヴ」に行き着くと言われている。当時いた女性が一人だったというわけではない。娘から母へと途切れることのない遺伝の鎖をたどると,ミトコンドリア・イヴが人類の母ということになるのだ。ミトコンドリア・イヴの存在に続いて指摘されたのが,やはりアフリカにいた人類の父「Y染色体アダム」である。
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| こうしてDNA研究が進むにつれ,私たち人類の物語の第一章が次第に明らかになってきた。今の人類は,髪や肌や目の色,体つきがまちまちだが,元をたどれば,約15万年前にアフリカで狩猟・採集生活を送っていた共通の祖先に行き着く。
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| アフリカの人々の遺伝子マーカー(変異を示す目印)を詳しく調べれば,私たちの祖先の履歴がさらに見つかるかもしれない。南アフリカのサン人,中央アフリカのバカ・ピグミー,それに東アフリカのいくつかの民族集団は,人類の元祖のマーカーを多く残しているとされる。
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| アフリカにいた私たちの祖先が西アジアに進出したのは7万〜5万年前と,比較的最近の話だったようだ。アフリカ人以外の全人種は,この最初の移住者のマーカーをもっている。人類はアフリカを出た後で行動様式が大きく変化したとする説もある。より高度な道具を使い,社会性をもち,持ち物や体を装飾するようになった。さらに言葉を話し始めると,もう今の人類とほとんど能力に差はない。
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| こうしてひと握りの集団が,世界のあちこちで定着していった。もっとも,他の地域に進出するずっと前から,アフリカの人類は手の込んだ道具を作るなど高度な行動をしていたと考える研究者もいる。 |
南太平洋民の先祖の顔復元 3千年前の頭骨で京大教授2005/08/18 The Sankei Shimbun
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| 南太平洋のフィジー諸島で発掘された約3000年前のものとみられる人の頭蓋(ずがい)骨から復元した顔の像が完成し、フィジーのサウス・パシフィック大学がこのほど公開した。骨は南太平洋の島々に住む人々の先祖とされるラピタ人のもので、ラピタ人の顔が復元されたのは初めて。
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| この人骨は、同大学などの調査団が2002年半ばにフィジー中部の小島、モトゥリキ島の集落跡を発掘中に発見。ソロモン諸島の方言で「真実」を意味する「マナ」と名付けられ、詳しい分析のため京都大学霊長類研究所の片山一道(かたやま・かずみち)教授(現・大学院理学研究科教授)に送られた。
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| 同教授は三次元の計測などでデータを集め、合成樹脂の復顔像を完成させた。ラピタ人の人骨は、それまでもパプアニューギニアやバヌアツで十数体が見つかっていたが、マナは保存状態が非常に良かったため、復顔が可能だったという。
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| 片山教授らの分析によると、マナは40―60歳で死亡した女性で、身長は161―164センチ。筋肉が発達し、少なくとも子供1人を出産したとみられる。
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| 調査団を率いたサウス・パシフィック大学のパトリック・ナン教授は「復顔像は、フィジーに最初に住んだ人々がどんな顔つきだったかを正確に描写しており、フィジーだけでなく他の太平洋の島々の歴史にとっても重要だ」と強調。
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| 片山教授は「ラピタ人の遺跡は結構あるが、人骨はあまり残っておらず、そのほとんどは頭の骨がぼろぼろに壊れてしまっている。復顔によって南太平洋に最初に住んでいたラピタ人の実際の容ぼうや体形が認識できるようになった」と話している。(共同) |
現生人類、6万数千年前にアジアで急速に拡散2005/05/13 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| アフリカで約20万年前に誕生した現生人類は、6万数千年前にインドからオーストラリアまで、インド洋に沿って一気に広がったとみられることが、英国などの研究チームが行ったアジア人の遺伝情報の比較分析でわかった。
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| 現生人類のアジアでの足取りが詳しく明らかにされたのは初めてで、13日付の米科学誌サイエンスに発表される。
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| 研究チームは、長く孤立していたために遺伝情報から祖先をたどるのが容易なマレーシアの先住民260人について、ミトコンドリアという細胞内器官の遺伝情報を新たに解読した。
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| これまでに解析されていたアジア人やオーストラリア先住民の遺伝情報と比較したところ、その違いから、マレーシア先住民は約6万年前以降にほかのアジア人の系統から枝分かれしていたことが判明した。
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| アフリカから旅立った現生人類はまず、紅海をわたりアジア方面に向かい、インドには約6万6000年前、オーストラリアには約6万3000年前にたどりつくなど、急速に広がった可能性が高いこともわかった。ヨーロッパに約4万年前にたどりついた現生人類は、アジアに出た現生人類の一部が枝分かれしていったという。
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| 現生人類のアフリカからの旅立ちは一度きりで、その集団の規模は数百人程度だった可能性が指摘されている。時期は約8万5000年前よりも最近だと考えられているが、明確に突き止められていない。 |
人類最古の装飾品、東京で1日だけ公開へ2005年04月02日 asahi.com
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| 人類最古の装飾品とみられる約7万5000年前の巻き貝のビーズが、9日に1日だけ東京・上野の国立科学博物館で特別公開される。南アフリカのブロンボス洞窟(どうくつ)で見つかり、昨年発表されたもので、愛知万博に出展されたのを機に東京でも見学が可能になった。
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| 同館人類研究部は「この発見で最古とされる装飾品の年代が、一気に4万年ほど古くなった。実物を身近に見られるのは画期的。ぜひ足を運んでほしい」と話す。
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| 同じ洞窟で発見された模様の描かれた石や、石器なども展示される。通常の入館料(大人500円、高校生以下無料)で見られる。開館は午前9時〜午後4時半(入場は4時)まで。問い合わせは同部(電話03・3364・7140)へ。 |
1万8000年前の小型人類、原人や猿人に近い脳2005/03/04 読売新聞 Yomiuri On-LIne
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| 【ワシントン=笹沢教一】インドネシア東部フローレス島で発見された身長1メートルの小柄な新種人類「ホモ・フロレシエンシス」について、米フロリダ州立大学や豪ニューイングランド大学の研究チームは、頭骨化石のコンピューター分析の結果、「現代人よりも原人や猿人の脳に近い」との見解をまとめた。
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| 4日付の米科学誌サイエンスに掲載された。
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| この化石は、ニューイングランド大のブラウン博士らが昨年10月に発表。現代人(ホモ・サピエンス)と共存した1万8000年前の小型新種人類として注目され、成人でも身長は1メートル。知性の発達度を示す脳容積は約400ccで、最も初期の人類・猿人と比べてもやや小さい。
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| 研究チームは、頭骨化石の内側に残った痕跡から脳の外観を3次元のコンピューター画像として復元し、原人や猿人、チンパンジー、アフリカのピグミー族、小頭症の現代人と比較した。
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| 脳全体の形は原人に最も近く、身長1メートルという小柄な体と脳容積の比率は、初期のきゃしゃな猿人に近いことが判明した。一方で、記憶や認知をつかさどる側頭葉は原人よりも発達しており、脳は小さくても高い認知処理能力を持っていた可能性があるという。
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| 100〜70万年前のインドネシアにいたジャワ原人がフローレス島に居着いて、小さく進化したと推定され、十数万年前のアフリカに起源を持つ現代人とは異なる進化の道筋をたどったと考えられている。
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| 化石が発見された洞窟(どうくつ)からは、原人レベルでは製作できない高度な石器や火の使用を裏付ける遺物が見つかっているが、今回の分析結果は、こうした高度な文化を持っていたとする仮説を裏付けている。 |
現生人類化石、最古は19万5000年前?2005/02/17 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 現生人類(ホモ・サピエンス)の最古の化石は約19万5000年前までさかのぼる可能性が高いとする研究成果を、米ストーニーブルック大などのチームがまとめた。
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| 1967年にエチオピアで見つかった化石の年代を再評価した結果で、現生人類の登場をこれまでより3万年以上さかのぼらせるという。17日付の英科学誌ネイチャーに発表される。
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| 人類は約700万―600万年前にアフリカで誕生し、猿人や原人などを経て私たち現生人類が生まれた。現生人類の誕生の時期は、遺伝情報の研究から20万―15万年前とされているが、これを裏付ける化石は約16万年前のものが最古だった。
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| 今回、年代を再検討したのは2つの頭骨化石で、脳の大きさが1400ccを超えることなどから現生人類と分類されている。これまでは約13万年前とされていたが、化石の近くの岩石などの年代を改めて調べたところ、より古くまでさかのぼることがわかった。
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| ただ、専門家の間では「今回分析した岩石の年代と、化石の年代が大きくずれている可能性もあり、19万5000年前とするには根拠が弱い」との指摘も出ている。 |
3万年前・最古のフルート、独の洞くつで発見2004/12/17 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| マンモスの牙で作った3万7000―3万年前とみられるフルートを、独チュービンゲン大のニコラス・コナード博士らが、ドイツ南西部の洞くつで発見した。
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| 象牙(ぞうげ)製のフルートが見つかったのは初めてで、人類が作った最古の楽器とみられる。16日、コナード博士らが発表した。
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| 見つかったフルートは、長さ約19センチ。半円形の断片二つを空気が漏れないようにつなぎ合わせて完成させている。高度な技術が求められる象牙製のフルートは、当時の人類が創意工夫を凝らして音楽を奏でていたことを示している。
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| これまでに発見されているフルートは、中が空(から)になっている水鳥の翼の骨に指で押さえる穴をあけただけだった。地層の分析結果から、今回のフルートが最古の可能性が高い。
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| どのような音楽を奏でたかは不明だが、研究チームがこれらのフルートの音を試したところ、変化に富む美しい音が出たという。
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| 約4万年前からヨーロッパに移り住んだ現生人類(ホモ・サピエンス)が作ったとみられる。
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| 小野昭・東京都立大教授(考古学)の話「象牙をつなぎ合わせる高度な技術が楽器作りの初期にあったとは考えもしなかった。極めて重要な発見と言える」 |
マンモス絶滅、乱獲ではなかった!?…寒冷化が痛手か2004/11/26 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 【ワシントン=笹沢教一】マンモスなどの大型哺乳(ほにゅう)類が氷期の終わりに絶滅したのは、ヒトが乱獲したためではなく、寒冷化などによる環境変化の可能性が高いことが、英オックスフォード大など米英露カナダの国際共同チームによる遺伝子(DNA)分析でわかった。
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| 26日付の米科学誌サイエンスに掲載される。
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| 研究チームは、北米やシベリア、中国などで発見された約6万年前から現在までの絶滅種を含む大型哺乳類バイソンの骨片試料352個から、細胞内の小器官ミトコンドリア由来のDNAを抽出。時代とともにDNAが変化する様子から、いつ、どのような系統が絶滅したかを調べた。
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| その結果、アラスカ、カナダなどに広く生息していたバイソンは、約3万7000年前をピークに激減し始めたことが判明。北米に多数のヒトが流入した時期の定説より2万年以上も前で、このころから寒冷化が厳しくなった氷期の環境変化が原因と推定している。
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| この変化は、マンモスなどほかの大型哺乳類にも打撃を与え、これを捕食するカリフォルニアライオンなどの大型のネコ科動物についても絶滅を促したとみられている。
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| 北米地域は約2万―1万2000年前に寒冷化のピークを迎え、カナダのあたりを東西2つの巨大な氷床が覆った。
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| マンモスやジャイアントバイソンなどは1万―1万数千年前(更新世末期)までに絶滅し、「マンモスハンター」の異名を持つアジアなどの現代人(現代型新人)が乱獲したとの説も有力視されていた。
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| ◆氷期=地球は約200万年前から寒冷化し、大陸に氷河が存在する氷河時代が現在まで続いている。氷河時代は、氷河が広く大陸を覆う「氷期」と、比較的温暖な「間氷期」を繰り返す。現在は約1万2000年前から始まった間氷期。氷期には、南極の気温が現在より約8度低かったとされる。 |
北米に5万年前の遺跡、人類拡散の定説覆る?2004/11/24 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 【ワシントン=笹沢教一】米サウスカロライナ州南部で、定説を覆す約5万年以上前の北米最古の遺跡を発見した、とサウスカロライナ大の発掘チームが明らかにした。
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| 北米大陸に最初に人類が到達したのは、ベーリング海峡が陸化し、シベリアとアラスカがつながった1万3000年前ごろとするのが定説だった。
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| この発見は、アフリカで誕生した現代人の拡散(グレート・ジャーニー)時期や、シベリアとアラスカがつながる「ベーリング陸橋」形成以前の移動手段など、多くの問題を提起する。
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| 遺跡からは、北米最古の石器文化とされる「クロビス文化」(1万3000年前以降)よりも古い様式の石器群や炭化した植物片が発見された。植物片を使った年代測定では約5万1700―5万300年前を示した。石器の形は当時のアジアの石器によく似ているという。
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| 約5万年前は欧州やアジアでは中期旧石器時代。私たち現代人(現代型新人)より進化段階の古いネアンデルタール人などの「旧人」がまだ活動していた。現代人はすでにアフリカから拡散を開始。現代人到達は、人骨分析などからオーストラリアや中央アジアで約5万―6万年前、欧州で約4万年前とされる。
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| 今回の発見は、ほぼ同時期に現代人が全世界に拡散していたことを意味し、「人類史のシナリオの書き換えを迫る」(同大のアルバート・グッドイヤー博士)という。 |
2万3千年前がパンの起源、イスラエルで炉を発見2004/08/05 読売新聞 Yomiuri On-Line
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| 小麦をすりつぶして水を混ぜ、焼き上げる――というパン作りの最古の証拠を、米スミソニアン協会自然史博物館のドロレス・ピペルノ博士らがイスラエルで発見した。
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| 放射性炭素を使った年代測定で約2万3000年前の遺跡であることがわかった。
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| これまでは、農耕が始まる直前の時期に当たる約1万数千年前のシリア北部の遺跡で、小麦をすりつぶしたと見られる石皿が多く発見されたことなどから、このころにパン作りが始まったと考えられていた。
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| 研究チームは、イスラエル北東部のガリラヤ湖西岸で小麦をすりつぶした石器や生地を焼いた炉などを発掘。顕微鏡を使い、野生の大麦や小麦のでんぷんの粒が石器に付着していたことを突き止めた。農耕が始まる1万年以上前から、野生の麦を加工して効率よく栄養を得ていたようだ。
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| 英科学誌ネイチャーの最新号に発表した。 |
服の起源は7万年前 独研究グループ、シラミの遺伝子で特定2003年08月19日 The Sankei Shimbun
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| 人類が服を着るようになったのは、約7万年前とみられることが、衣類に付着するシラミの遺伝子を通じた研究で明らかになった。ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所の研究グループが19日付の「カレント・バイオロジー」最新号で発表した。
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| 研究者らは、3種類のシラミのうち、人間の衣類に付く衣ジラミに着目。シラミの細胞にあるミトコンドリアからDNAを採取し、他のシラミなどと比べて分析。衣ジラミが生まれた時期を人類がアフリカから欧州に移動し始めた約7万年前と特定した。
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| 人に特有の衣ジラミは体の接触によってうつり、人体を離れると24時間生存できないとされる。
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| 石器などと違い、衣類は長い年月を経て保存されないため、人類がいつ服を着始めたのかは研究者らの謎となっていた。研究者の1人、マーク・ストンキングさんはロイター通信に対し「衣ジラミの誕生と人類が衣類を頻繁に着るようになった時期が重なるのは明白」と話している。(共同) |
「明石原人」の直良氏に光 東京で演劇公演へ2003/12/03 神戸新聞
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| 「明石原人」の発見者で、在野の考古学者として知られる故直良信夫氏(一九〇二―八五年)と、妻音(おと)さんの人生を題材にした劇「明石原人―ある夫婦の物語」が来年一月、東京で上演される。「劇団民藝」(川崎市)の公演で、夫婦のきずながテーマ。遺族や直良氏のファンからは「業績にあらためて光が当たる」と、喜びの声が上がっている。(中川佳男)
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| 直良氏は、大分県生まれ。技師の傍ら旧石器時代の研究に励み、早稲田大教授となる。明石市大蔵谷で病気療養中の三一(昭和六)年、市内の海岸で化石人骨を発見。空襲で焼失したが、骨が旧石器時代のいわゆる「原人」だったか―をめぐり、学会での「明石人骨論争」は半世紀に及んだ。
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| 十一歳年上の音さんとは二四(大正十三)年に結婚。音さんと死別するまでの四十年余りをともに過ごした。
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| 「明石原人―」は脚本家の小幡欣治さんの書き下ろし。在野の研究者を認めない学会にほんろうされる直良氏と、夫を支え続ける妻の姿を描く。直良氏を千葉茂則さん、音さんを日色ともゑさんが演じる。
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| 直良氏の長女、三樹子さん(77)=横浜市=は「学問を追究した父はもちろん、その陰で苦労した母も描いてもらえたことがうれしい」と話す。直良氏の足跡を追ってきた写真家、佐藤光俊さん(61)=明石市松が丘二=は「舞台の参考になれば」と、収集してきた写真十点を劇団に提供し、「功績を見直すきっかけに」と期待する。
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| 一月二十九日―二月十一日、新宿東口の紀伊国屋ホール。一般六千円(税別)。前売りは四日から。同劇団TEL044・987・7711 |
2万5000年前の古人類化石 北京、周口店近くで発見2003年07月08日 The Sankei Shimbun
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| 中国科学院は8日までに、北京原人などが見つかったことで有名な北京市郊外の周口店遺跡近くにある洞くつ遺跡「田園洞」で、旧石器時代後期の約2万5000年前の古人類化石が見つかったと発表した。
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| 周口店遺跡からは同時代後期の山頂洞人(約1万8000年前)が見つかっているが、化石は日中戦争の時期にほとんど失われており、この時代に北京市周辺で人類が活動していたことを実証する貴重な発見という。
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| 化石は、営林署職員が水源を探すため洞くつに入って発見。男性の遺骨とみられ、頭骨を除く全身の骨片が見つかった。周囲には26種類のほ乳類の化石もあった。
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| 中国科学院の陳宜瑜副院長は「10万年前から2万年前の時代は現代人、特に東アジアの現代人の進化を研究する上で重要な時期であり、貴重な化石だ」と話している。(共同) |
現代人最古の化石を発見 アフリカ起源説を裏付け2003年06月12日 The Sankei Shimbun
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| 現代人(新人、現代型ホモサピエンス)の化石で、これまでの最古化石より約6万年古い約16万年前の頭部化石をアフリカ・エチオピアで発見したと、諏訪元・東京大助教授やティム・ホワイト米カリフォルニア大教授らの国際共同研究チームが12日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
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| 化石は古代型ホモサピエンス(旧人)から進化したばかりの原始的な新人で、当時の形態を探る重要な手掛かりになる。旧人と新人を結ぶ化石が見つかったのは初めてで、現代人がアフリカから広がったとする「アフリカ起源説」を裏付ける発見という。
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| 研究チームはこの化石を新人の亜種と位置づけ、現地の言葉で長老を意味する「ホモサピエンス・イダルトゥ」と名付けた。
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| 化石はエチオピア中部のアファール渓谷で1997年に出土、研究チームが復元や解析を続けていた。出土したのは男性とみられる大人2人と、6−7歳の子供1人の頭骨など。
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| 大人の頭骨の1つは側頭部が一部破損しているものの、上あごや歯が付いたほぼ完全な形。額が立ち上がり、頭頂部が丸いなど新人の特徴を多く備え、脳の大きさも新人並み。一方で、目の上の隆起や後頭部に旧人の特徴も残している。
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| 化石の出た地層の火山灰を分析し、年代は15万4000−16万年前と判明。アフリカで出土した旧人の最も新しい化石は約30万年前、新人の最も古い化石は約10万年で、その間の時期の化石は見つかっていなかった。今回の発見でこの空白期が埋まり、現代人がアフリカで連続して進化したことが確実になった。
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| 化石とともに石斧(せきふ)など大量の石器も出土。石器で傷つけたとみられる痕跡のあるカバの頭骨も見つかった。
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| 新人の頭骨には死後に皮や筋肉を石器ではぎ取ったとみられる傷や、側面が磨かれたような跡が数カ所あり、諏訪助教授は「頭骨を儀礼的なことに使ったのだろう」と話している。 |
16万年前の頭骨化石は現代人の起原を証明するか2003年06月11日 Hotwired Japan AP通信
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| 3つの16万年前の人類の頭骨が、エチオピアで古生物学者チームにより発掘された。現代人の直接の祖先にあたり、これまでに発見されたうちで最も古く、最も保存状態の良い化石だ。
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| ほとんど完全な形で残っていた成人男性と子どもの頭骨、そしてもう1人の成人頭骨の一部は、現生人類(ホモ・サピエンス)の顔の特徴が現れはじめたころの、人類進化の決定的な段階を提示しているように見える。
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| 多数の化石が発掘されているエチオピアのアファル地方で今回発見された頭骨は、明らかに現生人類的な容貌突き出た額、平板状の顔、目の上の盛り上がりが小さいを持っており、もっと古い時代の人類に見られる、顔面が突き出ていて、目の上が大きく盛り上がった頭骨とは対照を見せている。
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| 「完全に現生人類とは言えないが、かなり近づいている。ホモ・サピエンスと呼んで構わないほど近い存在だ」と、カリフォルニア大学バークレー校の古生物学者で、頭骨を発掘し分析した国際チームの共同責任者、ティム・ホワイト教授は述べている。
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| これまでアフリカで発見された最古のホモ・サピエンスの化石は、約13万〜10万年前のものとされてきた。しかし、ホワイト教授によれば、これらの化石は、今回よりも不完全なかたちで発見され、年代特定も確実とは言えなかったという。
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| 新しく発見された頭骨は、15万4000〜16万年前のものとされ、6月12日付けの『ネイチャー』誌に掲載される2本の論文に、詳細が説明されている。
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| ホワイト教授をはじめとする科学者チームは、新発見の化石をホモ・サピエンスの亜種と分類し、『ホモ・サピエンス・イダルツ』「イダルツ」はアファル語で「長老」の意味と命名した。
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| 今回の研究には参加していない2人の研究者も、アフリカで発見された人類の化石記録は10万年から30万年前の間に大きな空白期間があったが、今回の頭骨はこのギャップを埋める重要な発見だと述べている。
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| この2人もホワイト教授と同意見で、発見された頭骨の年代と外見が、現生人類の起源は10万年から20万年前のアフリカにある一部の研究者が主張しているようにヨーロッパ、アフリカ、アジアという複数の地域でそれぞれに生まれたのではないという遺伝子学的な証拠を、強く支持するものだと説明している。
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| そのうちの1人、スミソニアン協会の『ヒト起源プログラム』で責任者を務めるリック・ポッツ博士によると、この頭骨は依然として大型で骨も厚いが、まぎれもなく現生人類の特徴を備えているという。
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| もっと古い時代の人類では、目の上の盛り上がりが大きく、顔面が突き出ているといった特徴があるが、これに対して新発見の頭骨では顔面が頭蓋の下にまで引っ込むといった劇的な変化を見せ、額が突き出ている。
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| ホワイト教授と研究チームでは、化石頭骨がホモ・サピエンスの祖先にあたる亜種の可能性が高いと結論付けている。しかしポッツ博士は、今回の化石が現生人類であるホモ・サピエンスそのものだと考えている。
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| 「これらの化石は現生人類的な特徴を十分に備えており、われわれの種、現在のホモ・サピエンスの化石、それも信頼性の高い年代特定を受けた最古の化石とみなしてよいと私は考えている」
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| ポッツ博士によると、アフリカの今後の発掘作業から、現生人類その後ヨーロッパやアジアに広がったと考えられる人類の起源を、およそ20万年前までさかのぼれたとしても不思議ではないという。
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| ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の古人類学者、G・フィリップ・ライトマイアー教授は、今回発見された頭骨を「大発見」と呼んでいる。
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| ライトマイアー教授によると、この化石は、現生人類がアフリカ起源だとする説に、現時点で最も明確な証拠を与えるものだという。そして、現生人類がアフリカ大陸だけでなく、他の大陸にも起源を持っていたという「多地域進化説」にとって、新たな打撃となると述べている。
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| 「今回の発見は、多地域進化説を葬る棺に、新しい釘を打ち込んだと考えていいのではないだろうか」とライトマイアー教授。
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| しかし、多地域進化説を支持する学者たちは、ホワイト教授らの論文が、ヨーロッパ、中国、インドネシアで発見されている、ほぼ同時代の、しかも現生人類にごく近い化石を無視していると反論を唱えている。
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| ミシガン大学アナーバー校の、ミルフォード・ウォルポフ教授(生物人類学)は、この頭骨が重大な発見だとは認めたものの、現生人類の起源について新しい光を投げかける部分はほとんどないと語っている。
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| 「年代、容貌については何かを教えてくれるが、現生人類の発祥地という問題を解決してはくれない」とウォルポフ教授。
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| 頭骨は、エチオピアの首都アディスアベバの北東およそ230キロ、ヘルト村近くの荒涼とした地域で発見された。
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| 発見された頭骨の破片は10体分におよんだが、顎と首から下の骨が欠落していたのが目立った特徴だった。
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| ホワイト教授によると、2個の頭骨は肉がきれいに削ぎ落とされた跡があり、太古の葬送儀礼、あるいは人肉食の可能性を示唆しているという。
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| 発掘現場の周辺には、手斧をはじめとする無数の石器と、屠殺されたカバとアンテロープの骨が散在していた。ホワイト教授によると、発掘現場は、以前は大きな湖の岸辺だった場所で、草木が青々と茂っており、当時の人類が特定の季節に食物をあさる場所だった可能性が高いという。[日本語版:湯田賢司/長谷 睦] |
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| 狩りをする人間などの彩色壁画で有名なフランス南西部ドルドーニュ県のラスコー洞くつの壁画が、菌類やバクテリアの繁殖により、侵食が進む恐れがあることが分かり、フランス文化省が対策に乗り出した。フランス紙ルモンドなどが29日までに、科学誌ラルシェルシュ4月号に掲載された研究者の寄稿を引用して伝えた。
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| 人間や動物など約100点が描かれた彩色絵画は、推定約1万8000年前の旧石器時代のもので、スペイン北部アルタミラ洞くつの壁画と並び有名。1979年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定された。
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| 40年に発見された後、多くの人が訪れ、洞くつ内の気温や湿度が激変。壁画が損なわれる恐れが出たため、63年から一般公開を原則的に中止している。
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| しかし、約2年前から菌類とバクテリアが結合して洞くつ内の地面や壁に繁殖、壁画への影響が心配される事態になった。当局者が石灰などで除菌を試みたが効果が上がらず、抗生物質を注入してバクテリアの繁殖速度を遅らせているという。
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| フランス文化省も壁画の被害を恐れて国際的な科学者の委員会を設置、対策を検討している。(パリ共同) |
ミトコンドリア・イヴ2001年03月06日号 Go! Go! バイオわんだーらんど
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| 「ミトコンドリア・イヴ」という言葉を聞いたことはありませんか? 遺伝子を調べることで、現代人のルーツを探っていったら、アフリカに住んでいた1人の女性にたどりつき、その女性のことを「ミトコンドリア・イヴ」と名付けたのです。
米国・カリフォルニア大学のグループの研究成果で、人類の起源を研究している人たちの間で、「ミトコンドリア・イヴ仮説」として注目されています。
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| 「イヴ」というのは、旧約聖書に出てくる神が創造した人類最初の女性の名です。では、「ミトコンドリア」とはなんでしょうか?
ミトコンドリアというのは、1つの細胞の中に数百個もあり、生命のエネルギー源となるATP(アデノシン三リン酸)という物質を作っていて、細胞のエネルギー工場に例えられています。
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| そして、ミトコンドリアには核内の染色体にあるDNAとは違うDNAがあって、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と呼ばれています。核内にあるDNAは両親から子どもに伝わるのですが、ミトコンドリアDNAは特別で母親の卵子からだけ子どもに伝わります。父親のDNAが混じらないので、人類の祖先をたどるのに適した遺伝子なのです。
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| そのわけをお話しする前に、ちょっと横道にそれますが、『パラサイト・イヴ』というベストセラーのサスペンス・ミステリー小説がありました。ミトコンドリアの中に隠れ住んでいた「イヴ」が代々、女性の体から体に遺伝して、目覚めるというものでした。ミトコンドリアの性質を小説に生かしていたのです。
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| では、どうして遺伝子から祖先がわかるのでしょうか。共通の祖先から分かれて時間がたてばたつほど、同じ遺伝子を比較すると変化が大きいのです。同様に、世界のさまざまな人の同じ遺伝子を比較することによって、変化の一番少ない遺伝子を持った人が人類の祖先に近いと考えられるのです。
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| ところが、核内の遺伝子はたくさんありすぎるうえ、両親の遺伝子を受け継いでいます。ミトコンドリアDNAは環状で全塩基の数も1万数千と少なく、世代を経るにつれての変化が速いのと変化する割合がわかっているので、比較するのに適しているのです。
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| そして、さまざまな人のミトコンドリアDNAを比較したところ、ヨーロッパやアジアの人々は約20万年前にアフリカ系の人から分かれて、それぞれ独自に進化したという結論になったのです。
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| ミトコンドリアDNAの比較ですから、女性の祖先をたどることになったので、人類の祖先がアフリカの女性ということになり、「ミトコンドリア・イヴ」と、名付けられたのです。ですから、「ミトコンドリア・イヴ」はたった1人の女性の名前ではなく人類の祖先の総称ということなのです。
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| 人類のルーツについては、人類学者が何万年も前の地層から出てくる人骨や石器などの道具類を比較することによって研究してきました。アフリカで旧人が生まれたことでは一致しているのですが、新人のルーツとなると、アフリカの原人が各地に散らばって進化したとする「多地域進化説」と、アフリカの原人が進化して新人になったとする「単一起源説」に分かれていて、「イヴ説」は「単一起源説」を支持するものなのです。
しかし、ミトコンドリアDNAの他にも進化をたどれるDNAが見つかってきており、「多地域進化説」を支持する研究結果もあります。
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| 最後に「アダム」はどこにいたのでしょうか。男性の性染色体であるY染色体に注目して分析した結果、やはり、アフリカの男性にたどりつきました。アダムとイヴがそろわないと子孫が残せないので、当然と言えば当然の結果ですが…。 |
人類最古のDNA抽出 豪の研究チーム2001.01.09【シドニー9日=共同】The Sankei Shimbun
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| オーストラリア国立大学の人類学者アラン・ソーン教授らの研究チームは九日、オーストラリア大陸で約六万年前に死亡したと推定される男性の人骨から、人間のものとしては世界最古のDNAを取り出すことに成功したと発表した。
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| また、分析結果からこのDNAがアフリカ起源の人骨からのDNAとは明らかに異なっていることも分かったという。
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| ソーン教授は「この男性の祖先がアフリカではなく、アジアのどこかで進化した可能性がある」とし、今回の発見が「現代人の祖先がアフリカで進化し、世界各地に移動したとする『アフリカ起源説』を覆す可能性もある」と指摘している。
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| ロイター電によると、これまでの世界最古のDNAは、四万五千年前に死亡したと推定されるネアンデルタール人の人骨から取り出したもの。
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| 今回のDNAは同教授が一九七四年に、ニューサウスウェールズ州西部のマンゴ湖遺跡で自ら発掘した男性の化石人骨から取り出した。
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| 人骨は現生人類(ホモ・サピエンス)に似ており、DNAを分析したところ、アフリカ起源のどの人骨のDNAとも異なっていた。
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| 教授は、現代人の祖先がアフリカ以外でも進化していたことを示す証拠としている。 |
台湾海峡、考古で重大な突破を獲得1999年09月05日 by「人民日報」
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| 台湾海峡の海底から採った一つの化石は、このほど「身分」が確認され、「早期の人類がどのように大陸から台湾に至るか」というなぞを解くことに対し重要な意義があると見られる。
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| 著名な考古学者、中国アカデミー会員の賈士坡教授は8月17日この化石を鑑定し、廈門大学の考古学者の蔡保全氏が出した結論を肯定した。つまり1−3万年前、大陸と海洋の変遷により、大陸と台湾の間の谷において、晩期の「智人」が生活し、彼らは大陸から台湾へ移転した早期の人類である。賈士坡教授は彼らを「海峡人」と命名することを提案した。これは台湾の最古の文化と人類が中国南部から来たものであり、彼らが福
建から台湾海峡を経由して台湾に到着したものであることを充分に証明した。
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| 「海峡人」化石の発見は、海峡地域の人類考古のブランクを埋めた。 |
現生人類はアフリカ起源 大規模なDNA分析結果発表1999/01/23 信濃毎日新聞【ワシントン22日共同】
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| 現生人類は十万―十五万年前にアフリカに出現、その後世界各地に広がったことを示す大規模なDNA分析結果を、米ペンシルベニア州立大のサラ・ティシュコフ博士らが二十二日、米科学振興協会年次総会で発表した。
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| 現生人類(新人)の起源はアフリカ起源説と、世界各地の原人がそれぞれ新人に進化したとする多地域進化説が対立していた。大規模分析がアフリカ起源を示したことで、論争に終止符が打たれそうだ。
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| この結果、百数十万年前にジャワ島などにいたジャワ原人や約六十万年前の北京原人はアジア人の祖先ではなく、何らかの原因で絶滅したことがほぼ確定的となった。
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| 博士らはアフリカの十八地域と欧州、アジアなどアフリカ以外の四十五地域の合計約千七百人のDNAを調べた。
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| アフリカの人々は、DNAに多くの種類の特徴があった。一方、欧米人やアジア人などは、特徴の種類が少なく、アフリカ人が持つ種類の一部に限られていた。
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| この結果は、新人がアフリカで出現した後、現在のエチオピア付近にいた新人が欧州やアジアに広がったことをはっきり示しているという。
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| DNAに多くの特徴ができるのにかかる時間の計算から、新人の出現は十万―十五万年前と分かった。
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| 全人類の祖先はアフリカにいた女性とするイブ仮説など、従来のDNA分析もアフリカ起源を示していたが、調査が小規模だったことが弱点だった。 |
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