TOPIC No.2-65a 京都/小2男児殺害事件

小2殺害事件の容疑者は京都府立高教諭に悩み相談も

03:05a.m. JST February 06, 2000
 大学を目指して浪人中で、口数が少ない――。近所の人の話などによると、京都の小学2年男児殺害事件で任意同行を拒み自殺した男は、あまり目立たない存在だったようだ。

 関係者によると、男は日野小の隣の学区の小学校に2年生まで通っていた。この小学校わきの公園で事件後、自転車やズボン、目出し帽などが見つかった。

 男が通っていた京都府立高校で授業を受け持ったこともある教諭は昨年四月、男が突然、訪ねてきたのを覚えている。「今の自分について、いろいろ思うことがある」と切り出し、「できれば、卒業せずに高校に残りたかった。単位が足りなかったのに、卒業させられたことに納得がいかず、すっきりしない」などと悩みを相談したという。

 男は高校在学中、授業を休みがちで、通常の授業だけでは卒業するための単位が足りず、補習授業を受けていたという。

 この教師は「まじめな生徒で自分の思っていることを曲げないタイプだった。神経が非常に細かく、高校時代の悩みをずっと引きずっていたようだ」と話している。

 自殺した男が住んでいた団地の同じ階に住む女性(20)は「目立たないおとなしい人だった。夜に廊下で野良猫にえさをあげているのをよく見かけた。事件にかかわっているとは想像できない」と話した。

 別の近所の主婦(50)は「小中学校のころは、あいさつしても横を向いてしまう子だった。だんだんあいさつしてくれるようになったが、ここ2年ぐらいはほとんど顔を見ることなく、どこかに下宿していると思っていた」と話した。

予想外の展開、学校を狙った理由などナゾ残す

01:33a.m. JST February 06, 2000
 捜査員を振り切り、公園からスーパーへ。さらに近くの団地へ駆け込み、最後は13階から身を投げた。京都市伏見区の日野小学校で昨年暮れ、2年生の男児が刺殺された事件は、容疑者の男が白昼の逃走劇の末、自殺するという予想外の展開になった。容疑者は大学進学を目指して浪人中の、口数の少ない男だったという。学校を狙った理由や、声明文に書かれていた「てるくはのる」の真意は何だったのか。捜査方法に失敗はなかったのか。他の子どもたちにも深い心の傷を残した事件発生から47日目。被害者の児童の遺族は「救われない気持ち」と無念な思いを口にした。

 「行って話をしなさい。信じている」。母親が説得する。男は「行かない」を繰り返す。

 5日午前10時すぎ、京都市伏見区内の向島東公園のベンチ。周囲は国道24号の東西沿いに高層団地が立ち並ぶ。2人の捜査員を前に男はベンチに腰を下ろしていた。

 母親から説得される前、男は捜査員に「いきなり訪ねてくるのは失礼や」「今日は友達と会う約束がある」と捜査員の任意同行の求めを、何度も拒否していた。

 説得が5時間に及ぼうとした午前11時50分ごろ。男は突然ベンチから立ち上がり、西の方向に走り出した。捜査員が追う。少し離れたところで待機していた4人の捜査員も後を追った。

 男は近くのスーパーに逃げ込んだ。階段を走り回った。捜査員たちがスーパー周辺にいるのを近くの人が目撃している。

 公園から逃げ出して数十分。しかし、男は捕まることなく、今度はスーパーを出て、十数メートル離れた団地に入って逃げ回り、13階へ。団地は14階建てで、「ロ」の字形に立ち、建物の中央に吹き抜けがある。

 午後0時40分ごろ、団地にドーンという音が響いた。団地に住む男性(49)は音を聞いた。外に飛び出すと、若い男がコンクリートの地面に倒れていた。Tシャツのようなものを着ていたが、靴は履いていなかった。靴下の裏側は真っ黒だった。

 このころ、「見つかったかあ」という、捜査員の声が団地内に響いたが、間に合わなかった。

 この日、捜査員が男の自宅に任意同行を求めたのは午前7時ごろだった。1時間以上にわたって押し問答があり、午前8時20分、「公園なら話をする」と外に出て、自宅から約200メートル北西にある向島東公園に向かっていた。

 捜査員たちが公園で説得を始めた約10分後、京都地裁は自宅などの捜索令状を出した。母親の説得が続いていた11時すぎ、捜査員たちが自宅の捜索を始めると、しばらくして遺留品の自転車購入時に使ったとみられる偽名を書いたメモが見つかった。

 男が飛び降り自殺をした約5分後、地裁は逮捕状を出した。

「捜査に問題なかった」と京都府警刑事部長

01:57a.m. JST February 06, 2000
 容疑者を取り逃がしたうえ、自殺されるという結果をなぜ招いたのか。

 小学2年男児殺害事件の容疑者自殺について、5日午後7時から京都府警山科署で記者会見した三枝守府警刑事部長は「任意捜査については普段から心得ているつもりだったが、被疑者があまりにも突然、逃走してしまった」と答えた。一方で、任意同行のかけ方など、捜査の方法そのものには「問題点はなかった」と釈明した。

 警察庁も「逮捕状の執行ではなく、あくまで任意だったうえ、場所を変えながら長時間説得していたなかで、男の逃走を完全に防ぐのは難しかった」と捜査手続き上のミスはなかったとしている。

 捜査本部によると、男に対する任意同行などに、合わせて19人の捜査員が参加した。逃走する可能性については「当然、心構えはしていた」とし、警戒しながら粘り強い説得に力を入れていたことを強調した。 しかし、結果的に容疑者を取り逃がし、悲惨な事件の背景や動機の解明に支障をきたしてしまったことについて、捜査経験者らからは「重要な被疑者を死なせたのは警察の重大な失策だ」との指摘も出ている。

「200メートル追い、見失う」捜査本部が会見

01:01a.m. JST February 06, 2000
 5日午後7時、京都の小学2年男児殺害事件の捜査本部が置かれた京都府警山科署で記者会見した三枝守・刑事部長は、発表資料に目を通しながら、淡々とした表情で一言一言区切るように語り始めた。仲倉紘・捜査一課長は、資料に目を通しながら硬い表情を見せた。

 2人の記者会見の主なやりとりは次の通り。

 ――死亡した男は被疑者なのか。

 我々は被疑者という認識をもって捜査をしている。 <

 ――被疑者死亡のまま書類送検か。

 所定の捜査をして事実を固めたうえで、そうなると思います。

 ――逮捕状を用意していたのか。

 任意同行の段階では用意していない。動機については捜査中である。

 ――日野小学校と関連のある人物か。

 わからない。

 ――これまでに捜査本部の人間が本人と接触はしたのか。

 全くありません。

 ――いつごろ捜査線上にあがったか。

 1月の末。現場の聞き込み、ビデオに映った男の調べ、遺留品の販売先での捜査などから、容疑性が高いと判断した。

 ――決め手は何か。

 ひとつが決め手とはいえない。総合的に判断した。

 ――リュックからみつかった文章の中身は。

 日野の事件をやったという趣旨が書かれている。メモのたぐい数枚。

 ――リュックはビデオに映っていたリュックと同じか。

 ビデオの写真のものとは種類が違う。

 ――捜査員何人で任意同行を求めたか。

 19人。家宅捜索と本人への出頭要請、関係者からの事情聴取の人数を合わせた人数だ。

 ――捜索令状の内容は。

 殺人と銃刀法違反である。

 ――家宅捜索の状況は。

 午前11時7分から捜索開始。

 ――逃走の状況は。

 200メートルほど追尾したが、見失った。周辺を捜査していた。

 ――公園での説得は。

 午前8時20分から始め、11時50分に逃走した。本人がベンチに座り、捜査員2人が向かい合って話をした。2人のほか4人、捜査員計6人が周辺にいた。

 ――周辺とは。

 公園のなかだ。

 ――説得の状況について。

 10時半ごろから母親が加わった。彼女はそれまで、捜査員から事情を聴かれていた。そこから公園に移った。母親は本人に「行って話をしなさい。信じている」。それに対し、本人は「行かない」と繰り返した。

 ――本人の経歴は。

 申し上げられない。

 ――日野小出身者か。

 承知していない。

 容疑者の21歳の男が飛び降り自殺。京都の小2殺害。ビデオの男と酷似。警察の任意同行を拒否。(更新 2000年2月5日 20時10分)

京都・小2男児殺害事件で21歳の男を任意聴取

2:58p.m. JST February 05, 2000
 京都市伏見区の市立日野小学校の校庭で2年生の中村俊希君(7つ)が殺害された事件で、京都府警山科署の捜査本部は5日、伏見区内の21歳の男性が犯行にかかわった疑いを強め、任意で事情を聴いている。俊希君と一緒に遊んでいた児童の目撃証言から犯人は当初、小中学生風の男とされていたが、現場などに残された多数の遺留品からこの男が浮かび上がった。発生以来1カ月半ぶりに、事件は解決に向けて大きな進展を迎えた。

 捜査本部によると、俊希君は昨年12月21日午後2時ごろ、日野小学校の校庭のジャングルジム周辺で遊んでいたところ、突然やってきた若い男に文化包丁(全長約30センチ)で切りつけられ、殺害された。俊希君は京都市伏見区の病院に運ばれたが、首を中心に何度も切りつけられた跡があり、ほとんど即死状態だった。

 校庭には、血のついた包丁のほか、金づち、容器に入った農薬、塗料缶が発見された。さらに、学校から北西へ約300メートル離れた公園で、血の付いた青色パーカーと灰色地に幾何学模様のあるズボン、黒の目出し帽、自転車などが見つかっている。現場と公園で見つかった遺留品は10点以上に上った。

 捜査本部は、包丁などの遺留品が購入できる周辺の量販店に捜査員を派遣するとともに、犯人が逃走後に乗り捨てた自転車の防犯登録シールから大阪府枚方市の販売店を特定した。調べを進めたところ、事件の2日前の12月19日に学校周辺にある量販店で、遺留品と同じ種類の複数の品を購入した10代から20歳ぐらいのやせ形の男が店の防犯ビデオに写っていることが分かった。

 ビデオから写真をプリントして、事件時に俊希君と一緒に遊んでいた児童らに見せたところ、「(俊希君を襲った男に)似ている」と話す子どももいた。捜査本部は、ビデオに写った男が犯行に関与した可能性が高いとみて、写真に似た人物がいないか地元周辺で聞き込みをした。その結果、近くに住む男が浮上した。

京都小2殺害事件、防犯ビデオの男はくせ毛で細い目

4:00p.m. JST January 27, 2000
 京都市伏見区の市立日野小学校で起きた児童殺害事件で、犯行2日前に複数の遺留品と同型の品をホームセンターで購入した若い男は、ぼさぼさの癖毛で細い目をしていたことが27日、京都府警山科署の捜査本部の調べで分かった。店の防犯ビデオカメラに撮影された映像を解析した結果、明らかになった。鼻の下をこする癖が見られたという。捜査本部は事件とかかわりのある人物ではないか、とみて調べている。

 捜査本部は事件後、校庭などで見つかった文化包丁や金づちなど10点以上の遺留品を購入可能な周辺の店を調べ、販売記録や防犯ビデオの提出を受けて不審な男がいないか調べていた。その結果、先月19日、学校から約4キロ離れたホームセンターで複数の同型商品を購入する男がいたことが分かった。犯行5日前の16日にもこの男は店内を訪れ、下見のようなことをしていた。

 ビデオの画像は不鮮明だったが、府警のデジタル画像処理装置で解析したところ、店内を歩き回ったり、立ち止まって商品棚を見つめたりする数カットが映っていた。正面から撮影されたカットもあった。

 調べでは、年齢は中高校生から20歳前後、身長は160―165センチぐらいに見えるという。体格は中肉で、面長。顔が浅黒く、肌がかさかさに荒れているような特徴があった。白か黄色っぽいパーカーのようなものを着て、黒っぽいリュックサックを背負った姿もあった。上部だけフレームのある眼鏡をしていることもあった。

犯人像見直し、捜査難航

2000年1月9日 16時15分 共同通信社
 京都市伏見区の市立日野小学校で日野小2年、中村俊希君(7っ)が殺害された事件は、10日で発生から3週間。11日には3学期が始まるが事件は未解決のまま。京都府警は、防犯ビデオの映像などを基に犯人の割り出しを急いでいるが、年齢など犯人像の見直しを余儀なくされるなど難航。捜査幹部からは「犯人は予想外に周到。捜査は、全く別の方向を向いているのかもしれない」という声も漏れている。

児童なごます移動図書館

2000年1月5日 16時22分 共同通信社
 小2男児殺害事件が起きた京都市伏見区の市立日野小周辺を5日、京都市の移動図書館車が巡回し、事件のショックで自宅に引きこもりがちな児童の心をなごませた。

 移動図書館車は、絵本や図鑑など約2000冊を備え、日野小校区内の団地や公園など3カ所を巡回。それぞれの場所に約1時間とどまり、図書館員による紙芝居やなぞなぞゲームなどに、集まった児童が拍手や歓声を上げて楽しんだ。

京都市の男児殺人事件 自転車の登録住所はビデオ店

03:01a.m. JST January 04, 2000
 京都市伏見区の市立日野小学校の校庭で起きた小学2年生殺害事件で、犯人が学校から逃走する際に使ったとみられる自転車の防犯登録の住所が、京都府宇治市内のレンタルビデオ店の所在地になっていたことが3日、府警山科署捜査本部の調べでわかった。この自転車は犯行前に大阪府枚方市内で若い男が購入し、防犯登録をしていた。捜査本部は、この男が事件と何らかのつながりがあるとみて、ビデオ店との関連を調べている。

 自転車は犯行後、日野小学校から北西に約300メートル離れた児童公園で、犯人の遺留品とされる青いパーカーや目出し帽、ズボン、ナイフ、手袋とともに発見された。自転車のハンドル部分に被害者の中村俊希君(7つ)の血液が付着しており、犯人が小学校から逃げる際に使い、公園で乗り捨てたとみられている。捜査本部は、自転車に張られていた防犯登録のシールから販売店を割り出した。

 捜査本部の調べでは、大阪府枚方市内の販売店に現れた若い男の年齢は10代から20歳ぐらい。防犯登録の届け出用紙に記載された住所を調べたところ、ビデオ店があったが、届け出用紙に記された名前の人物は住んでいなかった。若い男は自転車の購入後、自分で乗ってかえったという。このため、店側も住所と名前が一致するかどうかまで確認できなかったという。

 捜査本部は、自転車を購入した若い男が、このビデオ店の店員やアルバイトら関係者とつながりがないか調べている。

心のケア進める保護者ら

2000年1月2日 15時35分 共同通信社
 京都の小2男児殺害事件は3日、発生から2週間。現場となった京都市立日野小学校の保護者らは児童の心のケアや安全対策を進める。その支えになったのは1997年、連続児童殺傷事件が起きた神戸市の関係者の助言。日野小PTA会長の岸本英孝さん(43)は事件後、父母の要望をまとめて地域パトロールを実施。報道陣には取材自粛を申し入れた。

児童ら集め、校庭で実況見分 京都の男児殺害事件

08:25a.m. JST December 30, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校で起きた男児殺害事件で、京都府警山科署の捜査本部は29日、亡くなった中村俊希君(7つ)に切りつけた若い男の行動を確認するため、犯行現場の校庭に児童を集めて実況見分をした。捜査本部の調べで、犯人は犯行時に目出し帽はかぶらず、パーカーに付いたフードをかぶっていた可能性が高まっている。実況見分では、こうした犯人の服装や足取りについて、犯行を目撃した児童から改めて聞き取りをしたとみられる。

 これまでの調べで、犯人のものとみられる黒の目出し帽が、校庭の約300メートル北西の公園で見つかった。犯行時にかぶっていたとみられていたが、複数の児童の目撃証言から、目出し帽は持っていただけの可能性が高いという。犯行時はパーカーのフードを深くかぶっていたらしい。

 また、目出し帽などとともに公園で見つかったズボンは、また下65センチで、女性用であることも分かった。ただし、性別を問わず着用できるという。

量販店の防犯カメラに不審な男性 京都市の男児殺害事件

03:05a.m. JST December 30, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校2年生の中村俊希君(7つ)が校庭で殺害された事件で、京都府警山科署の捜査本部は、犯行現場に近い量販店やコンビニエンスストアなど複数の店舗から回収した防犯カメラのビデオを分析した結果、前髪が短い不審な若い男が写っていることが29日、分かった。事件直前に撮影されたもので、10代前半から20歳前後に見えるという。捜査本部は、この男が事件と何らかの関連を持つ可能性があるとみて、プリントした写真を関係先で見せて身元の割り出しを急いでいる。

 捜査本部がビデオの提出を求めたのは、校庭や公園に残されていた遺留品と同種類の商品が販売されている宇治市内の量販店や、コピー機を置いている伏見区内のコンビニエンスストアなど。犯行のあった21日の防犯ビデオを中心に任意で提出を受けた。

 不審な男が写っていたビデオは、犯行時間帯前に撮影された。男性は白か黄色のような服を着ており、店内に入ったあと、通路を歩き回ったり、商品を陳列してある棚の前で1人で立ち止まったりしていた。紺色のリュックのようなものを背負っていたり、コピー機の前に立っていたりする姿もある。

 関係者によると、男は、小学校高学年から20歳くらいに見えるという。ビデオの写りはあまりよくないが、ほおがこけている▽目は細く、目じりが上がっている▽髪の色は黒▽前髪が短く、そろっている▽後ろ髪は襟にわずかにかかっている程度の長さ――などの特徴がうかがえるという。

 事件が発生した21日午後1時50分ごろ、校庭には約20人の児童がおり、数人が俊希君を殺害した男を目撃している。捜査本部はその証言を総合し、「小学校高学年から中学生の男子で、身長160センチぐらい。眼鏡をかけている」と犯人像を発表した。しかし、年齢などについては児童の証言にばらつきがあり、捜査本部は、10代後半までの可能性を視野に入れて捜査を進めている。

 これまでの調べによると、現場となった校庭や学校近くの児童公園から、犯行に使われた文化包丁や金づち、B5判にコピーされた6枚の「犯行声明」、農薬(殺虫剤)などが見つかっている。捜査本部はこれら遺留品の販売記録などをたどり、若い男が購入したり、犯行声明をコピーしたりした可能性のある店舗を絞り込んでいた。

校庭で29日実況見分

1999年12月28日 17時54分 共同通信社
 京都の小2男児殺害事件で京都府警山科署捜査本部は,29日,事件の状況を再現するための実況見分を、殺害現場の日野小学校校庭で行う。当時校庭にいた約20人の児童に参加を要請。児童の姿が外部からうかがえないよう、校庭の現場周囲にポールを立ててシートで覆い、事件当時の位置に児童を配置して分刻みで行動を再現。若い男の犯行状況や逃走の様子などを詳しく調べる。

京都の小2殺害 遺留品は包丁、目出し帽など11点

03:08a.m. JST December 26, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校で起きた男児殺人事件で、2年生の中村俊希君(7つ)を襲った小中学生風の男が校庭や近くの児童公園に置き去りにした主な遺留品は11点に上ることが25日、京都府警山科署の捜査本部の調べで分かった。変装用に準備したとみられる目出し帽は目と口の部分に3つの穴があいたもので、刃物で細工した跡があることも確認された。ジャンパーや手袋などもそれぞれ特徴があり、捜査本部は人物特定に結びつく手がかりとみている。

 捜査本部がこれまでに、犯行と関連があるとして押収した遺留品のうち、校庭に残されたものは5点、学校から約300メートル離れた公園には6点あった。これらのうち、包丁▽フード付きのジャンパー▽目出し帽▽手袋(右手のみ)▽ズボン▽自転車の6点には、俊希君のものとみられる血液が付着していた。

 重量があってかさばるものの大半は校庭に、衣類や目出し帽など身につけるものは公園に置かれていた。男は俊希君を殺害して校庭から離れる際に、凶器の包丁などを手放して身軽になり、学校近くに止めていた自転車に乗って人通りが比較的少ない公園に逃走。そこで血のついた衣類を脱ぎ捨てたとみられる。

 目出し帽は両目と鼻口の3カ所に穴があき、顔が分かるようなものだった。刃物で穴をあけた跡があり、毛糸がほつれているところもあった。ズボンはグレー地に色の柄があり、ジャンパーの色は鮮やかな青だった。手袋は指先が出るタイプ。捜査幹部は「上下をそろえて着込むと目立つ格好になる」と言う。

 また、犯行に使われた包丁以外にも、人に危害を加えることのできるものとして、ナイフ、金づち、農薬(殺虫剤)の3点が含まれていた。捜査本部は、男が状況に応じて犯行の方法を変えようとした可能性もあるとみて調べている。

 ◆これまでに明らかになった遺留品◆

 【犯行現場】

 (1)文化包丁 全長30センチでステンレス製。柄はこげ茶色で日本製。使い込まれていた。

 (2)犯行メモ 「私は日野小学校を攻げきします」で始まる9行のメモ。コピーされた6枚で、いずれもB5判の大きさ。

 (3)農薬入りの容器 約100cc。特別な許可がなくても手に入るもの。

 (4)金づち 柄が約30センチで、ほぼ新品。

 (5)塗料缶 日本製の白色塗料。

 【公園】

 (6)自転車 銀色で大阪府枚方市内で販売された。ハンドルに血痕。

 (7)ジャンパー 鮮やかな青色でフードつき。点々と血痕がついている。裏地があり厚手。

 (8)ナイフ 短刀のような形で、さや付き。新品。

 (9)目出し帽 黒の毛糸製。顔面がほとんど出るような大きな穴がある。

 (10)ズボン ジャージーで、灰色地に迷彩のような模様。

 (11)手袋(右手のみ) 合成皮革でえんじ色。手の甲の部分のテープでとめるタイプ。血痕あり。

児童らは顔全体を目撃

1999年12月25日 17時30分 共同通信社
 京都の小2男児殺害事件で、亡した京都市立日野小2年中村俊希君(7っ)が襲われた現場の周辺にいた児童らが、犯人の若い男の顔は、ほぼ全体が見えたと証言していることが25日、京都府警山科署捜査本部の調べで分かった。男が犯行時かぶっていたとみられる目出し帽は、事件直後に見つかったが、顔の部分は、ほとんど覆われていなかった。捜査本部は、犯人の似顔絵をつくり、公表も検討している。

犯行備え、直前に購入か

1999年12月25日 9時54分 共同通信社
 京都の小2男児殺害事件で、犯行現場となった市立日野小学校校庭や、近くの児童公園に残された遺留品10数点の大半が、いずれも犯行直前に新規購入された可能性の高いことが25日、京都府警山科署捜査本部の調べで分かった。

 捜査本部は、同小2年の中村俊希君(7っ)を殺害した、犯人の若い男が周到に犯行を計画。凶器や衣類などを買いそろえたとみて、購入先の割り出しを急いでいる。

「一層の安全管理徹底を」京都の児童殺害で中曽根文相

1:11p.m. JST December 24, 1999
 中曽根弘文文相は24日午前の記者会見で、京都市伏見区の市立日野小学校の校庭で児童が殺害された事件に関連して「事実関係の把握を十分にした上で、外部から学校の安全が脅かされることのないよう、安全管理の一層の徹底に努めたい」と述べた。その上で「今まで開かれた、地域の人が入りやすい学校作りという方向でやってきている。施錠や防犯設備の設置や不審者への注意という対処が基本になると考えている」として、今の段階で文部省として学校側に具体的な指導などをすることは考えていないことを明らかにした。

ナイフは新品、塗料缶も見つかる 京都の男児殺人事件

2:18p.m. JST December 24, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校で2年生の中村俊希君(7つ)が殺害された事件で、近くの児童公園から押収された遺留品のナイフはさやに入ったままの新品であることが24日、京都府警の山科署捜査本部の調べで分かった。犯行現場や公園で見つかった遺留品の中には塗料缶が残されていたことも明らかになった。中村君を切りつけた若い男が事件前に計画的に購入した可能性があるとみて、包丁や農薬などほかの遺留品とともに入手先を調べている。

 捜査本部の調べでは、ナイフは小学校から北西約300メートルにある醍醐辰巳児童公園で、血がついたジャージーのようなズボン、青いフードつきジャンパーなどの近くにあった。柄は薄い茶色で、発見されたときさやにおさまったままだった。使った形跡はみられなかったという。

 塗料缶は、国内メーカーの製品。捜査本部は、男がどんな目的で持ち歩いていたのか分析している。

 一方、犯行に使われた文化包丁は柄が焦げ茶色で、使い込まれた形跡があった。ステンレス製で日本製という。

 捜査本部は、遺留品の購入先を特定するため、ナイフや農薬、塗料缶などを扱っている日曜大工店や、工具店などに捜査員を出して、購入者を調べている。

児童らに精神的ケア

1999年12月23日 16時36分 共同通信社
 京都市伏見区の市立日野小学校で、2年生の中村俊希君(7っ)が殺された事件を目撃した児童らは、不眠や食欲不振を訴えている。京都市教育委員会は23日、カウンセラーを同校に派遣、児童の精神的ケアを始めた。カウンセラーは25日以降の冬休み中も2人が常駐。家庭訪問した教員に児童の声や様子を聞き、対応策や児童との接し方を助言する。

京都の児童殺害事件、切り裂かれた中学校の制服見つかる

11:40p.m. JST December 23, 1999
 23日午後5時15分ごろ、中村俊希君が殺害された京都市伏見区日野谷寺町の市立日野小学校北約100メートルの駐車場に「学校の制服が切断され、投棄されている」という110番通報が、近所の人からあった。捜査員が駆けつけて調べたところ、京都市内の中学校の男子生徒用の制服の上着が上下に2つに切られ、駐車中の車のタイヤのそばの地面に置かれていた。

 京都府警山科署の捜査本部の調べでは、制服はブレザータイプで、胸に学校のマークが入っていた。着古されたもので、すそから約10センチのところを鋭利な刃物で切断されていた。名前はなく、ポケットには何も入っていなかったという。「朝にはなかった」という近所の証言があり、それ以降に何者かが置いた可能性が高い。捜査本部は、事件との関連性を調べている。

京都の児童殺害事件、中村俊希君通夜で悲しみ新た

9:41p.m. JST December 23, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校で発生した児童殺害事件で、犠牲となった2年生の中村俊希君(7つ)の通夜が23日夜、京都市伏見区醍醐柏森町の自宅で営まれた。零度近い寒さのなか、同級生らも保護者に付き添われて参列。読経が流れるなか、笑顔の俊希君の遺影を前に、弔問客は改めて早すぎる死を悼んだ。

 通夜は午後7時から始まった。俊希君の家は、襲われた日野小学校から歩いて10分ほど。なだらかな坂を登った住宅街の奥にある自宅前には、通夜の始まる前から、地元自治会関係者や学校教諭らが、長い列をつくった。

 俊希君と同学年の子どもを持つ近所の父親(38)は沈痛な面持ちで、「気持ちを察してください」とだけ話した。同じ自治会の公務員の男性(48)は「1日も早く犯人を捕まえて、私たちの不安を解消してほしい」という。

 1人で弔問に訪れた中年女性は「もうつらくて、言葉になりません」と声を詰まらせた。

京都の小2男児殺害事件で農薬やかなづち見つかる

03:14a.m. JST December 23, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校で2年生の中村俊希君(7つ)が殺害された事件で、犯行現場となった校庭のジャングルジムのそばで見つかった遺留品の中に、農薬やかなづちも含まれていることが22日、京都府警山科署の捜査本部の調べで分かった。現場近くの公園には血のついたジャージーのズボンも脱ぎ捨てられていた。捜査本部は複数の凶器や農薬を持って小学校に侵入しているうえに、ズボンの着替えなども用意した計画的な犯行の疑いが強いとみて調べている。

 捜査本部の調べによると、農薬は清涼飲料水のビンのような容器に入れられて残されており、100ミリリットル程度入っていたという。日曜大工の店などで購入できる種類だったという。捜査本部は、男が犯行前に様々な犯行形態を想定し、犯行後、持ち歩いているところを見つからないように、凶器などを現場に捨てたのではないかとみて、これらの入手経路の特定を急いでいる。

 小学校から北西約300メートルにある醍醐辰巳児童公園では、ズボンのほかに、青色フードつきのジャンパーや手袋、ナイフのような刃物、黒色毛糸の目出し帽、自転車が発見された。捜査本部は、男がズボンを脱いだあと、そのままの姿で逃げるとは考えにくいことから、あらかじめ着替えを持っていたか、初めからズボンを2枚はくなど、周到な準備をしていた可能性が高いとみている。

京都の男児殺害事件で、現場の土を梅の木の根元に埋める

02:26a.m. JST December 23, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校(下倉健至校長)で2年生の中村俊希君(7つ)が殺害された事件で、犯行現場となった校庭では22日、京都府警の現場検証後、教職員らが血の付いた土を校庭の梅の木の根元に埋め、改めて俊希君のめい福を祈った。俊希君の遺体はこの日、京都市の府立医大で司法解剖された。

 午後からは、28人の教職員全員が、俊希君が襲われた現場近くの土をスコップなどでていねいに掘り起こし、近くの梅の木の根元に穴を掘って、土を埋めた。土の上に追悼の献花をし、めい福を祈った。

 この日午後記者会見した下倉校長によると、職員室にいた教員の間から「血の付いた土をそのままにしておくのはかわいそう。花の近くに埋めてあげよう」という意見が出たという。

 下倉校長が担任ら3人と俊希君の自宅を弔問に訪れ、その後、電話で「梅の木のもとに俊希君が倒れていた付近の土を納めさせて下さい」と申し出たところ、父親の聖志さん(35)が「今後このような痛ましい事件が起きないように」と承諾してくれたという。

 司法解剖を終えた俊希君の遺体は午後9時10分すぎ、京都市伏見区醍醐柏森町の自宅に戻った。

犯行声明、ふぞろいで稚拙な文字 京都の男児殺害事件

3:19p.m. JST December 22, 1999
 京都市伏見区の市立日野小学校で21日午後、同校2年の中村俊希君(7つ)が若い男に殺された事件で、現場付近に残されていた「犯行声明」とみられる文面の紙は、大小不ぞろいの稚拙な文字が書かれていたことが22日、朝日新聞社の入手したコピーで分かった。京都府警山科署の捜査本部は字体などを詳しく分析し、犯人像をつかみたいとしている。

 犯行声明文はいずれも黒白のコピーで、けい線のない白紙に9行にわたって書かれていた。1字の大きさは1―2センチ四方程度で、全部で105文字。大きさにばらつきがあり、角張っている特徴があった。

 漢字と平仮名が混じった文章で、7つのフレーズがあり、3カ所に1度書いた文字を消した跡があった。「攻げき」「うらみ」「にげます」など、難しい漢字を平仮名で書いている部分もあった。

 紙は、犯行現場となったジャングルジム周辺に6枚が残されており、いずれもB5判ぐらいの大きさ。事件直後に駆けつけた下倉健至校長が拾い集め、警察に届けた

公園の自転車に血痕

1999年12月22日 17時06分 共同通信社
 京都市伏見区の市立日野小学校で21日、同小2年の中村俊希君(7っ)が若い男に殺害された事件で、男が着ていた青いコートなどとともに同小近くの公園で見つかった自転車に、血痕が付着していたことが22日、京都府警山科署捜査本部の調べで分かった。捜査本部は男が犯行後、公園までの逃走に自転車を使用。犯行の際、コートなどにかかった俊希君の血が自転車に付いたものとみている。

小2男児、校庭で殺される 現場に「犯行声明」 京都

9:50p.m. JST December 21, 1999
 21日午後2時ごろ、京都市伏見区日野谷寺町の市立日野小学校(下倉健至校長、児童440人)で、校庭で遊んでいた同区醍醐柏森町、重機オペレーター中村聖志さん(35)の長男で2年生の俊希君(7つ)が、近づいてきた若い男に突然、刃物で首や右腕を切りつけられた。俊希君は病院に運ばれたが、出血多量で間もなく死亡した。男は学校の北門から逃走。現場には、「私は日野小学校を攻撃します」などと書かれた犯行声明ともとれる紙が残されており、京都府警捜査一課と山科署は背景に学校への恨みがあった可能性もあるとみて、殺人容疑で男の行方を追っている。

 調べでは、男は中高校生風で、眼鏡をかけていたという。凶器は刃渡り15センチの果物ナイフで、現場に放置されていた。

 事件後間もなく、学校から約300メートル北西にある児童公園の出入り口付近で、男が身につけていたとみられる青いハーフコートと、血のついた茶色の手袋(右手)、マスク、マフラーが捨てられているのが見つかった。血は犯行時の返り血らしく、そばに黒い自転車もあった。

 現場に残された紙はB5判で6枚あり、すべて同じ文面のコピーだった。学校から事情を聴いた京都市教委の桶谷守・首席指導主事によると、「私は日野小学校を攻撃します 理由はうらみがあるからです 今は逃げますが、あとで名前を言うつもりでいます あとで手紙を書きます だから、今は追わないで下さい 私を見つけないで下さい 私を識別する記号は てるくはのる」と書かれていたという。子どもが書くような文字だったとされ、散らばって落ちていたのを校長が回収して府警に届けた。

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