TOPIC No.2-74-3 『やばいぞ日本』日本産経新聞

- いま、日本の没落が始まっている -
01. 『やばいぞ日本』日本産経新聞
02. 【やばいぞ日本】序章 没落が始まった
03. 【やばいぞ日本】第1部 見えない敵
04. 【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ
05. 【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている
06. 【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの
07. 【やばいぞ日本】第5部 再生への処方箋

大型連載 「やばいぞ日本」

 いま、日本の没落が始まっている。経済は好調なのに、ジワジワと迫り来る長期的な不安がぬぐえない。人口減少に歯止めがかからず、エネルギーの獲得競争に相次いで敗れ、日本が誇った技術力にもかげりが見える。教育の劣化やモラルの崩壊は目を覆うばかりだ。日本文明の没落までささやかれ始めたいま、その現実とそこからの脱出を探る渾身の大型連載。


【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(1)「ダイナミズム失う」

2007.07.03 MSN産経新聞

 グラフを見ていただきたい。米国で博士号(自然科学系)を取得したアジア人留学生数の年ごとの変化を示している。日本はわずか200人前後で低迷し、中国は逆に日本の10倍以上の2500人レベルを維持している。中国にかなり離されて韓国、インド、台湾が続き、日本は5位に甘んじている。

 この数字がすべてではないが、日本人留学生の低迷や劣化を示す指標として霞が関の官庁街でささやかれている。それどころか、欧米の有名大学院に派遣された各省の若手エリート官僚の中に、以前にはなかった悲惨な落ちこぼれ現象が起きているという。経済学や論理学の授業についていけずに単位を落とすケースが増えつつある。

 東大法学部卒のある若手官僚は、優秀な人材として出身省でも将来を嘱望されていた。彼は欧州の大学に研修留学して現地語はみるみる力をつけた。

 ところが、数学力不足から経済理論がこなせず、論理学は古代ギリシャ哲学など基礎を学ばないから論理的に崩れのない文章が書けない。1年後に担当教授から呼び出され、学業不振で退学処分になってしまった。

 日本の大学入試は、記憶力にたけた学生に有利にできている。「ゆとり教育」が行き渡って受験科目を絞る大学が多いから、数学を受験しなくても法学部や経済学部に入ることができる。国際的にはこれが通用しない。

 欧米の経済学は株価の変動など金融を中心に新しい理論が次々に導入されている。三角関数やフーリエ変換など日本の文系には縁遠い計算式が解けないと歯が立たない。肝心の日本のエリートにして惨憺(さんたん)たるありさまなのだ。

 一方、中国は経済成長のスピードが速く、血眼になって金もうけに走るから吸収しようとする意気込みが違う。野村資本市場研究所の関志雄主任研究員は、「10年後に中国の学生がマルクス経済学を勉強しようと思ったら、日本の大学にいくしかない」と大まじめでいう。

 “現役”の社会主義国にあっても、元祖マルクスはとうに死んでしまったのだ。いつまでもマルクスとその親戚(しんせき)筋の容共リベラルに縛られるような国は、ジワジワと社会の劣化が進む。いま、「日本の没落」を食い止めないと、日本の未来は描けなくなる。

 米国でかつて日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされていた1990年前後に、ただ1人、「やがて日本は自滅する」と予測した人物がいた。フィリップ・トレザイス元国務次官補である。

 彼は「日本は敵か」という論文で、はやりの「日本脅威論」を否定しながら、30年後の日本を見通した。65歳以上の老齢人口が4分の1に達して、「経済のダイナミズムが失われる」と衰退を予言した。

 実際にいま、日本は人口減少によって学生が減り、労働力が枯渇しつつある。この日本衰退という「内なる敵」をどう克服するか。

 ■危機をバネに反転を

 すでに、東京工大はじめ理工系大学には留学生の約7割が中国系に占められている。しかも、日本政府の奨学金で最新の科学技術を学びにきているのだから、わが日本はなんとお人よしであることか。

 トレザイス氏がいまの「日本の没落」を見たら、何というだろうか。本紙ワシントン支局に探してもらうと、自説の正しさを見ないまま6年前に死去していた。

 この当時、エール大学のポール・ケネディ教授は大著『大国の興亡』で、米国の衰退を豊富な資料で立証しようとした。本の表紙には、主役たちの後退を印象的な風刺画を使った。

 英国紳士がユニオンジャックを手に地球のてっぺんからずり落ち、星条旗を持つアンクルサムも浮かぬ顔で退場していく。代わりに地球の上部に足を引っかけたのは日章旗を担いだ日本人ビジネスマンだ。

 あれから20年が過ぎた。ケネディ教授が『興亡』の続編を出版するとしたら、トレザイスの予言にしたがって、大国の浮き沈みを変更せざるを得ないだろう。表紙も、日章旗に代わって五星紅旗を振りかざす中国の“昇り竜”が地球上部に足を引っかける。

 米証券大手のゴールドマンサックスが試算した折れ線グラフを見ていただきたい。赤線で示した中国が、10年もすると国内総生産(GDP)で日本を追い越し、2040年を過ぎると水色の米国を軽く抜く。そのころには“昇り竜”の姿は日本の遙か彼方(かなた)に飛び去り、後ろ姿も見えない。

 いや、「中国経済は見かけ倒しで、必ずしも右肩上がりにはならない」との気休めのような説はある。だがその間にも、カネの積み増しで軍事力も巨大化する。すでに中国は資金力にモノをいわせて最新鋭兵器を買いまくり、買えないものは技術を盗み出して国産化する。

 しかし、米国は国家の危機を感じたときにこそ、力を結集して反転させてきた国だ。現職のブッシュ大統領はいま、科学分野で追い上げる中国とインドを「新たな競争相手」と位置づけている。

 年頭の一般教書演説で大統領は、この分野で優位を狙う「競争力構想」を打ち出し、基礎研究の拡充や理数科教師の7万人採用を表明した。軍事機密の分野では、外国人研究者に頼らないよう人材を育成する。

 日本は経済力が伸び悩み、軍事力は貧弱であり、教育の低迷によって、相対的な没落ぶりは明らかだ。とても、与野党が足の引っ張り合いをしている余裕などありはしない。(湯浅博)

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 いま、日本の没落が始まっている。経済は好調なのに、ジワジワと迫り来る長期的な不安がぬぐえない。人口減少に歯止めがかからず、エネルギーの獲得競争に相次いで敗れ、日本が誇った技術力にもかげりが見える。教育の劣化やモラルの崩壊は目を覆うばかりだ。日本文明の没落までささやかれ始めたいま、その現実とそこからの脱出を探る。

【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(2)「鈍さが工作員を取り逃がした」

2007.07.04 MSN産経新聞

 辛光洙(シンガンス)。78歳。北朝鮮の工作員として複数の日本人拉致事件を首謀した容疑で国際手配されている。現在、北朝鮮に在住し、記念切手にも登場する“国家英雄”だ。

 金正日総書記から直接指示を受けた実行犯の彼は、拉致のカギを握るキーパーソンだ。この男を、日本は二度取り押さえるチャンスがあった。

 「辛はあれだけしゃべっている。なぜ捜査を前に進めようとしない」。 1985年夏、ある警察関係者に韓国の捜査官から、いらだった声で国際電話が入った。 

 その半年前に韓国の国家安全企画部(現・国家情報院)が辛をスパイ容疑で逮捕した。辛は韓国捜査当局の調べに対し、80年6月、大阪府在住の中華料理店員、原敕晁(ただあき)さん(43)を宮崎県の青島海岸に連れ出して工作船で拉致し、同人名義の日本旅券を不正に取得の上、対韓工作を行ったことを詳細に供述した。

 韓国側はこのとき、日本側による辛の取り調べを認めると打診してきた。ソウル五輪を控え、ぎくしゃくした関係を改善したいというシグナルでもあった。

 まもなく警察庁の捜査員約10人がソウルに飛んだ。10日間の滞在中、韓国当局の立ち会いの下、辛を直接取り調べた。ただ辛は拉致の容疑を日本の捜査員に認めようとはしなかった。韓国の捜査官には、原さんを拉致するため、中華料理店経営者である在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)大阪商工会理事長などにいかに近づき、抱きこんだか、を実名で生々しく供述していたのにである。

 韓国側は段ボール箱いっぱいの捜査資料を提供した。帰国した捜査員は一定の手応えを感じていた。事件としての立件は無論、辛に協力した総連のネットワークも追及できるからである。

 ところが、しばらくして、奇妙な展開になった。警察と検察が協議した結果、立件を見送ったのである。検察側は韓国側の調書について「証拠価値は低い」「この調書を証拠にすることは日本の刑事訴訟法にはなじまない」と主張したとされる。逮捕状が出なければ、身柄の引き渡し要求はできない。しかも当時、日韓間に犯罪者引き渡し条約はなかった。起訴できないとの結論の前に警察庁幹部は首をうなだれるしかなかった。

 当時、朝鮮総連などの動向を監視していた公安調査庁調査第二部長は、先月28日逮捕された緒方重威元長官であった。

 そんなころ、かかってきたソウルからの電話に警察関係者は返答に窮し「すまない」の一言を伝えるのが精いっぱいだった。その関係者は今、こう唇をかみしめる。

 「日本の警察、検察幹部は拉致問題への感覚が鈍かった。自制して後ろ向きになっていた。政治が動かないことにわれわれは安住していた」

 役人のことなかれ主義を象徴するかのように、段ボール箱は役所のどこかに22年間放置されたままである。

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 ■国民の安全守れぬ国家

 もうひとつのチャンスは、死刑判決を受けた辛が14年後の99年の大みそかに釈放されたときだった。北への「太陽政策」を表明した金大中大統領は、「ミレニアム特赦」後、2000年9月、辛ら非転向の長期囚63人を北朝鮮に送り返した。

 辛の送還に対し、横田滋さん、早紀江さん夫妻らは政府に「北への送還反対」を申し入れたが、森喜朗政権の腰は重かった。日本政府はそのころ、北への50万トンコメ支援を行うことを決め、河野洋平外相は「私の責任をもって行う」と大見えを切った。このコメ支援の国費1100億円がなんの成果を生まなかったのはご存じの通りだ。

 総連への捜査にも圧力が加えられていた。90年5月には警視庁が摘発した朝鮮総連元幹部らによる外国人登録法違反事件について故金丸信元自民党副総裁が「日朝関係に悪影響が出る」と警察庁幹部に捜査を拡大しないよう求めたとされる。

 金丸氏が、社会党の田辺誠副委員長(当時)らと訪朝して、「謝罪」と「戦後の償い」を表明したのはそれからしばらくしてからだった。

 辛ら19人の「政治犯」釈放を韓国大統領に求めた嘆願書に当時の国会議員128人が署名したのもそのころだった。ほとんどは土井たか子委員長ら当時の社会党議員だったが、菅直人、江田五月、千葉景子、山下八洲夫(以上民主党)、渕上貞雄(社民党)の現職議員の名前もあった。

 嘆願書は「過去の政治的環境の中で『政治犯』となった人びとばかり」と訴えていた。それが、現実といかに乖離(かいり)していたかは、韓国国家安全企画部が発表した辛の次の供述が物語る。

 《金正日の3号庁舎執務室で金正日から「日本人を拉致し、北に連れてきて日本人の身元事項を完全に自分のものにして、日本人として完全変身したあと、在日対南工作任務を継続して遂行しなさい」という指示を受けた》。

 国会で辛光洙事件への警察当局の対応を問題にしたのは、それから10年近くたった97年5月の衆院外務委員会での安倍晋三氏の質問だった。

 「韓国の裁判の記録に厳然たる事実があるのに、私は日本の警察はどうしているんだ、強い憤りと疑問を感じる」「辛への取り調べを行いたいという意思を伝えてもらいたい」。

 警察庁の米村敏朗外事課長は答弁で、公開捜査などの問題があり、日本国内関係者への強制捜査の実施には至っていないと説明した。結局、公安当局はその後、韓国側に辛への事情聴取を求めたが、今度は韓国側が受け入れようとしなかった。

 総連本部へメスが初めて入ったのは01年11月、小泉政権下であった。旧竹下派が影響力をもっていた政権では手を付けることはできなかった。 

 11月15日には横田めぐみさんが新潟市から拉致されて30年を迎える。 

 「辛さえ北朝鮮にとり逃すようなことさえなかったら、拉致事件はもっと解決に進んでいたはずです」

 横田さん夫妻が吐露する怒りと無念さだ。主権が侵害され、国民の平和と安全が蹂躙(じゅうりん)されたという重大な事実を知っていながら、官僚と政治家はなぜ、動こうとしなかったのか。日本人が拉致されたという現実を信じられなかったと弁明する人もいる。国民を守るという国家の最大の責務が顧みられなかったことに日本の国としての弱点が表れている。(高木桂一)

【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(3)「収まらないな慰安婦問題は」

2007.07.05 MSN産経新聞

 「こちらからみていると、『ヘビの頭を切らないといけないな』と思えてくるんですよ。日本をみていると、ね」。丸顔の男は、そういって冷えた茶を口に含んだ。

 慰安婦問題をめぐる日本非難決議が米下院外交委員会で採択される前、今春のことである。

 男は、東アジアから移民し、成功を収めた戦前生まれの実業家だ。

 「日本が、われわれを極端な方向に押しやっているんですよ」。自宅応接間で、男は顔をしかめ、アロガント(傲慢(ごうまん))、とつぶやいた。日本の政治家は威勢のいいことを言わないと出世できない、歴史教育議連(日本の前途と歴史教育を考える議員の会)の国会議員たちがいい例だ−それが、男の言う「傲慢な日本」の意味らしかった。

 「収まりませんよ、慰安婦問題は」と、男は続けた。

 「アメリカの政治で、ユダヤ人が一番多く政治資金を出す。その次はアジア人。今、カネを出せるアジア人で、日本に反発する人間がどれだけいると思いますか」

 「そのアジア人たちが、(ホロコースト=大虐殺の歴史を徹底的に追及した)ユダヤ人の手法を学び、同じことを今度はアジアでやろうと立ち上がった。この問題は絶対に終わらない。今回通過しなくても、またやります。今度は世界的にやります。首相が事実を認め、申し訳なかったと、国会で明確に謝罪するまでやります」

 広大な敷地のかなたから風が吹いてきて、森のような庭園の木々を揺らした。南に大きく開いた窓から、米西海岸の陽光が差し込んでいる。

 男はぽつりと言った。

 「あした、ここにマイク・ホンダ(米下院議員)が来ます」

               ◇

 10年ごとに行われる米国勢調査の結果によると、1990年からの10年で、アジア系米国人の人口は倍増に迫る勢いを示した。グローバル化の進展の中で、今や米国への移民は1世のうちに成功をつかむことが可能になっている。中国やインドの爆発的な経済成長がそれを後押ししている。

 その結果、米社会に同化した2世、3世になってようやく豊かさを得るというこれまでのパターンではなく、移民社会が本国とのつながりを強く残したまま膨張を続けるという新しい現象がみられるようになった。

 慰安婦問題で日本政府非難決議を主導したホンダ議員と親しいという丸顔男もそれにあてはまる。

 だが、日本はこの変化と攻勢になすすべもないのだ。

 ■日本の外堀が埋められた

 慰安婦問題の日本非難が沸点に達しようかとしていた3月末。在米の日本人有力者が集まってワシントンの日本大使館である会合が開かれた。

 「日系米国人と、米国と戦争をした日本との間には相当の距離があり、日本の応援団的な役割を日系人に求めるのは無理だと考えていた」

 こう切り出した加藤良三大使は「しかし、ダニエル・イノウエ上院議員(ハワイ州選出)は日系人の相当部分との協力を考えるべきだと述べている。このような可能性が現実感をもって語られるようになっている現在、日系人が(米国人としての)公正な立場からホンダ議員はおかしいと言ってくれるようになればありがたい」と述べた。

 味方がどこにも見あたらない現状で、日系人との連携の模索は、選択肢としてはあり得る。日系人に、父祖の国への理屈抜きの親近感が存在するのも事実だ。

 だが、取材を重ねると、日本と日系人との距離が狭まりつつあるどころか、むしろ、広がりつつあるのではないか、と思わされる現象の方が目についた。それは、日系人が自らを日系ではなくアジア系と規定するという現象である。

 「日系3、4世で、とりわけ政治に進もうという層はそうだ」

 カリフォルニア州司法副長官で、将来政治家を目指しているアルバート・ムラツチ氏は、自らを例えに引いてこう話す。同氏が地元の教育委員選に出馬した際の選挙事務所幹部は、中国系と韓国系で占められていた。そうでないと、選挙に勝てないのである。

 ムラツチ氏は今年、日本政府による日系人若手指導者を対象とした招聘(しょうへい)プログラムで日本を訪れた。謝意を表しつつ、ムラツチ氏は「日系人が『日本』より『アジア』にアイデンティティーの軸を移しつつあるという事実は、日本ではあまり理解されていないかもしれない」と述べる。

 アジア系台頭の中、ほとんど人口が増えていない日系の当然の選択なのかもしれない。だが、アジア系とは実態を伴っているのだろうか。主権国家による国益をめぐるせめぎ合いが国際政治の現実である。その文脈ではアジア系とは日本を封じ込めようとする枠組みになりえる。

 問題は、アメリカという世界の最大の政治舞台で進む「アジア系の勃興(ぼつこう)」という名の日本外しに対し、日本が実質的に何の手も打てていないことである。

 丸顔の男に戻ろう。ホンダ議員について、男は「単純な男です。(慰安婦問題の追及を)私がやめろといえば、やめるでしょう」という。本当に動かしているのがだれだか分からないのか、とでもいいたげだった。

 男は東アジア出身だが、「アジア系」という言葉を使う。そこには東南アジア、さらにはインドなど南アジアにまで連帯を広げたいという意図が明確にうかがえる。そこで、「傲慢(ごうまん)な日本への嫌悪」が、接着剤として使われるとすれば…。

 「カネはある」と男はいう。「今、アジア系はカネを持っている。100万ドルや200万ドル、ぽんと出せるアジア人がいくらでもいる」

 男は、駐米中国大使を知っているともいう。しかし同時に、チベットの精神的指導者ダライ・ラマとも親しいらしい。

 ひとしきり、アジア各国の有力者との交遊に話が及んだ。そして、ふと思いついたように、「ところで、日本の諜報(ちょうほう)部隊はなにをしているんだ。ここには、来たことがないな」。

 男は冷ややかに言いはなった。(松尾理也)

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【用語解説】日本の前途と歴史教育を考える議員の会

 安倍晋三首相、中川昭一政調会長らが平成9年に設立した自民党の議員連盟で、歴史教科書の自虐的記述の正常化や慰安婦問題などに取り組んでいる。会長は中山成彬元文科相、会員は約100人。

【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(4)「誤ったイメージ払拭したい」

2007.07.06 MSN産経新聞
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 「日本国内で何が起きているのか」。ワシントンのシンクタンク「ヘンリー・スティムソンセンター」研究員の辰巳由紀さん(36)(有元隆志撮影)=に昨年9月上旬、こんな電話をかけてきたのは、米下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長(共和党)の補佐官、デニス・ハルビン氏だった。

 少し前の8月15日、小泉純一郎首相(当時)は靖国神社を参拝した。米の主要メディアの多くは首相参拝を非難した。日本にナショナリズムが高揚しているなどの報道も展開された。

 フィリピン戦線の従軍経験をもつハイド委員長から実務面などを任されているハルビン氏は、「日本と隣国との関係」をテーマに公聴会を開催すると告げ、「ナショナリズムの台頭などを日本人として証言してほしい」と要請した。

 辰巳さんは「光栄なこと」と答えた。5カ月前、拉致被害者の横田めぐみさんの母、早紀江さんが同委で証言したが、日本の政策を日本人が証言することは極めてまれだ。辰巳さんはそれだけに日本に対する誤ったイメージをなんとしても払拭(ふっしょく)したいと思った。

 辰巳さんが違和感を覚えたのは、1930年代の軍国主義への復帰を求める過激な右翼勢力が日本の主流になりつつあるとした8月27日付ワシントン・ポスト紙の「日本の思想警察の台頭」であり、日本の言論に非寛容な政治的雰囲気が出ていると分析した「パシフィック・フォーラムCSIS」発行の8月24日付ニュースレター「心配な一連の出来事」だった。

 「これでは日本が過激なナショナリズムに染まりつつあると誤解してしまう。日本の状況を正確に伝えなくては…」。東京生まれ、国際基督教大学からジョンズ・ホプキンス大学大学院で安全保障を学び、日本大使館で専門調査員を務めたこともある辰巳さんは、訴えたいことを許された5分間の陳述で表現できるよう幾度も練習を重ねた。

 9月14日の公聴会。ハイド委員長は「靖国神社は戦争犯罪者をたたえている」と語り、トム・ラントス議員(民主党)も「ナチスのヒムラー(親衛隊長)たちの墓に花輪を置くに等しい」と非難した。

 マイケル・グリーン(前国家安全保障会議アジア上級部長)、カート・キャンベル(元国防次官補代理)、女性活動家のミンディ・コトラーの3氏に続き、最後に登場した辰巳さんは、首相参拝の意義をこう語り始めた。

 「第二次大戦で命を失った兵士たちに敬意を示し、平和への誓いを新たにしたものです。靖国参拝は、日本が自らの過去と向き合って内省するという日本の健全な発展を意味しています」。続いて、ナショナリズムに触れ、「ほとんどの日本人は軍事的な過去を賛美する考えを支持していません。日本のナショナリズムとは、多くの日本国民が日本という国を誇りに思いたい気持ちのことです。米国の愛国主義(パトリオティズム)に近いのです」と述べた。

 出席した議員51人のうち、8人が質問に立った。「日本は平和憲法を変えて戦争をできるようにしているとの懸念をきいた」とのバーバラ・リー議員(民主党)の質問に対し、辰巳さんは「日本人の間で侵略戦争をしないという合意は存在する。現在の憲法解釈では自衛隊が国連平和維持活動中に米軍や中国軍とともに参加した場合、彼らが攻撃されても、助けられない。日本の議論は、自衛隊が他国軍を支援できるようにしようというものです」と答えた。

 ラントス議員は「われわれすべては大いに学んだ」と総括した。ハルビン氏も「とてもよかった」と握手を求めた。辰巳さんは自分の言葉で日本の実像を伝える努力はできたと思いながらも、日本の基本的な立場がどの程度、唯一の同盟国に理解してもらえたのか、不安を拭(ぬぐ)いきれなかった。

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 ■英字紙が伝える「ひどい国」

 「日本人が考えていることの1割も外国に伝わっていない。英語で発信されたものだけで米国の政策は決まる」

 今年3月、都内で開かれたシンポジウムで、ワシントンのCSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員の渡部恒雄氏(46)は、日本の対外発信力がいかに貧弱かを力説し、東南アジアのある公使の発言を以下のように紹介した。

 「英字紙を読むと日本はなんとひどい国と思うが、本当はそうではない。英語で語られる日本と現実の日本はなぜ、こうも違うのか」

 日本をなにか不気味な国というイメージでとらえがちな英字メディア、そして、それを国内で発信している勢力がいることも「ゆがんだ日本」像を膨らませる。憲法改正や集団的自衛権の行使により、日本が軍国主義に突き進もうとしているとの見方は、その一例だ。

 だが実態は、辰巳さんが語ったように、日本は国際常識が通用する当たり前の国になろうとしているだけなのである。

 問題は、このことを日本政府がこれまでいかに語ってきたか。外国にどう発信してきたのかだ。

 安倍晋三首相は昨年9月の就任後、憲法改正を明言し、集団的自衛権行使を研究すると表明したが、改憲を明言した首相は戦後初めてだ。

 「日本の平和主義を薄めようとしている」(昨年9月25日付ワシントン・ポスト)などの批判が出ているが、裏返せば、それだけ顔が見えているといえる。

 それまでの日本の指導者は、国の針路をあまり語ろうとしなかった。語るに足る内容もさることながら、米国依存の軽武装経済重視という既定路線をそのまま踏襲してきたからだ。

 だが、「沈黙の大国」のままでは国際政治の激流に翻弄(ほんろう)されるだけだ。要は、第2、第3の辰巳さんをいかに出現させるか。

 CSISで、ともに働いたこともある辰巳さんと渡部氏は提言(別稿)を連名でまとめ、東京財団で3月に発表した。日本を知ってもらうためには、まず日本人が努力しようということである。(中静敬一郎)

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 ◆国益情報を効果的に発信するために

(1)英語で日本の政策について書き、話すことができる人材の育成が急務だ。年に1度「国際発信大賞」で、日本からの英字メディアへの効果的な発信に100万円の副賞を与えて推奨すべきだ。

(2)世界に日本のクリアな戦略ゴールを発信することが余計な誤解を解く最善の方法だ。

(3)国際的なメッセージの発信には長期的な戦略性をもち、丁寧に根気強く努力を継続すべきだ。

(4)日本の中でオープンな議論ができ、さまざまな意見が闘わされる環境作りこそが有効な国際発信の大前提である。

(5)在外公館の広報活動を見直し、日本の政策に関する基本的データの整備と人材の配置を図るべきだ。

【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(5)「宇宙野菜が示す中国との差」

2007.07.07 MSN産経新聞

 宇宙空間は魔法使いの住む世界なのだろうか。シンデレラが乗った馬車のように大きなカボチャも夢ではなくなる。

 それを実現してみせているのが中国の宇宙開発の現場なのだ。地球を取り巻く宇宙空間の特殊な条件を利用して活発な植物の品種改良が進む。

 中国の人口は13億人。拡大する「胃袋」を満たすための妙案が宇宙開発に託されている。宇宙生まれのマンモス・カボチャ「太空南瓜」は、その期待に応えた成果の一例だ。

 無重量の宇宙では熱対流が消えるので、超高品質の合金も製造可能。生命科学の分野では、タンパク質もきれいに結晶するなど、新素材や医薬品の開発に道が開ける。

 日本はスペースシャトルなどを利用して、宇宙での高度先端技術を追究してきたが、特筆すべき成果は出ていない。

 これに対し、中国では日常生活と宇宙産業の距離が急速に短縮中だ。特に高度なことをしているわけではないのだが、実績は着実に目に見える形になっている。

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 日本は8月16日、H2Aロケット13号機を打ち上げる。搭載される大型探査機は「かぐや」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙教育センター長の的川泰宣は「米国のアポロ計画以来となる本格的な月観測」と説明する。

 米国が有人月面探査を柱とする「新宇宙計画」を発表するなど、月は今、最も注目を集めている天体だ。

 中国も月に熱烈な関心を寄せている。月周回衛星「嫦娥(じょうが)」を、今年4月に長征ロケットで打ち上げようとしていたが、遅れをみせている。

 その中国は、2003年10月に宇宙飛行士を乗せた「神舟(しんしゅう)5号」を打ち上げ、世界3番目の有人宇宙飛行国となった。

 日本は宇宙飛行士を擁しているが、スペースシャトルに依存した有人活動で、自前の宇宙船は持っていない。

 日中の宇宙開発は、同時期に始まっている。1970年2月に日本の「おおすみ」、4月に中国の「東方紅」が、それぞれ初の人工衛星として打ち上げられたのだ。

 その後、中国はソ連寄り、日本は米国寄り、と日中の宇宙技術は別の路線を進んできた。これまでほぼ互角の競争力。そこに今、思いがけない差が開きつつある。

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 ■足りない研究者の情熱

 「中国に行った方が力を発揮できるかも、という研究者もいます」

 JAXA国際部参事の辻野照久は、半ば冗談と断りながらそう語った。現在、中国の宇宙開発には、それほど活気があるということだ。

 5月にナイジェリアの通信衛星などを打ち上げた中国は、7月5日に長征3Bロケットで自国の通信衛星を打ち上げた。これは101機目の長征ロケットで、連続成功を59回に伸ばした。

 日本の打ち上げ回数はN1ロケット以来、42機。連続成功は29回止まりとなっている。

 日本のロケット開発は次々新技術に挑んでハイテク化を遂げているが、中国はローテクのまま信頼性を高めたことで92・1%という、より高い成功率に到達した。

 辻野は日本で数少ない中国の宇宙開発ウオッチャーだ。中国空間技術研究院が隔月で発行する論文集などに目を通して、現状や方向性を分析している。その結果、意外な現実が見えてきた。

 「日本がやっていることは、全部中国もやっていました」

 そのうえ、宇宙開発分野で日本人研究者の成果を引用した論文が見あたらない。中国の宇宙工学者たちは米国の研究を重視している。有人宇宙船「神舟」はロシアの「ソユーズ」宇宙船をベースに開発されたが、近年は米国の影響をより強く受けつつあるらしい。

 中国は複数の衛星からなる独自の衛星利用測位システム(GPS)を構築しつつあるほか、宇宙空間を舞台に、日本が行っていない研究にも手を広げている。

 その代表例が巨大カボチャ・太空南瓜を実現した「育種衛星」だ。2週間以上、地球を回った後に地上に戻ってくる回収式の衛星に米や麦、トウモロコシといった穀物などの種子を搭載する。

 「野菜類もありますし、花や香辛料、ヘチマの種も積んでいます」。国際課主査で中国に詳しい藤島暢子も語る。

 高エネルギーで飛び交う宇宙線を利用した植物の品種改良である。無重量に、高真空という条件も重なる結果、地上での放射線照射という従来技術を上回る効果があると説明されている。

 中国科学院内の航天育種センターでは、ピーマンやトマト、ウリなどの「宇宙野菜」を市場に送り出しているという。

 3回目の有人飛行となる神舟7号は北京オリンピック直後の2008年秋に打ち上げられる。このときは全く新しい発想の宇宙服による宇宙遊泳が実施される見通しだ。

 「中国人は宇宙に対して強い願望を持っている。天人や仙女、不老不死につながる憧憬(どうけい)があるようです」

 辻野によると、この根源的ともいえる動機の上に、過去40年にわたって技術が積み上げられてきたという。それは軍事力の強化とも不可分の歩みであった。

 1960年代の中国には「両弾一星」という目標があった。原子爆弾と水素爆弾が「両弾」。人工衛星が「一星」なのだ。今の中国は月面基地建設を大目標に掲げて活気づいている。国内の人材育成と世界からの才能獲得に余念がない。胡錦濤国家主席をはじめ、理系出身者で固められた中国指導部の影響力は大きい。

 一方の日本は、停滞気味である。新たな「GX」ロケットの開発難航もその一例だ。すでに大幅な遅れを生じている。

 JAXA宇宙教育センター長の的川は研究者や技術者を目指す若手に「物足りなさ」を感じている。頭も良い。手際も良い。問題を解決する能力も備えている。

 「足りないのは、宇宙への情熱と問題を発見する能力です」

 国は4年前に宇宙科学研究所(ISAS)と宇宙開発事業団(NASDA)などを統合して、現在のJAXAに変えた。機関統合の効果を疑問視する意見は関係者の間に少なくない。

 ISASが開発した世界最大の固体燃料ロケット「M5」も統合によって捨てられた。「研究者の内発性の炎が消えつつある」。そうした危惧(きぐ)の声が聞こえてくる。=敬称略(長辻象平)

【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(6)完「米中のゲームに加われず」

2007.07.08 MSN産経新聞

 中東の泥沼から抜け出そうともがくワシントンでは政治・外交の構造変化が起きている。

 それに乗じる中国。日本はその地殻変動についていけない。

 「今や中東情勢はまるで第三次世界大戦前夜だ」。この6月13日、国防総省の地下会議室に各政府機関の国際情報分析専門家約30人が極秘裏に集まった。イラクの大量破壊兵器存在説を流す過ちを犯して以来、評判の芳しくない中央情報局(CIA)抜きで、本音で討論し、「巨大な衝撃が将来起こりうることで議論は白熱し、結論どころではなかった」と会議に参加した国防総省筋は言う。

 「国務省内では今、バルカン化(balkanization)という言葉が流布している」(元国務省幹部)。

 バルカン化とは、中東のように地域全体がばらばらになり、互いにいがみ合って紛争が頻発し、収拾がつかない事態をさすが、「中東問題を最優先しないとバルカン化が世界に広がる」(国務省筋)。

 ライス国務長官はヒル国務次官補ら東西冷戦の専門家を東アジア担当に据え、朝鮮半島問題を重視してアジア専門家を事実上一掃した。ネオコンと呼ばれ、民主主義イデオロギーを浸透させるためには強硬論で譲らないボルトン元国連大使らも政権から離れた。

 中国、韓国と組み、北朝鮮を懐柔し、とにかく核の放棄の道筋を付ける。北の核はそれ自体が米国にとっての脅威という意味ではない。その核が中東やテロリストに拡散する恐れを取り除くことが優先する。そのために金融制裁も事実上解除した。 核合意を確かなものにするために、ヒル次官補は中国の北朝鮮への影響力に頼る。北京との関係強化を通じてライス長官の訪朝、国交正常化交渉すら仕掛けかねない。中国の比重が米外交にとって高まっていく。

 一方で米議会のほうでは、中国に向かって逆風が吹き荒れている。人民元の切り上げなど通商問題や、スーダンでの人権抑圧などで集中砲火を浴びている。中国は逆に対話の好機到来とみるのか、「民主党、共和党を問わず在米中国大使は主要候補者の選挙区を精力的に回っている」(米地方紙記者)。

 中国の「知略」は急速に洗練されつつある。ことし4月末、ワシントンの国防大学で「宇宙行動規範」に関する超党派のシンポジウムが開かれた。

 中国は1月に、自国の気象衛星を標的に衛星破壊の実験を実施し、米国や日本は中国の暴挙を一斉に非難した。出席者の顔ぶれの中にはクリントン政権当時のレイク国家安全保障担当補佐官とホルブルック国連大使の重鎮二人と並んで民主党大統領候補としてクリントン上院議員を急追しているオバマ上院議員のアドバイザーもいる。

 中国大使館の安全保障担当は発言を求め、「米国の衛星が中国の脅威なのは当然」。一呼吸置いた後、「でも軍部との対話は難しいね」と言ってのけた。

 中国といえば党の指示通り、大国の横暴ばかり非難すると思いきや、あっさりと本音を公言、会場は沸いた。それにつられたのか、衛星破壊批判では共和党と一致しているはずの民主党系の専門家が、「破壊実験は宇宙の軍縮管理に消極的なブッシュ政権に警告したかったのだろう」とボルテージを下げた。

 目の前で演じられた米中のゲームに日本政府からの参加者は沈黙したままだった。

 「最近の国際会議ではよくあるパターン」と会議を傍聴した知り合いの知日派米国人は言う。日本は米中のはざまに埋没している。

                  ◇

 ■退場した知日派

 「ネオコン」が健在なころは、日本はワシントンで中国を圧倒していた。ネオコン陣営のボルトン元国連大使は「拉致問題で、米国は日本を全面支援すべきだ。金正日は絶対に核を放棄しない。平壌に圧力をかけ過ぎると北朝鮮が崩壊すると恐れる中国をあてにできない。国務省の対話路線は完全に失敗した」と今も咆哮してやまない。

 ヒル氏は2005年4月に次官補就任のあと、ライス長官を説き伏せて平壌に乗り込もうとしたが、強硬派の総帥、チェイニー副大統領の了解が必要だった。「副大統領はホワイトハウスの執務室で案を一べつするや、キミね、核疑惑のならず者国家と二国間交渉できると思うのか、と冷たい目を向けた。われわれは言葉を返せずそのまま部屋を出た」(ヒル氏に近い筋)。

 その副大統領自身、腹心のリビー元副大統領首席補佐官の米中央情報局(CIA)工作員身元漏えい事件での司法妨害罪などで力をそがれてしまった。

 「ヒル次官補の独走をやめられる者はホワイトハウスにもいなくなった」(元国務省幹部)。

 日本はネオコンという強力な後ろ盾を失ったばかりではない。ワシントンの知日派の大半が政権から離れた。

 知日派の総元締めであるアーミテージ元国務副長官は言う。「私やグリーン元国家安全保障会議アジア上級部長が政権にいるうちは日本の要人は議会に足を運ぶ必要なんかない、われわれに会えばすべて用が足りた」。日本は知日派に頼り切った結果、「2001年のブッシュ政権発足以降、ワシントンに来る日本の閣僚や政治家に議会要人に合わせようとしても、大半はノー・サンキュー」(共和党系ロビイスト)だった。

 日本政府や政界の対米議会工作は、空白の状態が続いている。日米経済問題は無風なのに、ワシントンの日本大使館スタッフのうち、議会担当はわずか4人、約40人もの経済担当スタッフという布陣は通商摩擦が激しかった1980年代と変わっていない。官庁の縦割りがそのまま持ちこまれ、見直しは一向に進まない。

 ワシントンが中国をたたいてもニューヨークは全く違う。「中国の軍事的脅威論は誇張のしすぎ」(JPモルガン・チェース・インターナショナルのパール副会長)、「有害食品問題なんかは米国で19世紀末に深刻だった。民主主義でなくても、市場競争で解決できる」(米国の大学教職員年金ファンドのマネジャー)。

 金融は軍事と並ぶ超大国米国の要だ。中国は政府機関としては今や日本をしのぐ米国債の最大の買い手で、米金融市場安定のカギを握っている。政治のパイプがたとえ細っても、経済面では米国での存在感で日本は優位というのも今や過去、中国の台頭で薄れていく。(田村秀男)

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 ■タイトルについて

 予想していたことなのですが、「やばいぞ日本」という連載タイトルについて、読者からたくさんの反響をいただきました。

 「やばいぞ」なんて、ヤクザかチンピラの使う言葉で品がない・非常識であるといったお叱りや、そういう悪い言葉をただしていくのが新聞社の務めではないかといったご批判もありました。

 「やばい」という言葉は、危険だ、危ない、けしからん、奇怪だなどという意味の形容動詞「やば」を形容詞化してできたとされています。

 また、いまの若者たちは「やばいぞ」をすばらしいといった逆に肯定的に使っているようでもあります。

 私たち取材班は、いま日本が陥っているこの深刻な事態を、なんとか強いインパクトをもって訴えたいという意図で使ったのですが、実は“日はまた昇る”式に、愛する祖国日本が立ち直るための処方箋(せん)も示したいと企画しています。どうかご了承をたまわり、併せて本企画に期待していただきたいと思います。

 「やばいぞ日本」取材班キャップ 中静敬一郎


【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(1)中国軍に知られたF2の欠陥

2007.07.14 MSN産経新聞

 「F2の弱点は隠しても無駄だ。中国軍幹部にも知られているんでね」。航空自衛隊元幹部が重い口を開いた。

 F2は総額3700億円以上を投じ、米国の戦闘機F16を土台に日本の誇る先端技術を取り込んだ「日米共同開発」の産物だ。1990年に開発を始め、対地・対艦用の支援戦闘機として設計されたが、対艦ミサイル四基を搭載すると主翼が大きく振動する欠陥が直らない。

 支援戦闘機としては失格でも、爆弾を積まなければ自由自在に舞うことはできるとの理由で迎撃用戦闘機用として航空自衛隊三沢基地などに配備されている。しかし、戦闘能力についても「F2は韓国のF15Kに劣る。竹島の制空権は失った」と空の勇者たちは嘆く。

 2004年当時、石破茂防衛庁長官は「国民に説明できないものは買わない」と調達打ち切りを言明した。防衛省は当初予定141機だった総調達計画数を最終的に94機まで削減し、今年度を最後に購入は終了する。だが、いまなお「失敗」を認めようとしない。

 防衛省技術研究本部の秋山義孝事業監理部長は「航空幕僚からのより高度な要求を満足させるため今でも改良を重ねている。失敗だとは思っていない」と強調すれば、航空幕僚幹部は「置かれている条件からすれば妥当な成果を出せた」と慎重に言葉を選ぶ。

 80年代末、米国防次官補としてF2の日米交渉を担当したアーミテージ元国務副長官は「失敗じゃないって?うまくいっていないのに」と目を丸くする。 米国では防衛技術の場合、「スパイラル理論」が常識になっている。失敗の原因を見つけ、改良とテストを繰り返す。さらに実戦の経験を生かす。失敗を認めてこそ成功に導ける。欠陥を隠蔽(いんぺい)したり、解決を先送りすると“進化”できない。

 F2の悲劇はミスを取り繕うことから始まった。1990年代、防衛庁とメーカーの技術陣は「ニュー零戦」の野望に燃えていた。日本の技術である炭素繊維複合材を主翼に採用する挑戦が始まった。ところが強度不足で所定の超音速で飛行すると主翼が付け根からはがれてしまう。設計が悪かったのだ。

 現場は一から強度計算し直し、抜本的に設計変更しようとしたが、予算システムの壁があった。「開発費が一挙に膨らみ大蔵省(現財務省)から拒絶されることが怖かった。結局、複合材に鉄板を入れるなどして付け焼き刃を重ねた」(F2試作に参加した防衛省OB)。

 防衛省やメーカーの優秀な頭脳はパッチワーク(継ぎはぎ作業)とその対応に投入された。その結果、米国が提供を拒否した飛行制御ソフトの自主開発という成果を出し、補強材入りの炭素繊維の翼で迎撃用戦闘機として飛べるようにはなった。  だが、改良費用はかさみ、当初予定の開発費1650億円を倍増させた。開発期間も長期化した。「支援戦闘機として完成までにはあと60年かかる」という開発現場のうめきに、F2問題が凝縮されている。

 失敗を直視しないという慣行については防衛省だけを責めることはできないかもしれない。

 90年代のバブル崩壊後の「空白の10年」は、政府が膨大な不良債権の存在から目を背け、公的資金投入を決断できず、小出しの景気対策など弥縫(びほう)策を重ねたことが背景にある。現在の年金記録紛失の根本原因も、保険者番号のない社会保険庁のシステムの失敗にある。なのに、番号制度の早期導入議論を先送りにして問題の本質に目をそらしたまま、政争だけが盛り上がっている。

 ■失敗認めぬ“官僚風土”

 F2を製造している三菱重工業小牧南工場の一角には、真っ黒な機体もどきが鎮座している。

 次世代機の国産化も辞さないとする意思を誇示し、F2の悲劇を繰り返さないようにしたいと、防衛省と三菱が見様見まねでつくった実物大のステルス戦闘機の模型だ。現にフランスに持ち込んでレーダーに映るかどうかの実験もした。

 1980年代後半、日本はバブル経済の絶頂期。防衛庁には「絶対に米国を越えられるという夢があった」(防衛省幹部)。「FSX」(次期支援戦闘機)の国産化をめざしたが、米国からエンジン技術を提供しないといわれてあえなく挫折した。F16(ロッキード・マーチン社製)を母体とした共同開発でいったん合意したが、「日本が米国を飲み込むという議会などの脅威論に押され、ブッシュ政権発足当時のベーカー国務長官には対日関係安定を考えるゆとりがなかった」(アーミテージ氏)。 

 ブッシュ(父)大統領は、(1)中枢技術の飛行制御ソフトの供与中止(2)日本から無料、無条件で炭素繊維複合材の一体成型加工技術とレーダーの素子技術の提供を約束させよと、ベーカー長官に命じた。

 ベーカー長官の書簡一通だけで日本政府首脳の腰は砕け、「日米共同開発」の名目をとるのが精いっぱいだった。製造作業分担は日本6に対し、米4だが、収益配分は逆の4対6だった。

 ロ社が炭素繊維技術を使ってF2の左側主翼を製造したのは、単なる練習台だった。目標は炭素繊維複合材をふんだんに取り入れた次世代のステルス戦闘機のF22AラプターとF35の開発で、いずれも成功した。

 防衛省は現在の迎撃戦闘機F4の次期戦闘機(FX)の最有力候補としてラプターに着目し、その詳細な性能情報の提供を求めているが、米国防総省は門外不出の構えを崩していない。

 日本の先端技術は、米国の戦闘機技術を一世代向上させるのに部分的とはいえ貢献したのに、米側の認識は「炭素繊維複合材のリーダーは米国」(アーミテージ氏)。日本は恩恵をほとんど受けられない恐れがある。

 同じ新素材を使いながらも、「世界の航空機の盟主」の自負心でもって、次世代機開発に取り組んだ米側にとって、「うまくいっていない」と見抜いた日本の航空機製造技術を冷たく突き放すのは、国際ビジネス競争の非情な現実そのものといえる。

 一方的な米側の要求に屈したことに伴って負ったハンデはあるにしても、失敗を失敗と認めようとせずに小細工を重ね、レトリック(修辞)を弄しては言い逃れる「無謬」の日本の官僚。在任中に問題を起こさなければ、それでよしとする「ことなかれ」主義が、問題の根本である。

 それは日本国内でまかり通っても、国際的には通用はしない。「共同開発」パートナーから、評価されないF2が象徴する。失敗を教訓にすることなく、糊塗するだけの“官僚風土”が、中国の侮りを受けるような防衛力の空洞化を招いているのだ。(田村秀男)

 ≪F2年表≫

1985年10月 次期支援戦闘機(FSX)選定作業開始

1987年 6月 栗原防衛庁長官とワインバーガー国防長官がFSXの「日米共同開発」で一致

1988年 6月 瓦防衛長官とカールッチ国防長官が米ゼネラル・ダイナミックス社(現在のロッキード・マーチン社)製F−16をベースにした「共同開発」条件で合意

1989年 2月 米上院議員24人がF−16の対日技術供与に反対表明

同3月 ブッシュ(父)大統領、対日技術制限を表明

1990年 3月 開発作業開始

2000年 9月 量産第一号機、航空自衛隊に納入

2004年12月 新防衛大綱で、F2量産機調達数を98機(当初予定は141機)に削減決定

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(2)500年後は縄文並み人口15万

2007.07.15 MSN産経新聞

 赤さびたトタン屋根がめくれあがる廃虚群。主を失い無残に荒れた住宅跡に、往時の面影がわずかに残っている。

 兵庫県養父(やぶ)市(旧大屋町)の明延(あけのべ)地区。住民は160人ほど。その6割は65歳以上の高齢者である。

 但馬山系の深奥部に位置するこの典型的な過疎集落が、かつて国内スズ生産の9割を占める日本有数の金属鉱山としてにぎわい、住民4000人がひしめいていたとは、とても想像できない。

 明延鉱山の本格的な採鉱開始は明治初期にさかのぼる。朝鮮戦争の特需景気に沸いたピーク時の昭和30年ごろには、全国各地から高収入を求めて1500人もの鉱山労働者が集まったという。人とともに中央の文化もいち早く流入した。当時は珍しいテニスコートやプールを備え、鉱山直営の購買所では自動車まで売られていた。

 地元で生まれ育ち、電器店を経営していた田村新一郎さん(83)は、皇太子(現天皇)ご成婚の34年、1台12万円もしたテレビがわずか1カ月で200台も売れたと当時を振り返った。

 「夢のような時代でした」という田村さんの言葉通り、40年代には金属価格が低迷し始め、プラザ合意以後の急速な円高が追い打ちをかけた。62年春の閉山まではあっという間だった。わずか20年前のことである。

 「限界集落」。高齢者が半数を超え、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落を指す。大半は早晩消滅の道をたどるほかない。

 国土交通省の調査などによれば、こうした集落は全国ですでに3000近くになる。左上の図は人口5000人未満の過疎町村を現在と50年後とで日本地図に記した分布図である。過疎化を示す赤色が急ピッチで全国に広がる様子が分かる。「消えゆく明延」は日本全体の象徴ともいえる。

 下の図も衝撃的だ。官民共同のシンクタンク「総合研究開発機構」(NIRA)が最新の人口推計などをもとに、出生率が現状の1・32のまま推移することを前提にして作成したものである。

 日本の人口は、1億3000万人をピークにほぼ一直線に急下降を続け、わずか500年後には15万人まで落ち込むとしている。これは縄文時代の人口水準に匹敵する。推計とはいえ現実に起こりうることだ。数字にはあぜんとするほかない。

 繁栄の思い出に浸っている間にも次々消えていく集落。少子高齢化と人口減少問題は、遠い将来に目配りして初めて、深刻さが見えてくる。だが、確実にこの“見えざる敵”は日本を消滅の淵(ふち)に追い込みつつある。

                   ◇

 ■危機バネで大転換も

 少子高齢化は先進国に共通した現象だ。だが、「問題は、日本ではそのスピードがあまりに急激すぎることだ」。法政大学大学院の小峰隆夫教授はそう指摘する。

 経済同友会は今年4月、深刻な人口減少社会の到来に警鐘を鳴らす緊急提言を発表した。

 このまま手をこまぬけば、日本は労働力減少と生産性の伸び悩みで潜在成長率は2010年代後半にもマイナスに転じるとする提言は、危機感にあふれている。

 経済が縮小すれば、税収の低下、高齢化による社会保障費の増大で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の赤字はやがて臨界点に達する。国債価格は暴落。その先はまさに“日本沈没”のシナリオである。

 すでにその兆候は出ている。国内総生産(GDP)で世界第2位の経済大国・日本の座も、実際の通貨の実力で換算する購買力平価では既に中国に明け渡している。2050年には、経済規模で中国の10分の1程度まで水をあけられるとする予測もある。

 少子高齢化は、働く世代と年金受給の高齢者との世代間対立も拡大させかねない。若者は老人にますます敬意を払わなくなり、社会は荒廃していく。将来社会への不安が募れば出生率はさらに低下する。人口減が人口減を呼ぶ構図だ。

 オーストラリアの政治学者ヘドリー・ブルは「大国であるためには1億人以上の人口規模が必要」と指摘したように、人口を国土面積、経済力、軍事力と並ぶ国力の重要な指標と見る考えは、依然有力だ。

 欧州のほぼ中心に位置するルクセンブルク。国土は神奈川県ほど。人口も50万人足らずと日本の地方都市並みだが、欧州の新興金融センターとしての成長は著しい。一人あたりGDPでは世界トップの座を占める。しかし、この国を「大国」とは誰も呼ばない。

 EU(欧州連合)の政策決定も、投票権に人口比が反映される仕組みだ。小国からは大国支配につながりかねないとの批判はあるが、人口がいかに国力の物差しであるかを物語る一例だ。

 少子高齢化とその結果としての人口減をいかにくい止めるか。経済同友会提言は、カギは社会全体の危機意識と政治の強力な指導力にあると指摘している。

 一方で、人口減を肯定的にとらえる見方も実は根強くある。

 ITベンチャー起業で日本の草分けでもある「ソフトブレーン」の創業者、宋文洲氏もその一人。「人口が減っても、生産性が高まれば日本人の生活の質はむしろ向上する」と楽観的だ。

 「国力は人口に比例すると考えるのは毛沢東時代の発想と同じ」。宗氏は中国人として、かつて自国が進めた人口増政策によってもたらされた経済のゆがみにも触れながら、「日本の人口は8000万人程度が適正。いずれそこに落ち着く」とも付け加えた。

 若者が多い方が、むしろ社会不安を誘発するとする見方もある。人口問題の米シンクタンク「PAI」の分析では、15歳〜29歳の若年層が4割以上の国は、それ以外の国に比べて2・3倍も内戦発生率が高まるという。

 2年前にNIRAがまとめた「人口と国力」に関する報告書に次のようなくだりがある。

 さかのぼれば、縄文後期と江戸末期に、いずれも大きな人口停滞があった。しかし先人は、水稲耕作の展開で弥生時代へとつなぎ、工業化によって明治の時代を切り開いていった。いわば危機バネがパラダイム(支配的規範)の大転換を迫ったともいえる。

 少子高齢化もまた、日本に大転換を突きつける強烈なメッセージであるのかもしれない。(五十嵐徹)

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(3)「金メダル取るのは当然さ」

2007.07.18 MSN産経新聞

 中国の大学界で最高峰の北京大学数学科学学院。17歳の1年生、甘文穎が国際数学オリンピック(IMO)大会で金メダルを獲得したのは昨年7月の大会だ。

 「金メダルはほとんど中国からの参加者が取っている。取れなきゃメンツがないよ」。甘の自信は、国家のシステムで特訓を重ねてきたことに裏打ちされていた。

 金メダルへの道は湖北省・武漢の公立高校で始まった。父親は県政府職員。甘は小学生時代、「勉強は嫌いでも数学はできた。ほとんど満点に近かった」。父親は才能を見抜いた。数学オリンピックの新聞記事を読み、甘を湖北省で「数学ナンバーワン」と呼ばれる「武鋼3中」(高校)に入学させる。

 中国では10月に約16万人の高校生が全国高中数学大会(試験)に参加する。国立の中国数学会は上位約150人を選抜した上、翌年1月の中国数学オリンピック(CMO)テストに参加させる。その大部分は大学に無試験入学できる資格を得るほどの英才だ。

 1週間の「数学キャンプ」で25人に絞られ、4月には特訓班「国家集訓隊」へ。ここで2週間に6回のテストを重ね、IMOへのメンバー6人が最終的に決まる。

 代表6人は97年以降のほとんどのIMO大会で、4人以上が金メダルという驚くべき成績を残し、国別総合得点順位もほぼ連覇している。

 90年から参加の日本は過去10年間、昨年の7位が最高だ。

 北京数学学校の趙●名誉校長は「数学は科学技術だけでなく、人類や文化に及ぼす影響も大きい。数学の人材が広がることで中国の発展に希望が持てる」と強調する。

 確かに、徹底した中国の数学エリート教育は、理科系人材の創出につながっている。

 中国は理科系人材を育成することで、世界の科学技術をリードしたいと考えている。

 特に力を入れている分野の一つが、ソフトウエアだ。日欧米の大学や企業に大量の人材を出して勉強させているほか、中国に海外の有名大学や大手企業の研究所を誘致して、技術獲得と技能アップに余念がない。

 甘も将来、米マサチューセッツ工科大で博士課程に進みたいとのビジョンを描く。

 一方、日本では若い世代の理科離れが深刻さを増している。(野口東秀)

 ●=木へんに貞

                  ◇

 ■ソフト開発まで外注

 20年前なら、日本の数学者は国際数学オリンピック(IMO)をほとんど気にもしなかった。短時間のうちに器用に問題を解いていく技術を、真の数学の能力と取り違えると、本物の数学者を育てるためにはかえって有害であるからだ。

 だが、今の日本では状況が変わった。「数学への関心を増すという観点から、IMOは有益と言わざるを得ないのではないでしょうか」

 北京大学や上海・復旦大学を訪れた経験を持つ北海道大学大学院准教授で数学者の本多尚文は、そう語る。数学そのものを構築していく本格的な最先端の研究分野で比べると、日本の数学は中国の数学の水準を上回る。しかし、日本の高校生たちの数学への意欲は薄らぐ一方である。

 日本の数学者から見ると、中国の数学は実用重視に偏りがちだ。「学生の間では公式集の丸暗記に力が注がれ、その意味を考えることは二の次です。数学に対する文化がまったく異なっている」と本多は語る。

 「でも中国の学生たちは非常にハングリーでエネルギッシュです」

 中国の大学では、収入増と結びつきやすい理系の人気が高い。

                   ◇

 中国が重視しているのがソフトウエア開発だ。欧米も10年以上前から、注目している。

 米IBMは1995年に中国研究センターを設立。2002年7月には、北京大学や精華大学などの主要6大学の優秀な学生に対して「天才孵化(ふか)計画」(Extreme Blue)をスタートさせた。

 学生を選抜しての英才教育だ。IT人材育成を目的とした中国各地のソフトウエア学院に資金を提供して関係強化を図っている。

 これに対し、日本の若い人たちの理科離れは著しい。慢性的にIT人材が不足するとともに、大学での工学部人気が大きく落ち込んでいる。目的意識を持った学生が集まらない。1995年に約57万人いた志願者が2005年には約33万人に減っている。

 就職でもIT業界への人気が低下している。今の日本の若い世代には「新3K」として敬遠されるのだ。きつい・厳しい・帰れない−のKである。結婚できないのKとされることもある。

 その結果、日本の企業は、インドや中国などの企業へソフト開発委託を加速させている。このままでは日本の自動車や家電製品を支えるソフトウエアの多くが中国やインドで開発されかねない。

 現在、日本のソフトウエアの輸出入状況は、圧倒的に輸入超過で、輸出1に輸入10の比率だ。

 当初は、安い労働力を武器にプログラミングの請負だけだったが、日本のIT人材の不足から、徐々にソフトの設計部分の開発をも発注することになり、中国にその工程をこなせる人材が多くなっている。

 現代は自動車、家電、飛行機などにとどまらず、企業の財務・生産管理に至るまでコンピューターソフトによって制御されるシステム社会だ。

 IT産業がグローバル競争の要である限り、IT人材の育成が国際競争力の鍵を握る。

 NTTデータの山下徹社長は「日本は技術立国をめざしてきたのに、それさえ危うくなっている。海外へのアウトソーシング(外注)によって技術だけでなく、これからの産業の根幹となる重要なソフトウエア開発を外国に委ねてしまう」と警鐘を鳴らす。そこに日本の真の脅威が内包されている。(長辻象平、気仙英郎)

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【用語解説】国際数学オリンピック

 世界80カ国ほどから数学に優れた高校生以下の若者が参加する。高校3年生レベルの数学知識で解けるとされるが、思考力や想像力も問う。成績上位者には、1対2対3の割合で金・銀・銅メダルが授与される。6人の総合得点で国別順位を決める。

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(4)「あの貪欲さはもうない」

2007.07.19 MSN産経新聞

 ニッポン製造業の象徴である半導体産業が、この20年間でいかに凋落(ちょうらく)したかは、下の半導体売上高ランキング世界10傑の比較表をみていただければ、一目瞭然(りょうぜん)だ。

 テレビやパソコンなど幅広い分野で使われる半導体、とくにメモリーと呼ばれる分野で、1980年代に世界の頂点に立っていた日本はいまや、世界シェアについても当時の半分以下の25%に落ち込んでいる。この没落の原因は何か。

 「半導体産業の盛衰にまでかかわっているという意識はなかった。とにかく米国の狼藉(ろうぜき)を思いとどまらせ、被害を最小限に抑えることが先決だった」

 日本製半導体の輸出を抑制するため、86年9月に結んだ「日米半導体協定」交渉で、「タフ・ネゴシエーター(手ごわい交渉人)」と呼ばれた元通産審議官、黒田眞(74)=現世界経済情報サービス理事長=はこう述懐する。

 当時、DRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)で日本勢の圧倒的な強さに危機感を強めた米国は、日本に外国製半導体の輸入増を求める協定を迫り、貿易摩擦の激化を恐れた日本は受け入れた。

 だが、米国は協定が守られていないとして87年、日本製パソコンなどに100%関税を課す報復措置を決定した。

 その後、日本は米国製品の輸入増に取り組んだ。黒田は今になって「米国が日本の頭を押さえつけた分、韓国や台湾のメーカーが伸びる余地を作った面はあるかもしれない」と語る。

 しかし、日米協定は半導体凋落の序章にすぎなかった。

 低迷の原因はもっと根深いところにあった。日本企業、さらに国家としての産業戦略の不足だ。日本の半導体産業は90年代初頭のバブル崩壊とともに斜陽産業となった。半導体は進化を遂げるごとに設備投資が倍々ペースで膨らんでいく。バブル後の撤退戦を強いられていた当時の経営者は半導体事業を「浮き沈みの大きい金食い虫」と敬遠し、投資を一斉に手控えた。

 時を同じくして、韓国、台湾メーカーの攻勢が始まる。特に財閥系の韓国メーカーは、週末に日本の技術者を呼び寄せて高額な報酬と引き換えにして技術指導を依頼。当時、日本の大手半導体メーカーは金曜日の夜、羽田空港や伊丹空港に「見張り番」をひそかに置いた。週末を利用して韓国メーカーに技術指導に出向く技術者に思いとどまるよう説得するためだ。

 韓国メーカーは日本メーカーのリストラに乗じ、従来の年収の2〜3倍という高待遇で日本の技術者を招き入れた。韓国大手メーカーに“転職”した日本人技術者は言う。「待遇面も大きいが、韓国人技術者たちがみな必死でやっていることに感動した。あの貪欲(どんよく)さはもう日本の現場にはない」。巨額投資を武器にした韓国・台湾勢が日本を追い抜くのに時間はかからなかった。

                   ◇

 ■揺らぐ「ものづくり」

 「『WHAT TO MAKE(何を作るか)』で米国に負け、『HOW TO MAKE(どのように作るか)』でアジア勢に負けた」

 50年にわたる日本の半導体産業の栄華と没落を目の当たりにしてきた東芝元副社長の川西剛(78)=現半導体シニア協会長=はこう分析する。

 栄華を極めたDRAMで惨敗した日本メーカーは、家電の心臓部となるシステムLSI(高密度集積回路)に軸足を移した。しかし、LSIは顧客の要望に沿って開発する特注品だ。手堅く稼げるが量の確保が難しく、「開発費がかさむわりに量産効果が出にくい」(NECエレクトロニクス)。最大手の米インテルがパソコン向けMPU(超小型演算処理装置)で8割弱ものシェアを握ったのとは対照的だ。

 欧米には自社の生産設備を持たない「ファブレス」と呼ばれる半導体メーカーが多い。自らは製品の開発や販売などに特化し、生産は台湾などの生産受託会社(ファウンドリー)に任せる仕組みだ。巨額投資のリスクを回避できるうえ、開発スピードも上がる。

 台湾メーカーは中国進出を加速させ、中国も新たなプレーヤーになりつつある。

 一方、日本の研究開発力そのものが低下している、と危惧(きぐ)する声もある。主要な国際学会での日本企業発の採択論文数は長期的に減少傾向にある。「ものづくり」をないがしろにする傾向も否定できない。

 「会社に絶望した」。大手電機メーカーの半導体設計者は最近、半導体とはまったく無縁の機器販売を行う営業職に転じることになった。会社のリストラに伴い、所属していた設計部門が解散したためだ。入社してわずか2〜3年。他社への移籍も考えたが、技術者を募集している同業他社はほとんどなかった。

 「より品質が高い製品をより安く」という日本が長い間守ってきた「ものづくり」の伝統は、いま、世界的なコスト競争という壁に突き当たり、大きな転機を迎えつつある。だが、日本の「ものづくり」への取り組みを改めて見つめ直すことこそ、新たな国際競争力を生み出す糧になるのではないかとの指摘もある。

 電子情報技術産業協会(JEITA)によると、日本の半導体産業が生み出す付加価値は3兆円弱。だが、半導体を使う電子機器などの製造業がもたらす付加価値は32兆円、さらに半導体を組み込んだ電子機器を通じて普及した情報サービスの付加価値は44兆円にのぼる。つまり、半導体産業は約80兆円にのぼる経済効果を支えている。

 日本の半導体産業が揺らげば、日本の産業そのものが揺らぎかねない。

 「まだ悲観することはない」と言う川西だが、「半導体だけでなく、製造業は日本の産業界が誇れる唯一無二の存在。これを失えば日本は滅びる」と警告する。  =敬称略 (田端素央)

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(5)モノいわず静かに静かに

2007.07.20 MSN産経新聞

 2005年2月23日、高野紀元駐韓日本大使がソウル外信記者クラブの昼食会で、竹島(韓国名・独島)問題に関連した質問に答え、「竹島は歴史的にも国際法的にも日本の固有の領土というのが日本の考えである」と述べ、大騒ぎになったことは記憶に新しい。

 当時、竹島が所属する島根県の県議会で「竹島の日」条例制定の動きがあり、この話が韓国に伝わって官民挙げて「日本ケシカラン」の雰囲気が高まりつつあった。

 高野大使は問われるままに従来の日本の公式立場を説明した。そして、「しかし、この問題では日韓両国の立場が対立しているため、問題が両国関係に悪影響を及ぼさないようお互い冷静に対処すべきだ」と付け加えた。日本大使としては外交的に配慮の行き届いた適切な発言だった。

 したがって、この発言はニュースにはならない。ソウル外信クラブを構成する外国メディアのほとんどは当然、聞き流したが、韓国のメディアが飛びついた。「日本大使がソウルのど真ん中で妄言」と非難し、反日感情を煽(あお)った。高野大使の写真が街頭で火あぶりにされ、テロのウワサも流れた。

 以後、大使公用車は「日の丸」の国旗をはずして走行し、大使は各種行事への出席中止などの外出を控える事態となった。韓国で繰り返されてきた日本外交”反日受難”の風景である。

 この時、高野大使の発言について韓国外務省当局者から「外交官としては洗練されない発言だった。あそこまで具体的に述べる必要はなかったのではないか。日本の方でもそういう反省が出ているようだが」という話を聞いた。

 竹島・独島問題について韓国の一部には「韓国が半世紀以上にわたって実効支配しているのだから騒がない方が得策」という考えがある。したがって高野発言にそういう批判が出てもおかしくはない。

 しかし日本の方でも高野発言に批判があるとは?

 在韓日本大使館筋によるとそれは事実だった。「韓国では反日感情を刺激するような発言は慎むべきだ。質問に対する大使の答えも『従来の日本政府の立場に変わりありません』といった、抽象的な言及で済ませるべきだったとの声が当方でも出ている」というのだった。

 あれ以来、大使館では大使以下、竹島発言はタブーになってしまった。”箝口(かんこう)令“に近い。韓国であれだけ話題になったのなら、これを機に日本の主張をさらに伝達すればいいのに、逆に萎縮(いしゅく)してしまった。

 ある大使館幹部は「日本大使の発言はできるだけニュースにならないようわれわれは日夜努力している」と苦笑していた。 日本の対韓外交は相変わらず「モノもいわず静かに静かに」というわけだ。(黒田勝弘)

竹島を論議する好機だった

 一国の大使が自国の公的立場を、任地国で表明できないなどということはあってはならないことだ。外交的配慮とは別問題だ。それを”妄言”として日本非難に動員する韓国マスコミに対しては、日本政府として抗議すべきだろう。

 いや、むしろあの機会に、高野発言は国家として当然のことであり、その内容も決して“妄言”ではないことを、竹島領有権問題の歴史的経緯や日本側の主張の根拠とともに、韓国マスコミおよび世論に積極的にアピールすべきだった。

 竹島・独島問題で反日感情が盛り上がった2005年以来、筆者(黒田)はタクシーの運転手をはじめ韓国人から「日本が独島を自分のものだという根拠は何か。日本は先進国だからでたらめを言っているはずはない。それなりに理由があるはずだ。韓国政府やマスコミが隠しているかもしれないので、それが知りたい」といった意味の話を何回か聞かされた。

 隣国なのに、そして自由な民主主義国なのに、日本の主張が伝わっていないのだ。

 歴史教科書や慰安婦問題、靖国神社問題を含め、日韓の懸案について韓国マスコミはいまなお相手の立場や主張を正確に紹介しようとしないが、だからといってあきらめてはいけない。

 反日感情を恐れ萎縮していては相互理解など成立しない。

 外国では反論し自己主張しないと相手に同意したことになる。

 ソウルの日本大使館には公報文化院というのがある。大使館の広報、文化業務を担当し院長は公使だ。本館とはかなり離れたところにあり、スタッフは必要に応じて本館に出かける。

 この公報文化院の活動が“歌舞音曲”など文化交流中心で政策広報に弱い。竹島問題をはじめ厳しく微妙な“懸案”で積極的な政策広報をやっている形跡はない。物理的にも担当公使が大使館中枢と離れていては、臨機応変の効果的な政策広報は展開できない。

 公報文化院は今、地方都市での日本文化紹介の「ジャパン・ウイーク」が終わり、今度は秋の「日韓交流お祭り」の準備に忙しい。文化への熱中(?)は懸案からの逃避に見える。文化では国際交流基金の「日本文化センター」もある。日本大使館は政策広報に集中してはどうか。

 日本外交の事なかれ主義は竹島問題に象徴される。今年2月22日の「竹島の日」に向け、日本政府は問題を島根県に押し込めようとしたフシがある。日本大使館スタッフは韓国側に「あれはローカルの動き」と説明していた。松江での記念式典に出席した地元国会議員たちも、どこからか言い含められたように誰もあいさつに立たなかった。

 韓国では日本が竹島問題を「国際司法裁判所の判断に委ねては」と主張(注)してきたことさえほとんど知られていない。韓国はこれを拒否し続けているが、このことなどもっと内外にアピールしていい。

 韓国の世論に日本をいかに理解させるか、対立や論争覚悟の“攻めの外交”が求められている。

                  ◇

(注)日本政府は1954年と1962年に2度、オランダ・ハーグの国際司法裁判所への提訴を韓国に提案したが、韓国は応じていない。日本政府は敗訴の場合、「結果に従う」(小坂善太郎外相答弁)としている。

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(6)科協(カーギー)がさらう頭脳と技術

2007.07.21 MSN産経新聞

 東京都文京区白山の白山通り沿いにどっしりと構える地上13階建てビル。屋上には、巨大な短波用のアンテナがそびえ立つ。朝鮮総連の傘下団体が数多く入居する同ビル6階に「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の本部がある。

 本紙カメラマンが写真を撮ろうとしたところ、ビルからすぐに男が出てきて、「何のために撮るのか」と詰め寄ってきた。

 この科協の幹部数人が北朝鮮の首都・平壌で万雷の拍手で迎えられたのは、1999年3月、人民文化宮殿で開かれた「全国科学者・技術者大会」だった。前年の8月末、北朝鮮は日本上空を越えて三陸沖に着弾した中距離弾道ミサイル「テポドン1号」を発射した。

 壇上に立った崔泰福朝鮮労働党書記は「われわれの技術で初めて人工衛星『光明星1号』を成功裏に発射した」としたうえで、申在均会長(当時)ら科協代表団を次のように称賛した。

 「在日本朝鮮人科学者、技術者たちは社会主義祖国の富強発展と祖国統一のために愛国的活動を活発に展開し、主体朝鮮の公民となった栄誉を胸深く刻み、祖国の科学者、技術者たちと経済建設に大きく寄与した」

 『光明星1号』という日本国民を震撼(しんかん)させた弾道ミサイル打ち上げに成功したのは、科協の「愛国的活動」のたまものと、労働党幹部が認めたのである。

 実は、「カーギー」と総連関係者が呼ぶこの組織の活動は、秘密のベールに包まれていた。

 そのベールを警視庁公安部がはいだのは、一昨年10月、科協役員らによる薬事法違反事件で科協本部を初めて捜索したときだった。押収した資料から驚くべき実態が明らかになった。  まず科協が朝鮮労働党の工作機関・対外連絡部の直轄下にあり、本国の内閣の一機関である国家科学院などと共同研究を指示されていたことがわかった。

 対外連絡部による科協への活動指示書は「科学技術は祖国を強盛大国にする柱」だった。「強盛大国」とは金正日総書記の国家目標であり、軍事や技術面などで大国化を目指すスローガンだ。具体的には核やミサイルの技術向上への貢献を科協に求めたのである。

 科協が共同で研究していた国家科学院は、ウラン濃縮の有力施設と米国が韓国に通告したと過去に韓国紙が報じたことがある。科協は核などの大量破壊兵器(WMD)開発の物資調達機関といえよう。

 愛知県に本社があるA社はミサイルや核の開発に欠かせない特殊鋼のメーカーだ。エンジン部品やトランスミッション部品の軽量化の開発などで知られる。北朝鮮は約10年前、A社に調査団を派遣したいと申し入れたが、A社は拒否したという。

 だが、北朝鮮は軽量化技術に固執し、どうやら、科協関係者がA社などの定年退職者にターゲットを絞って接触していると公安当局者はいうのだ。科協の上部組織である対外連絡部は、有本恵子さん拉致に関与した工作員の所属先でもある。目に見えないところで浸透工作が続いているといえないか。(高木桂一、川瀬弘至)

 ■「北」に無頓着な研究者

 科協の驚くべきもう一つの実態は、そのネットワークの広がりだ。

 警視庁が押収したのは全国12支部の科協の会員1200人弱の名簿だった。うち約300人の幹部級名簿は比較的詳細で、学歴も朝鮮大学校のほか、日本の旧帝大の校名が記載されていた。

 勤務先として、複数の国立大や独立行政法人の研究機関、電機メーカーや重機大手など日本を代表する企業名があった。工学や化学、農学などの分野で専門家がそろい、軍事技術に転用ができる分野の会員もいた。

 問題は、こうした科協のネットワークを通じて、日本の先端技術や知識が恒常的に北朝鮮に流出してきたことだ。

 警視庁は2003年6月、ミサイルの固形燃料開発に転用可能な超微粉砕機「ジェットミル」をイランなどに不正輸出したとして機械メーカー「セイシン企業」を捜索した。科協の元幹部が関与し、ジェットミルを北に不正輸出していたことも明らかになった。

 その1カ月前の5月、米上院政府活動委員会小委員会で北朝鮮の兵器輸出に関する公聴会が開かれた。北朝鮮の弾道ミサイル開発に携わり、テポドン1号発射の前年97年に亡命した元技師は「ミサイル部品の90%は日本から輸入された。朝鮮総連を通じ、万景峰号で3カ月ごとに運ばれていた」と証言した。

 押収された文書にも、科協の幹部級が万景峰号で祖国訪問した際に接触した北の研究者から、研究に必要な具体的な技術情報を求められたとの記載があった。

 さらに朝鮮労働党の軍需工業直属機関である「第二委員会」から物資調達指示を示唆する文書や「今度帰国の際には〇〇の資料を本国に持ってくるように」と直接命じた文書も見つかった。

 問題は、「北朝鮮の軍事を支える産業スパイ工作集団」(公安関係者)とみられる科協が、日本人科学者を直接、間接に取り込んでいることだ。

 科協の初代会長、李時求氏は、京都大学から大阪大学大学院に進み、日本の原子力研究の第一人者、伏見康治博士の下で原子物理学を学んだ。公安関係者によると、李氏は86年に宇宙工学の権威で東大名誉教授の故糸川英夫氏を、87年には伏見博士をそれぞれ北朝鮮に招聘(しょうへい)した。

 伏見氏は月刊「日本の進路」01年1月号で「北の方々が、現に(日本)国内で活躍されておられる。その方々はひんぱんに祖国を往来しておられる。それなのに半世紀たったいまでも国交が回復しないのはどういうわけか」などとつづった。

 科協関係者は国立大学などの日本人研究者に巧みに近づき、日本の先端技術を吸収してきたと公安当局者は指摘する。

 今年6月、北朝鮮は短距離弾道ミサイルを3発発射した。いずれも固形燃料を使用したとされる。日本の企業が不正輸出したジェットミルが何らかの役割を果たしたといえなくはない。

 固形燃料を使用するミサイルは液体燃料に比べ、機動性を格段に増す。トラックの荷台に積み込み、いつでも自由に発射できる。捕捉は格段に困難になる。日本向けのミサイルに転用されれば、日本の平和と安全への重大な脅威になる。脅威に無頓着な日本人自らが、結果的に祖国に対して弓を引いている。

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(7)「世界のメディアを虜に」

2007.07.22 MSN産経新聞

 「グッチ・ガールの新たな人生」という見出しに、美女とトラのツーショット写真が踊った。2006年7月30日付の英大衆日曜紙メール・オン・サンデーだ。

 絶滅の危機に瀕(ひん)する華南トラに対する世界初の保護組織「華南トラ救済基金」代表者、ロンドン在住華僑、全莉(ぜんり)さん(45)の活動が好意的に報道されていた。彼女については、02年から今まで延べ約600の国内外のメディアが報じている。

 伊有名ブランド・グッチで特許事業の責任者を務めた7カ国語を操るビジネスウーマンは今、トラ保護に人生をかけるNPO(民間非営利団体)代表だ。それだけで興味はそそられるが、北京に一時帰国した際に実際に会ってみるとメディアが夢中になるのがわかる。

 虎柄のパーカー、アフリカの民族工芸風ネックレスという、さりげなく個性的で洗練されたファッション。荒唐無稽(むけい)に思えた「動物園生まれの華南トラを野生化させる」という計画も彼女の快活で自信にあふれた声で聞くと、壮大なロマンに思えてくる。

 中国南部原産の野生華南トラは生存数30頭を切っている。そこで動物園生まれの子供のトラをアフリカの自然の中に放ち、狩りの仕方などを仕込んで、野生種の絶滅を先延ばしにしようという試みだ。それに資金と人が続々と集まっている。

 北京の軍人家庭に生まれ、北京大学在学中にベルギー留学生と結婚。ベルギーに移住するも離婚、その後、米ペンシルベニア大ウォートンスクールでMBAを取得。ベネトン、グッチなどで築いた社交界人脈と交渉力が彼女の強みだ。

 後に夫となる米国人投資銀行家による400万ドル(約4億8000万円)の援助で、南アフリカに330平方キロメートルの土地を買った。

 映画スターのジャッキー・チェンや英ロックバンド、デュラン・デュランのニック・ローズ、世界的な著名指揮者、クリストフ・エッシェンバッハ氏らが次々と賛同。香港、英国政府、米内務省国立公園局も彼女の活動を支持している。

 中国政府は02年、全面的なバックアップを宣言し、上海動物園の華南トラの子4頭の出国を快諾した。密猟や生態系破壊のイメージがつきまとう中国はチベットカモシカの保護などにそれなりに力を入れているが、海外メディアが好意的には取りあげることは少ない。

 ところが全さんの活動とタイアップしたトラ保護活動は世界のセレブが応援した。

 全さんは言う。「このトラ救済計画ほど世界のメディアがこぞって報道した中国のプロジェクトがほかにあって?」

 隣の大国は、プロパガンダとはひと味もふた味も違う洗練された広報外交を展開しはじめている。

■巧みな中国の広報戦略

 魅力的な人物を“広告塔”にして国家のイメージアップを図る手法は中国ではこれまでもあった。例えば、昨年4月の胡錦濤国家主席の訪米時、ホワイトハウスの歓迎式典にはハリウッド映画「SAYURI」で芸者役を務めた中国人女優、チャン・ツィイーも参加、五星紅旗と星条旗を持ちながらAPのカメラに笑顔を向けた。

 中国が禁止する法輪功への支援活動などで結果的にイメージアップ効果は相殺されたが、ハリウッドで人気のオリエンタル・ビューティーで政治に彩りを添える巧みさは中国らしい。

 先の戦争中は、蒋介石夫人の宋美齢氏がワシントンで連邦議員を前に熱弁を振るった。流暢(りゅうちょう)な英語と米国の価値観を理解する美しい帰国子女の魅力が米国世論を中国に引きつけた。一方で日本は辛酸を極めた。その伝統を今も見る思いだ。

 これを「プロパガンダ」と言ってしまえばそれまでだが、欧米諸国でも、政府が外国の世論に働きかけるかたちで国家の対外イメージを改善する方法は「パブリック・ディプロマシー」(広報外交)として重視されている。民間で活躍する魅力的な文化人やNGO、NPO活動に政府広報がのるのは当然なのだ。

 4月に北京の名門大学・清華大学でパブリック・ディプロマシーに関する国際会議「国のイメージと2008年北京五輪」が開かれた。参加した前在中国日本大使館広報文化センター長の井出敬二公使は「中国の広報外交にかける意気込みに驚いた」という。それだけにとどまらない。

 対外文化交流の予算は日中間で中身が違うものの、06年の中国の文化体育放送事業支出は前年比24%増の123億元(約1968億円)。これに対し、日本は同6%増の287億円だった。

 昨年11月、中国はアフリカ53カ国中、48カ国を招き、北京で中国アフリカ首脳会合を開いた。国家元首か首相が出席したのはうち41カ国。日本はこの会合に出席する首脳に対し、東京まで足を延ばすよう呼びかけたが、応じた大統領は9カ国にとどまった。相手国の人権問題には口を出すことなく、カネや人をつぎ込み、原油などを確保しようという中国の攻勢はさておき、吸引力の差をみせつけたことは否定できない。

 日本にも元国連難民高等弁務官の緒方貞子・国際協力機構(JICA)理事長のように国際的に通用する人材はいる。今年のミスユニバースは日本代表の森理世さん。若い世代にも魅力を持つ国際的な人材が育っている。日本が発信するアニメ、ゲームといったソフトパワーはいわずもがなだ。ただ、それらを国家の広報戦略と結びつけるという発想は日本にあまりない。そういう政治性のなさが日本人や日本文化の魅力だが、中国の巧妙といえる広報外交には脅威を感じた方がよいのではないか。

 英BBC放送などが昨年11月から今年1月にかけて世界27カ国、2万8000人を対象に実施した「世界に好影響を与えている国」調査によれば、ダルフール虐殺への間接的支援や人権問題、環境汚染や温室効果ガスの垂れ流しなどマイナスイメージの要因を山のように抱える中国がイメージのよい国(42%)として第5位に食い込んだ。

 それが中国の広報戦略の結果であるとすれば、同じ調査で日本の国家イメージがカナダと並ぶ第1位(54%)だったことを喜んでもいられない。(福島香織)

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(8)米議員の足が遠のいている

2007.07.23 MSN産経新聞

 首脳同士の緊密さなどもあって、一般にはかつてないほど良好といわれる日米関係だが、日米交流に携わる人々の間ではその現状と将来を危ぶむ声が聞かれる。

 日本国際交流センター理事長の山本正さん(71)もその一人だ。日米民間対話の草分けともいえる下田会議を、米フォード財団や日本の経済界からの支援で1967年に立ち上げ、翌68年からは議員交流も始めるなど日米交流歴は長い。

 とくに議員交流は、政策決定に大きな役割を担う議員こそ相手国への理解を深め、また欧米間のように議員の個人的な信頼関係を築くためにも必要性を痛感してきた。

 13回も参加したフォーリー元下院議長はついに駐日大使となったし、ラムズフェルド前国防長官は第1回の参加者だ。

 ところがいま、その歴史ある議員交流がピンチだ。去年は、他のプログラムすべて合わせても10人来たか来ないかだった。

 山本さんは言う。

 「とにかく(日本へ)連れて来るのがひと苦労。昔と比べて議員たちが内向きになった上に、忙しすぎる。議会の日程が長くなり拘束日数も増えた。長期で外に出られない。3日ならと言う」

 物見遊山との批判の声も以前より強まった。その標的になったことのあるフォーリー氏は山本さんに、「どこが物見遊山か、日程を見せてやりたい」と嘆いたほどだ。

 だが問題は、そんな逆風下でも同じアジアの中国にはむしろ増えていることだ。国際交流センターによると、昨年は訪日(9人)の倍強の22人の議員が訪中している。議員スタッフはもっと深刻だ。2001年から5年の連邦予算拠出以外の事業による訪日は75%減ったのに同時期の訪中は2・7倍も増えた。

 さらに山本さんの懸念に拍車をかけるのが日米関係専門家のポストの減少だ。米中関係専門家の3分の1程度、このままでは先細りしやしないか。ワシントンのシンクタンクにおける日本プログラムも減少している。

 これに対して中国との共同研究や対話は、米国のほぼすべての外交関連シンクタンクで行われ、中国政策の専門家以外からも関心が集まる。

 米国人にとって中国は好奇心や経済的好機の対象と同時に、安全保障や脅威の対象でもある。つまり、いろいろな意味で知らなくてはいけない国が中国なのだ。結局、米国の財団、企業から資金は中国プログラムに流れ込む。

 「米国は新しいプライオリティー(優先)ができると、金を集中して注ぎ込む。常にプライオリティーは何かを考えている。予算レベルでしか考えない日本とは違う。米国は強いなと思います」と山本さん。

 いま山本さんの最大の仕事は金集め。良好な日米関係の水面下で日本の存在感の低下が静かに進行する。

■「日米」維持には特別な努力

 日本では交流予算が縮小している。例えば1991年に発足した日米センターの予算(事業費)は、90年代半ばに比べて約75%減だ。活動資金は政府出資金の500億円の運用益で賄う方式が取られたが、金利低下やバブル崩壊、財政再建などが追い打ちをかけた。

 もっとも予算の問題は氷山の一角かもしれない。前出の山本正さんは、日本における交流の在り方自体に疑問を投げかける。

 「文化交流が多く知的交流が少ない。例えば日本が東アジアの中で進もうとする方向について、それは米国との対比ではどうかとか、日本の政策決定のプロセスやキーマンは誰かなど、いま米国が日本について本当に知りたい課題に答えられる政策志向的な組織やシンクタンクが足りない」

 人材不足もある。この点は日米センターの沼田貞昭所長も同感だ。

 「ワシントンではセミナーやシンポジウムで、世界が直面するさまざまな課題を日々、しかも各所で議論している。その時に日本はこうだと発言する日本人をあまり見かけないというのです」

 つまり発信力が弱い。日本の立場を踏まえて理を尽くした議論のできる人が少ない。いても顔触れが決まっている。

 官庁も大学も企業も、そういう形で派遣する制度はない。国際会議を発信の場ととらえ、人材をどんどん送り込む中国と、ここでも差は明らかだ。どうしたらよいのか。

 外務報道官を務め、外務省きっての英語の使い手といわれた沼田さんはズバリ、場数だと言う。

 日本人は完璧(かんぺき)主義者が多いが、下手でも構わず発言する。場数を重ねる中で度胸もつくし、うまくもなっていく。

 「国会答弁ばかり書かされていて突如、発言しろといわれてもできません。魅力的にしゃべれる人が少ない。若い時から場数を踏むことです」

 米国が日本への関心を失ってしまったとは言い切れない。ワシントンでも日本人の議論への参加を期待する人は少なくないと言う。

 自由度も含めて中国との知的対話にはやはり限界がある。それに東アジアの議論が日本抜き、米中関係だけで進められては、正当な認識を著しく欠くことにもなる。

 山本さんはいまこそ議員交流も含め日米交流にあらためて取り組むべき時と考える。日米関係がなぜ重要か、深い理解を備えたキーパーソンを育てたい。そのためには米国の地方や他の機関とも協力して、と新たな想を練る。

 日米と欧米との決定的な違いは距離、資金、歴史の積み重ねだ。また日本からアジアへ行く人も、放っておいても増えるだろう。

 「日米関係の維持、向上には特別な努力が要るということです」。長い日米交流の経験を通じた山本さんの実感である。(千野境子)

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵(9)官僚自ら「柔軟な発想無理」

2007.07.24 MSN産経新聞

 「海洋国家ニッポンと言いながら、海の監視システムが十分でない。早急に整備すべきだ」。日本版国家安全保障会議(NSC)創設をめざす官邸機能強化会議のメンバーで軍事アナリストの小川和久さん(61)が、首相官邸にこんな提言メモを送ったのは先月中旬。青森県で起きた北朝鮮を脱出した一家の漂着事件から間もないころだった。

 周囲を海に囲まれた日本の海岸線の総延長はざっと3万5000キロ。米国(2万キロ)や中国(1万5000キロ)よりも長いことはあまり知られていない。

 現状は海上保安庁や自衛隊を中心に海と空から監視しているが、人員も装備も限界がある。あやしい船の侵入を常時監視する態勢づくりは積年の課題だ。

 大きな予算をかけずに国籍不明船の監視システムを作る方法はある、というのが小川さんの発想だ。(1)領海の要所にすべての船に通過を義務づけたチェックポイントを設ける(2)そこに無人の電子ブイや巡視船などを配置して船の行き先や身元を電子認証する。この方式で取りこぼした船を補完的に衛星情報などでチェックすれば監視効果が飛躍的に高まるという。

 青森県に漂着した船は全長約7・4メートル。日本上空にはこんな小舟の識別にも使える民間衛星が10個以上あり、一定の解像度のレーダーや赤外線センサーを積んだ機種もある。これらの衛星情報を活用すればいい、と小川さんはメモに記した。

 監視強化というと「巡視船を増やせ」といった話になりがちだが、役所の買い物は時間もカネもかかる。要は省庁、官民の垣根を越えて知恵と工夫を柔軟に組み合わせることだ。チェックポイントや無人ブイ、衛星情報を組み合わせた監視システムについて、海上保安庁当局者も「簡単ではないが、検討する価値はある」と関心を示す。

 「でも、無理でしょうね…」と小川さんはこぼす。縦割り行政の壁は厚く、政治は調整機能を欠いている。「役人に任せていたら、いつまでも具体策は出てこない。それが日本の『見えない敵』と言っていい」

 小川さんはトップクラスの官僚たちと議論するが、次官級の官僚が「私たちの前頭葉では柔軟な発想ができない」ともらす。内閣官房の出向者も外務省は外務省、警察庁は警察庁と出身官庁を向いた縦割りの中で動かざるを得ない。即効性のあるアイデアは出てこない構造になっている。

 船舶監視システムにしても、実現するには外務省、防衛省、警察庁、海上保安庁、法務省、水産庁と海上自衛隊、航空自衛隊など少なくとも8省庁・機関の調整をクリアしなければならない。

 「官僚がダメというのではない。官僚制度の限界を理解した上で、優秀な頭脳を国民のために生かす政治の営みが必要だ」。小川さんは日本版NSCがその有力なツールだと指摘する。だが、日本版NSC設置法案は参院選に向けた政治の荒波にのみこまれ、先の通常国会で継続審議になってしまった。

■「縦割り」是正の司令塔を

 小川さんは3年前にも縦割り行政の弊害を痛感した。イラクのサマワに派遣された陸上自衛隊の活動が本格化した2004年のことだ。

 前年秋、当時の小泉純一郎首相はメソポタミア湿原の復元構想に大規模雇用創出プランを盛り込むよう外務省などに指示した。

 飯島勲首相秘書官と共同作業した小川さんは「早く実行に移してほしい」と何度も外務省に要求した。

 だが、外務省の回答は「民間人が現地に入れるようになってから、国際協力機構(JICA)に任せても事業適地の調査には1年以上かかる」というものだった。

 小川さんは「それなら自衛隊が調査をすればよい」と、外務省に承諾させた上で現地部隊に指示してもらったところ、わずか1週間で地図を添えた調査データが上がってきたという。

 だが、そこまでだった。防衛庁(当時)には政府開発援助(ODA)を実施する権限はなく、外務省の動きはそのまま止まってしまった。

 外務省側にも事情がなかったわけではない。前年秋、日本人外交官2人がテロの犠牲になった後遺症もあった。自衛隊駐屯地内に外務省サマワ出張所が設置されたが、陸自約600人に比べて外務省は5人で1チームを組み、復興支援担当は2人しかいない。駐在も1カ月交代だった。

 そこで、復興支援のための作業に自衛官を外務省職員として投入する話もあったが、なぜか立ち消えになった。

 「自衛隊に大きな顔をされたくない」という一部外務省職員の姿勢が見えるようでハラが立った、と小川さんは言う。

 これらは日本が総力を挙げて懸案に取り組むシステムが確立していないことに起因している。

 米国がNSCを設置したのは1947年。国務省、国防総省、軍などの意見や提案を横断的に検討し、直属の情報機関として米中央情報局(CIA)も設けられた。それ以来、大統領が官僚機構や専門家の頭脳を駆使して機動的に決断を下す司令塔の場として機能している。

 NSC型の政策調整機関を置いていなかった英国も最近、ブレア氏の後を継いだブラウン首相が「英国版NSCを設置する」という構想を明らかにした。

 「省庁間の権益を調整し、政治が決断を下す。それが日本版NSCに期待されたシステムだ」。強化会議の報告を受けて政府が設置法案を国会に提出したのが4月。継続審議となったために、日本版NSCの骨格ができるのは早くても来年以降になる。

 「米国に60年も後れをとっている」。小川さんの悩みは深い。(高畑昭男)

【やばいぞ日本】第1部 見えない敵 番外(完)底知れぬ「中国株式会社」

2007.07.26 MSN産経新聞

 今年2月、元米国防総省の中国専門家が禁固3カ月の刑期を終えて出所した。ロン・モンタペルト博士である。

 筆者は15年前のワシントン駐在(在米日本大使館1等書記官)時代に初めて会った。その時は国防大学で教えていた。物静かな紳士という印象だった。その後、ワシントンから忽然(こつぜん)と姿を消した。

 2004年にハワイで米連邦捜査局(FBI)により逮捕され、中国軍諜報(ちょうほう)工作員にさまざまな秘密情報を長期にわたり漏らしてきたと自供したことが報じられた。

 その中には中国の中東向けミサイルなどの兵器輸出に関する最高機密も含まれていたという。金銭で買収されたというよりは、自発的な確信犯だったようだ。そういえば、国防関係者のくせに妙に中国に同情的だったことを思いだす。ただ、国防総省にまで、スパイ網が張り巡らされているとは、初めはとても信じられなかった。

 05年10月、チ・マック(麦大志)夫婦ら5人の中国人がFBIにより逮捕されたことも中国の浸透力を物語る。マックは国防関係企業で働いてはいたが、カリフォルニアではどこにでもいそうな、ごく普通の中国系米国人1世だ。 その彼が、潜水艦推進システムなどの機密情報を違法に中国に提供した容疑で起訴され、裁判は今も続いている。

 以上は「米中経済安全保障再考委員会06年版年次報告」の中で紹介された米国での中国スパイ事件であり、氷山の一角にすぎない。モラーFBI長官は03年の議会証言で「現在米国にはスパイ活動を行う中国の“偽装会社”が3000社以上存在する」と述べた。

 豪州に亡命した元中国情報部員によると、現在米国では数千人の中国人スパイが活動中だという。

 米情報関係者用に作成された部内資料「04年版情報脅威ハンドブック」によれば、中国のスパイ活動の対象は、軍事技術にとどまらず、一般中国企業が関心を有する汎用先端技術にも及んでいる。「最近では米捜査当局が捜査に着手した事件のほぼ半分が中国絡み」との衝撃的な記述もみえる。

 今や米政府・議会は中国の官民一体となった大規模な情報収集活動に神経を尖(とが)らせている。

 1980年代後半から米国で一世を風靡(ふうび)したあの悪名高き「日本株式会社」論。当時日本は、政官財界が一体となって戦略産業を保護し、不透明な商慣行によって米国の競争相手を次々と排除する「国家主導型インサイダー経済」と厳しく批判された。

 それから20年。今度は米中間で同じような貿易摩擦問題が表面化しつつある。そこに登場しているのは、昔の日本以上に国家主導の不公正経済であり、強力かつ底知れない「中国株式会社」といえる。日本がこの株式会社にのみ込まれないという保証はない。

■カギは国家の「体力」回復

 筆者は2000年秋から3年半近く、北京に在勤(公使)して、「中国株式会社」の存在を確信した。

 この株式会社は、共産党一党支配の下、政治・官僚・産業が一体となって、エネルギー、コンピューター、航空・自動車といった戦略産業の育成に努めている。強力な軍隊を維持し、国内市場は今も不透明だ。

 世界貿易機関(WTO)加盟後も、中国では経済活動すべてに人為的影が付きまとう。市場の「見えざる手」に任せるどころか、逆にこれに挑戦しているかのようだ。中国で長くビジネスを手掛ける日本人は口をそろえて「中国での商売には見えない壁がある」と言う。

 規則は突然変更され、政治的コネのない商売は成り立たず、そのルールも実に不透明である。まるで13億人の「政商」を相手に商売しているようなものだ。

 「中国株式会社」の底知れぬ恐ろしさを示す例をいくつか挙げよう。

 前述の「情報脅威ハンドブック」によると、中国のスパイ活動には特徴がある。旧ソ連国家保安委員会(KGB)のような「小人数のプロの工作員」ではなく、むしろ「素人に近い多数の工作員」を重視するというのだ。中国情報機関は必ずしも工作員を直接コントロールせず、目的を特定せず、より長期的でより広範な情報収集活動を好むらしい。

 誰もがスパイになるかもしれない中国式「人海戦術」は摘発が非常に難しいと「ハンドブック」も認めている。

 技術情報の取得は合弁事業を通じても行われる。フランスの食品大手「ダノン」社は1996年から中仏合弁事業に数千万ドルの巨費と最新技術を投入し、中国でヨーグルト飲料などを販売してきた。2003年ごろから似たようなコピー商品が市場に出回り始めたので調べてみると、何と犯人は合弁相手の中国人パートナーだった。勝手に秘密工場を建て、ダノンの技術でコピー商品を製造販売していたらしい。似たような話は日本の大手企業などでも起きたといわれる。

 善意で始まったはずの日中合弁事業がこのようにして頓挫したケースは決して少なくない。

 最も懸念すべき点は、「中国株式会社」が「武装」していることだ。人民解放軍は巨大であり、冒頭紹介した米国でのスパイ活動の重点も軍事情報であった。

 中国経済の発展が軍備拡大を支え、強大な軍事力が国際政治上の発言力を強め、それが経済発展をますます促進するという大規模な「好循環」は既に始まっている。

 これに対する日本のシステムはあまりにも脆弱(ぜいじゃく)だ。「中国株式会社」の不公正取引を真正面から指摘する政治家・官僚はまだ少ない。

 最近のイージス艦情報事件やデンソー事件の発覚にもかかわらず、日本における中国の軍事・産業スパイ事件に対する反応は総じて鈍かった。

 「中国株式会社」がいかに歪(いびつ)なシステムであっても、資金流入が続く限り、当面拡大再生産は続き、国際競争力も高まる。

 中国の経済・軍事力の拡大が不可避である以上、今の日本に必要なことは中国と「政治的」に互角に渡り合える「国家としての体力」を回復することではなかろうか。(寄稿 宮家(みやけ)邦彦)

 宮家氏は05年に外務省退職、06年から立命館大客員教授、総理公邸連絡調整官。AOI外交政策研究所代表。53歳。


【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(1)対北投資ファンド暗躍

2007.08.18 MSN産経新聞

 北朝鮮のウラン資源をめぐり「ロンドン・平壌コネクション」といわれる国際金融ルートが、その全容をみせつつある。

 2006年9月、北朝鮮による核実験の1カ月前、ロンドンで「朝鮮開発投資ファンド(略称、朝鮮ファンド)」が創設された。欧州、中国などの大口投資家などから総額5000万ドル(約60億円)を集める。秘密厳守、一般投資家は相手にしない。「金、銀、亜鉛、マグネサイト、銅、ウラン、プラチナを採掘するための設備」(同ファンド幹部)を将軍様こと金正日総書記系の鉱山企業に提供する。代金代わりに鉱物を獲得し、国際市場で売りさばく。

 北朝鮮のウラン埋蔵量は潜在的には世界最大との説も米中ロシアの専門家の間では有力だ。ウラン価格はこの4年間で12倍以上も上がった。

 「金正日は狂っちゃいない。完璧(かんぺき)にまともだ」と公言するのは朝鮮ファンドを取り仕切るコリン・マクアスキル氏。北専門ビジネスの「高麗アジア」社(ロンドン)会長でもある。

 冷戦の最中、1970年代末から北朝鮮ビジネスにかかわり、93年までの10年間、年間1トンの割合で北の金塊をロンドン市場で販売する仲介を行ったが、「北朝鮮は金取引でトラブルを起こしたことはない」と強調する。高麗アジア会長として、ロンドン、平壌を軸に香港、上海、ワシントンと人脈ネットワークを広げている。

 朝鮮ファンドの資産管理はロンドンの金融監督局監督下の「アングロ中国キャピタル投資」が担当。アドバイザーには米国務省北朝鮮担当元高官のリン・ターク氏を誘い込んだ。

 高麗アジアは朝鮮ファンド設立に合わせ、ロンドンの投資家グループから平壌の合弁外資銀行「大同信用銀行」の70%の保有株式を買収した。大同信用銀行はマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」に700万ドル預けていたが、米国の金融制裁により全額が凍結されていた。

 マクアスキル氏は米財務省高官に対し「金融制裁は米国の国益にならない。解除しないと、朝鮮ファンドの取引通貨はドルをやめてユーロかポンドにするしかない」と再考を促した。

 米国はその弱い腹を突かれた。ドル資金だと米銀が必ず金融取引に関与するので、テロ資金を規制する名目の米愛国者法を適用できる。ところが、欧州通貨にされると追跡は困難だ。

 米紙クリスチャン・サイエンス・モニターは今年1月22日付で「鉱物資源が北朝鮮の金融制裁圧力を減らす展望を開く」と報じ、その通りになった。

 米朝関係は今、変わり目にある。米国の穀物・金属商社カーギル、鉱山開発技術を持つエンジニアリング大手のベクテル、さらにゴールドマン・サックス、シティグループの金融大手は2002年10月の核疑惑再燃前には対北投資に意欲をみせていた。

 「このまま米朝対話が進めば、米国で対北投資ファンド設立の機運が再燃するだろう」と、ワシントンのアジア投資コンサルタントはみる。

 朝鮮中央通信は今月13日、金正日国防委員長による鉱山地帯の咸鏡南道への相次ぐ視察を報じた。一方で、民間の国際金融主導でウラン鉱を含む北朝鮮の資源開発が進むことの危険は大きい。「北朝鮮が国際金融のルートを持てば、北の核はテロリストなどに拡散する危険が高まる」とジョン・ボルトン元国連大使は強調する。投資ファンドの資金提供により、北朝鮮が原鉱石からウランを抽出したイエローケーキを大量生産すれば、首領系企業は外貨稼ぎのため、その闇輸出に走るだろう。その結果は、飢える民に目もくれず「宝の山」を誇示する将軍様をますます肥え太らせてしまう。「平和利用」を隠れみのにした核開発が続けられる恐れもある。

 6カ国協議での2月合意の「核の無能力化」の履行は不透明のままだ。国際金融という巨大なブラックホールは北朝鮮を吸い込みつつある。それが核問題をさらに迷走させるかもしれない。こうした動きは日本の国益に響く。だが、日本は米英などの投資ファンドや関係当局に自制を促すなどの方策を取ろうとしていない。蚊帳の外に置かれたと嘆いていても問題は解決しない。

 ≪開発規制へ包囲網を≫

 「指示通りの量の鉛をソ連に送るという、あなたの支援を感謝します。ソ連政府は武器弾薬および技術設備についてあなたの要請に全面的に応じます」。これは、ロシアのエリツィン政権が90年代に公開した旧ソ連時代の極秘文書群の中から見つけた、スターリンの金日成にあてた1950年3月18日付書簡である。文中の「鉛」とはウランの偽装名である。

 「スターリンはウラン提供を約束した金日成を褒めたたえ、48年9月8日、北朝鮮の指導者として信任した」(マンソウロフ元ソ連駐北朝鮮大使の論文「北朝鮮の核爆弾への道」から)。金日成は49年後半から50年にかけてウラン鉱約9000トンをソ連に輸出。ソ連は49年8月に初の核実験、北のウランにより米国に対抗した核大国の地位を不動にした。金日成は代金の代わりに武器の提供を受け、50年6月に38度線を越えて侵攻した。朝鮮戦争である。

 足元のウラン資源の軍事価値を知った金日成は56年にソ連から核技術の提供を受けて以来、延々と核開発を進めてきた。核の魔力に取りつかれた後継の北朝鮮の国家指導者はとうとう2006年10月、核を爆発させた。

 北朝鮮のウランなど希少鉱物資源の分布状況について、金日成やスターリンが知る手がかりになったのは、戦前に朝鮮総督府地質調査所が行った地質や資源調査資料だ。データは綿密かつ正確。スターリンは1947年4月にウランの抽出技術専門家を含む希少金属地質調査団を北朝鮮に派遣した。調査団は翌年、朝鮮総督府のデータ通り、核爆弾を安く開発できるだけの放射性物質を確認して欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した。今でも、「米国防総省や米企業の委託を受けて総督府地質調査資料を所蔵している国立国会図書館や国立公文書館に専門家の調査がしばしば入っているようだ」(日本政府筋)。

 北の核開発には、日本が気付かないうちにかかわるケースは少なくない。

 7月21日付本連載「科協(カーギー)がさらう頭脳と技術」で取り上げた在日本朝鮮人科学技術協会を根城にした核技術の流出もある。さらには旧日本軍や理化学研究所は北朝鮮・興南の日本窒素肥料(現在のチッソ)工場で、ウランを含むモナザイト鉱を化学処理して核開発を試みていた。

 核開発を急いでいたソ連は45年8月に対日参戦すると真っ先に興南工場を占拠した。米軍は朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)するとただちに徹底的に空爆した。

 現在、モナザイト処理技術は総連系企業の「国際トレーディング」と首領系企業の「龍岳山貿易」との合弁工場(咸鏡南道咸興市)に受け継がれている。

 90年代には年間600億円以上に上ったとも推定される在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系からの本国への送金、さらに拉致問題に対し、日本政府は最近まで、無為、無策を続けてきた。ウラン資源を根拠にした北朝鮮の核開発は日本の安全保障にとって死活的な問題である。日本は国際金融主導のウラン資源開発を規制する国際的合意をいかに取り付けるかに総力を挙げるべきだろう。(田村秀男)

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(2)揺らぐレアメタル超大国

2007.08.19 MSN産経新聞

 「京都の金閣寺と銀閣寺の間に、21世紀のチタン閣寺を建立できないか」。東大生産技術研究所の岡部徹准教授は、熱い口調で提案する。

 銀灰色に輝くチタンは軽くて強く、さびにくいという、すぐれた性質を備えた金属だ。岡部氏は続ける。「白金やタンタル、ニオブなどで、記念コインをつくって発行するのはどうでしょう」「オールチタンのビッグなクリスマスツリーを建てれば、冬の観光名所ができあがる」

 いずれも新しい提案だ。しかし、岡部氏は観光振興や記念事業に力を入れようとしているのではない。レアメタル資源の効果的な備蓄策のアイデアを示しているのだ。

 レアメタルの日本語は「希少金属」。地上の資源量が少なかったり、精錬が難しい金属の総称だ。チタン、白金、タンタル、ニオブはいずれもレアメタルの仲間である。厳密な定義はないが、17種類の希土類元素を1鉱種として数え、全部で約30鉱種とされることが多い。

 どうして岡部氏は、レアメタルの重要性を叫ぶのか。

 「ハイテクの名で呼ばれる機器類は、ほとんどそのすべてに多種多様なレアメタルが使われているからです」

 液晶パネルの透明電極にはインジウムが、リチウムイオン電池にはコバルトが、パソコンのハードディスク用の小型精密モーターにはネオジムがそれぞれ使われている。

 これらは、ほんのわずかな一例。枚挙にいとまがないという表現がふさわしいのがレアメタルとハイテクの関係だ。

 「レアメタルなしに、現代文明社会は成り立ち得ません」

 そして日本は、世界のレアメタルの25%を使う世界一の消費国。同時にレアメタルの研究開発に関する超大国なのだ。

 電子技術情報産業をはじめ、発光ダイオードやディスプレーを生産する光産業、車の排ガスを触媒で処理する環境産業が今の日本経済を支える。

 だが、その日本の足元が揺らぎかけている。

 レアメタルの価格高騰と入手難が原因だ。レアメタルは、地球上に均等分布していない。産出地域は、中国やロシア、南アフリカなど一部の国に限られている。こうした資源国が、自国の需要を優先するとともにレアメタル輸出を控えだした。従来の輸出奨励策を打ち切り、昨年11月以降、逆に輸出税を増やし始めた中国がその代表だ。

 インジウムの価格は5年間で8倍を突破。高張力鋼に使うバナジウムは6倍を超えた。近年の高騰ぶりは、まさに新興国の経済発展と符合する。

 このため国内企業は必要量の確保に躍起になっている。安定入手のためには、独自技術の公開もいとわないという企業も現れているほどである。日本の製造業は中国などの一部の国に首根っこを押さえられかねない危機に直面している。

 ≪中国頼みの怖さ思い知る≫

 もしも、缶ビールが姿を消すと、日本の夏はどうなるだろう。

 そんな空想に現実感を添える出来事が、国内のアルミ缶の3割を生産している神戸製鋼所で起きた。今春のことである。アルミの強度増加に欠かせないマンガンの必要量を調達できない可能性が生じたのだ。

 神戸製鋼は長期契約によって南アフリカから使用するマンガンの半分の安定供給を受けてきた。残りを、中国からそのつど買っていたが、1トン約2000ドルであった年初の価格が、5、6月には7000ドルにまで急騰したのだ。

 マンガン価格はその後4000ドル程度にまで下がったが、中国頼みの怖さを思い知らされた同社は、南アとの長期契約を増やし、中国からの輸入を10%以下に抑える方向に転換し始めた。

 レアメタル確保のために、苦渋に満ちた決断を下した例もある。高性能磁石用合金を製造する昭和電工の場合である。

 高性能磁石に欠かせないレアメタルがネオジムだ。高性能磁石用合金の性能は、結晶の出来具合に左右される。その結晶の作り方にこそ、昭和電工の競争力の源泉があった。

 「だが、増大する需要をまかなうに足る資源確保のためには、ある程度の技術流出はやむを得ない」(海老沼彰電子材料事業部長)と判断した同社は、ネオジム鉱山を保有する中国企業と合弁会社を設立。2003年末、内モンゴル自治区に国内と同水準の工場を稼働させ、今年7月には中国に2カ所目の工場を設立した。

                  ■□■

 「レアメタルの急騰には、国際的な投機筋も関与しています」

 レアメタル専門商社、アドバンスト・マテリアル・ジャパン(本社・東京都港区)の中村繁夫社長が舞台裏の一角を明かしてくれた。

 「石油に比べると市場規模が小さいので、一部の思惑で相場の操作が可能なのです」

 中村氏は資源国や投機筋に翻弄(ほんろう)されやすいレアメタル問題の解決に、資源外交の重要性を説く。

 世界のデジタル革命で日本が先導的な役割を果たし、真の平和維持に貢献する。そのうえで、資源国と同一経済圏を構築し、安定供給の道を開くという長期対策だ。

 「短期対策としては、レアメタル備蓄制度の拡充も必要でしょう」

 国は茨城県高萩市に敷地面積3万7000平方メートルの国家備蓄倉庫を備えている。備蓄の対象はニッケル、クロム、タングステン、コバルト、モリブデン、マンガン、バナジウムの7鉱種だ。

 国が備蓄している7鉱種は重要だが、金を出せば手に入る。その一方、インジウムなど、IT(情報技術)時代に不可欠な鉱種の備蓄がない。これらは現代の軍事技術にも不可欠だ。「元素政策の転換が必要です」と中村氏は語る。

 日本政府は6月からレアメタルの安定供給対策に乗り出した。従来の備蓄一辺倒から、リサイクルや代替材料の開発、鉱山開発への公的支援の強化策などを盛り込んだことは評価されている。

 しかし、代替材料の開発には時間がかかるうえ、実効性も不透明だ。

 中村氏は「直面しているのは、かつてのオイルショックのエネルギー危機と異なるレアメタル危機だ。日本人はデジタル時代の新たな危機を実感していない」と警鐘を鳴らしている。 (長辻象平、飯塚隆志)

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(3)不測の事態 何もできず

2007.08.21 MSN産経新聞

 日中両国が係争中の東シナ海の海底ガス油田で、後塵(こうじん)を拝している日本の非力さを示す象徴的な会談が2004年10月にあった。当時の中川昭一経済産業相が都内のホテルで海上自衛隊幹部と極秘に会談したことである。

 日本が日中中間線から日本側の排他的経済水域(EEZ)内の海底資源を試掘した場合、中国の妨害活動に海自がどう対応するかを見極めたかったからだ。「不測の事態に海自は何をしてくれるのか」との問いに対し、海自幹部はこう答えた。「法律がないから、何もできません」

 民間石油会社「うるま資源開発」会長などとして、30年以上も東シナ海開発に取り組んできた荒木正雄氏(84)も、国としての姿勢の違いを次のように語る。

 「中国は自国の海にするため作戦を練り、着々と手を打ってきたのに、日本はただ手をこまねいていただけです」

 1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は「(東シナ海は)世界的な産油地域になる」との報告書をまとめた。以来、中国は70年代に石油探査、80年代に試掘、90年代末には平湖ガス油田を開発、供給を始めた。2000年には中間線から中国側にわずか4キロの白樺(中国名・春暁)ガス油田の開発に着手した。

 日本は、自国が主権的権利を持つ海底資源がストローのように吸い上げられそうになり、やっと重い腰を上げた。

 経済産業省は04年、資源探査船をチャーターし、日本側海域で初めて立体的な地質構造の探査を行った。その結果、春暁ガス油田の地質構造が日本側まで連続して広がっていることが判明した。05年4月、経産省は中間線の東側海域の北緯28度以北に鉱業権を申請していた帝国石油に試掘権を付与した。

 日本側海域に鉱区申請していたのは帝石に加え、うるま資源開発、石油資源開発、芙蓉石油開発の4社だった。30年以上にわたり、棚上げされていた開発が動き出すかと思われたが、試掘には至っていない。試掘への妨害行動が予想されるためである。

 さらに経産相が05年秋、中国に毅然(きぜん)と対応する中川昭一氏から、対中融和派の二階俊博、続いて甘利明の両氏に代わり、この問題を棚上げしようと判断したことも背景にある。

 中国の行動は露骨だ。前述の資源探査船に対し、中国側は拡声器で大音量を流し、音波調査を妨げた。国家海洋局の調査船は日本の調査船の前方にしばしばたちはだかった。05年9月には中国海軍の最新鋭のミサイル駆逐艦など5隻が周辺で活動した。唐家●国務委員(元外相)がその5カ月前、日本の試掘に対し「問題が根本的に変化する」と警告したことを具体的に示したかったのであろう。

 これらは、中国が大陸から沖縄トラフまでを自国の大陸棚として日本は一切権利はないとの立場をとっているためだ。

 一方、日本は1996年に成立させた「EEZと大陸棚に関する法律」で、「資源開発などの権利は200カイリ(約370キロ)まであるが、その行使は中間線までとする」とした。東シナ海は東西が400カイリに満たない。国連海洋法条約は「衡平(こうへい)な解決」を求めているが、日本は日中間の中間線を境界と設定したのだ。双方の主張が食い違う海域の境界線は政治交渉で決着するしかない。それを日本は政治交渉する前に自分から線を引き、一方的に交渉から降りてしまった。

 日本側海域内の原油・天然ガスの推定埋蔵量は、日本の国内消費量の1年半分にあたる約30億バレル相当とされる。自国の直接的な経済権益を守ろうとしない日本はこのままでは宝の海をみすみす失いかねない。

 ■横取りされる海底のガス油田

 日本が自国海域での試掘を棚上げせざるを得ない理由の一つは、政府、自民党内部の意見がまとまっていないことだ。

 「日本の国民、日本の権利、日本の経済的利益を守るというのは国の責務と考えています」

 中川昭一自民党政調会長が経産相だった2005年10月の参院経済産業委員会答弁だ。それまでの日本側海域での探査、試掘権付与などの対応は中川経産相主導である。

 これに対し、後任の二階俊博前経産相は昨年1月、地元の和歌山県で「私は試掘の道をとらない」と述べた。二階氏は昨年6月、試掘権を付与された帝国石油のトップ2人を経産省に呼び、「あなた方は本当に試掘に行かれるつもりか」とただしたとインタビューで明らかにしている(「二階俊博の挑戦」)。 

 帝石側は「平和の海でなかったら、試掘に行けません」と答えたというが、許認可を握る主管官庁首脳の試掘への意向は痛いほどわかったのではないか。

 日本政府のまとまりの悪さも問題だ。

 自民党が03年に発足させた海洋権益に関するワーキングチーム(武見敬三座長)では、次のような責任のなすりあいが演じられたという。

 日中の中間線を策定するために外務省が中国と政府間協議を行った際、経産省資源エネルギー庁は傘下の機関による日本側海域の地質構造の調査データを提供していなかったことが判明した。「外務省から情報を欲しいといわれなかった」とエネ庁は主張した。

 その外務省は中国に無用の波風を立てないという事なかれ主義を取ってきた。

 1992年、中国が日本の固有の領土である尖閣諸島を中国領土と明記したとき、日本政府の抗議は駐北京公使による「口頭」でしかなかった。中国は同時に南沙諸島も自国領土としたが、領有権を主張していたベトナム、マレーシアは「撤回すべきだ」と文書で抗議した。口頭では国家の意思は明確な形で残されたとはいえない。

 日本側の準備不足も目についた。日本自らが海底の地層を立体的に調査しようとしても日本は三次元の物理探査船を持っていなかった。ノルウェー船籍の探査船をチャーターしたわけだが、中国は12隻、韓国は4隻保有している。

 ただ、日本も自国の海洋権益が危うくなったことで、不備を少しずつ是正し始めている。

 今年4月にはEEZでの試掘などを可能とする海洋建築物の安全水域設定に関する法が成立した。長年、中国の海洋進出をウオッチしてきた平松茂雄元防衛研究所研究室長はこれを一歩前進とみるが、安全水域に中国の船舶が立ち入ったとき、だれが安全を確保するのかという重大な問題が欠落していると指摘する。

 海上の治安維持は海上保安庁の担当だが、公海上で外国船舶に権限を行使することはできない。海上自衛隊に海上警備行動が命じられても、海保と同じ権限しか与えられていない。「普通の国」の軍隊なら必ず保持している平時の自衛権を持っていない自衛隊は動こうにも動けない。

 一方、中国は「海洋大国」への道を国家戦略に掲げ、春暁ガス油田周辺の海を「中国の表玄関」(中国軍関係者)とみている。日本は中間線の中国側海域を含めた共同開発を提起したが、中国の回答は尖閣諸島周辺と日韓大陸棚共同開発区域であり、日本の主張を受け入れる気配はない。

 日本が国のかたちを整え、中国にきちんと向き合うことで、初めて「平和の海」とする交渉の機運が熟するのではないか。 (野口東秀、中静敬一郎) ●=王へんに旋

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(4)イラン「中国カード」で圧力

2007.08.22 MSN産経新聞

「日本がやらないなら中国にやってもらう」

 イラン石油省高官がこんな不快感を示したとの情報が、石油ビジネス業界に流れた。

 推定埋蔵量260億バレルに及ぶ世界屈指の埋蔵量を誇るイラン南西部のアザデガン油田。2004年に日本企業は75%の権益を獲得した。契約では今年6月に生産開始のめどをつけるとしていたが、開発作業は遅れた。それにイラン側が業を煮やして揺さぶりをかけたというのだ。

 昨年10月、日本側は権益の65%をイラン側に譲渡、開発には参加を続けるが、10%まで権益を減らした。

 実際、中国のアザデガン開発参入の観測は飛び交っていた。ランのメヘル通信は、国営石油公社総裁がアザデガン油田開発をめぐり中国側と協議したと報道した。その後、協議対象は別の油田と判明した。中国のアザデガン参入はうわさの域を出なかったが、それですら、外交カードとして使えるほど、中国の存在感が中東で増しているのが現実である。

 ただ、中国は中東への依存を抑えているようだ。04年の中国の原油輸入の中東依存度は45%だった。この依存度は、1993年に石油輸入国となり、輸入量がほぼ10倍になったにもかかわらず、10年前からほとんど変わっていない。

 中国はいま、中東・アフリカで猛烈な勢いで利権を買いあさっている。

 その最初の成功例が、産油国として復活したスーダンだった。スーダンがテロ支援や人権問題で国際社会の非難を浴びて孤立していた90年代半ば、すき間を縫ってスーダンに石油権益を獲得した中国は、原油生産だけでなく、1500キロに及ぶパイプライン敷設、紅海に面した積み出し港の建設などでも中心的な役割を果たした。

 こうした中国の対スーダン支援は、約20万人が虐殺されたスーダン西部ダルフール地方の紛争で国際社会がスーダン政府を非難する中でも途絶えなかった。スーダンの石油生産は、08年には推計日量80万バレルに届き、アフリカの4大産油国であるナイジェリア、リビア、アルジェリア、アンゴラに次ぐ第5位に躍り出るとされる。中国は対スーダン協力を「南々協力の大成功例」と自賛する。

 中国の原油輸入量の25%をまかなうアンゴラとのケースも国際社会の非難を浴びた。アンゴラが欧米への債務返済を滞納させる中、中国は「国際援助規範の無視」との批判を浴びながらも、借款供与に踏み切って同国指導部との関係を強めた。

 人権侵害などの問題が指摘される国への支援や相手国指導者との結びつきを優先し、効果を度外視した経済援助を絡め、「政経一体」となって利権獲得に奔走するのが中国だ。

 国際エネルギー機関(IEA)推計で中国は今や、日本を抜いて米国に次ぐ世界第2の石油消費国だ。20年までに国内総生産(GDP)を00年の4倍水準に拡大することを国家目標に掲げる中国はなりふりかまっていられない。

 一方でコンプライアンス(法令順守)重視が日本企業だ。新規油田開発には巨額の資金が絡み、ビジネスは表の世界だけでは済まない。だが、もはや裏の世界には手を出せなくなりつつあると、日本のベテラン商社マンは指摘する。

 その商社マンは「中国のやり方は国ぐるみのばらまきだ。日本企業には、とてもまねできない」とため息をつく。資源エネルギー競争で日本は後手に回らざるを得ない。

             ◇

 ■「安価で親切」中国製浸透

 興味深いのは、中東・アフリカ諸国で、中国の猛烈な「政経一体」を好意的に評価している人が少なくないことだ。

 カイロ大学政治経済学部のアジア研究センターの前所長を務めたムハンマド・サリーム教授は「中国は政治的野心をもたず、実利的な国と受け止められている」とみる。

 つまり「国際基準」を振りかざす先進国こそが「政治的」であり、「内政干渉」を避けてエネルギーや資源獲得にひた走る中国は「政治的ではない」というのだ。価値観の“逆転”が起きているといえなくはない。

 教授の指摘を裏付けるように、中国がアフリカや中東を相手にぶちあげた「協力フォーラム」への食いつきはよい。アフリカとは2000年から「中国アフリカ協力フォーラム」を発足させた。昨年11月に北京の人民大会堂で開催された第3回会合には、参加48カ国のうち国家元首35人、首相6人がそろい踏みした。

 胡錦濤国家主席は席上、(1)2009年までの対アフリカ支援倍増(2)中国企業の投資促進のための50億ドル基金創設(3)アフリカ統合プロセス支援とアフリカ連合(AU)会議場建設−など8項目の支援策を発表した。

 アラブ側ともぬかりはない。04年の胡主席のエジプト訪問の際、アラブ連盟(21カ国1機構)と「中国アラブ協力フォーラム」創設に合意した。昨年5月末に北京で開かれた第2回閣僚会合では「エネルギー分野、特に石油・天然ガス分野での協力の重要性を確認」する行動計画に調印。08年までに「中国アラブ石油協力会議」を開催することで合意した。

 もちろん、中国の浸透はエネルギー分野だけではない。サリーム教授は「これから一旗あげようと狙う30〜40代のビジネスマンの中国詣でが始まっている」と語る。教授自身、今年すでに3回も訪中したが、ドバイと上海を結ぶ直行便はいつも満席。機内で隣り合わせたアラブ人たちは例外なく、「欲しい商品をすぐにそろえる中国側の対応の良さ」を口にしたという。

 カーステレオ用モーターの注文に訪れたアラブ人に対し、中国企業は「5日待ってくれ」の一言で希望通りの試作品を作り、3万個の納入契約が成立。トラクター買い付けに出向いた別のビジネスマンは空港からそのまま展示場に案内され、1日で契約が終わったと喜んでいたという。

 中国製品の品質には、中東でも依然、「安かろう悪かろう」のイメージがつきまとうが、ここでも変化は起きつつある。

 インフラ関係機器を取り扱う日本人ビジネスマンは「中国製は値段が半分か3分の1。性能は日本製に及ばないが、半分というわけではない。それなら中国製でいいではないかという技術者も出てきた。中国製の性能が追い上げてくるのは時間の問題。本当に脅威だ」と悲鳴をあげる。

 なりふり構わぬエネルギー確保と表裏一体をなすかのように、あらゆる分野で中国製品の浸透が進んでいる。日本の居場所はいよいよ狭くなるばかりだ。(村上大介)

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(5)電力危機招く「反原発」

2007.08.23 MSN産経新聞

 伝統狩猟マタギの里で知られる過疎の山村、秋田県上小阿仁(かみこあに)村が、ハチの巣をつついたような騒動に見舞われたのは、ついひと月ほど前の7月だった。

 「高レベル放射性廃棄物の最終処分地についても誘致の可能性を検討していきたい」

 初当選したばかりの小林宏晨(ひろあき)村長(70)のこのひと言がきっかけだった。

 新聞・テレビがセンセーショナルに報道した。真っ先に反応したのが寺田典城知事。「あまりに短絡的」と不快感をあらわにすれば、呼応して村議会も全会一致で「断固反対」を決議した。村役場には社民党などの関係者が押しかけた。抗議電話は全国から殺到し、村の業務は一時停止状態に追い込まれた。

 結局、1週間後に村長が自らが緊急会見して白紙撤回を表明、誘致話はあっけなくついえた。

 「村の再建には村民一丸が不可欠。断念はやむを得なかった。だが処分地はいずれどこかに必要だ。時間さえあれば、村中を回って、村民である前に県民、国民であることも説明したかった」

 日大法学部教授から郷里の再建に挑んだ“学者村長”の表情には、いまなお無念さがにじむ。

 「核のゴミ」ともいわれる高レベル放射性廃棄物。核燃料を燃やす過程では必然的に生じる。原子力発電を行う国で最終処分地の確保は、避けて通れない課題である。

 それゆえ、誘致した自治体には国が長期にわたり毎年10億円程度の交付金を支給、電力事業者団体も有形無形の経済支援を約束している。

 ところが、日本では安全性や必要性の議論以前に感情的な反発が先行しがちだ。経済支援についても「カネで危険を押し付ける」との批判がつきまとう。自治体が候補地として名乗りを上げることすらままならないのが日本の実情だ。

 最近も、高知県の東洋町が誘致に名乗りを上げたが、民意を問う4月の出直し町長選で推進派の現職町長が落選、計画は頓挫している。

 これは最終処分地に限らない。原子力発電の議論全般についていえることだ。資源小国のエネルギー問題をどう解決するのか、冷静な国民的議論は忘れられがちだ。

 上の図は日本の原子力発電所の所在位置を示している。現在運転中が55基、ほかに計13基が建設中もしくは着工準備中。共通するのは、用地選びから建設まで、いずれも20、30年を要していることだ。地元の理解を得るための調整に膨大な時間とコストがかかることが最大の理由である。

 唯一の被爆国ゆえの核アレルギー。さらに地震大国としての不安。諸外国に比べても根深い日本の反原発感情をそこに求める見方がある。同時に、日本原子力文化振興財団の理事長、秋元勇巳氏は「問題の根源は原子力政策における政治の不在」と指摘する。

 処分場の確保にせよ、多くは民間任せ。国が責任を負う姿勢はなかなか見えてこない。政治家も票にならないから腰が引ける。2、3年で担当が代わる官僚は長期的視点に立った責任ある政策は先送りしがちだ。いずれ事業者が原発事業に嫌気をさし始めたら、日本は原子力先進国どころか後進国になりかねない。秋元氏はそう警鐘を鳴らす。

               ◇

 ■異常に低い原発稼働率

 「問題は政治の不在」という秋元氏の懸念は、日本の原子力研究者の多くの思いも代弁する。一昨年夏、経産相の諮問により、国への提言「原子力立国計画」を座長役としてまとめた東大大学院の田中知教授も危機感を共有する。

 田中氏によれば、日本は、基数、出力ともに米国、フランスに次ぐ原発先進国。世界の主要原子炉メーカー5社のうち3社は東芝、日立製作所、三菱重工業の日本勢である。

 ところが、その日本の原発設備の稼働率は70%前後だ。90%台の欧米諸国に対して異常に低い。問題が生じる度、長期の運転停止を余儀なくされるからだ。7月の新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発の運転停止も長期化する見通しで、酷暑の今夏の電力供給は綱渡りを強いられている。

 だが、日本人の危機感は乏しい。ウランの燃焼効率を現在の約60倍にする高速増殖炉開発も停滞気味だ。

 いずれも、日本の原子力政策が長年にわたってブレ続けてきた結果だ。提言はそれを正すのが最大の狙いで、具体的には高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルの達成、それを支える技術者の育成、国民向けの科学的見地からの啓蒙(けいもう)など、国の責任で取り組むことが重要だと田中氏は言う。

 外からも、日本の原子力政策にいや応なしに活を入れる環境変化が起き始めている。米スリーマイル島、旧ソ連のチェルノブイリと大事故が相次いだ結果、世界の原子力発電所建設は1980年代以降、停滞が続いてきた。それが今、ラッシュともいえる状況を現出している。

 中国では、現在10基800万キロワットの原子力発電を2030年までに15倍から20倍に拡大する計画が進む。100万キロワット級の原発が今後20年間で百数十基もできる計算だ。インドも電力を原発に求めようとしている。

 米国はスリーマイル島事故以来凍結されていた新規建設を、30基規模で再開すると表明。英国も建設再開を決定した。ドイツも脱原発宣言の見直しに動き始めた。原発の新規着工は世界規模で加速しそうだ。

 中国、インドなどで急増するエネルギー需要。その中で強まる中東諸国やロシアの資源支配。原油の安定需給に対する世界的懸念が高まっていることが背景だ。地球温暖化対策から発電で二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー性が見直されていることも大きい。

 だが、この原発の先行きにも新たな不安材料が出てきた。左上図が示すようなウラン価格の異常ともいえる高騰ぶりだ。調達先や資源埋蔵量は不安なしとみられてきたが、この7年間で実に20倍近くも上昇している。

 日本も手をこまぬいているわけではない。世界第2の埋蔵量を誇るカザフスタンに懸命の資源外交攻勢をかけ始めたのも対策のひとつだ。それでも、同じエネルギー資源小国として原子力発電に力を注ぐフランスが、早くから各地の産地で採掘権を確保するなど安定供給体制を固めてきたことに比べれば、出遅れ感は否めない。

 すでに世界のウラン鉱山では、中国などの活発な買い付け工作も報じられている。日本がここでも後手に回るなら、安定供給の先行きは危うい。

 「日本はかつてエネルギーで戦争を起こし、エネルギーで負けた。それを教訓としなければならない」。秋元氏は危機感を深めている。(五十嵐徹)

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(6)温暖化が生んだ新たな競争

2007.08.24 MSN産経新聞

 最高気温の記録が40・9度と74年ぶりに塗り替わった。全国の歴代最高気温10位のほとんどすべても平成に入ってからだ。地球温暖化の進行は疑うべくもない。

 忍び寄る温暖化の陰で、かつては存在さえ意識されたことがなかった権利が、新たな“資産”として日増しに存在感を増している。

 温室効果ガスの排出権。文字通り二酸化炭素(CO2)を排出できる権利だ。すでに排出権は欧州を中心に活発に取引されており、新たな資源とでもいうような存在になりつつある。

 「いい排出権があるけど、購入しないか」。ある日本の商社マンは今年に入り、旧知の欧州企業ビジネスマンからこう持ちかけられた。驚いたことに欧州企業の提示した排出権は、ライバルの日本商社が中国での温室効果ガスの排出削減事業にかかわって得たものだった。その際の獲得価格は1トン当たり900円程度。にもかかわらず欧州企業の提示価格は1トン当たり15ユーロ(約2400円)。わずか1年半ほどの間に3倍近くにも値上がりしていた。

 排出権がなぜそこまでの価値を持つのか。それは排出権が、エネルギーを消費する権利でもあるからだ。より鮮明にするのは、温室効果ガスの排出量上限を定め、上限に満たなければ排出権を売却でき、上限を超えれば排出権を購入する必要がある「キャップ・アンド・トレード」という仕組みだ。これは身近なゴミ問題に置き換えると理解しやすい。

 一般家庭は年間100キロまでゴミを捨てることが認められているとしよう。無駄を極力省いて暮らしているAさんの家は90キロしかゴミが出ない。Bさんの家は110キロのゴミが出る。上限に満たないAさんは10キロ分のゴミの排出権をBさんに売ることができ、排出権を購入したBさんは認められている以上のゴミを捨てることができる。

 一見、理にかなった仕組みと思えるが、誰がどのようにして割り当ての上限を決めるかが問題だ。当初の割り当てで上限の排出量を多く獲得できれば、より多くのエネルギーを消費でき、経済活動を活発に行える。

 だが、排出量を思うように獲得できなければ、本来は設備投資や研究開発投資に回るべき資金が排出権購入に費やされる。最悪の場合、企業は生産を停止して排出上限を守る必要さえある。

 他方、ここ数年の景気回復で日本のCO2排出量は増える一方だ。2005年度には1990年比で、逆に7・8%も増えてしまった。しかも世界屈指のエネルギー利用効率を誇る日本企業はすでに国内での削減余地は乏しい。このため、排出権をこれまで以上に購入する以外に有力な手段は見当たらない。

 例えば鉄鋼業界では2800万トンもの排出権の購入を決めている。産業界への削減量上乗せは企業に過大な負担を強い、国際競争力の低下につながりかねない。中国などでの排出権獲得事業では日本の省エネ技術の流出も懸念される。

 2005年に日本政府が策定した目標達成計画でも、6%のうちの1・6%分は排出権1億トンを購入することを盛り込んだ。そのために3000億円程度の税金が投入される計算だ。最新の見通しでは、排出権の購入費用はさらに1000億円規模で拡大する可能性さえある。日本が払う代償は膨れ上がる一方だ。

              ◇

 ■押しつけられた不利なルール

 CO2排出権は国の経済成長力を大きく左右する力を持つ。国益にも大きな影響を与える。それだけに自国に有利な制度にしようと大国は、虚々実々のパワーゲームを繰り広げる。

 97年12月に開かれた地球温暖化防止京都会議で採択された京都議定書は、まさに大国間のパワーゲームの末に生まれた。京都議定書で、日本は2008〜12年の温室効果ガス排出量を90年に比べて6%削減することを義務付けられた。

 だが、2度にわたる石油危機を経験して省エネを進めてきた日本にとって、そもそもCO2排出量を削減できる余地は乏しかった。なのに議長国の日本は1%上乗せをのんだ。「途上国を温室効果ガス削減の枠組みに取り込むため」と、米国などが説得したからだ。

 ところが、日本に譲歩を促した米国は、自国経済への影響が大きいといって途中で京都議定書から離脱した。

 米国と並ぶ2大排出国である中国も途上国を理由に削減目標は課されていない。

 その結果、いま、日本企業は最新の省エネ技術や、環境技術を中国などの途上国に導入し、それによって削減したCO2を排出権として獲得することに躍起になっている。古い設備でエネルギーを大量に消費している中国は、何もしなくてもCO2を削減できる技術を得られる。

 「あまりに理不尽」。日本企業の多くは強い不満を抱いている。

 当時、通産省(現・経済産業省)審議官として温室効果ガス削減の目標策定の責任者だった住友商事の岡本巌専務は「あそこまで譲歩しながら、途上国を枠組みに取り込めなかったのは大きな取りこぼし」と悔やむ。

               ◆◇◆

 京都議定書の採択から約10年。いま、2013年以降の「ポスト京都議定書」をにらんだ動きが世界に一気に広がっている。その最初の表舞台が、6月にドイツ東部ハイリゲンダムで開かれた主要国首脳会議(サミット)だった。

 議長総括には「2050年までに温室効果ガスを少なくとも半減させることを真剣に検討する」との文言を盛り込むことでブッシュ米大統領も合意した。合意内容は、安倍晋三首相が5月に公表した「美しい星へのいざない」のなかで示した長期目標に合致する。

 首相は議長総括が発表された後、記者団に「日本の主張が受け入れられた」と自賛したが、喜ぶのはまだ早い。サミットでの合意は、ポスト京都のルールづくりに向けたスタートラインにすぎない。日本の課題は、京都議定書のような不利なルールや義務を回避することにあるからだ。

 日本とは対照的にサミット後、米国はポスト京都の主導権を握ろうと急ピッチで動き始めている。7月11日には、米上院に、米国内で排出される温室効果ガスを2030年までに20%削減させる超党派法案が提出された。

 「環境技術を後押ししながら、温室効果ガスを劇的に削減できる」。法案作成を主導した民主党のジェフ・ビンガーマン議員は胸を張った。

 法案の柱は、「キャップ・アンド・トレード」。欧米が本気になって手を組めば、「キャップ・アンド・トレード」導入に消極的な日本だけが取り残されかねない。受け身のままの日本では大国のパワーゲームの結果をまた押しつけられてしまう。(石垣良幸、渡辺浩生)

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(7)「工作の成果」1兆円

2007.08.25 MSN産経新聞

 中国にある旧日本軍の化学弾の処理をめぐり、日本政府が今年度予算を含め、投入する国費は累計約683億円に上る。さらに今後建設される発掘回収施設費は940億円。無害化処理施設の建設費は1000億円を超えるとみられる。

 現地での人件費や施設維持費などがかさみ、「日本の持ち出しは総額1兆円規模になる」と専門家は分析する。

 この遺棄したとされる化学兵器の処理問題ほど、重要な条件が不明なまま、中国の言い分を受け入れた例は類をみないと指摘されている。

 ある外務省OBは「中国にとって旧日本軍の化学兵器処理は戦後最大の対日政治工作の成果だ」と語る。

 1997年に発効した化学兵器禁止条約によれば、遺棄化学兵器とは「1925年以降、いずれかの国が、他の国の領域内に当該他の国の同意を得ないで遺棄した化学兵器」と明記されている。

 敗戦によって満州を含む中国大陸の旧日本軍は降伏し、すべての兵器、施設、財産は旧ソ連と中国に没収、接収され、所有権は両国に移転した。

 また、いったん包括的に没収したあと、中国に旧日本軍の化学弾を残したのはソ連である。

 ここから導き出されるのは二つの疑問である。

 一つは、武装解除や占領による没収は、当該国の同意を得たことにならないのか。もう一つはソ連に条約上の処理義務は生じないのか。

 こうした旧日本軍化学弾の所有権はどこにあるか、という問題こそ、日本政府は詰めなければならないはずだ。

 ところが、外務省は所有権が日中いずれにあるのかを精査した形跡はない。ロシア政府に対しても情報や資料の提供を求めていない。

 95年9月、この条約に批准した当時の村山富市首相は「遺棄した方の国にその処理の責任がある。誠実に実行するのは当然だ」と国会で答弁した。河野洋平外相は「外国が遺したものを含めて日本が責任をもって処理する」とまで言い切った。河野氏らは引き渡したことを証明した書類がないとして、中国に有利な化学兵器処理策を推進したのである。

 日中両国は99年7月、日本側が遺棄処理費の全額を負担することなどを盛り込んだ覚書を交わした。将来の事故まで日本が補償することとされた。初めから日本に責任ありきという結論があったがゆえに政府は所有権問題に背を向けてきたといわざるを得ない。

 だが、化学弾を引き渡したという証言が、外務省による遺棄化学兵器に関する旧日本軍兵士16人への聞き取り調査で明らかになった。

 2004年3月に受け取った報告書には「終戦時は黒龍江省牡丹江市付近に駐屯し、鏡泊湖付近の平地で(ソ連軍の)武装解除に応じ、他の鉄砲や弾薬とともに数千発の化学弾を引き渡した」という元軍曹、二本柳茂氏の証言が盛り込まれていたからだ。

 ただ外務省はこの報告書を公表していない。「ソ連軍と引き渡しの文書を交わしたという証言ではないからだ」(中国課)と説明する。

 遺棄化学兵器の処理は、国の名誉にかかわる問題だ。外務省が事実関係を明らかにしなければ、国益は損なわれていくだけだ。処理経費の一部が、中国軍の近代化に寄与する可能性もある。 対中迎合外交のつけを日本国民は子々孫々までたっぷり払わされることになるのだろうか。(高木桂一)

                ◇

 ≪「日本製を夜間にころがした」≫

 8月14日、8人の陸上自衛官が中国吉林省ハルバ嶺近くの敦化(とんか)に飛んだ。自衛官たちは9月18日まで、埋められている旧日本軍の化学兵器の発掘、回収作業に汗を流す。

 一方で旧日本軍の化学弾が発掘された同じ場所から他国の砲弾がみつかっている。2004年9月に陸上自衛官が黒龍江省寧安(ねいあん)市内で行った発掘、回収作業では化学兵器、通常砲弾、地雷、小銃弾など2000発が混在して発見されたが、旧日本軍のものは89発にすぎなかった。

 中国に派遣されたことがある自衛官は「発掘した通常弾、化学弾の中には(弾には必ず巻かれている)銅帯が抜き取られた弾がいくつもあった」と振り返る。中国軍が日本から没収した化学弾から、カネになる銅だけを奪って地中に埋めたに違いないと、軍事専門家は解説する。

 処理作業に携わった政府関係者は「朝、発掘、回収予定地に着いたら、昨夜はなかった日本製の化学弾ひとつが現場にころがしてあった。どこかに保管されてあったものだ」とも語る。

 これらは、化学兵器禁止条約が問題にする「同意を得ずに遺棄された化学兵器」に当たらないことを示していよう。

 昨年春、山形県にある全国抑留者補償協議会(全抑協)のシベリア史料館に、中国で旧日本軍が武装解除の際に引き渡した武器・弾薬の詳細を記した「兵器引継書」約600冊が残っていることが明らかになった。

 90年代に故斎藤六郎・元全抑協会長がロシア各地の公文書館などから合法的に持ち帰ったものだ。引継書に記された兵器移交目録の「受者」には、「陸軍少将 李盛宗」「軍政部特派員 楊仲平」などと国民党軍の責任者の身分、署名、捺印(なついん)があった。

 これを受けて昨年5月12日の衆院内閣委員会で戸井田徹議員(自民党)が政府の対応をただした。安倍晋三官房長官(当時)は「この資料は精査すべき内容だ。政府としてもしかるべき調査をする」と答弁した。

 その直後、戸井田氏の議員会館の事務所に外務省の中国課長が飛び込んで、こう言い放った。

 「(引継書が)600冊出てきたところで全容は分かりませんよ」。

 戸井田氏は「あなたはどこの国の役人だ」といさめたという。

 外務省は結局、昨年10月、シベリア史料館の600冊の引継書の約3分の1を写真撮影し、民間の専門家に判読を委託することになった。

 また、今になって、中国の言い分がいかに科学的根拠を欠いているかがわかってきた。

 旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器の総数について、中国が主張していたのは「200万発」。当初の日本政府説明は「70万発」。それが埋設地の吉林省ハルバ嶺で行った日本側による磁気調査の結果、30万−40万発にとどまることが後で判明した。

 日本がこれまで発掘、回収した旧日本軍の化学兵器は約3万8000発。推定埋蔵数の1割にすぎない。条約で義務付けられた処理期限は2012年4月までだ。それまでに処理作業が完了することは難しい。

 旧日本軍の化学弾の所有権を不明にしたまま、合意を急いだことが大きな禍根を残している。

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(8)「したたかさ足りない」

2007.08.26 MSN産経新聞

 石油・ガスパイプライン用の日本製特殊鋼鉄製パイプを売る日本人商社マンは、石油バブルに沸く対ロシアビジネスの活況ぶりをこう説明する。「1年以上先まで予約がいっぱい。注文を受けても製造が追いつかない。5年前に誰がこんな状況になると想像できたでしょうか」

 ロシアは、高騰する豊富なエネルギー資源をテコに、ソ連崩壊で甚大な打撃を受けた経済と国家機構を着実に復興させている。それに伴い日本などの外国企業に活躍のチャンスが到来している。とくにパイプを含め建設機械や自動車など日本の商品は、ブランド力に加え、品質、性能から飛ぶように売れる。

 しかし、その商社マンは「売れて売れて困る」ほど業績が伸びているのに、なぜか浮かぬ顔だ。

 理由を尋ねると、世界を牛耳るエネルギー帝国を目指し動き始めたロシアの力の根源である石油や天然ガスの開発分野に、日本は十分に食い込めていないからという。

 「日本は、欧米や中国と異なってクレムリンにコネがない。“虎の穴”に入ろうというハングリー精神も失っている。資源のない日本がロシアでの権益確保をあきらめ、『石油は世界の市場で買えばいい』と、初めから防戦に回っている。これでは、100年たっても日本はロシアのエネルギーに食い込めない」

 同氏はソ連時代からロシアの石油・ガス業界と付き合って30年になる。こう危機感を述べたあとで、もう一つの「憂鬱(ゆううつ)」にも言及した。同氏が、ソ連崩壊後、独立し豊富なエネルギーで急成長し始めた中央アジアに商談で出かけて、目にする中国の急激な伸長ぶりである。

 中国はいまや、その経済成長に必要なエネルギーをかつての兄貴分のロシアと競い、貪欲(どんよく)に買いあさり優位に立つ。争いの場は、旧ソ連圏のカザフスタンやトルクメニスタンなど中央アジアの新興エネルギー大国だ。

 しかも、ロシアの国営石油ロスネフチとも戦略的な協力関係を結び、未開の東シベリア油田や天然ガス田の権益確保にも動く。ロシアの反中国感情という逆風が吹く中で失敗も多い。それでも、したたかに、静かにロシアに浸透するのが“中国流”というわけだ。

 日本には、中国のような巨大国営石油企業はないし、経済の状況も異なる。だが、この日本人商社マンは「中国のしたたかさに学ぶべきだ」と手厳しい。

 資源争奪戦が過熱し始めた大変革の時代、それまでのルールや中露の蜜月関係さえ、国際情勢や経済競争の下で変化し、時に短期間で激変する。 

 「その端緒をいち早くつかみ適切に対応した者だけが、生き残ることができる。外から傍観するだけでは、潮目を読み動くことはできない」。ロシアの資源最前線で長年生きてきた同氏が得た教訓である。

 しかし、日本の対ロシア外交は、ロシアの変化の潮目を読み、手を打っているとはとてもいえない状況なのである。(内藤泰朗)

 ≪思考停止になった対露外交≫

 ソ連崩壊後、日本政府が対ロシア関係を動かそうとした時代があった。外交官たちは、ロシア高官らの情報を求めて昼夜飛び回り、交渉を前進させようと努力した。

 だが、いまは、特別な場合以外、残業することはほとんどなくなったという。ある若手の外交官は「昔は大変だったが、目的意識がはっきりして、充実していた。いまはやる気が起きない」とこぼす。

 ロシアとの北方領土交渉は事実上、凍結状態にある。ロシア側が日本の商社を含む外資主導で完成間近にあった石油・天然ガス開発事業「サハリン2」の経営権を半ば強制的に“横取り”した事件が痛い。

 中東へのエネルギー依存を低下させるとして打ち出したロシアとのエネルギー協力も、これらの影響で「最低限の範囲内」でしかない。それで「一種のあきらめのような感覚が、外交当局を支配している」という。

 だが、日本の「外交の武器」は山ほどある。

 例えば、(1)外交の中心だった支援事業の見直しと統廃合を進める(2)対等なパートナーとしてエネルギーに重点を置いた協力事業を再選定する(3)国際司法機関への提訴など資源をめぐり今後起こりうる紛争の処理機能を強化する(4)弱体化している広報機能を強化し、人材を発掘し育成する−などだ。日本外交の無力化を嘆いていても問題はなにも解決しない。

 ロシア政府はこの春、経済省庁が中心となり、13年後の2020年に向けた長期的な国家発展計画をまとめた。計画によると、経済規模で世界の10指にも入らないロシアは13年後、現在世界第2位の経済大国、日本に追いつき、5本の指に入る経済大国になる。

 プーチン大統領は、政府が計画実現に不可欠な戦略的発展法案を早急に準備するよう求めた。実際には、貧富の差の拡大や汚職の蔓延(まんえん)など問題が山積し、その行方には大きな壁が立ちはだかっている。だが、エネルギー高騰を追い風に、ロシアの高度経済成長が当面続く可能性は高い。

 「ロシアの資源はロシア国民のもの」という資源ナショナリズムがさらに高揚し、その強気が一層強まる可能性もある。

 いまのロシアは旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン氏ら「シロビキ(武闘派)」と呼ばれる強硬派人脈が動かしている。旧ソ連のウクライナやベラルーシに天然ガスの供給停止措置に踏み切るなど、そのエネルギーを武器に影響力拡大と国益追求を掲げる。ロシアは強国の復活をもくろむ国家資本主義国となったのだ。

 産経新聞モスクワ支局長だった鈴木肇氏は「地下資源が豊富なロシアを決して侮ってはいけない」と後輩の記者たちをさとしたことがある。

 世界が、枯渇する天然資源をめぐり争奪戦に突入する中、資源のない日本はせめて、その最大の“弱点”である情報・外交力を改善しなければ、変革の時代を生き残ることはできない。

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(9)「燃える氷」中韓、虎視眈々

2007.08.27 MSN産経新聞

 深海底の地中にメタンガスが凍ってシャーベット状になって分布している。「燃える氷」メタンハイドレート(MH)である。日本近海だけでも日本の現在の天然ガス消費量の100年分はあると推定される。この新エネルギー源を日本よりも早く自国のものにしようと、中国と韓国が目の色を変えている。

 中国は今年5月1日、南シナ海北部でMHの採取に成功した。米、インド、日本に次いで4番目だ。「国家を総動員してのMH開発だ。中国は確実に日本に追い付いてきている」と経済産業省資源エネルギー庁幹部は驚きを隠さない。

 MHの存在が世界的に知られたのは1800年代。欧米諸国が1960年代から本格的な研究を始め、日本も1970年代に参入した。

 中国のMH開発の歴史は新しい。本格的研究が始まったのは1990年代後半だ。それが、わずか10年足らずで海底のMH採取に成功した。驚いたことに、中国は間髪を置かずに実用化に乗り出した。

 MH採取技術や機器を開発した専門家で、北京政府のMH政策指南役の王維煕・中国地質大学客員教授が言う。「海南省(島)の三亜市に大規模なガス精製施設のほか、香港まで海底を通るパイプラインの建設を計画している」。

 三亜から香港までは約800キロと、世界有数のパイプラインとなる。MHからメタンガスを分離抽出してパイプに流す。MH生産コストは高く、天然ガスに比べ経済性は圧倒的に不利だ。しかもパイプラインの建設費は膨大だというのに、採算性を度外視してまで中国は突っ走る。

 これは、中国が98年時点で「石油・天然ガスに代わる新たなエネルギー資源の開発は急務」(当時の朱鎔基首相)との危機感に基づく国家戦略があるためだ。

 2006年8月、中国の経済政策を立案する国家発展改革委員会が「中国の石油代替エネルギー発展概況」を発表し、10年で8億元(約120億円)のMH実用化への研究開発費を計上した。

 中国共産党の海南省委員会機関紙「海南日報」によると、中国石油化工、中国石油天然ガス、中国海洋石油という中国石油業界の3大国有企業の担当者はこのほど海南省を訪れ、パイプラインや精製施設などの建設候補地などを視察した。建設は3社合同プロジェクトとして総額で約100億元(約1500億円)に達するという。

 中国ばかりではない。韓国も今年6月24日、同国南東部、浦項の北東約135キロの日本海でMHの採取に成功した。韓国政府は2000年から4年間、日本海の全海域にわたって、資源探査のための広域探査を行った。

 その結果、同国のガス消費量の30年分に当たる約6億トンのMH埋蔵を予測した。韓国政府は2014年末までに計2257億ウォン(約300億円)を投入し、探査と商業生産技術を開発し15年から本格生産に入るという。

 日本は実用化に向け、経済産業省主導で、産学官一体の研究機関「メタンハイドレート資源開発研究コンソーシアム」を結成し、16年の商業化を一応目指しているが、民間は「MHなんて夢のまた夢」(石油資源開発幹部)。投資リスクや商業化の困難さをみて経済産業省系の独立行政法人の行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)」まかせだ。「エネルギー資源への関心の高まりの中で、MHを予算獲りの口実にしているだけ」(元経産省幹部)というのが本音で、省益の延長でしかMH開発を見ていない。

 日本はMHという「豊穣(ほうじょう)の海」を有しながら、政府は縦割り、民間はバラバラ。何よりも国家戦略が不在だ。(相馬勝)

              ◇

 ≪中国探査は軍艦の護衛付き≫

 「燃える氷」メタンハイドレート(MH)は、石油換算で約1000年分という膨大な量が世界の海底約10分の1に埋蔵されていると予測される。その争奪戦は、下手をすると石油以上の国家間の紛争の火種になりかねない。理由はMHの二つの利点にある。

 まず、成分は大半が天然ガスと同じメタンガスであるため、石油などと違い、燃やしても二酸化炭素の排出量は少なく、地球温暖化対策にもなる「クリーンエネルギー」であることだ。

 それに加え、MHが自国の周辺海域にあるため、「エネルギー安全保障」に資すると各国が考えるためだ。

 中国の場合、中東やアフリカに石油供給源を求めてもシーレーンに不安がつきまとう。それだけにMH開発への関心を高める。

 中国にとって南シナ海はベトナムやフィリピンなどとの領海をめぐる係争地帯でもある。在京中国筋は「中国地質調査局の調査船は中国人民解放軍の軍艦の護衛付きで、MHの探査を行っている」と語る。力の行使も辞さない構えのようだ。

 日本周辺では沖縄・南西諸島周辺海域にMH層が存在している。とりわけ大規模なMH層が、その海域の南西諸島海溝に存在していることが確認されている。

 南西諸島の西側には沖縄トラフという海底の窪みがある。中国は大陸から沖縄トラフまでを一つの大陸棚として、東シナ海大陸棚全域に対する主権的権利を主張し、日本にはその権利はないとしている。

 ところが最近の研究では、東シナ海大陸棚を形成する大陸性地殻は南西諸島を越えて、南西諸島海溝にまで延びている。東シナ海の大陸棚は中国が主張するように沖縄トラフでは終わっていない。日本が主張する日中の中間で大陸棚を二等分する中間線論の正しさが証明されているのだが、中国は中間線を一切認めようとしない。

 中国は現在、南シナ海を中心にMH層の開発をしているが、いずれ東シナ海に関心を向けるのは間違いないだろう。

 一方、韓国が現在、開発を急いでいるのは鬱陵島周辺だが、この東南方90キロには日本固有の領土で、韓国が占拠している竹島(韓国名・独島)がある。

 韓国政府の発表によると、韓国は年内に鬱陵島のほか、竹島など日本海の5つの海域で、MHの試掘を始めることにしている。韓国メディアの中には、「日本が独島(竹島)の領有権を執拗(しつよう)に主張する主な理由の一つはMHの存在である。鬱陵島や竹島の周辺海域に埋蔵されている6億トンのMHを確保するための戦略だ」(今年1月26日付「韓国経済新聞」電子版)と報じているところもある。

 竹島海域周辺には大規模な海底油田が存在しているともいわれる。

 海上保安庁幹部は「日本、中国、韓国のMH開発競争が本格化すれば、領土問題が激化する可能性が高い」と警戒するが、自国の海洋権益をいかに守るかという戦略をいまだに構築していない日本が後手に回るのは必至だ。

【やばいぞ日本】第2部 資源ウオーズ(10)官僚がつぶす石油開発

2007.08.29 MSN産経新聞

 巨額の国費を投入しては失敗に次ぐ失敗、死屍累々(ししるいるい)の投資プロジェクトがある。経済産業省出身官僚主導の石油開発がそれに当たる。

 経済産業省の要職を経て、今は石油開発会社の首脳の座に陣取る数人にこんな質問をした。

 「1900億円の欠損を出して2000年に解散した日中石油開発は中国・渤海鉱区を放棄した。そこで日本のパートナーだった中国海洋石油総公司(CNOOC)が有望油田を相次いで発見し、増産にわいていることを知っていますか」

 答えは、一様で「そりゃ初耳だ」。ある首脳は「当社の専門家に調べさせてコメントします」。

 調べるまでもない。この情報は2003年1月17日付、欠損5243億円を抱えたまま、05年に廃止された石油公団の業務を統合した経産省系の独立行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)」の調査資料集の中に埋もれている。

 重要事に健忘症、又は無関心。まともな民間企業には見当たらない経営者たち。増してや石油資源戦略には、情報、技術、政治という三つの力が集約されねばならないというのにである。

 日中石油開発は1970年代末、日中経済協力ムードの高まりの中で発足した。出資主体は石油公団、中国側はCNOOC。1981年に油田発見。ところが油層は細かく分断され、商業生産には不適だった。日本側は渤海の鉱区を相次いで放棄した。

 CNOOCはあきらめなかった。地下約2000メートルの深層域に油層があると誤診した日本の失敗から学んだ。99年に地下1000メートルの浅層域に着目、米国のフィリップス石油と組んで油層を当てた。以来、日本の放棄鉱区から相次いで油田を発見。渤海での原油生産量はことし日量30万バレルを超える見通しだ。

 この成功で、CNOOCは強固な収益基盤を確立し、子会社は2001年ニューヨークや香港株式市場にも上場、05年には米国の石油会社大手「ユノカル」買収に名乗りを上げてワシントンを慌てさせた。

 日本の敗因は技術力不足だった。旧石油公団の技術専門家は「当時の探鉱技術は深層域が対象。日本には浅層域の探査技術が乏しかった」と言う。欧米を中心に民間企業はコンピューター解析技術を利用して三次元探鉱技術開発投資を競い、90年代に入って浅層域の探査技術を飛躍的に向上させた。CNOOCはその新技術を生かした。

 そのころ、石油公団や傘下の石油開発会社は探鉱技術投資どころではなかった。湾岸戦争後の石油価格の低迷とともに、公団が投融資した開発会社の経営は低迷した。経済産業省内では「石油は一般商品。戦略商品ではもはやない」とする議論が主流を占めた。

 99年末には、石油開発会社293社中、200社が清算又は解散途上。石油公団は3500億円以上の欠損を抱えた。誰一人責任を問われることなく、日中石油開発、そして石油公団も解散。幹部はさらに関係会社に転進した。

 05年には政府が累積債務を事実上引き継ぐ形で財務内容を改善した石油資源開発と国際石油開発の大手2社を優良会社に仕立て上げては新規株式上場させた。そこに経産省の大物OBが首脳となってぬくぬくと君臨する現在の仕組みを完成させた。石油情勢が逼迫(ひっぱく)する今、経産省は再び「石油は戦略商品」と言い出した。失敗から教訓をなにも学び取っていない。

 ≪天下りと私物化はびこる≫

 2000年2月にサウジアラビアとの利権が切れたアラビア石油のカフジ油田失敗の真相も隠されたままになっている。

 1990年代末、サウジアラビア政府は利権延長の条件として、日本側の資金提供による総額2000億円の鉱山鉄道を敷設するよう要求した。 これに対し、経産省と経産省次官経験者の小長啓一社長は、鉄道は採算性が見込めないプロジェクトだと拒否、結局サウジ側が譲らず、日本側も断念した、というのがこれまで経産省が明らかにした背景である。

 実は経産省が公表を控えてきた重要な事実がある。「サウジ側の条件はそれなりに合理的だったのです。経産省は怠慢さを追及されるのを恐れて口をつぐんだのです」

 内部に通じた日本政府筋が声を潜めて言う。

 サウジアラビア側はもともとアラビア石油の油田操業コストがサウジ国営の「アラムコ」に比べて高いことに不満を持っていた。アラビア石油は期限切れの際の設備接収リスクを恐れ、新技術開発投資を手控えてきた。 その結果、原油の生産コストは高く、その分だけ、サウジ側が獲得できる利益が損なわれる。利権を約30年延長して供与するなら、当時の計算では2000億円以上の収入減になる。その分を日本側は鉄道建設を通じて無償で供与してほしい、というものだった。

 当時、小長社長とともにカフジ問題と取り組んでいた元経産省幹部に真偽を確かめると、「私は聞いたことがない」。が、他の当事者は「サウジ側がコストと鉄道を結びつけたのは99年の春」と認めた。この当事者は「サウジ側の理屈の後付けに過ぎない」と断じるが、期限切れまでまだ1年近くあった。

 サウジ政府は90年代から、カフジ油田の利権は例外的な外国への特別扱いとし、よほどの日本側の見返りがなければ、延長を認めるわけにはいかないと、繰り返しアラ石側に示唆していた。94年、経団連の平岩外四会長(当時)はサウジにミッションを派遣し、投資促進を約束。だが、結果は紙おむつ製造など小規模な投資にとどまり、「雇用の機会を増やしてほしい」という現地の要望からは遠かった。

 経産省の言う「石油は一般商品」という論法は政界にも普及し、「有力な政治家の多くが利権延長にもあまり関心を示さなかった」(アラ石幹部)。鉄道建設に応じようという声は政官財界のどこでも盛り上がりを欠いた。技術は惜しむ、カネは出さない。政治家も動かない。相手がどこであれ、虎の子の資源をそんな国に譲り渡すはずがなかった。

 経済産業省の大物OBが天下っている主要な石油開発会社は3社。アラビア石油、国際石油開発帝石ホールディングス、石油資源開発。

 分散している資金と技術を結集して中国を含む世界の大手石油会社に対抗できる「和製メジャー」をめざすとの期待が一時はあった。だが、「国際石油開発帝石ホールディングスと石油資源開発の首脳は通産省時代からのライバルで犬猿の仲。アラ石はもはや死に体」と別の経産省OBは言う。小長氏の後継者だった経産OBは2006年春、アラ石を傘下に持つAOCホールディングスの社長業を突如放棄した。株主への説明は一切なかった。

 経産官僚出身者による石油開発企業の私物化をやめさせない限り、日本のエネルギー資源戦略の再生は始まらない。(田村秀男)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(1)

2007.09.27 MSN産経新聞

■自爆テロに攻撃された日本船 「命綱」の守りは多国籍軍任せ

 ここに掲載した写真(日本郵船提供)は、日本郵船の超大型タンカー「TAKASUZU」(高鈴、28万トン)である。ペルシャ湾からはるばるインド洋の波(は)濤(とう)を越えて、原油を日本に運んでくる。

 原油の9割を中東に依存する日本の命綱の一つであることはいうまでもない。それが電力をはじめとして日本経済を支え、クルマを自在に走らせている。

 ここまでは読者になじみ深い、ごくありふれたタンカーの写真とその説明である。しかしこれらタンカーが中東からのシーレーンで、テロ攻撃を受けたとしたらどうなるか。とたんにエネルギー供給は干上がり、日本経済は壊滅的な打撃を受ける。石油危機の再燃である。

 実はこの「高鈴」が、ペルシャ湾のイラク・バスラ沖で実際にテロ攻撃を受け、間一髪で撃沈をまぬがれていた。このとき、タンカー・テロを寸前で阻止したのはペルシャ湾に展開する多国籍軍であった。

■死者3人

 英ペルシャ湾派遣艦ノーフォークの作戦日記によれば、2004年4月24日、石油積み出しターミナルが小型の高速ボートによる自爆攻撃の標的になった。ターミナルの損害は軽微だったが、係留中だった「高鈴」が危機に直面した。

 多国籍軍の艦艇が、ターミナルに接近中の不審な高速ボート3隻を発見し、銃撃戦になった。うち1隻の高速ボートは「高鈴」の手前数百メートルで大爆発を起こした。

 東京・丸の内の日本郵船本社には、現地から「本船がやられた」との無線連絡が入り衝撃が広がった。ほぼ同時に防衛庁情報本部も事件をキャッチした。

 タンカーは船体を銃弾でえぐられ、鉄製ドアが吹き飛ばされただけで済んだ。しかし、この自爆テロで、多国籍軍のうち米海軍兵2人と沿岸警備隊員1人が死亡した。タンカー・テロは阻止されたが、手痛い犠牲者を出してしまった。

 その数日後、国際テロ組織アルカーイダに関係するザルカウィ容疑者の犯行声明が出た。彼らはタンカーを狙えば原油価格が高騰し、西側の主要国が耐えられなくなると信じている。

 ペルシャ湾内には「高鈴」を運航する日本郵船を含め、日本関連のタンカーだけで常時40〜50隻がひしめいている。日本郵船の安全環境グループ長、関根博さんは「多国籍軍が警戒していなければ、とてもバスラ沖には近づけない」と語る。

 他方、供給側のイラクは国家予算の90%を石油の輸出に頼っており、これらのターミナルが使えなくなれば国の再建は困難になる。

 そこで多国籍軍は、「高鈴」事件以降、石油積み出しターミナル周辺に一般の船が許可なく入れないよう半径3000メートル以内に警戒ゾーンを設けた。海域の安全は、日本など原油の供給を受ける受益国にとっても、供給国のイラクにとっても生命線なのだ。

 多国籍軍はこれら海上テロを阻止するために、ペルシャ湾からインド洋にかけ3つの部隊に分けて「テロとの戦い」の任務についている。このうち「高鈴」が狙われたのは、地図上で赤色に塗られたペルシャ湾の最深部である。

 日本は法的な制約から、ペルシャ湾の「戦闘海域」に海上自衛隊の艦船を出せない。そこで海自はより安全な青色のインド洋上に補給艦などを派遣し、多国籍軍に給油活動している。海自艦が直接的に海上テロを排除できないためにタンカーを守るのは他国依存にならざるを得ないのである。

 その根拠となるのがテロ対策特別措置法だ。それさえ野党は、「日本の安全に関係ない所への部隊派遣はできない」と延長に反対する。

 関係ないどころか、密接にかかわることを「高鈴」事件が示している。補給艦はこれら「テロとの戦い」を支援しているのであり、同時に、日本の「国益」に直結する経済動脈をも守っている。

■敵前逃亡

 灼熱(しゃくねつ)のインド洋でいまも、海上自衛隊員が黙々と補給艦から外国艦船への給油に汗を流している。この海自艦がインド洋から去ると、補給艦の給油に依存しているパキスタンの艦船が撤退せざるを得なくなる可能性が高い。

 パキスタンは多国籍軍の中の唯一のイスラム国であり、アフガニスタンへの影響力が大きいだけに、その撤退によって友邦が受けるダメージは大きい。それは、日米の同盟関係を無用に傷つけることにもなる。

 海自艦撤退の可能性を13日の英紙フィナンシャル・タイムズは、1面で「武士道ではない。臆病(おくびょう)者だ」という見解を伝えた。海自が補給艦を出せなければ、他の国が肩代わりをしなければならないから“敵前逃亡”に見えるのだ。

 英国の作家、ジョージ・オーウェルはこうした安全保障の盲点を半世紀以上も前に述べている。「平和主義者。彼らが暴力を“放棄”できるのは、他の人間が彼らに代わって暴力を行使してくれるからだ」(『オーウェル評論集』岩波文庫)

 多国籍軍に陸上部隊や艦船を送っている各国には、日本のテロ特措法が政局の「人質」にとられたとしか映っていない。米誌ニューズウィーク最新号は「無責任政治に国外から大ブーイング」と皮肉っている。少なくとも米国には、「安全保障をめぐる党利党略は水際でとどめよ」という伝統がある。共和党も民主党も、一朝有事には自国を守ることを優先して決定的な対立を避けるのだ。

 それが君子のならいというものである。まして「高鈴」事件のように、米国など多国籍軍の犠牲のうえに日本経済が支えられていることを忘れては信義にもとる。

 国連安保理事会は19日にアフガンの国際治安支援部隊(ISAF)の任務を延長する決議を採択し、日本の補給活動などへの「謝意」まで盛り込んだ。日本は少ないリスクで、予想以上に感謝される任務についている。

 いまも「高鈴」は26日現在、海自艦が警戒するインド洋の北側、アラビア海を西に向かって航行している。数日後にはそのペルシャ湾に入ることになるだろう。

 日本郵船の関根博さんは、テロ特措法がなくなって日本のタンカーが無防備になることをもっとも恐れる。

 「タンカーは危険地域でも行かねばならない。ペルシャ湾内もできれば海自艦に守ってほしいがそれができないからインド洋で補給活動をしていると理解している」

 国際社会でテロ、侵略、恫喝(どうかつ)をなくすことは不可能に近い。日本という有力国が、一国の勝手な都合だけで脱落することは、他に危険と負担をツケ回すことに等しい。(湯浅博)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(2)

2007.09.28 MSN産経新聞

 ■「関与すれば南西諸島攻撃」

 日本が北朝鮮の核問題に目を奪われている間に、台湾海峡のパワーバランスが大きく変わりつつある。

 「われわれは台湾独立を阻止するためなら武力行使も辞さない。その際、日本は絶対に関与すべきではない。関与すれば南西諸島を攻撃せざるをえなくなる」。昨年11月、東京で開いた民間団体主催の日中軍事フォーラム(非公開)で、人民解放軍のある将官はこう警告したという。「用意したペーパーにもとづく発言だった」(参加者筋)から、その場限りの脅しではない。南西諸島は九州南端から台湾近くまで続く島々だ。

 中国は10年以上前から台湾の武力統一を想定した準備を進めてきたのである。

 中国軍は1995年夏から翌春にかけて、台湾近海へのミサイル発射や上陸演習で台湾を威嚇した。しかし米国が空母2隻を派遣したため、演習中断を余儀なくされる屈辱を味わった。

 中国軍の動向を注視してきた自衛隊の退役将官によると、中国はそれ以来、台湾侵攻に対する米軍介入を阻む目的で南西諸島から小笠原諸島に至る海域での海洋調査を本格化させた。

 在日米軍が台湾防衛のため南下し、日本が米軍の後方支援に動いた場合、中国軍は南西諸島を占領、「機雷の敷設や潜水艦による待ち伏せ攻撃によって日米の台湾支援を遮断する狙いから」(退役将官)とみられる。

 あわせて台湾上陸の拠点を確保する。「台湾本島への侵攻には東からの正面攻撃と背後(西側)からの挟撃作戦が想定シナリオ」(台湾軍筋)だ。南西諸島西端の与那国島から、台湾本島まで110キロしかない。

 先の将官発言は、こうした中国の軍事統一作戦の準備に一定の手応えを得たうえでの日米分断策と受け取れる。

 台北市街北端、松山飛行場の北側に「衡山指揮所」と呼ばれる軍の秘密基地がある。核攻撃に耐えられる地下要塞(ようさい)で、中国軍の攻撃時には総統をはじめとする政府・軍首脳が立てこもる作戦本部となる。内部は光ファイバーの通信網が縦横に走り、中国軍の侵攻時は超大型液晶スクリーンを通じて敵の動向を一望できるハイテク装備が満載されているという。ハワイの米太平洋軍司令部ともホットラインで結ばれた台湾防衛の中枢だ。

 ところがこのハイテク基地が「網軍」と呼ばれる中国のハッカー攻撃に振り回されている。台湾軍は衡山指揮所を中心に中国軍の侵攻に備えた軍事演習や情報戦の演習を毎年行っている。しかし、近年はその内容が網軍に根こそぎ盗まれ、システムが破壊されるなどの重大事件が頻発している。台湾軍は中国軍に装備や作戦システムの質的優位で対抗してきたが、この面でも次第に怪しくなってきたわけだ。

 中国軍の台湾侵攻は通信システム網の攪乱(かくらん)、破壊から始まり、ミサイル攻撃、上陸作戦に進むとみられている。しかし現状では緒戦の情報・心理戦で、台湾が大きな痛手を負う懸念が強まってきた。

 危機感を強める陳水扁政権は、「北京五輪までは中国も台湾を攻撃できない」とみて独立志向の動きを加速させている。

 陳総統は来春の総統選挙にあわせて台湾の名義による国連加盟の是非を問う住民投票を計画、中国はこれを「台湾独立の動き」と激しく反発している。お互いが相手の意思を読み違えると、台湾有事はいつ起きても不思議ではない。それは日本有事の事態でもある。

               ◇

 ■米中のはざまで思考停止

 台湾が来春の総統選挙と住民投票を無事乗り越えたとしても、その後はさらに多難だ。中国軍の戦力が台湾軍を大きく引き離し始める2010年以降は戦争の危険がさらに増す可能性が大きい。

 中国は2000年から台湾に武力行使するケースの一つとして、「台湾当局が(中台)統一に向けた平和交渉を無期限に拒否する場合」を掲げ始めた。さらに05年3月には武力行使を合法化する「反国家分裂法」を制定、中国が国家分裂行為とみなす行為に対してはいつでも台湾を攻撃できる態勢を敷いた。中台戦争が勃発(ぼっぱつ)し、米軍が台湾支援に動き、日本が米軍の後方支援に回れば、日米中台を巻き込む大戦争にエスカレートする恐れがある。

 ところがこれほど重大な問題を前にしながら、日本国内は奇妙な沈黙に包まれている。「台湾問題は中国の内政問題であり、外国の介入は許さない」という中国の強硬な姿勢に圧倒されてか、政官各界は思考停止状態に陥っている。

 しかし、日本はこの難題の部外者では到底ありえない。台湾が一方的に独立宣言した場合を除き、中国が台湾武力統一に動けば、米国は台湾の安全への「重大な関心」を明記した台湾関係法に基づいて、台湾支援に乗り出すことはまず間違いない。

 在日米軍が動けば中国軍は沖縄や本土の米軍基地をミサイル攻撃するだろうし、日本が周辺事態法に基づいて米軍を後方支援すれば中国との交戦状態に入ることも避けられない。

 かといって日本が米軍支援を拒めば日米同盟は直ちに崩壊する。中国が台湾統一に成功すれば、日本のシーレーンは中国に抑えられ、東シナ海は中国の内海と化す。もちろん尖閣諸島も保てない。

 日本は台湾問題の重大性を直視し、自国の安全保障と地域の平和維持のために米中両国や台湾との対話、連携を強化すべき時を迎えている。しかし、現状はお寒い限りである。

 まず台湾有事に日米がどう備えるかについて両国外交、防衛当局の協議がほとんどなされていない。「米軍は中国の潜水艦対策で日本の支援を望んでいるはずだが、情報漏れを恐れてか何も言ってこない」(自衛隊筋)

 台湾は現役の軍人を日本に常駐させて防衛省、自衛隊との接触を働きかけているが、中国を刺激することを恐れる日本側の固い壁に阻まれている。米国は現役武官を台北に常駐させ、米台の軍事交流も活発だが、日本は蚊帳の外だ。日本にとって台湾有事はまさに「出たとこ勝負」(退役将官)の状態にある。

 一つの明るい材料は8月末の曹剛川・中国国防相の訪日で、日中が不測の事態回避に向けて防衛当局間のホットライン開設に原則合意したことだ。

 日本は東シナ海や台湾海峡の危機回避のために中国との信頼醸成に努める一方で、米台との安保対話や連携を強めるべきだろう。これからアジア太平洋地域の覇権をめぐる米中のパワーゲームがさらに先鋭化する。そのはざまで、日本には両大国にはできない独自の役割があるはずだ。(山本勲)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(3)

2007.09.29 MSN産経新聞

束縛だらけの“抑止”行動

 おかしなことをすれば、痛い目に遭うと相手に思わせる抑止力が防衛の大原則だ。それが日本では大きく揺らいでいる。

 経済産業省は一昨年夏、防衛産業各社から新たな装備品に関するヒアリングを行った。ある関係者は「東シナ海などの浅い海域で使用できる魚雷を開発したい」と述べたところ、担当官は突然、「大国になりつつある中国を脅威とみているのか」と激高した。「万一に備える防波堤は必要でしょう」と反論し、結局は来年度から研究開発することが決まったが、その関係者は、国を守る意識のない人が防衛力整備を担当していることに愕然(がくぜん)としたという。

 国全体に弛緩(しかん)がみえるが、日本が抑止行動をとって外国による領空侵犯を未然に防止したことがある。

 1996年10月7日、台湾、香港などの活動家は漁船で、日本固有の領土である尖閣諸島海域に侵入し、うち4人が魚釣島に中国と台湾の国旗を立てた。少し前には香港の活動家が近くで水死した。これらに刺激された台湾空軍の元将校らは、2機のヘリコプターで尖閣に侵入して上陸する計画をぶちあげた。

 那覇市に司令部がある航空自衛隊南西航空混成団の佐藤守司令(空将)はこれを知るや、領空侵犯を阻止するため、警戒行動を取ることにした。

 F4ファントム戦闘機で常時、尖閣周辺空域をパトロールさせるには早期警戒管制機E2Cが不可欠だ。E2C5機は非常呼集され、青森県三沢基地から飛来した。19日、F4とE2C延べ29機が飛び立った。

 佐藤司令は中国もにらんでいた。上空6000メートルで待機するE2Cを中国空軍がレーダーでとらえることを確信していた。日本の空の守りが鉄壁と示すチャンスでもあった。

 警戒行動は10日間にわたり、台北管制部が那覇管制部に対し「F4は何をしているのか」と問い詰める一幕もあった。台湾行政院はヘリによる尖閣上空飛行を許可しないと発表した。

 だが、佐藤司令に高揚感はなかった。ヘリが実際に侵入した場合、阻止できたかとなると内情は危うかったからだ。上部機関の航空総隊の指示は「武器は一切使うな」「ヘリに近づきすぎるな」だった。

 対領空侵犯措置とは、領空侵犯した航空機に対し、緊急発進した戦闘機が、着陸か退去させるために必要な措置を取ることだ。場合によっては侵犯機の進路を妨害したり、前方に曳光(えいこう)弾を撃つなどしなければならない。それが許されないのでは必要な任務は遂行できない。無防備は犠牲者すら出かねない。

 「警告射撃するなとはどういうことか」。佐藤司令が声を荒らげると、総隊は首相官邸の意向と説明したという。当時の橋本龍太郎首相は7月に靖国神社を参拝し、中国から猛烈な抗議を受けていた。

 結局、佐藤司令は航空幕僚長と粛々と行うことを確認し、規定通りの措置を取ったものの、主権侵害行為阻止という当たり前の行動を実施することがいかに難しいかを痛感した。

 「毅然(きぜん)とした対応をしなければ、不法な侵害を逆に呼び込んでしまいかねない」。退官した佐藤氏は、抑止力という国の心棒の重要性を訴え続けている。

無力さは見透かされていた

 北朝鮮工作員による拉致事件も、日本の抑止力が機能していないことを見透かされたことが大きい。

 本紙ソウル支局の久保田るり子特派員が北朝鮮の幹部工作員だった金東赫氏を取材、編集した「金日成の秘密教示」(2004年発行)によると、金日成は「日本は迂回(うかい)工作を拡大することのできる『黄金の漁場』なのだ」(1983年、対南工作員らとの談話)と、日本の弱さをつく工作を求めた。

 以下は1969年、三号庁舎拡大幹部会議での教示である。

 「興味深い対象国は日本だ。日本は過去36年間、わが国を植民地として支配し略奪した罪のため、わが共和国に対して力を行使できない」

 「日本は国内法上、スパイ防止法や反国家行為に対する法的・制度的規制措置がない。日本を舞台に活動して発見されても外国人登録法や出入国管理法違反などの軽い処罰にしかならない」

 「必要なら日本人を包摂工作し拉致工作もすることができるのだ」

 金日成が「力を行使できない」と見た通り、自衛隊は領土や領海を不法に侵害する行為を排除する規定をもっていない。

 外国の武装部隊の不法行為を排除する強制措置は、国際法上、正規の武装部隊が受け持つのが世界の常識だが、日本だけが違うのである。

 排除規定があるのは領空侵犯だけだ。自衛隊法84条に基づく対領空侵犯措置は、侵犯機に対し、着陸や退去のための「必要な措置」を講じるとしているが、肝心の武器使用基準はあいまいだ。

 これは本格的な武力行使となる防衛出動以外の武器使用は、相手の攻撃の程度に応じた反撃しか許されない「警察比例の原則」が適用されているからだ。パイロットが武器を使用できるのは正当防衛・緊急避難に限られる。相手の攻撃を待って、対処するしかないことが、いかに過重な負担を最前線の隊員に強いていることか。

 このことを自衛隊員は身にしみて感じているからこそ、相手につけこまれないような精強な組織を作り上げるのだという。

 陸上自衛隊イラク復興支援群長だった、番匠幸一郎陸将補(幹部候補生学校長)は帰国した直後の2004年夏、こう語った。

 「自分たちが脇をしっかり締めて、われわれを襲ったら痛い目に遭うぞ、という構えをしっかりみせることが重要だという態度で臨んだ」

 こうした奇っ怪な防衛の現実を見直すべきだとする超党派の「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」(武見敬三代表世話人)は2001年末に設立されて以来、専守防衛の考え方の再構築や安全保障法制の再検討が急務だ、などと訴えてきた。

 民主党内でも、細野豪志、長島昭久両氏によって、「武器使用基準をめぐっては任務防護を含む『マイナー自衛権』(注)を認め、国際基準に合わせるよう政府解釈を変更すべきだ」とする報告が、2004年12月の領土及び海洋権益プロジェクトチームで了承された。

 ただこれらは問題提起にとどまっている。日本の領土、領海、領空を守るための実効的な法整備は据え置かれたままだ。抑止力が機能しているかどうかを試される事態は悪夢であることを、日本人は拉致事件で気が付いたのではなかったか。(中静敬一郎)

【用語解説】マイナー自衛権

 部隊などが任務遂行にあたって行使する自衛権。「部隊自衛」ともいわれ、国際社会が認める平時の自衛の概念である。

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(4)韓国の仮想敵に見なされた

2007.09..30 MSN産経新聞

 韓国国会が昨年末に採択した国軍近代化のための「国防改革2020」。目を引くのは、13年後の韓国を取り巻く脅威認識だ。いわく「北朝鮮の軍事脅威は減少」「地域内の潜在的脅威が現実化している」。

 潜在的脅威とは何を指しているのか。軍事専門家によると、(1)ロシア(2)日本(3)中国である。

 韓国国防省庁舎内の壁には、日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)がペンキで描かれている。「独島」は韓国人の国防意識や国民感情の鼓舞に一番、効果的なのだ。日本は「仮想敵」なのである。

 「日本は独島奪還を企ててくる」との脅威論は、今年8月就役した韓国初の大型揚陸艦が「独島艦」と名付けられたように国民の潜在意識に植え付けられている。

 国防改革2020は、2020年までに兵力18万人を削減して50万人とする。世界トップ級の少子化に対応したものだ。

 もう一つの目玉は620兆ウォン(約79兆円)をかけて軍備を精鋭化することだ。それは米軍再編(トランスフォーメーション)を受けた米韓関係の変化による「自主防衛への選択」と説明されている。特に海軍、空軍力の整備では独島守備が説得力を持つ。

 今年5月、韓国は初のイージス艦「世宗大王」を進水させた。2012年までに計3隻を建造、将来は6隻保有を計画しているが、これは日本と同等(海自は現在4隻)のイージス艦保有を目標にしている。潜水艦16隻も日本並み(海自16隻)が目標だ。

 日本が次期主力戦闘機(FX)に最新鋭のステルス戦闘機「F22Aラプター」導入計画を打ち出したことにも韓国は神経をとがらせた。「独島」の制空権に絡むからだ。実際昨春に竹島付近海域で日本が計画していた海洋調査に対し、韓国側は一時、日本の調査船の拿捕(だほ)、体当たりも辞せずとの強硬姿勢をみせた。

 もちろん、日韓は北東アジアで価値観を共有する友好国として防衛交流を推進している。部隊・艦艇の相互訪問、救命部隊の共同訓練なども幅広く行われている。

 だが、韓国から見る世界は、目前に日本、その向こうに米国、背後に中露と「周辺4強」に囲まれ、「韓国の防衛政策が日本を意識するのは当然」(関係筋)なのだ。日本からすれば、韓国内に日本を潜在的脅威とみなす動きがあるのに無関心でいられない。

 昨秋の北朝鮮の核実験直後、韓国のインターネットに、核実験を「民族の慶事」とたたえ「北が核兵器をつくれば米国は勝手に戦争を起こせない。統一されれば(韓国も)核保有して強国になる」などの書き込みが広がり、話題になった。

 北朝鮮シンパか北朝鮮の宣伝工作の仕業とみられるが、こうした発想に韓国の若い世代は「えーっ」といった大きな抵抗感はみせない。南北融和の進む中、韓国の「安保不感症」は強まる傾向をみせている。

 華やかな韓流人気や人的交流の陰となりがちな隣国のこうした潮流の変化を、日本はどの程度正確に把握しているのだろうか。(久保田るり子)

                ◇

 ■「核付き統一」への備えはあるか

 夏のなごりを残す韓国東部・江陵の海岸線。高さ1・5メートルほどの鉄条網が張り巡らされている。だが途中で鉄条網は寸断され、一部は撤去されていた。

 江陵といえば、11年前、北朝鮮の工作潜水艦が座礁し、26人の工作員のうち、11人が集団自決、13人が射殺され、1人が北に逃亡、1人が逮捕された。今も展示されている潜水艦を見にくる観光客が絶えない。その江陵の鉄条網8キロは2年後にすべてなくなる。

 鉄条網は北朝鮮工作員の上陸防止用である。1960年代から韓国全土の海、川べり約650キロに張り巡らされた。

 盧武鉉政権はこれを「変化する南北の安保状況に合わなくなった」と今春から撤去を始めた。人々の目から「北の脅威」が消えていく。

 軍事境界線がある非武装地帯(DMZ)付近の民間人統制区域のなかに韓国側の「都羅山駅」がある。北朝鮮にある南北経済共同事業「開城工業団地」につながる鉄路、道路の要衝だ。

 駅前は約33万平方メートルの物流基地と出入国管理事務所が今年11月の完成を目指し、急ピッチで建設中だ。物流基地は「メード・イン開城」の集積場となる。京義線の鉄路は試運転(今年5月)段階だが、開城への道路は毎日、数十台のバスやトラックが北上、数百人の韓国人が開城工団へ通勤する。最前線の緊張感はどこにも感じられない。

 10月2日予定の南北首脳会談に向け、盧武鉉大統領は「(金正日総書記と)平和協定締結に向けた交渉開始もありうる」といい、「南北経済共同体(経済圏の統合)建設の対話を始めたい」と考えている。

 この経済共同体構想に盧政権は、向こう10年の中長期支援計画では約60兆ウォン(約7兆3000億円)の投資を見込んでいる。こうした構想は、年末の大統領選挙で野党ハンナラ党が勝利すれば、修正されよう。

 しかし、今のところ、ハンナラ党候補の李明博前ソウル市長は「北朝鮮が核廃棄すれば次期政権で経済共同体協定を締結させる」と前向きだ。

 今の南北平和ムードに水を差せば、盧政権や北朝鮮に「保守野党は戦争勢力」との格好の攻撃材料を与えることになる−と野党側は考えている。

 金大中前政権から続いた親北勢力の「平和攻勢」と心理的武装解除の拡大が隣国の日常の風景となった。

 問題は、将来の統一を視野に「核保有国」の北朝鮮と韓国が早期に和解し、「核付き統一」はあるのかどうか。「北朝鮮の核放棄なしで南北が統一過程に入ることは絶対にあり得ない。日米はじめ周辺国の理解が得られない」(高麗大南北経済研究所所長、南成旭教授)と韓国側の専門家は一様に否定する。

 だが、日本の防衛専門家の間では「核付き統一の可能性は思ったよりも高いのではないか」と懸念する意見がある。

 第一に、6カ国協議に臨むブッシュ米政権の姿勢変化によって、北朝鮮が核を完全放棄せずにあいまいな決着に終わる恐れがにじみ出てきた。

 また米国が進める在韓米軍再編は、効率的な配置と運用を掲げながら、「当事国の責任」を重視するプロセスにほかならないとの指摘もある。

 さらに朴正煕軍事政権時の韓国には「核を持ちたい」との潜在的願望があったが、それが完全に払拭(ふっしょく)された保証はない。

 ただ、これも専門家の見方にすぎない。深刻なのは、「朝鮮半島の核」を想定して、日本の安全保障をどうするのかという政策論議が日本政府部内で繰り広げられた形跡はみられないことだ。現実の変化を見ようとせず、すべてを米国任せにしているためだ。これでは韓国内の「安保不感症」と変わりはない。(久保田るり子、高畑昭男)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(5)

2007.10.02 MSN産経新聞

 ■自国通貨の支配力失う/日中GDP逆転は5年以内

 円安でしかも超低金利。日本株は不安定。主婦のへそくりから団塊世代の老後資金運用も「貯蓄から投資へ」の掛け声に日本市場は応えられない。

 香港の銀行口座相談窓口の前であたふたとスカートをたくしあげて、おなかに巻いた円の札束を取り出す中年日本人女性。2年ほど前から、銀行口座開設を求める日本人旅行者が週末に飛んできては、土曜日午後も営業する最大手の香港上海銀行の本店や支店で列をなしていた。

 ところが先の3連休の初日の9月22日土曜、知り合いの投資愛好家4人が空港から銀行窓口に駆けつけたが、口座開設に「ノー」の返事。香港在住の日本人投資コンサルタントは言う。「この7月あたりから断られる日本人が目立ちます。手間だけかかる数十万円単位の小口日本人預金者の殺到ぶりに香港の銀行は音を上げたのです」

 日本の証券会社のホームページ。「ハイイールド・アドバンテージ」「インカム・ストラテジー」などカタカナの外貨資産運用の投資信託がひしめく。いずれも外国の金融機関の販売代行である。この7月末の外貨投信の残高は1年前に比べて約16兆7000億円増え、個人預金の12兆2400億円増を大きく上回った。

 おかげで、ロンドンやニューヨークのヘッジファンド、銀行、証券は「円」を存分に調達できる。そして世界の外為取引の5割以上が集中するロンドン、ニューヨークで円資金を好きなようにたたき売っては、より金利の高い米国債やユーロ債などで運用する。

 ヘッジファンドは金融工学を駆使するというふれこみだが、原理は単純。元手の10倍の円資金を調達して金利が円より4・5%高いドルで運用するだけで、元手の45%を利益として稼げる。

 国際決済銀行(スイス・バーゼル)の集計によれば、今年4月時点の日本での外為取引額の世界シェアはわずか6%と過去12年間で最低。円の取引額はロンドンが東京を抜いた。円の運命はロンドン、ニューヨークが決めるようになった。

 この結果、グラフが示すように、円は1997年のアジア通貨危機以来、世界の主要通貨のうちで最も安く、不安定な通貨になった。円の真の値打ちを示す実質実効相場は過去10年間の最大下落幅が39・4%、「ドル安」と言うがドルは17・8%にとどまる。米国の低所得者向け住宅ローンの焦げ付きをきっかけにした最近の国際金融市場の不安で、もっとも翻弄(ほんろう)されたのは日本市場だった。

 震源地のニューヨークのダウ工業平均株価はこの8月16日に今年最高値に比べて9%強下落したが、日経平均株価は8月17日、16・5%も急落した。

 日本の金融機関のサブプライム関連商品への投資額は少なく財務面での影響はほとんど皆無とみられていたが、欧米の投資家の頭にあるのは「円相場」のみ。ヘッジファンドがサブプライム投資の損失を埋めるためにドル資産を売り、円返済に走ると円相場が上昇する。それを見た他の投資家は円安だけが取りえの日本株の売却に転じた。

 19世紀、大英帝国は低金利の資本を世界に供給し、その収益で栄えた。が、現代の債権大国日本はみずからの富を流出させる構造をつくってしまった。

 円という通貨の主権国日本が、円を支配する能力を失ったからである。

                   ◇

 ■「日中GDP逆転は5年以内」

 グローバル化が進んだ今、日本の市場が円を支配しなくてもやむをえないとの見方もある。

 だが、変動相場制でもその国が通貨安定に総力を挙げる。米国はドル価値維持のために外国投資家や政府機関がドル資産を買うようあらゆる手を打つ。欧州は金利を高めに設定し、統一通貨「ユーロ」を安定させて、景気を拡大させている。

 日本では、今春、大手、新興を問わず決算発表も満足にできない上場企業が続出した。売買シェアの7割を占める「外国人投資家」は短期売買に徹する。

 日銀は円相場安定につながるはずの超低金利是正の時機を見失った。

 有力経済紙がこう書く。「円安になれば外貨資産運用が有利」「多国籍化した日本企業は海外子会社を含め大幅増益」などと。

 だが、それらは通貨という国の血液をダンピングして売った代償でしかない。いわば円安によるバブルであり、円高になれば一夜にして損失に転じる恐れがある。円安の受益者も実際には限られ、その他大勢にしわ寄せされる。

 円安のために原材料調達コストが上がっても、ユーザーから値上げを認めてもらえない。自動車部品業界筋によると、1グラム当たりの自動車価格はこの20年来、1円から2円の間で不変。「完成車メーカーからの圧力で逆に値下げさせられる」。化学品メーカー筋は「プラスチック素材『ポリマー』の出荷価格は、0・2円で自動販売機のミネラル・ウオーターと同じ」と嘆く。円安下でのデフレ、格差が進む。

 国際通貨基金(IMF)の統計によると、日本のこうした交易条件の下落率は2000年以来の7年間で32%に上り、米国の4倍。これに伴い日本の国富喪失額は88兆円に上るという。

 中国は2006年、政府ベースでは米国債の最大の買い手になった。

 昨年日本を抜いた中国の外貨準備は毎月500億ドルも膨張し、外貨準備を支配・管理する北京の意思が直接、米金融市場に影響する。この4月から6月、中国はそれまで買い増しし続けてきた米国債を突如売りに出た。

 ワシントンでちょうど人民元対中制裁の動きが盛り上がった時期である。市場は動揺し、中国を筆頭にアジア各国が米国債離れをみせるのではないかという不安が流れ、7月には米国債相場が急落した。

 その後、米議会は軟化し、人民元問題を米政府に世界貿易機関(WTO)へ提訴させるという、実効性に乏しい法案でお茶を濁した。中国はマネーパワーの手応えをつかんだ。

 円安が進んだ2006年。IMFがドル建てで計算した日本の国内総生産世界シェアは2006年9・1%だ。1995年から半減した。対照的に中国は5・5%と倍増した。「日中の経済規模の逆転時期はこのままいけばあと5年以内に来る」との見方がウォール街では常識だ。

 対米関係、さらにアジアにおけるみずからの位置を考えるとき、弱々しく大きく振れる円は実は悲痛な目覚まし時計である。(田村秀男)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(6)

2007.10.03 MSN産経新聞

 ■国連PKO局長に尻込み

 国連の中核ともいえる平和維持活動を仕切るPKO局トップは垂涎(すいぜん)の的だ。年間予算約50億ドル、スタッフ500人。世界で18のPKO、総要員10万人の展開を立案し、管理する。各国は局長ポストをめぐって水面下で激烈な競争を繰り広げる。

 今年1月、潘基文事務総長サイドは日本に対し、新PKO局長を非公式に打診してきた。

 これは国連の組織再編に伴うものだ。具体的には、当時日本が事務次長ポストを持っていた軍縮局を廃止、事務総長直轄の「室」にする代わりに、現在のPKO局を司令塔の「現場統括」と「財務・調達」部門の2つに分割するものだった。

 米国(26%)に次ぐ第二の分担金拠出国でもある日本(17%)は、国連事務局内の序列で事務総長、副事務総長に次ぐナンバー3、事務次長ポストを維持してきた。財務・調達部門の事務次長ポスト打診は軍縮局長廃止の見合いといえた。

 しかし、日本は断った。 

 日本政府関係者は、その理由について「当時はまだ新PKO局設立が総会で認められるかどうか分からない状況だった。それよりは確実に事務次長ポストを取ることを優先した」と話す。外務省筋も、軍縮局長と同格の事務次長ポストである広報局長を早くから狙う方向性が出ていたという。

 潘事務総長は結果的に2月、赤阪清隆・経済協力開発機構(OECD)事務次長を広報局長に任命した。

 だが、ある国連当局者は「日本政府からは『PKO全般に通じた人材がおらず、バックアップする態勢がない』という本音を聞いた。一体、何を考えているんだと思った」と話す。

 米保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)上級研究員のボルトン前国連大使も「日本はPKOに良く参加してきたけれども、広範ではなかった。それを考えるとこの部門のトップを務めることは背伸びの部分があったかもしれない」と多少の皮肉を込めて語る。

 日本が自らに課したPKO参加の制約が、花形ポスト獲得を躊躇(ちゆうちよ)させた大きな要因といってよい。

 兵員に限ってみた日本のPKO派遣要員数は現在わずか51人(ゴラン高原とネパールの2カ所)だ。要員数で1位のパキスタン(1万173人)の200分の1にしかならない。

 派遣するにしても(1)停戦の合意成立(2)紛争当事国の受け入れ−などが必要であり、それが満たされない場合、日本部隊は撤収するという原則がある。

 武器使用についても、国連の標準行動基準である「任務遂行を妨害する行為を実力で排除する行動」を認めていない。戦闘に巻き込まれた場合の応戦は、憲法第9条で禁じられる武力行使にあたり、武器使用は正当防衛・緊急避難以外は認められないと解釈しているためだ。

 いわば、仲間が攻撃されても助けに行けない。他国の軍隊には通用しないルール。国際共同行動の責任と義務をまともに担えない「特殊な国」なのだ。

 在日経験の長い外交筋は「憲法の解釈とか改正の是非は日本自身が決める問題だが、今のままでも日本はもっと多くの新たな役割を担えるはずです。それを阻んでいるのは、日本人が傷ついたり、死亡したりすることを恐れているからではないですか」と指摘する。

 「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と憲法前文でうたった日本なのに、犠牲をひたすら忌避する道を歩み続けていこうとしている。

              ◇

 ■国際標準に遠い「特殊な国」

 日本が「PKOを増やせない、出せない」と弁明するのを国際社会はどう見ているのか。

 世界ではあらゆる種類の紛争が起きている。それに伴い、平和維持活動や復興活動には、多様な職種の働き手が必要だ。インフラ復旧を助ける兵士、文民警察官、開発担当者、統治にかかわる法律専門家−などだ。日本にはそうした人材や力があるのに、いつまでためらっているのか−という意見は少なくない。

 例えばドイツは、日本と同様に1991年の湾岸戦争で人的貢献ができず、国際社会から批判された。

 しかし、94年に憲法裁判所判決を取り付けてNATO(北大西洋条約機構)域外への派兵を可能にした上で、積極的にPKO参加を進めた。これまでにアフガニスタンで展開する多国籍軍の国際治安支援部隊(ISAF)など8つの国際活動に兵員7300人と警察官250人(2004年現在)が参加し、日本より一歩も二歩も先を進んでいる。

 「PKOの生みの親」と呼ばれるカナダは、「国連の主な平和維持活動のすべてに参加してきた唯一の国」としてPKO以前の国際活動を含めて60の活動に参加してきた。アフガンでも率先してISAFを主導し、この夏にはカナダ兵士の死者が70人を超えた。アフガン以前のPKOなどの犠牲者(累計121人)に近づきつつあり、苦悩はにじむ。

 「国民の代表でもあるPKO参加兵士の犠牲を心から悲しむ気持ちはドイツ、カナダでも、日本でも変わりはない。だが、それを乗り越えて国際社会のためにつくす大義をきちんと位置づける仕組みと政治の営みが必要ではないか」と外交筋は語る。カナダやドイツはそれを果たしてきたのである。

 一方、国連PKO協力法が成立した1992年以降、日本は9つのPKOに参加してきた。このうち自衛隊派遣は▽カンボジア▽モザンビーク▽ゴラン高原▽東ティモール▽ネパールの5つだ。このほかPKOとは別枠の国連難民救済活動に自衛隊医療部隊などが派遣されたが、これらすべてを合わせても人的貢献としては国際水準に遠く及ばない。

 ある防衛省幹部は「PKOに参加できるところがあるならば、もっと出したいのは当然」というが、1面で紹介したPKO参加の原則などによって、がんじがらめに縛られている。

 94年、アフリカ・モザンビークPKOに派遣された陸上自衛隊部隊は、ウルグアイ人の現地司令官から、緊急事態に伴い民間の要員を警護するよう要請された。

 陸自部隊は警護任務を与えられていないと断ったところ、司令官は「なぜ、できないのか」と不快感を示した。日本の制約を説明した隊員は「あんなに恥ずかしいことはなかった」と述懐する。

 国連基準である任務遂行を妨害する行為を排除するための武器使用が認められていないため、自衛隊は他国と同じように治安維持や要員を守る警護任務などを担えない。

 これらは憲法第9条で禁じられている「国際紛争を解決する手段としての武力行使」でないことは明白なのに政府解釈見直しには至っていない。

 他国の軍隊と違うルールで国際平和活動に自衛隊を参加させ続けている政治の無責任さも問われるべきだ。

 93年、文民警察官らに犠牲者を出したカンボジアPKOで国民感情が動揺した経緯があるにせよ、日本の理屈は「身勝手」としか国際社会には映らないのではないか。(長戸雅子、高畑昭男)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(7)

2007.10.04 MSN産経新聞

 ■総連のドン揺さぶる意見書

 今年7月23日、東京・富士見の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部(会館)に元幹部が乗り込み、許宗萬責任副議長の辞任を直接求めるという前代未聞の出来事があった。

 徐萬述議長を訪ねて文書を手渡したのは朴応星・朝日経済交流促進会顧問(元総連経済局副局長)だった。文書は「総連中央会館の売買事態に対する我々の意見」であり、朴氏のほか、鄭文策・元総連中央監査委員会副委員長、李範洛・元在日本朝鮮信用組合協会会長、崔益佑・元隆興貿易社長の総連元幹部計4人の署名があった。

 朴氏は議長室で文書をとうとうと読み上げた。

 「責任副議長は総連の財産が山のように他人の手に渡っていったこの期間、総連の財産部門を担当、指揮したうえ、朝銀信用組合の正常な経営を危機に瀕(ひん)するよう不法的な手段で金を捻出(ねんしゅつ)し、破産に追い込んだ」

 「総連の威信を堕落させた全責任は許宗萬責任副議長にある。許責任副議長は退くか自粛せよ」

 朴氏に対し、徐議長は声を荒らげて激怒した。「おまえらは何を言っているんだ」

 しかし、朴氏はひるまず、「いまさら何を言っても同胞をだましたことに変わりない。責任をとらないなら、われわれは行動を起こすだけだ」と言い放ち、中央会館を後にしたと総連関係者はいう。

 過去に総連執行部を批判する匿名文書が出回ることは少なくなかったが、元幹部たちの公然たる造反に総連中央はかつてない衝撃を受けたとされる。

 徐議長は8月3、4の両日、総連本部で地方本部委員長や傘下団体・事業体責任者を招集した。公安当局の内部報告書はこう伝える。徐議長は席上、「許責任副議長を守ることは金正日将軍様を守ることだ」と言明し「総連は父なる首領(故金日成主席)の高貴な遺産である。われわれは総連を守り強化するために固く団結しなければならない」と呼びかけた。

 その3カ月前、平壌を訪れた南昇祐副議長は本国から「敵の弾圧から許責任副議長を守れ」と直々に指示されたという。

 「実質的な最高実力者」(公安関係者)といわれる許責任副議長が東京地検から事情聴取されたのは今年6月だった。これと相前後して、総連本部の土地・建物をめぐる仮装売買事件で、総連を監視対象とする公安調査庁の元長官、緒方重威(しげたけ)被告ら3人が東京地検に逮捕された。

 一件落着にみえるが、総連を“被害者”とし、その総連が「だまされたという認識はない」(南副議長)と明言する事件の構図はあまりに不可思議だった。捜査関係者の一人はこう感想を漏らす。

 「なぜ、警察・検察幹部は許宗萬を野放しにし続けているのか。仮装売買事件という総連本部にメスを入れる千載一遇のチャンスまで逃してしまった」

 こうした結果をもたらした背景に見え隠れしているのは、許責任副議長が日本の政界と強力な人脈を築いていることだ。

 許責任副議長の中央本部での振り出しは1971年、日本の政界工作を担当する国際局だった。そこで地歩を固め、1986年に財政担当副議長に抜擢(ばつてき)された。総連はこのあと、北朝鮮への忠実な献金団体の色彩を濃くしていく。

 元総連関係者はこう語る。「責任副議長に司直の手が伸びないのは、ひとえに30年以上にわたる政界工作の成果だ」

                ◇

 ■「パーティー代 払ってやった」

 「10年ほど前、ある人の紹介で許宗萬責任副議長と新宿の韓国料理店で食事をした。会ったのは1回か2回だけ。親しいというわけではない。面識がある程度だ」

 加藤紘一元自民党幹事長は朝鮮総連の許責任副議長との交流をこう説明する。加藤氏は、元総連中央財政局副局長の韓光煕氏が自著「わが朝鮮総連の罪と罰」(文芸春秋社)で、許責任副議長と親しくしていた政治家たちの一人と記述されていた。

 加藤氏が北朝鮮との窓口役を務めていたのは1995年、自民党政調会長の時である。北への50万トンに及ぶコメ支援を主導していた。

 記者が工作資金を尋ねたところ、加藤氏は「総連はコメ支援の答礼パーティーを開くといって、政治家や関係省庁の役人を招いた。ところが総連は『カネがない』というので、私らが払ってやった。総連には配るカネなんかないよ」と語った。パーティー代を肩代わりする関係だったようだ。

 韓氏が記述した政治家たちには他に自民党や旧社会党の現・元幹部などが並ぶ。

 別の元総連幹部は「2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝以来、許責任副議長は首相秘書官と親しくしていた。総裁派閥の森派(現町村派)幹部とも温泉地でこっそりゴルフをするなど、政権との関係強化に躍起だった」と明かす。

 許責任副議長はこうした政治家たちとのパイプを足がかりに総連の最高実力者に上りつめていった。最大の功績は本国からの総連中央に課せられた資金捻出(ねんしゅつ)に成功したこととされる。

 財政担当副議長に就いた80年代後半はバブル経済下で、都市部の地価は倍々ゲームで上がっていた。許氏が目を付けたのは、土地転がしであり、その対象は、日本全国で38組合、176店舗、預金総額2兆円超を有した朝銀信用組合だった。

 全国の朝銀は幹部人事を握る総連中央に命じられるままに、総連傘下団体の不動産を担保としてその価値を大幅に上回る過剰融資や無担保融資を繰り返し、乱脈経営の限りを尽くした。融資金の一部は、北朝鮮への献金として総連経由で横流しされた。

 しかしバブル崩壊とともに、97年5月の最大手の朝銀大阪を皮切りに次々と経営破綻(はたん)に追い込まれ、2002年12月までに朝銀破綻処理に日本国民の血税である公的資金1兆4000億円が投入されたのだ。

 ところが、巨額の公的資金をつぎ込んだ朝銀について、01年11月に警視庁が総連本部を強制捜査するまで不正は一切表面化しなかった。

 故金丸信元自民党副総裁が総連元幹部らによる外国人登録法違反事件に対し、捜査を拡大しないよう警察庁に求めたこともある。

 閣僚経験もあるベテラン国会議員は許責任副議長とのパイプに加え、朝鮮労働党で対南工作を仕切る金養建・統一戦線部長と20年来の親友であると披瀝(ひれき)して、こう豪語した。

 「私は北から最も信頼されている日本の政治家だ。拉致は後回しでいい。まず日朝の国交を正常化しないと何も始まらないよ」

 北朝鮮や朝鮮総連による工作で日本国は融解してしまっているとしかいいようがない。(高木桂一)

               ◇

      ■許宗萬・朝鮮総連責任副議長の軌跡

1931・4 慶尚南道古城で生まれる

  40ごろ 東京朝鮮高級学校を卒業

  54・4 神奈川県内の朝鮮学校教員

  55・5 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)結成

  59・5 朝鮮青年同盟東京都本部委員長

  71・2 朝鮮総連中央本部国際局入り

  86・9 財政担当副議長に就任

  93・7 責任副議長に就任。直前に「学習組」組長

  97・5 朝銀大阪が破綻。のち近畿の朝銀5信組が合併し朝銀近畿設立

  98・5 朝銀近畿に3102億円の公的資金注入

  99・5 東京、千葉など13朝銀破綻

2000・7 朝銀近畿が2次破綻

 01・11 朝銀10信組に新たに3129億円の公的資金注入決定

    11 朝銀東京信組の旧経営陣らによる業務上横領事件で、警視庁が朝鮮総連元財政局長らを逮捕。総連中央本部を家宅捜索

  02・8 ミレ信組など3信組に3256億円の公的資金注入

     9 小泉純一郎首相が訪朝、金正日総書記と会談

    12 ハナ信組へ約4100億円の公的資金注入決定

  04・5 小泉首相が2度目の訪朝

  07・6 東京地検から事情聴取

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(8)

2007.10.05 MSN産経新聞

 ■「核の傘」が消える悪夢の日

 2009年X月。北朝鮮は長距離弾道ミサイル「テポドン2」の発射実験に成功した。その上で「米国を直撃可能。核弾頭も搭載できる」と宣言した。米国は国連に北朝鮮制裁を呼びかけるが、中国は「制裁は不要」と動かない。沖縄の米軍基地では偵察機の動きが急だ…。

 このシナリオはむろん現実ではない。今年7月、日米の安全保障専門家が東京で、朝鮮半島の近未来を想定して危機に対応するシミュレーションを行った際のものだ。

 実際にも北朝鮮は昨年7月にミサイルを連射し、10月に核実験を強行した。最近は「ムスダン」と呼ばれる新型ミサイルも開発中と伝えられ、国際社会への挑戦的な行動は終わらない。現実と仮想現実とのギャップは間違いなく埋まりつつある。

 シミュレーションを企画した防衛大学校の太田文雄教授は「北朝鮮の核やミサイルの危機に、米国や中韓がどう対応し、日本がどうすべきかを考えたかった」とその趣旨を説明する。

 シミュレーションでは、冒頭の想定に加えて(1)北朝鮮がムスダン・ミサイルの実験準備を始めたら日米中がどう対応するか(2)北で軍事クーデターが起きたとき、米中はどう動くか−についても検討した。

 防衛関係者らがもっとも心配しているのは、北朝鮮が米国を直撃できる核弾道ミサイルを完成したときである。

 日本の安全は在日米軍の存在に加えて、究極的に米国の「核の傘」によって保障されていると考えられてきた。しかし、中国や北朝鮮が核ミサイルで米本土をたたけるようになった場合、「米国は本気で日本の安全を守るために動くか?」という疑問がつきまとう。

 昨年2月、太田氏が米元高官にこの点を尋ねると、「イエスともノーとも言えない」という答えが返ってきた。「それは衝撃的だった」と彼は振り返る。

 もともと米国の「核の傘」への疑問は、中国の戦略核戦力の増強をきっかけに論議された経緯がある。さらに、北朝鮮が太平洋を飛び越える長射程の弾道ミサイルを開発すれば、理論的には同じことになる。

 やはり安全と水はタダではない。日米安保条約でさえ、無条件に米国の武力行使を約束しているわけではないのだ。条約の第5条をみると、日本の防衛についてはあくまでも米国の利益であると判断されたときのみに限られる。

 北の核は、中国と違って金正日総書記体制の「生き残り」をかけた兵器だから、いざとなれば日本を攻撃することによって自滅の道に踏み出す危険がある。北は容赦なく不法行為を犯す独裁国家であり、冷戦時のように核抑止が正常に働かない可能性さえあるのだ。

 こうした条件の中で、米国は本当にカリフォルニアなど西海岸の国民を犠牲にしてまで、日本を核攻撃した北への報復ができるだろうか。

 実は、7月のシミュレーションで主催者側は「米国が核の傘を放棄するかもしれない」という大胆な近未来シナリオを追加しようとした。これに日本の首相と米大統領がどんな行動をとるか。しかし、それは関係方面に与えるショックが大きく、直前に削除された。日本にとって核の傘が消える日−それは考えたくもない前提なのだ。

 ≪他人任せ「抑止」の危うさ≫

 北朝鮮が核実験を強行した直後から、北京は北が再び6カ国協議に復帰するよう猛烈な圧力をかけていた。

 米国に対北の性急な軍事行動を起こさせないためというのが最大の理由だろう。米軍が北攻撃に動けば、難民が数十万単位で大陸に流れ込むし、米軍による北の軍事占領は中国の安全保障上の悪夢である。

 一方で、中国が警戒するのは、日本といういびつな経済大国が核開発に踏み切り、「核大国」に変身してしまうことである。北京にとっては「北朝鮮の核保有」よりも「日本の核開発」の方がよほど怖い。

 こうした日米の動きを封じるためにも、中国は6カ国協議を主導していかねばならない。ところが、日本が「普通の国」でさえないことはすぐに明らかになる。日本の実情は北京が警戒するほど核戦略にはなじんでいないのだ。

 昨年10月、当時の中川昭一自民党政調会長が「議論はあってもいい」と発言しただけで、非難ごうごうであった。核論議に理解があるはずの安倍晋三首相でさえ、政府や党の機関で「正式議題にはしない」と封印せざるを得なかった。

 日本人の国防観にしたがえば、自国の「防衛」は許容できても「抑止」は他人任せということである。

 米核戦力の権威であるケネス・ウォルツ氏は、彼の論考「核の平和へ」の中で、「欧州の強い防衛力がソ連の攻撃を抑止する」との俗説を否定する。ウォルツ氏によれば、抑止力とは防衛能力を通して達成されるのではなく、相手を罰することのできる能力によってこそ可能なのだという。

 逆にいうと、いくら攻撃能力のない「防衛力」を整備したところで、少しも「抑止力」たりえないということだ。従って、核の脅威には核でしか抑止できないという過酷なテーゼが成立する。

 では、日本に「核の傘」が機能しなくなったとき、核を独自に開発する以外にどんなシナリオが残されているのか。米国の核戦略専門家らとの討論を通じて、浮かび上がるオプションは次の3つである。

 第1は日米同盟を維持し、米国の核実験場を借りて独自核を保有する(英国型)、第2は米国の核を国内に持ち込んで「核の傘」を補強する(旧西独型)、第3は核は持たず北の核、中国の核とひたすら共存する(共生型)。

 太田氏は「あらゆる事態に備えて対応を詰めておかないと日米同盟が自壊し、分断される恐れすらある」と警告する。北朝鮮の核放棄は進まず、逆に米政府が北朝鮮の核保有をあいまいに容認しかねない空気すら漂っている。

 核論議も許さない「不思議の国」という前提に立つなら、日本の為政者は当面、米国からの核抑止の“共同幻想”をより確実なものにするしかない。日米首脳会談で「核の傘」を公式議題に取り上げ、「北が核計画を続ける限り日本は核のオプションを放棄しない」との表明をする。

 それにより米国から破れにくい「核の傘」を引き出すしかない。目的は日本の抑止力の強化であり、国民の安全と繁栄を守るためである。(高畑昭男、湯浅博)

【用語解説】安保条約第5条

 「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(9)

2007.10.07 MSN産経新聞

■ハブ港は中韓に奪われた

 下の写真をみていただきたい。広大な貨物置き場には肝心の貨物がほとんどない。着岸している船も少ない。

 これは北九州市や国などが、「北東アジアのハブ(中継)港」を目指して約900億円を投じて、2年半前に建設した最新鋭の「ひびきコンテナターミナル」(HCT)でほぼ毎日みられる光景だ。日本海側で唯一、大型貨物船の入港が可能な水深15メートル、長さ約700メートルの岸壁を持ち、3基の巨大クレーンがそびえ立っている。が、開港1年目の貨物取扱量はコンテナ換算で10万個を予想したものの、約6000個にとどまった。

 これに対して、対照的なのは約200キロメートル先対岸の韓国・釜山港だ。大型コンテナ船が頻繁に行き交い、活気をみせる。釜山港が取り扱うコンテナの約半数は、世界中から集まる積み替えコンテナだ。

 国土交通省によれば、日本発着のコンテナ貨物のうち、アジア主要港で積み替えられて海外に輸出されたり、逆に海外からそんな港を経て日本に運ばれるコンテナ貨物の割合は1993年、2・1%にすぎなかった。

 それが2003年には15・5%に上昇した。北米における現地生産比率が3割を超える日本の自動車生産向け部品も、釜山経由で米国などに運ばれる。

 残念なことに、日本は欧米とアジアとを結ぶ主要航路便からはずれている。

 世界のコンテナ取扱量(2006年)の1位から6位までを占めるのはアジアの主要港だ。日本の最高は東京の23位。東京、横浜、大阪などの主要港の取扱量を足しても世界1位のシンガポール、2位・香港、3位・上海にとても及ばない。

 なぜこうなったか。中韓などアジアのライバル港が巨額の資金を投じて大規模化を急ピッチで進めた一方で、日本がそうしなかった結果である。

 北九州市港湾空港局の片山憲一局長は「いまの日本に中韓の政策決定のスピードはまねできない」と唇をかみしめる。

 貨物輸送の集積基地であるハブ港になれば、寄港する船が増え、自国を発着地としない貨物が数多く集積される。これによって、岸壁使用料などの料金を海外から獲得できるうえ、地元の就業拡大にもつながる。シンガポールや韓国などはハブ港戦略を明確に打ち出して国内1、2港に絞って投資した。

 これに対し、日本はこれまでに全国六十数カ所のコンテナ港を整備してきたが、いずれかを選択し、投資を集中してこなかった。「近隣港の間では貨物を取り合うが、協力や連携はない」(企業の物流担当者)という。

 地方自治体の港湾政策の問題も大きい。港湾法の下、建設と港湾経営の主体は自治体だ。だが、そこは政治家や建設業者らが結びつく公共事業のバラマキ投資の温床でもある。

 さらに港湾労働者らの権利意識の強さやおかしな労働慣行も阻害要因だ。

 港湾運営の民営委託で「24時間365日稼働」「日本一安い経費」を標榜(ひようぼう)したHCTも例外ではなかった。港湾労働者らでつくる組合が労働条件悪化に加え、HCTが開港することで周辺港に集まる貨物が減少し、「雇用の安定が脅かされる」と、港で抗議集会などを行った。

 ある北九州市関係者は「暴力団につながる『口入れ屋』からも、圧力があった」と打ち明ける。北九州市は結局、一定量の貨物がHCTに集まるようになれば、周辺の港湾労働者らに協力を求めることにした。

 これらは港湾コストの高さや手続きの煩雑さに結びつく。

 コンテナ1個を運ぶ総料金を比べると、東京港を100とした場合、釜山港は64、台湾・高雄港は65だ。入港から行政手続きを経て貨物を引き渡すまでにかかる時間も、シンガポールが24時間以内なのに対し、日本の港は2、3日かかる。

 こうした旧弊によって、日本の港が凋落(ちょうらく)しているだけではない。国際競争力が低下し、国民の生活に影響を与えていることが問題なのである。

■中継料で輸入品アップ 国際競争力ダウン

 日本の港湾問題は国民生活にも直結している。

 東大大学院の家田仁教授は「(日本の港の空洞化で)輸入品の価格高騰や輸出競争力の弱体化を招き、日本経済は国際競争力を失う。その結果、国民負担が増す」と指摘する。

 日本が主要航路から外れ、日本−北米・欧州の間に海外の中継港が入れば、その中継港にいったん貨物を運ぶコストが商品価格などに転嫁されるからだ。「実感はわきにくいが、病状は確実に進んでいる」と家田教授は警告する。

 国土交通省の試算によれば、完全に海外のハブ港を経由しなければならないとすると、日本に入ってくる食料品で2・3%、繊維製品で3・7%、輸送機械で4・4%それぞれ輸入価格が上昇する。

 また、日本からの輸出品が高くなることで、製品の国際競争力が落ち、輸出額は10年間で3、4兆円減少する。

 しかも「もし中継港が政治情勢やストライキで凍結されれば、生鮮食品類などが日本国内に届かなくなる可能性もある」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング国土・地域政策部の原田昌彦主任研究員)という。

 食料の約6割を輸入に頼る日本にとっては命綱を他国に握られることになるわけだ。

 こんな日本に挽回(ばんかい)のチャンスはあるのか。国がようやく重い腰を上げたのはここ数年だ。国交省が旗振り役となって進めている「スーパー中枢港湾プロジェクト」がそれだ。高いと不評の港湾コストを3割削減し、貨物の陸揚げから引き取りまでの所要時間を従来の2、3日から1日に短縮するのが目標だ。

 そして、整備費を東京湾(東京、横浜港)、伊勢湾(名古屋、四日市港)、大阪湾(神戸、大阪港)に集中投入する。

 税関や入国管理局など各省庁の管轄が分かれ、船会社から煩雑だと批判が強い輸出入や港の利用にかかわる手続きに関しても改善の動きがある。

 政府が今年5月に決定した「アジア・ゲートウェイ構想」の最重要項目として挙げた「貿易手続改革プログラム」だ。今後は港湾ごとに異なる手続きの使用様式の統一や簡素化などが進められるという。

 最近、日本企業の国内回帰の動きが目立っている。生産効率や品質管理の面で工場を日本国内に設置する方が有利と判断する企業が増加しているのだ。北九州市のひびきコンテナターミナル(HCT)周辺でもトヨタ自動車をはじめ自動車メーカーの工場が稼働する。

 HCTの運営会社「ひびきコンテナターミナル」顧問を務めた新日本製鉄八幡製作所総務部開発企画グループの楠雅之マネジャーは「この機をのがせば、中国などからのUターン現象で国内に戻りつつある生産機能が再び流出しかねない。今が日本が挽回をめざす、ぎりぎりのタイミング」と指摘する。

 生き残りをかけて打って出るのかどうか。日本の港湾政策はいま、大きな分水嶺(ぶんすいれい)に立たされている。(橋本亮)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(10)「国防の神経」ずたずた

2007.10.08 MSN産経新聞

 「あり得ないことだ。何かの間違いではないか」。一昨年12月、防衛庁(当時)の電波関係者は、「周波数の再編方針」などと書かれた総務省のホームページ(HP)を何度も何度も読み返したという。

 それは防衛庁が「国防の神経」と位置づける最重要周波数帯を次世代携帯電話に割り当てる方針と、その周波数帯に通信事業者を募る内容が掲載されていたからだ。しかも防衛庁との事前協議もなかった。電波関係者の怒声に同僚が集まり、衝撃が広がった。

 この周波数帯は、全国28カ所にある警戒管制レーダーと、迎撃戦闘機・ミサイル部隊などが捕捉情報を交換し合い、領空侵犯機などに総合的に対処する通信網として使用されている。いわば国防の「目」と「脳」をつなぐ「神経」だ。

 実際に通信事業者が携帯電話用の電波枠を拡大し続ければ、国防の神経はダメージを受ける。例えて言えば、テレビ画像は見えるのに、スピーカーからは当該テレビとラジオの音声が入り交じって聞こえてくる−そんな機能不全の状態になる。

 これでは国は守れないが、総務省の意識は違うようだ。

 総務省がHPに前記方針を載せたのは、防衛庁が気付く2年以上も前の2003年10月だ。05年11月にはアイピーモバイルなど通信事業3社に周波数帯の利用が認められた。

 総務省は「どの省庁とも事前協議をしていない」とした上で「電波政策ビジョンを出すに当たり、事前に意見を募集した。関心のある省庁はHPを見ているはずだし、報道発表もしている」と主張する。

 不思議なことに防衛省は今も総務省に対し、抗議はもちろん、交渉すらできないでいる。

 電波の許認可・監督権限を握る総務省による、防衛省使用電波に対する“さじ加減”が脅威なのである。通常1カ月以内で認められる、日常的に使っている電波使用が許可までに3カ月もかかったり、新規電波がなかなか割り当てられなかったりするからだ。

 総務省は強気だ。「電波の有効利用の観点から、防衛省であれ民間であれ、既存周波数帯からの立ち退きの可能性を検討している」ともいう。

 いわば、HPで示したような防衛省の周波数帯への割り込みではなく、防衛省が使用している周波数そのものの変更すら視野に入れているのである。

 同じような電波問題を抱える国土交通省の幹部は、総務省の狙いについて「新たな資金源開拓と許認可権限の強化に向けた電波再編」と牽制(けんせい)する。

 実は超短波のVHF帯より波長が短い、この周波数帯は、これまで“空き状態”だった。設備投資が割高だったからだ。防衛庁発足当時の郵政省が国防用無線として許可したのも、空きがあったためだ。

 それがデジタル黄金期を迎え、動画像やゲーム端末などの大きなデータ量が、この周波数帯で送受信可能となった。

 総務省としては国の防衛より、新たな電波使用料を課すことを優先したわけだ。実際、国内外の通信事業者からの電波利用料は年間650億円(今年度)が見込まれている。

 仮に総務省により、周波数そのものを変えられてしまうと、防衛省・自衛隊は通信機やアンテナを含め施設を造り直さなければならない。防衛費削減で四苦八苦する防衛省は、さらなる巨額の出費を強いられる。

 携帯電話やテレビは国民の生活・娯楽にとり不可欠な存在である。しかし、主権が侵害されれば、国民生活は根底から覆される。いかにして国民の生命・財産を確保するかが国家の責務なのに、電波の世界では優先順位が逆転している。当然、有事の対応も危うい。

               ◇

 ■「優先権」認められない自衛隊

 有事の場合、防衛省は電波を優先的に使用できる権利を持っている。「武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律」で決まっていることだ。

 だが、どの電波に防衛省の優先権を認めるか、などを盛り込む同法に基づく対処基本方針の大枠は定まっているものの、具体的な手順は詰められていない。

 総務省が「法律上、きな臭くなってから決めるようになっている」と解釈しているためだ。

 だが、「きな臭くなってから」決める余裕が果たしてあるのか。

 さらに対処基本方針の手順ができたにしても、運用はまた別だ。

 平時では、防衛省の電波といえども「他に影響のない範囲」(電波法56条)での使用にとどめられており事実上、有事事態を想定した訓練ができない。説明しよう。

 有事となると、敵は自衛隊が使用している周波数に妨害電波を故意に照射し、レーダーをマヒさせるのが近代戦の定石だ。これに対し、自衛隊は、違う周波数に切り替えてレーダー機能を確保することになる。

 ところが、現状では認可されている周波数帯が狭く、民間の電波に割り込まない限り他の周波数へ回避できない。

 従って、自衛隊がもし、電波妨害回避訓練を行っても、割り込みができないため、妨害をまともに受け、レーダー表示画像は真っ白になる。

 これについて、防衛省と総務省は「訓練を経ずに、有事でいきなり新規の電波を使うのは不可能」と認識している。

 しかし、総務省は「電波法に例外は設けない」との姿勢を貫いている。ここに総務省だけでなく、有事を考えようとしない日本国の問題点が横たわっている。

 実は、日本も批准した「国際電気通信連合憲章」条約では「軍用無線設備」の「完全な自由」は担保されている。

 米軍の電波は民間はもとより、他官庁にも先駆けて割り当てられている。これが世界の常識だ。

 日本の電波法も、同条約を受けて定められたが、電波の許認可を握る総務省は防衛省に電波使用の優先権を与えていない。総務省が「自衛隊は軍ではない」と認定しているためだ。

 これらは自衛隊に大きな制約を課している。

 自衛隊が数百基保有する各種防衛用レーダーの国内配置は綱渡りである。同じ周波数帯のレーダーが近くに在ると、互いに干渉し合い、実在しない機影が映し出されることがあるからだ。

 可能な限り南北・東西と引き離しているが、レーダー電波同士の干渉=つぶし合いは起きている。これも、防衛省に許されている周波数帯が狭いことに起因する。

 「有事の電波」はむろん、「平時の電波」も十分に機能していない。それを問題と思っていない国家は心棒が抜けていると言わざるをえない。(野口裕之)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(11)

2007.10.09 MSN産経新聞

 ■中国に握られたITの「鍵」

 インターネットによりカネ、モノ、ヒト、資産のすべてがデジタル情報に置き換えられ、世界中を光速で移動する。

 それは「サイバー空間」と呼ばれる。「今やサイバー経済こそが経済だ。ネットワークが攻撃されて障害が起これば、その国の経済が崩壊しかねない」。ライス米国務長官は国家安全保障担当大統領補佐官だった2001年3月、こう警告した。

 サイバー攻撃の脅威に危機感を募らせる米国の対極にあるのが日本である。

 今年5月、中国政府のある対外通告について、日本政府は気にも留めなかった。それは「中国国家暗号管理局は外国で生産された暗号付き製品の使用を禁止する」という規定である。

 日本など外国企業はコンピューター暗号を解除する「鍵」を当局に渡すか、暗号を解除していないと、中国にソフト、ハードを持ち込めない。IT業界大手の幹部は言う。「われわれが中国で委託生産するソフトの中身はすべて中国当局に知られてしまい、一元管理される」

 野村総合研究所の推計では05年で中国人のソフト技術者のうち約6万人が、日本のIT企業向けサービスに従事している。その業務内容は、中国で委託生産される日本企業の製品設計、各種システムや金融機関のネットワークから、日本政府の「電子政府プログラム」まで多岐にわたる。中国当局により玄関から金庫の鍵まで開けられても、黙って従うしかない。

 「中国一辺倒がまずいのはわかっているが、中国はとにかく便利」と情報システム大手幹部はいう。

 本紙記者が最近訪ねた大連の現地企業は社内の「公用語」を雑談まで含め日本語にするほど日本化に努めていた。

 対中依存が進んだ背景には、日本政府によるIT業界への「丸投げ」の構造がある。

 政府は01年に「電子政府プロジェクト」を打ち出したが、実態はプロジェクト設計からプログラム作成、保守管理まで、すべて発注先まかせだ。

 業界各社は「1円入札」までして受注し、コストを浮かすために、中国にさらに投げる。

 電子政府推進官庁である経済産業省自身、同省の電子政府ソフトを東芝に発注、東芝はさらに提携先の瀋陽の企業に基本設計段階からすべてを委託した。

 保守管理も同じだ。官庁の大半はセキュリティー責任者を設置したが、多くは素人で、「われわれに会うたびに『頼んだよ』といわれる」(IT業界幹部)。中国が関与する余地は果てしなく続く。「この世界は性善説に立つしかない」(内閣官房のスタッフ)と言うのが本音である。

 だが、中国を「善」とは中国当局ですら認めないだろう。

 中国の公安当局は9月26日、今年5月までの1年間で中国国内のネットワークのセキュリティーのトラブル発生率は65・7%で、ウイルスに感染したコンピューターが過去最高の91・4%に達したと発表した。

 警察庁が検知した中国からの発信元によるハッカー攻撃は今年上期、1日当たり2112件に達した。

 冒頭のライス長官発言にある通り、サイバー攻撃はむしろ防御の弱い経済に向けられる。8月にはドイツの経済技術省などの経済情報が人民解放軍により侵入され、メルケル首相がたまりかねて8月末の訪中で温家宝首相に抗議した。

 それに比べ、すき間だらけな日本の官庁は被害を受けた形跡が見当たらない。「ひょっとして奥の院まで知り尽くしたハッカーが痕跡を消してしまい、われわれは気がついていないだけかもしれない」とIT業界関係者は声を潜めて言った。

 米国では、サイバー攻撃を「ブラック・アイス(高速道路に薄く張った氷)」と呼ぶ。だれも気が付かず、いったん事故が起きるとパニックになるからだ。(田村秀男)

 ■防衛と警察の連携見えず

 この8月から9月にかけて世界中を騒がせた米国防総省や独、仏、英政府の中枢部門へのハッカー攻撃は、米欧の専門機関により中国人民解放軍の犯行濃厚と判断された。

 狙いは米軍などの情報奪取にあるとされるが、一国の軍が組織的に行動したとすれば、サイバー戦争時代の開幕とみておかしくない。

 金融取引が停止し、工場の操業がストップ、ダムからの大量放水で下流の都市が洪水に見舞われる−こんな悪夢のような攻撃も起こり得る。

 北京市西郊の西山には中国人民解放軍の本部がある。日中軍事関係筋によれば、市販の地図に載っていない軍本部ビルにコンピューターなどのハイテク機器を中心にしたサイバー戦を想定した総参謀部第3部が入っている。

 第3部は「網軍」と呼ばれる。1600人以上のサイバー部隊を擁し、フロアには数百台も最新鋭のパソコンがずらりと並んでいる。

 解放軍の7大軍区に拠点を設置し、本部と各拠点を光ファイバーで結び、サイバー戦争を想定した軍事作戦訓練を頻繁に行い、米国への留学生を含め人材をさらに募っている。

 中国国内でソフト工学の学部学科を持つ大学は400に上り、在籍学生数は40万人。その中からハッカーも生まれ、その技術向上を競う。

 日本はIT技術者不足をその中国で補い、暗号を解除してまで中国に設計内容を伝え、プログラマーを養成している。相手が解放軍でなくても、日本が中国の各地からサイバー攻撃を受けやすい条件がますます整っていることになる。

 ところが、日本側の防御意識は低い。

 まず政府の体制は縦割りの域を出ない。情報セキュリティーを統括する内閣官房情報セキュリティセンターは「政府横断的な情報収集や情報共有、攻撃の分析・解析のための統合組織を整備する」と言うが、掛け声だけである。

 演習を実施しても「実際に海外からの攻撃や犯罪が発生した場合、対処すべき任務を担う自衛隊や警察は演習に加わっていない」と元総務省幹部は言う。

 警察庁は各警察機関に設置した情報を「サイバーフォースセンター」に集約し、攻撃の端緒を24時間体制で監視して対応する緊急対処チーム「サイバーフォース」を擁している。

 防衛省も今年度の組織改編にあわせて、自衛隊通信システムなどへのサイバー攻撃に迅速に対処できる統合的な通信部隊「指揮通信システム隊」を設置するが、警察庁のサイバーフォースとの連携は見えてこない。

 日本の官庁などはこれまで首相の靖国参拝など「歴史問題」が浮上するたびに集中的に中国各地から攻撃されたが、「ホームページ書き換えなどはどうってことない」(内閣官房筋)と問題視すらしない政府関係者が少なくない。

 自らの省の電子政府プロジェクトまで中国に丸投げしても無頓着なのは、サイバーテロへの危機感が希薄なためだろう。経済が崩壊したら、日本がどうなるかを考えれば、国の総力を挙げて防御の道を取るしかない。それなのに、この国の官僚組織は動こうとしない。(相馬勝)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(12)

2007.10.10 MSN産経新聞

 ■「国益より言い訳の技術」

 2006年初夏、日米当局者による安保協議が米国で開かれ、北朝鮮の不穏な動きをめぐって対応を協議した。北朝鮮がミサイル連続発射に踏み切る少し前のことだ。

 万が一、北のミサイルが日本の領域内に落下したり、周辺海域の漁船などに被害が出たら、大変な事態になる。米政府、米軍はどう動くか。日本政府は真っ先に何をすべきか。さまざまな不測の事態に備えて、日米の緊急対応を入念に検討しておくことが協議の狙いだった。

 ところが、日本側は周辺事態法の適用について「あれはできない」「ここまでが限界」といった法律の解釈論を長々と始めた。すると、米側の一人があきれたような顔で言い放った。

 「いったん有事になれば、国民の被害を最小限にし、敵の損失を最大にして一刻も早く紛争を終わらせることが至高の目的のはずだ。それが国益というものでしょう」

 だが、日本側からは答えがなかった、と出席者の一人が証言する。「日本の当局者は国会で追及されないように、言い訳を重ねる技術にしか目がいかない。国民の安全や国益を政府として、どうとらえているかを深刻に考えさせられるやりとりだった」という。

 国益が定まらなければ国家戦略も決まらない。何が国家の利益になるのかを国会や国民に説明することもできないのではないか。官僚だけではない。

 ここ10年間、日本の政治は官主導から政治主導への転換が叫ばれてきた。

 国民の安全を守る、国土保全を図る、エネルギーを確保する、環境を浄化する−といった漠然とした「国益」なら、政治家の誰もが口にする。にもかかわらず、それらを総合して優先度を示し、いかに整合性を持たせるかの政策的展開が官僚も政治家もスッポリと抜け落ちているのだ。

 自衛隊のイラク派遣やテロ対策特別措置法の問題でもそうした一面があった、と外務省幹部が振り返る。

 当時の小泉純一郎首相は「日米同盟と国際協力の両立だ」と述べたが、イラクに出ていくことが具体的に日本のどんな国益になるのかを十分に説明できたとは言い切れない。

 テロ特措法にしても、(1)中東・湾岸の安定が日本の安全と平和に不可欠(2)石油などエネルギー安保(3)日米協力の具体化−などに日本の国益があるのは当時も明白だった。「だが、政治指導者がそれを明示して論理的に説得する努力が欠けていた」とその幹部は言う。

 「国益を誰がどう決めるのかが、戦後日本ではずっとあいまいにされてきた。土台となる国益をきちんと定義し、その上に政策や戦略を築いていかなければ21世紀の国家戦略も描けない」と、森本敏・拓殖大学大学院教授(65)も指摘する。

 その証拠に、日本には「国家戦略」にあたる文書がない。「国防の基本方針」とかエネルギー、環境戦略といったものはある。だが、より高次の観点から外交、軍事、エネルギー、環境など個別政策を定める指針ともなる国家戦略文書が、政府や国会の了解の下にまとめられたことはない。

 「国益を明示した国家の総合戦略がないだけでなく、たとえ戦略ができても、それを実現する制度もない。日本が国家の心棒を欠いているのはまさにそこだ」と森本氏は言う。

 ■国家戦略の優先順位付けを

 米国には「アメリカの国益に関する委員会」という風変わりな超党派組織がある。設立されたのは1995年だ。

 冷戦終結直後、米国民は外交への関心を急速に失い、政治指導者も内政や目先の経済利益に目を奪われがちだった。

 世界では旧ユーゴなどの地域紛争、大量破壊兵器拡散とテロ、中国の台頭など新たな脅威や課題が浮上し、米外交に場当たり的な対応が目立つようになった時期だ。

 こうした情勢に、「半世紀間の冷戦戦略に代わる目標を定めなければ、新たな平和秩序を築く機会が失われる。米外交を漂流させてはならない」と危機感を抱いたハーバード大学のグレアム・アリソン教授らが提案し、民主、共和党議員や国家安全保障専門家など十数人を集めて発足した。

 主なメンバーには、クルーグマン・スタンフォード大学教授、ナン民主党上院議員、スコウクロフト元大統領国家安全保障担当補佐官、ライス現国務長官、アーミテージ前国務副長官らの名前も見える。

 彼らが1996年と2000年に公表した報告書は、米国がめざすべき国益を(1)死活的国益(2)きわめて重要な国益(3)重要な国益(4)二義的な国益−の4レベルに分類し、明確な優先順位を示している点が特徴だ。

 「死活的国益」には大量破壊兵器の脅威、主要地域での覇権国家の台頭防止、国際通商・経済制度の維持などを挙げ、これに次ぐレベルの国益には米国の技術優位の堅持などを示している。

 地域別の国益も、例えば東アジアでは「敵対的覇権国の台頭阻止」「日韓の自由と繁栄、対米同盟を維持」などを最優先する。中国を国際システムに組み込んだり、朝鮮半島や台湾海峡の紛争防止などをその次に位置づけている。

 もちろんすべてが公式政策となったわけではない。

 だが、委員会の提言は議会や政府、世論に活発な国益論議を喚起し、その後の米外交や国家戦略立案に多くの建設的な刺激を与えてきた。

 森本氏は、政治と国民が共有できる具体的な国益を描くために「日本でも米国のような組織を設けて論議をすべきだ」と提案している。

 日本版国家安全保障会議(NSC)創設を目指し、昨年末から今春にかけて開かれた「官邸機能強化会議」で、東シナ海のガス油田開発問題が論じられたことがある。

 中国は国家戦略として軍も動員してガス田開発を推進する。日本側は開発は民間、警備は海上保安庁、対中協議は外務省任せという実情だ。

 「トータルな外交、資源、経済、防衛の問題なのに、国家戦略がないために効果的な対応が決められない」。安倍晋三首相(当時)もいる前で、こう指摘する声が相次いだという。

 集団的自衛権の行使論議、核保有論議、東シナ海のガス田開発などのエネルギー戦略、環境問題など、日本が直面している国家安全保障上の課題は数多い。個別の課題を活発に論議しても、いずれを最優先するかが決まらない。

 「国益とは何か」を具体的にわかりやすく定義づけてその実現に優先順位をつける。それを国民に提示して、理解を求める。そんな作業は官僚組織にはできない。政治指導者がやらなければならないことだ。(高畑昭男)

【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている 番外 (完)

2007.10.11 MSN産経新聞

 ■リスク共有が同盟の本質

 ここに1枚のパスがある。2004年2月、バグダッドでやっとの思いで手に入れた身分証明書(ID)。たかがパスと笑わないでほしい。この1枚には当時の日本政府とそれを支持した日本国民の政治的決断の重さが凝縮されている。

 3年前の少々やつれ気味な筆者が写っているこのIDは、当時イラクを占領統治していたCPA(連合国暫定当局)発行の公式身分証明書だ。グリーンゾーン(米軍管理区域)と呼ばれた地域内で仕事をするためには、極秘情報にもアクセスできる幹部職員用の「レベル1」パスが最低限必要だった。

 今と比べれば当時グリーンゾーン近辺は平和なもので、ロケット弾の着弾や自動車爆弾の大爆発もせいぜい週1、2回程度だった。それでも、毎日の生活はピリピリしていた。われわれは何としても自衛隊・大使館に対するテロの脅威と米軍の軍事作戦に関する情報を集める必要があった。

 当時の日本大使館員は誰も「レベル1」を持っていなかった。いや、正確にはもらえなかったのだ。このパスがなければ検問所でボディーチェックを受ける。入手できる情報も限られた。理由は簡単、われわれはCPAにとってまだ「同盟国」ではなかったからだ。

 そんな状況が一変したのは04年2月、サマワに陸上自衛隊部隊が到着してからだ。

 晴れて「連合国の一員」となった日本の外交官に対する待遇はその時点から激変する。ボディーチェックは免除され、筆者はCPA幹部会に毎朝出席できるようになった。機微な脅威情報へのアクセスが向上し、詳しくは書けないが、大使館の警備体制も格段に強化された。

 今もそうだと思うが、当時のイラクでは情報がすべてである。CPA参加国はお互いを守り合うのが原則だ。だからこそ、危機に際し、貴重な情報は傍観者ではなく、あえてリスクを共有しようとする勇気ある者にのみ与えられる。なるほど、これが同盟の本質なのだ。

 ところが、04年7月にCPAが解散して日本に帰ってくると、こんな当たり前のことが当たり前ではなくなる。

 憲法上の制約がある日本では、武力行使をしないというバグダッドでの例外中の例外が大原則となる。同盟の本質である相互防衛義務はタブー扱いされるのだ。

 日米安保条約では日本有事の際、米国は日本防衛義務を負う。日本に米国防衛義務はないが、米国に施設区域を提供するので、日米同盟の双務性は最低限確保される。

 国会答弁の世界ではこれで何の文句もない。

 しかし、何か重要なものが欠けている。それはリスク共有という同盟の本質である。筆者のイラクでの個人的体験に照らせば、リスクを共有しないシステムが緊急時にうまく機能するとはとても思えない。

 それどころか、日本はいま、リスクの共有を放棄しようとしている。11月1日にはインド洋の海上自衛隊補給艦が撤収する。国際的に高く評価されたテロ特措法は内政上の理由により延長できない。対テロ国際協調を政争の具とする内向き姿勢で失われるのは、日本に対する信頼なのだ。

 ≪いつまで続く「軍事音痴」≫

 誰も考えたくないことだが、ある第三国が日本を標的にするとしよう。

 日本の近くで紛争が起き、在日米軍を含む米国が介入し、第三国の死活的利益が失われる場合だ。第三国は日本を攻撃せず、まずは米国を攻撃するだろう。

 集団的自衛権の行使を禁じられている日本が参戦できないことを知っているからだ。米戦闘機は撃墜され、米艦船も沈没する。それでも日本は武力行使をしない。いや、できないのだ。

 米兵士が毎日何百人も戦死していくが、日本は米国のために戦わない。米国世論は“爆発”するが、日本人にはその理由が分からない。日本は巻き込まれないから、いいじゃないか−。逆に、日本では嫌米感情が沸騰する。この瞬間に日米同盟は機能を停止する。

 これこそ、第三国が最も望む「攻撃せずに日本に勝つ」方法である。

 何でこんなことになるのか。日本で同盟の本質が理解されていないからである。その最大の原因は日本人の「軍事音痴」症候群だと思う。

 過去の歴史を振り返ってみると、日本は軍事力を使うべき時に使用を躊躇(ちゅうちょ)し、使うべきでない時に使用している。筆者はこのように軍事力が何たるかを知らずに武力を使用・躊躇することを「軍事音痴」と呼んでいる。

 その典型例は「武器」アレルギーだ。1990年の湾岸危機で、日本は多国籍軍に対し物資協力・輸送協力を行った。

 しかし、なぜか武器の供与・輸送は行わないと決めた。このため、当時、筆者も米軍関係者から「われわれに武器とそれ以外の物資を分別しろと言うのか」などと散々嫌みを言われたものだ。

 これが前例となったのか、周辺事態法だけでなく、テロ特措法、イラク特措法でも、日本は米軍など諸外国の軍隊に対し武器を提供・輸送しないようだ。

 そうかなあ。筆者のバグダッド感覚はちょっと違う。そもそも軍隊とは武器を使用する組織だ。同盟国軍隊を助けると腹をくくったなら、武器提供など当然ではないのか。武器以外の物資を提供するのは良くて、武器提供だけが駄目な理由は今もって不明だ。

 日本が輸送した武器を米軍が実戦で使った途端、日本の武器輸送は米国の「武力行使と一体化する活動」となり、憲法が禁ずるとされる集団的自衛権の行使になるというが、それは武器以外の物資でも同じことではないのか。湾岸戦争での日本の財政負担はそれを象徴している。

 こうした不思議な議論がまかり通るのは、今もこの国に軍事への根深い不信があるためだ。

 戦後日本では長い間、「平和=非軍事」だったから、軍に関するものは米軍、自衛隊、軍事同盟を問わず、すべて忌避された。

 国会では内閣法制局長官が「他国の武力行使と一体化」しない世界を創造し、現実に即したシビリアン・コントロールを議論する機会を封じた。

 憲法上の制約という原則は生き残り、日米安保の双務性を例外とする扱いは変わらなかった。

 現行憲法がある以上、同盟の諸原則に対し憲法上の例外が存在することはある程度仕方がない。しかし、現状のままでは日米同盟はうまく機能しない。日本人は軍事音痴を克服し、防衛義務は双方向という新原則の下、その例外を考え始めなければ、生き残れない。(寄稿 宮家(みやけ)邦彦)

                   ◇

 宮家氏は1978年外務省入省。日米安保条約課長、中東アフリカ局参事官を経て一昨年退職。現在、立命館大客員教授、AOI外交政策研究所代表。53歳。

                   ◇

 「やばいぞ日本」第4部は11月上旬、教育をテーマに展開します。


【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(1)一片のパン「幼いマリコに」

2007.11.06 MSN産経新聞

 81歳、進駐軍兵士だった元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏から手紙(英文)が、記者の手元に届いたのは今年10月中旬だった。

 親殺し、子殺し、数々の不正や偽装が伝えられる中、元知事の訴えは、「義理、恩、おかげさま、国のために」に、日本人がもう一度思いをはせてほしいというものだった。終戦直後に出会った少年がみせた日本人の心が今も、アリヨシ氏の胸に刻まれているからだ。

 手紙によると、陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。

 東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。

 彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。

 彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。

 彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。しかし、日本には2カ月しかいなかった。再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。そして、1974年、日系人として初めてハワイ州知事に就任した。

 のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。

 「妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」

 記者がハワイ在住のアリヨシ氏に手紙を書いたのは先月、大阪防衛協会が発行した機関紙「まもり」のコラムを見たからだ。筆者は少年と同年齢の蛯原康治同協会事務局長(70)。五百旗頭(いおきべ)真(まこと)防衛大学校長が4月の講演で、元知事と少年の交流を紹介した。それを聞いた蛯原氏は「毅然(きぜん)とした日本人の存在を知ってもらいたかったため」と語った。記者は経緯を確認したかった。

 アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。

 「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」

 凛(りん)とした日本人たれ。父母が福岡県豊前市出身だった有吉氏の“祖国”への思いが凝縮されていた。

 ■厳しい時代に苦闘と気概の物語

 終戦直後、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏(今年8月、85歳で死去)の心を揺さぶったのも、靴磨きの少年と似た年回りの「焼き場の少年」であった。

 原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている。素足が痛々しい。オダネル氏はその姿を1995年刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学館発行)でこう回想している。

 「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(略)私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」

 この写真は、今も見た人の心をとらえて離さない。フジテレビ系列の「写真物語」が先月放映した「焼き場の少年」に対し、1週間で200件近くのメールが届いたことにもうかがえる。フジテレビによると、その内容はこうだった。

 「軽い気持ちでチャンネルを合わせたのですが、冒頭から心が締め付けられ号泣してしまいました」(30代主婦)、「精いっぱい生きるという一番大切なことを改めて教えてもらったような気がします」(20代男性)。

 1枚の写真からそれぞれがなにかを学び取っているようだ。

 オダネル氏は前記の写真集で、もう一つの日本人の物語を語っている。

 激しい雨の真夜中、事務所で当直についていたオダネル氏の前に、若い女性が入ってきた。「ほっそりとした体はびしょぬれで、黒髪もべったりと頭にはりついていた。おじぎを繰り返しながら、私たちになにかしきりに訴えていた。どうやら、どこかへ連れていこうとしているらしい」

 それは踏切事故で10人の海兵隊員が死亡した凄惨(せいさん)な現場を教えるための命がけともいえる行動だった。オダネル氏は「あの夜、私を事故現場まで連れていった日本女性はそのまま姿を消した。彼女の名前も住所も知らない。一言のお礼さえ伝えられなかった」と述べている。

 苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛…。

 こうして日本人は、敗戦に飢餓という未曾有の危機を乗り切ることができた。それは自らの努力と気概、そして米軍放出やララ(LARA、国際NGO)救援物資などのためだった。

 当時、米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。日本がララ物資の援助に感謝して、誰一人物資を横流しすることがないという外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。

 こうした苦しい時代の物語を、親から子、子から孫へともう一度語り継ぐことが、今の社会に広がる病巣を少しでも食い止めることになる。(中静敬一郎)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(2)「お前ら全員辞めさせる」

2007.11.07 MSN産経新聞

 首都圏の小学校で昨年、こんなことがあった。

 6年生の児童が友達とけんかした。たたかれて鼻血を出したことに父親が激怒、校長室に怒鳴り込んできた。父親はテーブルの上に座り、校長の胸ぐらをつかんで「学校の責任だ。傷害罪で告訴する」と迫った。

 騒ぎを聞いて集まった担任らは「原因は双方にある」などと説明し、今後は厳重に指導すると約束した。だが、父親は聞き入れず、「お前ら全員辞めさせてやる」と廊下にまで響きわたる声で罵倒(ばとう)した。

 結局、父親に押し切られる形で警察が呼ばれ、教室で現場検証まで行われた。たかが子供のけんかにと、警察も困惑気味だった。「最近の親は、いったんキレると何をするか分からない」と、事情を知る学校関係者が肩をすくめた。

 こんな親は決して珍しくはない。今年8月、首都圏から十数人の小中学校教員に集まってもらい、教育現場で今、何が問題になっているのか、匿名を条件に語ってもらった。複数の教員が真っ先に訴えたのは、無理難題を押しつけて学校を混乱させる、一部の親の存在だった。

 「うちの子をリレーの選手に選べと、脅迫的な電話を1週間もかけ続ける」「校庭の遊具で子供がけがをしたから、遊具をすべて撤去しろと求める」

 全国の教員らでつくる研修組織「TOSS」の向山洋一代表は、学校に理不尽な要求を突きつける親のことを“怪物”にたとえてモンスターペアレントと呼び、深刻さをこう語る。   「先生を先生と思わず、抗議のための抗議をする親がいる。『校長を土下座させた』『担任を辞めさせた』などと吹聴することもある。モンスターペアレントが一人でもいれば、その学校は崩壊してしまう」

 こうした親に振り回される教員の心労は大変なものだ。文部科学省の調査では、2005年度にノイローゼなどの精神疾患で学校を病欠した公立小・中・高校などの教員は過去最多の4178人。前年度より619人増え、10年前の3倍に達した。この多くが、保護者対応に苦慮していたとみられる。

 昨年6月、都内の公立小学校の新任女性教師=当時(23)=が自宅で自殺した。

 「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」。教師がノートに書き残した遺言だ。教師は2年生クラスの担任を任されていた。関係者によれば、死の数日前、親しい知人らに保護者対応で苦しんでいることを打ち明けた。宿題の出し方などに不満をもつ親がおり、執拗(しつよう)な抗議を受けていたというのだ。

 クラスと家庭を結ぶ連絡帳には、この親からの苦情がびっしり書き込まれていた。「あなたは結婚や子育てをしていないから経験が乏しいのではないか」。人格否定の言葉まであった。

 教師が「すみません」と書くと、何がすまないのか具体的に書くよう求め、教師が説明すると、消しゴムで消して「もういい」と突っ返すこともあった。連絡帳を見た先輩教師がその内容に驚き、自ら親に電話してたしなめるほどだった。

 校長や教頭の対応にも問題があった。悩んでいる教師に対し、親に電話で弁明するよう求めたり、誠意をみせるため配布物を各家庭に直接届けるよう指示した。ストレスは増えた。

 関係者は「通常の抗議の枠を超えた親の言動が、教師を追いつめたことは間違いない。校長も守ろうとしなかった」と打ち明ける。

 親による先生への“いじめ”がなぜ、これほどまでに横行しているのだろうか。

 ■強まった教育への「消費者」意識

 理不尽な親が目立つようになった背景はなんだろう。プロ教師の会を主宰する日本教育大学院大学の河上亮一教授は「『国民』を育てる、という公教育の基本理念を見失ってしまったことが最大の要因ではないか」と指摘する。

 河上教授によれば、今の親たちが中学生だった1980年代、学校を取り巻く環境が大きく変わった。個人主義が声高に叫ばれ、制服や校則に反対する“学校たたき”が盛んになった。規律や権威といった公教育には欠かせない要素が次々に失われていった。

 90年代以降になると、親が学校に対して「消費者」意識を持つようになり、逆風は一層強くなった。教育サービスという言葉が浸透し、高い税金を払っているのだから、教員は親のいうことを聞いて当然とする意識もみられるようになった。代わりに、学校や教師に対する感謝が忘れ去られていった。

 こうした時代を過ごした今の親が、「消費者」意識を暴走させたのがモンスターペアレントだと、河上教授はみる。

 さらに問題は、理不尽な親の行動に周囲が引っ張られてしまうことだ。

 数年前、都内の小学校教員が新聞を使った授業をしようとしたところ、ある児童がスポーツ紙を持ってきた。その中に成人向けのページが含まれていたため、教員は使用を控えた。

 そのことを曲解した親の一人が、日ごろの不満もあって「あの教師は変態だ」などのメールを複数の親に流した。

 このことが児童にも伝わった。悪乗りした児童が授業中に「変態先生」と大声を上げたため、教員は児童の頭を軽くたたき、静かにするよう注意した。すると今度は「暴力教師」とのメールが一斉に流された。

 関係者によれば、この教員はそれまで、指導力が高いと校長からも信頼されていた。

 ところが一部の親のメールがきっかけで、児童にあなどられても強い指導ができない“ダメ教員”になってしまった。教員は結局、自ら希望して別の学校に異動した。

 親が身勝手な要求を行い、教員が萎縮(いしゅく)するようになれば、それは学級崩壊につながり、子供たちに悪影響を及ぼす。

 今年6月以降、東京都港区教委や北九州市教委などが、公立学校で保護者との間にトラブルが生じた際、校長が法律上の問題などを弁護士らに直接相談できる態勢を整え始めた。だが、こうした取り組みはまだ緒に就いたばかりだ。

 公教育は、秩序ある社会生活を営むための学力や規範意識を身につけさせるものだ。昨年12月に改正された教育基本法の前文にも「公共の精神を尊び」という文言が追加された。こうした当たり前の意識が社会全体に欠けていることは否めない。「公共の精神」を考えようとしてこなかったつけは大きい。(川瀬弘至)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(3)ママ役はいや ペット役に

2007.11.08 MSN産経新聞

 保育園を視察した教育委員会の指導主事(46)は、遊戯室の不思議な光景が気になった。

 ままごと遊びをしていた4−5歳の女の子の1人が、床に寝そべって「ミャー、ミャー」と声を出していた。保育士に尋ねると「あれは猫の役。おままごとで最近、人気なのはかわいがられるペット役。母親役は人気がない」のだという。

 児童精神科医で川崎医療福祉大教授の佐々木正美氏(72)も、各地の保育士らから同様の話を聞く機会が多くなった。「昔は、お母さん役は奪い合いだった。今は、手をあげてやってくれる子はほとんどいない」という。

 「○○ちゃん、今日だけでいいからお母さん役やって」と保育士が子供に頼み、子供はしぶしぶ引き受けても、他の子に「あれして、これして」と指示や命令ばかりしている。

 「お母さんが死んだことにしよう」「入院したことにしよう」と、母親役なしでおままごとをする子供もいる。男の子も父親役はうまくない。ボーッと立っているだけで演じ方が分からない子がいる。「どちらも子供にとって魅力的な役に思えないのでしょう」と佐々木氏。

 口に出さなくても「お母さんのようになりたい」と慕った、かつての親子の関係と隔たる話をよく聞く。

 「真っ当な日本人の育て方」(新潮選書)の著書もある小児科医、田下昌明氏(70)は「かつては『おふくろには、かなわないな』と思ったものだが、それがない」と話す。

 田下氏も小児科にくる親子で気になることがある。「診察で子供の服を脱がすとき、『脱がせていい』と母親が子供にお願いするように聞く。自分の子供に指示、命令ができない。常にお願い」なのだという。

 首都圏で開業する歯科医(44)は、子供が騒ぐとすぐに怒鳴る親や、あめ玉などを安易に与える親が心配だと語る。 「泣いて騒ぐ幼児の口に甘いものを入れるとおとなしくなる。その場だけ動きがとまればいいと思っているようだ」。

 どうやら自信をもって子供をしかれないのである。親が親に成り切っていない。

 その歯科医は、子供の歯をみると、親子関係が分かるという。コミュニケーションがとれている家庭の子供は虫歯が少ない。「子供は少しぐらい歯が痛くても言わない。食事のとき、変な顔をしていたら口の中をみてあげないといけない。子供の顔をあまりみていない親が多いのではないか」と話す。

 最近は、ほとんど虫歯がない子か、虫歯だらけで「全滅」という子に二分されるという。健康志向で子供たちの食生活にも気をつかう若い親がいる一方、この歯科医の印象では1割程度が「全滅」組だ。

 赤ちゃんのときから、しっかり抱いて育てると互いの愛情がはぐくまれるものだ。佐々木教授は「しっかり抱いているのはペットだ。心配なことです」と話す。愛し方も、しかり方も知らない親が増えているのは間違いない。

             ◇

 ■個人重視が招く母親の孤立

 人前で子供を罵倒(ばとう)する、自分の子供が転んでも助けようとしない親がいる。赤ちゃんにおっぱいをやりながらメールをする親もいるという。何かおかしい、と思っている人は多いだろう。

 川崎医療福祉大教授の佐々木正美氏は、授乳しながらメールする親の話について、「赤ちゃんは生後1−2カ月で母親がほほえみかけると、笑みを返す。そうした大切な瞬間にわき見をしているようでは…。赤ちゃんの感情をどんどん育ててあげる側が力を失っているよう」と話す。

 わが子に注意しない親が多い傾向も民間の調査に表れた。財団法人「日本青少年研究所」が今春公表した調査では、日本の小学生は中国、韓国に比べ、家庭で注意される機会が少ないという結果が出て話題になった。特に親から「先生の言うことをよく聞きなさい」「親の言うことをよく聞きなさい」と言われる割合が低かった。

 政府の教育再生会議が緊急提言しようとした「親学」に対して異論がでたことも記憶に新しい。

 親学は、若い親たちに子育ての知恵や楽しさを学んでもらい、家庭教育の重要性を自覚してもらおうというものだった。

 これに対し「母乳による子育て」などの提言項目に「家庭教育のマニュアル化」「国が子育ての仕方を押しつけるのか」などの批判が起きた。

 家庭科などの教科書でも、父親や母親の役割、家族の絆(きずな)の大切さを記述するより、独身者の増加や夫婦別姓といった個人の自立や家族の多様化を強調する傾向が強い。

 「祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう。犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もある」という記述が国会で取り上げられ、疑問視されたケースもある。

 これでは、子供をしっかり抱いて子守歌を聞かせたり、早寝早起きを守らせるなど昔からの子育ては十分伝わらない。

 不登校などの教育相談にあたる民間の研究所の女性は、「親から子、さらにその子供へ、直接、手をとって教える機会が少ない」と語る。例えば、料理のだしの取り方などにしても知らない人が多いという。世代間の伝達が薄れている。

 明星大教授の高橋史朗氏によると、親学は、カナダや米国・ミズーリ州など海外で積極的だ。そこでは国や地域をあげた取り組みがあり、親同士が学び合うなど教育プログラムがつくられ、日本国内の自治体でも参考にされている。

 自治体などが親学講座や子育て講座を開催するケースが増え、約2万の講座が開催されている。各地の講座は盛況だ。子育てに悩んだり、子育てについて知りたいというニーズは高い。

 佐々木教授は「主役はお母さんだが、皆がそれを支えていかないといけない」と孤立しがちな親への支援の大切さを指摘する。同時に「個を大切にすることはうっかりすると孤立化した生き方と誤解される。周囲との人間関係が家族の人間関係を深める」と話す。

 核家族化の中で母親が疲れている様子がみえる。児童虐待などの事件の背景に親の孤立化を指摘する意見もある。個人重視が誤解され、マイナス面を生んでいないか。佐々木教授の指摘は示唆に富む。(沢辺隆雄)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(4)問題教員、他校に押しつけ

2007.11.09 MSN産経新聞

 公立の小中高校などの問題教員が、2000人に1人しかいないという文部科学省のデータがある。まともな授業ができずに「指導力不足」と認定された教員は約90万人のうちの0・05%、450人しかいないという、今年9月に発表された昨年度の調査結果である。

 これに首をかしげる教育関係者は少なくない。指導力問題に詳しい北海道紋別市立渚滑中学教頭、長野藤夫氏は「450人は氷山の一角ですらない。現場感覚でいえば20人に1人が指導力不足だ」と話す。「教育委員会関係者は低く見積もっても教員の1割が資質に欠けていると話している」と言うのは京大名誉教授、市村真一氏だ。

 なぜ、現状とかけ離れた数字が出るのか。実は教育現場では、問題教員であることを隠して、学校間でたらい回しにするケースが少なくない。

 都内のある小学校で数年前、こんなことがあった。

 新年度早々、4年生の保護者が校長に苦情を寄せた。「担任の先生が一方的な授業をする。子供はついていけず、嫌がっている」。その教員は転勤してきたばかりの50代のベテランだ。

 前任地の小学校から引き継いだ勤務評定書には、経験豊かで指導力があるというAランクの評価がついていた。校長が信じられない思いでのぞいた授業はこうだった。

 教員は教科書の内容を、板書しながら早口で説明していた。児童の1人が質問しようとして「先生」と手を挙げた。

 だが、「後でね」といって取り合わない。教員はひと通りの説明を終え「ノートに写して」と指示した。数人がノートに書き始める。何もせずにぼんやりしたり、小声でおしゃべりしたりする児童もいるが教員は気にする様子もない。5分たったところで、教員は黒板を消し始めた。まだ写していない児童から、「えーっ」という声が上がる。教員は構わず、再び板書しながら早口で説明を始めた…。

 児童とコミュニケーションをとらずに一方的な授業をする、典型的な問題教員だった。「だまされた」。そう思った校長は、前任地の校長に電話で抗議した。返答はこうだった。「どこでもやっていることだ」

 教員を指導力不足と認定するには通常、(1)校長の申請(2)市町村教委の検討(3)弁護士ら判定委員会の審査(4)都道府県教委の決定−という手順をとる。

 校長はその際、詳細な報告書を作成しなければならない。それに教員は抵抗し、訴訟を起こすこともある。この煩わしさを避けるため、認定手順をとらずに教員を他校に転勤させようと画策する校長が少なくない。だが、指導力不足と分かればどこも引き取ってくれない。それで勤務評定書に悪いことは書かないようになってしまったのだ。

 もたれ合いである。学校や教委が実態に即したデータを出そうとせず、文科省がそれをうのみにする。中高生らのいじめ自殺が相次いでいるのに、文科省が7年連続で、いじめ自殺はなかったとするずさんな調査をまとめたのと同じ構図だ。

 こうして問題教員は放置され続ける。その結果、「子供たちはやる気を失い、学級崩壊に陥る。学校全体がめちゃめちゃになる」。問題教員の実態に詳しい元東京都教育委員会統括指導主事、鈴木義昭氏の指摘だ。

 これでは公立教育への保護者や子供たちの不信感は決定的になり、公立離れにさらなる拍車をかける。

               ◇

 ■教組に屈し“デタラメ通信簿”

 児童生徒とコミュニケーションがとれず、授業が成り立たないといった問題教員が、なぜ目立つのか。

 ある教育委員会の指導主事が、自戒を込めて次のように指摘する。

 「実は指導力に問題のある教員は昔から少なからずいた。こうした教員の問題に文部科学省や教育委員会が厳しく対応してこなかったツケが、今になって露呈したにすぎない」

 きちんと対応しなかった背景には日教組など教職員組合に遠慮してきた面が否めない。端的な例が勤務評定だ。

 日教組は1950年代後半、「教育への権力統制の強化だ」として教員の勤務評定に反対する「勤評闘争」を展開した。その結果、評定を処遇に反映させないとする不自然な慣行が全国的にほぼ確立した。

 そうである以上、何を書いても構わないと、でたらめな評定でダメ教員を転勤させようとする校長がいるのもこのためだ。

 文科省調査で指導力不足と認定された教員の8割以上を40代と50代のベテランが占めるのも、きちんとした勤務評定が行われなかったことが大きいといえる。

 これに対し、東京都教委は昨年度から、独自の評価制度をつくって昇給などに反映させるようにした。

 大阪府、広島県(管理職のみ)もこうした評価制度を始めた。ただ全国的には以前からあった愛媛県を含め、4都府県にとどまっている。

 教育改革を最重要課題に掲げた安倍前内閣の教育再生会議は今年1月、教員免許更新制の導入を提言する第1次報告をまとめた。更新講習の修了認定を厳格にし、問題教員を排除することを念頭に置いていた。

 ところが文科省の中央教育審議会はその後、更新制の目的を「教員の資質向上を図る前向きな制度」と位置付けて事実上、骨抜きにしてしまった。

 ここでも、更新制に反対する日教組などへの“過剰な配慮”が見え隠れする。

 問題教員は採用段階でも排除できるとされるが、前出の長野藤夫氏は「教員の資質を見極める教委の能力にも問題がある」と指摘する。

 教員の場合、正式採用になるまでの試用期間が一般の地方公務員より長く、1年間と定められている。教員としての資質を厳格にみるためだが、昨年度に正式採用にならなかったのは、病気による依願退職などを除けば23人で、全体の0・1%にすぎない。制度が機能しているとはとてもいえない。

 文科省は来年度予算の概算要求に、今後3年間で公立の小中学校の教員を2万1000人増員する計画を盛り込んだ。少子化で児童生徒が減少しているにもかかわらずである。莫大(ばくだい)な税金を使って、問題教員を増やしているのが現実である。(川瀬弘至)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(5)20年前から考える力消失

2007.11.10 MSN産経新聞

 「夏果てて秋の来るにはあらず」。これは「徒然草」第155段中の文言である。

 北海道大学大学院の数学者、本多尚文准教授はこのごろ、この言葉の予見性をかみ締める。

 何事にも前兆があり、急にある事態が出現するのではない−。兼好法師はそう言っているのだが、日本の今の若い世代の学力の衰退ぶりに重ね合わせて、本多氏には大いに痛感するところがあるという。「今から考えると、現状への兆しは、20年ほど前からありました」

 本多氏は1984年8月に韓国ソウル市で学生を対象に開催された日韓合同の数理科学セミナーを思いだす。

 4年後にオリンピックを控えた当時の韓国には、近代化を目指す活気が満ちていた。しかし、乗用車の性能ひとつをとっても、日本との産業・科学技術力には、大きな差があった。

 この合同セミナー開催にあたった日本側は広中教育研究所。当時、米ハーバード大と京都大の教授であった広中平祐氏が主宰する民間組織だった。韓国側は明知大学校で、日韓合わせて61人の高校生から大学院生までが集まり、数学やコンピューターなど数理科学の勉強に取り組んだ。

 「このとき、日本と韓国の高校生や大学生の間に歴然とした差が表れたのです」

 当時、東大の大学院生であった本多氏は、セミナーの運営を手伝うスタッフとして参加していたこともあり、より客観的に見ることができた。

 驚いたのは、知識や学力の差ではない。数学や物理の力では日本側が圧倒的に上だった。英語力も韓国側が後れをとっていた。しかし、学生として最も基本的な部分の判断力や、ものを考える力で、日本の参加者が劣っていたのだ。

 5泊6日のセミナーが進むにつれて韓国側の教授陣が驚き始めた。交流のための市内見学などの際にも日本の参加者は緩慢だった。相手の意をくみ取り、次を読んで適切に動く韓国の若者たちの行動との間に、際立った差が表れた。

 「あのときの日本からの学生は、いわばエリート的な集団でした」と本多氏は補足する。

 40人の日本勢は、広中教育研究所が全国から選抜した若者だった。高校生たちは、各都道府県の優秀校でも5〜10年に一人、現れるかどうかという数学の才能の持ち主で、なおかつ活力を備えた男女だった。

 才能育成のために、ソウルへの旅費も滞在費も無料という信じられないほどの好条件で選抜された顔ぶれだった。

 「隣国同士の同じ関心を持つ若者を集団で見比べることになった結果、次の世代を支える日本人に浸透しつつあった凋落(ちょうらく)傾向が、X線の透過画像のように、はっきりと見えたのです」

 自分の頭で考えない。言われたことしかできない。自己本位。確認の甘さ。希薄な責任感…。基本的な部分であまりにも差があった。

 「自分を含めて、この世代が社会の中核になる20年後、日本と韓国の力は逆転するのではないかと感じました」

 本多氏はソウルの夏を振り返る。明知大学校の教授は「このセミナーで自信を与えられた」と言ったそうである。

 それから23年−。日本の停滞傾向は予兆から現実へと変わった。日本での理科離れは、加速して止まらない。

3けたの計算なくした「ゆとり」

 1970年代、日本の学校教育は、「ゆとり」に舵(かじ)を切った。当時、受験戦争や詰め込み教育への批判が起きるとともに、暗記型から考える力を養う必要性が指摘されていたからだ。

 「ゆとりのある授業・楽しい学校」。日教組が1976年5月に発表した教育課程改革試案のねらいだ。試案では小学4年からの「総合学習」新設、「授業時間2〜3割削減」などを提言した。2割を超える授業時間削減は、その後の学習指導要領改定で現実になってしまう。

 小、中、高校などの教科内容や授業時間数などを定める学習指導要領改定は、ほぼ10年ごとに行われてきた。1977年改定では、その名もずばりの「ゆとりの時間」(学校裁量の時間)が登場した。この時間は地域や学校の特色を生かした教科外活動などに使われるはずだった。だが「子供たちを遊ばせている」「何もしない時間」などの批判が起きて消えた。

 1998年改定の現行指導要領では、完全学校5日制に伴って減る授業時間以上に学習量を減らした。ゆとり教育の象徴として新設された「総合的な学習の時間」(総合学習)は教師の指導力に左右されるなど、効果があいまいだった。次期学習指導要領で削減される。

 教育施策の失敗はなかなか目に見えない。しかし、ゆとり教育の弊害は大学生の学力低下に表れた。「分数ができない大学生」の編著者の西村和雄氏(京都大経済研究所長)らが、経済学部の学生が基本的な計算が理解できないなどの実態をもとに警鐘を鳴らした。

 2004年12月。3年ごとに行われる経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA、2003年調査)が公表され、世界でトップと思われてきた日本の“学力神話”が揺らいだ。41カ国・地域の15歳を対象としたその調査で、日本の高校1年生の学力は、「数学的能力」が2000年調査の1位から6位に、「読解力」が8位から14位に落ちた。

 文科省は、数学的応用力について「統計誤差の範囲でトップグループ」と弁明したものの、読解力不足は「1位グループとは差がある」と認めざるを得なかった。

 読解力は文章や地図、グラフからデータを読み取り、回答理由を記述させるなどの問題だった。文章を理解し、分析、評価する考える力を問うもので、ゆとり教育がねらいとしてきたものだ。

 数学者の桜美林大教授、芳沢光雄氏は、論理的思考力や読解力が養われていない現状を心配する。ゆとり教育で小学校で3けたの計算がなくなった例を挙げ、「あみだくじを思い浮かべれば2本だけでは、いったり、きたりだけだが、3本以上になると全く変わる。計算問題も2けただけでは数学的思考力を育てる上で問題がある。なのに3けたを安易に消してしまった」と語った。

 十分な検証なしで思いつきのようにゆとり教育が進められたことが、考える力を奪い、日本の衰退を招く結果になっている。(沢辺隆雄)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(6)

2007.11.11 MSN産経新聞

 ■荒廃一変させたご飯給食

 「夕日とトンボと働く人」と題されたこの水彩画は、全国8千余点の応募から第1位に選ばれた作品だ。長野県上田市真田町の本原小学校6年生、三浦由美子さん(現在、市立真田中2年生)が描いた自宅の窓から見た田園風景である。

 夕日に照らされる中、無数の赤トンボが乱舞する。大人たちが田んぼを手入れする。傍らの農道を子供たちが駆け抜ける。

 「なつかしいふるさとや家族の良さを感じさせてくれる、ほのぼのとした絵である」。

 1昨年、「ふるさとの田んぼと水 子ども絵画展」(主催・全国土地改良事業団体連合会)で、農林水産大臣賞に輝いた三浦さんの作品への審査講評だ。

 この作品を目にした上田市教育委員長、大塚貢氏(72)は感慨深げにこう語った。

 「その農道は、かつて非行少年が連夜、改造した盗難バイクを乗り回していた。真田中学を卒業したばかりの2人が無免許運転で事故死したこともあった。それが、わずか数年間でこんな美しく描かれるまでに落ち着きを取り戻したとは…」

 大塚氏が真田町(合併前の旧真田町)教育長に着任したころ、その地区の学校は荒れていた。「教育長、この騒音が聞こえるか」。連夜、暴走族の往来で眠れない町民から苦情の電話がかかってきた。

 それが今や、上田市真田地区の公立小学校と中学校は、非行ゼロだ。それだけではない。全国で百数十万人が受けた教研式CRT全国学力テストでは、多くの教科で圧倒的多数が全国平均より高い点数を取っている。しかも通塾率が低く、放課後は思いきり戸外で遊んでいるというのにである。

 何が劇的な変化をもたらしたのだろうか。その一つはご飯給食のようだ。大塚氏がかつて生徒数1100人強の大規模中学校で校長を務めた経験に基づくものだ。その中学校も教室にたばこの吸い殻が散乱し、廊下をバイクが走行していた。不登校生は60人を超えた。

 そんなある日、朝礼で次々に生徒が倒れた。非行少年たちであった。大塚氏はそこで球技大会の朝、コンビニエンスストア前で張り込んだ。見たのは親と車で乗りつけ弁当を買う生徒の姿だった。「伸び盛りにかわいそうだ。普段、ろくなものを食べていないに違いない」。

 大塚氏は給食改善に乗り出した。2年をかけて、米飯、具たくさんのみそ汁、焼き魚、副菜という和食の献立にした。

 サンマ、イワシといった青魚はカルシウム、亜鉛などが豊富で、キレにくい子に育つのだ。生徒は掌のくぼみ一杯の小魚を毎日食した。野菜や果物を含め、一日の食事は給食で十分というほどたっぷり出した。これだけで学校は驚くほど落ち着きを見せ始めた。

 その後、真田町教育長になった大塚氏は、域内全校の完全ご飯給食を実現した。「子供が好む揚げパンやスパゲティを」「給食費を払うのは親だ」などの苦情が出たが、大塚氏はこう説得して父母らを納得させた。

 「バランスの取れた給食によって、『心』と『身体』は健やかに育(はぐく)みます。その土台ができて初めて揺るぎない学力が身に付くのです」。

             ◇

 ■小さな苗を慈しむ花壇作り

 なぜ子供たちは凶悪犯罪に駆り立てられるのだろうか。大塚氏が、殺人など凶悪犯罪を引き起こした児童、生徒の在籍校を訪ね歩いて10年以上になる。気付いたことは、どの学校も校門や玄関に、ただ一輪の花も咲いていないことだ。

 今年5月、福島県会津若松市で高3男子が母を刺殺した。この事件で、大塚氏は会津若松から電車で1時間半かけて、少年の母校の町立中学を訪ねた。そこは雑草が一面に生え、まるで廃校のようだった。

 「そこに毎日通う子供たちはどんな気持ちだったのだろうか。これでは気持ちがすさんでしまうのは当然です」と大塚氏。少年は進学後初めて自炊し、食生活も十分でなかったという。

 神戸市で中3男子が小6男児を殺害した酒鬼薔薇事件。被害児の頭部が置かれた白い校門そばには、枯れ草が生えた十数個のプランターが並んでいた。当時は花開く5月末だった。数年後に訪ねたときも同じだった。潤いがなく無機質な校地。それを当然と考える教員の姿もあった。

 少年による凶悪犯罪は、ある日突然起こるのではない。殺伐とした空間で、心身ともに均衡を失って犯罪に突き進むのである。

 「安らぐ空間」作り−。真田での大塚氏の試みである。前述した和食の給食による「身体づくり」と花壇づくりによる「心の教育」であった。

 荒れた学校に赴任した大塚氏は生徒たちと雑草だらけの校地を耕し、花壇づくりをした。堆肥(たいひ)づくりから始める本格花壇だった。

 生徒は嫌がり、水やり当番をしなかった。ボールを追って花壇に踏み込む生徒もみられた。

 ところが芽が出たときから生徒が変わり始めた。小さな苗を慈しむように、丁寧に水をやるようになった。踏み込む生徒もまだいたが、大塚氏は毎晩、そっと車の照明で校庭を照らして30本から80本の花を植え替えた。生徒が悲しむ姿を見たくなかった。

 春から夏にかけて見事な花が咲き誇った。生徒は美しいものを美しいと感じたのだろう、花壇にボールが入ることもなくなった。

 10月末、記者は真田の山あいにある傍陽(そえひ)小学校を訪ねた。サルビアなど散りつつある秋の花々からバトンを受けたように、黄色や白色のキクが花開いていた。

 河西敏夫教頭(50)はこんな話を披露した。前年春、7教室に配った300鉢のパンジーは今春、ひと鉢も枯れていなかったというのだ。

 「卒業式では、体育館の壇上と花道にほころびはじめた鉢を並べて見送りました。その鉢が満開に花開いたころ、新1年生を迎えました」

 「ご飯給食」と「花壇づくり」が、心身ともに健やかに賢く子供たちを成長させていることがうれしかった。(牛田久美)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(7)欧米に合わせ「細身」崇拝

2007.11.13 MSN産経新聞

 一定の型やデザインをもとに安い値段で大量生産し、市場シェアを獲得する大量消費社会。ゴルフのタイガー・ウッズも、米大リーグの松坂大輔も、スポーツ用品の米国ナイキ社が提供する量産モデルの中から、自身の足に合う靴を選ばなければいけない。

 スーパーモデルの女性たちは痩身(そうしん)をあらわにしながら新流行の先兵となる。見返りに多額の報酬を得るプロたちはそれでよいが、一般の若い女性たちは自分の体を服に合わせようと、ひたすらダイエットに励む。

 「10代のときからつねに、ダイエットをせねばならん、この体形をなんとかしなくてはならん、と強迫観念のように思っている(略)世の多くの女性がそう思っているに違いない」(片野ゆか著「ダイエットがやめられない」について作家の角田光代さんの書評から)

 片野さんによれば、若い女性の細身信仰は19世紀の欧米に始まった。着物体形ともいえた日本で、コカ・コーラの瓶のようにメリハリのある体形に女性たちを目覚めさせたのは、1959年にフランスからやってきたマネキンだという。この傾向は日本ばかりではない。

 経済産業省が主要国と同じ基準で体形を測定したところ、欧米でも女性のダイエット志向が強いが、日本と並んで韓国の若い女性だけが「極端なまでの細身信仰」(同省デザイン・人間生活システム政策室)という。

 日韓とも豊かに成熟した消費社会になったというのに、自らの体形を欧米女性の標準に合わせようともがき続けている。

 米軍式訓練体操によりやせるという「ビリーズ・ブートキャンプ」が人気を呼んでいるが、ダイエットは容易ではない。若い女性たちはとにかく食べないほうを選ぶ。

 サンケイリビング新聞社系の「リビングくらしHOW研究所」のアンケート(今年5月実施、20歳から30歳代の首都圏の働く女性を対象)によれば、「現在ダイエットをしている」が50・2%、方法は「食事制限」55・1%が最も多い。

 厚生労働省の国民栄養調査2005年版によると、20〜39歳の女性のカロリー摂取量は1683キロカロリー。飢えていた1946年の日本人平均の1903キロカロリーを大きく下回っている。同省の食事摂取基準(若い女性は2050キロカロリー)にはるかに及ばず、明らかに栄養不足だ。実際にはやせているのに、「太っている」と思い込んでいる女性は半数近い。

 保健医療専門家によれば、20歳代女性のカルシウム摂取量は必要量の7割程度しかない。若い女性の低栄養は骨密度を少なくする。骨の量は20歳代がピークで、年齢とともに減少する。骨粗鬆(そしょう)症になるリスクが高くなる。免疫力が低下し、風邪をひきやすくなり疲れがとれない。月経異常、妊娠できなくなる、低体重の赤ちゃんが生まれる。

 米国の「カリスマ主婦」こと、マーサ・スチュワートさんは「女の子のskinny(超やせ)は米国でも国民病。食事だけでも栄養とダイエットのバランスがとれ、しかも日常生活の中で手軽にできる料理法はいくらでもある。実のところ女性たちはそんな情報に飢えている」と言う。

 細身=美という画一化されたイメージを女性たちの脳裏に刷り込んでしまった大量消費社会。それに翻弄(ほんろう)されない知恵と自立を、いかに日本女性が身につけることができるかである。

             ◇

 ■「きめ細かさ」で重圧解放

 ヒトを資本とみなす理論でノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のゲイリー・ベッカー教授によれば、健康な体作りは教育と並んで重要な「人的資本(human capital)」への投資になる。

 少子高齢化が急速に進む日本で、女性という人的資本はますます貴重になるというのに、細身信仰がたちはだかる。

 経済産業省が「人間生活工学研究センター」(大阪)に委託して12年ぶりに実施した日本人の体格調査(2004〜06年度)によると、20代、30代前半の女性は12年前に比べ、やせても、おなかの回りは減らない。女性心理は「それならもっと節食しなくては」という悪循環にはまる。問題は若い女性のカロリー摂取平均値が必要量を大きく下回っているばかりではない。20代女性の野菜摂取量は60代の3分の2で、栄養のバランスも悪い。

 ではどうすればよいか。

 周囲で拒食症などに悩む数多くの女性たちをみてきたマーサ・スチュワートさんは、メディアの重要性を強調する。彼女は今、インターネットでの生活百科事典「マーサ・ペディア」の立ち上げを企画している。

 ペディアでは、手軽に手に入る食材でおいしく栄養のある食事の作り方など、働く女性や主婦たちに生活のノウハウを伝授するという。スチュワートさんは「日常生活の中で何がすぐできるかという新鮮な情報を私マーサが直接消費者と双方向で対話しながら編集する」と意気込む。

 「企業家主婦」マーサはインサイダー取引捜査での偽証罪で04年10月から5カ月間服役したが、出所後は全米で「マーサ・コール」に迎えられた。

 大復活の秘密は、画一化された大量消費情報に飽き足りない米国の若い女性や主婦層が自分に合った普段着感覚の個性をマーサに求めていることにある。

 日本では、若い女性たちの個々の体形や感性に合った多様なファッションを手ごろな価格で提供する官民一体となった試みも始まった。経済産業省デザイン・人間生活システム政策室は業界に「3次元人体計測器」の普及を働きかけている。同室の専門家によれば、日本の服飾は伝統的に型紙でデザインする手法をとってきたので、どうしても単一化されたサイズの女性服が量産される。

 3次元の計測データをもとに立体的にデザインされた服は細身に見えてもゆったりしたサイズの女性服の作製が容易になり、細身の服に体を合わせなくてはという重圧から女性を解放できる。きめ細かい「ものづくり」という日本本来のお家芸に回帰するわけだ。

 ヤセ細る女性で同じ悩みを抱える韓国から、3次元人体計測システムに照会が相次いでいるという。(田村秀男)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(8)

2007.11.14 MSN産経新聞

 ■「日本人、恥ずかしい…」

 旧日本軍の“残虐行為”をアピールする中国の南京大虐殺記念館の一隅に、多数の千羽鶴が飾られているコーナーがある。日本から修学旅行で訪れた高校生らが贈ったものだ。

 見学した高校生はどう感じたのだろうか。鹿児島の県立高校生は、同館を訪れた感想文をこうつづった。

 「日本人が中国人にどれだけひどいことをしたのかがよく分かりました。どのパネルも悲惨なものばかりで目を覆いたくなりました。特に山積の死体の写真や日本兵が首を切ろうとする直前の写真が印象に残りました。同じ日本人として、絶対に許されるものではなく、とても恥ずかしく思いました」

 別の生徒はこう書いた。

 「あまりにも無惨(むざん)な写真を1枚1枚見ていくごとに、涙があふれでていた。私と同じ日本人が、中国人に対して人間のすることじゃないことをしていたなんて。私は彼らと同じ日本人であることが恥ずかしかった。それに、あんなひどいことをした私たち日本人に対して、優しく接してくれる中国人の偉大さに驚いた」

 このように見学した生徒の大半は、日本人であることを「恥ずかしく思う」と記した。

 円高で海外旅行が身近になった1990年代以降、修学旅行先に中国や韓国を選ぶ学校が急増した。文部科学省によると昨年度に中韓を訪れた中学は28校(2149人)、高校は324校(4万309人)に上る。中には南京大虐殺記念館や盧溝橋抗日戦争記念館などの反日プロパガンダ施設をコースに含む学校も。文科省が以前、高校8校を抽出してコースを調べたところ、うち2校が反日施設を見学していた。

 1999年には、卒業式の国旗国歌問題で校長が自殺した広島県立世羅高校でも、生徒が韓国の独立運動記念公園で謝罪文を朗読したことが分かった。

 鹿児島県でも、毎年10校近くの県立高校が南京大虐殺記念館を訪れていたが、2002年、県議会は修学旅行先から同館を除くよう求める次のような陳情を全国で初めて採択した。

 「政治的宣伝の場に生徒を誘導し、反国家的教育をすることがあってはならない」

 「反戦平和や償いなどの大義名分で、生徒の精神を自国への懐疑と侮蔑(ぶべつ)、強烈な自己不信へと追いやってはならない」

 「反日的企図で生徒の洗脳に好都合な施設を選定することは、特定の傾斜を持った歴史観を強要することであり、道義上も許されない」

 ところが採択後も、一部の県立高校は「生徒自身が選択した」として同館を訪れた。その理由について、生徒を以前引率した経験があるという別の高校関係者は、こう打ち明ける。

 「一部の教員が『南京で平和教育ができるから』と強く主張し、コースに入れられた。教員全員が賛同していたわけではない。だが、平和教育のためといわれれば、反対しにくい」

 祖国への自信や誇りを持たせないようにする教育がいまだにまかり通っている現実がある。

              ◇

 ■育まれない国旗国歌への敬意

 文部科学省は2003年度から、公立小中高校の卒業・入学式での国歌斉唱率と国旗掲揚率の調査を中止した。「国旗も国歌もほぼ100%。学校での国旗国歌の指導は定着した」(文科省幹部)と判断したからという。

 大分県の国歌斉唱率も1999年度から毎年100%と報告されている。

 だが、大分県の教育関係者らの集まりである民間教育臨調が県内の小中学校の約2割、95校を対象に昨年実施した保護者アンケート調査によると、児童生徒が国歌をきちんと歌った学校は26%にすぎない。半数近くの学校は会場に国歌のテープが流れるだけで、児童生徒は誰も斉唱しなかったというのだ。

 教員はさらにひどい。「大部分が斉唱」したのは8%だけだ。逆に「校長ら管理職以外は誰も斉唱しない」ケースが66%だ。校長すら斉唱しない学校も複数あった。

 なぜ、こんな事態になっているのだろうか。日教組などが進める「平和教育」の影響が大きい。

 大分県教組大分支部の平和教育小委員会は2002年、小1から中3まで各学年で国旗国歌をどう教えるかを示した「日の丸・君が代学習系統表」を作成、現場の教員に配布した。そこには次のような指導目的が掲げられていた。

 小1▽「ああうつくしい」と歌われている「ひのまる」を悲しい思いで見ている人たちがいることを知る

 小2▽「君が代」が「国歌」として使われるようになったが、この歌で悲しい思いをする人もいることを知る

 小5▽戦時中、戦争を推し進める手段の一つとして、小学校でも「日の丸」教育が行われ、日本中で戦意を高揚させていたことを知る

 小6▽99年8月、(国旗及び国歌に関する法律が)「数の力」によって成立し、法制化された経緯を知り、問題点を考える

 中1▽「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る

 中3▽国民主権と天皇制の矛盾、現在の国旗・国歌のあり方について考える…

 この系統表について大分県教組大分支部は「作成したのは事実だが、現在は配布しておらず、現場でも使われていないと思う。詳しいことは分からない」と言葉を濁す。

 学習指導要領は「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮する(小学6年)」と規定している。

 昨年12月、改正された教育基本法も「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とうたっている。

 文科省は、大分県教組の系統表に対し、「学習指導要領に反する内容だ」(教育課程課)としながらも、実態調査などに乗り出すつもりはないという。

 自国や他国の国旗・国歌に敬意を示すことができない児童生徒がこうして誕生していくのである。(川瀬弘至)

                   ◇

【用語解説】南京大虐殺記念館

 1937(昭和12)年、旧日本軍の南京攻略で捕虜や市民に多くの犠牲者が出たことを受け、1985年に開館した。入り口付近の石壁に犠牲者数が30万人とする数字が刻まれ、館内には残虐な絵画などが展示されている(60周年記念行事、ロイター)。「30万人虐殺」説は、日本側の実証的な研究によって否定されている。

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(9)「勉強忍耐」乃木大将に学ぶ

2007.11.15 MSN産経新聞

 「勉強忍耐は才力智徳の種子(しゅし)なり」。日露戦争で旅順を攻略した明治の陸軍大将、乃木希典(のぎ・まれすけ)の言葉である。耐えて勉強することが才能、知識、道徳を伸ばす基になるという意味だ。

 この言葉を保育園の子供同士がすらすらと使う。その姿を目の当たりにした福岡県久留米市の水天宮保育園保育士の井上里恵さん(29)は感慨深げだ。

 「子供たちは難しい言葉でもすぐに覚えます。ただ『がまんしなさい』と言うより、偉人の言葉で伝えるとよくわかってくれます」

 さらに驚いたのはほとんどの園児が30分間、背筋をぴんと伸ばして講話を聞き続けることができたことだ。今年4月の最初の講話には10分も集中力が続かなかったのにである。

 1カ月後、2回目の講話での変貌(へんぼう)に「講師もこうも変わるのか、とびっくりしていました」と井上さん。

 水天宮保育園が今年4月からカリキュラムに取り入れた、偉人伝を語り聞かせる寺子屋授業の効果である。

 11月2日、佐賀県多久市の多久聖廟で行われた寺子屋授業をのぞいてみた。

 「きょうは、卑怯(ひきょう)者には負けなかった西郷さんの話をしたんだよ。君たちは、卑怯者にはならないでください。分かりましたか」

 「はい!」

 約30分の授業を締めくくる三林浩行講師(40)の呼びかけに、同県有田町の同朋保育園年長組の子供たち約80人が、元気に返事をした。

 三林講師が題材に選んだのは、西郷隆盛の少年のころの逸話だ。西郷の評判に嫉妬(しっと)した少年たちが、大勢で待ち伏せして西郷を襲う。西郷は1人で戦い、腕にけがを負いながらも勝つ−。身ぶり手ぶりの授業に、子供たちの目もくぎ付けになる。

 こうした日本の偉人伝を主なテーマにした授業を行っているのは、福岡市にある社員6人の企業「寺子屋モデル」だ。

 社長の山口秀範氏(59)は、大手ゼネコン・大成建設の元社員。寺子屋に取り組む契機になったのは1994年、ナイジェリアやアメリカなど延べ15年間に及んだ海外赴任から帰国したときだ。久しぶりに日本の子供たちを見たときの「カルチャーショック」(山口氏)が忘れられない。

 「出勤途中、集団登校で待ち合わせをしている小学生は、友達と会ってもうれしそうな顔をしない。あいさつもしない。心が動いていない。中学生も同じ。子供同士が朝、会って黙っているなんて、海外では考えられなかった」

 その印象を一言で表すと「日本の子供の顔が悪い」。日本が豊かすぎるから、と説明する友人もいたが、それでは米国の子供と比べても「劣悪」と感じた説明がつかなかった。

 「自信がないんだ」と思い至った。「自分にも、自分が育った環境にも、自分の国にも」。子供の心を、動かしてやりたい。ふっと「お手本となる生き方を、偉人伝を語り聞かせる『寺子屋』を作ろう」とひらめき、2年後に退職し、事業を立ち上げた。

 寺子屋授業での最後は、取り上げた人物の言葉を暗唱させる。西郷伝では「幾たびか辛酸を経て志始めて堅し 丈夫玉砕するも甎全(せんぜん)を恥ず(立派な人は玉と砕け散っても何も為さないことを恥じる)」。

 時には釈迦が弟子の半託迦(はんたか)に語ったとされる言葉をそのまま教える。「ただ一言をしっかりと覚えなさい。その一言というのは、『汚い言葉を使わない』ということだよ」と。

 授業を見守った同朋保育園の森山隆子園長は「意味より、美しい言葉を覚えさせたい。子供たちはなにかを感じ取ってくれるでしょう」と語った。

ただ一言をしっかりと覚える

 「伏(ふ)してぞ止(や)まん−ぼく、宮本警部です−」。今年2月、東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、電車に飛び込もうとした女性をかばって亡くなった警視庁の宮本邦彦警部=享年53=を主人公にした伝記が来年1月に発刊される。

 手がけるのは前述の「寺子屋モデル」。過去だけでなく、現代の偉人伝をも親子向けに紹介する。

 「伏してぞ止まん」は、宮本警部が「父親から教えられた言葉」として家訓(かくん)のように大切にし、現在大学生の長男にも伝えていたという。「前のめりに倒れるまで努力すべし」という意味とされ、宮本警部の最期はその“家訓”を象徴するものとなった。

 会社を対象にした寺子屋で、山口秀範社長は「わが家の家訓作り」を提案した。3年前のことだ。受講したのは食品商社の丸菱(本社・熊本県益城町)社員。参考にするため紹介した過去の家訓の中に、鎌倉幕府の中枢にいた北条重時のものがあった。

 「いかにも人(の)ため世のためよからんとおもひ給ふべし。行く末のためと申也(もうすなり)。(中略)我が身を思ふばかりにあらず」(人のため世のために、よきことをしようと思いなさい。それが、これからのためになるのだ。自分のことばかり考えていてはいけない)

 古い時代からの徳目が今の時代でも重みを持つことに、参加者から驚きの声が出たという。

 そして1年後、さまざまな創作家訓が生まれた。

 「自分の顔を恥じぬこと」

 「いつもニッコリ笑うこと」

 「努力せぬ者に、夢を語る 資格なし」

 「常に前向きに生きる」

 「愚痴は一言まで」

 家訓は家族に大切にされてこそ意義がある。持ち帰った家で、父親の立場が試された。

 「奥さんや子供に『お父さん、なにこれ』と突き放され、家訓にできなかった社員もいたようだ」と、丸菱の本田雅裕社長(53)。「社員が自分自身と家庭のあり方を見直す貴重な機会になった」と話す。

 「いろは七訓」=別表。山口氏が27年前、ナイジェリアに単身赴任中、6歳を筆頭とする3人の娘にあてて作った家訓だ。

 「半年に1回帰国するだけで、育児は妻に任せきり。父親らしいことは、家訓を作っただけ」

 山口氏はこう苦笑するが、妻はこの家訓を神棚の下に張った。娘たちは毎朝1項目を唱えた。巣立った今でも、「いろは七訓」のことを話題にするという。

 山口氏は、寺子屋活動について「かつて家庭教育で行われていたことをカバーしているつもり」と話す。自身は1948年生まれの「団塊の世代」だが、「小学生のころはどの家にも『少年少女日本史』のような本があり、テレビがない時代の娯楽として読みふけった。挿絵まで覚えているのが同じ世代の共通体験」という。

 当時、学校では既に戦前の価値観を否定する教育が始まっていた。

 「われわれの世代が恵まれていたのは、周りに戦前を生きた人がたくさんいて、戦後教育を補ってくれたこと。現代はそうした補完が、いよいよなくなってしまったのではないか」

 寺子屋モデルが補完しようとしているものは、つい最近まで日本の家庭に息づいていた。そのことに気づいてほしい、と山口氏は訴える。(鵜野光博)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(10)

2007.11.16 MSN産経新聞

 ■「自分たちがきれいにした」

 ゴミのポイ捨てや落書きといえば、「今どきの若者」のモラルや規範意識の薄さを象徴する行為かもしれない。だが、教育の工夫次第で子供たちは驚くほどに変わる。

 今年7月下旬、東京都立広尾高校(渋谷区)1年の生徒約200人が、表参道、宮下公園などでゴミ拾いや落書き消しの作業を4時間体験した。

 生徒たちは汗だくになり、ゴミだらけにもなった。午後、学校に戻ってきた生徒たちを見て、1年生学年主任の高木春光教諭(46)はある変化に気付いた。「みんなの表情ががらりと変わり、目も輝いていた」

 翌日、高木教諭らは生徒に感想文を書かせた。圧倒的に多かったのは「もうゴミのポイ捨てはできない」という声だった。

 「ボランティアなんて損するだけだと思っていた。だが、作業を終えたときは満足できた」(男子)

 「大勢の人が通る町を自分たちがきれいにしている。そう思うとうれしかった」(女子)

 これが都が全国に先がけて今年度から高校の必修科目に導入した「奉仕」授業の一つの成果である。

 実は、今春の新学期開始前から、各校の先生たちは頭を抱えていた。必修1単位(年間35時限)の約半分を奉仕体験学習にあてて、残りは事前学習と事後の反省にあてる仕組みなのだが、教科としての前例などないし専任教師もいない。どの学校でも何からどう手をつけてよいのか、暗中模索状態にあった。

 広尾高校の場合、200人に奉仕体験をさせるには、活動の種類も限られる。「清掃作業をさせてはどうか」との案が出たが、ありきたりに学校の周囲を清掃させるだけでは、生徒たちに義務感を強いるだけのむなしい結果になりかねなかった。

 「地域のボランティア団体と共同作業をさせ、大人たちと触れ合う場にすべきだ」と助言したのは、都立高全体のカリキュラム開発を手伝ったボランティア専門家、村上徹也さん(50)=日本青年奉仕協会調査研究員=らだった。渋谷の繁華街などで清掃作業や暴走族などによる落書き消しを続けている地元NPO団体に協力を求めた。4、5月は学年集会の場を設けて、NPO代表らを招いて生徒たちに「なぜボランティアが必要なのか」を話してもらった。

 初めは興味がなさそうだった生徒たちも、やがて「何が楽しくてゴミ拾いをやるのか」と、関心を持ち始めたという。

 一方で、教師側にも不安があった。生徒を授業時間帯に校外に出すことで「どこかへ消えてしまわないか」「地域の大人と意思疎通ができるだろうか」との悩みがつきまとったからだ。

 だが、生徒たちの感想文を読んで、教師たちは「ウチの生徒を見直した」と満足げだ。

 「ゴミを捨てるな、といわれるだけでは身につかないが、体で覚えた内発的な規範意識はずっと残る」と村上さん。

 奉仕の授業は、過密な受験勉強や競争社会の中でいつしか忘れられた「日本人の心」を取り戻す試みともいえる。「私も生徒たちに感動させてもらいました」というのが、村上さんの実感である。

 ≪「社会の一員」心に刻む≫

 「チョーかわいい!」

 「一緒にボール投げしようねっ」

 乳幼児らの笑顔を囲んで、高校生のにぎやかな声がはずむ。新宿区の都立市ケ谷商業高校。校舎の空き教室を利用して開いている区の子育て支援施設「ゆったりーの」では、2年生男女14人が交代で奉仕体験に取り組んでいた。

 この日の「ゆったりーの」に参加したのは、ゼロ歳から4歳までの乳幼児5人とお母さんたちだ。生徒たちは子供をあやしたり、すべり台で遊ばせる。合間に母親らとのおしゃべりを通じて育児や出産の難しさなども学ぶ。

 「小さな子と触れ合う授業なんて、ほかにないので、役に立ちます」と女子生徒(17)。「ゆったりーの」運営委員の西美智子さんも「生徒たちの熱心さは驚くほど。赤ちゃんをだっこしたこともない生徒も多いので毎回、やりがいがある」。

 奉仕や助け合いの心が忘れられがちなのは、日本だけではない。

 奉仕活動の先進国・米国でも約10年前、「ボウリング・アローン」という論文が話題を呼んだ。

 地域社会のきずなが失われ、昔は家族や仲間で楽しんだボウリングを1人さみしくプレーする姿が描かれていたからだ。

 奉仕体験を教育に組み込む必要が米国で早くから叫ばれてきたのは、個人主義が根強い国民性とも無関係ではあるまい。

 前述の村上徹也さんによると、米国の「サービス・ラーニング(奉仕体験学習)」を全米で最初に高校必修科目としたのはメリーランド州だ。1992年からは計75時間の社会貢献活動を卒業要件にしている。今では全米の公立高の8割以上がこうした教育を採用しているという。

 一方、都が「奉仕」必修化を打ち出したのは2004年の「教育ビジョン」だ。子供たちの規範意識の低下が全国的に指摘され、社会の一員であることの意味をどうやって教えるかが極めて重要な課題だった。

 結局、「サービス・ラーニング」をベースに、社会や地域のためになる貢献を実際に体験させることとし、都立高全校(夜間部も含めて約280校)で一斉に導入することが決まった。

 だが、実現までの道は簡単ではなかった。カリキュラム作成に専心してきた都教育庁の江本敏男・主任指導主事は「初めは『奉仕を強制するな』とか『戦前の教育に戻すのか』といった反対論も根強かった。保護者や学校を回って説明するのがたいへんだった」と苦労を語った。

 市ケ谷商業高校は以前からボランティア活動がさかんだった。お年寄りのパソコン指導や、小学生に本を読んで聞かせるなどの実績を積んでいた。

 このため、奉仕体験でも▽お年寄りとの交流▽小学生へのパソコン講習▽学童クラブの手伝い−など多様なプログラムを用意できた。「活動の準備や受け入れ先探しは難しくはなかった」と山下哲校長は説明する。

 学校や教師の側にも意欲がなければうまくいかない。中には「地元の団体にプログラム作りを丸投げしようとした」「旅行会社のパック旅行に体験学習を組み込んでお茶を濁せば」などの話も聞こえてくる。

 生徒たちの規範意識を育て、社会のために役立つ心を養うのが「奉仕」だ。その成否は教師たちの心意気にもかかっている。(高畑昭男)

【やばいぞ日本】忘れてしまったもの 番外(上)

2007.11.17 MSN産経新聞

 ■「うちは留学認めていない」

 「AFS」という知る人ぞ知る団体がある。1919年以来、高校生の国際交流を進めている国際ボランティア組織だ。その日本協会が主催する無償の海外留学プログラムに応募する高校生の数が最近10年間で半減しているという。

 最大の理由は生徒たちが通う高校側の事情だ。AFS交換留学に応募するには高校からの推薦状が必要である。有名大学合格率が下がることを懸念し、高校側がこれに難色を示すケースが、特に地方の有名進学校に多いらしい。

 「うちでは留学は認めていません」。教頭先生が冷たく言い放った。高校2年の秋から米国ミシガン州の公立高校での交換留学が内定していた山田雄一君(仮名)の夢はこの一言でついえた。

 彼は四国のある名門進学校に通う高校生だ。成績抜群の雄一君は中学のころから将来は英語を使って世界を舞台に仕事をしたいと望んでいた。AFS交換留学を通じて国際的な視野を広げ、いつか世界の恵まれない人々を助けたり、日本の環境技術を使って地球温暖化を食い止めたいと思ったのだ。その後も、雄一君の両親が校長先生に何度も食い下がったが、結果は変わらなかった。

 東大合格者を一人でも減らしたくないという進学校の都合と見えが優先され、自校生徒の自由まで奪ってしまったといえなくはない。「実に由々しいことです。問題の根源は東大を頂点とする日本の受験戦争にあるようなのです」とAFS日本協会の大山守雄事務局長は言う。

 交換留学プログラムに応募する高校生の動機はさまざまだ。単に語学力の向上だけでなく、国際公務員、外交官、国際弁護士などを目指したいと堂々と答える子たちもいる。いずれも共通することは、この高校生たち一人一人が若いながらも大きな志を胸に秘めていることだ。

 雄一君を派遣するAFSは54年から1万人以上もの交換留学生を派遣してきた「老舗中の老舗」だ。元官房長官の塩崎恭久、元外相の川口順子、元財務官の榊原英資、ミュージシャンの竹内まりや、など数え上げたらキリがない。戦後日本の発展を陰で支えてきた国際派日本人の多くはAFS留学経験者である。

 米国の学生交流NPOであるCSIETによれば、中国から米国高校に留学する生徒数は2003年の545人から06年の949人へほぼ倍増している。これに対し、日本からの留学生は同時期に1698人から1182人へと3割以上も減少している。しかも、数字が伸びない理由の一つが英語能力の低下だそうだ。やはり、日本の優秀な高校生は海外留学をしなくなっているのだろうか。

 グローバル経済化が進み、厳しい国際競争を生き抜いていくため、各国は若い人材の育成にしのぎを削っている。

 ところが日本では、すべてが内向きの教育制度の下、優秀な高校生ほど、足を引っ張られ、海外で勉強する機会が与えられなくなっている。これでは日本は今後、国際社会の中で確実に衰退していくだろう。(寄稿 宮家(みやけ)邦彦)

 ■世界に通用する人づくりを

 AFS交換留学への応募者数が減少している理由はほかにもある。AFSのプログラムは手作りのボランティア活動が基本だ。

 しかし、感受性豊かなこの時期に見知らぬ外国でさまざまな苦労をさせながら、人々の善意を通じて国際交流を体験させるこの方式には、地域、学校、ホームステイ先を選べないといった制約がある。

 さらに、あまり苦労をしたくない、させたくないという最近の高校生や保護者の傾向もあるようだ。

 留学生の男女比率も大きく変化した。派遣開始当初こそ、男女はほぼ同数であったが、1977年ごろから女子が男子の倍になり、今ではAFS留学生の4人に3人は女子だそうだ。

 最近の傾向は「男の子は学歴社会だから日本のちゃんとした有名大学に、女の子は実力の世界だから海外留学に」ということらしい。おいおい、男子の世界も実力社会ではなかったのか。

 女子留学生が増えること自体は大いに歓迎すべきだ。しかし、誤解を恐れずに言えば、日本の未来を背負うような優秀な男子高校生の留学が昔に比べて大幅に減っているのだとしたら、それは由々しいことである。中国を含む他国の高校では留学志向が強く、競争も厳しいので、最も優秀な子供たちがまず米国に留学する。ところが、日本では逆の現象が起こりつつあるようだ。

 思い返せば、1970年代後半に就職した筆者の同級生の多くは、海外赴任こそエリートコースと信じて疑わなかった。中高生のころは、品質の劣る日本製品をいかに海外で売るかが最も重要だと教えられた。

 ところが、70年代ごろから日本の出世パターンは変わり始めたようだ。日本製品が爆発的に売れ始め、海外勤務よりも国内業務が重視されるようになったからだろうか。その典型例が大手銀行の「MOF担(大蔵省担当)」である。今は死語となった「護送船団方式」の下で、融資で企業を育てる「本業」よりも、大蔵省銀行局からの情報入手がはるかに重要だった。銀行の審査機能は低下し、不良債権が増大する。それでも官僚に対する企業側の接待競争は激化し、揚げ句の果てが「ノーパンしゃぶしゃぶ」であった。

 そんなことに加え、経済がグローバル化する中、国内経験だけでは生き残れないと考えたのだろう。日本の実業界ではこの数年、海外経験の豊富な人材が次々とトップに就任している。

 20年以上の米国勤務経験がある御手洗冨士夫・現日本経団連会長を筆頭に、多くの大手企業で「国際派」が重用されている。

 しかし、それでも企業では海外勤務を断る若手社員が増えているという。各種ブログにも「外国勤務が出世コースだったのは過去のこと、わが社で海外出向は左遷人事だ」といった書き込みが目立つ。こうした風潮がAFSに応募する高校生たちにまで及んでいるのだろうか。

 世界に通用する大学生を養成する教育システムづくりこそ、子供たちの将来のために、また、日本国の将来のためにも、早急に整備する必要がある。

                ◇

 宮家氏は外務省に入省し、中東アフリカ局参事官などを経て退職。現在立命館大客員教授、AOI外交政策研究所代表。54歳。

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの 完 番外(下)

2007.11.18 MSN産経新聞

「国のため」気概失う若手官僚

 最近霞が関の人事担当者を悩ませている問題がある。

 東大法学部出身の国家公務員採用者が、過去15年で140人から60人へと激減しているのだ。量だけではない。質の面でも事態は深刻という。10年前までは東大法学部の各年上位100人はほとんどが国家公務員になるといわれた。

 しかし現在の上位100人の多くは外資系企業や弁護士などに流れ、公務員は皆無に近いそうだ。あの財務省ですら「以前ほど思うように人が採れなくなった」と嘆いているらしい。

 最近ある知人は、来春東大を卒業する長男から「公務員になるべきか」と問われて、思わずこう答えたという。「これからは、国益のことを四六時中考えられる人以外は、役人になってもつらいんじゃないか」

 現在、主要官庁の要職にある彼は東大法卒の高級官僚だ。結局、長男は民間大手企業に就職を決めた。これを聞いて複雑な気持ちになった。

 理由は何であれ、東大法学部で最も優秀な若き“エリートたち”が国のために働く意欲を失っているのだとすれば、実に由々しき事態ではなかろうか。

 ノブレスオブリージュというフランス語がある。社会的に恵まれた立場にいる者は、人々の模範となるよう行動する「高貴なる義務」を負うべしという意味だ。

 親の年収が高くなければ東大に合格できないといわれる世の中で、恵まれた若者たちがノブレスオブリージュを忘れ、自らの能力を社会に還元することなく、プライベートセクターでの金もうけに奔走する。これではいずれ日本社会は劣化していくだろう。

 最近の度重なる不祥事でエリート官僚に対する国民の信頼は地に落ちた。確かに、ノーパンしゃぶしゃぶに始まり、C型肝炎、ゴルフ接待に至る数々のスキャンダルに弁明の余地はない。

 しかし、大多数の若い国家公務員は薄給にもめげず、国民のために黙々と働いている。

 朝は早くから各政党の部会に呼ばれ、昼間は通常の業務をこなし、夜は国会関連作業などで遅くまで待機する。

 国民が真に憂慮すべきは、官僚組織の政策立案能力の低下であろう。

 現在日本には財政・金融、社会福祉、安全保障など多くの分野で難題が山積している。問題解決には日本の長期的な国益を踏まえたプロの専門家集団による真剣な政策議論が必要である。

 しかし、若い官僚たちは毎晩国会答弁作成作業に追われて、じっくり議論する時間がないという。昨今の役人バッシングは容赦ない。だから、官僚は従来以上に冒険を避け、ひたすら安全運転に徹するようになる。国家公務員たちは誇りを失い、ますます萎縮(いしゅく)していく。

 政治主導の政策決定には大賛成だが、最近の行き過ぎた役人バッシングだけでは問題は何も解決しない。

 現在のように国会議員が政争に明け暮れ、民間にシンクタンクが育たないまま、官僚たたきだけがあと10年も続けば、どうなるか。

 日本の官僚組織は確実に崩壊し、責任を持って長期的政策を立案できる組織はなくなるのだ。

真のエリート教育が欠落

 筆者が入省した1970年代末、外務省には恐ろしくも尊敬すべき先輩たちがまだゴロゴロいた。

 報告書案を上司に提出すれば、一瞥(いちべつ)して「やり直し」とほうり投げられた。毎日のようにしかられ、怒鳴られ、日曜出勤など当たり前だと教えられた。まだ若かったし、先輩たちと「国のために働いている」という自負があったのだろう、そんな仕打ちも苦にならなかった。

 状況が変わり始めたのは、中東での在外勤務を終えて帰国した1980年代中ごろからだ。

 月曜朝一番でアラブの皇太子が訪日する。やむなく新入省員にも日曜出勤を命じたら、「嫌です、休日は大切ですから」と見事に拒否された。「国のためだから」と何度も説得したが、無駄だった。

 現在はもっと徹底しているという。若い部下を厳しくしかれば、すぐ「パワハラ」で訴えられる。仕事に幻滅したのか、入省10年前後の若手がどんどん辞めていく。外務省でも最近10年間で年平均2、3人の若手職員が辞職しているそうだ。再就職先は高給を出す外資系企業が多いと聞いて、暗澹(あんたん)たる気分になった。

 なぜ日本の若きエリート官僚は短期的な金もうけに走るのだろうか、と。

 「企業の世界も全く同じ。サブプライム・ローン問題だけじゃない、これは世界的な傾向だよ」

 銀行マンの友人はこう解説する。欧米型の株主重視主義とファンドの短期的利益追求というのが最近の風潮だ。確かに、ビジネスの世界ではそれが世界標準なのだろう。

 しかし、日本の若いエリートたちが「国のために働く気概」を失いつつあるのだとしたら、実に深刻だ。

 2000年の大統領選挙でブッシュ候補は「思いやりある保守主義」を提唱し、高く評価された。

 この弱者に優しい保守主義のルーツは名門イェール大学時代にさかのぼる。一時アル中におぼれたブッシュを再起させたのは昔、学んだノブレスオブリージュの精神とキリスト教であったという。三つ子の魂百までというが、米国の健全なエリート教育の底力を感じさせる話だ。

 日本の場合はどうか。戦後教育では、能力よりも平等が重んじられた。エリート主義は特権階級のものだと退けられた。国家主義は悪いことで、人権尊重と民主主義こそが正しいと教わった。

 こうした教育と「国のために働く気概」の欠如との因果関係を筆者は証明できない。しかし、これまでの日本にノブレスオブリージュを伴った真の意味のエリート教育が欠落していたことだけは間違いない。  今日の政治の混乱を見るにつけ、日本を弱体化させているのは、実は日本人自身であることを痛感する。

 明治維新によりサムライは官僚となり、武士道精神は日本版ノブレスオブリージュとして官僚組織に受け継がれていった。しかし、平等主義教育と拝金主義経済は官僚たちからサムライの心意気を奪いつつある。巨大な官製シンクタンクはもう復活しないかもしれない。

 統治機構がずたずたになって、大きな打撃を被るのは国民生活そのものである。民間シンクタンクがだめなら、もう一度、公務員制度を抜本的に見直し、ノブレスオブリージュを持つ真の意味の「エリート官僚」を新たに養成するしかない(寄稿 宮家(みやけ)邦彦)

 宮家氏は1978年東大法卒、外務省入省。日米安保条約課長、中東アフリカ局参事官など歴任し退職。現在立命館大客員教授、AOI外交政策研究所代表。54歳。

 「やばいぞ日本」第5部は12月上旬、再生へのシナリオをテーマに展開します。



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