TOPIC No.3-10c-4 '99年10月-11月(東海村 臨界事故)

東海村、歓迎塔から「原子力の街」の文字撤去

9:42p.m. JST November 17, 1999
茨城県東海村が、隣接自治体との境界付近に設置している歓迎塔から「原子力の街」の文字を撤去した。村内に13の原子力関連施設を抱え、これまでは「日本の原子力発祥の地」と積極的にPRしてきたが、ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所での臨界事故の後、村民から「看板を見るだけで気分が悪くなる」などと撤去を求められていた。村側は「原子力を否定するわけではない」と説明している。
歓迎塔は1985年の「つくば万博」の際、国道6号沿いなど4カ所に設置された。「ようこそ 原子力の街 東海村へ」と書かれていた。
村によると、臨界事故後、住民から「まだあの看板をつけておくのか」「事故があったのに『原子力の街』とアピールしてどうする」などと苦情が相次いだ。村としても、「原子力について考える時間が必要だ」と判断し、今月上旬、「原子力の街」の部分を撤去。「ようこそ」の部分を下に移動させた。

JCO操業停止で二酸化ウラン全量を米国から購入

03:05a.m. JST November 17, 1999
茨城県東海村のウラン加工会社「ジェー・シー・オー」(JCO)で起きた臨界事故の影響で、同社から二酸化ウランを調達し、原子力発電所向けに核燃料体を製造する「日本ニユクリア・フユエル(JNF)」(本社・神奈川県横須賀市)は16日、来年1月をめどに二酸化ウランを全量、米国から輸入する方針を固めた。JCOの操業停止により二酸化ウランの調達が滞るのを避けるため。国産核燃料はコストの面で米国などに比べ割高で不利になっていたが、臨界事故を機に国が掲げる国産路線は曲がり角を迎えた形だ。
JNFに出資する東芝などは、国内の原発の半数以上を占める沸騰水型炉(BWR)に必要な核燃料の加工工程は当面、海外工場に依存せざるを得ない、と判断した。
JNFには東芝、日立製作所、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の3社が出資する。JNFはこれまで、年間約450トンの二酸化ウラン粉末をJCOと、GEのウィルミントン工場(米ノースカロライナ州)から半分ずつ購入し、3社が製造するBWR向けに核燃料の成型加工を手がけてきた。
関係者によると、新しい調達計画は、GEのウィルミントン工場からの調達を従来の倍に増やし、JCO分を穴埋めする。同工場はGE向けの二酸化ウランも製造しているが、GEは一部を他社からの調達に切り替え、JNF向けの生産を優先するという。
一方、JNFに出資する東芝などは、二酸化ウランの全量を一工場から調達することについて、「万が一の事故が起きた場合、調達に支障が出る」としており、今後は欧米の他社からの調達も取り入れ、リスク分散を図る。

中性子線測定局新設へ

1999年11月15日 19時13分 共同通信社
東海村臨界事故で中性子線の測定が遅れたことを受け、茨城県は15日までに、中性子線の常時測定局を東海村とその周辺に約20カ所新設するとともにガンマ線測定局も約30カ所増設する方針を決めた。
県は近く設置場所の選定を開始するが、中性子線の測定装置は1台約1100万円するため、国の第2次補正予算成立後、本格的整備に着手する。

東海村でも住民説明会

1999年11月14日 20時12分 共同通信社
東海村臨界事故で科学技術庁は14日午後、前日の那珂町に引き続いて、東海村の住民を対象とした説明会を村立東海南中学校体育館で開いた。
約350人の住民が出席,あいさつに立った村上達也村長が「村も初期の対応が遅れた」とわびた上で「科技庁の説明に隠しているようなことはないと思う」と住民の不安感の打ち消しに努めた。

臨界事故で科技庁が地元説明会 予想上回る住民

991113 by朝日新聞
 茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所での臨界事故を受けて、科学技術庁は13日、村に隣接する那珂町で、住民を対象にした同庁としては事故後初めての健康影響に関する説明会を開いた。事故現場周辺地域には年間許容限度を超える量の放射線が出ていたことが明らかになった後だけに、同庁の予想を上回る230人余りが詰めかけた。
冒頭、同庁原子力安全課の広瀬研吉課長が「ご心配をおかけしたことに、心よりおわびを申し上げたい」と住民に頭を下げた。その後、同課長や放射線医学総合研究所(放医研)の研究員らが、人体への放射線の影響について説明した。

臨界事故怖いと出場やめる

1999年11月13日 16時46分 共同通信社
日本とオランダの交流400周年を記念し、北海道阿寒町の阿寒湖で来年2月に開かれる「阿寒国際スケートマラソン」に、オランダから参加を予定していた約600人のうち約200人が「茨城県東海村で起きた臨界事故の影響が怖い」と、出場をキャンセルしていたことが13日分かった。

被ばく医療の拠点さらに必要 日本救急医学会がセミナー

10:07p.m. JST November 11, 1999
東京都内で開催中の日本救急医学会で11日、放射線に被ばくした患者の医療を話し合う緊急セミナーがあった。会場から発言した青木芳朗・原子力安全委員(元東大医学部教授)は「原発は各地にある。適切な所に医療のネットワークが必要だ」と述べ、放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)以外に、西日本にも拠点病院と協力施設が連携したネットワークが必要との見方を示した。
セミナーでは、重症患者の治療に携わる前川和彦・東大教授らが参加して治療経過を説明した。
会場からの「事故はまた起きるか」との質問に、青木さんは「私は起きると思っている。放医研1つで(被ばく医療全般を)担うのは無理」と指摘した。
今回の事故では、放医研と東大病院など、関東地方の医療施設が中心になった「緊急被ばく医療ネットワーク会議」が患者の治療にあたっているが、西日本には、放医研のような拠点病院がない。

科技庁、被ばく住民への線量推定結果を5日後に説明

10:27p.m. JST November 09, 1999
茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起こった臨界事故で、科学技術庁の事故調査対策本部は、ナトリウム24を測定して被ばくを確認した一般の住民らに対して、それぞれが受けた被ばく線量の推定結果を、9日になって初めて説明したことを明らかにした。
被ばくが確認された住民7人と消防職員3人については、核燃料サイクル開発機構の事故直後の測定をもとに、事故調査対策本部が今月4日、被ばく線量の推定値をまとめ、個人を特定しない形でデータを公表していた。核燃機構が4日と5日に連絡したというが、科技庁から本人に正式な連絡はなかったという。科技庁は9日、東海村に連絡を取り、科技庁の担当者2人を派遣、村職員、核燃機構職員とともに、資料を携えて説明に行った。
科技庁の広瀬研吉原子力安全課長は、この日の説明で住民から「わかった段階できちんと説明されるべきではないか」と不満の声が上がったことを明らかにしたうえで、「配慮が足りなかった。説明の際に、皆さんにもおわびしたが、大変申し訳ないと思っている」と述べている。
この日は、住民1人と消防職員2人が不在だったため、改めて説明するとしている。

東海村の臨界事故で原子力事業が足踏み 東京電力

11:44p.m. JST November 08, 1999
臨界事故を契機に、東京電力の原子力事業が足踏み状態になっている。柏崎刈羽原発3号機のプルサーマル計画が1年遅れる見通しになったほか、福島第1原発7、8号機の増設計画もとん挫している。原発で貯蔵しきれなくなった使用済み核燃料を一時的に原発の敷地外に保管する「中間貯蔵」も、目標としていた年内の候補地選定がほぼ絶望的になった。東電は「JCOのような事故は原発ではありえない」としながらも、「いまは信頼回復に努めるしかない」としている。
東電によると、柏崎刈羽原発3号機のプルサーマル計画は、今年4月の柏崎市からの事前了解では、実施時期が「2000年から2001年」になっていた。同社は定期検査などにあわせて2000年4月からの稼働を目指していたが、今回の事故を受けて柏崎市が改めて「2001年に延期」を打ち出したため、東電は「地元の要望は尊重せざるをえない」としていた。
福島第1原発の7、8号機は今年4月に環境アセスメントの結果を地元自治体に報告し、地元の同意をもらうために事前申し入れを行う時期を模索していた。しかし、「最悪のタイミング」で臨界事故が起こり、しばらくは申し入れが困難な情勢になった。中間貯蔵については6月に法律が成立し、東電はすでに候補地を絞り込んでいたが、「事故が起こったことで、自治体が公表できる状況でなくなった」という。
ただ、原子力事業が行き詰まる一方で、同社の電力需要は景気低迷などで伸び悩んでいることもあり、発電所の新規立地の緊急性は薄れている。電力業界は今後、核燃料施設なども巻き込んで、原子力の安全文化を共有するための新しい組織をつくる計画で、東電の幹部は「こうした組織を通じて、信頼回復に向けて地道な取り組みを積み上げていくしかない」と話している。

放射性物質含んだ煙感知機分解を無届けの下請けに依頼

11:01p.m. JST November 08, 1999
埼玉県妻沼町妻沼の防災機器の大手メーカー「能美防災」(本社・東京)のメヌマ工場で、放射性物質を部品に含んだ煙感知器を廃棄する際、法律に定められた届けをせずに下請け会社に分解させ、この部品を取り外させていたことが8日、明らかになった。科学技術庁は、同社に対して安全管理を徹底するように行政指導している。
科学技術庁などによると、これらの煙感知器には煙の発生を感知するため、微量の放射線を出す「線源」として放射性物質のアメリシウム241を組み込んだ部品が使われている。能美防災は群馬県新田町の「石原テクノ」(石原一彦社長)に建物の改築などで不要となった感知器の分解を下請けさせ、1997年6月から今年9月までの間に計約36万個を分解させていた。放射線障害防止法では、放射線の強さが一定量(3.7メガベクレル)を超える場合には同庁への届け出が必要とされ、感知器約100個で3.7メガベクレルに達するのに同社は必要な届けをしていなかった。同庁によると、アメリシウム241による人体や環境への影響はほとんどないという。

被ばく者に染色体検査

1999年11月8日 17時55分 共同通信社
東海村臨界事故で科学技術庁は8日までに、被ばくした69人のうち、既に入院中の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)作業員3人を除く66人が浴びた放射線量を調べるため、リンパ液を採取して染色体検査を始めた。
染色体は、被ばく量に比例して異常がみられるとされており、発がんリスクとの因果関係も指摘されている。

臨界事故で入院の篠原さん、放射線やけどの悪化が止まる

8:34p.m. JST November 05, 1999
茨城県東海村の臨界事故で大量の放射線を浴びた篠原理人さん(39)について、東京大学医科学研究所病院の医師団は5日、放射線によるやけどの悪化が止まったことを明らかにした。篠原さんは手、足、顔面、首にやけどがあり、面積が広がり続けていたが、数日前から拡大が止まったという。ただ、やけどが治る傾向はまだ見えず、医師団は「回復というのはまだ早い」と話した。
やけどは水膨れの状態になったあと、はがれつつあり、医師団は悪化の頂点は過ぎたとみている。しかし、手や足に強い痛みが続いている。
放射線で破壊された血を作る機能を取り戻すため、10月9日にさい帯血移植を受け、これが成功して造血機能はほぼ回復した。しかし、肺の炎症は被ばく1カ月後から現れることが多いなど、予断を許さない状態であることは変わっていない。

93年メモは会社ぐるみで作成 JCO臨界事故

11:26p.m. JST November 04, 1999
臨界事故の起きた茨城県東海村のJCO東海事業所で、1993年に作成した作業手順のメモにステンレス製バケツの使用が記されていた問題で、同社の宮嶋良樹取締役は4日、このメモが当時の製造部と技術部の担当者数人で協議したうえで、社内で組織的に作成されていたことを明らかにした。
メモの表題は「常陽第6次溶液製造手順書」で、8項目からなっていた。バケツの使用だけでなく、ウラン溶液の「加熱」や「ろ過」など、科学技術庁に届け出ていない手順がいくつも記されていた。その後に作成された「裏マニュアル」のもとになった可能性が高く、原子炉等規制法の許認可違反容疑などで捜査している茨城県警は、会社の関与を裏付ける証拠として関心を示している。
宮嶋取締役によると、メモが作成された93年1月は、5年ぶりに転換試験棟で高速実験炉「常陽」用の燃料を製造することになった時期で、さらに同棟の管理が91年10月に、技術部から製造部に移行してから初めての操業となった。
このため、作業を開始する前に、技術部と製造部の担当者数人が集まり、製造担当者に作業手順をわかりやすく解説する目的で協議してまとめたという。宮嶋取締役は「決して独断でつくられたものではなく、社内である程度の協議の上で作成された。作業員らにはこのメモで手順を説明したはずだ」と話している。

損害賠償法幅広く適用

1999年11月4日 13時53分 共同通信社
参院は4日午前の本会議で、小渕恵三首相の所信表明演説に対する代表質問に入った。首相は茨城県・東海村臨界事故での住民被害について「身体の障害や物の損傷を伴わない損害であっても、放射線の作用の間に相当の因果関係が認められれば賠償対象となる」と述べ、原子力損害賠償法を幅広く適用し被害者救済に万全を尽くす考えを示した。

敷地境界で限度の75倍

1999年11月4日 19時37分 共同通信社
核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故で、科学技術庁の事故調査対策本部は4日、同事業所の敷地境界付近に人がいた場合の被ばく線量は、最大に見積もると事故から25分間で一般人の年間被ばく線量の許容限度(1ミリシーベルト)の75倍に当たる約75ミリシーベルトに達した恐れがある―などとする推定結果をまとめ、原子力安全委員会に報告した。

ビーカーの中でも核分裂反応 JCO臨界事故

9:44p.m. JST November 01, 1999
茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故で、現場近くのビーカーに残っていたウラン溶液の分析結果が1日、原子力安全委員会(佐藤一男委員長)に報告された。ウランの核分裂でできるジルコニウム95やヨウ素131、バリウム140など5種類の放射性物質が見つかり、ビーカーの中でも核分裂反応が起こっていたことが確かめられた。臨界に伴って沈殿槽内から放出された中性子がビーカー内のウランにぶつかり、核分裂反応を引き起こしたとみられ、臨界の規模を推定するためのデータの1つになりそうだ。
ビーカーの中には、ウラン溶液約290ミリリットルが残っており、これを日本原子力研究所が分析した。JCOは、ウラン酸化物をステンレス製のバケツで硝酸に溶かした後、溶液をこのビーカーに移し、沈殿槽に入れてかくはんしようとした、とされる。
溶液中のウラン濃度は1リットル当たり約630グラムで、JCOがつくったとされる溶液の同約370グラムと比べ、かなり濃かった。事故発生から分析実施までの約1カ月間に、水分が蒸発したことなどが原因として考えられるという。

臨界事故で親会社の住友金属鉱山を家宅捜索へ 茨城県警

03:15a.m. JST October 30, 1999
茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故で、茨城県警の捜査本部は29日、JCOの企業責任を追及する裏付け捜査の一環として、親会社である住友金属鉱山(本社・東京都港区)を家宅捜索する方針を固めた。JCOは住友金属鉱山の100%子会社。
捜査本部はこれまでに、業務上過失傷害と原子炉等規制法違反の容疑で、JCOの現場作業員の副長(54)や、問題の作業について事故前に相談を受けたとされる製造グループ関係者ら、七十数人から事情を聴いたという。
JCO東海事業所は住友金属鉱山の核燃料事業部東海工場が前身。1979年に日本核燃料コンバージョンとして独立し、昨年、現在の社名に変更した。今年6月に就任した木谷宏治社長をはじめ、社員約110人のうち、役員を含む二十数人が住友金属鉱山の出身という。
JCO東海事業所の敷地内には住友金属鉱山のエネルギー・環境事業部技術センターもあり、捜査本部では都内の本社と同センターなどを捜索する方針だ。

東海村と那珂町が120人を被ばく認定 長期健康調査へ

03:17a.m. JST October 30, 1999
茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」の臨界事故で、茨城県と東海村、那珂町は、事故で被ばくした住民を確定し、遺伝子への影響を調べるDNA検査や長期の健康調査を継続するための「被災地住民登録」を開始した。実質的な被ばく者登録に当たる。事故発生時、現場から半径350メートル付近にいた住民や勤務者ら約250人をはじめ、通行人、通過車両も対象に、県などが行動調査をし、科学技術庁が算出中の臨界の規模、放射線量と照らし合わせるなどして、登録者を確定する。東海村と那珂町はすでに、事故当日に避難所を利用した120人については「放射線を浴びた可能性が高い」と判断して登録した。県などは、登録者には今後10年以上の健康調査が必要としており、科技庁や厚生省と財源や具体策を協議する方針だ。
科技庁の調査では、今回の被ばく者数は69人とされてきた。内訳は、JCO関係者59人、救急隊員3人、付近の建設会社社員7人。住民については直後の詳細な検査が実施されなかったため、何人被ばくしたか不明だ。
科技庁は臨界が起きた「沈殿槽」に残ったウラン溶液を採取して、臨界の規模や周囲に放出された中性子線の総量などを算出中だ。県などはこの結果によっては、被ばく者数が大幅に増える可能性が高いとみており、登録制度を運用することにした。
被災地住民登録は、科技庁が医療関係者向けにまとめた「緊急時医療の知識」をもとに、県が防災計画で定めている。原子力災害が起きた場合、避難住民らを対象に、「事故発生時の状況の記録」と「医療問題や損害賠償問題が生じた際の資料」とすることを目的に、市町村などが聞き取り調査をして、住民の登録を進めるとしている。
聞き取り調査は、事故発生から10分間ごとの居場所、手や体を洗浄した時期など除染の方法、避難した道順や手段など、事故当時の行動が中心となる。これに、事故時の放射線量データなどを照らし合わせることで、被ばくの有無や放射線を浴びた量などが分かり、登録者が確定される。線量が高ければDNA検査なども実施する予定だ。
調査の対象は、事故時に避難区域に指定された半径350メートル内の東海村と那珂町の全住民約150人、同区域内の企業など11法人の社員ら約100人。付近の通行人や通行車両の運転者も調査したい考えだが、事故時に付近を通過した車両については、特定方法を検討している。
この登録は、法律に基づいた制度ではないため、県などは今後、他県などに転居する登録者も含め、長期にわたる健康追跡調査を続けるには、国の早急な法制化が急務としている。

「原子力は恐ろしいもの」東海村長が住民意識の変化報告

9:30p.m. JST October 29, 1999
茨城県東海村の村上達也村長は、29日開かれた原子力安全委員会の臨界事故調査委員会に出席、「原子力とともに発展するというのが村づくりの基本だったが、原子力は恐ろしいものだという意識が住民に芽生えてきた。荷が重いと感じる。今の安全規制行政が果たして十分なのか。規制行政の独立を原則に、小出しの改革でなく抜本的な改革を改めて求めたい」と訴えた。
村上村長は「JCOが違法操業をしていたから事故が起こったとしてはいけない。原子力行政に問題があったと思う。臨界は起こり得ないという判断があったようだが、海外では起きている。その教訓を政策に取り入れてこなかった」と指摘。さらに危機管理体制について「事故後にいろいろな本部ができたが、意思決定が非常に遅かった。(350メートル圏内の住民に対する)避難要請は貧弱な知識をもとにやらざるを得なかった」と述べた。

ウラン溶液残量はホース内に逆流? JCO臨界事故

9:58p.m. JST October 27, 1999
科学技術庁は27日、臨界事故が起きた茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の転換試験棟内の立ち入り調査を前日に続いて実施した。記者会見したJCOによると、作業は同社があたり、ウラン溶液を作ったステンレス製バケツ内の溶液残量は約2.7リットルと確認された。当初の推定量は約40リットルとされており、沈殿槽に残っていたウラン溶液約20リットルと合わせてもかなり少ない。残りの溶液についてJCOは、臨界を止めるためにホウ酸水を注入したホース内に、沈殿槽から逆流した可能性が高いとみている。
また、この日の調査では作業員のリーダー格の副長(54)が使っていた操業記録類が回収され、中身が撮影された。臨界事故を起こした作業内容などが書かれている可能性があり、中身が注目されるが、JCOは写真は公開せず、科技庁と茨城県警に提出することを明らかにした。操業記録は放射能をおびている可能性があるため、東海事業所内の別棟に保管したという。

原子力の安全確保に自戒

1999年10月26日 12時29分 共同通信社
「原子力の日」の26日、原子力の安全確保に尽力した個人、団体に贈られる原子力安全功労者への科学技術庁長官賞の表彰式が都内で開かれ、出席者からは先月30日の東海村臨界事故を機に、原子力安全に一層の自戒を求めるあいさつが相次いだ。同賞は1981年に創設され、今回で19目の表彰。

茨城県JAが賠償請求

1999年10月25日 18時10分 共同通信社
茨城県農協中央会などでつくる県JA災害緊急対策本部は25日、東海村臨界事故の影響で県内の農協が農産物の出荷停止などに追い込まれ、計約2億7700万円の損害が生じたとして、核燃料加工会社JCOに賠償請求することを決めた。29日にJCO東海事業所に申し入れる。

健康アンケート公表せず

1999年10月24日 20時01分 共同通信社
東海村臨界事故から9日目に同村の茨城県立東海高校(川松正弘校長、697人)が生徒を対象に実施した健康アンケートの結果を公表しない方針であることが24日、分かった。
 同日、同県大洗町で開かれた県高教組の教研集会で東海高校関係者が明らかにした。集会参加者からは「生徒や父母に結果を知らせるのは当たり前。なぜ公表しないのか」との声も上がった。

「水抜き作業は特攻隊」

1999年10月23日 18時56分 共同通信社
反原発運動を進める市民グループ「原子力資料情報室」の高木仁三郎理事が主宰する勉強会「高木学校」が23日、都内で開かれ、同理事が核燃料加工会社ジェー・シー・オーの臨界事故について報告した。
高木理事は臨界を終息させた水抜き作業について、作業員の高い被ばく量を示しながら「神風特攻隊のように突っ込ませるのは信じられない。」と疑問をぶつけた。

原子力PRで対応に苦慮

1999年10月23日 15時59分 共同通信社
東海村臨界事故の影響で、26日の「原子力の日」を前に、原子力に関するPRやイベントをどのように実施するか各電力会社や資源エネルギー庁が対応に苦慮している。原子力の日は1963年10月26日、東海村で日本原子力研究所の動力試験炉が日本初の原子力発電に成功したことなどにちなんで64年に国が定めた。例年この日を挟んだ約1カ月間、電力会社などが各種のイベントを行っている。

ミス前提の規制が必要

1999年10月23日 9時40分【ワシントン共同通信社】
東海村臨界事故を調査した米エネルギー省の専門家3人が22日、記者会見し、事故を防止できなかった一因として、作業員がミスを起こすことを前提としていない日本の原子力規制の問題点を指摘した。同省サバンナリバー事務所のマッコイ副所長らで、今月16日から20日まで日本を訪れ、科学技術庁や事故を起こしたJCOの関係者から事情を聴いた。

科技庁、東海村核臨界事故の反省点を報告

9:45p.m. JST October 22, 1999
茨城県東海村のJCOで起きた臨界事故について、科学技術庁は22日、臨界事故を想定していなかったことが政府の初動の遅れにつながり、周辺住民に対する避難要請が村任せになった、などの反省点をまとめ、同日開かれた原子力安全委員会の事故調査委員会に報告した。検討を進めている原子力防災法案(仮称)に報告の内容を生かす。
反省点の第1に、現行の安全委がまとめた防災指針(原子力発電所等周辺の防災対策について)にも、政府の防災基本計画に基づく「原子力災害時の緊急時対応マニュアル」にも、燃料加工施設の臨界事故が想定されていなかったことをあげている。
この結果、今回の事故でも中性子線の測定や防護への備えがなく、政府の対策の初動も遅れた。このため、臨界が続いているといった事態を把握するまでに長時間かかった。さらに、周辺住民に対する政府としての有効な対策を打ち出せず、東海村が独自に避難要請をせざるを得なかった、としている。
また、同日の事故調査委では、現場の事故対策本部と村、県、政府との連携が不十分だった点も議論された。
事故調査委は、科技庁と通産省が共同で進めている原子力防災法案づくりに役立つよう、早急にこうした反省点を整理する。

防衛庁、原子力事故対策で初の偵察訓練実施へ

03:04a.m. JST October 22, 1999
防衛庁は21日、茨城県東海村のJCO東海事業所の臨界事故を受け、今年度の第2次補正予算案に盛り込む原子力事故対策をまとめた。放射線に対する化学防護車の防護機能を強化するほか、事故を想定した陸上自衛隊による初の偵察訓練の経費を計上するなど、事故への対処能力の向上を図る。核攻撃を受けた場合の偵察訓練はこれまでも実施してきたが、原子力事故を想定した訓練は初めてだとしている。
JCOの事故では、陸上自衛隊101化学防護隊(大宮)から隊員らが事故現場近くの勝田駐屯地に派遣されたが、化学防護車が中性子線を防げないこともあり、十分な活動ができなかった。このため、2次補正では防護車の改良や、放射線防護メガネ、防護エプロンなどの装備も充実させる。また、原子力事故に対応した経験が少ないため、米国に自衛隊員らを派遣し、研修することも検討している。

JCO臨界事故のウラン溶液は当初推定の半分 科技庁

7:19p.m. JST October 21, 1999
茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故で、科学技術庁の事故調査対策本部は21日、転換試験棟内の沈殿槽に入っていたウラン溶液はちょうど臨界に達する20リットル程度とみられると、国の原子力安全委員会に報告した。これまで想定されていた約40リットルの半分だ。
20日の沈殿槽からのウラン溶液採取時に、内部に37リットルの液体が入っていることがわかった。臨界停止のため注入したホウ酸水が約17リットルだったことから、その分を差し引き、ウラン溶液は20リットル程度と推定。事故による飛散や蒸発はほとんどないとみている。
科技庁は「周囲に置かれたバケツやろ過器などにウラン溶液が残っているらしく、沈殿槽内は当初考えていた量より少なかった。ただ、ホウ酸水を入れたときにホースを伝って溶液が外に漏れた可能性もあり、20リットルよりもう少し多いかもしれない」と話している。
これまで、作業員からの聞き取り調査などから、約40リットル(ウラン量で約16キロ)の溶液が入っていたと考えられていた。溶液の臨界量は約20リットル程度(ウラン量で約8キロ)前後とみられるが、ほぼこの量で臨界に達したことになる。
同委員会では、JCOが転換試験棟を近くコンクリート塀で囲む予定であることも報告された。現在、土のうで遮へいしているが、さらに外部への放射線漏れを少なくするための措置という。

中性子線測定の遅れ、科学技術庁認める 衆院科技委

10:01p.m. JST October 19, 1999
茨城県東海村で起きた臨界事故について、国会での初の集中審議が19日、衆議院の科学技術委員会で開かれた。複数の委員が、事故当日、科学技術庁による中性子線測定の指示がなかったことを指摘し、科技庁もこれを認めた。一方、中曽根弘文・科技庁長官は、事故における科技庁の責任について、庁内関係者の処分を検討する意向を明らかにした。
民主党の松沢成文委員は、事故当日午後2時に開かれた原子力安全委員会で、住田健二委員長代理が「臨界が続いている可能性がある」と指摘したことに触れ、「科技庁はこの時点ですぐ中性子線測定を指示すべきだった。中性子線測定は、日本原子力研究所が茨城県に必要性を伝え、県が核燃料サイクル開発機構に依頼して初めて調査していた」と述べた。
共産党の吉井英勝委員も「有馬朗人前長官が『臨界と聞いた段階で、中性子線を測定しているか確認しなかったのが失敗だった』と言っている」と、臨界反応の指標になる中性子線の測定の遅れを指摘した。
これに対し、間宮馨・原子力安全局長は「通常、臨界は1回で終わる。ガンマ線は減り気味で、収まると考えていた」と述べ、中性子線測定の指示をしていなかったことを認めた。
危機管理体制ができていなかったとの質問に、中曽根長官は「私も十分だったと思っていない」と述べ、緊急時の対応に課題を残したとの認識も示した。

JCO社長ら国会で謝罪

1999年10月19日 19時17分 共同通信社
核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故で初の集中審議が19日、衆院科学技術委員会で行われ、参考人として招かれたJCOの木谷宏治社長は「あってはならない重大事故を引き起こし、大変申し訳ない。断腸の思いだ」と陳謝した。中曽根科学技術庁長官は、科技庁の責任や国側の関係者の処分方針について「極めて厳粛に受け止めている」と答弁。

JCO事故補償問題で政府が紛争審査会を設置へ

9:42p.m. JST October 18, 1999
政府は18日、茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故の補償問題を解決するため、原子力損害賠償法に基づく紛争審査会を設置することにした。原子力事故に関して同審査会が設けられるのは初めて。19日の閣議で正式に決める。
今回の事故では、JCOの従業員が大量被ばくしたほか、企業の休業などさまざまな影響が出ている。原子力関連の事故補償金は、同賠償法に基づき、原子力損害賠償責任保険の保険金が充てられることになっている。しかし、「損害と放射線の影響に、相応の因果関係がある」ことが条件で、支払いをめぐり紛争が起きる可能性がある。
設置される紛争審査会は、紛争が生じた場合、審査の上、補償金を支払うべきかどうかを決める。法律家や医療関係者ら10人で構成する。

ホウ酸水注入後初めて放射線量測定 JCO事故現場

11:49p.m. JST October 18, 1999
茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故で、18日、JCO社員が1日のホウ酸水注入以来初めて、事故現場の転換試験棟に入り、放射線量(ガンマ線)を測定した。科学技術庁事故調査対策本部によると、臨界が起きた沈殿槽がある仮焼還元室内の入り口で、1時間あたり15ミリシーベルト、沈殿槽の真上で55ミリシーベルトだった。
同本部は、室内で短時間作業することが可能な放射線量だったとしており、早ければ20日にも、沈殿槽からウラン溶液を採取したいとしている。

JCO事故現場の転換棟、短時間なら作業可能

10:42p.m. JST October 18, 1999
茨城県東海村の「ジェー・シー・オー」(JCO)東海事業所の臨界事故で、科学技術庁事故調査対策本部は18日、JCO社員が事故現場の転換試験棟に入り、放射線量(ガンマ線)を測定した結果、室内で短時間作業するのは可能なレベルだった、と発表した。科技庁は、今回の結果を受け、早ければ20日にも、臨界が起きた沈殿槽からウラン溶液を採取したいとしている。
同対策本部によると、放射線量は、沈殿槽がある仮焼還元室内の入り口で、1時間あたり15ミリシーベルト、沈殿槽の真上で55ミリシーベルトだった。科技庁は、作業時の被ばく線量を10ミリシーベルトまでに抑えたいとしており、今回の結果から、短時間であれば作業ができると判断している。
沈殿槽のウラン溶液採取は、溶液内の核分裂生成物の濃度を測定することで核分裂の回数や、事故期間中の中性子線の分布などが推定でき、周辺環境への影響の程度を把握できる。

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