TOPIC No.8-12 ヨットレース

Index
1.ヨットレース、2.ヨットで世界一周

TOPIC No.8-12−1 ヨットレース


01. 2002年 レース・スケジュール by Virtual Yacht Club
02. アメリカズカップ2000
03. SGIとAnimation Research Limited、レースの模様を世界のアメリカズカップファンに放映
04. アメリカズ・カップ関連ヨットレース情報 by JM1THS/ZL3IS ホームページ
05. オークランド発  ニュージーランドベースキャンプ開所式レポート by ニッポン チャレンジ公式ホームページ
06. 世界一周ヨットレース・クリッパー CUP2000

アメリカ杯英雄の死に衝撃 ヨットNZのブレーク氏

2001/12/18 山陽新聞社
 世界最高峰のヨットレース、アメリカズカップ(アメリカ杯)を、米国以外で初めて防衛したチームニュージーランドの前代表、ピーター・ブレーク氏が、アマゾンで盗賊に射殺された。ヨット界の英雄の突然の死に、世界中の関係者が衝撃を受けている。

 ブレーク氏は5日深夜、環境保護を訴える探検航海で訪れたアマゾン川河口で悲劇に遭った。ニュージーランドでは、市民がチームのトレードマークの赤い靴下を履いて追悼。オークランドのベースキャンプには、献花に訪れる人が後を絶たないという。

 14日には、暮らしていた英国南部の地で葬儀が行われ、ニュージーランドのクラーク首相が「生きる伝説だった。喪失感はあまりにも大きい」と、53歳の早すぎる死を悼んだ。

次々回のアメリカ杯に意欲

2000年07月20日スポニチアネックス
 
 世界最高のヨットレース、アメリカズカップに日本から3回連続で挑戦したニッポンチャレンジの山崎達光会長が19日、東京都内で記者会見し、ニュージーランドで2002−03年に行われる次回アメリカ杯への挑戦断念を正式に表明した。断念の理由は「約30億円の挑戦資金確保を目標にしたが、約半分しか見通しが立たないこと」。また、豊富な資金を持つ海外チームが有能なクルーらの引き抜き合戦を演じており「人件費が高騰し、当初考えていたスタッフを集められなくなった」と話した。

 次々回の開催時期は未定だが、同会長は「日本セーリング連盟と強力関係を強め、若手育成と底辺拡大を目指しながら、45億円を集めて次々回に挑戦したい」と再挑戦を口にした。

 ニッポンチャレンジは1992年のアメリカ杯で、日本チームとして初めて参戦。3度目の挑戦はピーター・ギルモア艇長(オーストラリア)の下、善戦したが、今春の挑戦艇決定戦準決勝で敗退した。

NZ艇、5戦全勝で防衛 米国艇以外では初めて

2000/03/03【オークランド(ニュージーランド)2日共同】福島民放online
 世界最高のヨットレース、アメリカズカップ(アメリカ杯)第5レースは二日、当地沖で行われ、防衛艇ブラックマジック(ニュージーランド)が、挑戦艇ルナロッサ(イタリア)を48秒差で下し、5戦全勝で初防衛に成功した。

 約百五十年の歴史を誇るアメリカ杯を米国艇以外が防衛したのは初めて。ブラックマジックを擁するチーム・ニュージーランドは、5戦全勝でアメリカ杯を奪取した一九九五年の前回大会から通算10連勝となった。

 防衛にあと1勝としていたブラックマジックはクーツ艇長が艇に乗らず、控えのバーカーが艇長としてかじを握った。しかし、約8―10メートルの強めの風の中、スタートから優位に立って完勝。初挑戦のルナロッサに総合力の違いを見せつけた。

ニッポンは勝ち点を92・5点

1999年12月12日 16時02分 共同通信社
 ヨットのルイ・ヴィトンカップ3次予選リーグで、すでに準決勝進出を決めているニッポンは勝ち点を92・5点に伸ばした。

ニッポン、準決勝に進出

1999年12月11日 13時15分【オークランド(ニュージーランド)共同】
 ヨットレースのアメリカズカップの挑戦艇を決めるルイ・ヴィトンカップ(LV杯)3次予選リーグは11日、当地沖で行われ、ニッポン(ピーター・ギルモア艇長)は2レースを残して準決勝進出を決めた。ニッポンはヤング・オーストラリア(オーストラリア)を下して6勝目を挙げ、通算順位は4位のままだが、予選リーグでの6位以内を確定した。

ニッポン、逆転負け

1999年12月10日 20時04分 共同通信社
 ヨットレース、アメリカズカップの挑戦艇を決めるルイ・ヴィトンカップ(LV杯)3次予選リーグは10日、当地沖で行われ、ニッポン(ピーター・ギルモア艇長)はアメリカ・トゥルー(米国)に敗れ、2連敗となった。

ヨット=ルイ・ヴィトン杯、ニッポン・チャレンジが通算2位に浮上

1999年12月7日 [オークランド 7日 ロイター]
 世界最高峰のヨットレース、アメリカ杯の挑戦艇を決めるルイ・ヴィトンカップ(LV杯)は、3次予選リーグの第6戦を行い、日本から出場のニッポン・チャレンジが前日まで通算首位のプラダ・チャレンジ(イタリア)を破り、通算順位で2位に浮上した。 また、前日2位のアメリカ・ワン(米国)がスパニッシュ・チャレンジ(スペイン)に快勝。これにより、通算順位でアメリカ・ワンが首位に立ち、プラダ・チャレンジは3位に落ちた。

ヨット=ルイ・ヴィトン杯、アメリカ・ワンがプラダ・チャレンジ破る

1999年12月6日 [オークランド 6日 ロイター]
 世界最高峰のヨットレース、アメリカ杯の挑戦艇を決めるルイ・ヴィトンカップ(LV杯)は、3次予選リーグの第5戦を行い、アメリカ・ワン(米国)が通算首位のプラダ・チャレンジ(イタリア)を破った。 これにより、2位のアメリカ・ワンは、プラダ・チャレンジとの差を1ポイントに縮めた。

 また、日本から出場のニッポン・チャレンジは、スパニッシュ・チャレンジ(スペイン)を破った。3次予選での全勝はニッポン・チャレンジのみ。ニッポン・チャレンジの通算順位は3位。

アメリカ杯:LV杯で日本が米チームに勝利 総合3位に浮上

1999年12月3日 Mainichi INTERACTIVE
 毎日新聞社に入った連絡によると、ヨットレースのアメリカズカップの挑戦艇を決めるルイ・ヴィトン杯は3日、オークランド(ニュージーランド)沖のハウラキ湾で予選3次リーグの5レースが行われた。ニッポンチャレンジ(ピーター・ギルモア艇長)は強豪のヤング・アメリカ(米国)に4分55秒差で勝ち、連勝で同リーグ2勝目。通算ポイントは47・5点となり、暫定的ながら総合3位に浮上した。

 ニッポンのJPN52(韋駄天=いだてん)はヤング艇と第1レグから激しい競り合いを展開。ヤング艇は韋駄天と近すぎる位置でタッキング(風上の方向転換)したことで、反則を受けた。その後、風下の第4レグで、風下艇の有利な位置を得たヤング艇が、並走しながら韋駄天を本来のコースの外側に大きく追いやり、この行為でヤング艇は二つ目の反則を受ける。反則解消のためにヤング艇が転回する間に韋駄天は差を広げた。

 ベテランクルーの兵藤和行は「風上で相手艇より速かったことが収穫。戦略もよかった」と話した。

 ヤング艇は、1983年アメリカズカップ本戦で豪州艇に敗れるまで130年以上も同カップを保持した名門ニューヨーク・ヨットクラブ所属。今回はニッポン艇の予算の2倍以上の80億円をかけカップ奪回を狙っている。2次リーグのニッポン戦で船体が折れ曲がるトラブルに遭い、2艇目での立て直しを狙っている。

 ニッポン艇は第3日、連敗を喫しているスターズ&ストライプス(米国)と対戦。2位躍進を狙う。

ニッポン、初戦に勝利 ヨットのLV杯

1999年10月18日【オークランド(ニュージーランド)18日共同】 信濃毎日新聞
 世界最高のヨットレース、第三十回アメリカズカップ(アメリカ杯)の挑戦艇を決めるルイ・ヴィトンカップ(LV杯)が十八日、当地のハウラキ湾で開幕。一次予選リーグの初戦で、三度目の挑戦となるニッポンチャレンジのニッポン(ピーター・ギルモア艇長)は、アブラカダブラ(米国)に38秒差で勝利し、幸先のよいスタートを切った。

 ニッポンはスタート後の風上帆走でリード。続く風下帆走で差を詰められ接戦となったが、ゴール前で再び引き離して勝ち点1を挙げた。この日の第2レースでは、優勝候補の一角、プラダ・チャレンジ(イタリア)と対戦する。

 その他のレースでは、ヤング・アメリカがアメリカ・トゥルー(ともに米国)に37秒差で勝った。

 LV杯は来年一月末の決勝まで、三カ月以上にわたる長期戦。優勝チームは同年二月、アメリカ杯でチーム・ニュージーランドに挑戦する。

アメリカズカップ、ニッポンチャレンジの新艇発信

1999年08月09日 ISIZE SPORTS NEWS
 世界最大のヨットレース「第30回アメリカズカップ(ア杯)」が2000年2月19日〜3月9日に開催される。これに挑戦する「ニッポンチャレンジ」の新艇二艇の進水式が愛知県蒲郡市のベースキャンプで行われた。ア杯の勝敗の50〜80%は艇で決まると言われており、技術開発チームには宮田秀明 東大教授を中心に若い頭脳を結集させ、航空技術を駆使したハイテク艇を完成させた。二艇の愛称は公募により「阿修羅」「韋駄天」と決まった。ア杯は1851年のロンドン万博の記念イベントとして行われたレースで、ニューヨーク・ヨットクラブの「アメリカ」が優勝したのが始まり。今回日本は3度目の挑戦。

TOPIC No.8-11-2 ヨットで世界一周


堀江謙一さん69歳の挑戦 波の力で6000キロ航海へ

2006/07/13 The Sankei Shimbun

 ヨット単独無寄港世界一周などを果たした海洋冒険家の堀江謙一さん(67)が、波のエネルギーを利用して進む「波浪推進船」を使った世界初の航海に挑む。平成20年3月にハワイを出発し、約2カ月半かけて紀伊水道を目指す約6000キロの単独航海。13日、東京都内で会見した堀江さんは「安定して進んでくれると思う。楽観視している」と、70歳目前の新たなチャレンジを楽しみにしている。

 堀江さんはこれまで、ヨットやソーラーパワーボート、足こぎボートと自然のエネルギーを利用した数々の航海を成功させてきた。

 今回操る波浪推進船「SUNTORYマーメイドII号」は、東海大学海洋学部の寺尾裕教授(54)が開発。船体前部にバネと連動した水平の水中翼を付け、波を受けると翼がイルカの尾びれのように上下し、推進力を生む仕組みだ。

 昭和63年に海上実験を成功させた寺尾教授は、「今回は翼を2枚にすることで横波でも前進できるよう改良した。平均2〜3ノットで進める」と話す。堀江さんは「波のエネルギーを推進力に変えることで船体の揺れが半減され、本を読んだりするには向いている。風は止むことがあるが、波は急にはなくならない。安定的に進め」と語った。

 昭和37年、ヨットで単独太平洋横断に成功した“堀江青年”も、今回の出港時には69歳。本人は「私は3ケタまでやるつもりです」と意気軒高だ。

家族とヨットで世界一周 35年越しの夢実現し帰港

2005/12/04 The Sankei Shimbun

 ヨットで世界一周に挑戦していた兵庫県姫路市の無職松下紀生(まつした・のりお)さん(65)家族4人と、友人で同県社町の会社社長、神戸敏郎(かんべ・としろう)さん(60)が3日午後、「秋津洲(あきつしま)III世」号で1年7カ月、約5万7000キロの航海を終え、同市的形町に無事帰港した。

 ヨットが着岸すると、地元の支援者約100人から「お帰り」「おめでとう」と大きな歓声が上がり、松下さんらは真っ黒に日焼けした顔に満面の笑みを浮かべ、支援者から受け取った花束を高々と掲げた。

 5人は昨年5月に姫路市を出て、オーストラリアや南アフリカなど18カ国、38の港に寄港。時には1カ所に30―40日滞在し、現地の人々との交流を楽しむマイペースな航海だったが、予定からわずか2日遅れで到着した。

 ヤップ島(ミクロネシア連邦)から友人(62)、沖縄から松下さんの長男(27)も加わった。

 松下さんは1970年に神戸さんら仲間3人と「秋津洲I世」で世界一周に挑戦したが、ヨットの故障などで断念。

 その後も世界一周へ思いを募らせ2000年、船内にヒノキ風呂も備えた総アルミの「秋津洲III世」号を製作。01年から太平洋往復など試験航海を重ね、35年越しで妻、娘2人と夢を実現させた。

 松下さんは「苦労も多かったがいい旅だった」と目を潤ませて旅を振り返った。 (共同)

お帰りなさい、堀江さん 単独無寄港世界一周に成功

2005/06/07 The Sankei Shimbun

 単独無寄港による世界一周に挑戦したヨット冒険家の堀江謙一(ほりえ・けんいち)さん(66)=兵庫県芦屋市=が7日午後2時半すぎ、「SUNTORYマーメイド号」で約5万キロの旅を終え、ゴールの兵庫県西宮市に到着した。

 昨年10月1日に同ヨットハーバーを出港し、250日間の航海。今回の挑戦は33年前に断念した東回り航路で、1974年の西回り航路で成功して以来、堀江さんの単独無寄港世界一周は2回目。

 堀江さんは西宮を出港後、太平洋を南下し昨年11月13日に赤道を通過。今年1月11日には最大の難所とされる南米最南端・ホーン岬に、2月18日にはアフリカの喜望峰へ到達した。4月14日にオーストラリア南方のタスマニア島で転進して太平洋を北上、日本を目指した。

堀江謙一さんが豪タスマニア通過 6月上旬にゴールへ

2005/04/14 The Sankei Shimbun

 単独無寄港による世界一周に挑戦しているヨットの冒険家、堀江謙一さん(66)が14日、オーストラリア南方のタスマニア島を通過し、日本に向けて北上を始めたことが分かった。堀江さんは6月上旬、兵庫県西宮市に戻る予定。

 支援団体によると、堀江さんは同日午前7時20分(日本時間午前6時20分)ごろ、タスマニア島を回航し、ゴールまでの最後のコースに入った。この日は小雨が降り、波の高さが2、3メートルのしけ模様だった。

 堀江さんは前日の13日、「船体、体とも順調で航海を楽しみました。西宮までのコースを大切にして楽しんで航海したい」と話していた、という。

 堀江さんは昨年10月1日、西宮市の新西宮ヨットハーバーを出港。太平洋を横断して南米・ホーン岬、アフリカ・喜望峰を通過し、インド洋に入っていた。(共同)

手こぎボートで太平洋横断 仏女性、73日で

2005/03/28 The Sankei Shimbun

 フランスからの報道によると、ペルーを1月に手こぎボートで出発したフランス女性、モード・フォントノワさん(27)が、太平洋約7000キロを73日かけて横断、26日にフランス領ポリネシアのヒバオア島に到着した。

 フォントノワさんは2003年に手こぎボートでカナダからスペインまでの大西洋約6700キロを117日間で横断、これも女性で初の快挙だった。

 今回フォントノワさんは、1947年にノルウェーの探検家、ヘイエルダール氏(02年死去)がコンティキ号と名付けたいかだで漂流実験を行ったコースをたどり、ペルーのカヤオを1月12日に出発。ヘイエルダール氏は101日かかったが、フォントノワさんは予定より1カ月以上早く到着した。女性が手こぎボートで同じルートを横断したのは初めて。

 ボートは全長約7メートル。転覆事故もあった。まめがつぶれた指と日焼けした背中が痛いというフォントノワさんは「女性でもヘイエルダールのような冒険ができることを示したかった」と喜びを語った。(共同)

71日余りでヨット単独世界一周 英女性が新記録

2005/02/08 The Sankei Shimbun

 ヨットによる単独世界一周のスピード記録に挑んでいた英国人女性のエレン・マッカーサーさん(28)が7日夜、フランス西部ウェサン島沖のゴールラインを通過し、71日14時間18分33秒の世界新記録を達成した。

 これまでの記録は昨年2月にフランス人男性のフランシス・ジョワイヨン氏が達成した72日22時間54分22秒で、1日以上も短縮した。

 マッカーサーさんは昨年11月末、三胴船と呼ばれる全長約22.8メートルの高速ヨットで、英リザード岬とウェサン島を結ぶスタートラインから出発。南下してアフリカの喜望峰を回り、オーストラリア大陸と南極の間を東進。南米大陸の最南端ホーン岬沖を抜けて大西洋を北上、ゴールに戻った。

 途中、荒天で転覆しかかったり、ゴールに近づいた63日目にはクジラと接触しそうになったという。マッカーサーさんは「疲れ果てたがうれしさでいっぱい」と記録達成の喜びを語った。(共同)

堀江謙一さん 2度目の単独無寄港世界一周に出発

2004/10/01 The Sankei Shimbun
 ヨット冒険家の堀江謙一さん(66)が1日、2回目の単独無寄港による世界一周航海に向け「SUNTORYマーメイド号」で兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーを出港した。

 計画では、太平洋を南下し、来年1月に難所として知られる南米・ホーン岬を通過。2月にアフリカ大陸の喜望峰を回って南インド洋やオーストラリア沖を経由、来年5月20日ごろ西宮市に帰港する予定。

 航海中は西宮市や奈良市、三重県四日市市などの小学生と衛星回線を使ってメールを交換、航海の状況を伝えるという。海上で雨水の酸性度を測定し、東海大海洋学部と共同して環境汚染調査に役立てる。

 堀江さんは昭和49年、西回り航路で単独無寄港世界一周に成功しているが、今回の航路は32年前に船の故障で断念した東回り。堀江さんは「やり残した仕事」と位置付けている。

堀江謙一さん、黒潮に乗り航海順調

2002年05月15日 The Sankei Shimbun
 東京から時速二百七十キロのヘリコプターで約一時間半。小さな雨雲をいくつか通り抜けた十五日午後、八丈島の西約一一○キロ付近で、太平洋を横断中の冒険家堀江謙一さん(63)のヨット「MALT’sマーメイドIII号」を見つけた。

再び太平洋ひとりぼっち、堀江さん「原点の旅」に

2002年05月12日 Yomiuri On-Line
 海洋冒険家の堀江謙一さん(63)(兵庫県芦屋市)が12日正午、「MALT’Sマーメイド(3)号」で、米国・サンフランシスコに向け、兵庫県西宮市の新西宮ヨットハーバーを出発した。40年前の「太平洋ひとりぼっち」と同じ日に同型のレプリカヨットでハーバーをたち、同じ航路をたどる「原点に戻る旅」で、当時より半月ほど早い2か月半でのゴールを目指す。

太平洋横断のヨット帰港 姫路の松下さん

2001/10/10 神戸新聞
 三十一年前に断念したヨットでの世界一周に再挑戦するため、太平洋横断の試験航海に出ていた会社役員、松下紀生さん(61)=姫路市木場=が九日、愛艇「秋津洲(あきつしま)3世」で、約四カ月ぶりに同市的形町のヨットハーバーに帰港。二〇〇三年に世界一周を目指す松下さんは「二年後も力まずいきたい」と日焼けした顔をほころばせた。

 松下さんは一九七〇年、三人の仲間と初代「秋津洲」で、世界一周に挑んだが、オーストラリアのダーウィンで断念した。その悔しさが忘れられず、「秋津洲3世」を建造。六月十七日、性能確認のため、大学生の長女圭子さん(20)と姫路を出港し、カナダに無事着いた。帰路は、妻シズコさん(54)や二女ユミさん(18)、ヨット仲間の男性二人が入れ替わって乗り込みながら、航海を支えた。

 約五十人の仲間に迎えられた松下さん。航海中に蓄えた口ひげを「別人みたい」と冷やかす声に照れながら、「日本では見られない星や夕日に感動した。今度こそ世界一周を果たす」と話していた。

ヨット単独無寄港世界一周成功/立尾さん 最高齢記録達成/新宮市の三輪崎港に入港

2001/07/03紀伊民報
 ヨットでの単独無寄港世界一周に成功し、二百八十八日間、約五万五千キロの航海で国内四人目、最高齢、最小艇記録を達成した大阪府堺市のステンレス加工業立尾征男さん(60)が一日、新宮市の三輪崎港に入港。所属している「ミワサキヨットクラブ」の会員ら約三十人に拍手で迎えられた。

 立尾さんは、昨年八月二十日に同港を出港したが、造水機の故障のため九月十日、東京都の小笠原諸島・父島から再スタート。父島に六月二十二日、無事帰港し、この時点で世界一周を達成した。

 二十五日正午、父島を出発した愛艇「エオリア」(全長約八・六メートル)は一日午前九時四十分ごろ、三輪崎港に到着。クラブ員がヨット二艇、モーターボート一艇で新宮港沖合まで迎えに出て、同港で花束を贈呈、シャンパンで祝杯を上げた。

 集まった会員らは「良かったおめでとう」、「よく無事に帰ってきた」と夢の実現を喜び、立尾さんも「みんなの元気な顔を見ることができて幸せ」と笑顔で話した。立尾さんは一週間ほど三輪崎で休養した後、堺市の自宅へ帰るため再び船に乗るという。

 今回の航海では、太平洋を南下して横断、南米ホーン岬沖、大西洋、南アフリカ喜望峰沖、インド洋、東シナ海を経て父島にゴールした。立尾さんは平成三年、三輪崎港−サンフランシスコ間の太平洋単独往復に成功している。

ヨットで世界一周の夢ふたたび 姫路の松下さん

2001/06/18 神戸新聞
 三十一年前に断念したヨットでの世界一周。大海原に残した夢に再び挑むため、姫路市の会社役員、松下紀生さん(61)が十七日、同市の的形港からヨットの試験航海に出発した。

 世界一周に出たのは、一九七〇年の同じ日。三人のクルーと乗り込んだ全国初のコンクリート製ヨットでの航海は順調だったが、意見の食い違いからオーストラリア・ダーウィンで断念。松下さんは、この悔しさが忘れられず、再挑戦へ準備を進めてきた。

 今回は、新造した「秋津洲(あきつしま)3世」の試験のため、長女の大学生、圭子さん(19)と太平洋を横断。一カ月かけてカナダを目指す。

 同日午前、ヨット仲間ら約三百人の激励を受け、「秋津洲3世」号はドラの合図とともに、沖へと滑り出した。「男にとって最高のロマン。思いきり楽しみたい」と松下さん。世界一周の旅は、二〇〇二―〇三年に予定。三十一年前と同じクルーで挑む。

妻、娘と太平洋、ヨット横断へ 姫路の松下さん/

2001/06/16 神戸新聞

 約30年前に断念したヨットでの世界一周の夢を抱く姫路市木場の会社役員、松下紀生さん(61)が17日、妻や娘らと太平洋横断を目指し、姫路・的形港を出航する。航海を前に、松下さんは愛用のヨットに毎日通い、家族や友人らと準備に汗を流している。

 松下さんは、自身三隻目の愛用のヨット「秋津州(あきつしま)3世」で出発。約八カ月をかけて完成したボディーは総アルミ製で、無線や衛星電話も備えたほか、長い航海を可能にするため操だ室を室内に設けた。

 約四カ月で姫路とカナダ・バンクーバー間を往復する。姫路からカナダまでは長女の圭子さん(19)と二人で航海。復路はハワイまでを妻シズコさん(54)、二女のゆみさん(18)と過ごし、ハワイからはヨット仲間二人とともに姫路を目指す。

 松下さんにとっては、三十一年前に途中で断念した世界一周に再挑戦するための第一歩。この航海を終えれば、二年後にも前回航海を断念したオーストラリア・ダーウィンから再び世界一周に挑む計画を立てている。

 「世界一周を前に、船の性能を確認しながら、家族と航海を楽しみたかった」と松下さん。

 カナダで学生生活を送る圭子さんは、夏休みを利用した初の本格的な航海で「船の生活は少し不安だけど、お父さんが大丈夫と言うので信じています」と話している。

世界一周レース、イギリス艇が寄港

2001年3月17日琉球新報ニュース
 2000年10月15日にイギリスを出港し、西回りで世界一周レースを続けている「タイムズ・クリッパー2000」出場のヨットが16日夜、宜野湾市の宜野湾港マリーナに寄港した。出場ヨットは全八隻。17日中には全ヨットが到着する見込み。同レースには日本人二人が出場している。

 レースはイギリスのクリッパー・ベンチャー社主催で三回目。世界中から計110人が出場している。出場ヨットの全長は約18メートル。イギリスのポーツマス港をスタートし、ハワイ、横浜などを経由し沖縄に寄港した。今月21日に宜野湾マリーナを出港し、フィリピンやブラジル、アメリカなどを経て2001年9月21日にポーツマス港でゴールを迎える予定。

 16日午後9時半、沖縄一番乗りの「リバプール号」(クルー14人)が到着すると、出迎えの関係者らから大きな歓声が上がった。リパーツ・ディーン船長(28)は「沖縄に来られてうれしい。沖縄の風はファンタスティックだ」と充実した笑顔を見せた。同レースには横浜市の佐藤明さん(29)と東京都の米田圭一郎さん(61)が出場している。

小型ヨットで地球一周へ=「大勢の夢を乗せて走る」岡山の滝本さん

2000/10/16 [時事通信社]
 岡山県倉敷市在住の滝本秀人さん(38)が近く、全長6.5メートルのヨット「夢丸」に乗って2年がかりの単独地球一周に出発する。夢丸は子供ら500人以上の手形で彩られており、滝本さんは「大勢の夢を乗せて走る。2年後、船体の手形と手を合わせてみて、成長を確かめてほしい」と意気込む。 滝本さんがヨットを始めたのは23歳のころで、たまたま知人の誘いを受け、乗ってみたのがきっかけ。以来、ヨットを趣味として続けてきたが、1997年5月にはサラリーマンを辞め、本格的に取り組むようになった。去年はオーストラリアのメルボルンから大阪に向かうレースに出場し、完走した。

 夢丸の「夢」には「みんな(ユー・アンド・ミー)」という意味が込められている。9月中旬には1000人を超える地元住民らが港に集まり、船体に子供ら525人の手形と犬6匹の足形が特殊ペンキでスタンプされた。滝本さんを支えるヨット仲間によるボランティア組織の代表で、岡山理科大学助教授の高野洋志さん(50)は「自分で行けない代わりにやってもらう。コースの計画や検討を一緒に行うことで、気分は味わえる」と話している。

 滝本さんは早ければ10月下旬にも岡山県牛窓町の港から東南アジア方面に向け出発。インド洋、紅海、スエズ運河を通って地中海に入り、来年9月までにはフランス西部のラロシェルに到着する。その後、同地をスタートして北アフリカ沖合のカナリア諸島を経由し、カリブ海西インド諸島をゴールとする「大西洋単独横断ヨットレース」に参加。さらにパナマ運河を通過して太平洋に入り、イースター島やタヒチ、グアムなどを経て2002年7月ごろ、牛窓町に帰還する予定だ。

鹿島さんのコラーサ号帰国 〜354日・地球をひとまわり〜

2000年07月07日 by MBS Internet ナウ

故障で単独無寄港は断念

2000年5月1日 16時58分
 世界最高齢での、ヨットによる単独無寄港世界1周に再挑戦している大阪府阪南市の鹿島郁夫さん(70)から「帆げたが折れて航海は困難。オーストラリア沖で修理部品の補給を受けたい」との連絡が、1日までに後援会に入った。8日にも、洋上で補給する予定。国際ヨットレース連盟の規定で、外部から援助などを受けると単独無寄港航海とは認められないためギネスブックへの申請は難しくなった。

世界の帆船、北海に船出

1999年8月13日 8時39分【ラーウィック共同通信社 】
 北海などを舞台にした「カティサーク世界帆船レース99」の第2レースが12日午後、スタート。英国・シェトランド諸島のラーウィックからデンマーク・オールボーに向けて、20カ国のヨット、帆船がグループごとに次々と出港した。日本人の男女9人が乗り込んだオランダ船籍の「スワン」も数千人の市民が見守る中、港内を数隻の帆船とともに列をつくり、パレード。

帆船レースのクルー決まる

1999年7月12日 18時14分 共同通信社
 40年以上の歴史がある世界的な帆船レースで、7月から8月にかけ北海などを舞台に行われる「カティサーク世界帆船レース99」に日本から参加する男女クルー9人が12日、決まった。

 レースは国際セイルトレーニング協会の主催で、今回は20カ国から100隻を超える帆船と、3000人以上のクルーが参加する。

世紀を越え世界一周レース

1999年5月8日 11時30分 共同通信社
 ヨットによる単独無寄港世界一周を初めて達成した英国人のロビン・ノックスジョンソンさん(60)が、2000年から2001年にかけ開催する世界一周ヨットレースに、横浜市の不動産業山本梧人さん(50)が参加することが、8日までに決まった。山本さんは『ヨットで世界一周するのが長年の夢だった』と大変な喜びようだ。

      

 レースは12人乗りの40フイート艇、15人乗りの60フイート艇各8隻の同型ヨットが用意され、来年10月に英国・ポーツマスをスタート。

堀江謙一さん、いよいよ日本へ 単独で太平洋横断

2:57p.m. JST July 05, 1999
 9度目の太平洋横断に挑戦している海洋冒険家堀江謙一さん(60)が5日朝、徳島県海南町の東南東約25キロの海域に達し、ゴールの明石海峡大橋まであと約150キロになった。しかし、紀伊水道の入り口で強い風や波に見舞われ、ここ1日ほど前進できていない。到着は今後の天候次第だが、近日中になる見込みだ。

 「20世紀最後の太平洋ひとりぼっち」(サントリー協賛、朝日新聞社など後援)と題した航海。堀江さんのヨット「モルツマーメイド2号」は、高さ3メートルほどの波にもまれ、大きく左右に揺れていた。強い向かい風を避けるため、2枚の帆はたたんでいる。取材ヘリが近づくと、堀江さんは船室から姿を見せ、船尾の風力発電装置の支柱につかまりながら、にこやかに手を振った。サンフランシスコを出港してから3カ月余り。堀江さんは真っ黒に日焼けしていたが、元気そうだった。

 「モルツマーメイド2号」はステンレス製ビアだるをつなぎ合わせた双胴型で、ペットボトルのリサイクル材を利用するなど、環境保護をアピールしている。

堀江さんがハワイを出帆

1999年4月30日 11時30分 共同通信社
 太平洋を単独で横断中に米ハワイに寄港した海洋冒険家、堀江謙一さん(60)は、29日午前11時(日本時間30日午前6時)すぎ、ビールの空きだるを利用したリサイクルヨット『MALT マーメイド2号』でハワイ・ヨットクラブを出帆した。目的地の明石海峡大橋には7月上旬ごろ到着する予定。

 出帆に先立ち、ハワイ州議会下院から、環境問題の取り組みを評価されて表彰状が贈られた。堀江さんは『体調はベスト。平常心で臨みます』語った。

大阪港に向けてスタート

1999年4月17日 13時20分共同通信社
 オーストラリア・メルボルン港〜大阪港間で4年ごとに行われている2人乗りヨットレース『OSAKA CUP』が17日、始まった。日本、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアの4カ国の20艇が大阪港までの約5500カイリ(1万 200キロ)の完走を目指す。

 この日はメルボルン港内で約55キロのレースを競い、18日午後3時半(日本時間午後2時半)に大阪港に向けて出航する。到着は5月中旬から6月初旬となる見込み。

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