TOPIC No.2-31e 「南京」事件/日中歴史認識の差異

01.Video results for '南京大虐殺' byYouTube
02.南京事件 byたかじん YouTube
03.南京事件 byたかじん YouTube
04.「 存在しなかった『南京大虐殺』を材料に いまだ日本非難を続ける中国の戦略 」(2006年12月23日) 櫻井よしこ
05.C.イーストウッドが南京大虐殺を映画化?〜悪質なデマの陰にちらつく反日謀略組織〜 (古森 義久 氏/国際問題評論家)
06.日中歴史共同研究について 麻生外務大臣(2006年11月16日 ハノイにて) 外務省
07.・日中共同歴史研究が今週から開始 〜日本は何を目標とすべきか〜(2006年12月25日) アジアの真実
08.南京大虐殺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
09.「南京大虐殺」はなかった 南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る― 謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
10.南京大虐殺は嘘だ! by電脳・日本の歴史研究会
11.南京大虐殺は嘘だ!
12.死んでいった兵士たちの死を無駄にするな −南京大虐殺問題−by Ucky's Homepage
13.本多勝一「南京大虐殺」の大嘘
14.南京大虐殺の虚構
15.WWW Memorial Hall of the Victims in the Nanjing Massacre(中国)
16.ウソをついているのは誰か by『人民日報』評論員 from中国へようこそbyJiang Bo
17.日中和解への道byインターネット・グローバル・カレッジ
18.元戦犯の記念館、埼玉・川越にオープン 供述書など所蔵(2006/11/08) IZA
19.南京事件 小さな資料集 by yu's page
20.「南京事件」を含む注目エントリー by Hatena

「南京の真実」完成披露記者会見 保守系政治家が集結

2008.01.25 MSN産経新聞

 昭和12年の南京攻略戦や極東国際軍事裁判(東京裁判)の実相を検証する映画「南京の真実」の第1部「七人の『死刑囚』」の完成披露記者会見が25日、東京都内で開かれ、自民、民主両党などの保守系衆院議員8人が出席した。それぞれが異口同音に、中国の宣伝工作に負けずに子供たちに正しい歴史を伝える重要性を強調した。

 昨年から今年にかけ、中国や米国では約10本の南京事件をテーマとした映画が製作され、日本軍の残虐行為や被害者数を誇大に描いている。

 「われわれが政治家として受けて立たないといけない課題だ。仕掛けられている思想戦に勝たないといけない」

 無所属の西村真悟氏がこう指摘すると、民主党の渡辺周氏は「歴史の捏造(ねつぞう)は、中国にとって何の罪の意識もない」、松原仁氏は「まだ中国の手が回っていないところで、いかにして防護さくをつくるかが重要だ」と呼応した。

 一方、自民党の赤池誠章氏は「一番の問題は日本の中に(外国勢力の)協力者がいることだ」と述べ、稲田朋美氏も「日本ほど自国の名誉に無関心な政治家の多い国はない」と語った。また、元文部科学相の中山成彬氏は「日本の子供たちにとって残念なのは、本当の歴史を(偏向した)教科書からは学べないことだ」と現在の教科書のあり方を批判した。

南京事件70周年、反日作品目白押し

2007.12.04 MSN産経新聞

 【ワシントン=山本秀也】日中戦争中の南京事件(1937年12月)から70周年を13日に控え、北米の華僑界では事件を糾弾する映像作品などの発表が相次いでいる。日中関係をにらんで中国国内の動きが比較的抑制される半面、海外での動きが突出したかたちだ。とりわけ、今年1月に発表された米ドキュメンタリー映画「南京」が、次期アカデミー賞の有力作品に挙げられ、影響を広げる気配だ。

 「南京」や後続の作品は、ほぼいずれも在米の中国系女性作家、故アイリス・チャン氏の著書「レイプ・オブ・南京」を題材に取り込んでいる。おびただしい史料の誤読など、同書の欠陥は海外の大衆レベルでは度外視され、30万人の虐殺や8万人の婦女暴行という極端な数字だけが、映像作品を介し“真実”として再生産されつつある。

 カナダで新たに制作された映像作品は、「アイリス・チャン レイプ・オブ・南京」という直截(ちよくせつ)なタイトルだ。華人女優オリビア・チェンの扮(ふん)するチャン氏が、南京などで取材し、問題の同書を執筆する過程をドキュメンタリー仕立てで描いている。

 制作を進めたのは、カナダ下院での慰安婦決議支援など、対日批判活動を続ける華僑組織「トロントALPHA」。制作は昨年末、チャン氏の遺族の協力で始まり、この10月に完成した。カナダではこのほか、同じく日本の歴史責任を追及する組織「抗日戦争史実維護会」による舞台劇「南京1937」も、バンクーバーで近く上演される。

 こうした新作に対し、公開から1年近くかけて注目度を高めたのが、米インターネット大手AOL副会長(当時)、テッド・レオンシス氏による「南京」だ。

 米映画芸術科学アカデミーはこのほど、来年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門のノミネート候補15作品に、マイケル・ムーア監督の「シッコ」などとともに「南京」を取り上げた。

 このうち5作品が来月22日に正式ノミネートされるが、事件70周年にあわせて今月からワシントンなどで劇場上映されるタイミングが、「南京」に有利に働く可能性も出ている。

「南京虐殺」本で名誉棄損 400万賠償命じる

2007年11月02日 中国新聞ニュース

 旧日本軍による南京大虐殺の被害者を装い虚偽の証言をしているかのように本で書かれ、名誉を傷つけられたとして、中国人の夏淑琴さん(78)が、著者の東中野修道亜細亜大教授と発行した「展転社」(東京)に計1500万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は2日、計400万円の賠償を命じた。

 三代川三千代裁判長は「本の記述は、原告が生存被害者ではないのに被害者と偽っていると強く印象づける内容。資料の解釈は妥当ではなく、学問研究の成果にも値しない。真実や真実と信ずべき相当な理由は認められない」と判断した。

 東中野教授は「非常に心外。控訴する方針」と話している。

 問題の書籍は1998年発行の「『南京虐殺』の徹底検証」。国内で約1万3000部出版され、英語版や中国語版も出た。

 判決によると、夏さんは、米人牧師が記録した南京大虐殺の資料に出てくる家族を殺された8歳の少女は自分として、被害体験を語ることで知られていたが、東中野教授は「少女は夏さんとは別人」などと記述した。

「中国、南京大虐殺を描く映画『南京!南京!』の制作を許可」

2007/03/30 NEWSIS/朝鮮日報JNS

 中国政府が「南京大虐殺70周年」を迎え、この事件を素材とした映画『南京!南京!』の制作を許可した、と時事通信が29日報じた。

 南京大虐殺を素材とした映画は以前にも企画されていたが、中国政府の許可が得られたのは今回が初めて。

 映画『南京!南京!』の準備を進める陸川(ルー・チュアン)監督は、南京の「人民解放軍国際教育院」出身。陸川監督は2年間にわたり直接収集した南京大虐殺の記録を元に映画を制作する予定だという。

 陸川監督は「映画を通じ、日中両国間の摩擦を引き起こそうというのではなく、事件の真実をはっきりさせたいだけ」と話した。

 映画は今年4月から制作が始まり、年末までに完成する予定。この映画の撮影のため、中国・吉林省に1930年代の南京を再現するセットを造る。

 陸川監督は1970年生まれの若手監督。代表作には『可可西里(ココシリ)マウンテンパトロール』(2004年)、『消えた銃』(2003年)などがある。

【コラム・断】“南京の真実”は政府の手で

2007/03/10 The Sankei Shimbun Web site

 アメリカの議会でマイク・ホンダなる下院議員が旧日本軍の従軍慰安婦問題を取りあげ、日本に謝罪を求める決議を出している。またドキュメンタリー映画「南京」が米国などで公開される。南京陥落70周年ということで、同じような映画が中国やカナダでも続々と作られ、世界中で上映されるという。

 慰安婦問題は、平成5年の河野談話が「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」として謝罪したが、談話の根拠は元慰安婦女性からの聞き取り調査だけで、証言の裏付けはないというから呆れた話である。タイミングの問題はあるが、政府として再調査をやるのは当然だろう。

 「南京」の映画に至っては、あきらかな反日キャンペーンであり、これは一種の情報戦である。南京事件については国内外ですでにさまざまな議論がなされてきたが、「日本軍の残虐非道な殺戮(さつりく)による犠牲者は20万人以上」という東京裁判での数や、南京の記念館では30万人という数が掲げられている。

 記念館は1985年に建てられているが、虐殺された死体を埋葬したという南京江東門の遺跡の上にある。しかし、実際に行けばわかるが、展示などで不自然な誇張された部分が目立つ。

 安倍政権が戦後体制の克服をいうのであれば、南京事件に関して、政府として具体的に調査し、歴史の事実を世界に向けて明確にすべきだろう。日本でも「南京の真実」という南京攻略戦を検証した映画の製作が予定されているが、民間レベルだけでなく、日本政府が主体的に歴史的検証をなす必要がある。そうでなければ「主張する外交」など空語ではないか。(文芸評論家・富岡幸一郎)

「30万人虐殺」根拠ない 米出版社が論破本 南京事件

2007/03/10 The Sankei Shimbun Web site

 【ワシントン=古森義久】南京事件に関して中国当局の「30万人虐殺」などという主張に根拠がないことを実証的に報告した英文の書が米国の権威ある学術書出版社からこの2月に刊行された。南京事件についての日本側のこうした見解が米国側で単行本として出版される前例はなく、米側の南京事件の研究や議論にも重要な一石を投じることが期待される。

 同書は立命館大学文学部教授で中国近現代史を専門とする北村稔氏による「南京の政治学=偏らない調査」。米国の「ユニバーシティー・プレス・オブ・アメリカ」(UPA)社から出版された。日本ではすでに中国史研究で広く知られる北村氏は南京事件について国民党などの新たな資料多数を基に「『南京事件』の探究」(文春新書)を2001年に出版したが、今回の米国での出版は同新書を一部、書き直し、加筆して日本在住の長い米国人歴史研究者のハル・ゴールド氏が英訳した。

 英語版の内容は南京や台湾で発掘した1次史料を基礎に、日本軍による中国軍捕虜のかなりの規模の処刑があったことを認めながらも、「日本軍が計画的に中国民間人など30万人以上を大量虐殺したという中国側の主張には根拠がない」として、中国の主張を論破する趣旨となっている。

 南京事件について日本人による著作が米国の出版社で刊行された例としては元朝日新聞記者の本多勝一氏の書の英訳があるだけで、他の日本人の英語の書はみな日本の組織による出版や米国側での事実上の自費出版だという。本多氏の書は中国当局の主張と共通部分が多く、その中国の主張を否定した米側での日本人の書の一般出版は北村氏が初めてだとされる。

 北村教授の英語の書は日本側の主張の数少ない英文資料として議論の正常化に寄与することが期待されている。

映画「南京」 年内に北米で公開も シンクフィルム配給

2007/03/10 The Sankei Shimbun Web site

 【ワシントン=山本秀也】1937年(昭和12年)の南京事件を描いた米ドキュメンタリー映画「南京」について、ニューヨークに拠点を置く映画配給会社シンクフィルムは9日、北米地域での配給権を獲得したことを明らかにした。事件70周年にあたる今年12月をメドに公開を図りたいとしている。

 中国系女性作家アイリス・チャン氏(故人)の著書「レイプ・オブ・南京」の視点で制作された作品は、今年1月にサンダンス映画祭に出展されていた。同社劇場部門の代表、マーク・アーマン氏は、作品を「ショッキングな歴史的な事件をよく再現している」と高く評価し、公開実現に意欲をみせている。

 私財を投じて作品制作にあたったアメリカ・オンライン(AOL)のテッド・レオンシス副会長によると、「南京」については中国国内での放映権を中国中央テレビ(CCTV)が持つほか、他の国外配給権はオランダに本社をもつフォルティシモ・フィルムが先に獲得していた。

 ドキュメンタリー作品は、独立系施設での上映を通じて一定の観客を動員することは可能とみられるものの、ハリウッド映画のように大規模な劇場上映となる可能性は薄い。

民主、慰安婦問題・南京事件検証する会を発足

2007/03/09 The Sankei Shimbun WEB-site

 民主党の有志議員らが9日、「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」(会長、渡辺周衆院議員)を発足させ、国会内で初会合を開いた。

 同会は、慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話について、明らかになっている物証や証言などを改めて検証したうえで、「公権力による強制連行の事実はなかった」との認識を盛り込んだ新たな見解を発表するよう政府に働きかけていく方針だ。

 呼びかけ人は次の通り。(敬称略)

 石関貴史、市村浩一郎、大江康弘、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、芝博一、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松下新平、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周。

相次ぐ映画制作… 超党派「南京事件の勉強会」発足

2007/02/24 The Sankei Shimbun WEB-site

 1937年の南京事件から丸70年となる今年、事件を題材にした映画が海外で多数制作されることに危機感をもつ自民、民主両党の若手国会議員が、超党派の勉強会「南京事件の真実を検証する会」を結成した。史実に基づかない資料や、間違った認識に立つ表現に対し「国会議員が率先して反論することが重要だ」(自民党議員)との認識からで、26日から活動を開始する。将来的には、勉強会から議員連盟に発展させることも視野に入れている。

 勉強会には、自民党の戸井田とおる衆院議員や民主党の松原仁衆院議員ら、当選1〜4期の衆参両院議員18人が名を連ねている。26日から3月上旬までに計3回、南京事件に詳しい東中野修道亜細亜大教授、藤岡信勝拓殖大教授らを講師に、「南京大虐殺」の証拠とされる写真や文書の信憑(しんぴょう)性を検証する。4月に中国の温家宝首相が来日するのを前に、日本側の「理論武装」と結束を図る狙いもある。

 南京事件関連の映画は、米国や中国などで計10作程度の制作が進められている。中国系米国人、故アイリス・チャン氏の著書「レイプ・オブ・南京」が下敷きになったものが多いが、同書は多数のニセ写真や事実誤認が指摘されている。

 勉強会の結成は、中国で抗日記念館の新設・拡充が急ピッチで進められていることも要因だ。2008年の北京五輪では、外国人観光客に中国側の一方的な歴史認識が流布される恐れがあると指摘されている。

 南京映画の製作ラッシュなど一連の動きについて、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬元文部科学相は、「中国による反日プロパガンダ(宣伝)だ」と指摘。今月9日から議連に南京問題小委員会を設置して事件の検証を始めたが、同様の危機意識は民主党の若手の一部にも共有されており、今回の勉強会へとつながった。

 7月には参院選が控えているが、ある民主党議員は「歴史、国益にかかわることに党派は関係ない」と話す。勉強会への参加呼びかけの対象からは共産、社民両党だけでなく公明党の議員も外された。「彼らとは中国、韓国に関して認識が共有できないことは分かっている」(民主党関係者)としており、将来の政界再編をにらんだ動きとの見方もある。

              ◇

 ≪今年から来年にかけ上映予定の南京事件関連の映画≫

 タイトル       制作国

 「南京」      米国

 「南京浩劫」    米中合作

 「南京!南京!」  中国

 「日記」(仮題)  中国

 「黄石の子供たち」 米国

  題名未定     中国

  題名未定     米国

 「南京の真実」   日本

「南京!南京!」中国人のホンネの映画が観たい

2007/02/24 The Sankei Shimbun WEB-site

 注目している中国人映画監督のひとり、陸川監督(36)が、旧日本軍による南京事件をテーマにした映画「南京!南京!」を制作するというので昨年暮れに、その制作室を訪れた。

 中国で「南京大虐殺」と呼ばれる1937年の事件から70年目の今年、北米や中国・香港で南京事件をテーマにした映画制作準備の話はいろいろ聞こえている。米ドキュメンタリー映画「南京」はすでにサンダンス映画祭(米・ソルトレークシティー)で公開された。だが、生粋の中国人監督、しかもデビュー2作目の「ココシリ・マウンテン・パトロール」では、東京国際映画祭の審査委員特別賞を受賞したという実力の持ち主。これは“さぐり”を入れずにはおれない。

 制作室は北京市内の日本人居住者が多いマンション付属の体育館内にあった。中は当時の南京城市セットの模型、絵コンテ、衣装、小道具などが所狭しと並び熱気にあふれる。長身痩躯の若き監督は「日本人の礼儀正しさ、親切さをスタッフに肌で感じてほしくて、日本人の多いここに制作室をつくったんだ」。日中関係の歴史的しこりの象徴でもある同事件の映画を撮ろう、というくらいだから、愛国主義的反日家かと思いきや、日本・日本人好きをアピールされて驚いた。

 南京事件に対する歴史認識はもちろん日本人とは違う。死者数は映画中では触れないとしながらも30万人説を信じていたし、「日本人の若い人は歴史を知らない」「僕の映画によって、日中間の南京事件論争に終止符を打ちたい」と無邪気に語る。

 一方「食糧が底をついた旧日本軍は、大量の捕虜を“処理”するか、捕虜を解放して敵の戦力を回復させるか、選択を迫られた」「便衣兵(民間人の服を着た兵士)を探し出す過程で民間人が被害にあった」などと指摘するのは、普通の中国人とずいぶん違う。

 「人間性を失わせる戦争の極限状態を描きたいんだ…」。ホンモノの戦争映画をとるのだ、と真剣に訴えていた。

 それから2カ月。中国当局はこの映画の撮影許可をまだ出していない。レイプシーンが問題だとか、温家宝首相訪中をひかえるなか、日中関係への外交配慮があるとか、日本寄りの内容が国内の反日分子の反感を呼ぶのを恐れている、といった理由がささやかれている。

 日本人にとって南京映画制作話は、嫌な気分にさせるものだ。歴史事実があやふやなまま「日本人の残虐行為」ばかりを宣伝する中国式プロパガンダが、さも歴史の真実のように表現されて世界中に流布したら、日中関係にとってもマイナスだろう。

 だが、米国や中国が南京事件映画制作に取りかかったというニュースが、日本人による初の南京事件映画「南京の真実(仮題)」(水島総監督)をつくろうという動きにもつながった。嫌なものでも、創作は新たな創作への刺激や呼び水になるものなのだ。陸監督の作品は少なくとも「かわいそうな中国人を救ってやったという内容の米国の南京事件映画」(監督談)より観るべきものに仕上がったかもしれない。

 彼の映画が中国当局の表現統制で挫折するかもしれない、とのうわさが広がる中で、むしろ中国人監督によるホンネの南京事件映画が確かに観たい、という気持ちが募っている。(中国総局・福島香織)

正論新風賞に古田氏 日本的楽観論に警鐘 「文明の防波堤つくる」

2007/02/22 The Sankei Shimbun WEB-site

 21日に東京都内の赤坂プリンスホテルで開かれた第22回「正論大賞」と第7回「正論新風賞」の贈呈式。大賞を受賞した佐々淳行氏(76)は危機管理の人材育成の必要性を訴え、新風賞の古田博司氏(53)は「日本文明の精神的な防波堤をつくるのが私の仕事だ」と話し、聴衆約350人を魅了した。

 危機管理、安全保障のエキスパートとして知られる佐々氏は受賞のあいさつで、「この会場は、45年前の結婚式の披露宴会場でした」とユーモアたっぷりに打ち明け、会場を沸かせた。また、首都大学東京で総合危機管理市民講座を昨年始めたことを紹介。「危機管理士という国家資格を作って、将来の孫の時代を守る人材を育てる」と熱く語った。

 一方、古田氏は東アジア政治思想に造詣が深く、「話し合えば分かる」式の日本的な楽観論に釘をさしてきた。この日は「日本文明と中華文明の違いを書いていかなければならない。中国との経済的付き合いは深いが政治上のトラブルは増えている。防波堤を作る必要がある」と話した。

 会場には、佐々氏と親交がある石原慎太郎都知事や伊藤哲朗警視総監も姿を見せた。昨年の正論大賞受賞者の藤岡信勝氏(63)は浅間山荘事件を指揮した佐々氏に対し、「佐々氏がいなければ日本はどんなに住みにくい社会になっていたか」、古田氏には「今年は東アジアは激動の年。南京(事件)に関する映画が10本作られる背景を教えていただきたい」とエールを送った。

なぜ?米名門大にアイリス・チャン像 中国対外宣伝組織が寄贈

2007/02/20 The Sankei Shimbun WEB-site

 【ワシントン=山本秀也】1937年(昭和12年)の南京事件を描き、多くの資料誤用が指摘された「レイプ・オブ・南京」の著者アイリス・チャン氏(故人)の胸像が、米カリフォルニア州の名門スタンフォード大学に寄贈された。贈ったのは人権、歴史問題で対外宣伝工作にあたる中国の組織「中国人権発展基金会」。「30万人の大虐殺」を掲げた南京の事件記念館に置かれているチャン氏像とまったく同じもので、寄贈の意図をうかがわせている。

 大学関係者らによると、胸像(台座を含む高さ2メートル)の寄贈式は今月1日、学内のフーバー研究所で双方の代表やチャン氏の遺族、駐サンフランシスコ中国総領事館員が出席して行われた。寄贈後、像は研究所の閲覧室に展示された。

 フーバー研究所は口述記録など政治・歴史資料の収集で知られる。チャン氏の遺稿類も寄せられており、式典でリチャード・ソーサ副所長は「像と遺稿を長くとどめることは研究所の栄誉だ」とあいさつした。

 ただ、寄贈の経緯についてソーサ氏は「自分が関与した段階では、すでに受託に合意していた」と説明を避けた。

 胸像は中国人作家、王洪志氏の作品。王氏は2005年に「南京大虐殺記念館」に建てられたチャン氏の立像も制作しており、太平洋を隔てた2つのチャン氏像はおそろいのものだ。

 チャン氏像の制作を依頼し、南京の記念館とスタンフォード大に寄贈したのはいずれも中国人権発展基金会。1994年に設立登記された中国の「民間団体」とされる。中国の人権問題で国外の批判に反論し、中国政府の取り組みを宣伝している。姉妹組織の中国人権研究会とともに中国共産党の対外宣伝部門と連携した活動や人事異動も確認されており、同部門の外郭組織とみられている。このほか基金会は、南京事件に関する中国側の宣伝活動に加わった元日本兵、東史郎氏への支援など対日歴史問題にも関与していた。

 対外宣伝関係の古参幹部で基金会の常務副会長を務める楊正泉氏は05年9月付の文書で、チャン氏像を南京の記念館とスタンフォード大に寄贈する決定(04年12月)を明らかにしていた。

 この文書の中で楊氏は「レイプ・オブ・南京」が米国でベストセラーになった宣伝効果を絶賛した。過去の対日歴史批判が「欧米など第三国への宣伝を重視しなかった」ことで「日本政府に国際的な圧力を感じさせられなかった」と反省している。こうした文言から、チャン氏像の寄贈が、米国を巻き込んだ対日批判活動の象徴であることが浮かび上がっている。

南京大虐殺の検証スタート 映画制作にらみ自民有志

2007年02月09日中国新聞ニュース

 自民党有志議員による議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は9日、日中戦争中の1937年12月から翌38年2月にかけて、旧日本軍が起こしたとされる「南京大虐殺」の史実を検証する小委員会(戸井田委員長)の初会合を党本部で開いた。4月中にも検証結果をまとめて公表する方針だ。

 今年12月で旧日本軍の南京占領から満70年になるため、各国で南京大虐殺を題材にした映画制作が進んでおり、「日本が認めていない内容が世界に広まる恐れがある」との立場から、検証結果に基づき反論していくのが狙いだ。有識者からのヒアリングや史料の収集、分析を進めるとともに、民主党の有志議員らと超党派の議連を結成することも検討するという。

 同議員の会は、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認め謝罪した「河野洋平官房長官談話」(1993年)の見直し提言に向けた議論を加速し、月内にも安倍首相に提言する方針も確認した。

中国研究者、南京事件で講演「30〜40万虐殺」に懐疑的

2007/02/01 Iza

 1937年末の南京事件を研究している中国人研究者2人が30日、都内で講演し、「現在の資料によって、南京事件で日本軍によって殺害された中国人の数を確定することはできない」と強調し、中国などで流布している30万から40万人の虐殺説に疑問を呈した。両氏は、これらの過大な数字は中国内での反日感情の高まりなどに伴う「政治的な問題に影響されたものだ」などと指摘した。

 中国側から、こうした見解が公にされるのは異例。昨年末に始まった日中歴史共同研究の中国側座長である歩平・中国社会科学院近代史研究所所長も同じ立場をとっているといわれ、数字で争って、対日関係を悪化させてはならないとの中国側の空気を反映したものとみることもできる。

 2人は、南京事件の研究に詳しい張連紅・南京師範大学教授(南京大虐殺研究センター主任)と程兆奇・上海社会科学院歴史研究所研究員で、東京財団の招きで来日した。

 張氏は講演で、南京事件の本格的な研究が始まったのは「日中両国とも1980年代からで、南京事件研究の歴史はほぼ20年でしかない」と前置きし、中国の研究は当初、「南京事件での虐殺はなかった」とする日本人研究者の主張に対抗するために始まったとの事実を明らかにした。

 張氏は「中国の初期の研究は学術的ではなかった」と語り、80年代の中国の研究は感情的で、政治的な色彩を帯びていたと指摘した。さらに、資料も中国側からみた3冊の本に依拠していたという。

 張氏はこのうえで、「90年代に入り、中国の研究態度は学術的、客観的で、公正な立場で行われている」として、「虐殺はなかった」とする資料を含む南京事件に関するさまざまな資料を収集し、昨年末現在で28巻の資料集が出版されたほか、今年末にはさらに20巻が加わる予定だという。

 一方、程氏は「歴史的な事件については学術的な立場で研究すべきであり、(南京事件で殺された)人数は資料による根拠が重要だ」と強調。

 中国で現在、一般に流布されている南京事件の30万〜40万人虐殺説について、程氏は中国内での反日感情の高まりを挙げて、「中国の学者にとって、確かに難しい面がある」と述べて、中国人研究者への当局からの圧力を示唆した。

 程氏は最後に、「中国人研究者による南京事件の研究態度について、変化が出ており、日中双方で学術的で、客観的な立場で議論をすることは重要だ」と強調。このうえで、両氏は欧米の研究者など第三者も交えて議論を深めていく可能性にも言及し、異口同音に、日本あるいは中国の立場という枠組みを取り払って、人類史という観点から研究を行う必要性を強調した。(相馬勝)

               ◇

【用語解説】南京事件

 1937年12月の旧日本軍による中華民国首都・南京攻略戦と、南京陥落(13日)後の6週間におよぶ市内掃討戦のさいに発生したとされる、中国側は捕虜、敗残兵らの虐殺、放火、略奪などが発生したとし、死者は約30万人としている。だが、その死者数や証拠とされる史料の信頼性などについては不明な点が多く、研究者の間では、虐殺とよべるようなものはなかったという「まぼろし説」から死者30万人説まであり、論争に決着はついていない。

映画「南京」 サンダンスで初公開 際立つ「日本の残虐性」

2007/01/26 The Sankei Shimbun Web site

 【ソルトレークシティー(米ユタ州)=松尾理也】1937年12月の「南京事件」をテーマにした米ドキュメンタリー映画「南京」が、ユタ州パークシティーで開催中のサンダンス映画祭で初公開された。同映画の制作陣は産経新聞と会見し、「反戦映画ではあるが、反日映画ではない」と述べる一方、中国の国営テレビ局との共同制作の形をとっていることなど、中国との密接なかかわりも認めた。

 「南京」は、当時南京に滞在していた欧米人の証言、事件で生き残った中国人へのインタビュー、旧日本軍兵士へのインタビューの三つの角度から事件を描く構成になっている。

 このうち、中国側のインタビュー部分には、生存者が出演し、涙をながしたり、傷跡を示したりしながら、日本の残虐性を訴える。

 一方、旧日本軍兵士の部分の多くには、日本国内の平和活動家によって収録されていた過去のインタビュー映像を使用。一部には、文脈は不明ながらも、笑いながら虐殺を語る映像なども挿入され、中国側との対比が強調されている。

 制作指揮はインターネット接続大手AOLの元副会長、テッド・レオンシス氏がとり、監督は、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を2度受賞したビル・グッテンターグ氏が務めた。

 レオンシス氏らによると、同作品は、中国中央テレビ(CCTV)の協力を受けて制作され、今後同テレビでの放送が予定されている。日本での公開は未定だが、同氏らは「広範な取材、調査に基づき、正確な内容を期した。多くの日本の人々にも見てもらいたい。政治的な意図はない」と話している。

 サンダンス映画祭は全米最大規模の独立系映画祭として知られる。今年のドキュメンタリー部門には856の応募から「南京」を含む16本が選ばれ、上映されている。

               ◇

 ■語ろうとしたのは歴史の一つの側面

 プロデューサーのテッド・レオンシス氏、監督のビル・グッテンターグ氏との一問一答

 −−映画「南京」の制作意図は

 レオンシス氏「ヒーローの物語としてつくった。それは違う背景でも語られうるが、今回、私が選んだのが南京だったということだ。ただし、南京事件が世界的にはほとんど知られていない問題であるということが、制作の理由でもある」

 −−事件をめぐっては、さまざまな論争がある

 グッテンターグ氏「この主題についてこのストーリーしかないと主張するつもりはない」

 レ氏「犠牲者数についても、激しい論争があるのは承知している。そこで、私たちは東京裁判での数字を引用することにした。もっと少ないという意見はあるだろう。では、少なければ問題ないのか?というのが私の意見だ。数の多寡は問題ではない」

 −−反日映画ではないと強調しているが、日本に肯定的な部分はほとんど感じられない

 グ氏「語ろうとしたのは、歴史の一つの側面だ。いろいろ取材はしたが、結局、当時現場にいた人々についての映画にすることにした」

 −−旧日本軍兵士が笑いながら虐殺を語る記録的なシーンが会場でも波紋を呼んでいたが、ああした映像は意図的に選んだものか

 グ氏「70年も前の出来事を語る際には、入手できた記録フィルムが最良の映像として、よしとしなければならない場合もある。元兵士が笑っていようがいまいが、そこに何らかの含みを持たせる意図はなかった」

 −−日本では石原慎太郎・東京都知事らにも取材を行ったそうだが、そうした保守派の意見はまったく反映されていない

 グ氏「その部分が映画に含まれていないことは遺憾に思う。しかし、私は同様に、他にも取材しながら映画からそぎ落とした多くの部分についても遺憾に思っている」

 −−故アイリス・チャン氏の「レイプ・オブ・南京」にはどれほどの影響を受けているのか

 レ氏「チャン氏の死亡記事をみたことが制作のきっかけになったのは事実だが、同書については史実的に不正確な記述が多いと聞いている。この映画は同書に基づいて作られたものではない」

「日中歴史共同研究」初会合、今後は難航か

2007/01/01 大紀元時報

 【大紀元日本1月1日】「日中歴史共同研究」の初会合は27日に北京で協議を終了した。近年、歴史問題に対する認識の違いにより、両国の外交関係に絶えず摩擦が生じたことを背景に、今回の共同会議は安倍首相が日中関係改善の一環と捉えているものだが、今回の会議は完全に異なる政治制度の日本と中国は歴史の共同研究ができるのか、また、双方の相互理解が深められるのか、多くの関係者が疑問を抱いている。VOA放送が伝えた。

 会議参加者によると、今回の会議では日中歴史上の重大事件にはまだ触れていない。また、中国共産党(中共)当局は今回の共同研究について、中国学者が中共のイデオロギー制約から独立した日中の歴史研究を行うことの可否について、未だに明確な説明はないという。

 *初めての共同会議

 中国官製中央テレビ局は、「北京で日中共同歴史研究に参加した両国の歴史学者や有識者は、共同研究および課題の進行について話し合った。来年3月に日本で第2回全体会議の開催が決められた。今回の会議では、南京虐殺などの問題には触れなかった」と報じた。

 安倍首相は今年10月に北京を訪問した際、中国共産党(中共)指導者に対して、日中共同歴史研究の共同会議を打ち出した。これまでの日中関係の緊迫状態を解決するために、過去の歴史を振り返り、双方の争点を日中有識者が共同に研究し、相互理解を深め、日中関係を改善するものである。

 *歴史粉飾、事実歪曲と非難の応酬

 中国官製および中共統制下の報道メディアによる近年の報道では、日本政府は過去において、中国およびその他アジア各国を侵略したことを無視し、事実を粉飾しており、中国人民の感情を傷つけたと非難した。一方、日本側は北京政府が自国内の政治目的で、事実を歪曲し、日本を悪しざまにいい、反日感情を扇動し、中共独裁統治に不満を覚える中国人民の注意をそらしたと指摘した。

 *歴史を政権保持の盾にする中共

 多くの学者は、中国は依然として共産党の一党独裁国家であるとし、歴史は政権執行一党が操る政治道具であるとみている。共産党は、政権の合法性について人民に疑問を持たず、また、これまでに学者の独立した歴史の研究は許さなかった。

 *共同研究により、両国の摩擦は減少か増加か

 東京大学の山内昌之教授は、「中国の場合、歴史の最終的に解釈するのは、中国共産党だ。中国の歴史学者には、言論の自由はないからだ。故に、日中歴史共同研究は、双方の摩擦が強くなり、日中関係に思わしくない影響を及ぼす可能性もなくはない」との意見を示した。

 一方、日本国際関係研究所のロバート・ドジェリカ研究員は、日中両国は歴史問題による頻発した摩擦を経て、今回の歴史共同研究の推進は有意義であるとした。しかし、共同研究により真相が現れることはないとし、中国共産党は歴史に対して政治的に独自の解釈を持っており、往々にして事実と符合しないことが多いとの見解を示した。

 *歴史研究を統制する中国

 実際、評論家たちはよく指摘しているように、中共当局は歴史研究者に対して、一貫として共産党のイデオロギー原則に基づいて、自己の研究を規範し、政府当局の政治規定に一致しない研究および発表を禁止している。また、歴史研究を統制するために、中共当局は歴史研究において多くの禁止部分を規定している。例えば、文化大革命、台湾歴史研究、チベット歴史研究などの領域において、中共当局から許可がない限り、独自の研究は許されないという。

日中歴史共同研究の初会合 歩み寄りは困難 北京

2006/12/28 The Sankei Shimbun Web site

 【北京=野口東秀】日中両国の有識者が出席、北京市の社会科学院で行われていた日中歴史共同研究の初会合は27日、2日間の日程を終え、2008年6月に研究成果発表を行うことなどで合意、閉会した。共同研究では日中戦争を含む近現代史をめぐる歴史認識が焦点。中国側は「事実は1つ、解釈も1つ」という中国共産党の歴史観を固持するとみられ、日中双方が歴史認識の共有で歩み寄るのは難しい情勢だ。

 27日の会合後に記者会見した日本側座長の北岡伸一東大教授によると、大きく「古代・中近世史」「近現代」に分けたうえで、近現代については昭和初期までと、満州事変から終戦、戦後の3つに分けて研究を進めることで合意した。メンバー以外の有識者の参加も認める。

 北岡教授は「歴史問題が日中協力関係を妨げるべきではなく、歴史認識の溝を縮小すべきだとの合意があり、努力しようとの雰囲気だった」と述べた。次回会合は来年3月18日〜21日の間に3日間、12月に第3回会合、2008年6月に最終会合を開き、研究成果を発表する段取り。

 26日の会合の冒頭、北岡教授は、昨春の反日デモで日中間の溝が深まった点を指摘した上で、胡錦濤国家主席が昨年、抗日戦争での国民党の役割を評価するなど、中国側の歴史認識に対する「多元化」の兆しに期待感を示した。

 一方、中国側座長の歩平・社会科学院近代史研究所長は、歴史解釈の対立を克服したいとの熱意を示しつつ「侵略戦争の歴史事実を否定する無責任な言動が両国の共同利益を損なっており、これが歴史問題を解決できない根本原因だ」と強調。共同研究では「こうした言動にまず警戒する必要がある」と発言した。

 こうした中国側の姿勢について、記者会見で北岡教授は「(中国側は)未来志向だったと理解する」と語った。

 中国側は近現代史にウエートを置いており、今後は「靖国神社」や「戦争責任」などをめぐって対立することが予想される。とくに中国の学者は一党独裁体制の正当性を歴史に求める党の見解から離れて自由な学術的な見解を述べることはまずあり得ない。中国側出席者も会見で「共同研究は政治関係と国民感情の要素と切り離せない」としており、純粋な歴史研究ではないとの立場を明らかにしている。

 メンバーではないが、上海師範大学歴史学部の蘇智良教授は中国メディアに対し、「最大の対立点は南京大虐殺だ。日本では被害者数を10万、20万人とし、一部は完全否定する。これを受け入れることはできない」と指摘した。

論説 : 日中歴史共同研究/少しでも溝を埋めたい

2006/12/27 山陰中央新報

 日中両国の有識者による歴史共同研究の初会合が、北京で開かれた。日中平和友好条約締結三十周年にあたる二〇〇八年中の研究成果発表を目指している。

 共同研究は、十月の安倍晋三首相と胡錦濤国家主席による日中首脳会談で合意した。小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で両国関係が悪化したことから、歴史に対する客観的認識を深めて相互理解を促進していこうという狙いだ。共同研究には双方から十人ずつの学者が委員として参加。日本側座長を務める北岡伸一東大教授が両国間の歴史認識の溝が大きいことを認めており、作業は難航しそうだ。

 日本と韓国の間では〇二年から三年間にわたって歴史共同研究を行ったが、一九一〇年の日韓併合条約の有効性などについて対立。昨年、両論併記の形で膨大な報告書をまとめたものの、一部の日本側委員は「もう二度とやらない」と、徒労感が残ったようだ。

 日中間でも三七年の南京大虐殺の犠牲者数などで双方の主張が大きく食い違うことが予想される。言論の自由が制限されている共産党独裁の中国側委員から自由で多様な意見が出るか疑問視する声も強い。客観性を確保するため第三国の研究者も加えるという、北岡座長のアイデアは検討に値する。

 国が違う以上歴史認識が完全に一致することはあり得ない。ましてや政治体制も異なる日中間での研究作業は容易ではない。だが、できるだけオープンな議論でお互いの考え方や価値観をあらためて確かめ合うことは意味がある。

 双方が謙虚な気持ちを持ち、冷静に客観的な目で作業を進めることにより、歴史認識の溝が少しでも埋まることを期待したい。

 共同研究の対象は「古代・中近世史」と「近現代史」で、それぞれ分科会を設置する。日本側の要請で第二次世界大戦後の歴史も研究対象に含まれる。

 日本側は謙虚な姿勢で日中戦争を通じて中国が受けた苦しみを理解しなければならない。同時に中国側には、民主的な平和国家に生まれ変わった戦後日本が中国など多くの国の発展に寄与してきたことを正当に評価することを望む。

 経済大国に発展した日本と、急速な経済成長を続ける中国の相互依存関係は深まる一方だ。国民同士の交流も活発だ。にもかかわらず政治レベルで両国は、歴史認識をめぐる対立を繰り返してきた。

 日本側には中国の過度な反日、愛国教育が中国各地で昨年吹き荒れた反日デモを引き起こす原因になったとの見方が多い。中国側は日本の学校教育で、日本が中国を侵略した歴史をきちんと教えていないという不信感を持っている。

 ことし全国の高校で世界史など必修科目の未履修が発覚した問題は、日本で歴史教育が軽視されている実態を示したと言われても仕方がない。共同研究が、日本の若い世代の間で歴史に対する関心が高まるきっかけになることを期待するのは非現実的だろうか。

 日中関係は安倍首相が就任早々に訪中し、胡国家主席らとの会談で戦略的互恵関係の構築に努力していくことを確認。来春には温家宝首相の訪日も予定されるなど本格的な修復に向かいつつある。歴史共同研究がその一助になることを望みたい。

日中歴史共同研究が初会合 「戦争責任」など焦点に

2006/12/26The Sankei Shimbun Web site

 日中両国が2008年中の研究成果発表を目指す歴史共同研究の初会合が26日、日中の有識者20人が参加して北京で始まった。研究対象は古代から戦中、戦後の日中関係まで及ぶが、日本の「戦争責任」に対する評価などが焦点となりそうだ。中国では、極東国際軍事裁判(東京裁判)について、日本国内で正当性を疑問視する声が出ていることに反発が強く、議論の展開次第では紛糾も予想される。

 会合には日中双方からそれぞれ10人が出席。2日間の日程で、全体会合のほか「古代・中近世史」と「近現代史」の2分科会を設置し、議論を深める。座長は日本側が北岡伸一東大教授、中国側は社会科学院近代史研究所の歩平所長。

 日中間の歴史認識のずれが政治問題化する中、冷静な討議を通じ相互理解を促進することが共同研究の目的だが、自国の歴史観の正当性を強調する中国と、歴史認識の多様性を主張する日本側との間でどの程度の共通認識が得られるかは未知数だ。

【主張】日中歴史共同研究 明確にしたい認識の違い

2006/12/26The Sankei Shimbun Web site

 日中歴史共同研究が26日から北京で始まる。双方は学問的な環境が違い、歴史認識も大きくかけ離れている。その溝が埋められるかのような幻想は持たない方がよい。

 日本側は、前国連次席大使の北岡伸一東大教授を座長に10人の委員が選ばれた。いずれも、実証的な研究で知られ、私立大学の学者も含まれている。一方、中国側の10人の委員は全員、政府系の研究者とみられる。

 日本の歴史学は唯物史観も含めて幅広い学問研究や相互批判が行われているが、中国では政府のお墨付きを得た特定の解釈しか許されていない。

 その中国政府公認の一方的な主張に対し、日本側は安易な譲歩をせず、それぞれの研究成果に基づいた見解をはっきり主張すべきだ。歴史問題は政治や外交交渉と違い、これが落としどころだという解決策はない。

 中国が江沢民政権から胡錦濤政権に代わり、2年後には北京五輪を控えていることもあって、言論統制が少しは緩和したともいわれている。今年1月に停刊を命じられた中国の週刊紙「氷点週刊」が3月に復刊を許されたのが、その一例とされる。しかし、同紙が中国当局の指導を受け、停刊の理由となった歴史論文を全面批判する記事を掲載した結果、復刊が許された事実も見逃してはならない。

 中国の歴史教科書は義和団事件(1900年)について、日本など8カ国連合軍の侵略に抵抗した「愛国行動」としているが、同紙は殺人、放火、略奪の限りを尽くした義和団を「非人道的、非文明的集団」とした学者の論文を載せ、これが当局の怒りに触れた。中国では、この程度の批判すら許されず、その本質は江沢民時代とほとんど変わっていない。

 歴史共同研究で最大の争点になることが予想される南京事件についても、中国は相変わらず、「30万人虐殺」説を宣伝し続けている。新華社電によると、その数字を記した「南京大虐殺遭難同胞記念館」の拡張工事が来年4月に完成する予定だ。しかし、旧日本軍が南京の捕虜や市民30万人を虐殺したとする説は、日本側の実証的な研究によって否定されている。

 歴史共同研究を通じ、そうした日中両国の歴史認識の違いがさらに明確になることを期待する。

日中歴史研究 認識の差の確認から

2006年12月24日 信濃毎日新聞

 日中両国による初めての歴史共同研究がスタートする。十人ずつの有識者メンバーが二十六日、北京で初顔合わせする。

 客観的な歴史認識を深めることで、相互理解を増進するのが目的だ。これまでの認識には溝があり、難航を予想する冷めた見方もある。

 はなからひるんでいては、何も生まれない。まずは違いを再確認するところから始めるくらいのおおらかさを、双方に期待する。

 昨年五月の外相会談で合意しながら、その後の小泉純一郎前首相の靖国神社参拝などでストップしていた。安倍晋三首相と胡錦濤国家主席による先の首脳会談で、年内に立ち上げることが確認された。

 冷えきった日中関係を改善し、高度な次元に発展させることで両首脳は一致した。歴史を直視する共同研究は、その一歩との位置づけだ。

 「古代・中近世史」「近現代史」の分科会を設ける。近現代史では、中国側が重視する先の戦争時の歴史を検証する。日本が平和国家の道を歩んだ戦後の日中関係の歴史も、対象とすることになった。

 座長は日本側が前国連次席大使の北岡伸一東大教授、中国側が歩平・中国社会科学院近代史研究所所長が務める。議論はオープンで行われ、二〇〇八年中の成果の取りまとめを目指す。

 始める前から懸念はある。両国間の認識に開きのある項目が少なくないからだ。旧日本軍による南京大虐殺や従軍慰安婦問題などである。

 昨年六月に報告書がまとまった日韓歴史共同研究の前例もある。日韓併合条約(一九一〇年)の有効性などで、見解の隔たりが浮き彫りになった。今回も各論で対立を繰り返すようでは、多くを望めない。

 大事な一つは双方の心の持ちようではないか。認識の溝を埋めるのは容易でないと身構えるのではなく、歴史研究を深める好機と前向きにとらえることだ。

 日本側は欧米などの資料も参考とし、第三国の研究者も交えた論議を打診する考えだ。できる限り視野を広く、との姿勢はうなずける。

 日中間の話ではないが、太平洋戦争の激戦地、硫黄島を舞台に日米双方の視点で描いた映画が話題だ。敵と味方という相対する立場から事実に迫る手法は、日中の歴史研究でもヒントにならないだろうか。

 中国側は「抗日戦争での勝利」を愛国主義教育の柱としている。日本では表面化した未履修問題に限らず、近現代史をあまり教えない。今回の共同研究を、歴史の学び方を考えるきっかけともしたい。

「南京大虐殺」をテーマにした映画で、日本人の俳優募集ー中国

2006年12月23日 Record China

 第17回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞した「可可西里(ココシリ)」の陸川監督が、「南京大虐殺」をテーマにした新作映画のため日本人の俳優を探している。

 星美伝媒グループ会社、中国電影製作会社、そして一部海外資金により、南京大虐殺がテーマとなる映画、「南京!南京!」が、製作費2億元(約30億円)をかけ、まもなくクランクインする。中国では、過去にも南京大虐殺関連の作品は数本作られていたが、国際的な反応は今ひとつ薄かった。しかし今回、第17回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞した「可可西里(ココシリ)」の陸川監督が制作指揮をとるとあって、期待は高まっている。この「南京!南京!」に多くの日本人を出演させたいという監督の意向により、いま制作チームが必死に日本人の役者探しに奔走しているという。募集しているのは17〜45歳の男性と20〜50歳の女性。陸監督はスピルバーグのシンドラーのリストを目指して、現在着々と準備を進めているそうだ。

南京大虐殺にまつわる映画の話

2006年12月13日 読売テレビ放送 報道局 報道部記者大泉 純子 byニュースの裏側

 外国メディア担当部署がナーバスに 12月13日は、「旧日本軍が中国の南京に攻め入った日」。 この日から6週間にわたって、「日本軍は略奪や婦女暴行、罪のない人々を次々に殺害した」とされるのが、いわゆる『南京大虐殺』です。 犠牲者は中国政府の見解では、30万人以上とされています。

 そもそも「これらの行為があったのか、なかったのか」という議論も続いていますが、ここでは私が体験した取材の裏話をお伝えします。 2002年のこと……『南京大虐殺』を描いた「香港映画」が『中国大陸』でも公開されることになったのですが、この内容をめぐってある論争が起こりました。 映画のタイトルは、『五月&八月(May & August)』。「南京大虐殺で両親を殺害され2人きりになってしまった五月ちゃんと八月ちゃんという幼い姉妹の物語」です。 南京大虐殺そのものを描くというよりは、幼い姉妹の生き様を描いた映画なのですが、映画の「ポスター」に書かれた宣伝文句に待ったがかかりました。「南京大虐殺で女性のレイプシーンを描いた初の作品」というセンセーショナルな文言です。 観客の興味をそそるこの手の宣伝は、きわど過ぎるという理由……まぁ、これは理解できます。 『南京市』を管轄する『江蘇省』の「外国メディア担当部署」に取材を申し込んだところ、許可がなかなか降りませんでした。かなりナーバスになっていることがうかがえます。

 とりあえず「口頭で取材OK」といわれたので、「初日のプレミア上映」取材のため、一路『南京』へ向かいました。 『上海』から『南京』までは、車で4時間くらいです。 さっそく映画館へ赴くと、結局「問題の部分を黒く塗りつぶしたポスター」が貼られていました。

 その後、映画会社の担当者と会うことになっていたのですが、約束の時間になっても、誰も現れません。 ようやく電話が通じ、事務所まで押しかけたものの、「取材は受けられない」との回答。

 役所の許可は下りていることを伝えても、「聞いていない」の一点張り。 このときあらためて、許可は口頭ではなくファックスをもらっておくべきだったと反省しました。 本来ならば、ここで主演した香港の女優も参加した初日の舞台挨拶を取材するはずだったのに、会場にカメラを持ち込むことはできませんでした。

 仕方ないのでチケットを買って会場へ。 しかし我々が外国のメディアであることがすでにバレてしまっていて、チケットを持っているにもかかわらず、もぎりのおばちゃんに阻止され会場へも入れません。入り口でもめている間に舞台挨拶も終わってしまい、「あーあ……」でした。

 泣かせるいい映画だったのだが

 その後に行われた一般上映を見ました。映画は、幸せな4人家族が日本軍の侵略によって、まず父親が殺されます。その後、熱を出した妹の八月ちゃんのために決死の覚悟で薬を買いに出た母親が日本兵に捕われてレイプされた上、殺されてしまいます。 2人きりになった五月ちゃんと八月ちゃんは、生きるために町をさまよい、さまざまなアクシデントを乗り越えながら、同じように孤児になった少年とサバイバル生活を送る、というストーリー。 この2人の子役の演技が結構泣かせます。 「南京大虐殺の描写の評価は分かれる」と思いますが、映画には余り詳しくない私としては、「泣かせるいい映画だ」と思いました。 なぜ、この映画をめぐって論争が起きたのでしょうか。

 ラストシーンで、『日本軍の侵略行為は、1937年12月13日から翌年の4月まで続いた』『犠牲者は30万人』という字幕が出ます。 ここが問題だったのです。ネット上で湧き上がった議論は、「大虐殺は実際は6週間だったが、4月まで、と期間が実際より長い」「犠牲者の数を30万人と言い切っている」……つまり、「史実が歪曲されている」というものでした。

 誤解を恐れずに言えば、「いちゃもんレベルの論争」です。 「こんな低次元の論争のために思うような取材ができなかったのか」と思うと、腹立たしいのを通り越して、もうばからしい。 会場から出てきた観客に感想を聞いてみると、「芸術作品としてみれば、少々事実と異なっていてもいいのでは」という意見もあれば、「史実を歪曲するなどもってのほかだ!」という怒りの声もありました。 怒りの声については、本当にその人が自分の考えから思っていればいいのですが、ネット上での議論を鵜呑みにして根拠なく発言しているとしたら、「怖いなぁ」と思いました。

 製作者サイドは、「この映画はドキュメンタリーではなく芸術作品である」とのコメントを出しました。それでいいと思うわ……。 ちなみにこの映画、残念ながら日本ではまだ公開されておらずDVDも発売されていないようです。

南京大虐殺69周年の記念活動開催 南京

2006年12月13日 人民網日本語版

江蘇省南京市では、南京大虐殺記念日の今日(13日)、旧日本軍による南京大虐殺で犠牲となった30万人の人々を悼む69周年記念式典と南京国際平和デーの活動が行なわれる。侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(大虐殺記念館)は、現在まだ拡張工事のため閉館中だが、それでも一部の市民たちが犠牲者を追悼して訪れている。(編集YS)

南京事件追悼行事、韓国系も合流 強まる対日圧力

2006/12/13 The Sankei Shimbun

 【ロサンゼルス支局】日本の歴史責任を追及する在米華僑組織が、サンフランシスコの日本町(ジャパン・タウン)で予告していた南京事件(1937年)の追悼行事(9日)は、約300人が参加して予定通り行われた。行事には高校生とみられる中国系米人が動員されたほか、「慰安婦問題」で日本を追及する韓国系も参加するなど、世代や民族の枠を超えて米国を舞台に日本への圧力を強める動きが浮き彫りとなった。

 複数の関係者によると、サンフランシスコの日本町にある「北加日本文化コミュニティーセンター」(JCCCNC)での「南京祭(なんきんさい)」には、主催の「世界抗日戦争史実維護連合会」のメンバーや中国総領事館の館員、カリフォルニア州当局などの来賓らが出席した。

 約2時間の行事では、南京事件の犠牲者を追悼する演説のほか、事件の「記録写真」や生存者の「証言」が映像で放映された。また、同連合会が主催した「レイプ・オブ・南京」の著者、故アイリス・チャン氏を記念する論文コンテストの入賞者への表彰も行われた。

 一般参加者の7割程度は若い中国系で、バスでの送迎や昼食券の配布など、「組織されていたもよう」だったという。

 集会後、主催団体の関係者らは、韓国系の参加者とともに日本町中心部の広場「ピースプラザ」で、プラカードを掲げてデモ行進した。

 中国、韓国系の住民が増加するカリフォルニア州では、(1)各民族組織による「歴史責任」「慰安婦問題」での直接的な日本追及(2)地元選出の連邦・地方議員を通じた対日決議案など採択の請願−が活発化している。慰安婦決議案の採択活動を進める日系のホンダ下院議員や、決議案採択に強い影響力を持つ次期下院のペロシ議長、ラントス国際関係委員長はいずれも同州の選出だ。

 同センター(カズ・マニワ運営評議会会長)は、地元の日系米人団体により1973年に創設。日本総領事館などと協力して日本文化の紹介や日米交流にあたっているが、会場運営はセンター側の判断で行われる。今回は主催団体が頭文字を使った略称で使用を申請し、団体や行事の性格が分からないまま使用が許可されていた。

日本町で「南京陥落追悼行事」 事前説明なく会場側困惑

2006/12/10 The Sankei Shimbun

 【ロサンゼルス=松尾理也】1937年12月の南京陥落を被害者の視点から記念する追悼行事「南京祭」が、サンフランシスコでの会場を、これまでのチャイナタウンから場所を移し、今年は日本町(ジャパン・タウン)で9日、開かれることがわかった。会場使用申請の段階では、主催団体の性格などについて明確な説明がなかったといい、会場を提供する北加日本文化コミュニティーセンター(JCCCNC)側は、困惑の表情だ。

 9日の南京祭は、華僑団体の「世界抗日戦争史実維護連合会」をはじめ、サンフランシスコ・ベイエリアの市民団体が主催。「祭」とは追悼行事の意味。行事の案内状によると、スティーブ・ウエストリー州会計監査官らがスピーチを行うほか、史実認定について批判の多い「レイプ・オブ・南京」の作者の中国系米国人、故アイリス・チャン氏を記念した論文コンテストの発表会なども行われる。

 関係者によると、会場の使用をめぐっては、当初、本来の主催団体の頭文字を並べた略称を団体名として、許可申請が出された。このため、施設を管理するJCCCNC側は団体の性格を把握しないまま許可したという。

 その後、イベントの性格が判明し、JCCCNC側は代替の場所を用意した上で変更を打診したが、イベント主催者側は法的な正当性を主張し、場所変更の受け入れを拒否したという。

 JCCCNC運営評議会のカズ・マニワ会長は、「センターがこのイベントを後援しているということはない。われわれは、イベントに賛成でも反対でもない。単にスペースを貸すだけで、内容については関知していない」と述べるとともに、日系人社会の間では、このイベントは話題に上っておらず、関心もほとんどないと付け加えた。

 サンフランシスコの「南京祭」は、昨年はチャイナタウンの会場で開かれており、当時の資料では、「南京大虐殺の犠牲者を追悼するとともに、アイリス・チャン氏をたたえる」とイベントの目的が説明されている。

 また、日本政府に対し、「国家としての謝罪」や「侵略の犠牲者への補償」「客観的で正確な教科書の使用など、戦争の歴史を正しく伝えるための努力の義務付け」などを要求するよう、呼びかけている。

 南京事件をめぐっては、「レイプ・オブ・南京」の内容を踏まえたとされる米映画「南京」(仮題)が制作されるなど、70周年を迎える来年に向け、さまざまな動きが活発化する可能性がある。産経新聞は世界抗日戦争史実維護連合会に対し、日本町に会場を移した意図などについてコメントを求めたが、回答は得られていない。

南京大虐殺:親族ら失った蘇さん「伝えたい」 下京で集会、体験談聴き入る /京都

2006年12月10日 毎日新聞 Mainichi INTERACTIVE

 ◇悲惨な歴史繰り返さぬよう、悲劇を心に刻み込み戒めに

 南京大虐殺で親族らを失った蘇国宝さん(79)が証言する集会「届けたいけど届かない南京からの声」が8日、下京区のひと・まち交流館京都であった。蘇さんが涙をぬぐいながら語る悲惨な体験談に、約40人の聴衆は聴き入っていた。【細谷拓海】

 今夏、訪中した「銘心会南京友好訪中団」の参加者のうち、関西の学生5人が「南京60カ年学生実行委員会」を結成。訪中で理解を深めた虐殺の実態を「体験者がいなくなる前に伝えなければ」と集会を企画した。

 南京大虐殺は1937年12月以降、南京城周辺で行われたとされている。当時10歳の蘇さんが暮らしていた南京郊外の湖山村にもやってきた日本兵は何人もの村民を殺し、多くの家を焼いたという。3歳だった蘇さんの弟は水死させられ、それに怒った伯父は目の前で首を切られた。「祖父、伯父、弟……。10人の身内を殺されました」。涙を流しながら、声を振り絞った。

 「中国の若者だけでなく日本人にも、過去にどんなひどい出来事があったのか知ってもらいたい」と語った蘇さん。「悲惨な歴史が二度と繰り返されぬよう、悲劇を心に刻み込むことで戒めとしていかなければ」と締めくくった。

 上京区の女子大学生(23)は「歴史の教科書では短くまとめられていて、具体的な出来事までは知らなかった。『大虐殺はうそ』という意見もあるが、そういう話が起こることで蘇さんのような被害者をさらに傷つけることになる」と顔を曇らせた。

【中国を読む】南京事件映画目白押し プロパガンダかガス抜きか

2006/12/09 IZA

 映画好き同士の飲み会で、最近はやはり来年の「南京大虐殺70周年」に合わせて公開する、いわゆる「南京事件映画」に話題がおよぶ。

 このほど米インターネット大手AOLの副会長がアイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』を下敷きにしたドキュメンタリー映画「南京」の制作予定が報道されたが、ほかにも何作か制作計画が着々と進んでいるようだ。

 中国報道によれば、中国若手監督、陸川監督による「南京!南京!」▽香港アクション映画で知られるスタンリー・トン監督の「日記」▽江蘇省文化産業集団が投資するハリウッド映画「南京浩劫」などが来年春までに相次いでクランクインするという。「南京浩劫」は以前、クリント・イーストウッド監督が撮るとのうわさが流れたが、最近の報道では「トゥーム・レイダー」で人気のサイモン・ウエスト監督に内定しているとか。

 1937年の戦時下の上海や南京を舞台にしたハリウッド映画「黄石の子供たち(The Children of Huang Shi)」(ロジャー・スポティスウッド監督)も加えると、現在進行中の南京事件をテーマにした映画は少なくとも5作。うち3作は米国発だ。

≪反日愛国教育の流れ≫

 内容はまだ不明だが、いずれも中国の歴史観に沿ったものになろう。つまり、日中間の解釈に大きな隔たりがあり、研究や議論に決着のついていない歴史的事件が中国側の解釈でハリウッドなどから発信されうる、ということだ。

 これは気がかりである。日本の国際的立場に悪影響がおよぶのではないかといった懸念がひとつ。「映画がきっかけで、反日デモなどが誘発され中国社会が不安定化するのではないか」という中国在住日本人や企業にとって切実な問題がひとつ。こんな懸念を抱かざるを得ないのは、中国がこれまで歴史を政治利用してきており、その典型が南京事件だからだ。

 南京事件とは37年12月13日、旧日本軍が当時の中華民国首都南京を陥落させた際の戦闘およびその後の掃討作戦で発生した民間人を巻き込んだ激戦をさす。女性や子供、投降した兵士が無差別に殺害されたとされ、その犠牲者数を中国は30万人と主張。南京にある記念館は、共産党への求心力を高める目的で強化された反日教育の重要拠点になってきた。「南京」「南京浩劫」などの映画はこういった反日愛国教育の薫陶を受けた華人勢力のロビー活動などによって米国での制作が実現したというわれている。

 ちなみに日本側の研究では、犠牲者の数や「虐殺」が一般の戦闘行為をどれほど逸脱するものなのかについて異論があり、少なくとも犠牲者30万人説には懐疑的な声が多く、虐殺の証拠とされていた写真にはプロパガンダ用フェイクの可能性を指摘する意見もある。

≪ガス抜きに利用?≫

 中国で映画とは毛沢東時代以来の伝統的プロパガンダだ。今回の一連の南京事件映画制作に当局の政治的意図は働いているのだろうか。業界筋に言わせれば、この時期、それはありえない。中国が今後取り組まねばならない環境保護や省エネ化には日本の資金や技術が頼りで、反日機運が高まって当局に得になることなどない、という。ただ、永年の反日教育の成果により、高まる社会の不満が脊髄(せきずい)反射的に反日にはけ口をもとめ、南京事件映画などは庶民の格好のガス抜きになる、との見方はある。

 本来、映画は政治も国境も超えた娯楽文化であり、ときに人生の哲学や美学、普遍の真理を気づかせてくれたりする芸術だ。民間が作る南京事件映画に干渉するつもりはないが、いいかげん日中戦争もの映画もプロパガンダやガス抜きの役割から脱却してほしいもの。クリント・イーストウッド監督が日米2つの視点から描いた硫黄島戦映画が話題を呼んでいるが、あのくらい真摯(しんし)に多角的に南京事件をとらえて映画化する、というなら、私はむしろ応援するのに。それは単に日本の国際的立場や日中関係に配慮せよ、ということではなく、真によい映画を望む気持ちからも。

日本側メンバー10人を内定 日中歴史共同研究

2006/12/02 The Sankei Shimbun

 政府は、日中両国が年内に開始することで合意している日中歴史共同研究の日本側座長に、前国連次席大使の北岡伸一東大教授を起用するなどメンバー10人を内定した。古代・中近世史は川本芳昭九州大大学院教授ら5人、近現代史は北岡氏ら5人が担当し、平成20年中の研究成果の発表を目指す。

 歴史共同研究は、10月の安倍晋三首相と胡錦濤国家主席の首脳会談で合意。11月の日中外相会談で(1)両国10人ずつの有識者で構成する委員会の立ち上げ(2)「古代・中近世史」と「近現代史」の2分科会を設置−などが決まった。近現代史では戦争時だけでなく、日本の対中経済協力を含む戦後の日中関係も対象で、「歴史に対する客観的認識を深め、相互理解を増進させる」(外務省幹部)のが狙いだ。

「レイプ・オブ・南京」下敷き 米で反日史観映画 年明け発表

2006/11/26 The Sankei Shimbun

 ■AOL副会長制作

 【ワシントン=山本秀也】米国の大手インターネット企業「アメリカ・オンライン」(AOL)のテッド・レオンシス副会長(50)が、南京事件(1937年)に取材した映画「南京」(仮題)を制作し、年明け以降、発表する。ドキュメンタリー作品の体裁だが、史実の認定は反日的な歴史観で知られる中国系米国人作家、故アイリス・チャン氏の「レイプ・オブ・南京」を踏まえているとされる。公開されれば来年70周年を迎える同事件や歴史問題をめぐり、日本の国際的立場に深刻な影響を与える可能性もある。

 AOLの米国広報では、レオンシス氏による「南京」の制作を確認する一方、同社は制作に関与していないとしている。レオンシス氏は「アガペ」という映像プロダクションを設立し、映画参入の第1作として制作に取り組んでいる。

 制作情報をまとめると、「南京」は事件に関連した記録や事件関係者への取材映像に俳優のナレーションを織り交ぜる構成で、「欧米人が語る南京事件」に重点が置かれる。音楽はグラミー賞を受賞したロック界の大御所ルー・リードが担当するという。

 作品は来年、米国内で開かれる映画祭で発表の予定だ。米紙ワシントン・ポストによれば、中国市場に向けてDVDの販売が計画されるほか、国営中国中央テレビ(CCTV)が作品放映権を獲得しているという。南京事件に関心を抱いた理由について、レオンシス氏は、保養中に読んだアイリス・チャン氏の自殺(2004年)をめぐる古新聞の記事がきっかけだったと同紙に説明。これまでの報道では、作品がチャン氏の「レイプ・オブ・南京」をベースにした内容となることが強く示唆されていた。

 華僑消息筋によると、レオンシス氏は10月末、東部メリーランド州で開催されたアイリス・チャン氏を記念する論文コンテストに来賓として出席し、「南京」の制作状況を報告した。論文コンテストは、米国を舞台に反日宣伝を繰り返してきた中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」が主催し、論文約430点が寄せられた。

 南京事件を扱った映画は、中国、香港でこれまで多数制作された。今年初めに上海紙「文匯報」が、米国のクリント・イーストウッド監督が「南京・クリスマス・1937」を制作すると伝えた話は事実無根だったが、事件70周年を控え、中国内外で新たな作品の制作が伝えられている。

 レオンシス氏は、AOLの事業モデルを有料インターネット接続事業から広告収入主体に転換した米国の有力企業人。北米プロアイスホッケー(NHL)の人気チーム「ワシントン・キャピトルズ」のオーナーを務めるなど、娯楽スポーツ分野でも知られる。

              ◇

【用語解説】レイプ・オブ・南京

 中国系米国人の女性著述家、アイリス・チャン(中国名・張純如)氏が1997年に発表した南京事件に関する著作。同事件で旧日本軍が市民約30万人を虐殺、女性2万人から8万人を乱暴したなどと論じたが事実誤認や写真の誤りなどが多数指摘された。日本語版の出版は見送られたものの、米国内では現在もロングセラーとなっている。

「日中歴史共同研究、08年に成果発表」

2006/11/17 NEWSIS/朝鮮日報JNS

 日本の麻生外相と中国の李肇星外相は16日午前のハノイでの会談で、日中歴史共同研究についての研究成果を2008年中に発表することで合意したと時事通信が伝えた。

 中国と日本は、両国の有識者10人ずつで構成する委員会を発足し、年内に初会合を開いて「古代・中近世史」と「近現代史」の2つの分科会を設置することも決めた。両外相は同研究の目的について「近代の不幸な歴史や戦後60年の日中関係発展の歴史などに対する客観的認識を深めることにより相互理解の増進を図る」ことを確認した。

反戦訴え 日本で「中国帰還者連絡会記念館」オープン

2006年11月06日 人民網日本語版

「中国帰還者連絡会(中帰連)」のメンバーである80歳以上の老人らは3日、埼玉県川越市を訪れ、「中帰連平和記念館」のオープンを祝った。

1950年代初め、中国撫順と太原の戦犯拘留所には1062人の旧日本軍戦犯が拘留されていた。中国側は拘留者に人道的な教育を施し、軍国主義の毒牙に掛かった戦犯をついには感化させ、彼らは戦争で犯した自らの罪を反省するまでに至った。中国は1956年と1964年の2回に分けて、これらの戦犯を特赦処分とした。1957年に帰国した日本人戦犯は「中帰連」を設立し、半世紀にわたる証言活動や講演活動を通して、日本の侵略戦争の罪を自ら訴え続けてきた。「中帰連」メンバーの平均年齢が90歳に近づいた2002年、同組織はやむを得ず解散宣言を行なった。しかし、熊谷伸一郎氏をはじめとする一部の若者が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会(受け継ぐ会)」を創設、「中帰連」メンバーの記憶を埋もれさせず、戦争の罪を日本社会に訴え続けるための活動を続けた。

「中帰連記念館」の設立は、もと「中帰連」メンバー達のかねてからの願いであった。最初はただの木造倉庫だった記念館は、「受け継ぐ会」が資金調達を行ない図書館に改造、所蔵資料は2万4千冊にまで増えた。この記念館には老人達の生涯にわたる反戦の記憶が留められている。年老いた戦犯45人が自ら綴った手記、彼らが往年に読んださまざまな読み物、彼らの証言ビデオや録音テープが、人々にあの戦争の真相を語り続けている。

記念館のオープンを祝うため、「中帰連」元メンバー約10人が東京、岐阜、北海道など全国各地から駆けつけた。「中帰連」元副会長の大河原氏は最近、「男たちの大和」「出口のない海」という2本の映画を見たという。若者が何をも顧みず、軍国主義の砲火の餌食となる映画中のシーンを見て、大河原氏は再び、戦争の悲惨さを痛感すると同時に、戦争が起こる危険性が今もなお潜んでいることを憂慮した。元事務局長の高橋氏は、「『中帰連』解散後も、幸いにして若者が『受け継ぐ会』のような組織を立ち上げることで、自分達の体験を日本社会にアピールし続けることが可能となり、彼らの情熱に支えられて自分達の生きる活力も湧いてくる」と語った。光陰矢のごとしで、軍国主義の毒牙にかかった当時の青年達は、今では高齢の老人となった。当時の撫順戦犯拘留所の様子に触れると、老人たちは懐かしそうに思い出した。1人が当時覚えた歌を歌いだすと、歌詞は忘れてしまったが皆メロディーを覚えており、一緒に口ずさんだ。

「中対連」の元メンバーのうち、千人以上がすでにこの世を去り、存命しているのは約100人、最年少者も80歳を超えた。「受け継ぐ会」の若者達のたゆまぬ努力によって、「中帰連」メンバーによる記録ビデオや録音テープ100以上が製作され、記念館に永久保存されている。記念館の仁木富美子館長は、「ひとつの時代が静かに終わったが、この時代にまつわる記憶は決して消えてなくなることはない。記念館に残された記録は、青春時代を戦争に奪われた人々が、もう一度平和を求める記憶だ。多くの若者達が、これらの記憶を学びに来て、あの戦争の教訓を記憶に留めるよう望む」と語った。(編集KM)

元戦犯の記念館、埼玉・川越にオープン 供述書など所蔵

2006年11月04日 asahi.com/center>

 第2次大戦中、中国遼寧省の撫順戦犯管理所に収容された旧日本軍の元戦犯の供述書や帰国後の記録資料などを集めた「中帰連平和記念館」が3日、埼玉県川越市にオープンした。歴史資料のほか、寄贈された書籍も多く、関係者は次世代に歴史を伝える場になればと期待している。

 記念館を作ったのは「撫順の奇蹟(きせき)を受け継ぐ会」。日本軍の加害証言をしてきた中国帰還者連絡会(中帰連)が02年に関係者の高齢化で解散し、会を引き継いだ。開館式には中帰連の元会員10人あまりや研究者らが集まって開館を祝った。

 記念館には、元戦犯45人分の供述書などのほか、都立大の故山住正己元総長の蔵書約2万冊などが収められている。

 館長の仁木ふみ子さんは「死刑を覚悟で戦犯が書いた供述書など、あの世代の青春を奪った戦争を見つめ直そうとした貴重な記録。若い人たちには、早い段階から戦争を振り返る本を読んでほしい」と話した。

 当分は資料整理のため午後のみ開館。利用希望者は仁木館長(0492・31・9706)に事前申し込みが必要。

南京事件裁判 関連書籍著者らに160万元の賠償命令

2006/08/23 The Sankei Shimbun【東京朝刊から】

 【北京=福島香織】日中戦争中の南京事件(1937年)の生存者、夏淑琴さん(77)が日本で出版された関連書籍により名誉を傷つけられたとして、著者らに損害賠償を求めていた中国南京市玄武区人民法院(簡裁)での裁判で、同法院は23日、著者2人と出版社に対し、計160万元(約2400万円)の賠償や日中主要紙での謝罪広告掲載を命じる判決を言い渡した。

 南京事件をめぐる対日訴訟が中国で行われた初の例での初勝訴という。ただ手続き上の問題もあり、判決内容がただちに執行されるわけではなさそうだ。

 訴えられていたのは「『南京虐殺』の徹底検証」の著者、東中野修道・亜細亜大学教授と「『南京虐殺』への大疑問」の著者、松村俊夫さん、および出版社の展転社(東京都)。夏さんの弁護団が発表した声明によると、この2著書で、夏さんは「ニセ証言者」呼ばわりされ、名誉を著しく傷つけられたとして、2000年11月に提訴していた。判決では、原告の主張が全面的にみとめられ、筆者それぞれに80万元ずつの賠償金支払いと、人民日報など中国主要3紙および朝日、読売、産経の日本3紙での謝罪広告掲載を命じ、出版社には出版差し止めと回収、廃棄を命じた。公判中、被告側は「中国では身の安全が保証されない」として、出廷に応じなかった。

≪被告の出版社が反論≫

 中国江蘇省南京市の裁判所が出した判決について、被告の展転社(藤本隆之社長・東京都文京区)は23日、「いわゆる“南京裁判”への我が社の立場」との声明を発表した。

 声明は今回の判決について、「歴史事件への純粋な学術研究を政治的に抹殺しようとする意図に疑問を感じる。これは裁判の名を借りたわが国の『言論の自由』に対する挑戦であり、内政干渉以外のなにものではない」としたうえで、「そもそも国際裁判管轄権がない中国の法廷に出廷する義務はなく、国際法上裁判そのものが成立しない」と反論した。

 また、同じく被告の東中野修道氏は産経新聞の取材に対し「中国の民法146条と日本の民法によれば、不法行為は不法行為が発生した地の法律で裁かれるべきであり、日本の法律に基づいて審議されるべきだ。従って南京の裁判所にはこの裁判を行う権限がない。法治国家に生きる人間として、この判決を認めるつもりはない」と語った。

南京攻略描く米映画制作情報 在米反日団体が昨年流布

2006/03/07 The Sankei Shimbun【東京朝刊から】

≪中国当局と密接に連携≫

 【ワシントン=古森義久】日本軍の南京攻略を描く映画が米国ハリウッドの著名俳優、クリント・イーストウッド氏の監督で制作されるという中国発の報道が同氏の代理人によって否定されたが、その情報は最初、米国内に拠点をおき中国当局と密接に連携する反日団体から公式の「プレス発表」として宣伝されていたことが判明した。

 「南京虐殺を題材とするハリウッド映画が『南京・クリスマス・1937』というタイトルでイーストウッド監督、女優メリル・ストリープ出演で制作される」との情報は上海の新聞「文匯報」が一月十八日付で報じたが、米国内の中国関連動向に詳しい専門家は、同趣旨の情報が「第二次大戦アジア史保存連盟」(ALPHA)という組織のロサンゼルス支部が公表した昨年12月10日付の「プレス発表」に記されていると指摘した。ウェブサイトに残る「発表」には「ハリウッドがついに『紫金山が燃えるとき』という小説を原作に『南京・クリスマス・1937』という映画を制作する」とある。

 在米中国人を主体とするALPHAは活動目的について「日本は侵略や虐殺に対し公式謝罪も賠償もしておらず、その実行を求める」としており、中国当局が関与する「世界抗日戦争史実維護連合会」傘下にある。日本政府や企業を常に糾弾し、事実に反する主張で日本を攻撃する点では明確な反日団体といえる。

 母体となる「連合会」は中国国営の新華社通信につながるサイトを持ち、中国主要都市で当局の支援を得て集会を開くなど、中国政府と密接なきずなを持つといえる。ALPHAは90年代後半、アイリス・チャン著の「ザ・レイプ・オブ・南京」の宣伝・販売に協力した実績もある。こうした政治的組織が「文匯報」より1カ月以上も前に「南京事件のハリウッド映画制作」の情報を流していたことは、この虚報が中国当局の意図をにじませたプロパガンダだった可能性をさらに高めることとなった。

 なお、日本軍の南京攻略を主題とした「紫金山が燃えるとき」は昨年夏に米中両国で出版されたが、著者で南京出身の在米中国人文学者、祁寿華氏自身は、ALPHAの「発表」は事実に反すると強調していた。@ネットビュー

中国の対日歴史観に違和感 米国務副長官が見解

2005/09/23 The Sankei Shimbun東京朝刊から

 【ニューヨーク=長戸雅子】ゼーリック米国務副長官は21日、先の米中首脳会談に関連してニューヨーク市内で講演、第2次世界大戦をめぐる中国の対日歴史観について、「かなりのギャップを感じるところもある」と違和感を表明、日米中3カ国の歴史専門家による協議で認識格差を緩和できるのではないかと提言。米政府高官が日中間の歴史認識摩擦に関して踏み込んだ発言を行うのは珍しい。

 同国務副長官はまた、「閉ざされた政治が将来もずっと中国社会の姿となることはあり得ない」と予測し、「国民に信頼され、説明責任を伴った政府となるよう政治的な移行が必要」と、共産党一党独裁体制から民主体制への移行を促した。

 第2次大戦をめぐる日中間の歴史認識に言及して、「中国にとり、日本との歴史認識問題が敏感な問題であることは理解できる」と述べる一方で、満州事変(1931年)を糾弾する中国・瀋陽にある「9・18歴史博物館」を訪れたことを例に挙げて、米国が参戦した1941年からソ連軍の日本侵攻までの年代順記述が飛ばされていた点を指摘、「中国が語る歴史にもかなりのギャップがあると認識した」と疑問を示した。

 そのうえで「3カ国の歴史家による協議を始めることで、こうした『誤解』を少なくすることが可能だ」と述べ、日中両国の歴史認識をめぐる問題に、米国が一枚かむことが解決の一歩になるとの考え方を提示した。

南京の裁判所で原告勝訴の判決 大虐殺生存者が日本の著作者を訴える

2006/08/24(南京2006年08月23日発新華社)

 南京大虐殺の生存者が日本の著作者の名誉権侵害を訴えた裁判で南京の裁判所が原告勝訴の判決を言い渡した。

 中国の南京大虐殺の生存者夏淑琴さんが日本の著作者東中野修道、松村俊夫を名誉権侵害で訴えていた裁判で、南京市玄武区法院は同日、原告勝訴の一審判決を言い渡した。中国の裁判所が初めて受理し、判決を出した南京大虐殺事件にかかわる渉外民事事件である。

 玄武区法院の判決は、▽被告東中野修道と松村俊夫およびその著作を出版した展転社は、原告夏淑琴の名誉権を侵害した図書の出版を直ちに停止するとともに、すでに出版した書籍を回収、焼却する▽中日両国の主要メディアの目立つ位置に謝罪声明を掲載し、かつ原告の精神的損害に対する慰謝料160万元(1元=約14円)を支払う――よう命じている。

 さらに、被告は判決に不服である場合、30日以内に南京市中級人民法院に上訴することができると述べている。

 被告の東中野修道と松村俊夫および展転社は出廷していない。

 77歳の夏さんは、「裁判所は公正な判決を下した」と満足の意を表している。

 1998年、亜細亜大学教授東中野修道と自由史観会会員の松村俊夫は、展転社からそれぞれ「南京大虐殺の徹底検証」と「南京大虐殺の大疑問」を出版した。

 2冊の本で、夏淑琴さんら南京大虐殺の生存者が「政府によって仕立てられた」、「偽証人」と描かれている。著作者はさらに、夏さんは「故意にねつ造し、世間を欺いた」、「その証言は誰かが想像したものだ」と指摘した。

 2000年、夏さんは南京市玄武区法院に松村俊夫、東中野修道および株式会社展転社を名誉権侵害で訴え、侵害行為の即時停止、両国の主要紙上での謝罪、160万元の支払いを求めた。

 2004年9月15日と16日、玄武区法院は証人尋問を行い、同年11月23日と25日に公判を開いたが被告の松村、東中野、展転社はいずれも応訴しなかった。

 南京大学法学院の張暁陵教授は次のように話した。今回の事案の意義は大きい。これまで南京大虐殺、細菌戦による中国人被害者、さらに強制連行被害者が訴訟を起こしたのはほとんど日本で、被害者の権利擁護は非常に難しかった。

 張教授は、国際司法慣例によれば、第2次大戦にかかわる民事訴訟は自国で行うことができる。夏淑琴事件が国内で審理されたことにより、中国人が第2次大戦中の権利を擁護するための新しいルートが開かれたと指摘した。

 玄武区法院でこの事件が審理されている時、2人の日本人被告は出廷を拒否するだけでなく、2005年4月東京地方裁判所に提訴し、夏さんの中国の裁判所での起訴事実が「存在しない」ことの確認を求めた。

 だが、夏さんが06年6月30日、日本に行って関係の公判に出席した際、両被告の弁護士は法廷で訴訟を取り下げた。

 夏さんは、「やましい気持ちをよく示したものだ」と語った。

 そして、日本の「歴史学者」がなぜでたらめを言い、なぜ日本軍にひどく傷つけられた中国人をこのように扱うのか分からない、被害者の一人として、日本であれ中国であれ、歴史を真実に戻し、公正の回復をめざすと表明した。

 夏さんの弁護士談臻氏は、東中野修道と松村俊夫は南京で調査もせず、夏淑琴さんから直接聞き取りもしないで、一部の資料の語句の違いだけで、夏さんの本当の身分を否定したが、その意図は大衆を誤解させ、南京大虐殺の史実を根底から否定することにあると語った。

 さらに次のように述べた。裁判所の審理で認定された証拠は今後すべて法的意味をもつ。被告が出廷、応訴しなくても、判決の法的効力に影響はない。中国の民事訴訟法第130条によれば、被告が出廷しない時、法廷は欠席裁判を行う権限を有する。

 1937年12月13日、中国を侵略した日本軍は夏淑琴さんの家に押し入り、一家7人を殺害した。8歳の淑琴さんと4歳の妹淑雲さんは難を逃れた。米人牧師ジョン・マギーが危険を冒して撮影した記録映画「南京の暴挙の記録」には、南京城南門東新路口(交差点)5号の2世帯の民間人11人が惨殺される光景が記録されていが、その中で生き残った女の子が夏淑琴さんにほかならない。

 夏淑琴さんの悲惨な体験は、中国を侵略した日本軍による南京大虐殺の一つの縮図にすぎない。1937年12月から38年1月にかけて、日本軍は南京占領の過程で、強姦と虐殺の獣行を働き、中国の民間人と武器を捨てた軍人30万以上が殺害され、2万人余りの女性が暴行を受けた。現在、南京にはなお大虐殺の生き残りが400人余りいる。

「歴史問題の正しい処理は当然」 中国外務省

2005/08/02 The Sankei Shimbun

 中国外務省の孔泉報道局長は2日、日本の衆院が同日採択した戦後60年の国会決議について談話を発表。「中国人民の抗日戦争勝利60周年に際して、日本が侵略の歴史を反省し、歴史問題を正しく処理するのは当然だ」と指摘した。

 談話は「日本軍国主義による侵略戦争は中国やアジアの人民に大きな災難をもたらし、日本の人民にも被害を与えた」とした上で、「残念なことに、日本の一部政治勢力は侵略の歴史を否認したり美化したりしている」と批判。「歴史問題での後ろ向きな行為に前途はない」とした。(共同)

「日本人は謝罪して入れ」 中国のレストランが張り紙

2005年07月11日 asahi.com

 中国吉林省の地元紙「城市晩報」は9日、同省吉林市内のレストランが「日本人は謝罪してから中に入れ」との中国語の張り紙を今年3月から店の入り口に張っているとの記事を写真付きで報じた。店側は「日本の客はまず歴史を直視し、中国人に頭を下げるべきだ。さもなければ、いかなるサービスも提供しない」としているという。

 店は市中心部にある若者や外国人向けの西洋料理店。張り紙をして以来、日本人客は全く来なくなったという。同紙は「日本の友人に歴史を分からせようとするなら、理性的な方法で行うべきだ」との学者の談話も同時に伝えた。

 同記事は10日以降、香港紙や中国内のニュースサイトで広く転電されている。地元当局関係者は朝日新聞に対して、「事態の広がりを望まないので、何もコメントできない」としている。

【論考 中韓の教科書】中国編(5)目標は民族主義の鼓舞

2005/06/18 The Sankei Shimbun 東京朝刊から

<「万忠墓は、惨劇を忘れるなと警告してくれる」>

 日本海海戦から100年を迎えて回顧ブームの続く日露戦争(1904−05年)だが、中国の歴史教科書にはほとんど書かれていない。中学では皆無だ。

 中国にすれば、この戦争は満州(現中国東北部)で日露という外国軍隊が戦っただけともいえる。とはいえ、帝政ロシアの南下阻止や中国の革命運動に与えた影響、さらにのちの満鉄や関東州など日本がポーツマス講和条約により獲得した権益への説明が不十分なまま、満州事変(1931年)が突然詳述されることで、日本はより悪辣(あくらつ)な侵略者として描かれることになる。日本の侵略を強調したければ、日露戦争を無視した方が好都合には違いない。

 遼東半島南端の軍港、旅順(遼寧省)の史跡にも、教科書と同じく歴史への選別的な姿勢が表れている。戦前から日本人にはなじみの深い日露の戦跡、たとえば旅順港を見下ろす二〇三高地や郊外の水師営は一般的な史跡としての保存にとどまる。いわば観光資源だ。

 これに対して、日清戦争(1894年)で犠牲となった中国の人々を埋葬した「万忠墓」は、この戦争から100年後の1994年に堂々たる記念館が整備され、全国100カ所の「愛国主義教育模範基地」に指定された。日中関係の十字路として歴史に登場する遼寧省だが、全国レベルの模範基地に指定されたのは、日本関係では満州事変の発火点となった瀋陽(旧奉天)郊外の満鉄線爆破地点に建てられた記念館と、この万忠墓記念館だけだ。

 国民に愛国主義の実物教育を施すためのこれら施設は、江沢民政権当時の94年8月に中国共産党が発布した「愛国主義教育実施要綱」に基づき、教育のモデルとなるべく指定された。

 要綱は「愛国主義は中国人民を動かし、鼓舞して団結奮闘させる旗印である」と定義づける。ソ連・東欧の崩壊で権威を失ったマルクス・レーニン主義に代わり、「愛国」を掲げる民族主義をイデオロギーの柱にすえることを事実上宣言したのがこの要綱だ。その発布以降、教科書を含む国民教育全般に絶大な影響を及ぼして今日に至る。

 高校教科書「中国近代現代史」での万忠墓に関連する記述を例に、要綱の影響を追ってみよう。

 要綱の発布時期をまたいで使用された92年版(94年に一部改訂)では、「日本軍は旅順で驚愕(きょうがく)すべき大虐殺を行った。中国人を1カ所に縛り上げ、銃撃を加えたあと、ズタズタになるまで鋭い刃物でメッタ突きにした」として、事件の記述にとどまって万忠墓の名はみられない。4年前の連載記事で底本とした2000年版もここは同じだ。

 これが03年版では、この記述に続いて「万忠墓の再修復に関する碑文では、わが同胞の殉難者およそ2万人あまり、とある」として、「模範基地」としての万忠墓記念館にリンクした記述が採用された。

 昨年作成の試用版高校教科書「歴史1」になると、「旅順・白玉山の東側に位置する万忠墓は、あの惨劇を永遠に忘れてはならない、と警告を与えてくれる」と、記述の上で存在感が拡大。「どうして今日、わたしたちが惨劇を永遠に忘れてはならないのか、考えてみよう」というアピールも加わった。

 学習指導要領にあたる「教学大綱」は、要綱の発布後は歴史教育の目的に「愛国主義教育」を掲げ、「民族の自尊心と自信の確立」を到達目標としている。

 日本の中国侵略に重点を置いた記述は、新中国の歴代教科書で大きな比重を占めてきた。だから、要綱の発布後に教科書がいきなり「反日教育」に転じたというのは単純に過ぎる。また、この要綱を何度読み返しても、日本を名指しして攻撃せよとは書いていない。

 だが、結果はこの万忠墓に関する教科書の変遷が示す通りだ。愛国主義教育という指針に、日本の侵略を示す史実を選択的にかぶせてゆけば、民族主義に裏打ちされた反日意識は嫌でも高まることになる。

 要綱の発布から間もなく11年となる。江沢民氏の育てた子供たちは、いったい何千万人になったのだろうか。(山本秀也)=おわり

【論考 中韓の教科書】中国編(4)戦勝国の地位アピール

2005/06/17 The Sankei Shimbun 東京朝刊から

<「ソ連赤軍の功績、永遠に心に刻む」>

 ここで少し教科書を離れ、モスクワの中国大使館に目を移してみたい。

 5月8日夕、対独戦勝60周年式典に出席のためロシアを訪れていた中国の胡錦濤国家主席は、大使館に招かれた80歳前後の旧ソ連軍人らを前にしたスピーチで「心からの感謝」を伝えた。

 「中国の抗日戦争が重大局面を迎えたとき、ソ連赤軍は中国東北の戦場に赴いてわが軍民とともに日本と戦い、抗日戦争の最後の勝利に重要な支援を与えてくれました。(中略)幾多のソ連赤軍将兵が勇敢に戦い、散華されたその英雄的な功績は、永遠に中国人民の心に刻まれております」

 もうお分かりの通り、老兵たちは第2次大戦末期の1945年8月、日ソ中立条約を破って満州(現中国東北部)に攻め込んだ赤軍部隊の生き残りである。

 モスクワで開かれる対独戦勝式典に中国首脳が出席したのは、10年前の江沢民国家主席(当時)に続き2度目だ。中国はこの式典を「世界反ファシズム戦争」の戦勝記念と位置づけるが、今回は胡錦濤氏が、満州へのソ連侵攻が中ソ共同による世界平和への貢献だったと、明確に“宣言”したことが大きな特徴だった。

 中国戦線での対日抗戦について、中国の高校歴史教科書「中国近代現代史・下」(2003年版)は、「世界人民の反ファシズム戦争勝利に対する重大な貢献であり、中国の国際的地位を高めた」と意義づける。米ソ(露)など他の戦勝国と肩を並べるに十分な役割を中国は担っており、国連安保理常任理事国のイスに代表される国際的な地位向上はこの戦勝の果実だ、という考えだ。

 中国の対日抗戦について、他の連合国からの支援も巧みに織り込みながら、世界平和への積極的な「貢献」をアピールする強気の姿勢は、2000年代を迎えて中国の教科書で改訂のたびに強まってきた。高校歴史の学習指導要領にあたる「教学大綱」では、2002年の改正から、対日抗戦の勝利を世界への「貢献」とする指針が新たに加えられた。

 「貢献」の内容だが、日本の強大な軍事力を中国が泥沼の戦線に引き付けた、というあたりが基本線となっている。

 高校教科書「世界近代現代史・下」には、日米開戦後の1942年の情勢として、「日本陸軍の3分の2以上は中国の戦場にくぎづけとなり、陸上での新たな進撃を図る余力はなかった」という記述がみえる。同様の見方は、対独戦勝60周年を記念した5月9日付の中国軍機関紙「解放軍報」社説にも登場し、「日本軍に北上計画の放棄を迫り、南進戦力を弱体化させた」という戦略的な評価につながっている。

 国内戦線だけでは「貢献」の国際性に欠けるとの判断からだろう。昨年5月作成の試用版高校教科書「歴史1」では、ビルマ(現ミャンマー)に外征した国民政府の正規軍が、米英軍とともに日本軍を攻撃したケースが取り上げられた。

 この「歴史1」の教師用指導書は、このビルマでの作戦を「中国軍初の国外での戦いであり、中国人民の抗日戦争と世界人民の反ファシズム戦争をより緊密に結びつけた」と位置づけている。この作戦からわずか半世紀前の日清戦争(1894年)が朝鮮半島を戦場としたことは、李氏朝鮮を属国として外国扱いしなかった清朝の立場を引き継いで、無視している。

 世界平和に向けた中国の「貢献」と戦勝国としての地位を強調する主張が強まった時期は、愛国主義教育を推し進めた江沢民政権の末期にあたる。冒頭に挙げた胡錦濤氏のスピーチもこの路線の延長線に違いない。

 だが、ここに日本との大きな落差がある。開拓団員など民間人に対する殺傷、略奪から戦後のシベリア抑留まで、ソ連の侵攻後に在満邦人がなめた辛酸は、日本人の記憶では原爆投下と並ぶ純粋な戦争被害の体験だ。

 「満州国」の是非をどう論じるかはいい。満州侵攻に関してソ連の「功績」を中国の最高首脳が手放しでたたえたことは、日本人の理解を超えた。江沢民氏が10年前にモスクワで行った演説が教科書に収録されたのと同じく、今回の胡錦濤氏の冒頭発言も、将来の教材化が懸念されそうだ。(山本秀也)

【論考 中韓の教科書】中国編(3)史実の認識、違い認めず

2005/06/16 The Sankei Shimbun 東京朝刊から

<「兵士不明を口実に、ただちに盧溝橋を攻撃した」>

 中国の歴史教科書では、「抗戦八年」と呼ばれる日中戦争(1937−45年)をはじめ、日清戦争(1894年)にまでさかのぼる両国の紛争に関する記述が、これまでも一貫して大きな比重を占めてきた。比率は異なるようだが、台湾に逃れた国民党政権の教育にもこの傾向が強かった。

 前後して中国大陸を支配した政権の共通現象からは、広い意味での「中国」の為政者にとって、(1)日本を侵略の前歴国家として強調(2)抗戦指導の末、戦勝国の地位を築いた功績の誇示−が、国民教育のポイントだという図式が浮かぶ。

 ここで中国の高校教科書「中国近代現代史」(2003年改訂版)をみてみよう。

 ≪日本帝国主義が、全面的な中国侵略戦争を発動したことは決して偶然ではない。長くたくらんできた中国併呑(へいどん)を実現し、アジアにひとり覇を唱え、世界の雄となるという既定の方針による必然の結果だった≫

 この説明で始まる下巻の第二章「中華民族の抗日戦争」では、8年に及んだ日中戦争の記述が20ページにわたって続く。

 内容も北京郊外での盧溝橋事件に始まり、上海への戦火拡大(第2次上海事変)を経て南京陥落に至る開戦初年(1937年)の流れはもちろん、日本の支援を受けて南京に成立した汪兆銘政権の内外政策や日本軍による大陸打通作戦(44年)などにも踏み込んでいる。延安(陜西省)にあった中国共産党の動きや抗日ゲリラ戦、国共両党の関係など戦時下の中国内政についても生徒に理解させる仕組みだ。

 記述の分量を日本の高校教科書と比べるとどうだろう。たとえば山川出版社の「新日本史」「新世界史」では、日中戦争については開戦初年の主な史実を中心にそれぞれほぼ1ページにとどまり、あとは第2次世界大戦の全般的な記述に吸収される構成だ。仮に日中の高校生に歴史討論の場を設けたとしても、これでは歴史観を論じる以前に知識量の差で日本の生徒が圧倒されるだろう。

 もっとも、中国側の記述内容を詳しくみると、日中の歴史議論の象徴となった南京事件の「死者30万人以上」以外にも、基本的な史実をめぐる認識の違いが浮かび上がる。

 たとえば、盧溝橋事件に関する「中国近代現代史」の記述はこうだ。

 ≪1937年7月7日の夜、日本軍は一兵士の行方不明を口実に宛平城(盧溝橋に隣接する町、現北京市豊台区所在)内の捜索を要求し、中国側守備隊の拒絶に遭った。ただちに日本軍は宛平城と盧溝橋を攻撃した≫

 この部分の記述は、1995年改訂の旧版にさかのぼっても変わっていない。学習指導要領にあたる中国教育省制定の「教学大綱」(全日制普通科)は、もっとはっきりと、「日本帝国主義が七・七事変(盧溝橋事件の中国名)を発動し、大挙中国を侵略した」と、事件の責任を日本側においている。

 これでは昭和史最大の謎に数えられる「盧溝橋の銃声一発」もなにもない。夜間演習中だった日本の駐留部隊が、無理難題を吹っかけて突然、中国の守備隊である二十九軍に襲いかかったという中国の教科書が描く事件の図式は、少なくとも事件の原因を「不明」とする日本側の一般的な理解とはかみ合わない。

 今回の歴史教科書検定の結果をめぐる中国側の批判をみると、盧溝橋事件に関しては、まさにこの「銃声一発」、すなわち「日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおきた」といった記述が取りあげられ、日中戦争の責任を中国側に転嫁するものだと宣伝されている。

 「何者かが発砲」という記述がなぜ責任転嫁の暴論と指弾されるのか。普通の日本人は理解に苦しむ。しかし、日本の侵略性を強調する上で事件原因にあいまいさは認めない、という中国側の原則だけは、この宣伝ぶりから十分読み取れる。

 中国側の認めた「史実」だけが、歴史、政治的な姿勢を問う「踏み絵」となっているとすれば、歴史問題をめぐる日中の議論はあまりにも不毛であり、絶望的だ。(山本秀也)

【論考 中韓の教科書】中国編(2)異なる二つの日本像

2005/06/15 The Sankei Shimbun 東京朝刊から

<「アジアに対し、一貫して本当の謝罪をしていない」>

 中国政府は学校現場での「反日教育」を強く否定し、その理念はあくまでも「愛国主義教育」であると説明する。

 この公式見解の当否を考えながら中国の歴史教科書を読むと、2つの事実に気づく。1つは日清戦争(1894年)に始まり、第2次世界大戦の終結(1945年)に至るまでの日中の戦史に関する膨大な記述。そしてもう1つは、こうして与えた知識をもとに日本の歴史責任を問う現在、そして将来にわたる政治的な視点だ。

 首相の靖国神社参拝など、今日的な動きに焦点を当てて日本の歴史責任を糾弾する記述は、2001年に中国の歴史教科書を検証した時点では突出した印象を受けなかった。歴史責任をめぐる中国側の日本追及は、01年の日本側での教科書検定から格段に強まっており、この政府方針が教科書に反映されたようだ。

 将来にわたる問題では、昨年5月に作成された高校用の試用版教科書「歴史1」が、03年8月にチチハル(黒竜江省)市内の工事現場で旧日本軍のものとみられる化学剤により作業員が負傷した事件を紹介。日本側が今後、条約上の義務として巨額の処理費用を負担することになる遺棄化学兵器問題について、資料集めと中国側の被害への分析を研究課題としている。

 戦争責任に対する日本の対応と、中国の経済建設に対する協力に関してはどうだろう。高校教科書「世界近代現代史・下」(2003年版)を引用しよう。

 ≪第2次世界大戦後の半世紀あまり、日本の右翼勢力は失敗に甘んじていない。日本政府もまた日本ファシズムの侵略を受けたアジア諸国の人民に対し、一貫して本当の謝罪をしていない。経済発展につれて日本の軍国主義思想も再び台頭し、日本の閣僚は頻繁に侵略の歴史を粉飾する言辞をろうし、政府の要路を含む政界人がほぼ毎年、東条英機らA級戦犯をまつる靖国神社に参拝している≫

 特定の史実を素通りして語らないことは、歴史に関する情報操作の手法である。どんな謝罪ならば「本当」になるのかは議論があるだろうが、「世界近代現代史」の記述による限り、終戦50周年にあたりアジア諸国への植民地支配と侵略に対し「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した「村山談話」などは、そもそも存在しなかったことになる。

 過去への反省や謝罪については、1972年の日中国交正常化がすべての歴史教科書に取りあげられる半面、この時の日中共同声明で、日中戦争での中国側の「重大な損害」に関して、日本が「責任を痛感し、深く反省する」と表明した事実すら書かれていない。

 同様に、改革・開放路線後の中国が築いた経済発展や民生向上に関する紹介でも、そこに貢献した3兆円あまりの日本の政府開発援助(ODA)への記述も、歴史教科書には見当たらない。

 外国の教科書に、日本の態度表明や経済援助に関して個別の記述が「ない」ことをあげつらうのは、本来ならば意味がない。しかし、日中戦争に関する詳細、かつ膨大な情報の提供や、日本の歴史責任の追及に関する記述があふれるほど「ある」ことを思えば、日本に関する記述の不均衡はあからさまだ。

 こうした指導を受けた生徒が、日本の戦争責任については十分過ぎる理解をしても、日本の「謝罪」やODA供与の努力については白紙のまま、社会や上級の学校に進むことは当然の結果だ。4月の反日デモで「愛国無罪」の叫びとともに日本の大使館や総領事館に石やペットボトルを投げ込んだ若者がまさにこの教科書で学んだ世代だったことは偶然ではないだろう。

 教科書を含めた官製情報以外で中国の若者が接する「日本」といえば、Jポップスや世界的に人気を集めるアニメ作品となる。官製情報が政治のプリズムによって等身大とかけ離れた日本像を結ぶ一方、大衆文化は生のままで流入する。

 異なる2つの日本像が交わることはない。日本のアニメを愛好する中国の若者が、なんの矛盾も感じることなく反日を叫ぶという奇妙な図式は、いびつな日中関係の象徴かもしれない。(山本秀也)

【論考 中韓の教科書】中国編(1)南京大虐殺を日本に教えてあげましょう

2005/06/14 The Sankei Shimbun 東京朝刊から

<政権に左右される歴史>

 まず、次のアピールを読んでいただきたい。

 《血塗られた南京大虐殺から六十余年がたちました。今日、中国と日本の中学生は当時の南京城内、長江(揚子江)河岸のあの凄惨(せいさん)な虐殺をどれだけ知っているでしょうか。(中略)一衣帯水の隣邦には永遠の平和が必要です。平和のため、南京大虐殺を永遠に再現させないため、筆をとって君の同世代−日本の中学生に手紙を書きましょう。異国の同世代に君の知っている南京大虐殺を教えてあげ、君と君の祖国の平和に対する熱愛を伝えましょう》

 これは中国の子供向けに書かれた反日団体のビラではない。中国教育省系の人民教育出版社(本社・北京)の中学歴史教科書「中国歴史・8年級上冊」に掲載された課題の一節である。

 北京の日本大使館などが投石を浴びた中国での反日デモは、中国政府が学校現場で進めてきた「愛国主義教育」に対する日本の懸念をかきたてた。「愛国無罪」を叫ぶ激しい反日意識が、こうした教育の結果ではないのか、という疑念や不満だ。

 日本の歴史教科書を厳しく批判する中国側だが、国外からの反論には拒絶反応を示す。上海の日本総領事館が投石に見舞われた直後の4月19日、中国外務省の秦剛報道官は「中国の愛国主義教育はいわゆる反日教育ではない。(中略)これまで国民、特に若い世代に反日・排日感情を教え込んだことはない」と、中国の公式見解を繰り返している。

 産経新聞は、やはり日中間で歴史教科書をめぐる議論が高まった2001年に中国の教科書を2度にわたって連載記事で取りあげた。今回新たに入手した日本の中学、高校にあたる「初級中学」(9年制義務教育課程の7年級以上)と「高級中学」の歴史教科書は、この4年間にそれぞれ改訂され、とくに高校の歴史科目については、学習指導要領にあたる「教学大綱」そのものが2002年に改正されていた。

 新しい教科書を通読した結論をいえば、「反日教育」を否定する公式見解が、普通の日本人を納得させるのはまず無理だ。「広範な日本人民と一部の軍国主義者は区別する」といった“線引き”を中国側がいくら設けても、この教科書で勉強すれば日本の子供ですら反日になりかねない。

 冒頭に引用した課題は、「日本の中学生に手紙を書こう−南京大虐殺を忘れることはできない」と題した日本の中2に相当する学年向けのものだ。平和な日中関係を築き、南京事件(1937年12月)のような一国の首都を舞台とした戦争の惨禍(さんか)を繰り返すまい、という点であれば、普通の日本人にまったく異論はないだろう。

 だが、この活動課題では、南京事件など日中の歴史教科書論争に関する資料収集と分析を通じて、生徒に「愛国の情と社会への責任感」を高めることを目標として背負わせている。取りあげるべき内容として指導されているのは、ざっと次のようなものだ。

 (1)「死者30万人以上」「100人斬り競争」といった中国側が認めた「史実」(いずれも同教科書に記載)(2)日本の「右翼分子の歴史教科書」での南京大虐殺に対する歪曲(わいきょく)された記述(3)日本政府の歴史教科書に対する審査状況−など。

 どうやら、01年の歴史教科書問題を契機に新たに設けられた課題らしい。こうした手紙が日本の中学生の元に組織的に送りつけられているとすれば、日本の社会通念では、もはや歴史教育や国際交流の枠を離れた「プロパガンダ(政治宣伝)」となってしまう。

 新たな為政者の手によって「正史」が書かれるのは、司馬遷の時代から続く中国の伝統である。戦後60年を経てなお外交や国民感情に影響する日中関係の記述にとどまらず、新中国成立後の中国政治史や対米関係などの現代国際関係となると、中国共産党政権の都合によって教科書の記述が大きく左右されている。(山本秀也)

 歴史認識をめぐり日本との摩擦が絶えない中国と韓国だが、両国の教科書では日本についてどう伝えているのか。それぞれ5回にわたって論じてみたい。

戦争の被害体験募集 中国・人民日報「具体的かつ正確に」

2005/06/01 The Sankei Shimbun

 1日付の中国共産党機関紙、人民日報は、抗日戦争の被害者や親族らに対し、被害体験を記した手記を寄せるよう求める募集広告を一面で掲載した。

 それによると、同紙は近く、抗日戦争勝利60周年を記念して「忘れがたい往事」と題した特別欄を設け、手記の掲載を始める。同紙は「われわれは当時の歴史を骨に刻む責任がある」とした上で「事件を具体的かつ正確に」記すよう求めている。特別欄は9月まで続けるという。

 中国メディアは最近の日中関係の悪化を受け、歴史問題と絡めて現在の日本政府を批判するキャンペーンを展開している。(共同)

「抗日・愛国」中国再び高揚図る 対独戦勝式典を契機に

2005/05/09 The Sankei Shimbun 東京朝刊から

 【モスクワ=伊藤正】中国の胡錦濤国家主席は八日午後(日本時間同夕)、対独戦勝利六十周年記念式典出席のためモスクワ入りした。中国共産党が抗日戦で果たした役割を誇示、反日デモの暴走で傷ついた国際的なイメージの修復を図るとともに、国内の愛国主義運動本格化へのステップにするとみられている。歴史問題などでの対日圧力が再び強まる契機になりそうだ。

 胡主席はモスクワに二日間滞在し、九日午前の記念式典を挟んで数カ国首脳と会談。主な会談相手は、プーチン・ロシア、盧武鉉・韓国、シラク・フランスの各大統領、シュレーダー・ドイツ首相と、北朝鮮核問題や台湾問題などで日米と一線を画す国の首脳という特徴がある。

 この中で唯一の敗戦国であるドイツについて、国営新華社通信の七日付特集記事や八日付の共産党機関紙「人民日報」の論評は、ナチス・ドイツの侵略行為を深く反省し、国際社会から責任ある国家と認められていると称賛、日本の歴史認識を厳しく批判した。

 これは日本の国連安保理常任理事国入りに反対、ドイツを支持する理由にされてもいるが、それだけではない。

 市場経済化と国際化の進展で一党独裁体制が動揺する中で、愛国主義、民族主義の高揚はかつてのイデオロギーに代わる党への求心剤であり、抗日戦勝利の宣伝と日本の歴史認識批判はその両輪になっているからだ。

 胡主席の出発に先立つ七日、中国共産党中央は「抗日戦と反ファシスト戦勝利六十周年」の記念行事に関する「通知」を発表した。そのポイントは、共産党が「全民族を団結させ、日本軍国主義の侵略を打破、中華民族の復興と世界の平和と発展を促進する支柱になった」歴史的意義を宣伝、教育することにある。

 各地での記念行事に加え、記念の切手・貨幣の発行など、「愛国主義を称揚した江沢民前政権時代の五十周年を上回る規模のキャンペーン」(中国筋)が、九月に予定している抗日戦勝利記念大会に向け、本格化する見通しだ。

 中国筋によると、当初は抗日愛国の「五四運動」(一九一九年)記念日の五月四日にキャンペーンを盛り上げる計画だったが、四月初め以来の反日デモが暴走、国際的批判を浴びた結果、反日行動の規制を強化した。

 規制に自信を持った中国側が最近、反日デモを基本的に擁護する姿勢に戻ったのも、愛国キャンペーンの方針は不変だったからにほかならない。

 対独戦の勝利を国際的イベントにし、政権の威信と求心力を高めようとするプーチン大統領と胡主席は、動機は似ている。少なくとも中国国内向けには、このイベントを抗日戦勝利を誇り、愛国主義高揚の起点にする意図は、中国国営中央テレビが、式典を国内に生中継する点にも表れている。中国共産党がこれで国民の信頼を回復する可能性はほとんど考えられていない。

 むしろこうしたキャンペーンは対日関係の将来だけでなく、中国国内の安定にも危惧(きぐ)を抱かせる。

 対独戦勝利記念式典のテーマは「記憶と和解」とされているが、抗日戦の「記憶」を国民に求めることで、一党独裁を維持、強化しても、国内矛盾が拡大する一方では、暴力的な反日デモが再発するのは避けられないとみられるからだ。

中国「歴史問題で責任ある態度を」…日本をけん制

2005/03/24 読売新聞 Yomiuri On-Line

 【北京=竹腰雅彦】中国外務省の劉建超・副報道局長は24日の定例会見で、日本の国連安保理常任理事国入り問題について、「日本が国際社会で更なる役割発揮を望むなら、歴史問題で正確かつ責任ある態度が必要だ」と述べた。

 中国の民間インターネットサイトは、日本の常任理事国入り反対を呼びかける活動を展開し、すでに40万人を超えるネット署名を集めている。これについて劉副局長は、「反日感情ではなく、日本に歴史問題で行動を求めるものだ」との見解を示した。

国を想うなら学ぼう、自虐的な?歴史! 南京大虐殺について

2005/03/16JANJAN

 東西冷戦の終結からか、バブル経済崩壊による自信喪失の余波か、はたまた憲法9条改正への世論作りのためなのか、近年、歴史教育を見直す運動が盛んになっている。だが、その見直し方は、実に奇妙である。

 小林よしのり漫画の「ゴーマニズム宣言」と扶桑社の「新しい教科書をつくる会」に始まった、いわゆる自虐的な歴史観を教育現場や世論から排除しようという動きが、その象徴である。最近では、中山文部科学大臣が、「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行という言葉が減ってよかった」という発言をしたことが物議をかもし、NHK番組改変問題で取材対象となった女性国際法廷は、慰安婦問題を扱っていたため、読売や産経その他、保守系のマスコミから批難の砲火を浴びた。

 従軍慰安婦、強制連行と共に、常にこの歴史修正論者のスケープゴートとなっているのが、1937年、当時の中国の首都、南京で起こったいわゆる「南京大虐殺」事件である。実を言うと、筆者は、以前JANJANに、南京大虐殺をテーマにした記事「ファルージャと南京、イラク戦争と日中戦争」を掲載したことがあり、その際に、予想通り否定派から反論の意見を数多くいただいた。

 南京大虐殺とは、日中戦争の最中、南京にて日本軍により一般市民を含む30万人もの人々が虐殺されたという事件である。この数の多さから、この虐殺自体、ありえなかったという説が、保守系の雑誌や書籍を中心に広まっているが、南京大虐殺は歴史的な事実として起こったことであり、日本の政府も裁判所も、権威ある歴史学者も、事実をすでに認定していることなのである。

 ただ、事実誤認をしている人達もいると思うので、よく聞かれる否定説の反証をしておこうと思う。

(1)当時、南京の人口は、20万人程度なので、30万人もの人々を虐殺することなどありえない。また、短期間に大量の人間を殺せるだけの兵器は日本軍にはなかった。

 その20万人という数字は、南京市のごく一部、当時、難民避難のために設定された国際安全区内の人口であり、約4平方キロメートルの地域の人口を、南京全体の人口とすり替えた数字である。事件前年の南京市の人口は、約100万人と記録されており、事件当時は避難していた人が数多くいたため約60万人と推定される。中国の兵士は、約11万人いたと推定される。

 南京大虐殺は、1937年12月から2ヶ月に渡り30万人もの人々が虐殺されたと中国側は主張しているが、これはあくまで当時、処理した死体から割り出した推定値である。正確に数えたとは言えず、実際の数より多過ぎるということも考えられるが、2ヶ月で30万人という数はあり得ないわけではない。当時、南京には約20万人の日本兵が駐留しており、大量破壊兵器がなくとも、機関銃、手榴弾、銃剣、サーベルを使用すれば不可能ではなく、加害兵士の証言からも、これらの武器を使用して殺戮を行ったことが裏付けられる。虐殺が起こった現場も、南京市のみならず、南京市郊外を含む広範囲であったといわれている。

 大量破壊兵器を使用せず行われた大量虐殺は、近年では1994年アフリカのルワンダで起こっており、民族浄化により10ヶ月間で100万人もの人々が虐殺されたといわれている。

 (2)事件当時、南京大虐殺は、一般には全く知られず、戦後、東京裁判によって知られた事件。事件そのものがでっち上げられた可能性がある。

 南京虐殺があった当時、南京には日本軍の従軍記者の他、アメリカなどの海外の記者も滞在していた。日本では軍部の検閲があり、ほとんど報じられることはなかったが、アメリカの大手新聞ニューヨーク・タイムズ、シカゴ・デイリーなどは、世界に向け事件を報じていた。

 (例)シカゴ・デイリー 1937年12月15日より一部抜粋より

 「南京の包囲と攻撃を最もふさわしい言葉で表現するならば、地獄の4日間ということになろう。首都攻撃が始まってから南京を離れる外国人の第一陣として、私は米艦オアフ号に乗船したところである。南京を離れるとき、我々一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして300人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。そこには、すでに膝がうずくまるほど死体が積まれていた。」

 また、このようなエピソードもある。当時の首相であった近衛文麿氏の長男である近衛文隆氏は、米国のプリンストン大学に留学中だったが、事件のことが大きく報じられたため、友人からひどく責められ、いたたまれない思いをしていると手紙に書き、何も知らない日本の家族は手紙を受け取り大変驚いたという。(NHK BSハイビジョン「真珠湾への道」2002年8月15日放送より)

 しかしながら、以上の事柄を説明すると、必ずこのような返答がかえってくる。それは、我々にとって耳障りが悪く、日本人のイメージを下げる歴史を声高に叫ぶのは反愛国的ではないかと。

 南京虐殺など当時の日本軍の行った不名誉な行為の数々はすでに歴史的な既成事実として記録されており、今更、我々が声高に叫ぼうと日本人のイメージを悪くすることには、あえてならないだろう。むしろ、恣意的に否定することの方が、イメージの悪化につながると考えるべきである。

 2001年2月にハワイ沖で日本人の乗った船員訓練船「えひめ丸」が潜水艦の浮上事故で沈没した事件があったが、この時に米有力紙のワシントン・ポストにこのような社説が載った。「日本人は、我々に事件に対する謝罪を求めているが、日本は南京大虐殺に対して謝罪してないばかりか、事実そのものさえ認めようとしてないではないか」と。決して、説得力のある論説とはいえないが、このような揚げ足をとられかねない印象を与えていることを知らなければならない。

 また、否定説を説くことは、外交にも悪い影響を与えかねないと考えるべきだろう。日本と中国の間には、領土や資源などの国益を大きく左右する問題がある。お互いの主張は平行線なままで、最終的には第三者的な立場の国際機関に判断を委ねなければならなくなるかもしれない。その時に中国側からこのような意見が出されたらどうなるか? 「南京大虐殺のような世界に知られた歴史的事実を自らの主観で平気で否定する日本の言うことに信憑性はあるのだろうか?」と。その時に、我々の側に、きちんと対応できるだけの態勢は整っているか考えるべきだ。

 また、憲法9条改正を考えている人たちにとっても、南京大虐殺の事実を知ることは重要ではないか。軍隊を持つと言うことは、正しい軍隊の運用をきちんと知る責任が伴うことだ。南京で起こったことは、昨今のイラクのアブグレイブ刑務所で起こったことと同様に軍紀の乱れた失敗例といえる。その失敗を繰り返さないようにするためにも、過去の失敗からは大いに学ぶべきなのである。

 南京虐殺事件による傷は歴史に深く残り、被害を受けた国民は世代を超えて我々日本人を恨み続けることになった。そればかりでなく、加害者となった日本人の兵士達も、自らの行為を一生涯に渡って悔やみ続けなければならなくなったのだ。

 3月19日から21日の間、この南京大虐殺に関するパネル展と集会(20日午後6時)が、中野区の中野ゼロ小ホールにて開かれる。この集会では、NHK番組改変問題の女性法廷で加害兵士として証言をした方が、参加する予定となっている。カットされた貴重な証言を聞くチャンスとなるであろう。国を想い、国を憂う者ならば、この国の辿った軌跡をしっかり知るべきではないか。たとえ、それが“自虐的”で耳障りの悪いことであっても。

 詳細は以下の通り。

 「いま歴史を問う かつてと今の戦場の実相から」  場所:中野ゼロホール  日時:3月20日(日)18時〜  講演:斎藤貴男(ジャーナリスト)  証言:金子安次(元陸軍59師団伍長、撫順戦犯管理所で教育され不起訴)、この方が、女性法廷で加害兵士として証言をされた男性です。  松岡環(『南京戦 閉ざされた記憶』編著者)  報告:相澤恭行(PEACE ON代表)  トーク:海南友子(映画監督)、中原大弍(ピースボート事務局長)  参加費:1000円

 パネル展「南京閉ざされた記憶」  絵画展「戦場の記憶:元戦犯・桧山高雄展」  場所:中野ゼロギャラリー  期間:3月19日(土)〜3月21日(月)  入場料:300円(20日の集会参加者は無料)

 また、ノーモア南京の会(http://www.jca.apc.org/nmnankin/05nakanozeropanel.html もご覧ください。(海形マサシ)

来年6月に抗日記念館が開館 中国雲南省

2004/12/26 The Sankei Shimbun
 26日の新華社電によると、「抗日戦争」の舞台となった中国雲南省北西部の怒江リス族自治州に来年6月、当時墜落した中国軍機を展示した抗日記念館が開館する。

 来年を「ファシスト打倒60周年」と位置付ける中国は、抗日戦争勝利に関する記念式典を各地で計画しており、今回の開館もそうした動きの一つとみられる。

 記念館は、当時の米中両軍が対日作戦の一環として、インド−雲南省間に開設した支援ルート「駝峰(ラクダのこぶ)航空路」という名にちなみ「駝峰航空路記念館」とされ、墜落機一機のほか、26機の機体破片などが陳列されるという。(共同)

抗日歴史教育、中国強化へ 南京事件67周年、盛大に愛国行事

2004/12/14 The Sankei Shimbun 東京朝刊から
 【北京=野口東秀】中国・南京で旧日本軍が30万人を虐殺したと中国が主張する「南京大虐殺」事件が13日で67周年を迎えた。来年の「反ファシスト勝利60周年」を控え、抗日歴史の宣伝工作が活発化するなか「南京大虐殺記念館」では小学生らを集め愛国行事が盛大に実施された。

 中国中央テレビなどによると、「南京大虐殺記念館」では13日、小学生の団体を含め約3000人の市民、軍人を集め式典が開かれた。記念日を示す空襲警報のようなサイレンも3分間響き渡った。

 13日を前に中国主要メディアは虐殺の「生存者」に焦点をあてており、12日には179人の生存者に各界からの援助を得られる証明書が授与された。

 一方、中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」は13日、大学生1000人対象の意識調査を1面に掲載。事件の日付を知らない回答者が多く、一層の歴史教育が必要と分析されている。

 調査では92%が「虐殺の人数は30万人」と回答したほか、93%が「虐殺の歴史教育の強化が必要」とし、「記念館を世界遺産に申請すべきだ」も73%に上った。

 「大虐殺の歴史はメディアを通じて知った」とするのが過半数を占め、政府主導の宣伝工作が極めて高い効果を生んでいるといえる。

 もっとも、「現代日本への理解が不足しており、もっと知るべきだ」と考えている学生も63%に達している。【2004/12/14 東京朝刊から】

アイリス・チャンさん死去、自殺か ザ・レイプ・オブ・南京

2004/11/11 The Sankei Shimbun
 【ロサンゼルス=岡田敏一】日中戦争中の南京事件(1937年)をセンセーショナルに描き、その後不正確な記述や偽写真の使用が問題となったノンフィクション作品「ザ・レイプ・オブ・南京」(1997年出版)を執筆した中国系米国人女性作家、アイリス・チャン氏(36)が、カリフォルニア州サンタクララ郡で死亡していたことが10日、確認された。状況から自殺とみられる。

 AP通信などによると、捜査当局者の説明では、自宅近くの路上に駐車していた車の中で9日朝、死亡しているのを通りかかったドライバーが発見した。

 検視の結果、頭部から銃弾1発がみつかり、捜査当局は自殺と判断した。

 チャン氏はサンノゼで夫と2歳の息子との3人で暮らしていた。関係者によると、最近は、第二次世界大戦中、フィリピンで日本軍と戦った米兵の物語を執筆するため取材活動を続けていたが、体調を崩して一時入院。退院後もふさぎ込むことが多かったという。

 チャン氏は1968年、ニュージャージー州プリンストン生まれ。米イリノイ大学(ジャーナリズム専攻)やジョンズ・ホプキンス大学の大学院で学んだ後、AP通信やシカゴ・トリビューン紙で短期間、記者として働いた後、25歳の時に初の著作「蚕の糸」を出版。97年11月に「ザ・レイプ・オブ・南京」を出版した。

5.次世代に 継ぐ、それぞれのやり方で

2002/08/15 神戸新聞

 「中国帰還者連絡会(中帰連)」が今年四月、解散した。中国東北部、「撫順戦犯管理所」からの帰国者らが半世紀近くにわたって反戦を訴え、加害行為の証言を続けてきたが、約三百人の会員の平均年齢は八十二歳に達していた。

 だが、精神は残った。若者たちが各地に「撫順の奇蹟(きせき)を受け継ぐ会」を設立した。「家族を日本軍に殺された中国人は、それでも人道的に接してくれた。その経験が自分を変えた」。中帰連会員に共通する思いを、「奇蹟」という言葉に託した。

 関西支部は現在、近隣に住む中帰連会員からの聞き取りに力を注ぐ。約五十人の支部メンバーの九割は、戦争体験がない。

 けれど「一人ひとりの顔と名前、信念が刻まれた体温のある声に、心を動かされてきた。正確な記録を残すという形でその感動を伝えることは、私たちにもできる」と、同支部事務局長の野津加代子さん(40)。八月三日には、ビデオに収めた証言を大阪で公開した。

 元関東軍国境警備隊一等兵で、中帰連会員の山口光夫さん(78)=神戸市垂水区=は「受け継ぐ会ができ、本当にうれしい。生きている限り手伝いたい」と声を弾ませる。原体験がないことも、ハンディになるとは思わない。「戦争がすべてを破壊すると知っている若い人たちは、未来が長い分だけ真剣だ」

◇       ◇       ◇

 「平和集会とかに行くと、空気が重たいことが多い。義務感でやってる、みたいな感じの人もいるし」。平和サークル「ピーストレイン」代表で、甲子園大に通う神野さおりさん(20)はそう感じる。甲南大で学ぶ細川純一さん(23)の見方は、少し違う。「平和の問題が人生に直接つながってる人が重くなるのは仕方ない、とも思うけどなあ…」

 阪神間の大学生ら約二十人で昨年九月に結成。二週間に一度ほど集まり、神戸空襲の体験談を聞いたり、神戸市内の戦跡を訪ねるフィールドワークなどをしてきた。

 とにかく明るい。国際政治から見たい映画まで、自然体で語り合う。活動記録にも「(学習会の講師が)カッチョよかったです!」「(戦跡を見て)こんなんなったらシャレにならん」と、等身大の言葉がつづられる。

 「平和行きの汽車に」と願って、会の名前を付けた。鉄路の先を照らすのは、生き抜いてきた世代の志。それを継ぎ、夏の向こうへ、走り続ける。 =おわり=(新開真理、木村信行)

南京大虐殺:旧日本軍の元兵士102人を調査 近く出版 大阪

2002年07月13日 Mainichi INTERACTIVE

 日中戦争で南京攻略戦にかかわった旧日本軍の元兵士102人から、大阪府の市民団体「南京大虐殺60カ年全国連絡会」が聞き取り調査を行った。元兵士の証言はこれまで一部しかなかった。兵士ではない女性や子どもを無差別に殺し、捕虜の虐殺、性暴力、食糧などの略奪を繰り返したことを生々しく証言している。「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて」と題して社会評論社から近く出版する。

証言した元兵士は、1937年からの南京戦に参加した9個師団のうち、第16師団の歩兵第33連隊(三重)と第38連隊(奈良)を中心に第9師団歩兵第36連隊(石川)などに所属していた。地域の戦友会などを通じて捜し出した。いずれも南京が陥落し、その後、大規模な虐殺があったとされる同年12月13日前後に南京に入っていた。

 「南京では家の中にドンドン弾を撃ちこんだ。草場の中でも壁の裏でも動いとるもんは撃った。オイと声をかけてポンと撃つ、ポンコロや」と、第16師団にいた86歳の元兵士は語った。

 特に激しい戦闘があった南京城内では、「難民収容所にも入り、屈強な男は引き出して殺した」。南京陥落後も残虐な行為は続き、「年寄りも子どもも一緒くたにして300〜400人捕まえてきて地雷を引いてドンと爆発させた。城壁の上からガソリンをまいて火をつけて燃やした」などの証言も得られた。

 「徴発」と呼ばれた略奪行為については、「現地では豚でも鶏でも取るのは当たり前だった」と、多くの人が「やった」と打ち明けた。「分隊でクーニャン(若い女性)を飼った」などと、悪びれずに話す人が多く、性暴力は常態化していたという。

 「揚子江に飛びこんだ5、6人を機関銃で撃った」と証言した第16師団の元兵士(86)は、「新聞で書いている虐殺なんか信じへんな」と、反省の様子はない。同じ師団の元兵士(86)も「戦争についてはどうも思わん。侵略とも思わん」。

 同会共同代表で小学校教諭の松岡環さん(54)は、「心から反省している人はむしろ少ない。戦争だったのだから仕方がないと言う人が多く、ショックでした」と話した。 【高村洋一】

南京大虐殺の中国人研究者、高興祖氏死去

2001.01.27(21:28)asahi.com
 高 興祖氏(こう・こうそ=南京大教授、南京大虐殺史研究者)は、中国江蘇省の日刊紙、新華日報によると、今月8日、病気のため、南京市で死去。72歳。

 同省生まれ。54年に南京大学歴史学科を卒業。同学科の教壇に立つかたわら、60年代から旧日本軍による南京大虐殺の歴史研究に取り組み、多数の著書や論文を発表。著書「南京大虐殺―日本軍の中国侵略と暴行」は80年代に日本でも出版された。中国の「南京大虐殺史研究会」の会長も務めた。

南京大虐殺めぐり、生存者が日本の学者らを提訴

2000.11.28(17:22)asahi.com
2000.11.28(17:22)asahi.com
 中国の人権団体「中国人権発展基金会」は28日、北京で記者会見を開き、旧日本軍による南京大虐殺で被害を受けたとする江蘇省南京市在住の夏淑琴さん(71)が、日本で出版された2冊の本の中で「事件のにせの証人とされ、名誉を傷つけられた」として、著者の日本人2人と出版元を相手に計160万元(約2100万円)の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを南京市中級人民法院に起こした、と発表した。同事件をめぐる日本人著者らを相手取った中国国内での訴訟は初めてだとしている。

 訴えられたのは、「『南京虐殺』の徹底検証」の著者で亜細亜大学教授の東中野修道氏、「『南京虐殺』への大疑問」の著者で歴史研究者の松村俊夫氏、出版元の展転社(東京都文京区)。

 弁護団は、2冊の著書は「歴史の真実を否定し、事件の生存者をにせの証人としている。日本の社会に悪い影響を与えている」と主張。だが、具体的な記述部分については明らかにしなかった。

 松村氏と展転社は同じ著書をめぐって昨年9月、南京市在住の別の女性から、「被害者でないように名指しされ、名誉を傷つけられた」として、損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こされている。今回、弁護団は、「原告は高齢であるため日本での訴訟は難しく、中国国内で訴訟を起こした」としている。

    ◇

 <展転社の話> 話を聞いたばかりなので何とも言えない。初のケースなので、よく検討していきたい。

中国の対日感情 歴史認識なお厳しく

2000年11月2日Mainichi Interactive 坂東賢治(中国総局)
 ◇国民レベルで疑念解け

 10月下旬、レバノンでのサッカー・アジアカップ準決勝の日本―中国戦で、中国は2―3で惜敗した。しかし、新華社通信は「実力で群を抜いた日本を破ることはできなかったが、中国チームの出来は称賛に値する」と評した。日本にぜがひでも勝たなければいけないという悲壮感はない。

 「日本チームは日本製の自動車や家電の精密な技術を思わせるパスを送る」「日本選手はアジアなど眼中にないかのように微妙な判定にも抗議せず、笑みを浮かべている。我々はそこに羨望(せんぼう)と嫉妬(しっと)を感じる」

 アジアカップを報じた中国紙の記事だ。面はゆいような気もするが、中国の対日観の一面が表れているように思う。シドニー五輪女子マラソンで高橋尚子選手が金メダルを取った際も中国メディアは「アジアの誇り」とたたえた。優れた技術は率直に認めている。

 しかし、歴史が絡むと途端に冷静な議論が成立しない。アジアカップ報道で抗日戦争以来の日本への反発の意味を含んだ「小日本」という言葉を使ったインターネットのスポーツサイトに上海在住の日本人が「日本を見下した表現だ」と抗議を寄せた。

 「日本国民の感情を傷つける表現は日中友好のためにならない」との趣旨は日本人の私から見れば、ごく穏当なものだ。しかし「日本人は数百万の中国人を殺害し、謝罪も反省もしない。何が友好だ」「南京大虐殺記念館を見てからモノを言え」と歴史に結びつけた反論が殺到した。

 匿名性が強く、極端な議論に傾きやすいネット上の論争が世論をすべて代表しているとは思わない。しかし、1000万人を超える中国のネット愛用者の多くは高学歴の若い世代だ。日本人の問いかけに冷静に答える若者が皆無に近いことに暗たんとした気持ちになる。

 10月12日から17日まで日本に滞在した朱鎔基首相も同じ目に遭ったようだ。森喜朗首相との会談では「漢奸(かんかん)(売国奴)という批判まである」と漏らしたという。来日前の日本人記者団との会見で「歴史問題で中国は日本人民の感情を傷つけるべきではない」などと述べたことにインターネットで批判が相次いだのだ。

 朱首相は来日に当たって「増信釈疑(信頼を増し、疑念を解く)」を目標に掲げた。中国の対日外交関係者は、1998年11月の江沢民国家主席の来日時に歴史問題に焦点が当たり過ぎて日本の対中感情が冷え込んだのを反省材料に、歴史問題への言及をできるだけ避けるよう進言したといわれる。

 しかし、こうした日本への配慮が中国や香港の一部世論を刺激した。歴史問題での朱首相の来日中の発言は微妙に揺れた。テレビでの市民との対話では「日本が公式文書で謝罪したことはない」と不満をもらし、記者会見で真意を問われると「謝罪を求めることは目的ではない」と説明した。

 率直な発言で知られる朱首相のことだ。テレビでの発言が真意だろうが、会見では発言の力点を変えて日本の反発をかわそうとしていた。日中双方の世論に配慮するという板ばさみの状況の中でぎりぎりの判断を迫られたのだろう。

 日中両国の外交当局者は朱首相の来日について「まずまずの成功」と評価している。理由の一つは、江主席訪日時と違って歴史問題でギクシャクしなかったからだという。しかし、この2年間に中国の国内世論が変わったわけではない。

 「中国が日本の資金を求めて譲歩したというような報道は本当に困る」と中国の外交当局者はこぼす。インターネットを通じて日本メディアの報道がただちに翻訳されて中国に伝わり、「金のために国を売るのか」といった批判が出るからだという。

 朱首相が森首相に日本の経済協力に感謝を表明し、中国国内での日本の政府開発援助(ODA)へのPR強化を約束したことなどは中国メディアでは全く報じられなかった。政府間で友好を演出しても国民レベルで受け入れる素地が整っていないのが実態なのだ。

 日本には、ODA問題などで強い態度に出たことが中国の姿勢を変えたという見方がある。しかし、世論レベルで見ると逆だと思う。先に挙げた論争で「小日本は強力だから危険なのだ」というメールを見た。高い技術力を持ち、経済発展した日本に戦争の歴史を重ね合わせ脅威と反発を感じる人たちは少なくない。

 中国自身の責任もある。日本に好意的な報道は少ない。愛国主義教育の一環として抗日戦争の歴史が強調され、現在の日本への警戒が説かれる。日本を好きになれと言う方が難しい。中国が本当に国民レベルの日中友好を望むなら、教育の見直しも必要だろう。

 一方で日本側も草の根の厳しい対日認識を正面から見つめるべきだ。「共産党政権だから何とか抑えられるが、民主化が進めば、もっと反日意識が表に出るかもしれない」。これが中国の若手日本研究者が漏らす本音である。

火野葦平:南京から家族に送った手紙見つかる 北九州の資料館

2000年10月19日 by Mainichi Interactive
 日中戦争に従軍した芥川賞作家の火野葦平(本名・玉井勝則、1907〜60年)が37(昭和12)年12月、日本軍占領直後の南京から若松市(現北九州市若松区)の家族に送った手紙が若松区の火野葦平資料館で見つかった。代表作「土と兵隊」の素材になった描写や捕虜虐殺の体験、南京大虐殺をうかがわせる記述もある。近代文学を研究する九州大学比較社会文化研究院の花田俊典教授が葦平の未公表書簡から見つけた。雑誌「國文學」(學燈社)11月号に全文が掲載されている。 【伊藤 和人】

 葦平は日中戦争が勃発した37年10月、陸軍第18師団の小隊分隊長として南京攻略戦に従軍した。手紙は若松の父にあてたもので、日付は12月15日。11月11日〜13日の戦闘と12月14日に入城した南京の光景を便せん16枚につづっている。その中で中国兵捕虜虐殺は次のように書かれている。

 「(捕虜が)三十二名全部、殺されて、水のたまった散兵濠の中に落ち込んでいました。(略)一人の年とった支那兵が、死にきれずに居ましたが、僕を見て、打ってくれと、眼で胸をさしましたので、僕は、一発、胸を打つと、まもなく死にました」「(捕虜の)日記帳などを見ると、故郷のことや、父母のこと、きょうだいのこと、妻のことなど書いてあり写真などもありました。戦争は悲惨だと、つくづく思ひました」

 南京入城後の記述では「南京は相当の大激戦だったやうです。城外には支那兵の屍骸(しがい)が山をなしています」と書き、12月13日から14日にかけて行われたという中国兵せんめつをにおわせている。

 葦平が「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受け世に出るのは手紙の翌年の38年2月。この年から翌39年にかけ、南京進軍を描いた「土と兵隊」「麦と兵隊」などの兵隊3部作を発表した。「土と兵隊」の戦闘場面の手紙の描写と同じであるうえ、戦後加筆された捕虜虐殺の場面も手紙の内容と重なっており、いずれも実体験だったことが分かる。

 花田教授は「日中戦争初期にはまだ緩やかだった検閲が、兵隊3部作執筆のころには厳しくなっていた事情がうかがえる」と話す。

 葦平の三男で、若松区の葦平旧居「河伯洞(かはくどう)」案内人を務める玉井史太郎さん(63)は「父は死ぬまで戦争協力者と言われたことを悩んでいたが、作品の底に流れるものは名もない兵隊への愛情だった。それを証明する資料が見つかったことはありがたい」と話す。手紙は12月25日まで葦平資料館で公開される。

朱鎔基首相 公開対話番組に出演

2000年10月15日Mainichi Interactive
 来日中の中国の朱鎔基首相は14日、TBSの公開対話番組(同夜放送)の録画撮りに出演し、1時間余りにわたってスタジオに集まった市民からの質問に答えた。中国の指導者が西側メディアの番組で市民との直接対話に応じるのは極めて異例。朱首相はユーモアも交えながら日中関係の現状などについて答えたが、政府間では強調しなかった歴史問題について「日本の謝罪が文書に書かれたことは一度もない」と不満を漏らすなど、日中の認識の違いも改めて浮き彫りになった。

 朱首相は冒頭、「日本の与党の幹事長から笑顔で出演してもらいたいと言われたが、いい笑顔は難しい。でも無理に笑っているわけではない」とジョークで会場を笑わせ、最後には司会の筑紫哲也キャスターの求めに応じて趣味の胡弓を弾くなどパフォーマンスも示 したが、質問が歴史問題に集中すると表情が硬くなる場面も。

 石原慎太郎・東京都知事の「三国人発言」に関して「一部の言動が中国人の感情を傷つけている。世論は日中友好を守ることを考えてほしい」と訴え、南京大虐殺については「事実です」と一言。「中国はなぜいつも謝罪を求めるのか」との質問には、笑いながらも「今回は謝罪を求めなかったが、このために、国内で批判されている」と切り返した。

 さらに侵略を認め謝罪した1995年の村山富市首相談話についても「アジア全体に対する総括的なものだ」と指摘し、中国に対する謝罪が文書に明記されていないことに言及。「謝罪をするかどうかは日本人自身の問題だが、我々は考えてほしいと思っている」と中国側が日本の対応に満足していないという本音をのぞかせた。 【坂東 賢治】

在米大使館と総領事館のHP、不正書き換え

2000.09.22(20:31)asahi.com
 外務省は22日、在米日本大使館と総領事館のホームページの内容が、不正に書き換えられていたことを明らかにした。日本時間の21日午後、ホームページに何者かが侵入し、日本人を侮辱する英文2行が約1、2時間、画面に表示された。同省では、米国にあるプロバイダーに連絡して、サーバーを停止した。復旧には、数日かかる見込みという。

中央省庁HPの改ざん、12件が中国経由

9:58p.m. JST March 03, 2000
 官公庁などのホームページ(HP)を管理するサーバーコンピューターが不正に侵入され、HPが改ざんされた事件で、確認された16件の被害のうち、12件が中国のサーバーを経由した不正侵入とみられることが3日、警視庁ハイテク犯罪対策総合センターと麹町署の捜査本部の調べでわかった。また、HP改ざんなどの被害を受けなかった9省庁でも、侵入を試みたとみられる不審な接続の形跡が3万2000件残っていたことがわかった。

 捜査本部が16件について、記録用ハードディスクの提出を受け、通信記録の解析をほぼ終えた。その結果、2件が中国、1件が米国、2件が東京大学経由で侵入されたと断定。さらに10件についても中国経由の可能性が高いことが分かった。残り1件は特定できていないという。

 また、実害はなかったものの、侵入を試みる不審な接続を受けた形跡があった九省庁に関する不審な接続は計3万2000回あり、いずれも科学技術庁のHP改ざんが発覚した直後の1月25日から約1週間に集中していた。
朝日新聞社の取材でも、衆議院、大蔵省、文部省、外務省、労働省、金融監督庁、日本銀行などのサーバーで、1月下旬に集中して不審な接続を試みた形跡が残っていることが判明している。

被害の12件が中国経由

2000年3月3日 16時40分
 ハッカーによる中央省庁などのホームページ(HP)書き換え事件で、被害に遭った16件のうち12件が、中国のサーバーコンピューターを経由していたことが3日警視庁麹町署の捜査本部の調べで分かった。

 残る4件のうち2件は米国、1件は東京大学経由だったことが判明しており、1件は経由したサーバーが特定できなかったという。

中国語、韓国語でも情報

2000年2月25日 16時35分
 外務省は25日から外務省のホームページで従来の日本語と英語に加え、中国語と韓国語による情報提供を始めた。

 ホームページには日中、日韓関係の動きなどを紹介。中国語ページでは、南京大虐殺に関して、中国の新聞の質問に答える形で「非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があったことは否定できない事実」とする日本政府の見解を紹介している。

対日ハッカー用ソフト提供

2000年2月13日 20時01分【上海・共同】
 日本の中央官庁のホームページ(HP)が、南京大虐殺否定に抗議するハッカーから、改ざんされる事件が続出している中、日本へのハッカー行為を堂々と呼び掛け、そのためのソフトを提供している中国語HPの存在が13日明らかになった。実際にこのソフトが使われたかどうかは不明だが、一連の改ざんが、中国語を使うハッカーらの仕業である可能性が一層強まった。

「南京大虐殺」抗議 沖縄郵政管理事務所で発覚

2000年1月31日(Mainichi Shimbun)by Mainichi Interactive
 郵政省は30日、同省沖縄郵政管理事務所のホームページが不正侵入され、ページ内に「南京大虐殺」に対する日本への抗議文が、日本語と中国語で書き加えられていたことを明らかにした。

 同省によると、侵入されたのは本省のホームページとは別に、同事務所が独自に設けているホームページで、通常、外部からはアクセスできないページ内の空き領域に文書が挟み込まれていた。利用者からの通報で同日午前、侵入が判明、同事務所が警察に被害届を出した。

 同事務所は、侵入経路やセキュリティー対策について、ホームページの運営を委託している民間業者に確認している。同事務所が掲載した情報やデータそのもには改ざんや書き換えなどは行われていないという。

 郵政省本省のホームページは25日未明、数回の不正アクセスを受けたが、侵入はされていなかった。

沖縄郵政のHP改ざん

2000年1月30日 12時30分 共同通信社
 郵政省は30日午前、沖縄郵政管理事務所ホームページ(HP)が不正にアクセスされ、内容が改ざんされたことを明らかにした。
同省によると、改ざんされたのは本省のHPとは別に沖縄郵政管理事務所が独自に設けているHPで、トップページ部分が南京大虐殺に対する日本への抗議文に、英語と中国語で書き換えられていた。

 同省関係のHPで内容が改ざんされたのは今回が初めて。

だれが、何の目的で

2000年1月29日 16時08分 共同通信社
 中央省庁のコンピューターに侵入、ホームページを書き換えたりファイルを破壊するなどしたハッカー事件。ハッカーは省庁のネットに執ような攻撃を仕掛け、政治的な主張をにおわせる書き込みを残した。警視庁などは電子計算機損壊等業務妨害容疑で捜査中だが、ハッカーの目的や進入経路などは不明のまま。「騒ぎを喜んでいるだけ」との見方も強い。

ファイル破壊の可能性も

2000年1月28日 19時48分 共同通信社
 ハッカーによる中央官庁などへのホームページ侵入事件で被害に遭った科学技術庁と経済企画庁の認可法人総合研究開発機構の計2台のサーバーコンピューターで管理者パスワードが変更されていたことが28日、警視庁の捜査本部の調べで分かった。またパスワードの変更でサーバー自体が再起動しなくなっており,捜査本部はサーバーの他のファイルが破壊されていた可能性もあるとみている。

ハッカー攻撃、さらに拡大

2000年1月28日 19時04分 共同通信社
 中央官庁のホームページが相次いでハッカーに侵入された事件で28日、文部省で、新たに不正アクセスの記録が4件見つかり、農水、労働両省でも不正アクセスが確認された。このほか日銀や大蔵省でも同日午後、何者かがホームページへの侵入を試みた。いずれも失敗し実害は生じていない。また環境庁でも関連は分からないもののこの1週間に3000〜4000件の不正アクセスの痕跡が確認された。

日銀にも不正アクセス

2000年1月28日 17時33分 共同通信社
 日本銀行は28日、統計資料などを掲載している同行のホームページに、侵入を目的とした不正アクセスがあった、と発表した。ホームページを管理するシステムが侵入を防いだため、被害はなかった。

 科学技術庁など中央官庁のホームページがハッカーによって相次いで書き換えられる事件が起きているだけに、日銀は監視体制を一段と強める考えだ。

大蔵省にも不正アクセス

2000年1月28日 18時34分 共同通信社
 中央省庁のホームページにハッカー被害が相次いでいる問題で28日、新たに大蔵省のホームページにも不正侵入の試みがあったことが分かった。

 ホームページが置かれている同省独自のサーバーに侵入しようとした形跡が見つかったが、失敗したとみられ実害は出ていないもようだ。現在、同省で詳しい状況を調べている。

文部省にも侵入狙う?

2000年1月27日 16時27分 共同通信社
 文部省は、27日、同省のホームページに侵入しようとした不正アクセスとみられる記録を発見したと発表した。侵入は失敗し、ホームページが書き換えられるなどの実害は発生していないという。

 同省政策課によると、最近1カ月間のアクセス記録を調査した結果、26日午前4時52分から55分にかけて不正アクセスとみられる記録が残っていた。

中央省庁HP不正侵入で警視庁が捜査本部設置

1:36p.m. JST January 26, 2000
 科学技術庁と総務庁のホームページ(HP)が不正に侵入され、内容が書き換えられた事件で、警視庁ハイテク犯罪対策センターと捜査一課などは26日午前、麹町署に捜査本部を設置し、電子計算機損壊等業務妨害の疑いで本格的な捜査に乗り出した。コンピューターシステムの不正アクセスについて警視庁が捜査本部を設けるのは初めて。

これまでの調べでは、24日午後5時45分ごろと26日午前6時45分ごろの2回にわたって、何者かが科技庁のHPに不正にアクセスし、英語のわいせつな言葉に書き換えたほか、米国の成人向け雑誌のHPにつながるようにしていた。

 また、25日午前8時半ごろには、総務庁のHPに侵入し、中国語と英語で政府を非難する内容に書き換え、業務を妨害した疑いが持たれている。また、同庁統計局のHPが侵入され、国勢調査などのデータを抹消されたとの通報もあり、確認を急いでいる。

 警視庁ハイテク犯罪対策センターは、科技庁からの届け出を受け、捜査員が同庁のシステム担当者から事情を聴いたところ、総務庁でも同様の侵入を受けていたことがわかった。

 警視庁は両庁からサーバー(データ集配信)コンピューターの記録部分であるハードディスクの提出を受け、通信記録の解析を進めている。侵入者が両庁の防御システムをどのような侵入経路で突破し、HPの書き換えをしたかについて解明する方針。

省庁ホームページの不正アクセス被害広がる

6:41p.m. JST January 25, 2000
 科学技術庁と総務庁のホームページ(HP)に不正アクセスする被害が相次いだが、新たに総務庁統計局のHPがアクセスできない状態にされていたことが25日午後、明らかになった。事態を重くみた政府は同日、全省庁に対し、コンピューターシステムの管理体制を再確認するよう指示した。当面、不正侵入を許した原因の究明と、侵入を防御するソフトの再点検などを急ぐ。

 科技庁のHPは、英語でわいせつな言葉などが書かれ、そこから米国のアダルト系HPにつながるようになっていた。総務庁のHPは、中国語と英語で「日本政府は南京大虐殺を認めていない」などと書かれていた。総務庁統計局のHPは国勢調査などの統計データがすべて抹消されていたとみられる。科技庁と総務庁のHPは再開のめどが立っていないが、統計局のHPはバックアップしていたデータを使って同日午後、復旧した。

 政府は21日、情報セキュリティー関係省庁局長会議(議長・古川貞二郎官房副長官)で、省庁がコンピューターを導入する際、安全水準の高い製品や技術を採用するなどの行動計画を決めたばかり。その直後の被害に、青木幹雄官房長官は記者会見で「非常に残念なこと。政府全体として問題意識を持ち、今後、万全の体制を敷かなければならない」と語った。

 内閣安全保障・危機管理室によると、日本の省庁のHPが被害を受けたのは初めて。同室は「HPは外部と電話回線でつながっており、最も侵入しやすいところが狙われた」とみる。一方、「内閣、防衛庁など国の機密は外部と接していないコンピューターに厳重に保管している」として、対策には自信があるという。

 不正アクセスをめぐっては、これまでは刑法の業務妨害罪などで摘発されてきたが、来月13日に「1年以下の懲役か50万円以下の罰金」の罰則を盛り込んだ不正アクセス禁止法が施行される。

万全の態勢を整えたい=中央省庁のハッカー被害で青木官房長官

00年1月25日 14時33分[東京 25日 ロイター]
 青木官房長官は、科学技術庁と総務庁のホームページにハッカーが侵入し、内容が改ざんされた問題について、政府として万全の態勢を整えたい、と述べた。午前の定例記者会見で述べたもの。  昨晩明らかになったこの問題について、官房長官は、「政府全体としても、問題意識を持って、ハッカー対策の基盤整備に取り組み、万全の態勢を整えたい」と述べた。  ”対策が進んでいるアメリカの支援を仰ぐのかと”との質問に対し、青木官房長官は、「それも含めて、政府として、万全を期していかなければならない」と述べた。

科学技術庁のホームページにハッカー

2000年1月25日 7時21分 共同通信社
 科学技術庁が公開しているインターネットのホームページにハッカーが侵入、内容が書き換えられていたことが分かり、同庁は24日夕、同庁のホームページの公開を中止した。

 科技庁によると、中央官庁のホームページが書き換えの被害に遭ったのは初めてとみられるという。

南京虐殺否定に抗議の集会

2000年1月24日 17時58分 【南京・共同】
 大阪市の施設で市民団体が「南京大虐殺」事件を否定する集会を開いたことに抗議する集会が24日午後、中国南京市の南京大虐殺記念館で開かれ、事件の生存者や高校生約500人が「歴史を改ざんすることはできない」と訴えた。

河野外相「南京事件は否定できない事実」 新華社が報道

5:03p.m. JST January 23, 2000
 中国の国営新華社通信は23日、大阪市内で同日、「南京大虐殺」を否定する集会が開かれたことについて、「河野洋平外相が日本軍がかつて南京で犯した殺りくなどの行為は、否定できない事実であると強調した」とする東京特派員電を配信した。

 新華社記者の同日の電話取材に河野外相は「集会の主催団体の主張と日本政府の認識は異なり、大多数の国民の支持を得るのは不可能だろう。政府の認識は変わることはなく、大多数の国民も同じ認識を持つ」などと回答した。

 中国の一般マスコミは集会に抗議する中国国内の動きを連日報じている。しかし新華社や党中央機関紙・人民日報は「南京事件は否定できない事実」とする沼田貞昭外務省報道官や「侵略を反省する日本政府の立場は不変」とする河野外相の談話を比較的目立つ形で報じ、日中関係への影響を配慮し、バランスをとろうとする姿勢が目につく。

南京で遺族らが抗議集会

2000年1月19日 14時27分【上海・共同】
 大阪府の政治団体が23日に「20世紀の最大の嘘南京大虐殺の徹底検証」と題する集会を計画していることに抗議する集会が19日、中国南京市の南京大虐殺記念館で開かれ、事件の被害者の遺族ら30数人が「歴史を抹殺することはできない」などと訴えた。南京市の李伯潜さん(84)は「母親は日本軍の道案内を拒否して銃殺された」と、大阪市が集会開催を許可しないよう求めた。

「大虐殺否定できない」

2000年1月19日 13時16分【北京・共同】
 大阪府の市民団体が南京大虐殺に関し予定している集会に中国側が反発している問題で、中国国営通信、新華社は19日、沼田貞昭外務報道官が同社のインタビューに「南京での殺害や略奪は否定できない事実」と答えたと報じた。新華社電によると、沼田報道官は「旧日本軍が南京に入った際に、非戦闘員の殺害や略奪などがあったことは否定できない事実」と述べた。

中国外務省が強く反発

2000年1月18日 18時55分【北京・共同】
 大阪府の市民団体が23日に「20世紀の最大の嘘(うそ) 南京大虐殺の徹底検証」と題する集会を計画していることについて、中国外務省の朱邦造報道局長は18日の定例会見で「中国政府とすべての中国人民は極めて大きな義憤を表明する」と述べ、強く反発する態度を示した。

 集会に関する中国政府の姿勢を報道局長が明らかにしたのは初めて。

中国・南京大虐殺記念館が大阪府などに抗議

00:59a.m. JST January 15, 2000
 大阪府と大阪市がつくった施設が、「20世紀最大の嘘(うそ)『南京大虐殺』の徹底検証」をテーマにした集会に施設使用を許可した問題で、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」(朱成山館長)は13日、大阪府と大阪市あてに、「歴史の事実と中国人民の感情を無視するものだ」として抗議書を送った。南京市では16日から20日にかけて、断続的な抗議集会の開催も計画しているという。

 抗議書は平和博物館「ピースおおさか」(大阪国際平和センター、大阪市中央区)での集会を「正義に反するもの」とし、「歴史問題に正しく対処することは、中日両国が友好協力関係を発展させていく上での重要な政治的基礎である」としている。「今後、類似事件が起こらない保証を求める」という。また、同館長によると、南京の大学や中学校、同記念館などで抗議集会の開催が予定されており、強い抗議の姿勢を示したいという。

「南京大虐殺はウソ」集会めぐり中国が大阪市に申し入れ

06:06a.m. JST January 13, 2000
 大阪府と大阪市がつくった平和博物館「ピースおおさか」(大阪国際平和センター、大阪市中央区)が、「20世紀最大の嘘(うそ)『南京大虐殺』の徹底検証」をテーマにした集会に施設使用を許可したことについて、中国在大阪総領事館は12日、同市に対し、「中日の友好関係に水を差す行為で、中国政府として残念だ」と申し入れ、使用許可の取り消しを同館側に働きかけるよう要望した。

 同日、劉毅総領事が大阪市役所に土崎敏夫助役を訪ね、口頭で伝えた。総領事館によると劉総領事は、日中共同声明で日本側が「中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」と表明したことや、加害の事実を踏まえて平和の尊さを伝えるとした同館の設立理念を引き、「(南京大虐殺は嘘などと)歴史的事実を改ざんするような集会は、中国人の感情を傷つける」などと話した。総領事館は今月上旬、大阪府に、同様の申し入れをした。

 集会を開くのは「日本世論の会」などでつくる「戦争資料の偏向展示を正す会」(事務局・大阪府高槻市)。同館は使用申し込みを受けて「公的施設の管理規定上、不許可にはできない」と判断し、使用許可を出している。同市教委社会教育部は「言論・集会の自由の兼ね合いから、同館が許可を取り消すのは困難だろう」と話している。


731部隊のペスト菌調査報告書見つかる

2000.09.09(15:56)asahi.com
 細菌兵器開発のために人体実験を繰り返したとされる旧関東軍防疫給水部(731部隊)が、1940年に中国東北部の農安、新京(現・長春)で流行したペストを軸にペスト菌を体系的に調査した報告書が現存していたことがわかった。731部隊はペスト菌を最も効果的な細菌兵器と位置づけていたといわれ、同部隊の細菌戦の実態を解明する手がかりになる資料として注目される。

 報告書は、松村高夫・慶応大教授(社会史)が昨年8月、同大医学部図書館の倉庫で見つけた。背表紙には「高橋正彦ペスト菌論文集」と書かれており、53年ごろ同大学で製本されたと見られる。高橋は当時、同部隊細菌研究部でペスト研究の責任者だった陸軍軍医少佐。42―43年に作成された「陸軍軍医学校防疫研究報告」27点を収録、全体で約900ページに及ぶ。随所に「秘」と記されている。

 米国は終戦後の47年、731部隊に対する2回の調査を通じ、両地域のペスト感染死者の臓器を病理標本として提出させた。標本のうち57人の調査結果は米国ユタ州ダグウェー軍実験場で「Q報告」として保管されている。その序文は「高橋博士らは疫学・細菌学的な調査を実施。日本語で印刷されたそれらの報告書は1948年7月、すでに米国陸軍に提出されている」としているが、これまで「日本語の報告書」は行方不明だった。

 死者57人は「Q報告」ではイニシャル表記だが、高橋論文集の実名リストの性別、年齢、病名と一致していることから、「Q報告」作成の基礎データになったと推測される。

 報告書の中で注目されるのは、「昭和15年農安及新京ニ発生セル『ペスト』流行ニ就テ」と題する報告で、「昭和18・4・12」の年月日が入った6点。中国人の死者数百人と言われ、40年6―11月ごろ猛威を振るった両地域のペスト流行について、図表、グラフなどを交えて疫学、細菌学、臨床各面の所見を中心に説明。感染経路、ネズミの種類ごとに付着するノミの種類と数量、死者の臓器の分析結果、菌株の検出、気象との関係、家屋密度・構造などまでに至る詳細で体系的なものだ。

 客観的な記述が続く中で、「『……人ペスト』ノ発生スルタメニハ有菌鼠ノ率ガ或程度以上(此ノ場合ニハ約0.5デアツタ)ニ昇ルコトノ必要デアルコトガ判ル」など実戦を視野に入れたと思われる記述もある。

 各報告には「担任指導 陸軍軍医少将 石井四郎」などとあり、石井・731部隊長(発生当時)の指導によることを示している。

 松村教授は「『Q報告』で言う『日本語の報告書』とは、一連のこの報告書であり、その後の細菌兵器開発に役立ったのではないか」と見ている。

 中村明子・共立薬科大客員教授(細菌学)は「多角的な疫学調査で現代でも通用する水準だ。ここまで綿密に研究するからには応用する前提があったと考えても無理はない」と指摘する。

 「旧日本軍の731部隊が研究・開発したペスト菌などの細菌を散布されて、被害を受けた」と主張する中国人の遺族らが日本政府を相手に損害賠償を求める訴訟が、東京地裁で行われており、報告書は証拠書類として原告側から近く提出される予定だ。

旧日本軍の細菌戦で中国民衆27万人以上が死亡

11:47p.m. JST November 28, 1999

 中国の国営新華社通信は28日、1933年から45年までに、旧日本軍が中国内で実施した細菌戦(生物戦)により、「中国民衆に少なくとも27万人の死者が出た」と報じた。人民解放軍軍事医学科学院の郭成周研究員らが大量の資料や生存者らの証言、極東国際軍事法廷の文書などに加え、日本側専門家の研究や国際会議の成果なども踏まえて考証した結果だとしている。

 日本政府は生物戦の存在を公式には認めていないが、ハルビン郊外に本部を置いた「731部隊」などで研究開発を行い、ペスト菌やチフス菌などを実戦に用いたとされる。

 新華社電は、旧日本軍が33年に黒竜江省五常に生物戦基地を創設し、敗戦までの12年間にハルビン、長春、南京など5部隊、計2万余人がかかわり、中国東北部や中部など二十の省、自治区の63地点で実際に生物戦を実行したなどと報じた。

 しかしチフスなど感染症は人為的な原因によるものかどうかの見極めが困難で、生物戦の被害実態の認定は容易でないとされる。新華社電は、生物戦で死亡した軍人の数は極めて多く、正確に計算するのが難しいとしている。

 新華社電は、生物戦は第1次世界大戦時のドイツ軍や第2次大戦後も局地戦で例があるが、旧日本軍によるものが「史上最大規模で、犠牲者は南京大虐殺(中国側の主張は犠牲者30万人)を上回る」と指摘した。

          ◇      ◇

  「日本軍による細菌戦の歴史事実を明らかにする会」の森正孝事務局長 先週、中国から細菌戦による被害者が来日し、4地域の犠牲者約1万人の名簿を日本政府に提出した。死者数は集計中なのでさらに増える見込みだが、27万人という数字の根拠は現在調査中だ。

        ◇      ◇

 旧日本軍による細菌戦に詳しい常石敬一・神奈川大学教授 細菌戦の被害者だと裏付ける具体的な証拠がなければ信用できない。旧日本軍が中国で細菌戦を試行したのは確かだが、残っている証拠から推定すると中国側の死者は多くても1000人ほどだと思う。

 

「日本は謝罪すべき」と東京地裁 賠償請求は棄却

8:23p.m. JST September 22, 1999

  日中戦争中に旧日本軍731部隊の生体実験や南京大虐殺、無差別爆撃などで負傷したり家族が死亡したりするなど被害を受けたとして、敬蘭芝さん(78)ら中国人の被害者本人と遺族の計10人が国を相手に約1億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が22日、東京地裁であった。伊藤剛裁判長は、請求を棄却したが、虐殺などの加害行為や原告らの被害を認め、「我が国の占領侵略行為や非人道的行為で多数の中国国民に甚大な戦争被害を及ぼしたことは疑う余地がない歴史的事実で、我が国は真剣に謝罪すべきだ」と述べた。戦争で被害を受けた個人の損害賠償請求権については「当時の国際法と国内の法制上、認められない」とした。

  中国での戦争被害をめぐり、日本政府に戦後補償を求めた一連の訴訟で判決が言い渡されたのは初めて。原告は判決を不服として控訴する方針。
判決は、加害行為を直接経験した当時の憲兵の証言などを踏まえて「原告やその家族が日本軍や軍人の非人道的行為によって悲惨な被害を受けたことは明らかだ」と指摘した。

  そのうえで、1937年12月に日本軍が南京を占領した際に数万から30万人とも言われる中国人を殺害したとされる行為について、「規模などは厳密に確定できないが、虐殺行為があったこと自体はほぼ間違いない」と述べた。また、731部隊がハルビンで細菌兵器を大量生産するため「丸太」と称する捕虜に人体実験をした事実についても「疑う余地はない」と、原告側の主張に沿う事実認定をした。

  一方で、「戦争被害に対して個人レベルの正義を貫くことはかえって戦争終結後も紛争の火種を延々と残し、再度の戦争状態を招く恐れがある」と述べ、補償は戦後の国家間の平和友好条約などで一括処理すべきだと指摘した。

中国で人体実験の記録初公開 731部隊の日本側公文書

August 02, 1999

  日中戦争中に旧日本軍の「731部隊」(関東軍防疫給水部)がひそかに行った細菌兵器研究で、人体実験用に移送された中国人に関する日本側の公文書66件が2日、中国黒竜江省ハルビンで初めて公開された。これまで戦犯裁判などで人体実験による死者45人の氏名が判明しているが、今回の公文書に記載されているのは大部分が新たに判明した犠牲者とされ、黒竜江省政府は「日本軍による中国人民虐殺の動かぬ証拠」と強調している。

  同省新聞弁公室によると、これら公文書は1997年10月、黒竜江省公文書館で発見され、分析が進められてきた。東北地方各地の憲兵隊が「ソ連のスパイ」として捕らえた中国人52人について、氏名、年齢、出身地、逮捕の経緯などを詳細に記した上で、人体実験用の「特別移送」を申請する報告書や、それに対する関東軍憲兵司令部の指示が主な内容。うち42人がハルビン郊外にあった731部隊本部などに移送されたことが記載されているという。

  公文書はすべて日本語の手書きで、ほとんどが41年7―9月のもの。憲兵隊司令官の印や署名のほか、「特移(特別移送)扱」「防諜(ぼうちょう)」などの印も押されている。ある文書には「(逆スパイとして)逆利用の価値なく、特別移送が適当と認む」と赤鉛筆で書かれた憲兵隊長の「所見」も張り付けられていた。

  731部隊はペスト、コレラ菌などを使った細菌兵器の研究開発のため41年ごろ正式発足した。中国側は約3000人の中国人、ロシア人、朝鮮人らが残酷な人体実験で虐殺されたとしているが、45年の終戦時に廃棄されたため、部隊の原資料はほとんど残されていなかった。中国当局は今回の日本側文書を、残虐行為を立証する貴重な証拠として、ハルビンの公文書館でコピーを一般公開する。(時事)

米が旧軍関係者50〜100人を入国禁止に

1999年04月17日 共同通信社

 細菌兵器開発のため人体実験を行った七三一部隊(関東軍防疫給水部)など、旧日本軍の非人道的行為を調べているエリ・ローゼンバーム米司法省特別調査部長は17日までに、米政府が旧日本軍の行為を『(ユダヤ人を虐殺した)ナチスドイツと同じ戦争犯罪』とみなし、戦争犯罪を対象とした米政府の入国禁止リストに既に『50人から 100人』の旧軍関係者を登録したと明らかにした。

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