TOPIC No.2-20d 航空機事故

01. 航空機事故 YAHOO!ニュース
02. 海外の航空機事故 YAHOO!ニュース
03. 世界の航空機事故総覧
04. Aircraft Accident in Japan
05. 航空事故調査委員会 by運輸省
06. 日本航空123便(JA8119)御巣鷹山墜落事故の真実
07. 日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る20年間の記録 by日本共産党 大社町議会議員祝部幸正のページ
08. 日本航空123便墜落事故 byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
09. ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故・15年目の検証
10. 123便(JA8119号機)事故から17年目を迎えての5労組声明(2002/08/12) by日本航空内5労組連絡会議

100人以上死亡かナイジェリア旅客機墜落

2002年05月05日 The Sankei Shimbun
 ナイジェリアからの報道によると、同国の民間EAS航空の国内線旅客機が4日、北部カノの空港を離陸直後に墜落、住宅密集地に突っ込んだ。同機には乗客乗員計76人が乗っていたが、AP通信はうち2人が救出されたとしている。住民数十人も巻き添えで死亡したという。

 一方、ロイター通信によると、76人全員が死亡したもようで、住民の死者は少なくとも50人と、情報が錯綜(さくそう)している。

 現場での救出作業ははかどっていないもようで、住民の犠牲者がさらに増える可能性がある。


飛行中、操縦士が落雷による感電でやけど 英国航空機 (2001.02.22) asahi.com

ANA機、オイル漏れで離陸中止 宮崎 (2001.02.10) asahi.com


日航機ニアミス

衝突防止装置 作動遅れた可能性/高度差ないと感度低下

2001.02.08 The Sankei Shimbun
日航機ニアミス

 日航機同士が異常接近(ニアミス)した事故で、国土交通省航空事故調査委員会は衝突防止装置(TCAS)の作動が遅れたことが両機の急接近につながった可能性もあるとみて、八日までに両機の飛行記録「DFDR(デジタル・フライト・データ・レコーダー)」の解析を始めた。

 東京航空交通管制部のレーダー航跡図によると、907便は高度一万千二百メートルへ上昇中の午後三時五十四分二十五秒、管制官からの取り違え指示で降下を開始。その後の五十四分三十八秒ごろ、907便と958便のTCASが同時に作動し、四十五秒ごろに907便に「上昇」、958便に「降下」の回避操作の指示を出した。しかし、907便機長は「上昇」の指示を無視して降下を続け、その二十五秒後に交差した。

 しかし、交信記録では交差してから十秒もたった後の三時五十五分二十一秒に、「TCASが作動しました。今、降下を開始します。あー、再び上昇します」と907便機長からの交信があった。

 TCASは相手機に向け質問電波を発信。距離・高度情報を得ながら状況を判断し、相手機との最接近が予想される約四十秒前に警報を出し、約二十五秒前には上昇または下降の回避操作を指示する。しかし、左右方向への回避指示能力は備えていない。

 TCASは高度差がない場合には反応が鈍く、作動が遅れることが多いという。今回の事故では両機は高度一万一千百メートル付近でほとんど高度差がなかった。

 航空関係者は「今回のように907便が上昇、降下を連続した場合にはコンピューターも予測できず、反応が遅れる。まして高度差がないときはなおさらだ」と指摘している。

 航空各社の運航規程は「TCASの指示に従うこと」としながらも「従うことが危険な場合を除く」と例外規定を設けており、乗員から「TCASの性能は古い」との声も上がっている。

ニアミス958便 管制指示、パニックで聞き逃す?

2001.02.08 The Sankei Shimbun
副操縦士→機長へ 警報鳴り操縦交代
機長、事故調に証言

 日航機同士のニアミス事故で、韓国・釜山発成田行き958便の赤沢達幸機長(四五)らが、国土交通省航空事故調査委員会の事情聴取に対し、ニアミス時の操縦室の状況について「パニックに陥っていた」と証言していることが七日、分かった。958便では管制官の二度の旋回指示を聞き漏らしていたが、この際、管制官との交信を担当していた機長が副操縦士から操縦を交代していたことも判明。事故調は958便が旋回していれば907便と水平方向で間隔ができ、ニアミスは避けられた可能性もあるとみて、交信状態の解明を進める。

 これまでの事故調の調べでは、先月三十一日の午後三時五十四分二十五秒、東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の訓練中の男性管制官(二六)が両機の接近に気づき、958便に降下するよう指示を出そうとして、誤って907便に降下を指示。これがニアミスを誘発した第一原因となった。

 この指示から十四秒後の五十四分三十九秒、男性管制官は958便が降下していないため、今度は水平方向に両機の間隔を取らせようとして、正確に「958便」と呼びかけたうえで「一三〇度の方向へ」と右旋回を指示したものの、飛行に変化はなかった。十一秒後の五十四分五十秒に再び旋回を指示したが、958便は旋回しなかった。

 操縦室にいた赤沢機長と副操縦士、航空機関士の三人は、当初から二度の管制官の旋回指示を「聞こえなかった」と話していた。

 事故調の事情聴取に対しても、赤沢機長らはニアミス前後の操縦室の様子について、「副操縦士に操縦を任せているときに衝突防止装置(TCAS)の警報が鳴り、急に(機長に)操縦をかわるなどパニックに陥っていた」と証言。

 958便では最初の旋回指示が出る十秒前の五十四分二十九秒に赤沢機長らが907便の接近を目で確認してから、二度目の旋回指示が出た五十四分五十秒までの二十一秒間に、(1)TCAS作動、回避指示の警報(RA)(2)交信担当だった機長への操縦交代(3)手動操作で降下−と慌ただしく回避行動がなされ、管制官との交信に注意を怠り、指示を聞き漏らした疑いがある。

 二度目の旋回指示の際には、大音量のRAが鳴り響き、ヘッドホンからの管制官の指示がかき消された可能性もある。

 958便はその後、五十五分十秒ごろに907便とニアミスし907便の乗員乗客四十二人がけがを負った。958便が管制官と交信を再開したのは五十五分五十八秒になってからだった。

管制官を事情聴取 日航ニアミス事故で合同捜査本部 (2001.02.05) asahi.com

警報装置と管制官、パイロットの25%が「指示に矛盾」 (2001.02.04) asahi.com

管制官の実態 問われる記憶力と判断力

2001.02.04 The Sankei Shimbun
難関を突破…技術者の集団/人命左右…過酷な勤務体系
絶えず緊張…満足に休めず

 静岡県焼津市上空で日航機同士が異常接近(ニアミス)し、乗客乗員四十二人が重軽傷を負った事故は、管制官の便名取り違えが主原因だった。空の交通整理を行っている管制官の身分は「国土交通技官」。国家試験や語学、適性試験に実技、資格試験と、幾度もの厳しい難関をくぐり抜けた技術者集団だが、今回の事故に現場から「個人のミスということで片付けられる問題でない」との意見も出ている。果たして、管制ミスを生む土壌はあるのか。管制官の現場実態をクローズアップすると−。

 埼玉県所沢市の東京航空交通管制部に勤務する管制官は約四百二十人。レーダー情報のディスプレーなど、ハイテク機器がずらりと並ぶコントロールルームでは、管内二十一のセクターと呼ばれる空域ごとに三、四人一チームのグループが薄暗く四角いディスプレーをじっと監視している。

 広大な敷地内には芝の張られた庭やグラウンドなどが整備されているが、人影はまばら。二十四時間態勢で五つのチームが早朝勤務と深夜勤務を繰り返し、五日に一度休日が回ってくる勤務体系は、「重大な事故を未然に防ぐため長時間の緊張が強いられる。ほとんど座ったままの勤務は、想像以上の疲労がたまる」という。

 同管制部に勤務したことのある元管制官は、「航空機は二十四時間、日本の上空を飛んでいる。一日八時間半の勤務時間で実働六時間。休憩時間はあっても、だいたい受け持ちのセクターの後ろで休み、運航表を見たりするので、休憩になりませんでした」。

 深夜勤務のときは、ソファで仮眠を取ることもあったというが、「いつ衝突事故でも起きるんじゃないかと、とても熟睡できる状態ではない」という。

 国家公務員で、収入も格別高いわけではない。東京航空交通管制部に勤務する管制官のほとんどが埼玉県内の官舎住まい。「職住接近」で勤務日はもちろん、休日も人の命を預かるという緊張感に包まれ、ストレスもたまりがちだ。

 管制官にとって生命線といえるのは「空間識別能力」と「記憶力」。採用時の適性テストでは「一の目が上のサイコロを上に三回、右に二回、さらに下に四回転がすと何の目が出るか」などと三次元を構成する能力や、山や河川、構造物などのランドマークが記された地形図を五分間見させられ、「北北西に時速八百キロで進む航空機と、南南西から時速七百キロで進む航空機は、どの山の付近で最接近しますか」といった記憶力と判断力が問われる。

 こうした適性からか、「女性に適職」ともいわれる。今年の航空保安大学校二年生は二十九人のうち、女性は二十人で七割近くを占めており、今年の入学者も女性が五割という。

 最近、航空管制官のシミュレーションゲームの影響で、採用倍率百倍以上の人気職種だが、「人の命を預かる仕事で、とてもゲーム感覚ではやっていられませんよ」と元管制官は語る。真に「適性」が生かされた現場であれば、事故は起こらないはずだが…。 

民間専門家の話 システムのあり方に問題

2001.02.04 The Sankei Shimbun
 今回の事故について、航空関係トラブルの調査研究を行っている航空法調査研究会の宮城雅子代表幹事は「事故原因を管制官の初歩的なミスととらえるべきではない」と強調。管制官と機長との交信のあり方や、管制官の過酷な勤務状況など、改善すべき点があると訴える。

 今回の事故では、管制官の指示のミスが問題視されているが、宮城代表幹事は「機長との緊密な交信が求められる中、機長の反応が遅かったり、指示を復唱しなかったりで、管制業務がスムーズに行われないこともある。こうしたことに管制官は、頭を悩ましているようだ」と話す。

 また、管制官の勤務態勢などについて宮城代表幹事は「自分の指示が一歩間違えば、多くの人命を失う大事故につながるということを、管制官はしっかり自覚している」。過酷な勤務状況に対しては「日々の業務で神経をすり減らしている上、出勤時間が日によって異なるなど肉体的にも相当な負担を強いられる。こうした実態に理解を深め、管制システムのあり方について議論を深めるべきだ」と話している。

自民党、日航機ニアミス事故で調査委設置決める (2001.02.03) asahi.com

管制官2人に聴取を要請 日航機ニアミスで捜査本部 (2001.02.03) asahi.com

航空管制業務の総点検を指示 国土交通省、人的ミス防止 (2001.02.03) asahi.com

訓練管制官、便取り違え 日航機ニアミス

2001.02.03 The Sankei Shimbun
引き離す指示 逆に接近 教官役も気付かず
事故調聴取でミス認める

 静岡県焼津市上空で、日本航空機同士が異常接近(ニアミス)した事故で、羽田発那覇行き日本航空907便と、韓国・釜山発成田行き日本航空958便の両機を管制していた訓練中の男性管制官(二六)が907便と958便を取り違えて指示を出していたことが二日、国土交通省航空事故調査委員会の調べでわかった。教官役の女性管制官(三二)も取り違えに気付かず、正しい指示を出していたと思い込んでいた。この結果、上昇中の907便ジャンボ機は管制官の「降下せよ」の指示を自機への指示として受け入れ、降下を始めたため、両機は急接近。衝突寸前の「約十メートル」=同便の渡辺誠機長(四〇)=の至近距離で交差するニアミスとなった。事故調は同日、907便の渡辺機長から事情聴取をした。

 同省航空局管制課は「取り違えがなければ、ニアミスは防げた」との見解を示した。

 事故調の調べによると、便名を取り違えた管制指示があったのは午後三時五十四分二十五秒。当時、907便は高度一万二千メートルを目指し上昇していた。男性管制官はレーダー上の警報で両機の接近に気付き、水平飛行を続けていた958便の高度を六百メートル下げて危険を回避しようとしたが、誤って高度一万千二百メートルを上昇中の907便に「一万七百メートルに降下せよ」と指示を出した。この誤指示に907便は「907、降下します」と答え、上昇から降下に転じた。

 男性管制官は上昇中の907便の下を958便に交差させるつもりだった。ニアミスの約五十秒前だった。

 訓練を指導していた教官役の女性管制官も取り違えに気付かず、さらに、「958便」を「957便」、「907便」を「908便」、「958便」を「908便」と三度にわたり、便名を間違えて呼びかけ、管制は混乱した。

 この指示で両機は急接近。907便が急降下を始めたところ、衝突防止装置(TCAS)の警報が作動、「上昇」の指示が出たが、そのまま降下した。

 一万千二百メートルで飛行していた958便も警報が作動、「降下」の指示に従い降下を始めた。双方とも降下した両機は高度一万千メートル付近で交差。機長判断で回避操作をした。

 男性管制官は「単なる数字の間違いで思い込みだった」と供述している。調べに対し両管制官は「取り違えにはまったく気付かなかった」と話し、後で指摘されてから気付いたという。

指示ミスから50秒 魔の瞬間/907便へ「降下せよ」

2001.02.03 The Sankei Shimbun
958便は管制聞こえず?

 訓練中の男性管制官の「便名取り違え」を発端に起こった日航機同士のニアミス事故。管制官の思い込みによる指示ミスで混乱したことが濃厚だ。だが、両機長が国土交通省に提出した異常接近報告では、事故当時は、天候もよく、両機長はニアミス地点の二十キロ手前から互いを視認していた。最悪の危機を回避したものの両機の機長の判断は適切だったのか。管制の便名取り違えを機長は確認すべきではなかったか、との指摘もあり、複合要因が重なりあったことも考えられる。

【思い込み】

 午後三時四十六分三十八秒、訓練中の男性管制官(二六)は907便に対して「三万九千フィートまで上昇」と指示した。907便から復唱があり、907便は上昇を続けた。

 約七分後の午後三時五十四分、画面上に衝突の危険性を知らせる「CNF」が表示される。管制官は、その二十五秒後に衝突回避の対処を始めた。

 管制官は958便を降下させ、上昇していた907便の下を通過させるつもりだったが、誤って907便に降下の指示を出し、両機は異常接近した。

 取り違えからニアミスまでの「空白の約五十秒」。管制官は907便は上昇しているものと思い込んで指示が出されず、逆に指示通りに動いていない958便の指示に固執していた。

【管制に従った907便】

 なぜ、907便は衝突防止装置(TCAS)の指示に反して降下を続けたのか。誤った管制よりもTCASに従って上昇していれば危険を回避できた可能性もある。管制官の便名取り違えにヒントが隠されているという指摘がある。

 管制官との交信を確認している907便は、958便から管制官への復唱がないため、「指示は聞こえていない。水平飛行している」という認識が働いていたとの見方もある。

 管制からの指示を自分に対するものだけと信じた907便は、ただ自分が降下すればニアミスが避けられ、さらに近づいた場合はTCASが相手の上昇を指示するだろうと予測したとみられる。上昇中に突然出された降下の指示を管制に問い直すことはできなかったのだろうかという疑問は残る。

【TCASに従った958便】

 一方、958便は管制官からの右旋回の指示を無視してTCASの指令を優先した。赤沢達幸機長(四五)は、千葉県警の調べに対して、「管制官からの指示は聞こえていなかった」としている。これが事実ならば、958便はなぜ、交信を聞き取れなかったのか。「混信の形跡はなく、無線が聞こえなかった明確な理由は見当たらない」と国土交通省の幹部は首をかしげる。

 958便は、左手に907便を発見してすぐTCASが作動、「降下」と出た。907便の動きがわからない958便は、TCASに従ったと考えられる。

 通常、TCASは双方のコンピューターが情報を交換しながら、衝突防止の指示を出す。907便には上昇が出ていたと予想されるが、降下を続けた。機器に頼った末、危機を招いた赤沢機長は最終局面で、「907便がほぼ同じ高度を降下している」と判断。寸前で降下を中止、衝突を回避した。

担当管制官を聴取へ 警視庁

2001.02.03 The Sankei Shimbun
 日航機同士のニアミス事故で、警視庁と千葉県警の合同捜査本部は二日午後、接近した二機の管制にあたっていた東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)に捜査員を派遣。二人の担当管制官の事情聴取に向け、航空事故調査委員会や同管制部幹部らと打ち合わせを行い、同管制部から交信記録などの任意提出を受けた。

 管制官が907便と958便を取り違えていた事実を重視し、捜査本部は航空事故調査委員会などと日程を調整したうえで、近くニアミス事故当時の状況や判断などについて管制官から詳しく事情を聴く方針。

 捜査本部は管制官から近く聴取することで、管制官が高度変更の指示を具体的にどのように行ったかなどについて解明する方針。

 一方、捜査本部が二日に行った渡辺誠機長(四〇)ら操縦室の乗員計四人に対する事情聴取は、約三時間にわたって実施された。空中衝突を回避した当時の操作状況などについて、詳細な説明を求めたとみられる。

 捜査本部は四人に立ち会いを求め、四日以降ジャンボ機の現場検証を行う予定。

人気職種の管制官 全国に1800人/4勤1休態勢

2001.02.03 The Sankei Shimbun
 今回、改めて注目された航空管制官は、全国に約千八百人いる。空港で航空機の離着陸を管理したり、国土交通省の全国四カ所(札幌、東京、福岡、那覇)の航空交通管制部で担当エリアを飛行する航空機の交通整理に当たっている。

 身分的には国土交通省航空局職員、正式には「国土交通技官」。年間採用者が高卒程度十人、大卒程度十−二十人で、最近では倍率百倍以上の人気職種だ。

 筆記試験や空間認識などの適応テストに合格後、航空保安大学校(東京都)に入学。大卒者は半年間、高卒者は二年間、航空法や航法などの学科授業や実習を受け、その後、配属先の空港や管制部などで研修を行い、航空管制試験を経て技能証明を手にする。

 技能証明習得後も、「空域にはそれぞれ特性がある」ため、実際の管制業務につくにはその空域での「慣熟訓練」を受ける。今回、ニアミスを招いた東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の男性管制官も「関東西セクター」の有資格者で、事故空域である「関東南Cセクター」は昨年八月から慣熟訓練を行っていた。

 管制官の勤務は通常、一日約六時間。東京航空交通管制部の場合、四勤一休という態勢。ニアミス当日の男性管制官の勤務は、午後一時から休憩をはさんで午後九時半までだった。

 管制官がみつめる暗いレーダー画面には飛行中の航空機を表す小さな点が表示され、そのわきには便名や高度、上昇中か降下中かが示される。管制官はこのレーダー画面上の二次元のデータを見ながら、頭の中で各機の上昇・降下、水平方向の間隔を立体図で描き、指示を出す。

 一歩間違えれば空中衝突も起こるという、神経をすり減らす重労働だが、航空評論家の関川栄一郎氏は「日本の管制はハイテク計器がそろっており、諸外国に比べて恵まれている」と話している。

迫られた「秒」の決断 日航機ニアミス事故 (2001.02.02) asahi.com

ニアミス報告、異例の10時間後 日航機事故 (2001.02.01) asahi.com

けがの有無分けたシートベルト着用 日航機ニアミス事故 (2001.02.01)asahi.com

都知事が横田空域管制圏返還求める

2001年2月2日金曜日 ODN News
 東京都の石原知事は二日、日航機のニアミス事故について、米軍横田基地が関東、中部上空の管制権を保有していることが事故を生む要因となったとの考えを示した。

 石原知事は会見で、日本上空の航空管制の現状について「横田基地が羽田(空港)以上の管制空域を占め、日本の飛行機はみだりに入ることはできず、遠慮して飛ばざるを得ない」と述べるとともに、「横田の制約が、狭い限られた空域に国内外の飛行機が頻繁に行き交う状況を作っている」とし、かねて主張している横田空域の管制圏返還を求めた。

>飛行記録解析に着手、日航機事故で航空事故調 (2001.02.01) asahi.com

ニアミスの907便機内を現場検証 警視庁 (2001.02.01) asahi.com

管制官は訓練中、判断に混乱も 日航機ニアミス事故(2001.02.01)asahi.com

事故で日航が謝罪会見 (2001.01.31) asahi.com

日航機、接近回避操作で34人がけが 静岡県上空 (2001.01.31)asahi.com

ニアミスとは 過去のニアミス事故一覧 (2001.01.31) asahi.com


パンナム機爆破事件判決でリビア人被告に1人有罪 (2001.01.31) asahi.com

ベネズエラで旅客機墜落、24人全員死亡

2001.01.26(13:43)asahi.com(時事)
 カラカスからの報道によると、ベネズエラ政府当局者は25日、同国のルタカ航空の小型旅客機が同国南部で墜落し、乗客21人と乗員3人の全員が死亡したことを明らかにした

 同当局者によれば、墜落機にはスペイン、イタリア、英国など欧州からの旅行者が搭乗していた。事故原因を含め詳細は明らかでない。 

アンゴラで旅客機墜落 乗員・乗客48人は絶望か (2000.11.01) asahi.com


閉鎖滑走路進入と断定 シンガポール機事故

2000.11.04【台北3日=矢島誠司】The Sankei Shimbun
  台湾・行政院ボイスレコーダー解析 機長「何かがある」

 台北国際空港でのシンガポール航空機の事故原因を調査している台湾・行政院(内閣)の航空機飛行安全委員会は三日夕、回収したボイスレコーダーなどの解析結果を発表。事故原因は、事故機が誤って閉鎖中の滑走路に進入し、滑走開始後二メートル弱離陸したとき、滑走路上にあった物体(掘削機など)に衝突したため墜落した、とする調査結果を明らかにした。ボイスレコーダーでは、機長がトラブルに感づき、ののしり声を上げるなど、生々しいやりとりが記録されていた。

 回収したCDR(交信データ記録=ボイスレコーダー)と、FDR(飛行データ記録)の解析から判断したもので、事故機は二本平行して走っている滑走路のうち、本来の左側の滑走路(5L)ではなく、修理工事のため閉鎖していた右側の滑走路(5R)に進入したと断定した。

 交信記録・CDRによると、事故機のフーン・チー・コン機長は、滑走路に入る直前、管制塔から、「滑走路5L(正規の滑走路)離陸可能」との連絡を受けたあと、「滑走路5L離陸可能」と正しく復唱し、「滑走路(の状況)は、そう悪くない」「(エンジンを)ハイに入れる」と報告して、離陸を開始した。

 機長は正しい5Lを滑走し始めたと思いこんでいたようだが、しばらくして突然、「クソ!」というようなののしり言葉とともに、「何かがある!」という叫び声を上げ、その一秒後に機体が何かにぶつかる最初の音が聞こえ、その直後、再び機長のののしり言葉とともに一連の衝突音が響いて、(十月三十一日)午後十一時十七分十八秒で交信記録は途絶えていた。

 一方、飛行記録・FDRの分析からは、事故機が5Lに行く手前にある閉鎖中の5R滑走路に右折して進入し、離陸し、六フィート(約一八三センチ)浮き上がったところで何かにぶつかったことが分かった。それに先だって行われた台湾・交通部(運輸省)民間航空局の記者会見では、正しい滑走路に導く誘導看板や5Lの誘導灯などは正しく点灯していたとして、空港当局や管制塔のミスの可能性を否定した。

 また、台湾紙の報道によると、事故機の後に続いていた二機の中華航空機の機長らが、事故機が誤って5Rに進入するのを目撃しているという。

         ◇

 【シンガポール航空機と管制塔との交信記録】

 10月31日午後11時15分18秒=現地時間、以下同じ (管制塔から機長に)「シンガポール006便、滑走路5レフト(L)の離陸可能」

 同26秒 (機長から管制塔に)「滑走路5レフト離陸可能」

 同16分19秒 (機長から)「滑走路はそう悪くない。OK(エンジンを)ハイに入れる」(離陸開始)(途中、飛行速度の報告)

 同17分12秒 (機長)「(ののしり言葉のあと)そこっ、何かがある!」

 同13秒 (最初のぶつかる音)

 同14秒 (機長)「(ののしり言葉)」(一連の激突音)

 同18秒 (交信記録終了)

台湾・墜落事故 飯室さんの遺体確認 原因は誤進入 (2000.11.03) asahi.com

墜落現場を報道陣に公開 シンガポール航空機事故 (2000.11.02) asahi.com

シンガポール機ボイスレコーダー「内容、完全に保持」

2000.11.02【台北2日=矢島誠司】The Sankei Shimbun
 台湾の台北国際空港で十月三十一日深夜(日本時間一日未明)に起きたシンガポール航空機の事故に関して、台湾・行政院の飛行安全委員会は二日午前、記者会見し、前日回収したシンガポール航空機のボイスレコーダーの内容は完全に保たれていたことを明らかにした。

 同委員会では、交信記録のうち、事故に至る十九分間が事故原因のカギを握るとみて、現在、その部分の文章化を進めており、出来上がりしだい、専門家による分析を始めるという。

 シンガポール航空、ボーイング社、米連邦航空局などの専門家、技術者は二日夜までに台湾に到着する予定で、到着しだい、同じく回収した飛行記録、現場検証、乗員らの事情聴取結果などを総合して事故原因の究明作業を始める。

 また、台湾交通部(運輸省)民航局は二日、台北国際空港でのシンガポール航空機事故の死者が八十一人になったと発表した。入院中の重傷者が死亡したためで、病院で治療中の重傷者は四十人となっている。

台湾でシンガポール航空機が離陸に失敗、墜落炎上 (2000.11.01) asahi.com


米ミズーリ州知事搭乗の小型機が消息絶つ 墜落か (2000.10.17) asahi.com(時事)

メキシコ機が着陸に失敗、民家に突っ込む 5人死亡 (2000.10.07) asahi.com

日航機のエンジン部品が落下、1人けが ジャカルタ空港 (2000.09.07) asahi.com

日航機が照明灯に接触、けが人なし 中国・上海空港 (2000.08.29) asahi.com

ロシアで危うくまた惨事 旅客機エンジンから出火 (2000.08.26) asahi.com

エアバス墜落、143人全員が死亡 エンジンから出火 (2000.08.24)asahi.com

JAS機、エンジンから出火し引き返す 那覇空港 (2000.08.09)asahi.com

花巻空港で小型機胴体着陸

2000.07.30 The Sankei Shimbun
 三十日午後零時四十六分ごろ、函館空港から仙台空港に向かっていたビーチクラフト機が天候不良のため花巻空港に着陸しようとした際、車輪が出ずに胴体着陸した。乗員二人にけがはなかった。

 滑走路に燃料が漏れたため、同空港は午後一時五分から午後二時半まで閉鎖された。伊丹発花巻行きの日本エアシステム便が仙台空港に着陸するなどの影響が出た。

 岩手県警などによると、同機は福島県郡山市開成四ノ八ノ一五、会社役員仙崎一郎さん(58)が操縦、同市細沼町一一ノ二七、会社員熊沢恵さん(24)が乗っていた。

 同機はBE36型と呼ばれる六人乗り飛行機。

ネパール機墜落、25人死亡 (2000.07.28) asahi.com


燃料タンク内部から亀裂広がる コンコルド事故で仏調査 (2001.01.06) asahi.com

BAがコンコルドの運航中止を発表 (2000.08.15) asahi.com

滑走中にまずタイヤが破損 コンコルド事故で仏調査室 (2000.07.28)asahi.com

コンコルドの運航は当面見合わせ (2000.07.28) asahi.com

コンコルド墜落、エンジン・トラブルの可能性高まる (2000.07.27)asahi.com

パリ近郊でコンコルド機墜落、乗客・乗員ら113人死亡 (2000.07.26)asahi.com

「炎の玉」激突、ホテルは骨組みだけに コンコルド墜落 (2000.07.26)asahi.com

BA所有のコンコルド7機すべての翼に亀裂 (2000.07.26) asahi.com

超音速ジェット旅客機コンコルドとは (2000.07.26) asahi.com

就航から24年、進む老朽化 墜落のコンコルド機 (2000.07.26) asahi.com

コンコルド機墜落 Mainichi INTERACTIVE

インドの国内線旅客機墜落 少なくとも55人死亡 (2000.07.17) asahi.com

機長側が事故調報告を否定

2000年4月26日19時26分
 1997年6月、三重県上空で名古屋空港行きの日本航空MD11が激しく揺れ乗務員ら12人が死傷した事故で、事故機の機長(49)を含めた日本航空機長組合などが26日、名古屋市で会見し「操縦かん操作が引き起こした揺れではない」と主張し、機長の操作ミスが揺れの発端になったとした運輸省航空事故調査委員会の報告内容を否定した。

エア・フィリピン機が墜落

1:16p.m. JST April 19, 2000
 フィリピンのメルカド国防相は19日、マニラから同国南部ミンダナオ島ダバオへ向かったエア・フィリピン機541便(ボーイング737)が、ダバオ周辺で墜落した、と発表した。比航空運輸局によると、ダバオ近くのサマル島で破損した機体が見つかった。乗客124人、乗員7人で、現地救助隊から地元自治体に入った連絡によると、生存者はいない模様。乗客リストによると日本人らしい名前はないが、マニラの日本大使館が確認を急いでいる。

 同局などによると、同便は午前5時20分(日本時間同6時20分)ごろマニラを出発、午前7時ごろにダバオに到着予定だった。ダバオの空港上空を旋回したあと、墜落したとみられる。午前7時すぎに、パイロットから管制塔に「最終着陸態勢に入った。あと7マイル(約11キロ)です」と連絡が入ったという。その約25分後、上空から捜索していたヘリが墜落した機体を見つけた。現地の天候は晴れで、見通しは良かったという。

 フィリピンは20日から復活祭休暇に入るため、国内便は帰省客で混雑している。

青森・三沢空港で自衛隊機が滑走路を逸脱

4:05p.m. JST April 10, 2000
 10日午前9時48分ごろ、青森県の三沢飛行場(三沢空港)で、西側から着陸してきた航空自衛隊三沢基地第3航空団第8飛行隊のF4支援戦闘機が停止直前に滑走路から右に外れた。パイロットは2人乗っていたが、けが人はなかったという。自衛隊機は通常の訓練飛行のため三沢空港を8時40分ごろに離陸していた。

 三沢空港などによると、三沢空港は事故発生直後から午前10時35分まで閉鎖した後、上空で待機していた日本エアシステム(JAS)東京―三沢便を着陸させ、午前10時45分から午後零時34分まで閉鎖して自衛隊機を撤去した

日本航空で整備ミス相次ぎ 運輸省が異例の注意文書

2:43p.m. JST April 10, 2000
 日本航空の旅客機で、客室乗務員用座席のシートベルトを未装着のまま運航したり、主翼のケーブルが切れたりする整備ミスが相次ぎ、運輸省航空局が同社に対し、文書で注意していたことが10日、わかった。整備ミスに対する注意は口頭で行われることがほとんどで、注意文書が出されるのはまれという。航空局は「不適切な整備作業が原因で、極めて遺憾」と厳しく批判、原因究明と抜本的な再発防止策について早急に報告するよう求めている。

 運輸省などによると、3月17日、成田発北京行きボーイング747―400型機が離陸する際、着席しようとした客室乗務員が座席にシートベルトがついていないのに気づいた。客室乗務員は近くの客席に座ったという。同機は客室内の改装に伴い、座席やシートベルトを別々に取り換えた後だった。担当者が作業簿の確認を怠ったという。

 また、同月中旬には、DC10型機の定期整備で主翼前縁部分にある「スラット」と呼ばれる板の操作に関するケーブルが切れているのが見つかった。同社で調べたところ、昨年8月に行った整備の際、補助ケーブルが正しく装着されなかったことが原因とみられる。ケーブルが切れた状態でも、代替機能を持つ部品があるため、飛行の安全には直接影響なかったという。

 しかし、報告を受けた航空局は、いずれも不適切な整備作業が原因である点を重視。「作業簿を何重にも確認することは整備の基本で、これを怠ったのは問題」として、3月24日に注意文書を出した。

福岡空港のガルーダ機事故で機長を不起訴に

7:28p.m. JST March 24, 2000
 福岡空港(福岡市)で1996年6月、乗客3人が死亡、乗員・乗客170人が負傷したガルーダ・インドネシア航空機事故で、福岡地検は24日、業務上過失致死傷などの疑いで書類送検されたインドネシア人のロナルド・ロンドン機長(42)を嫌疑不十分で不起訴処分にしたと発表した。機長が離陸を中断したことが事故原因とは認定したものの、「時間的余裕のない状況下では、刑事責任を問うほどの注意義務違反があったとするのは困難」と判断した。機長を訓練するガルーダ社や、事故のきっかけとなったエンジンの不調に気づかなかった整備関係者らの過失責任も問えないと判断した。

 運輸省航空事故調査委員会が1997年11月にまとめた最終報告書によると、ガルーダ機がV1(離陸決心速度)に達した約3秒後、3カ所にあるエンジンのうち右翼の1基が故障。ロンドン機長はその2秒後に離陸中断作業を始めたとされる。ガルーダ社のマニュアルは、離陸中断の判断を「V1以前にしなければならない」と規定している。

 福岡地検は、事故当時の機体の状況について、「1基のエンジンが故障した後も、事故機は安全に離陸する性能があり、機長が離陸中断したために事故が起きた」と認定した。

 その上で、業務上過失致死傷罪などに問えるかどうかは(1)V1後の離陸中断がマニュアル義務違反にあたるか(2)飛行不能として離陸中断したことが機長として過失にあたるか、の2点が検討課題となった。

 地検はマニュアル義務違反について、ガルーダ社の別の規定には「機長が危険と判断すればマニュアルを逸脱することができる」とあることなどから、「V1後の離陸継続を義務づけてはいない」とした。

 過失の有無については、事情聴取に対し、機長が「操縦かんを引いても浮上せず、離陸を続ければ墜落すると思った」「エンジン故障は後で知った」などと話したことから、「事後的に見れば的確な措置とは言いがたい」としながらも、「加速や上昇が十分ではなく、事態を把握する時間も余裕もない状況下での判断だったことから、裁量の範囲を逸脱したとは断定できない」とした。

 そして、「機長に刑事責任を問えるほどの注意義務違反があったとするのは困難だ」と結論づけた。

 また、事故のきっかけが第3エンジンの故障だったことから、地検はエンジンの製造や整備面での過失の可能性も検討したが、「故障の原因である高圧タービンブレードの金属疲労を事前の検査で発見することは困難で、関係者の過失責任を問うのは難しい」と判断した。

ロシアで旅客機墜落 9人死亡

7:51p.m. JST March 09, 2000
 モスクワのシェレメチェボ第1空港で9日朝、小型ジェット旅客機ヤコブレフ40が離陸後間もなく墜落し、乗員乗客9人が死亡した。ウクライナのキエフ行きのチャーター便で、乗客には、暴露もので著名なロシアの出版社「極秘」のボロビク社長も含まれている。日本人はいなかった。事故機は、25年の耐用年数に対し約24年使用した老朽機だった。事故の影響で国際線専用の第2空港も含めてシェレメチェボ空港は一時閉鎖された。

MD80系機の緊急点検命令

2000年2月11日 10時18分【ワシントン共同】
 米CNNテレビによると米政府は10日、アラスカ航空機墜落事故後、水平尾翼部分に共通の異常がある可能性が指摘されているボーイング社製のMD80系旅客機すべてを緊急点検するよう米航空会社に命じた。

 ロサンゼルス沖に墜落したアラスカ航空のMD83が、水平尾翼の水平安定板の異常からきりもみ状態で急降下したとの見方が強まっている。

ロス北西沖で88人搭乗のアラスカ航空機墜落

2:16p.m. JST February 01, 2000
 31日午後3時45分(日本時間1日午前8時45分)ごろ、米ロサンゼルス北西約30キロの太平洋に、アラスカ航空261便のMD80が墜落した。同機には乗員5人、乗客83人の計88人が乗っていた。日本人の乗客がいたかは確認されていない。沿岸警備隊などが、墜落から約4時間半たった時点までに7人の遺体を収容した。生存者の情報はない。

 同機は、メキシコのリゾート地プエルトバリャルタから、米サンフランシスコ経由でシアトルに向かう途中だった。

 サンフランシスコ空港当局者によると、同機から機器に問題が生じ、ロサンゼルスの空港に緊急着陸したいという連絡があった。レーダー上では高度約5200メートルにあったが、その後機影が消えたという。当時、天候は安定していたという。

 アラスカ航空によると、同機から「スタビライザー・トリム」という機体制御装置に異常があると報告があった。

 墜落現場と見られるカリフォルニア州ベンチュラ郡マグー岬の近くでは、機体の破片や油膜の帯などが発見された。地元テレビ局のヘリは現場上空で、機体が海中であおむけになっているように見えたが、やがて沈んでいったと報じた。

 アラスカ航空は、アラスカからメキシコまでの太平洋海岸沿いに多くの便を就航させている。1998年は約1310万人が利用した。

ケニア航空のエアバス機が墜落 一部の乗客を救助

2:00p.m. JST January 31, 2000
 コートジボワールの航空当局によると、ケニア航空のエアバスA310型機が30日午後9時ごろ(日本時間31日午前6時ごろ)、コートジボワール最大の都市アビジャンの空港を離陸直後に同空港沖の海上に墜落した。同機は、アビジャンからナイジェリアのラゴスを経由し、ケニアのナイロビへ向かう予定で、乗客乗員計約180人が乗っていたとみられる。コートジボワール軍などが現場付近の海上で生存者の救出と捜索活動を続け、AFP通信によると、31日未明までに8人が救助された。

 AFPが伝えた一部の目撃情報によると、同機は離陸直後数分のうちに、大西洋に面した空港に近い海上に墜落したが、爆発などは起きなかった。また、空港当局者によると、同機はほとんど高度を上げないまま出発後数分で着水しており、機体がばらばらになるような状況ではなかったという。墜落当時の天候は良く、空港付近の道路では、警察、消防関係の車両でごった返し、サーチライトが照らされた海上で、民間のボートなども出て生存者の救出と捜索に当たっているという。

 ケニア航空のこの路線は、ナイロビと西アフリカの拠点都市を結ぶため、ビジネスマンや国際機関の関係者らの利用が多い。

スイス機、リビア沖で墜落 15人が死亡か

11:06a.m. JST January 14, 2000
 スイス運輸省によると13日午後(日本時間同夜)、リビア沖の地中海でスイスの民間空輸会社アビスト社所有の双発プロペラ機が墜落した。同機はリビアの首都トリポリから同国内の石油精製施設に向けて同国石油会社の従業員を運んでいる途中で、事故当時乗員乗客計41人が乗っていた。アビスト社幹部は15人が死亡したと述べ、一方リビアからの報道は18人が救助されたと伝えている。

 事故原因についてスイス運輸省は、目的地に到着直前に両エンジンが止まり、緊急着水しようとしたという。また、乗客乗員の国籍についてトリポリの石油関係者は、リビア人だけでなく、英国人、カナダ人、フィリピン人など多国籍だったと述べている。

キューバ機着陸失敗、26人死亡 グアテマラ

0:08p.m. JST December 22, 1999
 中米グアテマラの首都グアテマラ市のアウロラ国際空港で21日午前10時(日本時間22日午前1時)ごろ、ハバナ発のキューバ航空チャーター便DC10型機(乗員・乗客314人)が着陸直後に滑走路をオーバーランし、隣接する住宅地に突っ込んだ。航空機は民家5軒を破壊し、機体が2つに折れた。空港当局者の発表では、乗員・乗客のうち17人と住民9人の計26人が死亡し、40人以上が負傷した。

 現地からの報道によると、同空港管制室は、航空機の降下が遅く、着地点が滑走路の端に近すぎてオーバーランした、とみている。折れた機体は操縦室など最前部とほかの部分に分離し、乗客は裂け目などから機体外へ脱出した。住民の死者には12歳の少年が含まれている。負傷者の大部分は住民だという。

 在グアテマラ日本大使館によると、乗客名簿に日本人とみられる名前はない。航空機には、キューバを訪問したグアテマラ人医学生二百数十人が搭乗していた。乗客の話では、航空機が着陸した瞬間に学生の間から拍手が起きたが、直後に事故になった。

 アウロラ国際空港では滑走路の端から最も近い住宅地まで100メートル程度しか離れていない。過去にも航空機が滑走路をオーバーランし、住宅を破壊する事故があったという。

大西洋上でポルトガルの35人乗り旅客機が消息絶つ

01:32a.m. JST December 12, 1999
 ポルトガル航空当局によると、大西洋上にあるアゾレス諸島のサンジョルジェ島で11日午前(日本時間同日午後)、乗客乗員35人を乗せた同国のSata航空の双発旅客機が墜落した。残がいが発見されたが、生存者の有無は不明。

 Sata航空によると、同機はこの日午前8時(同午後6時半)にサンミゲル島のポンタデルガダを離陸、45分後にファイアル島に到着する予定だったが、着陸10分前に交信が途絶えた。
空港当局者によると、同機の墜落した周辺一帯は当時、濃い霧に覆われていた。(時事)

フィリピンの飛行機墜落事故で、邦人男性の遺体を確認

1:30p.m. JST December 08, 1999
 フィリピンでエイジアン・スピリット航空(本社・マニラ)のプロペラ機AS100便が墜落した事故で、フィリピン国軍は8日午前までに、同機が向かっていたカワヤン空港から南西約90キロのヌエバビスカヤ州のマンパラン山中で乗客・乗員17人全員の遺体を収容した。同航空によると、持ち物などから身元が判明した14人のなかには、住友建設マニラ駐在員事務所勤務の詫磨広治さん(47)が含まれているという。

 比軍などによると、同機は7日午前8時半にマニラを出発し、同9時40分にマニラから北東約280キロのカワヤン空港に到着予定だった。同9時19分にパイロットから同空港管制塔に「順調に飛行中。予定より3分早く到着する」という連絡が入ったという。ルソン島中北部では6日から雨が激しく降っており、視界が悪かったという。比軍などは、7日から約100人の部隊で捜索していた。

 住友建設マニラ駐在員事務所などによると、詫磨さんはイザベラ州サンパブロ市に建設中のサンパブロ・ナギリアン橋のプロジェクト・マネジャーで、月1度マニラで開かれる所長会議に出席して現地へ帰る予定だった。

比で小型旅客機が行方不明

1999年12月7日 19時34分【マニラ共同】
 フィリピンの運輸当局によると、7日午前(日本時間同)、乗客乗員計17人を乗せマニラからルソン島北部イサベラ州カワヤンに向かっていた国内航空会社アジア・スピリットの小型双発旅客機が予定時刻を過ぎても着陸せず、消息を絶った。在比日本大使館によると、乗客名簿の中にマニラの住友建設駐在員の詫磨広治さん(47)=千葉県在住、神奈川県横須賀市出身=が含まれている。

モスクワ南部でウズベク貨物機が墜落、5人死亡

9:41p.m. JST December 05, 1999
 モスクワ南部郊外にあるドモジェドボ空港で5日午前5時(日本時間午前11時)ごろ、ウズベキスタン国営航空の貨物機イリューシン114型機が離陸直後に墜落した。この事故で、乗組員7人のうち5人が死亡、2人が重傷を負った。

 インタファクス通信によると、貨物機は高度20―25メートルから垂直に落下、滑走路の端から約400メートルの地点で炎上した。側面からの突風やエンジントラブルが原因ではないかと指摘されているが、関係当局がすでにブラックボックスを回収し、原因究明を進めている。落下現場の数十メートル先には小さなダーチャ(別荘)が並ぶ集落がある。

パイロットの「ヒヤリ」体験、情報共有で事故防止

4:46p.m. JST December 01, 1999
 事故や重大なトラブルには至らなかったものの、パイロットらが「うっかり」「ヒヤリ」とした体験などの情報を集める「航空安全情報ネットワーク」が1日、発足した。財団法人航空輸送技術研究センター(ATEC=東京都港区)が情報を一元化してデータベースを作成。航空会社など関係者が情報を共有することで、事故を未然に防ぐための教訓にしようという試みだ。

 ネットワークに加盟するのは、日本航空や全日本空輸、日本エアシステムの大手3社や系列会社など計11社と、日本航空機操縦士協会。

 各航空会社には現在、事故や異常接近(ニアミス)のほか、機体に鳥が衝突したり、機内で病人が出たりした場合など飛行中のトラブルを機長に報告させる社内制度がある。また、管制官の指示を聞き間違えたり、操縦装置のスイッチを押し間違えたりしたが、結果として事故につながらなかったミスや異常についても、自発的な報告を求めている。

 ネットワークでは各社の情報を一元化し、航空各社や日本航空機操縦士協会とをコンピューターで結んでアクセスできるようにする。航空専門家らでつくる運営委員会も設置し、集まった情報をもとに、必要に応じて提言も行うという。

 自発的な安全報告は、個人の評価や処分につながりかねないことから、大手3社をあわせても年間数十件程度という。ATECでは「デリケートな問題だが、事故防止という目的を理解してもらい、多くの情報を集めたい」としている。

米ニュージャージーで小型機が住宅街に墜落、3人死亡

10:58a.m. JST November 27, 1999
 米東部ニュージャージー州で26日朝、小型の自家用機が住宅街に墜落し、乗っていたメリーランド州の親子3人が即死した。地上にいあわせた約20人が破片の直撃を受けるなどして重軽傷を負った。

 事故機は3階建て倉庫と軽食チェーン店「ケンタッキー・フライド・チキン」の店舗に次々ぶつかって大破した。燃えた破片が飛び散って歩行者が大やけどを負ったほか、倉庫や駐車中の車十数台が焼けた。機体から放り出された遺体は軽食店のわきに落下したが、感謝祭の連休で店は休業中だった。

 米国家運輸安全委員会(NTSB)によると、離陸直後に事故機からエンジンの不調を訴える無線交信があったという。墜落したのは空港から6キロ先だった。

平良さんの遺体発見

1999年11月24日 13時14分【シドニー共同】
 ニュージーランド南島のクライストチャーチ北方で21日午後に日本人男性2人搭乗の軽飛行機が消息を絶った事故で、24日朝(日本時間同未明)、クライストチャーチ北部のアンバリー付近の海岸で1人の遺体が見つかり、日本大使館クライストチャーチ駐在官事務所によると、遺体は沖縄県平良市出身の平良拓哉さん(25)と確認された。

ニュージーランドで邦人が乗った軽飛行機が不明

7:50p.m. JST November 21, 1999
 ニュージーランドの南島にあるクライストチャーチ近くの海上で21日午後5時(日本時間21日午後1時)ごろ、邦人2人が乗った軽飛行機が消息を絶った。

 クライストチャーチ警察署や日本大使館によると、軽飛行機はクライストチャーチの北50キロの海岸近くのワイパラ上空でエンジンの調子が悪くなり、ワイパラ川の河口付近に着陸すると緊急無線を発信した後、消息を絶った。捜索しているが、河口付近の海上に同機が積んでいたと見られるカバンが発見されたという。

 飛行機は地元の飛行クラブに所属し、パイロット資格を持つ邦人1人が操縦していたらしい。

旅客機墜落、18人死亡

1999年11月10日 16時21分【メキシコ市・共同】
 メキシコの民放局テレビサによると、日本時間10日午前10時ごろ、同国中部ミチョアカン州山中にメキシコの民間タエサ航空の旅客機DC9が墜落、乗客13人、乗員5人の計18人全員が死亡した。

 民放ラジオ局フォルマト21によれば、日本人乗客はいない。

エジプト機事故で初の提訴

1999年11月18日 18時09分【ニューヨーク・ロイター=共同】
 米東部海岸沖に墜落したエジプト航空機事故で、乗客のシリア人男性の遺族が17日、エジプト航空と航空機メーカーのボーイング社に対し、5000万ドル(約53億円)の損害賠償を求める訴訟を米国の裁判所に起こした。同航空機事故をめぐる訴訟は初めてとみられる。

操縦士がもみ合った形跡

1999年11月16日 18時12分 【ワシントン共同】
 6日付の米紙ワシントン・ポストは、米東部海岸沖に墜落したエジプト航空機の事故原因調査に当たっている米運輸安全委員会の高官筋の話として、急降下が始まった直後にコックピットで操縦士と副操縦士がもみ合ったことを示す形跡があると報じた。ポスト紙によると、回収されたボイスレコーダーには、ドアが1回以上、開閉されたような音が記録されている。

急降下しエンジン停止

1999年11月14日 11時34分 【ワシントン共同】
エジプト航空のボーイング767機が、米東部海岸沖に墜落した事故で、米運輸安全委員会は13日、墜落現場海底から回収したフライトレコーダーの解析結果を発表した。事故機は自動操縦装置を解除した後、急降下し、最後はエンジンが停止するなど不可解な飛行をしており、事故原因のナゾは深まる一方だ。

エジプト航空機の捜索続く、米東海岸沖で1遺体収容

2:33p.m. JST November 01, 1999
 ニューヨークからカイロに向かったエジプト航空990便が31日午前2時(日本時間同日午後4時)ごろ、米東部海岸に近い大西洋上で墜落した。米沿岸警備隊は同日朝、マサチューセッツ州沖の海域で同機の一部と見られる破片と1遺体を発見した。同機には乗客199人と乗員15人、それにエジプト航空職員3人が乗っていた。在エジプト日本大使館とニューヨークの日本総領事館によると、乗客名簿に日本人はいない模様。

墜落したのはボーイング767型機で、ロサンゼルスからニューヨーク経由でカイロに向かう便だった。米航空当局によると、濃霧のため約2時間遅れでニューヨークのケネディ国際空港を午前1時19分に離陸。その約40分後、マサチューセッツ州沖の高度1万メートル付近で交信を絶ち、管制レーダーから機影が消えたという。

 沿岸警備隊は管制当局から緊急通報を受けて、ただちに救難機7機と捜索船6隻を出動させ、捜索を続けている。連邦航空局の幹部によると、同日午前6時半ごろ、座席など機体の残がいや油が、同州のナンタケット島の南約70キロ付近で見つかった。沿岸警備隊は乗客とみられる1遺体を収容した。

 米連邦航空局の捜査責任者は、墜落の原因について「爆発物によるものかどうかなどは不明だ。連邦捜査局(FBI)とも協力してあらゆる可能性について捜査を始めた」と述べた。また、空港当局者によると「今のところ犯罪と結びつくような事実は見つかっていない」という。クリントン大統領もワシントンで記者団に対し、「テロの可能性を示す証拠は現時点ではない」と言明した。

 カイロで記者会見したエジプト航空幹部は、199人の乗客には、エジプト観光ツアーの参加者などの米国人129人、エジプト人62人、シリア人3人、スウェーデン人2人、チリ人1人が含まれていると述べた。

 マサチューセッツ沖周辺海域では、1996年の米トランスワールド航空(TWA)機、98年のスイス航空機、今年のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏が乗っていた自家用機など、航空機の墜落事故が相次いでいた。

 ボーイング社の担当者によると、ボーイング767型機は82年から生産されている双発エンジンのジェット機。同型機の事故は、91年にタイでエンジン故障によりラウダ航空機が墜落、約200人が死亡した例がある。

 墜落したエジプト航空機は89年に就航し、これまでに約3万時間飛行している。機長は、飛行時間約1万時間のベテランだったという。

エジプト航空機墜落か 米東海岸沖に残骸

10:34p.m. JST October 31, 1999
 ニューヨークからカイロに向かったエジプト航空990便が31日午前2時(日本時間同日午後4時)、米東部海岸に近い大西洋上で消息を絶った。米沿岸警備隊は墜落した可能性もあると見て、マサチューセッツ州沖の海域で捜索し、同機のものとみられる航空機の残骸を発見したと発表した。乗客197人が搭乗していた。日本人客がいたかどうかは不明。

 行方不明になったのはボーイング767型機で、米CNNテレビによると、ニューヨークのケネディ国際空港を離陸した直後、マサチューセッツ州ナンタケット島の南東約100キロ付近で、管制レーダーから機影が消え、交信できなくなったという。

 沿岸警備隊は管制当局から緊急通報を受け、ただちにジェット機と捜索船4隻を出動させた。

 同機は、ニューヨーク一帯の濃霧のため約2時間遅れで離陸した。カイロには、現地時間同日午後6時(同1日午前1時)過ぎに到着する予定だった。

 

エジプト航空機が米マサチューセッツ沖で消息断つ

8:49p.m. JST October 31, 1999
 ニューヨーク発カイロ行きのエジプト航空990便が31日未明(日本時間同日午後)、米東部海岸に近い大西洋上で消息を絶った。米沿岸警備隊はマサチューセッツ州沖の海域で捜索を始めた。乗客197人が搭乗していたとみられる。

 米CNNテレビによると、行方不明になったのはボーイング767型機で、ニューヨークのケネディ国際空港を離陸した直後、マサチューセッツ州ナンタケット島の南東約100キロ付近で、管制レーダーから機影が消え、交信できなくなったという。

 沿岸警備隊は同日午前2時過ぎ、管制当局から緊急通報を受け、ただちにジェット機と捜索船4隻を出動させた。

 ケネディ国際空港関係者によると、エジプト航空機は悪天候のため2時間遅れで離陸したという。カイロには31日午後6時(同1日午後6時)過ぎに到着予定だった。

日航MD11型機事故で、日本が米に安全勧告へ

03:22a.m. JST October 24, 1999
 三重県志摩半島上空で1997年6月、香港発名古屋行きの日本航空MD11型機が激しく揺れ、乗客・乗員12人が重軽傷を負った事故について、運輸省航空事故調査委員会は、最終報告書案をまとめた。同型機に組み込まれた自動操縦装置の不適切な設計や、操縦マニュアルの不備などから機体の特性が機長らに周知徹底されていなかったことが事故の原因としている。国際条約に基づき、報告書案に対する機体の製造国である米側の意見書を加え、早ければ11月にも、二階俊博運輸相に最終の事故報告書を提出する。事故調査委は、再発防止のため、自動操縦装置の改良をメーカーに指導するよう米連邦航空局(FAA)に「安全勧告」することも決めた。航空機製造国の米国に、非製造国が安全勧告するのは極めて異例で、日本としても初めて。

 事故は、97年6月8日午後7時50分ごろ発生した。名古屋空港へ飛行中、急激な機首上げ状態となり、その後、機体が激しく上下に揺れて、計12人が重軽傷を負った。このうち、客室乗務員1人が、今年2月に亡くなった。

 当初は乱気流事故とされたが、調査過程でハイテク機の特性に絡む事故の可能性が高まり、原因究明は海外からも注目されていた。

 MD11型機は、コンピューターによる自動操縦中に操縦かんを操作すると、自動的に自動操縦が解除される「人間優先」の設計が取られている。ただ、機体の重心が後方にあることなどから、自動から手動に切り替わる際に、比較的軽い操作でも急激な機首の変化が起こるとされる。

 事故機の飛行記録装置などを解析した報告書案によると、事故機は(1)自動操縦で降下中、急激な風の変化で速度が増し、機体の構造上や操縦性を確保する上で定められた「限界速度」(時速約675キロ)を超えた(2)機長が機首を上げて減速しようと操縦かんを引いたところ、自動操縦が外れて手動操縦に切り替わり、必要以上に機首が上がった(3)機体の姿勢を修正しようと、操縦かんを押すなどの操作をしたが、機体は激しい揺れを5回繰り返した――としている。

事故調査委は、▽自動操縦中に急激な風の変化に対応できず、限界速度を超えた▽操縦かんの操作によって自動操縦が解除された際に、機体が激しく反応した――を重視。事故は、MD11型機の自動操縦装置の設計の不備に加え、メーカーの米国ボーイング社や日航が操縦士ら運航関係者に、同型機の操縦特性などを操縦マニュアルや教育・訓練で十分徹底させていなかったこと、さらに操縦士の理解不足が絡みあって起きたと判断した。

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