TOPIC No.3-10c-3 '99年10月(東海村 臨界事故)


中性子線の影響を学術グループがまとめる 臨界事故

03:10a.m. JST October 17, 1999
 茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で起きた臨界事故で、現場周辺での中性子線の影響を調べている学術調査グループ(代表・小村和久金沢大学教授)は、金製品の分析から、現場から約2キロ離れた地点での影響は、航空機で太平洋横断を数回繰り返したときに宇宙線によって受けるのと同じくらいと推定される、という暫定報告をまとめた。

 グループは、金が中性子線を受けると、ごく一部が放射性の金198に変わる「放射化」現象を調べた。放射化の程度から、臨界状態が続いた間に金製品があった場所を通過した中性子の総数を推定したところ、現場から2300メートル離れた地点では1平方センチあたり数千個程度となった。

 一方、グループは現場から800メートルの地点では同23万個前後、320メートル地点では同約680万個と推定した。いずれも、2300メートル地点より多いが、人体への影響を知るには、中性子の速さなども調べる必要があるため、さらに研究が必要という。原子力安全委員会の事故調査委員会も、同様に中性子について分析を進めることにしている。

許可量以上のウラン使用 違法性を認識せず JCO

10:31p.m. JST October 16, 1999
 茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故で、1度に16キロ程度のウランを扱う違法作業を日常的に続けていたことが科学技術庁の調査で分かったことについて、同社の小川弘行・製造部計画グループ長は16日の記者会見で、「許認可上、抵触するとは思っていなかった」と語り、ウランの扱いがずさんだったことが浮き彫りになった。

 同事業所は1度に2.4キロ以下のウランしか扱わないことを前提に事業許可を得ていた。

 しかし、16日の会見で、小川グループ長は、前段階の精製工程の貯塔での作業は2.4キロ分のウランしか1度に使ってはいけないが、今回事故が起きた最終工程の貯塔での作業は別で、16キロのウランを入れるのは正規の手順だと考えていたことを明らかにした。

 さらに、1995年と96年に今回と同様の製品を製造したときも、1度に大量のウランを貯塔に入れていたことを認めた。事業所として違法性を認識しないまま、日常的にウランの大量投入がなされていたことになる。

ネット上で手記や相談

1999年10月16日 9時49分 共同通信社
 茨城県東海村の核燃料加工施設ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で起きた臨界事故で、現場近くの住民が日々の思いをつづったり、原子力業界の社員が事故に関する相談に答えたりするインターネットのサイトができ、アクセスが急増している。

IAEAが放医研訪問

1999年10月16日 11時23分 共同通信社
 東海村臨界事故を調査するため来日している国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の専門家チーム3人が16日午前、被ばくしたジェー・シー・オー社員3人の初期治療に当たった科学技術庁放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)を訪れ、容体や治療の経過などについて医師らから説明を受け、緊急時の医療態勢などを意見交換した。

中性子線被ばく避難範囲拡大を混乱恐れ見送る 臨界事故

2:34p.m. JST October 16, 1999
 茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で起きた臨界事故で、中性子線が周囲に出続けていた発生翌日の未明、政府の現地対策本部が圏外への避難範囲を350メートル圏から500メートル圏へ拡大することを検討しながら、混乱を恐れて見送っていたことが分かった。かなりの住民が中性子線を浴び続けたとみられ、科学技術庁などが調査を続けている。

 放射性物質(放射能)が大量に大気中に放出される「放射能飛散型」災害しか想定していない現行の原子力防災指針のもとで屋内退避に主眼がおかれた結果、今回のような「中性子線放射型」災害で最も必要な近くの住民の圏外避難が不徹底になった。科技庁は指針に中性子線への対応を盛り込む方針だ。

 東海村は事故が起きた先月30日午後、JCOからの情報を得て、核分裂反応によって発生する中性子線被ばくを避けるため350メートル圏の住民に圏外に出るよう呼び掛けた。

 一方、政府と県は同夜「10キロ圏屋内退避」を住民に要請した。さらに、政府の現地対策本部では深夜から翌未明にかけ、現場周辺への中性子線放射が続いていることを重くみて「避難の範囲を350メートル圏から500メートル圏に広げるべきだ」との意見が出た。

 しかし、「深夜で雨も降っており、混乱が予想される」「間もなく核分裂反応を止める作業を試みる」などの理由で、住民が被ばくする恐れがあることを知りながら、取りあえず朝まで範囲拡大を見送った。未明からの作業で連鎖反応が止まったため、避難範囲は結局拡大されずじまいだった。

 今回の事故の特徴は、JCO内で臨界状態が長時間続き、その間、中性子線が出続けたことだった。「死の灰」と呼ばれる核分裂生成物は内部にとどまり、外部への飛散は少なかったが、強い中性子線は建物のコンクリート壁を透過して四方八方に放射された。

 現場から約2キロの日本原子力研究所那珂研究所では、事故発生時から翌日早朝まで約20時間にわたり中性子線を観測した。この範囲内では、政府や県の「10キロ圏屋内退避」要請に従って屋内にいた人でも、距離などによって強さは違うものの、建物を透過する中性子線を浴び続けたとみられる。

事故調査委員会がJCOに立ち入り調査 臨界事故

11:01a.m. JST October 16, 1999
 茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故を調べている原子力安全委員会の事故調査委員会(委員長=吉川弘之・日本学術会議会長)は16日、事故後初めて、同事業所の立ち入り調査を実施した。

 この日午前11時前、吉川委員長ら19人の委員が同事業所に入り、JCO側から、事故当日(9月30日)の状況などについて説明を受けた。委員らは、事故のあった転換試験棟周辺も視察することになっている。

 事故調査委員会には、これまでに、「裏マニュアル」すらも逸脱する形で、沈殿槽にバケツで大量のウラン溶液を投入するという危険な作業は、被ばくした作業員が「事故前日に発案した」などとする科学技術庁の調査結果が報告されており、委員会では、こうした点も含め、JCO側から事情を聴いたとみられる。

臨界教育は92年が最後

1999年10月15日 19時01分 共同通信社
 東海村臨界事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)は15日、茨城県庁で会見し、核分裂反応が連鎖的に起きる「臨界」に関して、東海事業所の全社員を対象にした教育は1992年8月が最後で、それ以降は実施していなかったことを明らかにした。今回の事故で被ばくして入院した3人のうち、重症の1人を除く2人は受講していたという。

臨界事故で被ばくの副長「作業早く終わらせたかった」 10:18p.m. JST October 15, 1999

 JCO東海事業所の臨界事故で、事故を起こした作業員が、正規の手順を逸脱してウラン溶液を沈殿槽に入れたことについて、リーダー格の副長が「翌日から作業班に新人が入ってくるため、作業を早く終わらせたかった」と話していることが、15日に開かれた事故調査委員会で明らかになった。

 科技庁の調査では、作業班の3人が携わっていた高速実験炉「常陽」用燃料の精製工程は予定より10日ほど早く進み、事故前日の9月29日からは、ウラン溶液と硝酸を混ぜて硝酸ウラニルを精製する最終作業に入った。

 ところが、10月から作業班に新人が配属されることになり、作業班の本来の仕事である排水作業を教えることになった。そのため、3人は、正規に決められた作業時間を大幅に短縮できる、沈殿槽を使った方法を29日午前中に編み出した。この結果、30日中に作業が終了するめどが立ったという。

規定超える大量ウラン、日常的に扱う 臨界事故

10:16p.m. JST October 15, 1999
 茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故を調べている原子力安全委員会の事故調査委員会は、15日、JCOではウラン濃縮度が高い溶液を規定以上の量で扱う作業が日常的に行われていたことを明らかにした。いつもは臨界が起きない形状の貯塔に入れて混ぜていたが、事故の日は沈殿槽に入れたため臨界を起こしたという。この作業は事故の前日、被ばくした作業員3人が発案し、直属上司の承認を得ていなかったとしている。同事業所は1度に2.4キロ以下のウランしか扱わないことを前提に事業許可を得ているが、1度に16キロを扱う違法作業が日常化していた実態が浮き彫りになった。

 違法な作業の実態は、この日開かれた原子力安全委員会の事故調査委員会(委員長、吉川弘之・日本学術会議会長)で報告された。

 それによると、事故の際に作業していた3人は、事故前日の9月29日に、ウラン約9.6キロ分の溶液を沈殿槽に入れた。

 30日午前8時半ごろから、さらにウラン約7.2キロ分の溶液をつくり、沈殿槽につぎ足している途中の午前10時35分ごろ、臨界事故が起こった。

 同事業所側は科技庁に対し、「従来から貯塔にウラン16キロ程度入れる作業をしており、沈殿槽に同じように入れても問題はないと思ってしまった」などと説明した。

 この手法は今回の3人が前日に発案したもので、上司である職場長の承認は得ていないと話している。

 科技庁によると、貯塔は極めて細長く、ウラン溶液を満杯にしても中性子が外に逃げるので臨界にならない。しかし、沈殿槽には大量の溶液を入れないことになっているため、ずんぐりした形だった。作業員には、こうした器具類の設計の意味が理解できていなかったとみられる。

IAEAがJCOを視察

1999年10月15日 17時35分 共同通信社
 東海村臨界事故を調査するため来日した国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の専門家チーム3人が15日、事故現場となったジェー・シー・オー(JCO)東海事業所を視察、現場周辺の放射線量を測定したほか、事故の状況などについて事業所関係者らから聴取した。専門家チームは午後、JCO東海事業所に到着。JCO側から事故の概要について報告を受けた。

被ばく者20人増え、69人に JCO臨界事故

9:42p.m. JST October 15, 1999
 JCO東海事業所の臨界事故での被ばく者は、これまでに報告されていた49人より20人増え、計69人になったことが、15日、原子力安全委員会の事故調査委員会(委員長、吉川弘之・日本学術会議会長)に報告された。

 これまで、被ばくしたのは大量被ばくした3人を含め、同社の敷地内にいた39人、敷地外7人、消防署員3人の計49人とされていたが、その後の調査で、敷地内で新たに20人の被ばくが確認された。

  この20人はいずれも同事業所の従業員。事故発生当時「フィルムバッジ」と呼ばれるガンマ線測定器を身につけていた。

 事故当時、敷地内には123人がいた。被ばくが確認されていない残りの64人は、いずれも測定器を身につけていなかった。しかし、科技庁は「何らかの放射線影響を受けている可能性が強い」と見て、事故当時にいた位置などから、被ばく線量の推定作業を進めている。

 臨界を止めるため、冷却水の抜き取り作業などをした14人は、あらかじめ被ばくが予想できる作業中の「計画被ばく」のため、今回の被ばく者数には含まれない。この作業で、中性子線の被ばく線量が最大だったケースは、これまで91.20ミリシーベルトとされていたが、111.92ミリシーベルトと訂正した。100ミリシーベルトを超えると線量計の表示が1度ゼロに戻るのを見落としていたためという。

IAEA専門家が来日

1999年10月13日 16時44分 共同通信社
 核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故を調査するため、国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の専門家3人が13日、来日した。

 17日まで滞在し、事故現場付近の視察や、行政担当者らからの情報収集を行う。

 事故後、日本の核関連施設の安全管理に海外から厳しい目が向けられており、国内の関係者は緊張気味だ。

JCO副長、事故直前に作業急がせる日程変更を連絡

10:18p.m. JST October 13, 1999
 茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故で、同社は13日、茨城県庁で記者会見をし、事故が起きた転換試験棟で被ばくした副長(54)が、事故前日の朝、製品を分析するためのサンプルの提出を「30日朝か午前中」と工程の調整担当者に連絡し、さらに、事故が起きる約30分前の30日午前10時ごろに「午後一番」と変更を伝えていたことを明らかにした。県警の捜査本部は、副長らがこれに間に合わせようと作業を急ぎ、事故をまねいた可能性もあるとみて、関係者から事情を聴いている。

 記者会見した同社の小川弘行・製造部計画グループ長によると、副長から工程の調整担当者に連絡があったのは9月29日朝。その際、副長が「サンプルは30日朝か午前中には出せる」といっていたため、担当者は日程を調整した。ところが30日午前10時ごろになって、担当者が副長に問い合わせたところ、今度は「午後一番になる」と、日程が遅れるという答えが返ってきた。その連絡を分析の担当者に伝えているうちに、事故を知らせるアラームがなったという。

ウラン加工施設は安全教育義務の対象外 参院決算委質疑

9:46p.m. JST October 13, 1999
 臨界事故を起こした茨城県東海村の「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所など原子力施設での業務が、労働安全衛生法で安全教育が義務づけられている「有害・危険業務」から除外されていることが、13日開かれた参院決算委員会で取り上げられた。原子力発電所については、労働省が安全教育のマニュアルを示しているが、JCOのようなウラン加工施設はこの対象からも外れていた。今回の事故では、会社側の教育不足が指摘されているが、行政制度上の不備も浮かび上がった形だ。

 岡崎トミ子氏(民主)の質問に、野寺康幸・労働省労働基準局長が答えた。

 質疑や同省の説明によると、労働安全衛生法・規則は、溶接作業や粉じん作業、産業ロボット操作など約50種を「有害・危険業務」に指定。国が定めたカリキュラムでの教育を義務づけ、違反への罰則も定めている。だが、原発や核燃料施設の放射線業務は対象に入っていない。また、原発の場合、労働省は、放射線防護知識や測定方法などについて5時間の研修を実施するよう定めた実施要領を作り、指導しているが、ウラン加工施設は含まれていない。

沈殿槽投入やってなかった

1999年10月12日 19時06分 共同通信社
 東海村臨界事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)は12日、茨城県庁で会見し、1996年と97年の「裏マニュアル」の作成者で、定年退職した元製造一課主任が、同社の聞き取り調査に対し、マニュアルを逸脱してウラン溶液を沈殿槽に入れたことが事故につながったことについて「そんなことはやったことがない」と話していることを明らかにした。

「信頼回復せよ」 日経連会長、臨界事故で異例の文書

7:42p.m. JST October 12, 1999
 日経連の奥田碩会長は12日、東海村の臨界事故などずさんな現場管理に原因がある事故が相次いでいることから、傘下団体の長と地方の経営者協会会長あてに危機管理や産業安全対策の徹底を求める文書を送付した。日経連がこうした呼びかけを実施するのは初めて。「企業トップ自らが先頭に立ち、万全の対策を講じることが求められる」と強い調子で対応を求めている。

 「産業安全対策、危機管理対策の徹底について」と題した呼びかけ文書では、東海村の事故だけでなく、ロケット開発や鉄道部門などで頻発した事故では、ちょっとした作業員のミスが大きなシステム全体に重大な作用を及ぼした、と総括。ものづくりや技術立国という国際的な日本に対する信頼を回復することが、経営者としての社会的責務である、と強調している。産業安全教育訓練やモラール対策の再点検ともに、「万全の対策」を求めている。

排気筒から放射性物質排出 JCO、窓やドアに目張り

9:28p.m. JST October 11, 1999
 茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故8日後の8日、事故現場の転換試験棟の排気筒から排出されたガスから、周辺監視区域外(一般地域など)の濃度限度の約2倍に当たる放射性物質ヨウ素131が検出されたと同事業所が11日明らかにした。同事業所はこの時初めてヨウ素の測定を行った。検出後、ガスが排出されないよう措置を取った。

 また、8日から9日にかけて、事業所が敷地内の4地点の空気中のヨウ素濃度を分析したところ、事故現場から南西約50メートルで県道に近接する場所からもヨウ素を検出した。事業所は11日午後、転換試験棟の窓やドアに建築用コーティング剤で目張りをし、換気を停止した後、給気口をふさいだ。事業所はできるだけ早期にヨウ素を吸収するチャコールフィルターを設置する。

 東海事業所によると、県道に近接する場所からのヨウ素濃度は周辺監視区域外の空気中濃度限度の200分の1以下で、「事業所敷地外のヨウ素の濃度はさらに低く、周辺の環境に影響はない」としている。転換試験棟の排気は放射性物質が外部に放出されないように施設内の気圧をマイナスの状態に維持するようになっているが、フィルターで吸収されず、ヨウ素が排気筒から排出され続けていたらしい。

 科学技術庁の青木照美水戸原子力事務所長も11日夜、記者会見し、「科技庁からはこれまでヨウ素測定について事業所に指示しなかった。敷地外のヨウ素は十分低かったが、早く指示すべきだったかもしれない」と暗に対応のまずさを認めた。事業所は「ヨウ素の測定はもっと早くやっておけばよかった」と周辺環境への安全対策の不備を認めた。

 茨城県は大気や土壌などの調査を継続するとしている。(時事)

住民1万6000人、異常なし 東海村臨界事故

7:52p.m. JST October 11, 1999
 茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故で、同村は11日、住民の健康不安にこたえるため事故直後から実施してきた被ばく線量測定の結果をまとめた。村の事故対策本部によると、測定を受けたのは午後4時現在、延べ1万6658人で、異常はみられなかった。同本部は一応のめどがついたとして、舟石川コミュニティーセンターなど5カ所で行ってきた測定を同日午後に打ち切った。

 測定は事故が発生した9月30日午後4時ごろから避難所となった舟石川コミュニティーセンターで、日本原子力研究所(原研)東海研究所や核燃料サイクル開発機構の放射線管理担当者の協力を得て始めた。その後、測定場所を5カ所に拡充した。

 測定を受けた人の中には、那珂町などの周辺市町村住民のほか、事故当日、東京都内から村を訪れていた人も含まれた。(時事)

JCO、過去にも沈殿槽代用か 関係者が捜査本部に示唆

03:10a.m. JST October 11, 1999
 茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故で、茨城県警の捜査本部から参考人として事情聴取を受けたJCO関係者が、正規の手順を逸脱してウラン溶液を沈殿槽に注入した問題の行為について、過去にも同様の手順がとられていた可能性があることを示唆する供述をしていることが、10日わかった。捜査本部は、違法な手順が過去に採用されたことがあったかどうかの確認を進めている。

 JCOによると、転換試験棟で行われた今回の作業では、高速実験炉「常陽」の燃料にするウラン溶液を製造する予定だった。同様の作業は、過去に3回実施されている。

 捜査本部の調べに対してJCO関係者は、バケツを使って沈殿槽にウラン溶液を注入する行為について、「過去にもやったことがある、と聞いたことがある」と話したという。事故を起こした作業員たちのリーダーだった副長(54)は、今回の作業工程に携わるのは初めてだった。捜査本部は、過去にも同様の手法がとられていたことを副長自身が知っていたか、それを知っている人から教わった可能性もあるとみている。

隣室の副長も「青い光見た」 臨界事故・JOC所長会見

11:20p.m. JST October 10, 1999
 JCO東海事業所の越島建三所長は10日の記者会見で、事故時に隣の部屋にいて、放射線による被ばくで入院した作業員グループのリーダー格の副長(54)が「事故の時に青い光を見た」と話していることを明らかにした。しかし、「副長に、臨界が起きたという認識があったかどうかは分からない」「臨界だけを取り上げた教育はしていなかった」とし、安全教育の不備を改めて認めた。

 越島所長によると、この副長は同社幹部が2回にわたって話を聞いた際、「青い光を見たので、『逃げろ』と同僚に言った」と話したという。

 また、ステンレス容器(バケツ)を使うよう1997年に改訂された現在の手順書(裏マニュアル)は、製造部で作成した後、計画部門や品質保証部門の審査を受けて責任者が承認したが、安全性に問題がないかどうかを点検する安全管理部門には通していなかったという。

 さらに、ウラン溶液を7杯分も沈殿槽に入れたことについて、越島所長は「前段の工程よりウランの濃度が高くなっているのに、錯覚して7杯分の液量を入れてしまったのではないか」などと述べた。

臨界研修「23年前に1回だけ」 副長が県警に供述

10:07a.m. JST October 10, 1999
 茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故で、作業中に被ばくした同事業所の副長(54)が茨城県警の捜査本部による事情聴取を受け、臨界について、「23年前に(会社に)入った直後に研修を1回受けただけで、意味がよく分かっていなかった」などと述べていることが9日、明らかになった。事故原因となったウラン溶液を沈殿槽に入れる作業は、同僚の大内久さん(35)が注入し、篠原理人さん(39)が近くで支えていたという。捜査本部は、同社が社員に十分な安全教育をしてこなかった実態と事故当時の状況を示す重要な供述とみて裏付けを進めている。

 この副長は「スペシャルクルー」とよばれる作業員グループのリーダーで、重症の大内さん、篠原さんに比べて症状が比較的軽く、捜査本部から短時間の事情聴取を数回受けている。

 作業の危険性に関して副長は「どのくらいの量(のウラン)で臨界になるのかは知らなかった」「臨界については考えたこともなかった」などとも話しているという。

  副長は、1976年8月に住友金属鉱山核燃料事業部東海工場(現在の東海事業所)に入った。

 越島建三・東海事業所長は4日の東海村議会で「臨界についての教育は十分でなかった」と認める発言をしている。

 副長は、問題の作業を2人に指示したことを認めたうえで、「発生時には隣室にいた。2人が溶液を入れ終わって、約10分で異変が起きた。戻ると、大内さんが倒れ、篠原さんが大内さんを介抱していた」と説明したという。

 捜査本部は、副長が臨界について十分な知識を持っていなかったとみて、JCOの社員教育のあり方や、作業工程に対する安全管理のありかたなどについて追及している。

 捜査本部は業務上過失傷害と原子炉等規制法違反の疑いで、JCO幹部らを調べている。事故の背景に労働環境の問題があった可能性もあるとみて、茨城労働基準局も労働安全衛生法違反などの疑いで捜査する方針を固めている。

ウラン加工施設も定期検査を義務づけ 法改正へ

03:18a.m. JST October 10, 1999
 民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故を受けて、科学技術庁と通産省でつくる原子力安全・防災対策室は9日、原子炉等規制法を改正し、ウラン加工施設にも原子力発電所のように定期検査を義務づける方針を固めた。作業員に「安全研修」を求めることも検討している。対策室は今秋召集される臨時国会に改正案を提出する考えだ。

 原子炉等規制法では、原発や使用済み核燃料の再処理施設について、安全を確かめるために年1回の定期検査と国の担当省庁への報告を義務づけている。

 ところが、ウラン加工施設に対しては、操業開始前の施設検査があるだけで、その後は国による検査が義務づけられていない。

 今回、ウラン溶液をつくる際に許可を得ていないステンレス製のバケツを使うなどの違法行為を見抜けなかった背景として、検査体制の甘さが政府内でも指摘されていた。

 ウラン加工施設への定期検査では、設備だけでなく、作業内容も項目に加えることも検討していく。

 作業員に対する安全研修をめぐっては、国や公的機関が開く研修会への参加と、受講記録の国への提出を求めるといった方法が考えられている。しかし、この研修を法律で義務づけるのか、行政指導で進めるのかなど、まだ不確定な点も多く、今後、対策室内で議論を詰めていく方針だ。

当日の作業状況など聴く

1999年10月9日 18時31分 共同通信社
 東海村臨界事故で茨城県や東海村などは9日午後、事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)と結んでいる「原子力施設周辺の安全確保及び環境保全に関する協定(原子力安全協定)」に基づき、同社東海事業所への立ち入り調査を実施した。

 事務棟を中心に調査し、事故当日の作業状況や事故後の対応などについて聴いた。

臨界事故を教訓「関係省庁会議」発足 再発防止策を検討

0:55p.m. JST October 09, 1999
 政府は8日、茨城県東海村の臨界事故を教訓に、再発防止策と危機管理策を検討する「原子力災害危機管理関係省庁会議」(議長・安藤忠夫内閣危機管理監)を設けた。全国の核燃料製造施設を総点検した結果をふまえ、事故発生時の連絡体制や住民への避難体制などを話し合い、12月に報告書をまとめる。青木幹雄官房長官は「いかなる事故も発生しうるという新たな発想に立ち、抜本的な発想の転換をしてほしい」と要請した。

重症の篠原さんに臍帯血移植

1999年10月9日 11時35分 共同通信社
 東大医科学研究所病院は9日、東海村臨界事故で被ばくし重症で入院中のジェー・シー・オー(JCO)社員篠原理人さん(39)に、造血機能を回復させるため、胎児のへその緒や胎盤に含まれる臍帯血(さいたいけつ)を移植する治療を実施した。臨界事故の重症者で移植治療を受けるのは、6日と7日に東大病院で末しょう血幹細胞移植を受けた大内久さん(35)に次いで2人目。

労働安全衛生法違反で捜査へ 臨界事故で茨城労基局

03:08a.m. JST October 09, 1999
 JCO東海事業所(茨城県東海村)の臨界事故で、茨城労働基準局の事故対策本部は8日、3人の作業員が事故を起こした背景には複雑な労働環境があったとみて、労働安全衛生法違反などの疑いで捜査に踏み切る方針を固めた。近く、同社員の事情聴取に入る。同局では、リストラで人員が大幅に減ったのを機に、被ばくした3人が所属していた「スペシャルクルー(SC)」班が異なる複数の作業をこなしていた事実をつかんでおり、複雑・過密な労働環境と事故との因果関係を解明する方針。労働省によると、原子力関連施設の事故をめぐって同法違反容疑で立件に乗り出すのは初めてだという。

 茨城労基局の調べによると、同事業所には、ウラン燃料の製造に直接かかわるグループとして、通常の24時間態勢で働くAからDまでの4班と、SCの計5班がある。

 SCは5人で、勤務時間は原則として、午前8時から午後4時まで。ほかの班に病欠者などが出た際に応援したり、ほかの作業工程で出る放射性の排水を処理したりする支援作業が中心だった。しかし、数年前に始まった同社のリストラによる人員削減のあおりで、高速実験炉「常陽」用などの燃料生産ラインにも組み入れられた。

 同社によると、SCは構内の総合排水処理棟の排水処理が主な担当で、ほかの作業の時でも、作業員の1人は排水処理の業務にあたらなければならない場合もあったという。

 同局は「SCはふだんの日勤のほかに、深夜勤の応援などにも駆り出されることもあった可能性があり、そのため過密な労働スケジュールだったのではないか」とみている。

バケツだけでなくビーカーも 臨界事故調査委

00:35a.m. JST October 09, 1999
 茨城県東海村での臨界事故をめぐって8日開かれた原子力安全委員会の事故調査委員会で、JCOがウラン溶液を扱う作業で、ステンレス製バケツだけでなくビーカーも使っていた事実が明らかにされた。また、入院した作業員の被ばく線量や核分裂を起こしたウランの総量など事故の規模を物語る数字も報告された。

 この日報告があった科学技術庁事故調査対策本部の調査結果によると、事故があった転換試験棟では、ウラン溶液をステンレス製のバケツの中でつくってから沈殿槽に入れる際、流し込みやすいようにバケツからさらに5リットルビーカーに移していた、という。

 また、この日の調査委では、臨界事故で核分裂反応を起こしたウランの総量は10万分の1グラム程度とする住田健二・原子力安全委員の見積もりも示された。これは、日本原子力研究所・那珂研究所で観測された中性子線の強さなどからの推計値。核分裂したウラン原子の総数は1兆の10万倍ほどになる。

 事故で大量被ばくしたJCOの作業員3人の被ばく線量については、放射線医学総合研究所から報告があった。それによると、東大病院で末しょう血幹細胞移植を受けた男性の被ばく量は10―20シーベルト相当と推定される、という。ほかの2人については、東大医科学研究所付属病院に入院中の男性で6―10シーベルト相当、放医研に入院中の男性で1.2―5.5シーベルト相当だったとしている。

臨界事故の作業員、排水管理することも 複雑な作業形態

11:35p.m. JST October 08, 1999
 臨界事故が起きた茨城県東海村のJCO東海事業所の小川弘行・製造部計画グループ長は8日、臨界事故を起こした作業員が所属していた作業班はウラン燃料製造作業だけでなく、排水管理をすることもあるなど複雑な作業形態だったことを明らかにした。3人が、社内で「スペシャルクルー」(SC)と呼ばれるグループのメンバーだったためで、県警や茨城労働基準局は、こうした特殊な勤務形態が事故にどう関係しているか、同社の関係者から事情を聴く。

 小川グループ長によると、SCは事業所内の製造工程から出る排水の管理をしている5人組グループの一員。排水管理は3交代制になっており、午前8時から午後4時までの「一勤」は副長を含む3人、それ以降勤務につく「二勤」と「三勤」は各1人。副長を除き、交代で勤務する。

 排水の管理は自動化されており、構内にある「総合排水処理棟」で流れを定期的に監視するのが役割。

 また、小川グループ長によると、被ばくして入院している副長は、29日までに上司の職場長と話し合い、最終工程までの作業が職場長が考えた操業予定より10日ほど早く終わるめどが立ったため、29日に7杯分のウラン酸化物の粉末を硝酸で溶解し終え、10月5日に瓶詰めをすることにしたという。

 この計画は、29日午後に開かれた職場長や管理職による「生産計画会議」に報告された。しかし、結局は29日中に溶解は終わらず翌日に作業を持ち越すことになったという。

住友金属鉱山、核燃料事業から撤退へ

9:41p.m. JST October 08, 1999
 国内初の臨界事故を起こした「ジェー・シー・オー(JCO)」(本社・東京)の親会社である住友金属鉱山の青柳守城社長は8日、JCOの事業存続について「当局の指示に従う」と話した。監督官庁の科学技術庁はJCOの事業許可を取り消す方針で、住友金属鉱山は事実上、核燃料事業からの撤退が避けられない見通しになった。日本の原子力政策の中核にある「核燃料サイクル」の一部が崩れたことで、日本の原子力事業は大きな見直しを迫られている。

 JCOの本社と東海事務所の立ち入り検査などを行っている科学技術庁は、JCOの違法な作業が事故原因になっているとして、原子炉等規制法に基づき、事業許可を取り消す考えだ。青柳社長はこの日、「事業を続けたい気持ちはあるが、最終的には当局の判断に任せたい」と述べた。

 国内で、原子力発電用の核燃料の再転換事業を行っているのは、JCOと三菱原子燃料の2社だけ。JCOは沸騰水型炉(BWR)向け、三菱は加圧水型炉(PWR)向けの燃料を扱っており、JCOは昨年度は全体の約4割の再転換を引き受けていた。JCOの事業継続が困難になったことで、電力会社や燃料加工メーカーなどは再転換の委託先の変更を迫られている。

重症の大内久さん 呼吸状態などよくなる

1999年10月8日 18時51分 共同通信社
東大病院は8日、東海村臨界事故で被ばくし、重症の大内久さん(35)の病状について、「依然として予断を許さないが、呼吸状態がやや改善し、意識もはっきりしている」と発表した。
造血機能を回復させるため、6日と7日に行われた末しょう血幹細胞移植は、幹細胞を目標としていた数まで注入できたといい、今後2週間程度、効果が表れるかどうかを見守りたいとしている。

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