TOPIC No.2-42 戦後補償問題/第二次大戦中の強制労働への賠償請求

01. 戦後補償問題 YAHOO!ニュース
02. 太平洋戦争 YAHOO!ニュース
03. 戦後補償主要裁判例
04. 日本の戦争賠償と戦後補償 byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
05. Suo-Pei(中国人戦争責任被害者の要求を支える会)
06. 戦後日本政治・国際関係データベース

韓国、42体の遺族を確認 民間徴用者の遺骨

2010年08月23日 中国新聞ニュース

 【ソウル共同】韓国政府機関「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者支援委員会」は23日、日本の植民地支配下で労働者として朝鮮半島から強制連行され死亡した民間徴用者とみられる遺骨のうち、42体の遺族が韓国内で確認されたことを明らかにした。

 朝鮮半島出身の民間徴用者をめぐっては、2004年12月の日韓首脳会談で、盧武鉉大統領(当時)が日本側に遺骨の返還や調査を要求。日本政府は全国の寺院などから集めた計2643体の遺骨に関する情報について、同委員会に提供してきた。

 しかし、同委員会によると、身元の確認につながる決め手に乏しいケースが多いという。21体については身元が確認されたが、遺族の居場所が分からないという。

 同委員会は、民間徴用者の遺骨は働かされていた炭坑や工事現場などにも埋められているとして、日本政府に調査を求めている。だが、具体的な進展はなく、遺骨の身元調査も戦後65年が経過し難航している。


強制連行で「和解」を勧告 福岡高裁「国策、苦痛大」

2008年04月21日 中国新聞ニュース

 戦時中に福岡県の炭鉱で過酷な労働を強いられたとして、中国人45人について、本人らが国と三井鉱山、三菱マテリアルに計10億3500万円の損害賠償などを求めた強制連行福岡訴訟第2陣の控訴審で、福岡高裁の石井宏治裁判長は21日、「強制連行は国策。被害者の被った苦痛は大きい」との所見を示し、原告、被告双方に事実上の和解勧告をした。

 1972年の日中共同声明で個人の賠償請求権は放棄されたと判断し、中国人側敗訴が確定した昨年4月の最高裁判決以降、戦後補償裁判で和解の動きが表面化したのは初めて。成立の見込みは不透明だが、全国で継続中のほかの訴訟にも影響を与えそうだ。

 所見は裁判の進行協議で文書で示された。請求権否定の司法判断が確定している中での和解打診を自ら「異例」とした上で(1)強制的な連行、労働は国策として遂行された(2)被害者の精神的、肉体的苦痛は言語に絶するほど大きい−と指摘。

元朝鮮挺身隊員の控訴棄却 日韓協定で請求権消滅

2007年05月31日 中国新聞ニュース

 元朝鮮女子勤労挺身隊の韓国人金性珠さん(77)ら7人が太平洋戦争末期、三菱重工業の軍需工場で強制労働させられたとして、国と同社に計2億4000万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁の青山邦夫裁判長は31日、請求を棄却した1審判決を支持し、女性らの控訴を棄却した。

 青山裁判長は国の不法行為責任を認め、1審より踏み込んだ認定をしたが、1965年の日韓請求権協定により、原告の請求権は消滅したと判断した。

 最高裁は4月、中国人強制労働訴訟の判決で、日中共同声明により個人の請求権が放棄されたとの判断を示しており、今回の判決はこの枠組みを韓国人の訴訟で踏襲。戦後補償をめぐり、2国間協定に基づき個人の請求権は無効とする司法判断が続いた。他訴訟にも影響を与えそうだ。

 青山裁判長は主文に先立ち判決理由を朗読。国家賠償法施行前だったとする国側の「国家無答責」の主張を退け、「脅迫による強制連行や、賃金の未払いや外出の制限を伴う強制労働が三菱重工業と国の監督で行われた」として、両者の不法行為責任を認定した。

 しかし、1審と同様に、日韓請求権協定により、個人の財産、権利などに関する問題は解決されたと判断し、原告は請求権を主張できないと結論付けた。

日本政府は謝罪と賠償を 中国強制労働被害者が抗議

2007年05月31日 中国新聞ニュース

 【北京31日共同】中国人元労働者らが西松建設(東京)などに強制労働の賠償を求めた訴訟で、敗訴した元原告やその遺族ら約30人が31日午前、北京の日本大使館前で抗議活動を行い、宮本雄二大使あての抗議書を提出した。

 2005年4月に中国各地で起きた反日デモ以降、中国公安当局は街頭デモを厳しく規制してきたが、今回は西松訴訟の4月の最高裁での原告敗訴を受けて容認した。

 被害者らは「日本政府は賠償を」と書いた横断幕や遺影を掲げて大使館前をゆっくり行進。大使館正面で「日本政府は謝罪せよ」「賠償せよ」とシュプレヒコールを繰り返した。

 北海道の鉱山で父親が強制労働させられたという女性は「日本政府は被害者に誠実な謝罪をしていない。中国人個人の賠償請求権は放棄されたという西松訴訟での判断には怒りを感じる」などと訴えた。

 原告代理人の康健弁護士は「原告らは日本へ行って抗議する金銭的余裕がないので北京の大使館に抗議した」と話した。

個人賠償請求権認めず 最高裁「日中声明で放棄」

2007/04/27 中国新聞地域ニュース

 中国人元従軍慰安婦が国に損害賠償を求めた訴訟と、中国人元労働者や遺族が西松建設(東京)に強制連行・労働の賠償を求めた訴訟の上告審判決が二十七日、最高裁で相次いであり、ともに原告敗訴が確定した。

 最高裁は両判決で「一九七二年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判で行使できない」と初判断。請求権自体が否定されたことで一連の戦後補償裁判は事実上終結した。

 元慰安婦訴訟は第一小法廷(才口千晴裁判長)で、強制連行訴訟は第二小法廷(中川了滋裁判長)。両判決とも裁判官全員一致の意見で、個別意見はなかった。

 両判決は旧日本軍による元慰安婦らの拉致、暴行や西松側による日本軍監視下の強制連行・労働を認定した。

 その上で、個人請求権の有無を検討。日本と連合国のサンフランシスコ平和条約(サ条約、五一年)は「戦争状態を終了させるため、相互に個人賠償請求権も含めて放棄した」と指摘し「日中共同声明の請求権放棄条項は個人を含むかどうか明らかとはいえないが、交渉経緯から実質的に平和条約で、サ条約と同じ枠組み」と判断した。

 ただ「請求権は消滅したのではなく、裁判上の権利喪失にとどまる」との解釈を示し、中川裁判長は「自発的対応は妨げられず、被害救済に向けた関係者の努力が期待される」と付言した。

 元慰安婦訴訟の原告は郭喜翠さん(80)ら二人(うち一人死亡)で、九六年に提訴。一審東京地裁は明治憲法下の「国家無答責(国は不法行為の賠償責任を負わない)」の法理などを理由に、二審東京高裁は日華平和条約(五二年)を根拠に請求権を否定し、それぞれ請求を棄却。才口裁判長は根拠は変更したものの二審の結論を支持し、原告の上告を棄却した。

 強制連行訴訟は邵義誠さん(81)ら五人が九八年に起こした。一審広島地裁は西松側の安全配慮義務違反などを認めた上で消滅時効(十年)などを理由に請求を棄却。

 二審広島高裁は「日中共同声明には明記されていない」などとして請求権放棄の西松側主張を退け、消滅時効も「正義に反する」と認めず、請求通り計二千七百五十万円(一人五百五十万円)の支払いを命じた。中川裁判長は二審判決を破棄、請求を棄却した。

西松訴訟で中国人原告が弁論

2007/03/17 中国新聞地域ニュース

 第2次大戦中に強制連行され、広島県安芸太田町の建設工事現場で過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者と遺族の計5人が西松建設(東京)に総額2750万円の損害賠償を求めている訴訟の弁論が16日、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)であった。原告の邵義誠さん(81)と宋継堯さん(79)が意見陳述し、個人の賠償請求権を認めるよう訴えた。判決は4月27日に言い渡される。

中国人原告が逆転敗訴 強制連行「賠償請求は時効」

2007/03/14 中国新聞ニュース

 第二次大戦中に強制連行され、新潟港で強制的に働かされたとして中国人元労働者と遺族計二十八人が国と港湾会社のリンコーコーポレーション(旧新潟港運、新潟市)に計二億七千五百万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は十四日、国と同社に計八千八百万円の支払いを命じた一審新潟地裁判決を取り消し、原告の請求を棄却した。

 安倍嘉人裁判長は判決理由で、違法な強制連行と強制労働を認定したものの「国と港湾会社の不法行為に対する賠償請求権は除斥期間(権利の法定存続期間、二十年)の経過で消滅した。会社には労働者の安全配慮義務を怠った責任が認められるが、賠償請求権は時効(十年)で消滅した」と判断した。

 判決などによると、原告を含む約九百人は戦中の一九四四年、中国から貨物船で強制連行され、新潟港運の労働者として新潟港で石炭や材木などの荷降ろし作業をさせられた。極寒の中で服も満足になく、食事もわずかだった上、暴行を受けるなどして終戦までに約百五十人が死亡した。

 二○○四年三月の一審判決は「極めて劣悪な環境下で生命、身体の安全や自由が侵害された」として国と同社の安全配慮義務違反を認定。国などの時効主張は「戦争責任追及を免れるため、外務省の調査報告書を焼却するなどしており、社会的に許された限界を逸脱する」として退けた。

「日系企業相手に民間賠償訴訟中国で起こす」反日団体責任者

2006/04/05 The Sankei Shimbun

 【北京=野口東秀】北京、上海など中国各地で吹き荒れた昨年4月の反日デモからほぼ1年。中国の反日団体のひとつで、尖閣諸島(中国名・釣魚島)の中国領有を主張する「中国民間保釣連合会」の童増会長(49)は産経新聞との電話インタビューで、今後の運動方針として、日本企業などによる日中戦争中の中国人強制連行などに対する損害賠償請求訴訟を中国内で起こしていくことを明らかにした。

 童会長は、裁判で訴える相手としては、中国内の日本企業の事務所などを挙げている。

 提訴する理由として、童会長は「中国政府は戦争賠償を放棄したが、個人や団体など民間問題までは提起していない」と主張。また、童会長は訴訟による日中両国間の経済活動への影響は少ないとしたうえ、現在の中国の対日姿勢について「(昨年の反日デモの時点とは違い)中国は現在、理性的だ」指摘した。

“強制連行”被害に240万円 韓国政府、半島外に限定

2006/03/07 The Sankei Shimbun

 韓国の聯合ニュースは7日、日本によって“強制連行”され、1945年8月までに朝鮮半島外で死傷したという被害者を対象に1人当たり2000万ウォン(約240万円)を韓国籍の遺族や本人に支給する方針を韓国政府が固めたと報じた。

 韓国政府当局者によると、8日に官民合同の対策委員会を開き、正式決定する。支給対象となるのは、日本によって“強制連行”された韓国人約103万人のうち約10万人で、残り約90万人については医療や福祉支援を行うという。

 韓国政府は日本側にも“強制連行”に関する補償を求める一方で、昨年の日韓国交正常化交渉に関する外交文書公開を受けて政府としての支援策を協議してきた。遺族団体からは、日本の対応が不明な状況で韓国側が先に方針を決定することに批判も予想される。(共同)

釜石製鉄所で強制労働訴訟、韓国人遺族の控訴棄却

2005年09月29日 読売新聞 Yomiuri On-Line

 第2次大戦中に日本製鉄(現・新日本製鉄)の釜石製鉄所(岩手県)で強制労働をさせられ、米軍の艦砲射撃などで死亡した韓国人10人の遺族らが、国に計約2億6000万円の損害賠償や遺骨の返還などを求めた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。

 西田美昭裁判長は、1審・東京地裁判決と同様、旧憲法下の国の不法行為は責任を問われないという「国家無答責の法理」を適用し、国の賠償責任を認めず、原告側の控訴を棄却した。原告側は上告する方針。

 遺骨の返還についても「国が保管や埋葬に関与した事実はない」として、認めなかったが、「国が所在を調査し、引き渡すことは、人道上望ましい」とも指摘した。

中国弁護士協会、対日戦後補償訴訟の支援基金を設立

2005年07月30日 読売新聞Yomiuri On-Line

 【北京=加藤隆則】中国全国弁護士協会(日弁連に相当)は29日、中国メディア向けの記者会見を開き、日本政府や企業を相手取った戦後補償訴訟の費用に充てるための支援基金を設立したことを明らかにした。

 同協会はこれまでに30万元(約420万円)が集まったとしている。

 30日付の中国各紙によると、こうした補償請求訴訟では、資金不足が足かせになっており、基金は原告や弁護士の旅費などに充てられる予定。会見に同席した、中国人強制連行訴訟の日本人代理人・高橋融弁護士は、「訴訟の調査研究や証拠収集をする上で、基金は大きな力になる」と述べたという。

 同協会によると、1990年代半ばから、慰安婦や強制連行、遺棄化学兵器、南京事件などの中国人被害者が日本政府や企業を相手取り、日本の裁判所で賠償を求める提訴が相次ぎ、総数は25件。直接担当している中国人弁護士は50人にのぼっている。2000年には同協会内に専門グループもできた。

2審も中国人の請求棄却 「七三一部隊」訴訟で東京地裁

2005/07/19 The Sankei Shimbun

 日中戦争時、旧日本軍の細菌戦部隊「七三一部隊」などが使用したペスト菌やコレラ菌で病気になったり、親族が死亡したりしたとして、中国人180人が総額18億円の損害賠償と謝罪を国に求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は19日、請求棄却の1審東京地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却した。

 判決理由で太田幸夫裁判長は、2002年8月の1審判決同様、細菌戦による被害を認定した上で「細菌兵器の使用で、日本には条約などに違反した国家責任が生じていたが、被害者個人が直接、加害国に損害賠償を請求できる規定はなかった」と原告側の主張を退けた。

 また、当時の中華民国民法による損害賠償請求について「細菌戦による加害行為は、国家の権力的作用に基づく公法的行為であり、私法関係ととらえ適用することはできない」と述べた。

 さらに日本の民法に基づく主張も「国家賠償法施行前、国の公権力行使による損害に関し、国の賠償責任を認める法制度は存在しなかった」との国家無答責の法理に基づき退けた。

 原告180人は97年と99年に提訴。1審判決は、日本の司法で初めて細菌戦による被害を認めたものだった。(共同)

731部隊の被害者、遺族ら二審も敗訴

2005年04月19日 asahi.com

 日中戦争の間、旧日本軍の731部隊による生体実験や南京大虐殺、無差別爆撃などで家族を失ったり、負傷したりしたとして、被害を訴える中国人本人や遺族計10人が、国を相手に計約1億円の損害賠償を求めた訴訟で、控訴審の東京高裁は19日、請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却する判決を言い渡した。門口正人裁判長は「国際法上、被害者個人が戦争の相手国に直接、損害賠償を求める権利はない」と述べた。

 99年9月の一審判決は被害の事実を認めたうえで、日中戦争について「中国内部の政治的、軍事的混乱に乗じて、みるべき大義名分もなく、将来的展望もないまま拡大された。中国および中国国民に弁解の余地のない、帝国主義的侵略行為にほかならない」と指摘。「我が国の占領侵略行為、非人道的行為が長期間続き、多数の中国国民に甚大な被害を及ぼしたことは疑う余地がない歴史的事実」と述べた。

 一方、原告の請求については「個人が戦争の相手国に賠償を求めることが国際慣習法化していたとはいえない」などとして棄却。原告側が控訴していた。

「日華条約で請求権消滅」 戦後補償裁判で初の判断

2005/03/18 中国新聞ニュース

 戦時中、旧日本軍に拉致され乱暴されたとして、中国・山西省に住む郭喜翠さん(78)ら元従軍慰安婦二人(うち一人は死亡)が、国に計四千六百万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は十八日、請求を棄却した一審東京地裁判決を支持、元慰安婦側の控訴を棄却した。二人は上告する方針。

 判決理由で江見弘武裁判長は「兵士らが欲望を満たすためにした残虐な行為で、身体、精神に著しい損害を与えた」と民法上の損害賠償義務は認めたが、一九五二年に日本と現在の台湾政府に当たる「中華民国」が日華平和条約を締結したことを指摘。

 日華平和条約は、連合国側が戦争被害の損害賠償請求権を放棄する趣旨のサンフランシスコ平和条約を内容に取り込んでおり、「中国国民である二人の損害賠償請求権は消滅した」と判断した。

 慰安婦側弁護団によると、日中間の戦後補償裁判で、日華平和条約による請求権消滅を認めた司法判断は初めて。原告側はこの判断に反発している。

 旧憲法下の国家行為は賠償責任を問われないとする「国家無答責」については、「軍の命令による組織的な性暴力ではなく、国の公権力行使ではない」と判断、適用を退けた。

 判決によると、中国山西省に住んでいた二人は十三歳と十五歳だった一九四二年、旧日本軍の兵士に拉致され、軍の施設などに監禁。一カ月から数カ月間にわたり、連日乱暴されるなどした。一人は、提訴後の九九年五月に死亡した。

 二○○二年三月の一審判決は、二人が旧日本軍に連行、監禁されて連日暴行を受けたことや、現在も心的外傷後ストレス障害(PTSD)があるとの被害を認定したが、国家無答責を適用して請求を棄却。原告側が控訴した。

強制連行の6中国人、国と運送会社に損賠求め提訴へ

2004/12/06 読売新聞 Yomiuri On-Line
 第2次大戦中に中国から強制連行されて働かされたとして、中国人男性6人が、国と山形県酒田市の酒田海陸運送に計1億5000万円の損害賠償などを求める訴訟を、17日に山形地裁に起こすことを決めた。

 会見した弁護団(団長・加藤実弁護士)によると、原告は中国河北省の幺作相さん(82)ら75歳から84歳の男性6人。6人は1944年に連行され、酒田港で船積みなどの作業をさせられたなどと訴えており、国と同社に1人当たり2500万円の支払いと謝罪広告の掲載などを求める。

 酒田海陸運送は「弁護士と相談して対応を決めたい」と話している。

 弁護団によると、酒田港には中国人338人が連行され、31人が病気などで死亡したという。また、中国人戦争被害賠償請求事件弁護団によると、中国人らが強制労働の賠償などを求めた裁判は91年以降、計21件起こされている。

西松訴訟の原告「強制労働被害者は告訴すべき」

2004年07月13日「人民網日本語版」

広島高等裁判所で争われ、9日に原告勝訴の判決が言い渡された西松建設強制労働訴訟の原告、邵義誠さん(79)が12日午後7時、北京に到着した。

道中の疲れはあるものの、高齢の邵さんは元気に満ち溢れていた。飛行機を降りるとすぐ、人々に向かって遠くから笑顔で手を振った。今は笑顔で喜びを語る邵さんも、勝訴の判決を聞いた瞬間は涙が込み上げるのを抑えられなかったという。「あの時、法廷ではたくさんの人が泣いていました。われわれ原告、日本の弁護士、それから多くの支持者、皆で泣きました」と邵さんは語る。

邵さんは1993年から今回の訴訟のために奔走し、日本を計4回訪れている。強制連行され、労働者となったのは19歳の時だ。邵さんは「60年間の不当な苦しみが、ようやく清算されました。私はこの1日を60年も待ったのです!」と話した。

賠償金についての質問に対しては、「最も重要なのはお金ではありません。当時、日本に強制連行された人は360人います。私は当時の労働者を全て探し出し、日本に対して、一緒に正義を求めていきたいと思います」と語った。訴訟には必ず勝ち、最後には必ず正義が勝つことを、邵さんは信じて疑わない。帰国後は、自分の勝訴に関する経験を 他の元被害者らに話したいと考えている。邵さんは「元労働者がすべて告訴し、徹底的に争う必要がある」と語った。(編集MM)

原告側が逆転勝訴 強制連行西松訴訟

2004/07/10 中国新聞地域ニュース
 ▽広島高裁賠償命令 「時効 正義に反する」

 戦時中、中国から強制連行され、広島県加計町安野の発電所で強制労働させられたとして、中国人元労働者と遺族の計五人が、工事を請け負っていた西松建設(当時西松組、東京都)に総額二千七百五十万円の損害賠償を求めた中国人強制連行「西松訴訟」の控訴審で、広島高裁の鈴木敏之裁判長は九日、原告の請求を退けた一審判決を取り消し、西松建設に全額賠償を命じる原告側逆転勝訴判決を言い渡した。

 中国人強制連行訴訟で高裁での原告勝訴は初めて。西松建設は直ちに上告した。原告は元労働者の宋継堯さん(75)と邵義誠(78)さん二人と、遺族の楊世斗さん(62)ら三人の計五人。

 強制連行・労働について、鈴木裁判長は「粗末な食料しか支給されず、監督から暴行を受けるなどした」と西松建設の不法行為を認定した。しかし、二十年が経過すると損害賠償を求める権利がなくなる除斥期間を適用し、不法行為については賠償責任を否定した。

 一方で「西松建設は長時間、危険な重労働に従事させた」として安全配慮義務違反による債務不履行があると認定。十年の時効により請求権は消滅したとして、消滅時効の成立を認めた。

 しかし、消滅時効を適用するには「被告が時効を主張しなければならない」と定義した上で、「被害者は帰国後も苦痛を強いられた。情報収集の困難さから請求権を行使するのは著しく困難だった」とした。さらに「西松建設が態度を明確にせずに交渉を続け、結果的に原告らの提訴を遅らせた。損害賠償義務を免れることは著しく正義に反する」と指摘。「時効の主張は権利の乱用に当たる」として時効を適用せず、一人当たり五百五十万円の支払いを命じた。

 新美隆原告側弁護団長は「長年にわたる西松側の不誠実な態度を裁判所も強調した。全面勝訴と言える」と話した。西松建設総務部は「食料の配給や賃金の支払いもし、強制連行、強制労働は無かったと確信する。全く納得がいかない」とのコメントを発表した。

 ▽解説 解決へ政治決断を

 中国人強制連行「西松訴訟」で広島高裁は九日、損害賠償請求権の時効の適用を退け、損害賠償を命じた。企業の責任を明確に示した判断は、企業が戦後補償問題に正面から取り組む必要性を強く訴える。原告が高齢化する中、裁判による解決には限界がある。国は司法を超えた解決を図る道を模索すべきだ。

 全国で十二件が提訴された中国人強制連行訴訟では、国や企業の加害行為を認定する流れができつつある。しかし、時効の適用については判断が揺れる中で、西松訴訟で賠償責任を認めた理由として広島高裁は、西松建設側が事実関係を明らかにする努力を怠ったことを理由の一つに上げて、企業としての姿勢を厳しく批判した。

 企業の説明責任が社会的に厳しく問われている。それは歴史問題についても同様だろう。被告企業は時効に逃げ込む道を選ぶのではなく、有利か不利かにかかわらず、誠実に過去の事実を明らかにする責任がある。

 今回の判決は、国は被告になっていないものの、強制連行が国策に基づくことを明快に認定した。国境を越えた裁判に臨むことは、高齢化が進む原告らにとって重い負担となっている。西松訴訟でも原告五人のうち二人が亡くなった。国は政治決断で、中国人強制連行問題を包括的に解決する道を切り開くべきだろう。(田儀慶樹)

「時の壁」ついに崩した 支援者と喜び分かち合う

2004/07/10 中国新聞地域ニュース
 ▽「仲間に報告したい」

 「時の壁」を、ついに突き崩した―。強制連行された中国人や遺族が元労働者たちの尊厳をかけた「西松訴訟」控訴審。広島高裁は九日、原告の請求を全面的に認めた。提訴から六年半…。生存者で原告の邵義誠さん(78)は「亡くなった仲間への報告ができる」と声を上げ、支援者と喜びを分かちあった。

 広島高裁近くの広島弁護士会館であった報告集会。邵さんたちは、支援者の歓声に手をあげてこたえた。「必ずしも勝訴するとは思わなかった。ありがとう」。しわが深く刻まれた顔がほころんだ。

 邵さんらは、安野で粗末な衣食や一日十二時間の過酷な労働に耐えた。伝染病に倒れ、翌一九四五年三月に中国へ送還。働き手を失っていた家族は貧困を強いられ、物ごいなどで生き延びていた。

 二〇〇二年二月、一審の結審を迎えた広島地裁での口頭弁論。意見陳述に立った邵さんは「強制連行が若かった私の人生を変えた。生きているうちに謝罪と補償を命じる判決がほしい」と訴えた。

 悲願がかなった九日。強制労働で失明した宋継堯さん(75)も「平和を愛する人たちの努力に感謝したい」。強制連行の末、父を原爆で亡くした原告の楊世斗さん(62)は「勝利に涙が出た。帰国したら、勝訴と日本人の友情、努力を父に報告したい」と語った。中国人強制連行・西松建設裁判を支援する会の中谷悦子共同代表も「この勝利を機に、すべての被害者が救済されるまで闘い抜く」と誓っていた。

 高齢の元労働者は、年々生存者が少なくなっている。原告代表だった呂学文さんも昨年八月、最後まで戦い抜くよう託し、八十二歳で他界した。「帰国したら『もう安心して眠れるよ』と報告したい」。邵さんは同胞に思いをはせた。

 ▽識者談話 

 同種訴訟への影響は不可避

 田中宏・龍谷大教授(日本アジア関係史) 原告の深刻な被害を考慮した妥当な判決。「時の壁」を越えて司法救済が必要であると判断したのは、裁判官の心証を反映させた結果だ。高裁での勝訴は今後、同種の訴訟に影響を与えるのは間違いない。今回の判決を踏まえ、国や西松建設など企業は解決に向けて踏み出すべきだ。

 原告の主張を一方的にくむ

 八木秀次・高崎経済大助教授(憲法学) 戦時中のことで企業の側に反論できる材料が残っていないのに、原告の主張を一方的に取り入れた判決と言わざるを得ない。原告の狙いは賠償金よりも歴史解釈を争うことだろう。強制連行の実態を裁判で事実として確定するのは危険だ。今回の判決は、裁判における歴史認識論争に一層拍車をかける恐れがある。

 事実を証言で客観的に証明

 杉原達・大阪大大学院教授(日本学) 歴史的事実に基づき、安全配慮義務違反を的確に法解釈した画期的な判決だ。一審、二審を通じ、原告だけでなく目撃者や付近の住民、研究者の証言から事実を客観的に証明したことが勝訴に結び付いた。他の強制連行をめぐる訴訟などでも、同様の手法で勝てるという見通しが開けてくる。

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 消滅時効と除斥期間 民法上、権利を行使しない状態が一定期間続くと権利を失うのが消滅時効。請求権の行使が可能になった時を起算点とする。債権の場合は原則10年。貸した金の返済を10年以上経て求めても相手が時効を主張すれば請求権は消滅する。一方、行使しないと権利が自動的に消滅してしまうとされる期間が除斥期間。強制連行など不法行為による損害賠償請求では、不法行為の時から20年で適用される。

中国人原告が逆転敗訴 強制連行訴訟で福岡高裁

2004/05/24 中国新聞ニュース
 太平洋戦争中に強制連行され、福岡県の三池炭鉱などで過酷な労働を強いられた中国人の元労働者十五人(うち一人は死亡し遺族が継承)が、国と三井鉱山に、総額三億四千五百万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の控訴審で、福岡高裁の簑田孝行裁判長は二十四日、三井鉱山に一億六千五百万円の賠償を命じた一審判決を取り消し、国と同社への原告側請求をいずれも棄却する逆転敗訴の判決を言い渡した。

 中国人強制連行訴訟では初の高裁判断。これまで計八件の一審判決では判断が大きく分かれていた。他の八地・高裁で計十件審理中の訴訟に大きな影響を与えそうだ。

 簑田裁判長は「被告会社も深くかかわった国の国策に基づいている」として、一審に続き強制連行、強制労働は「国と企業の共同不法行為」と認定。明治憲法下では国家行為は賠償責任を問われないとする「国家無答責」の考え方を退けた。しかし、不法行為から二十年で請求権が自動的に消滅する除斥期間と十年の消滅時効を適用した。

 戦前の安全配慮義務違反や、戦後の保護義務違反があったとする原告の主張も退けた。

 判決の中で同裁判長は「国は悪質な証拠隠滅活動をしたと言わざるを得ない」と指弾した。

 二〇〇二年四月の一審福岡地裁判決は強制連行訴訟で初めて国と企業の共同不法行為を認定。除斥期間の適用を退け、三井鉱山に賠償を命じた。しかし、国家無答責の考え方は適用し、国への請求を棄却。被告の三井鉱山、原告ともに判決を不服として控訴した。

 判決によると、河北省出身などの原告ら三千人余りは福岡、熊本県内にある同社経営の三池、田川鉱業所に連行され、終戦まで劣悪な労働条件の下で働かされた。

 控訴審で原告側は、戦後も政府が強制連行の事実を隠ぺいし続けたことを示す外交文書を新たに証拠提出した。

新潟強制連行訴訟:被告側が判決不服で東京高裁に控訴

2004年03月29日[毎日新聞]Mainichi INTERACTIVE
 第二次大戦中の強制連行をめぐり、中国人の元労働者と遺族計12人が国と新潟市の港湾運送会社「リンコーコーポレーション」に損害賠償を求めた訴訟で、同社は29日、新潟地裁判決(26日)を不服として東京高裁に即日控訴したことを明らかにした。「国策による就労に協力を余儀なくされたもので、法的責任を負う理由はない」と説明している。国側も近く控訴する方針。

 新潟地裁は「労働者に対する安全配慮義務を怠った」と、国と同社に慰謝料計8800万円を支払うよう命じた。【鳴海崇】

被爆と二重苦、張さんも万感 中国人強制連行訴訟

2004/03/27 中国新聞地域ニュース
 ▽広島の支援者が電話

 過酷な労働の記憶を背負い続けてきた原告。「死ぬまで忘れることはない。ただ、六十年間解決されなかったことに一つの答えが出た」。中国人の強制連行で新潟地裁は二十六日、国の姿勢を厳しく批判し、企業とともに賠償を命じた。支援者と握手で喜びを分かち合い、法廷は興奮に包まれた。

 新潟地裁で勝訴判決を受けた原告の中には、戦時中、広島で被爆した張文彬さん(83)=湖南省=も含まれている。体調が悪くて来日できず、二男の一憲さん(49)が代わりに傍聴。「父の命あるうちに、勝利の判決を聞くことができた」と声を詰まらせた。張さんを支援してきた広島の関係者も「画期的な判決」と喜んでいる。

 張さんは一九四四年、中国から新潟へ強制連行され、身に覚えのないスパイ容疑で逮捕、広島刑務所に収監され、被爆した。帰国後もがんなどに苦しんだ。九三年には広島の支援者の招きで来日。被爆者健康手帳も取得している。

 張さんを招いた関係者の一人で、「中国人強制連行・西松建設裁判を支援する会」の川原洋子事務局長はこの日、張さんに国際電話で判決を知らせた。高齢で言葉も伝わりにくかったが、「勝訴ということは分かり、喜んでくれた」という。

 川原さんは「時効の適用自体を退けた画期的な判決で、被害の重大性や特殊性をくみ取った判断の意味は非常に大きい」と評価。広島高裁に控訴中の西松訴訟は張さんとは別グループの訴訟だが、「こうした判断が影響を与えることを期待したい」と話していた。

政府は控訴の方針 中国人強制連行訴訟判決

2004年03月26日 The Sankei Shimbun
 政府は国と企業に損害賠償を命じた新潟地裁の中国人強制連行訴訟判決について「承服しがたい判決」(法務省幹部)として近く控訴する方針だ。

 細田博之官房副長官は26日の記者会見で「国側にとって非常に厳しい判決だ」と指摘。強制連行に対する賠償問題について「個人補償を行うことは政府として考えていない。請求権問題は1972年の日中共同声明後、存在していない」と従来の見解を述べた。

 政府は日中両国の請求権問題は共同声明で決着済みとの立場で、政府関係者は「賠償請求できないとしてきたこれまでの関連訴訟判決を一切無視した『判例違反』」(政府関係者)と指摘した。

 今回の判決は強制連行の被害に対する賠償責任について政府の方針を根底から覆す内容であるだけでなく、約30件ある戦後補償訴訟の行方に影響を与えることが必至なため「控訴しないという選択肢はない」(同)としている。

 政府が特に疑問視しているのは、国家公務員が違法行為をしても国が賠償責任を負わないとする「国家無答責の法理」を判決が否定している点。法務省幹部の1人は「最高裁で確定している内容を地裁が覆している」と批判している。

 <国家無答責> 明治憲法下では、国の公権力行使で損害が生じても、個人は民事上の損害賠償を求めることができないとする考え方。現行憲法の下では、国家賠償法などによる請求権が認められている。京都地裁が昨年1月「強制連行は権力作用の行使ではなく、単なる不法な実力行使」との判断を示すなど、適用を否定する判決(賠償請求は棄却)が出ている。

企業責任を初認定 強制労働訴訟で福岡地裁

2002/04/26 中国新聞
 第二次大戦中に中国から強制連行され、福岡県の三井三池炭鉱などで過酷な労働を強いられたとして、中国人男性十五人が三井鉱山(本社東京)と国に総額三億四千五百万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が二十六日、福岡地裁で言い渡された。

 木村元昭裁判長は、一連の戦後補償訴訟の中で初めて、強制連行・強制労働が国と企業の共同不法行為だったと認定。三井鉱山に総額計一億六千五百万円の賠償を命じた。

 しかし国については「明治憲法下では、国の権力作用で個人が損害を受けても、国に賠償責任はない」とする国側の主張を認め、国への請求を全面的に棄却した。

日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(一)

2002年01月04日「人民網日本語版」

「戦争責任研究」2001年冬季号に、一橋大学で社会学を専攻する張宏波博士による「日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟『和解』の問題点」と題する論文が掲載されました。作者の了承を得てここに全文を転載します。なお、原文は学術論文のため注釈が多くなっています。注釈をご覧になりたい方は「戦争責任研究」2001年冬季号をご参照ください。

日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点  張宏波

昨年十一月二十九日、花岡訴訟が「和解」に至ったことは、既報の通りである。補償はおろか戦争責任を認めるか否かという段階に未だに止まっている日本の現状を考えれば、十余年にわたる闘争は、企業の戦争責任の追及を通じて、日本政府及び企業による中国人強制連行・強制労働の歴史事実を暴露・糾弾し、政府と企業の責任を広く知らしめるのに大きく貢献したと評価できる。頑迷な企業との長期間に渉る交渉が並々ならぬ努力と忍耐を要したであろうことを想像すると、支援された方々に心からの敬意を表したい。

しかしながら、関係者にとって歓迎すべき結果であったはずの「和解」をめぐって、被告・鹿島建設、原告および原告代理人(弁護士とそれを支援する日本側の市民団体「中国人強制連行を考える会」(以下、考える会))の三者の出したコメントには、その評価に奇妙なズレが見られることは無視できない。事実、本稿執筆中の六月二五日には、原告の一人である孫力氏は、代理人弁護士と中国人原告との数回にわたるミーティングの詳細な議事録を公開し、最終的に取り結ばれた「和解条項」とそれまで原告側になされていた和解内容に関する説明が根本的に相違することから、この「和解」を拒否するとの声明を出した 。同様に、十一人の原告以外の一部被害者及び遺族もこの和解に対する反対を表明し、鹿島の罪責を追求しつづけるための新たな訴訟を起こすことを公表している 。こうした「和解」をめぐる行き違いをまず正確に認識すること、そこから日本の戦後処理の問題性を浮び上がらせることがここでの狙いである。

一、花岡訴訟「和解」の成立及びそれに関する三つのコメント間のズレ まず、そのズレを検討する前に、五項からなる和解のポイントをあげておく 。

1、花岡訴訟「和解」の主な内容

@一九九〇年七月の「共同発表」 を再確認する。ただし、このことは直ちに鹿島が法的責任を認めたことを意味するわけではなく、中国人原告もこれを了解する。

A鹿島は受難者に対する慰霊等の念を表明し、中国紅十字会に五億円を信託し、紅十字会はそれを「花岡平和友好基金」として管理する。

B和解は花岡事件についてすべての懸案の解決を図るもので、受難者と遺族はすべてが解決されたことを確認し一切の請求権を放棄することを含む。今後、もし補償請求が発生する場合、紅十字会と原告の十一人において責任をもってこれを解決し、被控訴人に何らの負担もさせないことを約束する。

2、「和解」後の三つのコメント

すでに述べたように、和解成立後、鹿島側、原告代理人及び原告の支持団体、原告側の三者がそれぞれコメントを出している。まず、その要点について確認しておく。

2-1 被告鹿島建設株式会社「花岡事案和解に関するコメント」

@日本政府の中国人労働者内地移入政策の下、中国人が本社花岡出張所で働いていた。しかし、戦時下の厳しい環境のため、「当社としても誠意をもって最大限の配慮を尽くし」たが、「多くの方が病気で亡くなるなど」「深く心を痛めてきた」。

A法的責任はないことを前提に和解協議を続けてきた。

B受難者の慰霊等のため「平和友好基金」を拠出するが、基金は補償でも賠償でもない。

このコメントから、鹿島側の中国人強制連行・強制労働の歴史事実に関する認識、企業としての責任に関する認識及び訴訟に対する姿勢が明らかである。@は、中国人強制連行、酷使、虐殺という歴史的事実の全面的否定、企業としての責任の回避を意味する。また、ABは、和解条項第一項で再確認されたとされる「共同発表」における謝罪を取り下げる形となっている。

2-2 原告代理人と支援団体のコメント

@原告代理人新美隆氏「和解成立についての談話メモ」 :

「歴史的に見ても・・・画期的なもの」,「日中友好の一層の進展に向けて一つの輝く掛け橋になるもの」,「但し書きは、共同発表の訴訟上の和解での再確認とともに画期的なもの」,「第五項全体解決となることを保証する」。

A「考える会」代表・田中宏氏 :

「原告だけでなく全員を一括解決したところに意味がある」,「謝罪を踏まえた上でそれを実現するための金銭給付という意味は大きい」(下線強調は筆者)。

両氏ともいずれも一括解決や「共同発表」の再確認を強調しており、「和解」を「画期的」と高く評価している。しかし、「評価」された点は上に見た被控訴人・鹿島の主張、姿勢とはっきり矛盾しており、「評価」の根拠が如何なるものかは明らかではない。

2-3 原告代表耿諄氏のコメント

かつての花岡蜂起のリーダーであり、鹿島側との交渉や裁判で原告代表を務めた耿諄氏(八六)は、「和解」当日の十一月二十九日、日本のマスコミのインタビューに対し、「鹿島はようやくその責任を認め、謝罪をしたが、しかし、我々の要求からはまだかなり遠い」と語った。「和解」成立前には鹿島は責任を認め謝罪をすると知らされていた耿氏だが、記念館建設の要求に応じない鹿島に不満を隠さず、次のメッセージを送っていた:「討回歴史公道、維護人類尊厳。促進中日友好、維護世界平和。」

これは「歴史の公道を取り戻し、人間の尊厳を守れ。中日友好を促進し、世界平和を推進しよう」という内容であるが、「歴史の公道を取り戻し、人間の尊厳を守られた。中日友好を促進し、世界平和を推進しよう」と訳されて日本の新聞等で大々的に報道され 、この花岡「和解」に被害者たちが満足しているかのように喧伝された。

しかし、その後、「和解条項」や鹿島の和解に関するコメントを見て謝罪が行われていないことを知った耿諄氏は、鹿島と原告代理人を次のように批判するに至る :

弁護士はあの時、「鹿島は重ねて謝罪する意思があり、これまでに合意した共同発表に基づいて謝罪する」と言った。賠償金は少ないと言うことで、その後様々なことを考慮して、鹿島が誠意をもって謝罪し、自らの罪を認めるのであれば、我々は譲歩しても良いと思った。

その後、鹿島側が発表したあの声明を見て、怒りの気持ちが湧いてきた。鹿島側は……、資金は出すが、それは慈善的意味合いのものであり、中国人救済のためだと言ってきた。

彼らは加害者であり、中国人労働者を殺害した張本人なのだ。隣人への援助や追悼と同じように扱えるのか。

原告側がだまされて、欺かれたのだ。中国人に対する侮辱だ。

さらに、二〇〇一年八月六日、中国河北省地方紙の記者によるインタビューに対して、耿諄氏は「和解」についての認識や今後の闘争を次のように述べている :

法律上の謝罪をせずに、記念館の建設にも触れなかった。たったの五億円にもかかわらずなんと救済だとまでいっている!これは中国人に対する最大の侮辱だ!我々は決して受け入れない!

「和解」では、花岡被害者側が出した三項目の要求は一つも解決されず、被害者に極めて強い憤慨の念を抱かせることとなった。

〔中略〕花岡被害者の賠償請求闘争はこれで終わったわけではない。九八六名の被害者・遺族は得るべき謝罪と賠償を得ていないため、その全ての人は引き続き鹿島を訴える権利を持っている!これは民族の大義に関わる問題だ!我々の世代だけでなく、次の世代もその義務がある。もし、訴訟に生存者の証言が必要なら、私は必ず法廷に出て証言をする!

3、三つのコメント間のギャップ

以上のように、三者の間で、「和解」に対する評価、鹿島に対する評価が全く一致しないままでの「和解」となっており、さらに一部の被害者・遺族の反発にもかかわらず、「和解」基金の運営が正式に始まっている。鹿島は基本的歴史事実を一切否定し、その帰結として原告たちが要求した認罪も謝罪も当然行なっていない。にもかかわらず、原告代理人は「和解条項」の第一項で共同発表を「再確認」したことで、鹿島が謝罪したと主張して「和解」を勝利だと大々的に宣言し、鹿島に「敬意」と感謝の意を表している 。

鹿島の訴訟・控訴審における主張に関して、担当の東京高等裁判所第一七民事部裁判長新村正人氏は、次のように述べている。「被控訴人の主張の基調は、花岡出張所における(控訴人等の――筆者注)生活については、戦争中の日本国内の社会的・経済的状況に起因するもので、被控訴人は国が定めた詳細な処遇基準の下で食糧面等各般において最大限の配慮を尽くしており、なお戦争に伴う事象については昭和四七年の日中共同声明によりすでに解決された等というものである」。

この裁判官の「所感」からも明かになった鹿島の姿勢は、鹿島の先のコメントでの主張と全く一致しており、原告代理人側が何を根拠に鹿島が「謝罪」したと主張しているかは不明である。

したがって、原告代理人やマスメディア等によって「画期的」と評されている裏で、報じられることのない原告代理人と原告・中国人被害者との「和解」の評価をめぐる対立や、不問にされている鹿島の姿勢と原告代理人による鹿島への評価の大きなギャップがなぜ生じたのかを問う必要がある。

一般に、和解は、双方の最低要求の充足がなされないかぎり成立しない。譲歩はその上でなされる。紛争当事者は条項に基づいて「和解」という事態の内容を規定しあったわけであるから、その内容は、当事者のいずれが読んでも同じ理解に達する明確さを持って記されているはずである。しかし、本節で見た評価のズレが示すのは、原告の最低要求である「謝罪」を曖昧にしたまま、解決金の方に重点をおいてしまった転倒に原因があるのではないだろうか。他方、謝罪の回避が鹿島側にとっての最低要求であったとすれば、双方の最低要求が謝罪をめぐるものであった以上、最も根幹的な部分で「和解」がなされていない可能性を考えざるをえない。

したがって、次節では、謝罪をめぐる「ねじれ」の原因を探るために、謝罪の対象である戦前の歴史的事実の確認を起点に、「和解」条項における謝罪の取り扱いおよびその解消策の問題性について論じたい。

日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(二)

2002年01月04日「人民網日本語版」

二、「和解」で無視された事実と責任の転嫁

1、花岡事件に関する事実認識について

そもそも、原告にとっての最低要求である謝罪を回避しようとする鹿島が、是が非でも認めたくない史実とは何なのだろうか。

第一に、鹿島は「政府の閣議決定」「戦時下」という外的環境に責任を一括して負わせ、強制労働の責任主体ではなかった点を終始強調している。しかし、たとえ国策の一環であったとしても、企業として鹿島が政府、軍隊と三位一体で中国華北から捕虜や民間人を積極的に「内地移入」させ、花岡に九八六名もの中国人を強制連行したことは事実であり、企業としての鹿島に奉仕させ、利益をあげたという史実とその責任は回避できるものではない。

第二に、鹿島が戦犯企業として断罪されている事実の無視。日本敗戦後の一九四五年十月に至るまで、鹿島は連行した中国人を虐待・酷使しつづけたことで、四一八名もの中国人が死亡し、四二パーセントという高い死亡率を示した。花岡蜂起は、そうした集団虐待・酷使への抵抗であった。一九四六年十月連合国軍は、鹿島花岡出張所長河野正敏をはじめとする七人の従業員と蜂起の鎮圧にかかわった警察を逮捕し、一九四八年三月横浜軍事裁判(BC級戦犯・横浜地裁法廷)で三人に絞首刑、一人に終身刑、二人に重労働二〇年の有罪判決を下した 。「起訴理由概要」には、次のように記されている。

「株式会社鹿島組の秋田県花岡・中山、中国軍俘虜収容所(含む一般中国人)総管理者(●野)所長(●勢)庶務課長(●井)労務課長(●田)として管理の不良酷使虐待に依り、多数の俘虜を死亡せしめ、また●浦(花岡警察署長)●藤(警部)は己が取締下に於いて右行為を行なわしめ、職責を不法に無視し、多数死亡に寄与せり。以て軍事法規並に慣習に違反せり」。

この史料からも、鹿島による花岡での中国人集団虐待が、国際的に裁かれた消すことのできない事実であることが明白である。

2、和解条項の矛盾:「法的責任」および解決金の性格

上に見た史実を認めるのであればその罪は明白であり、直ちに謝罪につながるはずである。逆に謝罪しない、あるいは曖昧に放置することは、史実の否定や無視を必要とする。ところが、「和解」内容を明記した条項は、いずれとも解釈できないような曖昧さをもち、論理に破綻を来していることを明らかにしよう。

第一に、「和解条項」第一項の「当事者双方は、平成二年(一九九〇年)七月五日の『共同発表』を再確認する」という前半部分は、強制連行・強制労働の歴史事実を認め、企業としての責任を認めた上で中国人生存者・遺族に謝罪をしたことに対する確認であると原告代理人は主張している。しかし、それに続く、「ただし、被控訴人は右『共同発表』は被控訴人の法的責任を認める趣旨のものではない旨主張し、控訴人らはこれを了解した」という下りは前半の認罪及び謝罪を否認したものであり、しかも原告側の了承まで得ている。したがって、鹿島のコメントと合わせて考えると、この「和解」では法的責任の所在を明らかにすることができず、「再確認」が意味のないものとなってしまい、「画期的」どころか、むしろ「共同発表」から大きく後退したと見てよかろう。

加害の事実を否認するならば、その法的責任・道義的責任を認めない方がむしろ筋が通る。鹿島は花岡事件に対する責任を根本から否定しつづけているため、被害者たちの主張・要求と全く相容れず、そもそも和解の前提が存在しないと言ってよい。「和解」成立後の原告側弁護団と一部の原告中国人被害者との対立も次の一点が忘れられていることに原因があると思えてならない 。つまり、一般に和解とは、双方にそれぞれ非のある紛争を歩み寄らせ、双方に一定の譲歩を伴うものであるが、花岡訴訟は被告側に一方的に非のある紛争であるため、和解の前提となる認罪・謝罪の点については原告に譲歩の余地は全くないということである。

第二に、和解条項全体の有効性について。一九四八年の横浜国際法廷で鹿島は戦犯企業として断罪を受けた。国際法に基づけば、BC級戦犯裁判の判決を無視して法的責任を明確にしないまま成立した「和解」それ自体の法的妥当性は問われるところである。

一九五二年のサンフランシスコ講和で、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受託し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」 (第十一条)、という形ですべての国際法上の戦争犯罪を認めた。これは日本国憲法施行後のことであるから、「最高法規、条約及び国際法規の遵守」を定めた憲法第九八条第二項にもとづいてこの戦争犯罪を無視することはできないはずである。実際、この十一条どおりに、講和後、戦犯らは「日本政府の手によって巣鴨プリンにおいて刑の執行を受けて」いた 。

したがって、BC級戦犯にされた鹿島社員が存在した以上、「法的責任」がないという鹿島の主張を「和解条項」の中に入れることを許した東京高等裁判所は国際法を蔑ろにするものであり、こうした不当な根拠に基づく損害賠償請求の解決は日本国憲法にも抵触する恐れがあると考えられる。

第三に、第二項の「花岡平和友好基金」について。鹿島は花岡事件の歴史及びその法的責任を認めないにもかかわらず、受難者の「慰霊等」のため五億円の「花岡平和友好基金」を拠出することにした。しかし、その法的根拠が如何なるものか、両者の関係は如何なるものかは明らかではない。国際法廷で中国人に対する戦争犯罪を犯したと判決された鹿島は、如何なる論理をもってまるで中国人を救済する「慈善機関」に変身したのだろうか。

3、責任の転嫁に関して

さらに、鹿島によって放棄された責任は、どういうわけか原告に転嫁されていることを次に示しておく。

「和解条項」第五項では、「本件和解はいわゆる花岡事件について全ての懸案の解決を図るものであり〔中略〕今後日本国内はもとより他の国及び地域において一切の請求権を放棄することを含むものである。利害関係人及び控訴人らは、今後控訴人ら以外の者から被控訴人に対する補償等の請求があった場合、〔中略〕責任をもってこれを解決し、被控訴人に何らの負担をさせないことを約束する」ことが規定されている。しかし、これには法的に大きな問題点さえ含まれている。

まず第一に、利害関係人及び控訴人らに対しての「約束」規定には大きな問題点が孕まれている。「和解」の効力は利害関係人、当事者控訴人耿諄ら十一人と利害関係人、被控訴人鹿島建設株式会社との双方にしか及ばないため、上述の「約束」は潜在的にではあるが、十一人以外の花岡受難者に対する侵害行為を招くことになる。具体的には、ここでは控訴人十一人以外の花岡受難者の「補償等の請求」権の放棄を約束しており、利害関係人と控訴人ら十一人に将来発生可能な第三者による訴訟を阻止する法的責任を負わせることとなった 。このような規定は、他の九七五人の平等訴訟権を侵害することとなる。日本による侵略戦争の遺留問題であったものを被害者の中国人間の問題に矮小化することで、中国人同士の反目の温床を作り、真の問題が何かを見えにくくさせている。事実、「和解」の実現以降、それを受け入れた被害者・遺族と受け入れない被害者・遺族との間に早くも対立が起こっている。八月に北京で行なわれた「花岡受難者連議会」の幹事会では「和解」を拒否した孫力氏は、他の被害者から幹事を辞退するよう迫られている。

第二に、「一括封印」の問題。原告代理人やメディアからは画期的と評されているように 、今回の「和解」は被害者への「一括的解決」「全体解決となることを保証する条項」であることが強調されている。しかし、裏にはこの第五項があって、被害者たちによる鹿島に対する損害賠償請求の「一括封印」でもあった。利害関係人の責任に関する設定は、鹿島の責任を利害関係人及び控訴人らに転嫁することとなり、中国紅十字社を利害関係人に立て、江澤民国家主席がその名誉会長であることを強調し、政治力で鹿島に対する賠償請求を封じ込めようとした狙いがあると見てよい。原告代理人やメディアは、「一括解決」は加害企業鹿島にのみ有利だということに全く触れておらず、金額の問題だけを見ても、総額五億円が「最高金額」と評価されているものの、一人当たりでは約五〇万円――実際、九月末北京で行なわれた「和解」基金分配式で二十一人の被害者に一人当たり二五万円が渡された ――と、次節で見る他の「和解」と比べてもかなり低額であることにはなぜかほとんど言及されることもなく、欺瞞性を孕んでいることは看過できない。

以上の検討から、紛争当事者双方の最低要求にかかわる謝罪に関して合意がなされたと考えられる根拠は見いだせない。にもかかわらずなぜ「和解」が成立したのだろうか。それは、和解を渋る鹿島建設との交渉に業を煮やした原告代理人が形式に拘泥して責任を明確にすることなく五億円の「慰霊金」を受理して決着を急ぎ、責任の明確化、謝罪という本来の課題を封印してしまったことから生じたのではないだろうか。かりに鹿島との訴訟においては企業に道義的責任を取らせるまでにとどめて、次の政府による補償の実現への踏み台にしようという狙いがあったとしても、被害者の「尊厳」が軽んじられ続けてきた戦後補償運動史にとっては、本質的な前進ではなかった。

日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(三)

2002年01月04日「人民網日本語版」

三、今なお解決を見ない日本の戦後処理――近年に成立した四件の「和解」から

一九八〇年代後半以降、アジア諸国の民間被害者たちによって、日本に対する戦後補償訴訟が広く展開された。現在も、日本政府および日本企業を相手どり全国で約六十件もの戦後補償訴訟が起こされている。花岡訴訟「和解」は、解決を見たうちの四番目であり、和解の内容は、以下のような日本の戦後責任・戦後処理への対応の問題点が再生産されただけで、「画期的」といえる点は見当たらない。

@一九九七年九月二十一日韓国人強制連行訴訟:被告側新日鉄と自主交渉による和解 。

A一九九九年四月六日韓国人強制労働訴訟:被告側日本鋼管と和解 。

B二〇〇〇年七月十一日韓国人元女子挺身隊員強制労働訴訟:被告側不二越と和解 。

紙数の関係で詳述できないが、その問題点を以下のように指摘できる。

第一に、責任主体を明確にしないまま性格の曖昧な金銭によって強引に解決に持ち込もうとする点。

第二に、謝罪が行なわれない点。

第三に、日本側は和解を喧伝するも、被害者側は処理の仕方に大いに不満を残し、逆に次なる火種となりかねない解決の仕方。傷ついた心への二次的侵略。本来回復されるべき被害者の尊厳が逆にあらためて踏み躙られることになっている。

三点とも花岡「和解」にも当てはまる。しかも、解決金や事実認定の面では花岡「和解」は他の三つのケースとは比べられないほど後退していると指摘できる。

また、花岡「和解」の五億円の拠出金に関しては、ドイツの強制労働補償基金と比較されて評価されることがある 。しかし、二〇〇〇年十一月三十日『高知新聞』の社説が指摘しているように「基金はドイツに先例といっても、その内容はまるで違う。ドイツの基金は政府と企業グループが、不正に対する道義的責任を明確にした上で、共同で設立したものだ。しかもドイツは、侵略国の戦争被害者に対し、既に日本円換算で約六兆円の個人補償を、国家として行ってきているのである」。金額だけを比べると、問題の本質が見えなくなる危険性に注意が必要である。

日本側は花岡「和解」を戦後補償問題解決のモデル・ケースと喧伝している。しかし、以上見てきたとおり、むしろ戦後補償問題を後退させていく可能性さえ伏在していることに注意を喚起しておきたい。(終り)


元米軍人らの請求棄却 対日企業戦時賠償訴訟

2000.12.14 【サンフランシスコ13日=鳥海美朗】the Sankei Shimbun
サンフランシスコ地裁 民間人11件は留保

 第二次大戦中に日本軍の捕虜となった人々が強制労働の賠償を日本企業に求めた訴訟について、米サンフランシスコ連邦地裁のボーガン・ウォーカー判事は十三日、元米軍人らを原告とする五件を棄却する新たな決定を下した。これにより、対日賠償請求権の放棄を盛り込んだサンフランシスコ講和条約(一九五二年発効)の締約国である連合国の元軍人が訴えた計十七件はすべて棄却され、戦後補償は同条約で解決済みとしてきた日米両政府の立場を支える司法判断が確認された。

 しかし、同判事はフィリピンや中国、韓国の民間人が原告となった十一件については判断を留保し、約三十社にのぼる被告・日本企業にとっては楽観できない状況が続いている。

 新たな棄却決定が下されたのは、元米軍人と家族が原告となった四件と、英国、オランダの元軍人(現在米市民)らが原告の一件で、被告は三井グループや新日鉄、石原産業など。

 ウォーカー判事は今年九月二十一日、サンフランシスコ講和条約の十四条(連合国による対日賠償請求権の放棄)を論拠として、元軍人らが訴えた十二件を棄却したが、その時点で今回の五件は同判事のもとへの審理移行手続きが完了しておらず、正式決定が持ち越されていた。原告側は棄却決定を不服として先の十二件に続き、今回の五件も控訴する。

 十三日の審理では、第二次大戦中に日本占領下にあったフィリピンや海南島、さらに日本の内地の炭鉱や農園などに連行されたフィリピン、中国、韓国の民間人を原告とする十一件について、原告、被告双方が口頭弁論を展開した。

 被告・日本企業側は、フィリピンについては五六年にサンフランシスコ講和条約を批准した事実を指摘。さらに中国については七二年の日中共同声明で、韓国についても六五年の日韓請求権・経済協力協定によって賠償問題は解決済みとする日本政府の主張などを論拠に棄却を求めた。

 これに対し原告側は、「条約によって個人の賠償請求権が制約されることはない」「日韓、日中の共同声明や条約・協定は、賠償請求権放棄に言及していない」などと反論、訴訟の継続を求めた。ウォーカー判事は決定を出す次回審理の期日を指定しなかった。

 一連の対日本企ニ訴訟は、「ナチ・ドイツとその同盟国」の企業が行った強制労働の被害者は遺族や米国籍以外の者を含め損害賠償を請求できるとしたカリフォルニア州法(昨年七月成立)に基づき、州地裁に提訴され、計三十二件が係争中。訴えの内容が条約に深くかかわるため、大半が連邦地裁に移された。

日本軍の捕虜となった元兵士に補償金 英国政府が決定

2000.11.08(10:24)asahi.com
 英国政府は7日、第2次大戦中に日本軍の捕虜として強制労働など過酷な扱いを受けた英国人の元兵士らに、1人あたり1万ポンド(約160万円)の補償金を支給すると発表した。日本政府に謝罪と補償を求めてきた元捕虜の団体は決定を歓迎しながらも、「日本への謝罪要求は今後も続けていく」と話している。

 補償対象は元捕虜と、すでに死亡した元捕虜の配偶者の計1万6700人で、補償総額は1億6500万ポンド(約265億円)になる見通し。

 歴代の英政権は他の戦争参加者に同様の補償要求が広がるのを警戒して、この問題を先延ばしにしてきた。だが、ブレア首相は「(日本軍にとらわれた)元捕虜が置かれた苦難と特殊な状況を考慮すれば、特別な措置で報いるのがふさわしい」と述べた。元捕虜の高齢化が進んでいるのと、英国の対日感情悪化の要因にもなっていることから、補償を決断したとみられる。

 日本政府はサンフランシスコ講和条約に基づき元捕虜に1人76ポンドを払った。だが、これを不十分として元捕虜と民間人抑留者の2団体が日本政府に損害賠償を求めた裁判が東京高裁で係争中。原告の元捕虜団体代表アーサー・チザリントンさんは「補償は大変喜ばしいが、日本政府ではなく英国政府なのが残念だ。日本はせっかくの正義を示すチャンスを失ったのではないか。今後も、明確な言葉による謝罪と、賠償を求めていくことにかわりはない」と話している。

元米兵らの訴え13件却下/対日企業相手の戦後賠償請求/サンフランシスコ連邦地裁「講和条約で決着」

2000.09.22【ロサンゼルス支局=21日】The Sankei Shimbun
 第二次大戦中に旧日本軍の捕虜となった元米軍人らが強制労働の被害を訴え、日本企業を相手取って起こした一連の損害賠償請求訴訟について、米サンフランシスコ連邦地裁のボーガン・ウォーカー判事は二十一日、元米軍人らを原告とする計十三件を棄却する決定を下した。戦後補償はサンフランシスコ講和条約(一九五二年発効)で決着済みとする被告、さらに日米両政府の主張が受け入れられたといえる。なお係争中の・草l市民らを原告とする訴訟にも大きな影響を与えそうだ。

 棄却されたのは、元米軍人を原告とする十一件と英国など元連合軍軍人を原告とする二件で、大半が集団訴訟。決定の中でウォーカー判事は「サンフランシスコ講和条約は賠償請求権の放棄を定めているとの結論に達した」と述べた。しかし、決定は講和条約の締結国ではなかった国の市民の訴えを対象としないとしている。そのうえで同判事は、強制労働の被害の損害賠償を求めて中国、フィリピンなどの市民が提訴した他の十四件については連邦地裁に管轄権があるとし、次回の審問を今年十二月十三日に指定した。

 この決定について、元米軍人が原告となった計十件の訴訟代理人をつとめるデービッド・ケーシー弁護士らは「判事の決定は誤った判断に基づいており、同意できない」と述べ、判事が次回審問で棄却を再考しない場合は控訴する方針を明らかにした。

 一連の対日本企業訴訟は昨年七月に成立した「(第二次大戦中に)ナチ・ドイツとその同盟国やその占領地で事業を行った企業によって強制労働をさせられた人々(遺族や米国籍以外の者を含む)が損害賠償を請求できる期限を二〇一〇年まで延長する」とのカリフォルニア州法に基づき、三井、三菱など旧財閥系企業計約三十社を相手に同州各地の州地裁に提訴され、係争中のものは計三十一件。

 被告・日本企業側は訴えの内容が「連合国は日本およびその国民がとった行為に対する賠償請求権を放棄する」と規定したサンフランシスコ講和条約に深くかかわるとして連邦裁判所への移行を申し立てた。

戦後補償訴訟 日本企業に有利な展開も/相手の土俵避け棄却目指す

2000.09.12The Sankei Shimbun
 米国での対日賠償請求裁判が州地裁から連邦裁判所に移管される可能性が出てきたことについて、被告企業の一つは「問題は(対日賠償請求権を放棄するとした)サンフランシスコ講和条約にかかわることであり、連邦裁判所が管轄権をもつのは当然」と話している。一連の訴訟は、三井物産や三菱商事、新日鉄などが被告で、三井三池炭鉱などで労働を強制されたとする元捕虜らが訴えている。(浅井正智)

 昨年来の訴訟ラッシュはカリフォルニア州法に基づいており、州地裁で審理が行われた場合、被告はいわば、原告の土俵で争うことを余儀なくされる。連邦裁に移管されれば、訴訟は被告有利に展開する−とは言い切れないものの、被告側はこの訴訟で、技術的にはポイントをあげたことになる。

 被告側は裁判での勝利よりも、あくまで「事実審理に入らない段階で、訴訟が棄却されること」を目指している。戦時中の強制労働に関して有利な証人や物的証拠に乏しい企業側にすれば、事実関係を争うのは何としても回避したいからである。

 企業側は「日米両政府が話し合い、この訴訟が成り立たないことを宣言してほしい」と希望しているが、日本政府は「政府が被告になっているわけではない。両政府間で話し合うことはできない」として矢面に立つのを避けている。

 孤軍奮闘を余儀なくされている被告企業は、今後も「日本の賠償問題は講和条約で決着済み」との立場を繰り返し主張するなど、「考えられる限り、原則論をたてに棄却を求めていく」方針で、「必要ならば政府に裁判所の証言台に立ってもらうよう依頼することも検討する」としている。

 こうした主張が認められず事実審理に入ることになると、被告にとっては、裁判にどれだけ時間がかかるか、という点が切実な問題として浮かび上がってくる。米国で被告が負担する費用は莫大なものになるからだ。被告企業の中には「時間がかかればその分、訴訟費用がかさむ。和解金を払ってしまった方が安く解決できるということになれば、この二つを両てんびんにかけなければならないだろう」との意見も出始めている。

ナチス強制労働に補償 ドイツの財団が正式発足

2000.07.17(21:12)asahi.com
 ナチス統治下のドイツ企業で強制労働をさせられた人々を補償するため、ドイツ政府と経済界が計100億マルク(約5300億円)を拠出する財団「記憶・責任・未来」は17日、ベルリンで周辺国や被害者団体が設立に合意する関係文書に調印したことで、正式に発足した。当時、強制労働をさせられた約800万人のうち、現在生存している人は周辺国などに100万人以上といわれ、年内にも補償金を受け取ることができる。

 ドイツ政府はこれまでに、ナチスの迫害の被害者らに約1060億マルク(現在のレートで約5兆6000億円)の補償を払ってきたが、強制労働をさせられた人への補償は初めて。ドイツの新財団発足は、同様に戦時中の強制労働問題で補償要求をかかえる日本にも影響を与えそうだ。

 この日の調印式には、強制労働被害者が多いポーランド、チェコ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの政府関係者と被害者団体代表、それにユダヤ人団体の代表が出席した。ナチス統治下のドイツ企業は国策的色彩が強かったことなどから、ドイツ政府が財団への拠出に加わったため、集団補償請求訴訟が起きていた米国政府の代表も”保証人”の立場で出席した。

 財団法によると、収容所に入れられて強制労働に従事した人は1人最高1万5000マルク(約80万円)、それ以外の人は最高5000マルクの補償金を、財団から各国の友好団体を通じて受け取ることができる。

 ドイツ経済界が補償に応じたのは、被害者からの集団訴訟が相次いだためだ。この補償基金の発足により最終解決したいとの意識が強く、経済界が新たな補償要求についての法的保証を求めたため、この日、米独が政府間協定を結んだ。新財団についてはドイツの国内法が先週成立している。

 しかし、米独の政府間協定によっても将来の訴訟は100パーセント回避できないという。新たな補償請求訴訟を予告する有力弁護士もいる。このためか、ドイツ経済界が集めることになっている50億マルクもこれまでに約3分の2しか集まっていない。国内世論の批判を浴びており、財団の正式発足により経済界からの拠出が強く求められている。

 ドイツでは経済界だけでなく、国民全体の「道義的責務」を強調する有識者たちが、国民1人当たり20マルクの寄付を求め、強制労働の被害者に贈る運動も始まっている。

不二越訴訟で和解が成立 「戦後補償」では初 最高裁

2000.07.11(16:19)asahi.com

 太平洋戦争中の強制労働をめぐり、韓国人の元女子勤労挺身(ていしん)隊員らが雇用企業の工作機械メーカー不二越(本社・富山市)を相手に未払い賃金の支払いや計2000万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審の和解が11日午前、最高裁第1小法廷(町田顕裁判長)で成立した。企業側の責任や謝罪には触れず、不二越が「解決金」を支払うことで合意した。被害者には約1000万円が支払われる方向で当事者間の調整が進められている模様だ。雇用企業に賠償などを求めた「戦後補償訴訟」が最高裁で和解したのは初めて。戦争被害者の実態に目を向けて救済をはかろうとする姿勢を示したものといえ、各地の同種訴訟の行方に影響を与えそうだ。

 戦後補償訴訟では、民法の「時効」や「除斥期間」(不法行為から20年が経過すれば損害賠償請求権が消滅)の成立、「立法政策上の問題」などを理由に、請求を退けるケースがほとんどだ。しかし、下級審では「被害の深刻さを考えると、立法措置を取る必要がある」と付言する判決が相次いでおり、最高裁が和解を勧めた背景には、こうした下級審の司法判断の流れがあるとみられる。

 訴えていたのは、韓国在住の李鐘淑(イ・ジュンスク)さん(68)、崔福年(チェ・ボンニョン)さん(69)の女性2人と男性の高徳煥(コ・ドクファン)さん(77)。

 一、二審判決によると、3人は1943年から44年にかけ、不二越社員らから「お金も稼げるし、学校にも通わせてやる」と言われて来日。崔さんは2年間、李さんと高さんは約1年間、不二越の富山工場で働いた。しかし、学校に行かせてもらえず、賃金も支払われないまま、45年に帰国させられた。

 3人は92年9月、(1)働いた月数に当時の平均月給を乗じた計5200円余の支払い(2)強制連行は人道に反する不法行為だったなどとして計2000万円の損害賠償――などを求めて提訴。不二越側は「国の政策に従っただけ」として責任を否定していた。

 一審・富山地裁は96年7月、狭い部屋に詰め込まれたなど劣悪な環境だったことや賃金も未払いだったことを認定。賃金債権の時効について、日韓協定は個人の請求権を放棄していないと政府が見解を明らかにした91年8月が起算日になるとして、提訴1カ月前に成立していたと判断した。

 また、劣悪な環境で強制労働を命じられたという不法行為による損害賠償に関しても、「原告が帰国した45年から20年以上が過ぎており、除斥期間が過ぎて請求権は消滅していた」と述べて、請求を退けた。

 除斥期間の適用をめぐって、名古屋高裁金沢支部は98年12月、「工場での就労状況を考えても、除斥期間の効果を否定するような特別の事情は見あたらない」と述べて、原告側の控訴を棄却していた。

英国政府、元日本軍捕虜に補償検討 英紙報道

2000.07.02(20:23)asahi.com
 英日曜紙オブザーバーは2日、第二次大戦中に日本軍の捕虜として強制労働などの過酷な扱いを受けた英国人の元兵士らに対し、英国政府として補償金を支払う計画を進めていると報じた。

 同紙は首相官邸スタッフの話として、「多くが困窮状態に置かれている元捕虜たちの要求を退けることは、政治的な自殺行為に等しい」と伝えた。

 日本政府はサンフランシスコ講和条約に基づいて元捕虜に1人76ポンドを支払っており、補償問題は決着済みとの立場。英国政府もこれを支持してきた。

 しかし、補償が不十分だとして元捕虜団体が日本政府を相手取って訴訟を起こすなど、この問題が日英関係に微妙な影響を与えてきた。また、カナダ政府などがこのほど、日本軍の捕虜になった元兵士への補償を決めたことから、政権内部でも方針の見直しを求める声が強まっていた。

強制労働で中国人2人が日本企業を相手取り賠償求める

01:20a.m. JST May 25, 2000 asahi.com
 中国遼寧省からの報道などによると、第2次大戦中に日本企業に過酷な労働を強いられたとする中国人2人が、日本企業を相手取って損害賠償を求める集団訴訟を、米カリフォルニア州の裁判所に起こした。米国では今月、フィリピン人、韓国人の被害者が国外から日本企業を相手に集団訴訟を起こしているが、大陸に住む中国人の訴訟は初めて。

 多くの被害者を抱える中国からも訴えが出てきたことで、今後、米国を舞台に「強制労働に加担した」とされる日本企業の責任を問う動きがさらに活発化すると見られる。

 訴えたのは山東省と河北省の73歳と74歳の中国人男性。戦時中に日本軍によって強制的に日本の熊本県や秋田県に送られ、三菱、三井系列の企業で過酷な労働を強いられたとしている。当時、捕虜や強制連行された8200人の中国人が同様な目にあったとして、集団訴訟の形を取っている。

10州で賠償法案などの動き

2000年5月20日 15時56分【ワシントン共同】
 米兵元捕虜らでつくる抑留者の権利センター(CFIR)は19日、米元捕虜らが第二次大戦中に日本で受けた強制労働に対する賠償請求を認める法案や謝罪を求める決議案について、既に成立しているカリフォルニア州のほかに、米10州で提案されたり、提案の動きがあると明らかにした。

日本企業を10日以内に提訴

2000年5月1日 20時04分【マニラ・共同】
 第2次大戦中、日本企業に強制労働をさせられたとするフィリピンの戦争被害者らの代理人が1日、マニラで記者会見し今後10日以内に米カリフォルニア州で日本企業に損害賠償などを求める集団訴訟を起こす方針を明らかにした。代理人の米国人弁護士らによると、訴えの対象となるのは当時フィリピンで鉱山や綿花農場を経営していた日本の商社や,鉱業、製鉄会社など。

米カルフォルニアで対日観についてアンケート

10:50p.m. JST March 05, 2000
 日本は侵略者だったと思うが、戦争犯罪行為についての新たな補償は必要ない――。第2次大戦中の日本の行為や現在の対日観などについて、米カリフォルニア州の有権者1000人に聞いたところ、こんな傾向が浮かび上がった。クレアモント・マッケンナ大学のアルフレッド・バリツァー教授(政治学)が2月に調査した。

 調査では、まず日本の戦争犯罪行為について十分な謝罪がなく、補償がなお必要だと感じている人々がいると説明した上で、謝罪や補償が必要かどうかを尋ねると、29%が「必要だ」とし、60%が「必要ない」と答えた。当時、日本企業によって過酷な労働を課せられたとする米兵捕虜経験者への補償については、「必要」は35%で、51%は「必要ない」と答えた。

 広島、長崎への原爆投下については90%が知っていたが、南京虐殺事件は55%が知らなかった。日本は戦争の犠牲者でなく侵略者と見る人が83%に達した。

 さらに、日本の再軍備の是非については、米国と密接に連携した限定的な武力を「持つべきだ」という答えが55%、「再軍備をすべきだ」は24%だった。

 カリフォルニア州では、戦時中の強制労働の犠牲者救済をめざす州法条項が昨年7月に制定され、日本企業の責任を問う訴訟が相次いで起こされている。

米国で三井物産など相手取り集団訴訟=第2次大戦中の「強制労働」で

00年2月23日 18時24分[サンタアナ(米カリフォルニア州) 22日 ロイター]
 
 第二次大戦中に捕虜らが強制労働させられたとして、三井物産と三菱商事を相手取り、損害賠償を求める集団訴訟が、米カリフォルニア州の裁判所で起こされた。

 オレンジ郡の裁判所に提訴したのは、ワシントンの法律事務所で、捕虜や民間人らが拷問や非人道的な扱いを受けたとして、両社に数十億ドルの賠償を請求している。

 同法律事務所は、この集団訴訟で、原告の資格のある元捕虜は現在でも、30万〜40万人生存している、としている。

 両社のスポークスマンは、まだ訴状を見ていないとして、コメントを控えている。

元捕虜の米国人が来日

1999年12月6日 19時12分 共同通信社
 戦時中の強制労働をめぐり三井鉱山などに損害賠償を求める訴訟を米国で起こした元大学教授レスター・テニーさん(79)が6日午後、関西空港に着いた。強制労働をさせられた福岡県大牟田市の三井三池炭鉱跡地を7、8日に訪れ、10日からは東京都内で開かれる市民集会に参加する予定。

日本政府の責任求める声も

1999年11月22日 16時41分【ロサンゼルス共同】
 第2次世界大戦中の強制労働などをめぐる戦後補償を考えるシンポジウムが21日、米ロサンゼルス郊外で開かれ、参加者からは日本政府の責任を追及する声も出された。

 シンポジウムには、強制労働で日本企業に損害賠償を求める訴訟を起こした元米軍兵士レスター・テニーさんや、市民活動家、政治家、弁護士ら約100人が参加した。

全米で賠償提訴可能に

1999年11月9日 16時18分【ワシントン共同】
 第2次世界大戦中にドイツや「同盟国」の支配地域で、強制労働や生体実験などの対象となったすべての国籍の人々や遺族が、米国の裁判所で企業などを対象に損害賠償請求訴訟を起こせるという法案が米上院に提案されたことが9日、分かった。

日本に戦争犯罪の謝罪要求

1999年10月30日 10時06分【ワシントン共同】
 旧日本軍の戦争犯罪について日本政府の「明確であいまいさのない、正式な」謝罪を要求し、細菌兵器研究で知られる731部隊の資料の公開を,米政府に求める超党派の決議案が、29日までに米下院本会議に提出された。決議案はローラバッカー(共和党)、リピンスキ(民主党)両議員が提案した。日本の戦争犯罪を非難する決議が提案されるのは1997年以来2回目。

強制労働で損害賠償求める

1999年10月23日 15時43分【ロサンゼルス共同通信社】
 第2次大戦中、旧石川島造船所(現石川島播磨重工業)と旧浦賀造船所(現住友重機械工業)で強制労働をさせられたとして、米カリフォルニア州に住む韓国籍の男性キム・ソクユンさん(79)が22日、当時支払われなかった賃金と非人道的な待遇に対する損害賠償の支払いを求める訴訟を、サンフランシスコの州地裁に起こした。

強制労働で日本企業を提訴

1999年10月8日 18時27分 【ロサンゼルス共同通信社】
 第二次大戦中に、朝鮮半島で強制労働をさせられたとして、米カリフォルニア州に住む、韓国系米国人のジェウォン・チョンさん(77)が8日までに、旧小野田セメント(現太平洋セメント)などに対し、当時の賃金の支払いと、暴行などによる被害について損害賠償を求める訴訟をロサンゼルス郡の州地裁に起こした。

戦後補償請求に応じない

1999年9月27日 17時10分 共同通信社
 柳井俊二新駐米大使は27日、来月の赴任を前に都内の日本記者クラブで講演し、最近米国で第二次大戦中の旧日本軍による戦争犯罪に対し、補償を求める動きなどが活発化している問題について「(補償請求は)受け入れられない」と強調した。

日本の戦犯記録の調査開始

1999年9月21日 18時11分【ワシントン共同通信社】
 第2次大戦中に日本軍の捕虜となった元米兵らが強制労働の賠償を日本企業などに求めている問題に関連して、ファインシュタイン米上院議員は21日までに、日本の戦争中の残虐行為に関する米政府所有の記録の調査を開始した。米議会を舞台に日本の戦争責任を追及する動きが広がりを見せ、米政府が所有する資料から新事実が発覚する可能性も出ている。

強制労働訴訟:大戦中の元米軍捕虜が日本企業に損害賠償求める

9月15日 17:41 by MAINICHI Interactive
  第二次世界大戦中、旧日本軍の捕虜として日本の鉱山や工場などで強制労働させられたとして、元米軍捕虜11人が13日、三井物産など日本企業5社を相手取り、ニューメキシコ州アルバカーキの連邦地裁に損害賠償を求め集団訴訟を起こした。日本企業を相手取った第二次大戦中の強制労働をめぐる訴訟の動きが拡大しそうだ。

米の元捕虜3人が三菱系企業に賠償請求

08:48a.m. JST September 15, 1999
 第二次大戦中に旧日本軍の捕虜となり、日本の銅山で強制労働に従事させられた米カリフォルニア州サンノゼ在住のジョージ・コッブさん(79)ら元米軍兵士3人が14日、三菱商事と三菱マテリアル、両社の米現地法人を相手取り、精神的、肉体的被害を被ったとして未払い賃金の支払いや懲罰的損害賠償などを求める訴訟を同州サンタアナの上級裁判所に起こした。

 戦時中の捕虜の強制労働をめぐり、日本企業を相手取った訴訟は、カリフォルニア州やワシントン州で数件起こされているほか、ニューメキシコ州では元捕虜ら約500人を代表する原告11人が集団訴訟を起こしており、同様の動きが今後相次ぐことが予想される。

 訴えによると、コッブさんら3人は戦時中にフィリピンで日本軍に捕らえられて日本に連行され、三菱系の銅山で過酷な条件の下、労働に従事させられた上、暴力や拷問を受け、栄養失調による病気を患ったという。コッブさんらはこうした強制労働によって、三菱系企業は不当に利益を得たと主張している。(時事)

日本企業5社を損賠提訴

1999年9月14日 15時37分 【ニューヨーク共同通信社】
 第2次世界大戦中に捕虜になるなどして日本で強制労働させられた元米兵らが日本企業5社を相手取り、労働の対価や拷問被害の補償など損害賠償を求める代表訴訟を14日、米国で起こす。

 関係者によると、実際の原告は11人だが、裁判の結果で賠償を受けると想定される当事者は約500人に上る見通し。

元米兵、「戦中の強制労働」で日本車両製造を訴え

2:03p.m. JST August 17, 1999
 第2次大戦中に日本軍の捕虜となり日本国内で不当な労働を強いられた上、暴行を受けたとして、米ネバダ州在住の元米軍兵士らが、日本車両製造(本社・名古屋市)と米国内の子会社を相手取って損害賠償などを求める集団訴訟をロサンゼルスの州裁に起こしていることが、16日わかった。日本軍捕虜の強制労働をめぐる同様の訴えは、今月11日に、カリフォルニア州在住の元米兵が、過酷な炭鉱労働を強いられたなどとして三井鉱山や三井物産などを相手取って起こしている。

 いずれの訴訟も、カリフォルニア州で7月に成立した民事訴訟法の追加法規をよりどころにしている。それによると、戦時中の強制労働の犠牲者は、それによって利益を得た企業に賠償請求を州裁に起こすことができるなどとされる。

 こうした流れを背景に、有力紙ロサンゼルス・タイムズは1面で、日本による「戦争犯罪」の補償問題について、新たな注目が集まっていることを報じた。

 日本車両製造を相手取った提訴は、今月6日にあった。原告代表のラルフ・レベンバーグさん(78)によると、フィリピン戦線にいた1942年に日本軍の捕虜になった。44年に名古屋近郊の収容所に移送された。日本車両製造の作業現場に通わされ、同社の管理下で無報酬で労働を強いられた。さらに、監視員による暴行を受け、背中に後遺症が残るけがを負ったとしている。賠償のほか州内での業務差し止めも求めている。提訴は、作業に加わった元米兵の集団訴訟と位置づけているが、訴状では原告数を特定していない。

 日本車両製造側は、「訴状を見ていないので、今後の対応についてはコメントできない」としている。

連行、被爆責任問い提訴へ

1999年08月10日 共同通信社
第2次大戦中に中国から新潟に強制連行された後、「対日破壊工作」を理由に広島刑務所に収監され、被爆した中国湖南省在住の張文彬さん(78)が、国などに強制連行と被爆についての損害賠償、えん罪の名誉回復などを求める訴訟を31日に新潟地裁に起こすことが10日、分かった。
弁護団によると、強制連行され被爆した中国人が、被爆の責任を国に問うのは初めて。

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