TOPIC No.2-56 自衛隊機墜落

陸自ヘリが僚機と接触し墜落、2人死亡 千葉・市原市

2001.02.14(23:15)asahi.com
 14日午後6時過ぎ、千葉県市原市上空で陸上自衛隊のヘリコプター2機が接触し、1機が同市天羽田の竹やぶに墜落して炎上、機内から男性2人の遺体が見つかった。千葉県警市原署と陸上自衛隊木更津駐屯地(同県木更津市)によると、墜落したのは、同駐屯地内の第4対戦車ヘリコプター隊の小型観測ヘリOH6Dで、乗っていた機長の高萩泰典三佐(49)=同県八街市大関=と下舘哲一曹(25)=同県木更津市吾妻=が死亡した。同ヘリは夜間の有視界飛行訓練中に、同隊の対戦車ヘリAH1Sと、駐屯地の北東約12キロの上空で接触したという。

 同駐屯地によると、対戦車ヘリは午後6時17分、「何かに接触して、パイロットがけがをした」と無線連絡し、約6分後に同駐屯地に戻ったという。機長の浅田治夫二佐(49)=同県木更津市大久保2丁目=が額にけがをして病院に運ばれた。命に別条はないという。

 この日の訓練は午後5時ごろに始まり、同隊のヘリ8機が参加。墜落した観測ヘリと対戦車ヘリの2機は同6時過ぎに乗員が交代して出発したといい、その直後の事故とみられる。防衛庁によると、墜落した観測ヘリは全長約9.3メートル、全幅約8メートルで、4人乗り。当時は2人が乗っていた。

 墜落現場近くのガソリンスタンドの男性従業員(27)は「東西からヘリが対向する形で飛んで来た。すれ違った瞬間、東から来たヘリが180度回転して斜めに落ちていった。5秒くらいのあっという間の出来事だった」と話した。

 現場は館山自動車道の姉崎袖ケ浦インターから約100メートル。県道から約20メートル入った竹やぶの中だった。現場から約50メートルの県道沿いには弁当店がある。

 現場の消防署員によると、ヘリは着陸したような状態で屋根が吹き飛んでいた。遺体は機内で座っている状態だったという。


事故原因はパイロットの判断ミス 7月の自衛隊機墜落

2000.10.31(20:14)asahi.com
 宮城県牡鹿町の山中に今年7月、航空自衛隊松島基地(宮城県)所属の飛行部隊「ブルーインパルス」のT4練習機2機が墜落し、パイロット3人が死亡した事故で、防衛庁は31日、着陸に向けた降下の際に位置を間違えて山に墜落したとする調査結果を発表した。航空自衛隊は、正確な位置の把握や飛行ルートの見直しなどの対策を取る方針だ。

 調査結果によると、現場一帯は雲に覆われていた。このため、墜落した2機は、雲のすき間から見えた陸を着陸の際に通常目標としている地形ポイントと誤認し、降下したため山岳に墜落した。さらに、2機は訓練終了時、訓練空域から北側に5キロはずれていたが空域内にいると誤って判断していたと推測している。事故編隊の飛行計器や航法装置はいずれも正常に作動していたが、編隊内の連絡が不十分だったことが事故に影響したと結んでいる。

搭乗員4人の遺体を収容 隠岐沖の空自機墜落事故

2000.07.10(21:55)asahi.com
 航空自衛隊美保基地(鳥取県境港市)から飛行試験に飛び立ったC1輸送機が6月28日に島根県・隠岐諸島沖で墜落し、搭乗員5人が行方不明になっている事故で、航空自衛隊は9日から10日にかけて、機体の一部が発見されている隠岐諸島の西約45キロの海底(水深約250メートル)から、搭乗員4人の遺体を民間のサルベージ船で引き揚げ、美保基地に収容した。機長の川西隆一三佐(41)、機上整備員の後藤純一三曹(31)、整備員の岩谷利孝一曹(47)、空中輸送員の酒元光行一曹(39)の4人と確認された。

 行方不明なのは、航空自衛隊で4人目の女性パイロットで副操縦士の藤本あい二尉(26)。

不明のブルーインパルスか、3遺体と機体の一部発見

2000.07.05(15:44)asahi.com
 宮城県の牡鹿半島付近で、航空自衛隊松島基地(宮城県矢本町)所属の「ブルーインパルス」のT4中等練習機2機が消息を絶った事故で、5日午前8時45分ごろ、空自の捜索隊が同県牡鹿町の光山(標高445メートル)の山頂付近で、搭乗していた3人の隊員とみられる遺体の一部と、2機の機体の破片を発見した。同基地が身元の確認と、機体の回収にあたっている。

 同基地によると、行方不明になっていたのは、阿部幹雄三佐(37)、一嶋三樹三佐(35)、梅川智弘一尉(35)の3人。

 遺体は焼けただれた状態で、近くで見つかった練習機の乗組員用ヘルメット2個には、一嶋三佐と梅川一尉のニックネームが書かれており、阿部三佐の身分証明書も見つかった。

 機体と見られる破片の中には、消息を絶った2機の機体番号を示す「720」と「727」の文字があったという。

 現場は牡鹿半島のほぼ中央。前日昼ごろ、機体の座席に取り付けられている救難信号機からの電波が確認されていた。

 同基地の説明では、光山の北側約1キロのところから機体の破片が散乱している。2機の機影が消えたのは基地から約25キロ東南東の海上付近で、この地点からほぼ南西方向に牡鹿半島に入り、光山の北東斜面に墜落したとみられている。

 2機は4日午前9時46分に、金華山東方沖での訓練のため、計6機で松島基地を離陸。基地に戻る途中の午前10時19分ごろから、消息を絶っていた。

 同基地と県警、第2管区海上保安本部(同県塩釜市)が、牡鹿半島付近の山中や海上を捜したが、濃霧などで難航。5日は朝から、雷雨が降る中、陸上自衛隊や県警、地元消防など計約500人で捜索を再開していた。

 現場の約7キロ北には東北電力女川原子力発電所がある。同原発の北10キロの山中では今年3月、同基地所属の練習機が墜落し、隊員1人が死亡している。

空自機2機消息絶つ ブルーインパルス -松島沖 計3人搭乗、訓練中-

2000.07.04The Sankei Shimbun
 航空自衛隊松島基地などに入った連絡によると、四日午前十時十九分ごろ、宮城県・松島の東南東約二十五キロの海上上空で訓練飛行を行っていた航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」のT4型機二機の機影がレーダーから消えた。二機には計三人が搭乗、空自では遭難した可能性もあるとみている。空自の救難ヘリコプターと海上保安庁の巡視船などが付近を捜索している。

 空自によると、二機は第四航空団十一飛行隊所属で、この日は午前九時四十五分ごろ、他の四機とともに松島基地を離陸してアクロバット飛行の訓練を行った後、基地に戻る途中だった。現場上空では高度約五百メートルの高さに雲が出ており、視界は約十キロだった。

 六月二十八日に島根県・隠岐島沖の日本海で空自のC1輸送機が墜落し、乗員五人が行方不明になったばかり。三月にもT2練習機が墜落、乗員一人が死亡した。平成三年七月四日には、ブルーインパルスのT2型二機が空中接触で墜落、パイロット二人が死亡している。

 「ブルーインパルス」は、空自の航空祭などで曲技飛行を披露するチームで、同基地にT4型機計八機とパイロット十一人が所属している。昭和五十七年十一月、静岡県・浜松基地の航空祭で演技中のT2型機が墜落し、三年間にわたって活動を休止している。

東富士のヘリ事故、部品のはずれが原因か

2000.07.03(22:31) asahi.com
 陸上自衛隊東富士演習場(静岡県御殿場市など)で6月下旬に対戦車ヘリコプターが落下し、機長ら2人が大けがをした事故で、陸上幕僚監部は3日、事故機を調査した結果、燃料を制御する部品の一部がはずれていたことがわかった、と発表した。事故原因と部品の関係をさらに調べるとともに、事故機と同じエンジン型の115機を一時飛行停止し、再点検することを決めた。点検は、約3カ月間かかる見込みだ。

 陸上幕僚監部によれば、はずれていたとされる部品はサファイアと呼ばれる燃料制御装置の一部。回転数を検知しながら燃料を調節するのに必要な部品で通常は2個取り付けられている。このうち、1個がはずれていたという。

 陸上自衛隊には、現在、事故機と同じ型のエンジンを取り付けているヘリコプターが約230機全国に配備されている。このうち、点検中と点検済みを除く115機が再点検の対象となる。

航空自衛隊の輸送機が鳥取沖で姿消す 墜落、5人死亡か

2000.06.28(20:26)asahi.com
 28日午後2時35分ごろ、鳥取県境港市の航空自衛隊美保基地から訓練のために飛び立ったC1輸送機が、鳥取県・隠岐島から北北西約60キロ洋上でレーダーから消えた。現場に向かった救難機からの連絡などでは、機影が消えた付近の海域から油などの浮遊物が見つかっているという。C1輸送機には、女性の副操縦士を含む5人が乗っていた。航空幕僚監部は、墜落した可能性が大きいとして、海上自衛隊とともに航空機や護衛艦などを派遣し、現場海域で捜索活動をしている。

 航空幕僚監部によると、搭乗員は機長の川西隆一三佐(41)と副操縦士の藤本あい二尉(26)、酒元光行一曹(39)、岩谷利孝一曹(47)、後藤純一三曹(31)の5人。

 C1輸送機は、100時間ごとに整備点検を受ける。不明機は6回目の整備点検を受けた後、飛行試験のために同日午後2時7分に美保基地を離陸し、数時間後に戻る予定だった。

 現場は当時、雲はまばらでほぼ快晴の状態だった。

 機長の川西三佐は飛行時間約6591時間のベテラン。副操縦士の藤本二尉は、女性として4人目の自衛隊パイロットで、飛行時間は約526時間。昨年2月に副操縦士の資格を得たばかりだった。

 C1輸送機は、全長29メートル、全幅約31メートルの中型輸送機で約60人乗り。1966年から研究開発が行われた双発国産機。78年から全国配備され、不明機は94年から美保基地に配備されている。現在、27機が全国の基地に展開している。


防衛庁長官が県知事に陳謝

1999年11月24日 18時02分 共同通信社
 埼玉県狭山市の自衛隊機墜落事故で,瓦力防衛庁長官は24日、埼玉県庁を訪ね、土屋義彦知事に「このような惨事を起こし、埼玉県民にご迷惑をお掛けした。おわび申し上げたい」と陳謝した。

 土屋知事は「県民の不安を取り除くためにも、徹底的な原因究明をお願いしたい」とし、瓦長官に事故の再発防止と調査結果の迅速な公表を求める要望書を手渡した。

飛行中に故障発生か

1999年11月23日 17時42分 共同通信社
 航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機が埼玉県狭山市に墜落し、乗員2人が死亡、約80万世帯が停電した事故で、埼玉県警狭山署などは23日、現場検証を行い、墜落原因の本格的な究明を始めた。

 一方、航空自衛隊も事故機の残がいを回収し、分析するなど独自に原因の解明を開始した。

自衛隊機墜落で防衛庁、空自の850機を総点検へ

7:03p.m. JST November 23, 1999
 航空自衛隊のT33ジェット練習機が埼玉県狭山市で墜落した事故を受け、防衛庁は23日、航空自衛隊が保有するほぼすべての航空機約850機を総点検すると発表した。今回の事故は、機体のトラブルによる可能性が高いと判断した上での決定で、現在行っている航空総隊総合演習も中止する。

 航空自衛隊幕僚監部は同日、墜落現場の位置関係や破損状況などを調査し、墜落した機体を航空自衛隊入間基地へ回収した。今後、詳しい原因を調べる。

自衛隊機墜落事故で本格的な現場検証

0:02p.m. JST November 23, 1999
 埼玉県狭山市で起きた自衛隊機の墜落事故で、埼玉県警や航空自衛隊などは23日朝から、現場の同市柏原の入間川河川敷で本格的な現場検証を始め、事故原因を調べている。

 埼玉県警は墜落した航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機が「操縦室内に煙が入ってきた」と同基地と無線連絡があったことなどから、機体のトラブルが原因とみて、詳しい墜落原因を調べている。また、現場周辺の河川敷では墜落した同機の破片を集めている。

 航空自衛隊では、現場保存のほか、周辺自治体への説明、原因究明のための調査などを行っている。今回の事故は機体(器材)に起因する可能性が考えられることから、墜落したT33ジェット練習機については、安全点検を徹底し再発防止を図っていくとしている。

 また、航空自衛隊では、T33ジェット練習機の乗員2人が死亡したことと、80万世帯に上る停電など大きな影響を及ぼしたことから、今後必要な安全点検を行うとともに、乗員らに対する再教育も実施するという。

埼玉県警が現場を検証

1999年11月23日 10時21分 共同通信社
 埼玉県狭山市の入間川河川敷に、航空自衛隊入間基地所属の、T33ジェット練習機が送電線を切断して墜落し、中川尋史2等空佐(47)ら乗員2人が死亡、約80万世帯が一時停電した事故で埼玉県警狭山署などは23日午前、現場検証を開始、墜落の本格的な原因究明に乗り出した。

 約40人の捜査員が機体の破損や破片の飛散状況、墜落地点の地面の痕跡などを調べる。

航空総隊演習を打ち切り

1999年11月23日 10時34分 共同通信社
 埼玉県狭山市で航空自衛隊のT33ジェット練習機が墜落した事故で、事態を重くみた航空幕僚監部は23日、全国の部隊が参加して実施中の「航空総隊総合演習」を期間途中で打ち切り、撤収させることを決めた。同演習は空自の年間の演習のうち最大規模の実動演習で、今月15日から29日までの予定で全国の基地と周辺空域で実施。隊員約3万3000人,航空機約380機が参加していた。

自衛隊機墜落で東京、埼玉の80万世帯が一時停電

01:24a.m. JST November 23, 1999
 22日午後1時42分ごろ、埼玉県狭山市柏原の入間川河川敷に、航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機が墜落、炎上した。同機が墜落の際、東京都内や埼玉県内に電気を送る高圧送電線を切断したため、広範囲で停電が起きた。東京電力によると、停電は東京都練馬区、豊島区、世田谷区、港区や埼玉県入間市、狭山市、川越市などで、計約80万世帯・事業所に上った。停電は午後5時過ぎに復旧したが、首都圏のJRや私鉄の計8線が一時止まり、約6万5000人に影響した。エレベーターに閉じこめられたり、信号機が消えたりするなどの混乱が相次いだほか、東京証券取引所では一部取引が停止となるなどの影響も出た。

 防衛庁によると、墜落した練習機は、入間基地の航空総隊司令部飛行隊の所属で、搭乗していた航空幕僚監部人事教育部援護業務課の中川尋史(ひろふみ)二佐(47)と、同飛行隊の門屋義広三佐(48)が死亡した。

 2人はパイロットの技術を維持するための飛行訓練中で、午後1時過ぎに同基地を離陸し、埼玉、群馬、栃木などにまたがる訓練空域で旋回などの訓練をした後、入間基地に帰還の途中だった。午後1時39分ごろ、「操縦室内に煙が入ってきた」と同基地に無線で連絡があり、その3分後に「緊急脱出」と交信し、墜落した。防衛庁は、何らかの機体のトラブルが原因とみて、詳しい墜落原因を調べている。

 埼玉県警捜査一課と狭山署も23日朝、墜落現場の周辺や機体などを被疑者不詳の業務上過失致死容疑で現場検証する。

 墜落現場は、入間基地から北に約3.6キロの河川敷ゴルフ場。住宅地から約50メートルしか離れておらず、近くには小中学校もあったが、住民や民家などの被害はなかった。

 ただ、自衛隊機は墜落の直前、入間川を横切る東京電力の27万5000ボルトの高圧送電線(4本1組)と避雷線の計5本に接触、切断した。それらが下に張られた6万6000ボルトの送電線に垂れ下がって接触するなどして、ショート。すべての送電ができなくなり、約80万世帯・事業所が停電となった。

 東京電力によると、午後2時10分ごろには、都内を中心に大部分は復旧した。しかし、狭山市や川越市などの復旧は午後5時過ぎになった。

 運輸省の調べでは、この停電で、JR武蔵野線、西武池袋・新宿線、東武東上線、東急世田谷線、小田急小田原線、営団地下鉄有楽町線、都営12号線が7―30分間止まった。

 警視庁や東京消防庁によると、信号機500基以上が一時作動しなくなり、各地で渋滞が発生したほか、エレベーター内に閉じこめられたとして救助を求める119番通報が、都内だけで15件あった。

 また、東京・兜町の東京証券取引所では、停電で売買ができなくなった店舗が多くなったため、午後2時12分から45分まで、債券先物オプションの取引を停止した。野村証券の現金自動預入払出機(ATM)が埼玉県所沢市や世田谷区など6店で一時停止したのをはじめ、銀行や証券会社、郵便局のATMが使えなくなるトラブルが相次いだ。

自衛隊機事故での停電、「想定外」で自動復旧できず

01:20a.m. JST November 23, 1999
 22日に航空自衛隊の練習機が墜落、大規模な停電となった事故で、切れた電線は、27万5000ボルトの高圧送電線(南狭山線)で、首都圏への重要な動脈の一つだった。東京電力は、トラブルに対応できるシステムを組んでいたが、一度に何本もの送電線が不通になるというのは、想定外だった。

 東電は、鉄塔の両側に電線を併設し、仮に片側の電線に故障が起きても送電ができる仕組みにしてあった。しかし、墜落した自衛隊機は、両側の電線を切ってしまった。

 また、首都圏への電気の供給は、循環型の大規模なネットワークによって行っている。落雷などによる小規模なショートや断線の場合は、コンピューターによって自動的に別の系統からの送電に切り替わる。しかし、今回は事故の規模が大きく、このシステムでは対応しきれなかった。

 「切断」の情報は、東京都千代田区にある東電本社の中央給電指令所に瞬時に入った。しかし、自動切り替えが働かないため、手作業で対応せざるをえなかった。電気をどう回すかを検討し、特定の送電線に膨大な電気が流れないように調整し、順次、変電所の切り替えを行った。停電から7分後に作業は始まったが、都内の大部分の停電が復旧するには約30分かかった。

 埼玉県狭山市や川越市などでは、最大3時間半にわたって停電が続いた。切断された「南狭山線」の下側に併設された「日高線」(6万6000ボルト)の復旧に手間取ったためだ。

 上にある電線や避雷線が切断され、下の電線に接触、すべてショートさせてしまった。日高線もトラブルに備えて鉄塔の両側に並行して走っていたが、上にある電線が両側ともに切れてたれ下がったことが響いた。

 送電線は積雪などによって切れることがあるため、東電では、一つの鉄塔に二つの送電線を併設するのは避けている。しかし、用地取得が難しい首都圏の場合、事故があった鉄塔のように共有する所もあるという。

 狭山市などに電気を送る日高線は、別のルートを使って送電する循環システムの中には組み込まれていない。このため、現場での復旧作業が必要になり、作業員らが現場に向かった。パトカーで先導してもらったが、付近の渋滞が激しく、通常なら40分から50分で到着できるのが、1時間半かかり、完全復旧を長引かせた。

狭山市長、飛行自粛と補償を要望 自衛隊機墜落事故

00:54a.m. JST November 23, 1999
 航空自衛隊入間基地の三沢守基地司令は22日、町田潤一・埼玉県狭山市長を訪ね、「市民に迷惑をかけて申し訳ない」と頭を下げた。同市長は原因究明が終わるまでの自衛隊機の飛行自粛と市民生活の被害などへの補償を求め、要望書を手渡した。三沢司令は「最大限基地として努力する」と答えた、という。

自衛隊機、着陸直前で事故に 密集地避ける?

00:51a.m. JST November 23, 1999
 首都圏一帯で22日に大規模な停電を引き起こした航空自衛隊T33ジェット練習機の墜落は、着陸を目前にしての事故だった。操縦していたベテランパイロット2人は死亡しており、詳しい原因は分かっていない。防衛庁は、交信記録から、機体に何らかの異常があったとして、同型機の飛行を一時停止し、機体の点検を始めた。今後、事故調査委員会を設置し、詳しい事故原因を調べる方針だ。

 防衛庁によると、事故機は、中川尋史二佐の技量維持のための飛行訓練の最中で、門屋義広三佐が同乗していたという。中川二佐は飛行時間約5229時間、門屋三佐は約6492時間で、ともにベテランだった。墜落前、コックピット内に煙が入り込んでいたことなどからエンジンなど機体のトラブルによる事故と見ている。

 墜落した機体と2人の遺体の位置が離れており、2人はいったん緊急脱出したものの、パラシュートが開くのが間に合わなかったと見られる。航空自衛隊は、緊急脱出の場合、地上に被害が及ばないように機体をコントロールしてから脱出するようパイロットに求めている。防衛庁側は「2人は機体の向きを密集地から離すため逃げ遅れたのではないか」と話している。

 T33初等練習機は、1955年に配備された2人乗りの単発機で、後継機種への更新が進んでおり、今は入間基地に9機が配備されているだけ。事故機の飛行時間は約6500時間。耐用飛行時間が7500時間といわれることから、2002年までに機種の交代が予定されていた。

 停電の原因となった送電線は墜落現場の近くにあり、航空幕僚監部は「飛行機のコントロールを失い、墜落直前に切断したのではないか」と説明している。防衛庁は、補償問題について東京電力と話し合う方針だ。

小渕首相、自衛隊機事故「原因究明を」

7:31p.m. JST November 22, 1999
 小渕恵三首相は22日、埼玉県狭山市で練習中の自衛隊機が墜落し乗員2人が死亡した事故について「残念だけども、原因を究明してきちんと対処しなければならない。貴重なパイロットを失って痛恨の極みだ。二度とこういうことが起こらないように徹底して訓練して対処してもらいたい」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

都内の停電、午後3時までにはほぼ復旧

6:40p.m. JST November 22, 1999
 22日午後に東京都・埼玉県で発生した停電は、東京電力によると午後3時までに、東京都内のほとんどの地域で復旧した。

自衛隊機墜落で2人死亡、80万世帯が停電

6:41p.m. JST November 22, 1999
 22日午後1時40分ごろ、東京都心から埼玉県南部にかけての広い範囲で停電となった。東京電力によると、停電したのは午後2時現在、中央、港、新宿、世田谷、豊島、練馬などの都内各区と田無市、埼玉県狭山市、所沢市などで、少なくとも80万世帯・事業所に影響が出ている。

 同じ時刻、埼玉県狭山市柏原の入間川河川敷に、航空自衛隊入間基地所属のT33練習機が墜落した。埼玉県警の調べでは、練習機はきりもみ状態で墜落し、その際、高圧電線を切ったという。練習機に搭乗していた2人が死亡した。

 県警や東京電力は、墜落が停電の原因とみて調べている。

 警視庁によると、午後2時現在、JR武蔵野線、西武池袋線、東急田園都市線、営団地下鉄有楽町線などが止まっている。また、練馬区、豊島区のほか、多摩地区の一部で、交通信号機が作動しなくなった。

首都圏の地下鉄や私鉄がストップ、広域停電の影響で

6:41p.m. JST November 22, 1999
 22日午後起きた停電の影響で、首都圏の地下鉄や私鉄には運転がストップする路線が相次いだ。営団地下鉄の有楽町線は同日午後1時45分ごろから全線で運転がストップし、駅間で立ち往生する電車もあった。このほか、西武池袋線と同新宿線、東武東上線などがストップし、券売機が使えなくなる駅もあった。いずれも20分から30分後に運転を再開した。

 JR武蔵野線は埼玉県所沢市内で信号機が無表示となったが、まもなく復旧した。また、「びゅうカード」のシステムセンターが停電の影響を受け、「みどりの窓口」や券売機で、一時カードを受け付けられなくなった。

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