TOPIC No.2-34 全日空機ハイジャック

全日空機ハイジャック事件 弁護側は被告の精神鑑定請求

2000.06.19(22:39)asahi.com
 「実社会で挫折したのでハイジャック後に自殺しようと思っていたが、機長や乗客を道連れにしようと思ったことは絶対になかった」。昨年7月の全日空機ハイジャック事件で、機長を刺殺したとして殺人などの罪に問われた西沢裕司被告(29)の公判が19日、東京地裁であり、検察側は同被告の捜査段階での供述内容を告知した。弁護側は反証方針を示す冒頭陳述で「自殺願望に支配され、誇大妄想的な計画にとりつかれた異常な精神状態での事件」と主張し、精神鑑定を請求した。

 供述によると、西沢被告は「エリートの道を歩んでいたが、社会に出て通用しなかった」ため、大学卒業後に就職した鉄道会社を約2年半後の1996年10月に退社。就職活動をしても受からず、「将来に悲観的になって」自殺未遂を繰り返した。

 インターネットで羽田空港の配置図などを見ているうちに警備体制に欠陥があることに気づき、運輸省や警備会社に指摘し、併せて警備員として採用するよう求めたが断られる。憤った被告は「テロリストのハイジャックを防がなくてはならないのにいつまでも動かないので、私がやれば担当者の責任が追及される」と考えて実行を決めた。

 さらに、「機長からは操縦のアドバイスを受けるつもりだった」「レインボーブリッジをくぐればより世間にアピールできると考えたが、乗客に危険が及ぶならやめるつもりだった」と強調。離陸した直後、タイヤが機体に収まる音を聞いて「決行のスイッチが入った気がした」と述べている。

 弁護側は「ハイジャックを引き起こせばその余勢を駆って今度こそ死ねるという考えに支配された」と指摘。精神分裂病か重度のうつ病によるもので、抗うつ剤の副作用による異常行動の可能性もあると主張した。

機長の遺族が労災申請

1999年12月25日 11時49分 共同通信社
全日空機ハイジャック事件で刺殺された長島直之機長=当時(51)=の遺族が25日までに、東京・大田労働基準監督署に労災を申請した。長島機長は国内で起きたハイジャック事件の初めての犠牲者。
長島機長は7月23日、羽田発札幌行き全日空61便の機長として乗務中、西沢裕司被告(29)=殺人、ハイジャック防止法違反などの罪で公判中=に首などを刃物で刺され、殺害された。

殺意は認否を留保

1999年12月20日 13時16分 共同通信社
全日空の羽田発札幌行きジャンボ機(乗客乗員517人)を乗っ取り、長島直之機長=当時(51)=を刺殺したとして、殺人とハイジャック防止法違反(航空機強取等致死)などの罪に問われた無職西沢裕司被告(29)の初公判が20日、東京地裁で開かれ、西沢被告は「違うことはございません」などと起訴事実を認めた。 弁護側は事実関係を認めた上で「殺意については認否を留保する。

西沢裕司容疑者を起訴

1999年8月13日 21時09分 共同通信社
全日空機ハイジャック事件で東京地検は13日、羽田発札幌行き全日空ジャンボ機(乗客乗員517人)を乗っ取り、長島直之機長=当時(51)=を包丁で刺殺したとして殺人とハイジャック防止法2条違反(航空機強取等致死)などの罪で、無職西沢裕司容疑者(28)=東京都江戸川区=を起訴した。
西沢被告は昨年秋に約2カ月間、精神科病院に入院、責任能力が焦点となった。

ハイジャック事件の容疑者を「簡易鑑定」へ

03:08a.m. JST August 12, 1999
全日空機がハイジャックされて機長が刺殺された事件で東京地検は、ハイジャック防止法違反などの容疑で逮捕、送検された東京都内の無職の男(28)について12日にも簡単な精神鑑定である「簡易鑑定」をする方針を固めた模様だ。容疑者の男は、犯行が計画的であるものの、常識では考えられないような供述をしている面もあることから、刑事責任能力の程度などについて確認しておく必要があるとの判断とみられる。
簡易鑑定は、相手の同意を得たうえで嘱託医に依頼し、ペーパーテストや問診などで精神状態を見るもので、検察官は立ち会わないという。通常は1日で終わるもので、結果を踏まえて最終的な判断をする。
これまでの調べで、男は羽田空港の警備上の問題点を突く周到な計画を立てたうえで計画通りに実行に移すなどしていることが明らかになり、事件について反省する供述もしているという。また、精神病でかかっていた医師からも精神状況に問題ないとの見解を得ているとされる。このため、同地検は、裁判所の許可を得て身柄を医療機関に移す本格的な鑑定は必要ないとみている。
しかし一方で、男はこれまでの調べに対し、操縦シミュレーションゲームに熱中し、「レインボーブリッジの下をくぐり抜けたかった」「宙返りやダッチロールをしたかった」などの供述もしていることから、事件当時の精神状態を改めて確認しておく必要もあるとして、簡易鑑定を実施することにした模様だ。

故長島機長のめい福祈る

1999年7月30日 18時16分 共同通信社
 全日空機ハイジャック事件で刺殺された長島直之機長(51)の葬儀(葬送式)と告別式が30日午後から、長島家と全日空との合同葬として、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。喪主は妻の久実子さん(51)が、葬儀委員長は野村吉三郎全日空社長が務め、遺族や知人らが参列。制服を着て操縦席に腰掛け、振り向いている機長の遺影に向かい、友人が思い出を披露。故人のめい福を祈った。

長島機長に総理大臣顕彰

1999年7月29日 10時30分 共同通信社
 全日空機ハイジャック事件で刺殺された長島直之機長(51)に対し、政府は29日、内閣総理大臣顕彰を贈ることを決めた。小渕恵三首相が同日夕に行われる長島機長の通夜に持参し、遺族に手渡す予定政府は今回、500人を超える乗客、乗員を守るため命を落とした長島機長の勇気と献身が総理大臣顕彰にふさわしいと判断した。

交信記録の全容、明らかに 全日空機ハイジャック事件

2:18p.m. JST July 29, 1999
 全日空機ハイジャック事件で、殺された長島直之機長(51)と管制官との交信記録の全容が29日、明らかになった。逮捕された容疑者の男(28)とみられる声もところどころ聞こえ、長島機長が男をなだめながら飛行を続けた様子がわかる。男は横須賀、伊豆大島、米軍横田基地へと行き先を指示したり、低空飛行を主張したりして、最後には機長席へ座ることを求めたとみられる。長島機長は、最後まで操縦かんを離さなかったようだが、23日午前11時54分30秒から2秒間、「あー」という悲鳴が聞こえ、交信は途絶えた。

専門用語使い針路指示

1999年7月26日 18時11分共同通信社
全日空機ハイジャック事件で、逮捕された無職の男(28)は操縦室に長島直之機長(51)と2人で閉じこもった際、パイロットが使う英語交じりの専門用語で、針路変更などを指示していたことが26日、警視庁などの調べで分かった。

都心に針路変更、機体降下

1999年7月26日 18時11分 共同通信社
全日空機ハイジャック事件で、容疑者の無職の男(28)は長島直之機長(51)を包丁で刺した後、副操縦士席で針路変更のダイヤルを回すなどして、機首を都心方向に旋回させ、機体が降下していたことが26日、警視庁の調べで分かった。機体が、高度約300メートルまで降下したため、対地接近警報装置が作動。乗員ら7人前後が操縦室に飛び込み、男を取り押さえたことも確認された。

「機長が操縦させない態度を取ったので刺した」男が供述

1:01p.m. JST July 26, 1999
 全日空のジャンボ機がハイジャックされて機長が刺殺された事件で、逮捕された東京都内の無職の男(28)が、「機長が、自分に(ジャンボ機の)操縦をさせないような態度をとったので刺した」と供述していることが26日、警視庁捜査一課と東京空港署の調べでわかった。
 調べでは、男は操縦室に侵入すると、まず長島直之機長(51)に「横須賀方向へ向かえ」と要求した。その後、副操縦士を室外に出し、副操縦席に座った。長島機長の首付近に包丁を突きつけ、「大島方向へ向かう」「横田基地方向へ向かえ」と要求し、横田基地へ向かう途中の神奈川県茅ケ崎市付近の上空で、男は長島機長の首を刺した。
 刺した時の状況について、男は「自分で操縦しようとしたが、機長がさせないような態度を取った。したがって、包丁で右首のあたりを1、2回、力いっぱい刺した」と供述。
 刺した後のことについては、「自動操縦装置を解除しようとしたが、解除できなかった。進行方向を設定するコースセレクター(方向指示装置)のダイヤルを動かして、都心方向に旋回させた。機体が下降して警報機が鳴り、人が操縦室に入ってきて捕まってしまった」と話しているという。

長島機長がひそかに無線で連絡 全日空機乗っ取り事件

03:12a.m. JST July 25, 1999
 全日空機ハイジャック事件で、亡くなった長島直之機長(51)は、交信用無線をつなぎっぱなしにし、逮捕された男(28)に気づかれないように操縦室の様子を管制官側に伝えていた。管制官側は、長島機長のマイクを通じて、男が行き先を指示したり機長が男をなだめたりする様子や、副操縦士が操縦室から追い出されたことが把握できた。この間、管制官側も男を刺激しないよう呼びかけを繰り返さず、かたずをのんで無線に聴き入った。操縦室からの音声は、悲鳴を最後に途絶えたという。
 操縦室からの音声は、操縦かんにあるマイクのスイッチを押している間だけ、管制官らに伝わる。長島機長は23日午前11時25分に「あー、緊急事態、ハイジャック、ハイジャック」と話した以外は、管制官との正式な交信は高度や方角など航路の誘導を依頼するときだけにとどめた。あとは男に気づかれないようにスイッチを押し、独り言のようにつぶやくなどして操縦室の状況を伝えた。
 運輸省の交信記録などによると、午前11時36分、管制官の「この後のそちらの意向を教えてください」という問いかけに、「少しお待ちください」と答えた後、10分間途絶えた。
 ハイジャック時は原則として、管制官は操縦室から交信があったときのみ応答することになっている。
 この10分間に、長島機長はマイクのスイッチを押しながら、「降りるの?」「蛇行するのね」などと男の意向を確かめるようにつぶやくことで、飛行状況を管制官側に伝えた。
 「雲が出てくるから危ない」などと、男をなだめながら着陸をうながすような言葉や、副操縦士が外に出された様子も管制官に伝わった。男の声ははっきりしなかったが、何かしゃべっているような様子だったという。
 午前11時46分、機長は管制官に横田への飛行を要求し、再び交信が始まったが、約35秒後に「了解」と答えた後の管制官の呼びかけには応答がなかった。同50分過ぎ、「ギャーッ」という悲鳴が聞こえ、しばらくして音声は途絶えた。

犯行、当初は前日に計画 全日空乗っ取り事件

03:12a.m. JST July 25, 1999
 全日空機がハイジャックされて機長が刺殺された事件で、逮捕された東京都内の無職の男(28)は当初、前日の22日に実行する計画で、羽田―大阪(伊丹)間の往復と、羽田発新千歳行きの航空券を購入していたことが24日、警視庁捜査一課と東京空港署の調べでわかった。空港近くのホテルに宿泊するなどして準備を進めたが、何らかの理由で断念し、決行日を1日延期したとみられる。
 調べでは、男は、23日の事件当日の行動と同様に、22日の午前6時45分発の羽田発大阪行きの日本航空101便、同8時50分発の大阪発羽田行きの日本航空102便、同10時55分発の羽田発新千歳行きの全日空061便の計3枚の航空券を用意していた。航空便の手荷物預けシステムや羽田空港内の「死角」を利用して、凶器の包丁を機内に持ち込むためだったとみられる。
 これらの航空券は19日にJR東京駅構内にある旅行代理店の2つの支店で分散して買っていた。旅行代理店によると、男は一つの支店で羽田発大阪行きの航空券をオウム真理教の手配容疑者、羽田発新千歳行きをプロ野球選手とそれぞれ同じ名前で買っていた。また別の支店でも大阪行きの便と同じ名前を使って、大阪発羽田行きの航空券を買っていったという。
 3便を一度に同じ店で買うと、不審に思われかねないため、このような買い方をしたとみられる。
 2つの航空券を買った旅行代理店の従業員によると、男は白いシャツ姿で現れた。申込書の搭乗者名にプロ野球選手と同じ名前を記入した。後に、連絡先として書かれた電話番号に確認したところ、球団の関係者が出たという。
 出発や到着の空港名の記載欄に「HND」(羽田)「ITM」(伊丹)「SPK」(札幌)などと航空会社などが使う略称で記入したという。さらに男は新千歳行きの便については、ハイジャック機で座った席と同様に2階席を希望したといい、応対した従業員は「飛行機に詳しくて、細かい人だな」と印象に残ったという。
 調べに対して男は、21日に、翌早朝の便に間に合わせるためか、羽田空港に通じるモノレールの始発駅近くのカプセルホテルに泊まった、と話している。

羽田空港の警備を強化

1999年7月24日 20時41分 共同通信社
 全日空機ハイジャック事件を受け運輸省は24日、羽田空港の警備人員を同日から増やし、逮捕された男(28)が東京空港事務所に送付した警告文で「通り抜け可能」と指摘した1階の手荷物受け取り所と2階の出発ロビーを結ぶ階段の監視を強める措置を取ったことなどを明らかにした。

ハイジャック機、犯人が操縦 墜落の可能性あった

0:26p.m. JST July 24, 1999
 全日空061便ジャンボ機のハイジャック事件で、容疑者の男(28)の供述や管制官との交信記録などから、男が数分間にわたってジャンボ機を操縦していたことがわかった。この間、機体は降下したり旋回したりしており、一時は高度約300メートルまで下がり、地上に衝突する恐れがある場合に作動する警報もなっていた。警視庁の調べに対し、男は「自動操縦装置をはずそうとしたが、できなかった」などと供述しているが、実際には自動操縦装置が切れていた可能性もある。運輸省をはじめ航空関係者らは、墜落の危険性があったと指摘している。
 これまでの警視庁の調べに対し、男は「自分が操縦したかった」「機長が言うことを聞かないので刺した」「自動操縦装置をはずそうとしたが、できなかった。操縦かんは利いたので、旋回し、都心へ向かおうとした」などと供述している。
 調べでは、男が長島直之機長(51)を刺したのは神奈川県茅ケ崎市上空付近とみられる。運輸省によると、061便が同地点を通過したのは午前11時55分ごろ。交信記録によると、同48分に管制官が操縦室に交信を呼びかけたが応答がなく、無線から、同49分に「ギャーッ」という悲鳴が聞こえた。
 この後、副操縦士らが操縦室に飛び込み、操縦かんを握る正午ごろまでの数分間、男が061便を操縦していたとみられる。
 この間、061便は、高度を約300メートルまで下げ、米軍横田基地上空付近で右に急旋回している。旋回する際、管制官に誘導を依頼する交信はなく、運輸省内では「一刻を争う状態でパイロットが操縦したのかもしれないが、通常なら旋回する方向や高度などについて管制に指示を求めるはず」として、男が旋回を行った可能性を示唆する声もある。
 操縦室から地上衝突の危険がある時に自動的に鳴る警報音が聞こえたため、副操縦士らが操縦室のドアをけ破って入った。午後零時2分に、「今から帰ります。しばらくこのヘディング(方向)でメインテイン(維持)させてください。落ち着くまで」という交信が管制官に入った。同4分には高度約1200メートルまで上昇した。

逮捕の男、羽田空港の安全対策上の問題点を手紙で指摘

02:07a.m. JST July 24, 1999
 全日空機ハイジャック事件で逮捕された男が、約1カ月前に全日空などに羽田空港の安全対策上の問題点を指摘する手紙を送っていたことが、23日わかった。 警視庁東京空港署によると、男からの手紙が届いたのは全日空、日本航空、日本エアシステム、運輸省航空局、同署などで、みな同じ内容だったとみられる。
 指摘が詳細なため、運輸省航空局の主催で会議を開いたという。

全日空機ハイジャック、機長刺され死亡

01:56a.m. JST July 24, 1999
 23日午前、羽田発新千歳行きの全日空061便ジャンボ機=乗員14人、乗客503人=が乗客の男にハイジャックされた事件で、長島直之機長(51)が男に包丁で刺され、間もなく死亡した。男は航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)違反と殺人未遂の疑いで現行犯逮捕された。乗客は全員無事だった。警視庁は殺人容疑に切り替えて調べる。国内のハイジャック事件で乗員乗客に死者が出たのは初めて。
 同機の操縦室には長島機長と古賀和幸副操縦士(34)の2人が乗っていた。午前11時23分に出発し、同25分、東京湾上空で同機から管制官にハイジャックの連絡があった。
 警視庁捜査1課と東京空港署によると、男は東京都内に住む無職(28)。大学卒業後、1994年4月に鉄道会社に入社。96年11月、「自己都合」で退社していた。
 調べでは、男は2階席の前から5番目に座っていた。離陸から約2分後、女性の客室乗務員の背中に刃渡り19センチの文化包丁を突きつけて「命が惜しければ、操縦室を開けろ」と脅し、操縦室のドアをノックさせて開けさせた。
 男は古賀副操縦士を室外に出し、長島機長と2人きりになった。機長に対し「横須賀方向に行け」「大島方向に行け」「横田に行け」などと要求した。
 長島機長が要求を聞かないとして、男は神奈川県茅ケ崎市付近の上空で、機長の首と肩を刺した。機長が倒れると、男は副操縦士席で操縦かんを握って動かすなどしたという。
 正午ごろ、機体が下降し始めたため、古賀副操縦士らが操縦室に飛び込み、男を取り押さえた。ネクタイやベルトで手足を縛り、操縦室近くの座席に男をくくりつけた。
 操縦室から、地上衝突の危険がある時に自動的に鳴る「テレイン(地上接近)」という警報音が聞こえてきたために、「このままでは墜落する」と判断した数人がドアを蹴破って中に入ったという。
 同乗していた全日空の山内純二機長(52)が操縦かんを握って機体を立て直し、その後、古賀副操縦士が操縦して羽田空港に着陸した。
 警視庁の調べに対して男は、「自動操縦装置を外そうとしたが外せなかった。旋回するため操縦かんを動かした。都心に向かおうと思った」と話している。男は、飛行機のシミュレーションゲームが好きだったといい、「機長を縛って、自分が操縦したかった。前から計画していた」「(東京都港区の)レインボーブリッジの下を飛んでみたかった」「宙返りやダッチロールをしてみたかった」などと供述しているという。機長を刺したことについては「言うことをきかないので頭に来て刺した」と話しているという。
 捜査1課などによると、男は、紙の箱に入った新品の文化包丁と粘着テープを手提げかばんにおさめて機内に持ち込んでいた。文化包丁の刃の材質は、磁石につくことから、金属とみられる。粘着テープは機長を縛るために用意したらしいが、使った形跡はなかった。

刃物持ち込み、なぜ 関係者衝撃 全日空機ハイジャック

01:49a.m. JST July 24, 1999
 凶器はまたも空港の検査をすり抜け、機内に持ち込まれた。過去のハイジャック事件でも刃物が凶器となり、その都度、運輸省や航空会社などは金属探知機やX線検査装置の感度を高めるなどの対策を取ってきた。今回の事件を防げず、犠牲者まで出たことに関係者は大きな衝撃を受けている。
 運輸省は23日、各航空会社を通じて定期便が発着するすべての空港で当面の間、手荷物を開けて検査するなどチェックを通常より強化するよう指示した。
 各空港のチェックは、航空会社が警備会社に委託している。乗客は搭乗ゲートで門型金属探知機を通り、検査員が挙動不審と判断したときは身体検査する。持ち込み手荷物はX線透視検査装置を通して警備員が目でチェックするが、今回の事件では、容疑者が手提げかばんに刃物を入れて持ち込んでおり、警備をすり抜けたのは明らかだ。X線装置の手荷物チェックを、検査員が見落とした可能性が大きい。
 1995年6月には羽田発函館行きの全日空機がアイスピックを持った男に、97年1月には大阪発福岡行き全日空機が包丁を持った男にそれぞれハイジャックされる事件が起きている。
 事件後、運輸省は航空各社に、立体的デジタル画像のX線装置の導入や金属探知機の精度向上、防犯カメラの設置などを指示。
 全日空によると、同社が管理する羽田空港内の搭乗ゲートは3カ所で、計9台の検査機が設置されている。刃物が角度によって見にくくなる場合を考えて、より立体的な映像が見える検査機への更新中だったという。
 ただ、全日空機の搭乗客でも日本航空や日本エアシステムが管理する搭乗ゲートから搭乗ロビーに入ることもある。今回の容疑者がどのゲートを通ったのかはこれまでの調べではわかっていない。

ハイジャックされた全日空61便の航跡

01:45a.m. JST July 24, 1999
 運輸省が明らかにした交信記録などによると、ハイジャックされた061便の状況は次の通り。(カッコ内数字は地図上の地点)
 (1)11・25 「あー、緊急事態、ハイジャック」と管制官に交信。このとき061便は東京湾上空を北上していたが、直後に横須賀へ高度約900メートルという異例の低空飛行要求を管制官に伝える。その後、伊豆大島へ行けと指示する容疑者の声が聞こえ、大島へ向かう。
 11・36―11・46 交信はなかったが、無線を通じて管制官に伝わる操縦室内の様子から、38分、犯人が単独犯で、副操縦士が外に出されたことがわかる。その後、容疑者が横田へ向かうよう指示している様子が伝わる。
 11・46 「横田への飛行を要求する」と061便から管制官への交信が再開。北上を始める((2))。
 11・48 管制官からの交信に応答なし。機長が容疑者とやりとりする様子が57分ごろまで聞こえ、その後途絶える。
 (3)11・55 茅ケ崎上空を通過。
 (4)12・00 横田上空で高度約300メートルに降下。その後、再び急旋回し、横須賀方向へ向かう。
 12・02 「えーと、緊急事態発生」などと061便からの交信が再開。高度約1200メートルまで上昇し、「救急車を至急お願いします。機長が刺された」と交信。
 (5)12・05 「羽田滑走路22に着陸する」と交信。
 (6)12・10 「救急車と警察の手配をお願いします。犯人の方はですね、一応取り押さえました」と交信。
 (7)12・14 羽田に着陸。

長島機長は飛行時間1万余時間のベテラン

8:49p.m. JST July 23, 1999
 長島直之機長(51)は、弟も全日空の操縦士。兄も別の航空会社で操縦かんを握る飛行機一家だった。
 大学卒業後、1970年に全日空に入社。73年にYS11型機の副操縦士になり、88年にボーイング737型機の機長、92年にはハイジャックされた機と同型のボーイング747―400型機の機長になった。総飛行時間は1万705時間で、今年6月には操縦士の技量の審査・指導をする査察室の副部長に着任したばかりだった。
 「何ですか」。午後2時ごろ、買い物から帰宅した長島機長の妻久実子さん(51)は、事件を知らない様子で、横浜市青葉区の自宅前に集まっている報道陣に聞き返した。
 長島さんの同僚のパイロットが、家に入った久実子さんに30分以上かけて事件の経緯を説明したという。久実子さんは午後3時前、足早に車に乗り込むと、すぐに両手で顔を覆い、夫の遺体が運び込まれた都内の病院に向かった。
 自宅に来ていた長島機長の後輩のパイロット(42)は「腕も人柄も後輩の指導も、最高の人でした。温和だけれど、仕事への熱意が伝わってきた。外交官を夢見ていたと聞いたことがあります」と話した。
 散歩好きで、近所では穏やかな人と評判だった。格納庫を思わせるようなかまぼこ型の家。子どもは一男一女で、現在は妻と長男と暮らしていた。
 長島機長の遺体は、羽田空港近くにある東京都大田区の東邦大学医学部付属大森病院にいったん搬送された後、午後4時すぎ、検視のために警視庁の白いワゴン車に乗せられて空港署に向かった。遺体に続いて、沈痛な表情の家族が、ハイヤーに乗り込んで病院を出た。後部座席に乗った妻の久実子さんは、口を固く閉じ、正面をじっと見据えていた。

全日空61便、ハイジャックの経緯(運輸省発表)

8:50p.m. JST July 23, 1999
23日 11:23 羽田空港を離陸
    11:25 房総半島上空。「ハイジャックされた」と管制に交信。「大島へ行け」という容疑者の声が無線で聞こえる。急旋回し南下
    11:35 千葉県木更津市上空
    11:38 「犯人は単独犯。副操縦士は操縦室の外へ出された」と交信
    11:47 大島上空で再び急旋回。容疑者が横田に向かうよう機長に指示する声が無線に入る
 (1)11:50 伊豆大島北約15キロ
 (2)11:55 神奈川県座間市南約45キロ。高度約900メートル
 (3)12:00 横田基地上空。高度約300メートルに降下。直後に急旋回し南下
    12:04 長島直之機長刺される。「救急車を用意して欲しい」と交信。横田基地上空を高度約1200メートルで飛行
 (4)12:05 「羽田滑走路に着陸する」と交信
 (5)12:10 「犯人を取り押さえた」と交信
 (6)12:14 羽田着陸
    12:37 機長の死亡を乗客の医師が確認

機長、首などに致命傷 全日空機ハイジャック事件

8:20p.m. JST July 23, 1999
 刺殺された長島直之機長(51)が搬送された東京都大田区大森西の東邦大付属病院では23日午後3時半すぎ、上島権兵衛院長らが記者会見し、首など3カ所に大きな刺し傷があり、死因は出血多量による失血死の可能性が高いことを明らかにした。
 上島院長らよると、長島さんは同日午後1時24分に搬送され、救急外来で心臓マッサージなどの救命措置を受けたが、5分後に断念、死亡が確認された。
 刺し傷は、右の鎖骨下から胸くう内に達する長さ約10センチのものと、右側首の長さ約3センチなど大きなものが3つあり、鎖骨か首のものが致命傷になったとみられる。また、男ともみあいになった際にできたのか左手の甲1カ所、右手の甲2カ所に防御創とみられる切り傷があった。
 上島院長は「病院に機長の弟さんと息子さんが見えていたが、気丈にも悲しみに耐えていた様子で『とてもお気の毒です』としか言えなかった」と話した。(時事)

乗客は目撃していた 全日空機ハイジャック事件

8:35p.m. JST July 23, 1999
 羽田発新千歳行き全日空61便は、定刻より28分も遅れ、午前11時23分に滑走路を飛び立った。
 その時、ハイジャックした男は、全日空機の2階席の前から5列目の右側の席にいた。84席ある2階席は、ほぼ満席だった。
 通路をはさんで同じ列に座っていた千葉県船橋市の川瀬喜子さん(60)は、離陸前、男を目撃していた。汚い白い手袋をし、ひざの上に手提げかばんを置き、がちがちにこわばっていたので、不自然な様子だったという。
 6列目の通路側に座っていた浦和市の会社員、近藤真澄さん(37)は、離陸して上昇を続けているさ中に、男が大声を上げながら、突然立ち上がったのを見た。「何を言っているのか分からなかった。具合でも悪くなったのかと思った」。男は後方に歩いて行き、1人の女性客室乗務員に包丁を突きつけた。
 近藤さんによると、男は何度も、コックピットの扉をノックし続けた。扉が開いた。男が中に飛び込んで行った。扉はしばらくの間、開かれたままだった。
 「おれが操縦する」と叫ぶ声が聞こえた。すぐに副操縦士と客室乗務員がコックピットの外に追い出され、扉がピタリと閉められた。
 5分後。機体が揺れ始めた。何度か旋回した。次第に高度も下がってきた。近藤さんがふと窓の外を見ると、海が迫っていることに気付いた。
 正午前。「本機はハイジャックされています」との機内放送が唐突に、流れた。「エッ」「イヤだ」などの声が上がる。
 再び、機内放送が流れる。「お客様の中にお医者様か看護婦の方、いらっしゃいますか」。後部座席ににいたTシャツ姿の中年の男性が立ち上がり、前に歩いていった。乗客の中から拍手が起きた。
 突然、機体が急上昇しながら右旋回を始めた。まるでそれが合図だったように、男性乗務員が扉を開け、コックピットになだれ込んだ。
 しばらくして、男がコックピットの外に引きずり出されてきた。興奮していた。安原さんとほかの乗客3人が男に飛びついた。自分のネクタイやバンドを外し、男の両足などを縛った。
 午後零時5分すぎ。「ただいま乗務員がハイジャッカーを取り押さえました」との機内放送が流れた。

全空港の手荷物検査強化 ハイジャック受け運輸省指示

8:37p.m. JST July 23, 1999
 羽田発新千歳行き全日空61便が包丁を持った男にハイジャックされた事件を重く見た運輸省は23日午後、羽田を含めた国内全空港で、機内に持ち込む手荷物の検査レベルを引き上げ、チェックを厳重にするよう指示した。
 同省によると、空港では携帯品は金属探知器で、手荷物はX線透視装置を使い検査を行っている。犯行に使われた包丁は、この検査を素通りして機内に持ち込まれたとみられる。このため同省は、バッグ類は開けるなどして、中身を入念にチェックするよう指示した。(時事)

全日空機ハイジャック、機長刺され死亡

8:40p.m. JST July 23, 1999
 23日午前11時25分ごろ、羽田発新千歳行きの全日空061便ジャンボ機=長島直之機長(51)ら乗員14人、乗客503人=が乗客の男にハイジャックされた。男は包丁を持って操縦室に入り込み、長島機長を刺したうえ、自ら操縦かんを握ったが、午後零時9分、乗員らに取り押さえられ、航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)違反容疑の現行犯で逮捕された。同機は午後零時14分、羽田空港に着陸した。乗客は全員無事だったが、長島機長は首などを切られており間もなく死亡した。国内のハイジャック事件で乗員乗客に死者が出たのは初めて。
 同機はボーイング747―400型機。操縦室には長島機長と古賀和幸副操縦士(34)の2人が乗っていた。午前11時23分、定刻より約30分遅れて出発。同25分、千葉県の房総半島上空で、同機から管制官にハイジャックの連絡があった。
 警視庁捜査1課と東京空港署によると、男は東京都内に住む無職(28)。男は2階席の前から5番目に座っていた。離陸から約2分後、客室乗務員の背中に刃渡り19センチの文化包丁を突きつけ、「命が欲しければ、操縦室を開けろ」と脅し、ドアをノックさせて開けさせた。
 男は1人で中に入ると、古賀副操縦士を室外に出し、長島機長と2人きりになった。機長席の右側にある副操縦士席あたりで、機長に対し「横須賀方向に行け」「大島方向に行け」「横田に行け」などと要求した。
 長島機長が要求を聞かないとして、男は神奈川県茅ケ崎市の上空で、機長の首と肩を2回、文化包丁で刺した。長島機長が倒れると、男は副操縦士席に座って操縦かんを握って動かすなどしたという。
 正午すぎ、機体が下降し始めたため、古賀副操縦士や乗客らが操縦室に飛び込み、男を取り押さえた。ネクタイやベルトで手足を縛り、操縦室近くの座席に男をくくりつけた。
 同乗していた全日空の山内純二機長(58)が機長席に座って機体を立て直し、その後、古賀副操縦士が操縦して羽田空港に着陸した。
 警視庁の調べに対して男は、「自動操縦装置を外そうとしたが外せなかった。旋回するため操縦かんを動かした。都心に向かおうと思った」と話している。動機については「(飛行機を)操縦してみたかった。前から計画していた」などと供述しているという。
 操縦室には男が持ち込んだ文化包丁や粘着テープが落ちていた。粘着テープは機長を縛るために用意したとみられるが、使った形跡はなかった。

HOMEBACK