TOPIC No.2-70 加江田塾/宮崎ミイラ事件

01.過去〜最近の記事より

宮崎2児ミイラ事件、被告の控訴棄却 

2002/12/19 ZAKZAK
懲役7年の一審判決を支持−福岡高裁宮崎支部

 宮崎市の「加江田塾」で男児と乳児のミイラ化した遺体が見つかった事件で、保護責任者遺棄致死罪などに問われた塾主宰者、東純一郎(58)と会計担当、富樫明美(52)両被告の控訴審判決公判が19日、福岡高裁宮崎支部で開かれ、岩垂正起裁判長は両被告に懲役7年を言い渡した一審宮崎地裁判決を支持、両被告の控訴を棄却した。

 判決理由で岩垂裁判長は「2人が男児と乳児に生存に必要な保護をしなかったのは明らか。死亡した後も、それぞれの保護者に知らせ、遺体を引き取らせる義務があった」と判断。一審で死体領得罪を適用した男児については、死体遺棄罪に当たるとした。

 両被告の弁護人は「上告するか、被告と話し合って決める」としている。

 判決によると、東被告らは1997年12月「病気を治せる」などと言って、重い腎臓病の男児=当時(6つ)=を両親から預かったが、医学的な治療をせずに祈とう行為を繰り返すだけで翌月に呼吸不全で死亡させ、遺体を塾内の1室に約2年間放置した。

 また、99年2月中旬には、塾生が産んだ未熟児の男児を預かったが、全身衰弱で死なせ遺体を塾内に放置した。

 東被告らは「塾内に母親がおり、自分には保護責任はない。死体は放置したのではなく復活させるためにお清めを続けていた」などと無罪を主張していた。

ミイラ事件:「加江田塾」代表ら2人に懲役7年 宮崎地裁

2002年03月26日(毎日新聞)Mainichi INTERACTIVE
 宮崎市の「加江田塾」ミイラ事件で、宮崎地裁(小松平内=へいない=裁判長)は26日、保護責任者遺棄致死と死体領得罪で塾代表・東純一郎(58)▽塾幹部・冨樫明美(51)の両被告に懲役7年(求刑はともに懲役8年)を言い渡した。

 判決では、両被告は97年12月、重い腎臓病の男児(当時6歳)を父親から預かったが、症状の悪化を知りながら、塾内で祈とうのような行為をするだけで98年1月に死亡させた。99年2月には塾内で、女性塾生(34)が未熟児で出産した男児に医療的措置を取らず、10日後に全身衰弱で死亡させた。さらに、2遺体ともミイラ化するまで塾内の別室で放置していた。

 被告側は(1)男児の保護責任は塾内にいた母親にある(2)未熟児の保護責任は認めるが、母乳を飲ませるなど必要な世話はした(3)2児の復活を信じて「お清め」をしていたのであり「放置」ではない――などと無罪を主張していた。

 これに対し、検察側は(1)男児の両親は「病院は悪だ」という被告の言葉を信じ、保護責任を果たせる状態ではなかった(2)被告らは未熟児を病院に運ぶなど適切な措置を怠った(3)2児の死亡により塾内での権威が危うくなることを恐れ、施錠した別室に遺体を放置した――と主張していた。

 この事件は、男児を預けた父親が00年1月、宮崎南署に相談して発覚、塾内の捜索でミイラ化した2遺体が見つかった。男児の両親は保護責任者遺棄容疑で、未熟児の母親は保護責任者遺棄致死容疑で、それぞれ書類送検されたが、起訴猶予処分となった。

 加江田塾は95年に東被告が設立。「愛のエネルギーが人々を幸福にする」という独自の考えに基づき、全国で悩みの相談に乗るセミナーを開いていた。塾生は最盛期で約50人に上り、大半が塾で共同生活をしていた。 【谷本仁美】

東容疑者ら再逮捕

2000年5月6日 17時37分 共同
 宮崎市のミイラ事件で、宮崎県警は6日、乳児に適切な治療を受けさせず死亡させたなどとして、保護責任者遺棄致死と死体遺棄の疑いで、「加江田塾」主宰者の東純一郎(56)、会計担当の富樫明美(49)の両容疑者=別の男児に対する保護責任者遺棄致死罪などで起訴=を再逮捕した。東容疑者らは塾生が出産した未熟児の男児を預かったのに、適切な治療を受けさせず死亡させた疑い。

宮崎ミイラ事件冒陳 権威失墜恐れ”治療” 東、富樫両

2000年5月2日(火) 10時45分 (西日本新聞)
 宮崎地裁で一日あった男児ミイラ事件の初公判で検察側は、保護責任者遺棄致死罪などに問われた「加江田塾」の東純一郎(56)と富樫明美(49)両被告が、預かった男児の症状悪化を目の当たりにしながら、組織内での「権威失墜」を恐れて独自の“治療”に固執し、男児を死に至らしめた経緯を描き出した。両親が男児を預けた背景には、現代医学への不安も横たわるが、両被告は起訴事実を全面否認しており、事件の全容解明は今後の公判の行方にかかっている。

 「他の子のように自由にものを食べ、外で走り回って遊ぶこともできない。早く治してやりたい…」

 検察側の冒頭陳述によると、死亡した男児=当時(6つ)=の両親は、重い腎臓(じんぞう)病を患うわが子を思うあまり、東被告に接近していった。当時の治療薬には副作用があり、食事制限も必要。

 「副作用がある薬は毒だ」「病院は悪だ…」

 東被告らはこうした言葉で両親の心の“すき”に入り込んでいった。

 疑似宗教団体などに詳しい榊博文・慶大教授(社会心理学)は「恐怖心をあおった上で、病気を治すと誘う典型的な勧誘の手口」と警告する。

 投薬治療を絶たれた男児は腹部が「妊婦のように」ふくれあがるなど日増しに容体が悪化し、一九九八年一月、死亡。しかし東被告らは、その後も「元気になる」などと死を否定、祈とう行為を繰り返した。

 検察側はその理由を、男児死亡の責任逃れの目的に加え「病気を治す能力がないことが分かり、塾生らに対する権威が失墜することを恐れた」と結論づけている。

 桜井義秀・北海道大助教授(宗教社会学)は「加江田塾の場合、教義も既存宗教のつぎはぎで、活動も場当たり的な印象。今回も男児が死亡したため、言い訳として後から奇妙な『死生観』をでっちあげたのではないか。ただ、現代社会では、学校教育でも断片的知識しか教えず、人生の目的とは何か、という答えが用意されていない。老いや病に悩む人たちに、こうした集団が魅力的に映る可能性は今後も十分ある」と話している。

東被告ら、無罪主張=「治療行為」と強調−加江田塾ミイラ事件で初公判

2000年5月1日(月) 13時27分 (時事通信)
 宮崎市加江田の自己啓発セミナー「加江田塾」で今年1月、ミイラ化した男児=当時(6つ)=の遺体が見つかった事件の初公判が1日、宮崎地裁(小松平内裁判長)であった。死体遺棄と保護責任者遺棄致死の罪に問われた同塾代表東純一郎被告(56)と幹部冨樫明美被告(49)は「男児には治療行為をしており、事件発覚を恐れて死体を遺棄しようとした覚えはない」として起訴事実を否認、無罪を主張した。

  罪状認否で、両被告は「祈とうまがいの行為をしていたのではなく、男児の両親らにアドバイスをしただけ。男児の保護責任はわたしたちが負うのではなく、両親が負うものだ」などとした。 

宮崎「加江田塾」のミイラ事件で塾代表らを追起訴

9:00p.m. JST March 14, 2000
 宮崎市の「加江田塾」から、ミイラ化した子どもの遺体が見つかった事件で、宮崎地検は14日、重い腎臓病だった男児(当時6つ)を預かりながら、治療を受けさせずに死亡させたとして、塾代表の東純一郎容疑者(56)と、補佐役の冨樫明美容疑者(49)=いずれも死体遺棄罪で起訴=を、保護責任者遺棄致死罪で宮崎地裁に起訴した。

 起訴状によると、東、冨樫両容疑者は通院、投薬によらなくても病気を治せると称して、1997年12月、東京都内の会社役員(35)から、腎機能が低下するネフローゼ症候群の男児を預かった。保護する責任があったのに、尿が出ずに全身に浮腫が現れたのを認識しながら、「むくんだのは悪が体から出ているからだ」などと親に言い、祈とうまがいの行為をくり返すだけで医学的治療を受けさせなかった。その結果、98年1月13日ごろ、男児を肺水腫による呼吸不全のため死亡させたとされる。

 杉浦三智夫・宮崎地検次席検事は「殺人罪の適用も考えたが、殺意を認定できる証拠がなかった。ライフスペースの事件とは被害者の状況などが違うので、単純に比較できない」と述べた。

 宮崎県警は、同時にミイラ化した遺体で発見された乳児についても、適切な治療を受けさせず死亡させた疑いがあるとみて、近く2人を再逮捕する方針だ。

加江田塾ミイラ事件の東容疑者らを再逮捕

0:39p.m. JST February 22, 2000
 宮崎市の「加江田塾」からミイラ化した男児の遺体が見つかった事件で、宮崎県警捜査一課と宮崎南署は22日、塾代表の東純一郎容疑者(56)と、補佐役とされる冨樫明美容疑者(49)=いずれも死体遺棄罪で起訴=を保護責任者遺棄致死容疑で再逮捕した。乳児がミイラ化した遺体で同時に見つかった事件についても同容疑で立件する方針だ。

 調べでは、東容疑者らは1997年12月、重い腎臓病の男児(当時6つ)を「治療」するとして預かり、塾代表として保護する責任がありながら、医療行為を受けさせず、生存に必要な保護をしなかった結果、98年1月13日ごろ、腎不全による肺水腫のため死亡させた疑い。

 男児は継続的な治療が必要とされる「ネフローゼ症候群」と診断されていた。入塾後、男児の病状は悪化し、98年1月13日には「熱性けいれんを起こした」と塾から救急車が要請されたが、到着後、塾生が搬送を断った。男児はその後、死亡。東容疑者らは「清めて1週間で彼を取り戻そう」などといって、塾生らと1カ月ほど「復活」を祈り続けていたという。

宮崎ミイラ事件で起訴へ

2000年2月9日 18時06分 共同通信社
 宮崎市のミイラ事件で、宮崎地検は、男児=当時(6っ)=の遺体を「加江田塾」のある民家内に隠していたなどとして、死体遺棄罪で同塾を主宰する東純一郎(55)と会計担当の富樫明美(49)の両容疑者を10日に起訴する。

 調べでは、東容疑者らは1998年1月中旬、男児が死亡したのに、遺体を家族に渡さず、民家の一室にかぎをかけて隠していた疑い。

現場検証で「看病」再現

2000年2月5日 21時24分 共同通信社
 宮崎市のミイラ事件で宮崎県警は5日午後,男児と乳児の2遺体が見つかった同市加江田の「加江田塾」本部を約4時間、現場検証。同塾の主宰者東純一郎容疑者(55)=死体遺棄容疑で逮捕=らを立ち会わせた。検証は,「いつ、どのような状態で死体であることを認識したか」を究明するため、男児が死ぬ直前の東容疑者らの「看病」の様子や遺体を放置した部屋にかぎを掛けた際の状況などを再現。

加江田塾と関連施設を捜索

2000年1月31日 13時07分 共同通信社
 宮崎市のミイラ事件で宮崎南署は31日午前10時すぎから、死体遺棄の疑いで、ミイラ化した男児と乳児の遺体が見つかった「加江田塾」本館の民家を再捜索するとともに、同市南方町の別館「加江田塾Annex」や、同塾経営のラ−メン店など関連施設を初めて家宅捜索した。

 押収物の分析を通じ、同塾主催者、東純一郎容疑者(55)の容疑の裏付けを進める。

男児死亡後 父親と塾代表らが「復活」の祈り

2:15p.m. JST January 29, 2000
 宮崎市の「加江田塾」でミイラ化した子ども2人の遺体が見つかった事件で、塾代表の東純一郎容疑者(55)=死体遺棄容疑で逮捕=が接見した弁護士に対し、「男児(当時6つ)の医学的な死を認識してから1カ月間、父親や塾生らと遺体を前に復活を祈った」と語っていたことが分かった。宮崎県警も東容疑者が死を認識していたことをつかんでおり、調べを進めている。

 弁護士によると、腎臓病を患っていた男児の病状が悪化した1998年1月13日、東容疑者は冨樫明美容疑者(49)=同容疑で逮捕=と静岡市内でセミナーを開いていた。会場に塾関係者から連絡が入ったという。

 2人は父親(35)と合流し、翌日夕、塾に帰り着いた。男児は「耳から血を流し、顔は紫色になっていた。体は温かく、呼吸があった」といい、東容疑者が「医者の手を借りても無理」と判断。「復活」や「清め」の儀式を行うことを決め、間もなく「医学的な死を認識した」という。

 それから1カ月間にわたって、父親や塾生たちと一緒に男児の遺体を前に祈った。父親が自宅に戻った後も3カ月間、両容疑者と塾生は復活を祈り続けていた。

 男児の死から半年ほど過ぎて部屋にカギを取りつけた点は、「現世と天界の中間に置くようお告げがあった。(部屋は)異世界になり、だれも入れないようにカギは自分で管理した」と説明しているという。

数年前から公安当局も注目

2000年1月28日 18時13分 共同通信社
 宮崎市のミイラ事件で、死体遺棄容疑で逮捕された東純一郎容疑者(55)が「加江田塾」を開設して2年後の1997年ごろから公安当局が、周辺住民からの情報を受けて調査するなど動向を注目していたことが28日,分かった。宮崎県警によると、97年末ごろから塾周辺の住民から「集団生活している変な集団がいる。不安だ」、「オウム(真理教)ではないか」などと不安を訴える情報が寄せられた。

乳児は数日間生存後死亡

2000年1月27日 17時54分 共同通信社
 宮崎市のミイラ事件で「加江田塾」から,男児=当時(6っ)=とともに遺体で見つかった乳児は1998年春に未熟児の状態で生まれ、数日間生存していたことが27日、宮崎県警の調べで分かった。

 県警の調べに対し、同塾を主宰する東純一郎容疑者(55)らは「乳児は早産で、一生懸命世話をしたが死んでしまった」などと供述している。

塾生を無償で働かせる

2000年1月25日 17時56分 共同通信社
 宮崎市のミイラ事件で、加江田塾を主宰する東純一郎容疑者(55)=死体遺棄で逮捕=が1995年から97年にかけて、塾生を市内の物産店やレストランで無償で働かせ、他の従業員らに「塾に遊びに来ませんか」と声を掛けたり、米を売ろうしていたことが25日、関係者の話などで分かった。無償労働はその後、経営者とのトラブルで、打ち切られたが、宮崎県警は、当時の経営者からも事情を聴いている。

加江田塾事件 死亡男児の父勤務の会社に「在家信奉者」

2:32p.m. JST January 25, 2000
 宮崎市加江田の「加江田塾」からミイラ化した子ども2人の遺体が見つかった事件で、死亡した男児の父親(35)が勤務する東京都内の会社に、複数の「在家信奉者」がいることが25日までの宮崎県警捜査一課と宮崎南署の調べで分かった。この父親は、部下にあたる信奉者から「塾に子どもを預ければ腎臓病が治る」と持ち掛けられていた。男児の死後、150万円が塾に渡されたが、父親は「塾に一時滞在していた間の生活費として振り込んだ」と話したという。

 調べでは、都内の寝具販売会社に勤める父親は1997年12月、重い腎臓病を患っていた次男(当時6つ)を塾代表の東純一郎容疑者(55)=死体遺棄容疑で逮捕=に預けた。東容疑者はかつて同社に勤務していたが、部署が異なり、互いに面識はなかった。父親は知人を通じて東容疑者を紹介されたとの見方もあったが、その後、この知人が加江田塾の「在家信奉者」であることが判明した。県警は、東容疑者と父親をつなぐ仲介者の役割を果たしていたとみている。さらに、ほかにも複数の「在家信奉者」が同社に勤務していることがわかった。

 父親は、98年1月に男児が死亡したあと、塾側に現金150万円を渡した。冨樫明美容疑者(49)=同容疑で逮捕=が「塾の経営には費用がかさむ」ともらし、暗に「後援金」の提供を求めたが、父親はこの趣旨について、「預けた子どもとしばらく塾に滞在したし、その間の生活費がかかっただろうと思った」と説明しているという。県警は、父親が任意で払ったとみている。

宮崎ミイラ事件、「病状急変」で要請した救急車断る

07:09a.m. JST January 23, 2000
 宮崎市加江田の民家にある「加江田塾」でミイラ化した男児と乳児の遺体が見つかった事件で、1998年1月、「子どもの病状の急変」を理由に救急車をいったん要請しながら、同塾に救急車が到着したときには「治った」として搬送を断っていたことが、宮崎市南消防署の記録で明らかになった。死体遺棄容疑で宮崎県警に逮捕された塾代表の東純一郎容疑者(55)は、関係者に「塾生が断った」と話しているという。県警では、救急車を要請された子どもが、遺体で発見された男児とみて、調べを進めている。

 同消防署によると、98年1月13日正午すぎ、「子どもが熱性けいれんを起こした」との内容の通報があり、救急車が出動。加江田の同塾前に到着したが、女性から「けいれんがおさまった。自家用車で病院に運ぶ」と断られ、搬送せずに戻ったという。

 これまでの調べでは、遺体で見つかった男児は重い腎臓病で、「難病が東容疑者の治療によって回復した」との話を聞いた父親の会社役員(35)が97年12月ごろ、同塾に預けたとされる。

 腎臓病の専門医によると、腎臓の機能が落ちて腎不全、尿毒症になると、けいれんを起こすこともありうる。

 男児の遺体は塾の施設の2階の一室で布団に寝かされていた。もう1人の乳児は別の部屋で布にくるまれて木箱に収められていた。2人とも外傷はなく、男児は死後1年半から2年以上は経過していたとされる。

 県警では(1)救急車を要請したのは男児が塾に預けられてから間もなくだった(2)要請した理由が男児の病状にも当てはまる(3)男児の死亡推定時期が要請の時期と重なる、などの理由から、救急車をいったん要請したのは遺体で見つかった男児のためだったと見ている。

 関係者によると、東容疑者は「男児の病状が急変し、塾生がいったんは救急車を呼んだが、別の塾生が断るよう指示した。私は東京におり、塾にはいなかった」と話しているという。

逃げ出した姉弟連れ戻す

2000年1月21日 19時54分 共同通信社
 宮崎市加江田の民家にある「加江田塾」から男児と乳児のミイラ化した遺体が見つかった事件で、同塾の別館から、1998年5月、高校生の姉と弟が逃げ出し、パトカーが出動する騒ぎが起きていたことが21日、住民の話などで分かった。2人は近所のビニールハウスに隠れているところを住民に見つかった際、「塾にはいたくない」などと話していたが、塾会員の母親が連れ戻した、という。

宮崎「加江田塾」ミイラ化2遺体、乳児の母も共同生活

2:15p.m. JST January 21, 2000
 宮崎市加江田で共同生活をしている団体「加江田塾」の建物内でミイラ化した子供2人の遺体が20日発見され、同塾代表の東純一郎(55)と無職冨樫明美(49)の両容疑者が死体遺棄の疑いで逮捕された事件で、県警捜査一課と宮崎南署は21日、遺体で見つかった2人のうち、身元の分かっていなかった乳児は、共同生活をしている女性の子供とみて、この女性から任意で事情を聴いている。また、同塾のメンバーが約3年前、県西部の西米良村で一時、共同生活をしていたこともわかった。

 調べでは、東容疑者らは1998年1月中旬ごろ、同塾で、病気治療のために預かっていた東京都世田谷区の会社役員(35)の次男(当時6つ)が死亡したのに、遺体を遺族に渡さず、塾2階の一室に置いていた疑い。

 遺体は部屋中央に敷いた布団に寝かされ、周辺にはスピーカーのような機械が置かれていたという。

 隣の部屋からは、テーブルに置かれた木箱に、布でくるまれた性別不明の乳児が入れられていたのも見つかった。乳児は、宮崎市南方町の別館「加江田塾Annex」で共同生活をしている女性の子供とみられ、生後すぐに死亡したらしい。

 県警は22日以降、宮崎医科大で司法解剖し2人の死因などを調べる。

 東容疑者らは調べに対し、「塾生のこどもは別館の2階に住んでいる」と供述。冨樫容疑者は塾の会計担当をしていたらしい。

 同県警では、死亡した男性をミイラ化するまで放置したとして千葉県警から家宅捜索された自己啓発セミナー開催会社「ライフスペース」の関連団体「SPGF」と、同塾は接点がない、とみている。

 また、西米良村教育委員会など関係者の話では、97年春ごろ、同塾生とみられる大人や子供が3世帯で村への転入届を提出。しばらく同村出身の女性の家に住みながら、子供は地元の小学校に通っていた。

 しかし、塾生たちは、数カ月後に村から宮崎市などに転出。それでも子供たちは同村の小学校に片道3時間をかけて通学していたが、村教委で「越境通学にあたる」と問題になり、村教委からの指導で、同年10月には転校していったという。
県警は21日午後にも両容疑者を宮崎地検に送検する。

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