TOPIC No.2-132-3 2002年(9−10月)/北朝鮮による日本人拉致事件

<拉致の5人、24年ぶり家族と再会へ

2002年10月14日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮で生存が確認された拉致被害者5人が15日午後、羽田空港着のチャーター機で一時帰国し、家族と約24年ぶりに再会する。5人は都内で2泊した後、17日午前、それぞれの故郷に向かう。政府は2週間程度の滞在にしたい、としている。  一時帰国するのは1978年に福井県で拉致された地村保志さん(47)と浜本富貴恵さん(47)、新潟県で事件に遭った蓮池薫さん(45)、奥土祐木子さん(46)の4人と、新たに拉致被害者と判明した佐渡島出身の曽我ひとみさん(43)の計5人。

 5人を乗せるチャーター機は15日午前7時に羽田をたち、同9時40分ごろ平壌国際空港に到着。渡航書の発給など帰国に必要な手続きを行った後、正午ごろ現地をたち午後2時半ごろ羽田に到着する予定。平壌からは朝鮮赤十字会の関係者2人が東京まで同行する。

 一行は羽田到着後、約30分間、空港内の貴賓室で家族と過ごした後、バスで都内のホテルに移動。同日夕、家族が記者会見するが、5人については本人の意向を尊重し、了承が得られれば会見に同席する。

 16日は都内のホテルでゆっくり静養するほか、拉致被害者の家族会メンバーと懇談。その後、家族会による記者会見が行われる段取りだ。

 17日以降の故郷での日程は未定だが、さまざまな歓迎行事などが計画されている。北朝鮮には5人そろってチャーター機で戻る予定。

「北朝鮮には全員帰す義務」安倍官房副長官

2002年10月14日 The Sankei Shimbun

 安倍晋三官房副長官は14日午後、新潟県上越市内で講演し、北朝鮮による日本人拉致事件の生存者帰国に関連し「(生存者の)子供たちが帰ってこなければ、自由な意思で日本にいたいのか、北朝鮮に戻りたいのか判断できない。人質になるようなことがあってはならない。全員(を)帰す義務が北朝鮮側にある」と述べ、北朝鮮に残る家族全員の帰国を要求していく考えを強調した。

 拉致事件解決の糸口が長年見いだせず、生存者帰国に長い期間を要したことについては「24年間のご家族の気持ちを思うと、大変申し訳なかった」と遺憾の意を表明。「国家の態勢に不備があったのではないか。もう一度見直していかないといけない」と述べ、再発防止へ向けた国内の警備、捜査システムを強化する必要性を指摘した。

 ミサイル問題では「配備を考え直してもらいたい。照準を変えてもらわなくてはならない」と指摘。29日に再開する国交正常化交渉や日朝安全保障協議で、日本を標的にした弾道ミサイル「ノドン」の削減や「照準外し」を求めていく方針を示した。

拉致の5人、15日午後2時半に羽田へ帰国

2002年10月13日 Yomiuri On-Line

 政府は13日、北朝鮮による拉致事件被害者5人が、15日午後2時半に帰国するとの日程を発表した。5人は帰国後1週間から2週間、日本に滞在する。北朝鮮にもどる日程は、本人や家族の意向を踏まえて今後決定するとしている。

 政府が発表した5人の一時帰国の日程によると、拉致事件を担当する中山恭子内閣官房参与らを乗せた政府のチャーター機が15日午前7時、東京・羽田空港を出発し、午前9時40分ごろ平壌に到着する。このチャーター機は正午ごろ、5人を乗せて平壌を出発し、羽田空港に午後2時半ごろ到着する。5人は、同機を降りた後、タラップの下に出迎えた家族と再会、空港内で懇談する。

 5人は、15日と16日は家族とともに都内のホテルで過ごし、17日に故郷に帰る。5人の一時帰国の期間は「本人や家族の意向を尊重し、今後相談する」(斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官)としており、17日以降の日程は未定。

生存者の自由意思で永住も 安倍副官房長官

2002年10月13日 The Sankei Shimbun

 安倍晋三官房副長官は13日朝の民放テレビ番組で、15日に迫った北朝鮮による拉致事件の生存者帰国に関連し「(生存者の)家族が帰ってきて自由な意思が表明できる状況になった上で、本人の意思に沿って(日朝間を)行き来できる。こちらにずっといることが決まっていく」と言明。生存者家族の帰国を早期に実現させ、本人の自由な意思表示が担保される状況をつくり、永住希望などに応じていく考えを示した。

 また「今回は一時帰国だが、本人たちは日本人で日本は自由な国だ。(本人が希望すれば)『あなたたち(北朝鮮に)帰りなさい』とは政府として言えない」と指摘。生存者5人が今回の帰国で滞在延長などを求めた場合は、政府として柔軟に対応していく考えを示した。

 米朝高官協議の不調により、具体的な進展に懸念の声も出ている核、ミサイルなどの安全保障上の問題では「国際的な圧力を高めて交渉の場で迫っていく」と強調。日米間でさらなる緊密な連携を取りながら、日朝安全保障協議だけでなく国交正常化交渉の場でも問題提起していく考えを示した。

北工作員事件 「総連幹部ら35件関与」

2002年10月13日 The Sankei Shimbun
潜入支援やアジト提供 組織的疑いも

公安調査庁内部資料

 日本国内で摘発された北朝鮮工作員事件のうち、公安調査庁が「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が関与した」とみている事件が三十五件に上ることが、産経新聞が十二日までに入手した同庁の内部資料で分かった。いずれの事件にも総連や傘下団体の関係者がかかわっており、「拉致などの工作活動が行われているとは知らなかった」とする総連側の説明に疑問を抱かせる内容となっている。

 内部資料によると、公安調査庁が朝鮮総連が関与したとみている事件は、北朝鮮から上陸した工作員を総連や傘下団体の商工会、青年同盟などの幹部が支援したケースが多い。ほとんどが総連の非公然組織「学習組」のメンバーとみられる。

 昭和四十五年に逮捕された元韓国空軍少佐は、総連組織部長によって北朝鮮の工作員にさせられていた。

 五十年に摘発された事件では、総連大阪府本部委員長(後に中央本部副議長)が工作員にアジトを提供するなどしたとされている。

 横田めぐみさん拉致事件が起きた五十二年には、京都府の海岸に上陸した工作員に他人名義の外国人登録証を渡した総連政治局副局長が逮捕されるなど、総連の組織的関与を強く疑わせる事件も起きている。

 北工作員と総連の関係をめぐっては、一九七四年(昭和四十九年)の朴正煕韓国大統領狙撃事件で、文世光・元死刑囚が「総連大阪府生野西支部政治部長に指示された」と供述し、韓国大法院が判決で認定。今年五月に訪朝した朴元大統領の長女、朴槿恵議員に対し、金正日総書記が北朝鮮の関与を認めて謝罪した。

 昭和五十五年の原敕晁さん拉致事件では、辛光洙容疑者が韓国捜査当局に対し、当時の在日本朝鮮人大阪府商工会会長、同元理事長、総連東京都本部職員らの名前を協力者として挙げている。

工作・拉致 「総連関与」身内も証言

2002年10月13日 The Sankei Shimbun

公安内部資料 北支援、浮き彫り

 十二日明らかになった公安調査庁の内部資料は、朝鮮総連と北朝鮮工作機関との深いつながりを改めてうかがわせる。朴正煕大統領狙撃事件や原敕晁さん拉致事件での工作員の供述だけでなく、最近は総連関係者からも「工作船の接岸地点を設定した」などと具体的に関与を認める証言が相次いでいる。総連ウオッチャーは「拉致事件についても、日本国内での支援組織がなければ不可能だ」と断言する。

≪裏の任務告白≫

 かつて朝鮮総連中央本部財政局副局長という要職にあった韓光煕氏が今年四月、『わが朝鮮総連の罪と罰』(文芸春秋)と題した本を出版した。

 韓氏は、総連の非公然組織「学習組」について「朝鮮労働党の在日非公然組織」で「朝鮮総連の指令系統であり、実体そのもの」と認めた上で、「裏の特殊任務」について「南朝鮮(韓国)に浸透するための各種裏活動をおこなう工作員としての任務である」と明かしている。

 北朝鮮の対日工作への朝鮮総連の関与をめぐっては今月、元商工人が産経新聞に対し、「北朝鮮工作員による外貨獲得や政治家への包摂(抱き込み)などの各種工作にエージェントとして関与した」と証言。在日韓国・朝鮮人の所得状況や住所などの基礎情報調査について、総連をはじめ在日の非公然グループの関与を示唆している。

≪侵入ポイント≫

 韓氏の著書ではさらに衝撃的な告白が続く。

 「私にまず与えられた任務は、日本と北朝鮮のあいだを極秘に往復する北朝鮮工作船の、日本側における着岸拠点をつくることであった」

 韓氏は、北海道から鹿児島まで三十八カ所の「工作船接岸ポイント」を開設。多くの工作員の送迎を行っただけでなく、自らも工作船で北と行き来したと明かしている。「侵入ポイントは、現在、日本国内に百カ所以上ある」と推測する。

 元総連新潟県本部副委員長の張明秀氏も今月、「昭和四十年ごろ、幹部の依頼を受けて佐渡島の岬の写真を撮影した。工作員の上陸場所の下調べをさせられたのではないか」と証言している。

 拉致事件にも、こうした上陸地点が使われていた可能性が高い。

≪生々しい証言≫

 「拉致」を生々しく証言した総連関係者もいる。学習組の裏の組織とされる「洛東江」に属していたという在日本朝鮮人兵庫県灘商工会の元理事長、張龍雲氏(昨年死去)は、洛東江のメンバーが昭和五十五年に元ラーメン店店員、田中実さん=当時(二八)=をウィーン経由で北へ送ったと暴露した。

 また、鹿児島県奄美大島沖で引き揚げられた北朝鮮工作船からは、日本製のプリペイド式携帯電話が回収されており、日本国内で物品を調達する支援組織があるとみられる。

 朝鮮総連に詳しく、韓氏に長時間にわたってインタビューして著書を構成したジャーナリスト、野村旗守氏は「拉致も含め、北朝鮮工作員事件は日本国内に支援者がいなければ不可能だ。韓氏は選ばれた人間であり、総連幹部すべてが工作を知っていたわけではないが、北が工作支援の人的、資金的な主な供給源として総連を位置づけてきたことは厳然たる事実だ」と話している。

11人の日本人教官がいた、と元工作員・安氏

2002年10月12日 Yomiuri On-Line

 北朝鮮による拉致事件で、警察庁は11日、韓国警察当局の立ち会いの下、北朝鮮元工作員の安明進氏(34)から、ソウル市内で参考人として事情を聞いた。安氏は、同庁の捜査官に対して、横田めぐみさんと市川修一さんを目撃した、と述べたほか、それ以外にも、同庁の捜査官が示した写真の中に、「見たことがあるような男性1人と女性1人がいた」と証言。同庁は今後、1987年11月の大韓航空機爆破事件の金賢姫・元死刑囚(40)も含め、韓国に亡命している元工作員らから幅広く目撃情報を収集し、真相解明を進める。

 ◆工作員養成大学で横田さん、市川さんに会う◆

 【ソウル11日=浅野好春】警察庁の事情聴取後、安明進氏は、読売新聞の単独会見に応じ、工作員養成の大学で「多い時で11人の日本人教官がいた」などと語った。

 安氏は、1988年から91年にかけて、所属していた平壌市内の工作員養成機関・金正日政治軍事大学で、日本語教官の横田めぐみさん(失跡時13歳)と市川修一さん(同23歳)らに会ったと改めて証言した。

 安氏はこの日、日本の警察庁の担当者から参考人として事情聴取を受け、本紙との会見はその直後に行われた。

 安氏はこの日の聴取で、20枚以上の写真の中に横田さん、市川さんがおり、2人を同大で目撃したと証言した。安氏は会見で、横田めぐみさんについて、娘とされる少女(15)が政府調査団に渡しためぐみさんの20歳ぐらいの写真を見ながら、「大学で幾度か見た女性教官と全く同じ顔だ」などと語った。さらに、警察庁が示した写真の中には、ほかにも「見たことがある男女がいた」という。

 男性は不明だが、女性については、78年8月に市川さんとともに鹿児島で拉致された増元るみ子さん(同24歳)に似ていたという。安氏は女性について、「確実には言えないが、よく似ている。よく似た女性が教官として、横田さんといつも一緒にいた」と話し、警察庁の担当者にも同じ内容を話したと証言した。

 安氏はまた、同大だけで、拉致された20人以上の日本人が教えていたとの見方を示した。

 北朝鮮は、日本が先に派遣した拉致問題に関する政府調査団に対し、横田さんは93年に死亡、市川さん、増元さんも79、81年にそれぞれ死亡したと伝え、特に安氏の目撃証言を「事実無根の虚偽情報」と全面否定した。安氏の証言が事実とすれば、市川さんと増元さんは、同時期に夫婦で同大の教官をしていたことになる。

 さらに、金正日総書記が拉致責任者を処罰したと表明したことについても、「自分が(拉致を)指示した人間を処罰するわけにはいかない。その前の別の事件で銃殺されたのだろう。処罰された人の名は、今回初めて聞いた」。曽我ひとみさん拉致事件に関連して日本の請負業者の存在を北朝鮮側が主張していることについては、「当然いる。工作員が業者に金を渡して頼むことがある」と語った。

 安氏はこのほか、「よど号」乗っ取り事件で公判中の田中義三被告に関し、90年ごろ同大で「見かけたことがある」とも述べた。安氏は韓国亡命後、写真を見て分かったとし、「カンボジアでは北朝鮮の工作員2人が同行していたが、この2人は私の学校の2年先輩だった」と述べた。

 ◆警察庁、金賢姫・元死刑囚から聴取の意向◆

 安明進氏も含めた複数の亡命工作員は韓国警察当局などに対し、多数の日本人が、平壌の工作員養成機関「金正日政治軍事大学」などで、工作員の「日本人化教育」の指導をしていたなどと証言している。

 金賢姫・元死刑囚も、81年7月から83年3月にかけ、平壌郊外の「招待所」と呼ばれる施設で、「李恩恵」と名乗っていた埼玉県出身の田口八重子さんから日本語や日本の習慣などの教育を受けたことを証言。

 しかし、北朝鮮は先月末に訪朝した政府調査団に対し、「李恩恵はいない」とした。

 「李恩恵」については、安氏も「大韓航空機爆破事件(87年11月)の後、配置換えになったと聞いた」としているが、これも、北朝鮮側の主張する田口さんの死亡時期(86年7月30日)と食い違うなど、元工作員らの証言と、北朝鮮側の説明とは矛盾点が目立つ。

 このため、警察庁では、金元死刑囚ら亡命工作員から、〈1〉拉致被害者と認定した10件15人の目撃情報〈2〉それ以外の日本人は見ていないか――などを聞き出したいとしている。

拉致事件:元北朝鮮工作員から事情聴く

2002年10月11日 Mainichi INTERACTIVE

 【ソウル堀信一郎】朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件で警察庁は11日、ソウル在住の元北朝鮮工作員、安明進(アンミョンジン)氏(34)から日本人拉致被害者の北朝鮮での生活ぶりなどについて事情を聴いた。

 関係者によると、警察庁は拉致の疑いがある約20人の日本人の写真を安氏に見せ、北朝鮮で見たことがないかどうか聞いたという。78年に日本を出国後、音信を絶った神戸市の元ラーメン店員、田中実さん(行方不明時28歳)も、写真の中に含まれているとみられる。安氏は2人について「見たような気がする」と答えたという。

 警察庁は10件15人を拉致被害者と認定しているが、約20人の中に、この15人が含まれているかどうかは不明だ。

 安氏は、北朝鮮のスパイ養成機関である金正日(キムジョンイル)政治軍事大学で7年間、教育を受けたが、その間に横田めぐみさんと市川修一さんに似た人物を見たと毎日新聞などに証言している。

 北朝鮮側は日本政府の調査団に対して「(安氏の)金正日政治軍事大学での目撃証言は事実無根」と回答した。だが、警察庁は北朝鮮が拉致を認めたため、安氏の証言の信ぴょう性が高まったと判断、新たな目撃証言が得られるのではないかとみて聴取した。

 一方、北朝鮮による拉致被害者を支援している「救う会」の荒木和博事務局長ら一行は11日夜、ソウルのホテルで安明進氏と面会し、北朝鮮が発表した以外の日本人を北朝鮮で目撃していないかどうかを調査した。

 面会の冒頭、安氏は「日本人の拉致被害問題に10年近く、協力してきた。証言はウソだと言われたこともあった。だが、その結果、金正日(総書記)が拉致を認め、謝罪した。日本の役に立ててうれしいが、自分の身辺に危険も感じている」と述べた。

 安氏は93年9月、軍事境界線を越えて、韓国軍歩哨所の装備を偵察する命令を受け、その作戦中に韓国に亡命した。

拉致事件:政府、生存5人の帰国日程固める

2002年10月11日 Mainichi INTERACTIVE

 政府は11日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本人拉致事件で生存が確認された5人の帰国日程を固めた。15日朝、全日空チャーター機で羽田空港を出発し、昼前に平壌に到着。5人を乗せた後、昼過ぎに平壌をたち、夕方に羽田空港に到着する。家族と再会後、5人は東京都内に宿泊し、16日に家族とともに出身地に帰ることにしている。

 5人の帰国準備のため、政府は12日、北京大使館員を平壌に派遣する。チャーター機の受け入れ準備とともに、5人に対し、海外でパスポートを紛失した日本人に発給する「帰国のための渡航書」を手渡す予定だ。

 チャーター機には家族支援チームの中山恭子内閣官房参与と、受け入れチームの斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官が搭乗。5人には北朝鮮赤十字会職員1、2人が同伴するが、日本滞在中は東京にとどまる。

拉致事件:社民党が朝鮮労働党に抗議の書簡

2002年10月11日 Mainichi INTERACTIVE

 社民党は11日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件に関して、10日付で朝鮮労働党に抗議の書簡を郵送したと発表した。

 書簡は、朝鮮労働党が社民党も参加した超党派訪朝団に対し、「拉致の事実はない」と言い続けたと批判。今回、北朝鮮が一転して拉致を認めたことから「許しがたい犯罪行為で、厳重に抗議する。全貌と詳細を明らかにするよう求める」という内容になっている。

 記者会見した福島瑞穂幹事長は「抗議することは一つの意思表示で、ボールを相手に投げた。今後は拉致の事実究明に努力する」と述べたが、労働党との関係見直しについては明言を避けた。

 一方、社民党は同日、これまでの同党の北朝鮮との関わりを検証する党日本コリア委員会の初会合を開いた。講師として招かれた田英夫前参院議員は社民党の姿勢が北朝鮮寄りだったと指摘し、「北朝鮮にもっと率直にものを言える関係を作るべきだ」と注文した。 【浜名晋一】

旅券発給で政府に難問も

2002年10月10日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮による拉致事件被害者5人の一時帰国が決まったが、帰国に伴う手続き面でも課題が多い。特に難問なのが旅券(パスポート)の取り扱いだ。

 外務省の田中均アジア大洋州局長は10日の参院外交防衛委員会で5人に日本国籍の旅券を発行する意向を表明した。しかし、外務省や法務省によると、5人が日本人として帰国すれば日本の旅券を使用することになるが、国交のない北朝鮮には日本の大使館はなく、短時間での発給は難しい。

 これをクリアするには、旅行先で旅券を紛失した場合に発給される「帰国のための渡航書」を使用する案が有力だ。北朝鮮から39年ぶりに里帰りした寺越武志さんの場合、渡航書に類似した措置として、査証(ビザ)の代わりに「渡航証明書」の発行を受けて入国した。

 ただ外国人や無国籍者としての入国扱いになり「国民感情を考えると今回のケースでは難しいかもしれない」(外務省)との意見がある。

 渡航書が北朝鮮に戻る際には使用できないため、滞在中に日本の旅券を取得することが必要になるのも悩みのたね。取得には5人の意思確認が前提で、外務省の一存では発給できない。将来の本格的な帰国ともかかわり、北朝鮮に家族を抱える5人がどのような判断を下すのか、不透明だ。

拉致生存者が15日に一時帰国 蓮池さんら5人

2002/10/09 中国新聞

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件で、生存が確認された被害者の蓮池薫さん(45)ら五人が今月十五日に一時帰国することが日本政府と北朝鮮との交渉で九日、決まった。

 九月十七日の小泉純一郎首相と金正日総書記の首脳会談で、生存が確認された拉致被害者の帰国は初めて。五人はいずれも一九七八年に拉致されたとされており、約二十四年ぶりの帰国となる。滞在は一週間程度の予定だが、延長される可能性もある。九日午後、被害者家族に伝達。この後、日朝国交正常化交渉関係閣僚会議に報告され、福田康夫官房長官が正式発表した。

 正常化交渉は今月二十九、三十両日にマレーシアのクアラルンプールで開催することが固まり、北朝鮮側が交渉前に一時帰国を受け入れた。交渉を円滑に進める環境を整えるため、北朝鮮側が受け入れたとみられる。

 帰国するのは、新潟県出身の蓮池さんと奥土祐木子さん(46)、福井県出身の地村保志さん(47)、浜本富貴恵さん(47)と、新潟県佐渡島出身の曽我ひとみさん(43)の五人。蓮池さんと奥土さん、地村さんと浜本さんはそれぞれ拉致された後、北朝鮮で結婚しているという。五人は北京経由で帰国した後、故郷の新潟、福井両県にも帰る方向で調整中。

 帰国は被害者本人の五人に限られ、死亡したとされる横田めぐみさん=拉致当時(13)=の娘は含まれていない。日本側が求めていた生存者家族の同行は今回は見送られる見通しだ。

 拉致事件について被害者家族は、生存者の「一カ月以内」の帰国実現を要望。これを受けて、日本政府は北朝鮮側に国交正常化交渉再開前の生存者帰国を申し入れていた。

 生存者五人は九月末に平壌に派遣した政府調査団(団長・斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官)が面談し、本人確認した。調査団が帰国の意思を確認したのに対し、一部の人は消極的な考えを示したが、日本にいる被害者家族は「北朝鮮国内では自由な意思表示はできない」として、あくまでも帰国を求めていた。

拉致被害者、4人を新たに認定

2002年10月08日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮による拉致事件で警察庁は8日、新潟県真野町(佐渡島)の曽我ひとみさん(43)と母、ミヨシさん=失跡当時(46)=親子と、欧州で失跡した札幌市出身の石岡亨さん=同(22)=と熊本市出身の松木薫さん=同(26)=の計4人を拉致被害者に正式に認定した。政府認定の拉致事件は10件15人となった。

 警察庁によると、曽我さん親子は1978年8月12日、買い物から帰宅途中、工作員とみられる男に襲われた。ひとみさんは工作船で北朝鮮へ運ばれたが、ミヨシさんの安否は不明で、北朝鮮は「承知していない」としている。

 石岡さんは83年に欧州で失跡した元神戸外大生の有本恵子さん=同(23)=と北朝鮮で結婚したとされ、88年9月には、家族に「有本さんと松木さんと3人で平壌市で暮らしています」と書かれた手紙が届いた。

 北朝鮮の説明では、石岡さんと有本さんは同年11月に石炭ガス中毒で、松木さんは96年8月に交通事故で死亡したとされる。

 石岡さんはスペインのバルセロナで失跡直前の80年4月、よど号メンバーの妻2人と撮影した写真があり、日本の警察当局は拉致には同メンバーが関与したとみている。

拉致被害、追加認定へ

2002年10月07日 The Sankei Shimbun

 「袋に詰められて船に乗せられた」「最初はゴムボート、沖で漁船に乗り換えた」。北朝鮮に拉致された被害者は政府調査団に対し、連れ去られた際の様子を詳細に証言した。

 警察庁は「いつ、どこで、誰が、なぜ拉致したのか。必ず全容を解明する」と強調。政府認定の8件11人以外にも、新潟県・佐渡島から拉致された曽我ひとみさん(43)らについて追加認定する方針。

 警察庁は有本恵子さん=失跡当時(23)=拉致事件でよど号事件メンバーの安部(本名・魚本)公博容疑者(54)を、原敕晁さん=同(42)=拉致事件に関連し元北朝鮮工作員の辛光洙容疑者(73)を、それぞれ国際手配。今後この両容疑者を含め実行犯全員の取り調べと身柄引き渡しを外交ルートを通じて要求する構えだ。

 一方で日朝間には国交がなく、国際捜査に大きな壁があるのも事実。北朝鮮は「法的な仕組みがない」と非協力的な姿勢をにおわせている上に、有本さんら5人については「本人の同意があった」として日本の捜査結果を否定する見解を表明している。

 さらに日本政府が拉致事件と認定している久米裕さん=同(52)=について北朝鮮は「わが国に入国していない」と説明。政府調査団にも「ほかに拉致はない」と断言した。

 しかし北朝鮮による拉致を疑わせる失跡事案は多く、警察庁は近く10件前後のリストを作成して韓国政府に提供。韓国に亡命した元工作員の情報との照合を依頼するとともに、関係する警察本部に再捜査を指示。

 また「制約のない状態」での事情聴取は不可欠として、北朝鮮に生存している被害者5人の早期帰国を求める。

被害家族におわび 社民党・土井党首

2002年10月07日 The Sankei Shimbun
 社民党の土井たか子党首は7日夕、国会内で記者会見し、北朝鮮の拉致事件に対する同党の対応について「率直に言って(事件への取り組みが)十分だったとは言えない。自ら省みて申し訳ないと思う。拉致被害を受けた家族におわびしたい」と述べ、被害者家族に謝罪した。

 社民党は旧社会党時代の1963年の第1次訪朝団派遣以来、北朝鮮の朝鮮労働党と党間交流を行い、友党関係を続けてきた。社民党となってから97年、99年の訪朝団で拉致問題を追及したが、北朝鮮側の「拉致は存在しない」「行方不明者として調査する」との回答を了承。「拉致疑惑が解決しなければ、(国交正常化)交渉再開に応ずるべきではないとする論調が一部にあるが、大局を見失った議論だ」などと主張してきた。

 しかし、先の日朝首脳会談で金正日総書記が拉致を認めたことで、被害者家族から「問題を棚上げにしてきた」などと厳しい批判を受けていた。

 土井氏は会見で「労働党と社会党当時、党対党の交流があった。交流の中で、拉致問題の取り上げ方が不十分だったとの意見がある。(問題を)取り上げなかったわけではないが、相手方から間違ったことを言われ続けていた」と述べた。同党では9月18日、拉致事件に対し「厳しく抗議する」との党声明を発表、19日の常任幹事会で朝鮮労働党に対し文書で真相究明を求めることを決めた。

朝鮮総連:佐渡島の岬や漁船撮影 元新潟県本部副委員長が証言

2002年10月06日 Mainichi INTERACTIVE

 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の元新潟県本部副委員長、張明秀(チャンミョンス)氏(68)=新潟市=が6日、「60年代半ばごろ、同僚の依頼を受けて佐渡島の岬や漁船の写真を撮影した」と証言した。佐渡島では、真野町の曽我ひとみさん(43)が78年8月、母ミヨシさん(行方不明時46歳)とともに北朝鮮に拉致されたほか、新穂村でも74年2月、県職員の大沢孝司さん(同27歳)が消息を絶っており、拉致された疑いが持たれている。

 張氏によると、新潟県内の出張所に勤めていた64年か65年ごろ、同僚に「佐渡島に行き、岬の写真を撮ってくるように」と依頼された。その後、佐渡島に渡り、岬の写真1、2枚と漁船の写真など計5枚程度を撮影。この同僚にカメラごと手渡した。目的は聞かされなかったが、「工作員が上陸するための資料になるのだろうと思った。岬の場所は忘れた」と話している。

 同僚は朝鮮労働党の幹部とも接触していたという。今の消息について張氏は「分からない」と話した。

 張氏は77年から83年まで県本部副委員長を務めた。しかし、89年に「帰国事業で帰国した在日朝鮮人が行方不明になっている」との記事を雑誌に投稿し、朝鮮総連の責任を追及。89年以降はすべての役職から外れている。 【作田総輝】

米特使、北に拉致問題解決促す

2002年10月06日 The Sankei Shimbun

 福田康夫官房長官と川口順子外相は6日昼、都内の駐日米大使公邸で、高官協議のため北朝鮮を訪問した米国のケリー国務次官補(東アジア・太平洋担当)と会談した。

 ケリー氏は北朝鮮側との協議で、日本人拉致事件の解決に向けて取り組むよう北朝鮮側に促したことを明らかにした。北朝鮮側からは積極的な回答はなかったという。

 また、ケリー氏は北朝鮮の大量破壊兵器やミサイル開発・輸出、通常戦力、人権問題などで米国の深い懸念を伝えた米朝協議の内容も日本側に説明したとみられる。

 ケリー次官補一行は3日に韓国から訪朝、5日に韓国に戻った。日本政府との協議のため6日午前、東京に立ち寄った。同日午後、帰国する。会談には安倍晋三官房副長官らも同席した。

寺越さん、ふるさとのひととき楽しむ

2002年10月05日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮から39年ぶりに一時帰国し、故郷の石川県に戻った寺越武志さん(53)は5日、母親の友枝さん(71)らとともに紳士服店で買い物をするなど、ふるさとでのひとときを楽しんだ。

 4日に石川県入りし、金沢市内の友枝さんの自宅で家族水入らずの一晩を過ごした寺越さんは、5日午後、自宅近くの野々市町の紳士服店へ車で移動。

 郊外型の大型店の店内を、珍しそうに見渡していたが、友枝さんと相談しながらスラックス1本と、ワイシャツ2枚を購入。店長によると、「白色は持っているので、色付きがいい」とブルーと黒のワイシャツ1枚ずつを選んだという。

 詰め掛けた報道陣にやや困惑の表情だったが、福引で3等賞(2000円の商品券)を当てると笑顔を見せた。

 また同日までに、寺越さんは北朝鮮の訪日団が予定している岡山、広島両県への訪問には参加しないことが正式に決まり、東京で訪日団と合流した後、12日に離日する。

有本さん死亡確認書に石岡亨さんの生年月日

2002年10月05日 Yomiuri On-Line

 北朝鮮から政府調査団が持ち帰った有本恵子さん(失跡時23歳)の死亡確認書に記載された生年月日が、有本さんと結婚したとされる石岡亨さん(同22歳)の生年月日になっていることが4日、わかった。国籍は2人とも朝鮮と記載され平壌市内で生まれたことになっていた。死亡確認書は2枚あり、それぞれハングルと日本語で記されている。有本さんの死亡確認書には、生年月日が「1957年6月29日」と記載されているが、実際には1960年1月12日。生年月日は石岡さんのものだった。

 さらに、2人が亡くなったとされる1988年11月当時の住所は平壌市内と記載されているにもかかわらず、北朝鮮側は調査団に、煕川(ヒチョン)市内の招待所で就寝中に、家族3人で石炭ガス中毒のため死亡したと説明するなど矛盾が見られる。

生存者の帰国実現を確認

2002年10月05日 The Sankei Shimbun

 政府は4日午後、日本人拉致事件の解決を目指した「専門幹事会」(座長・安倍晋三官房副長官)を首相官邸で開き1北朝鮮在住の拉致被害者と家族の早期帰国の実現2政府調査団が持ち帰ってきた資料に基づく死亡者の身元確認の調査分析3北朝鮮に対する関連資料の追加提出要求−を確認した。

 安倍副長官は幹事会終了後の会見で、生存者らの帰国時期について「なるべく早く実現したいが、正常化交渉が始まればその中で求めていく」と指摘。拉致された生存者が帰国よりも日本の親族の訪朝を求めていることについては「基本的には帰国を求めていく」と述べ、政府としてあくまで日本への帰国実現を優先する考えを示した。

 政府はこれを受け近く、外交ルートを通じ北朝鮮側に対し、生存者5人と家族の帰国を要請する方針だ。背景には、北朝鮮国内での聞き取り調査には限界があるとの判断がある。

 安倍氏は政府調査団の第2次派遣について「北朝鮮の対応ぶりも含めて考える」と指摘。死亡したとされる被害者の安否にかかわる第三者証言や責任者の処罰を裏付ける裁判資料など、日本側が提供を求めている情報に対する北朝鮮側の対応を当面見極めながら、検討していく考えを示した。

 会合では政府調査団長の斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官が調査結果を報告。中山恭子内閣官房参与が拉致被害家族からの要望などを説明し、法務省が捜査状況を説明した。

拉致責任者の経歴が判明

2002年10月03日 The Sankei Shimbun

 日本政府が発表した「拉致問題に関する現地事実調査結果」で、一連の日本人拉致事件の責任者とされたチャン・ボンリムの顔写真や経歴が韓国で発刊されている年鑑に収録されていることが3日分かった。

 韓国の通信社、聯合ニュースが同日、同社発行の「北韓(北朝鮮)年鑑」に収録された写真をチャンの顔写真として配信した。写真の入手経路は不明。

 同年鑑によると、チャンは1941年生まれで、平壌外国語大学を卒業。77年に人民武力省偵察局翻訳室長、83年に在フィンランド北朝鮮大使館の公館責任者、86年に人民武力省偵察局第584部隊長を経て89年12月に朝鮮労働党対外情報調査部(現在の「35号室」の前身)副部長に就任。

 93年12月には人民軍中将、94年8月に祖国平和統一委員会副委員長、同年10月に人民武力省偵察局副局長という経歴になっている。92年4月には、北朝鮮で最高水準の叙勲である金日成勲章を受章している。

 北朝鮮の日本政府への説明では、チャンは98年に職権乱用など6件の容疑で裁判に掛けられ死刑になった。(共同)

寺越武志さん39年ぶり帰国 4日、古里石川へ

2002/10/03 中国新聞

 一九六三年に日本海で行方不明となり、現在は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で暮らす寺越武志さん(53)=石川県出身=が三日午後、経由地の北京から成田着の中国国際航空機で三十九年ぶりに一時帰国、行方不明になって以来初めて祖国の土を踏んだ。

 三日は都内のホテルに宿泊。四日に代表団と別れて、金沢市にある母親の友枝さん(71)宅に向かう。十二日までの滞在中、生家のある石川県羽咋市を訪れ、墓参りなどをする予定。

 寺越さんは北朝鮮で平壌市職業総同盟の副委員長を務めており、自治労中国地区連絡協議会などが招待した代表団五人の一員としての来日。成田空港の到着ロビーでは、友枝さんら家族のほか、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者らが出迎えた。

 寺越さんは友枝さんと手を取り合って再会を喜び、集まった報道陣に「朝鮮と日本が近くて近い隣の国になるよう努力したい」と朝鮮語であいさつし、足早に迎えの車に乗り込んだ。

 寺越さんは六三年五月、叔父らと一緒に三人で漁に出た際、日本海で行方不明になった。八七年一月に叔父の手紙が日本に届き、北朝鮮での生存が判明。同年九月に両親が訪朝し寺越さんと再会した。父の太左エ門さん(81)は昨年七月から平壌で寺越さんの家族とともに暮らしている。

拉致実行犯引き渡し要求へ 特殊機関の情報も要求

2002/10/03 中国新聞

 政府は三日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件で、日本政府が認定している八件十一人の拉致実行犯について、日本の警察当局の取り調べと身柄の引き渡しを北朝鮮に求める方針を固めた。国交正常化交渉などあらゆる機会をとらえて強く要求、特殊機関の全容についても詳細な情報提供を求めていく。日本に存在している可能性がある拉致の「請負業者」の組織解明につなげたい考えだ。

 政府は「北朝鮮が拉致実行犯を処分対象にしておらず、日本側に情報を開示する可能性は極めて小さい」(警察庁筋)と判断。実行犯処罰を実現するため、身柄引き渡し要求という強硬姿勢を打ち出した。

 これに関連して小泉純一郎首相は、政府調査団の平壌への再派遣について「解明に必要なことはいつでもやった方がいい」と述べ、北朝鮮側の今後の対応なども踏まえて再派遣を検討したいとの意向を示した。

 一方、今回の調査で北朝鮮側は大韓航空機爆破事件で金賢姫元工作員の教育係とされていた李恩恵の存在を否定、原敕晁さん=失跡当時(43)=を拉致した辛光洙容疑者(73)の関与も否定した。さらに横田めぐみさんが一九八八年から九一年にかけて金正日政治軍事大学で目撃されたとの元工作員の証言も認めていないため、韓国政府に対しても、元工作員の証言などについて、さらに詳細に調査を依頼する方針だ。

 警察庁はこれまでに一九八〇年の原さん拉致事件に関連して旅券法違反などの疑いで辛容疑者を国際手配しているが、辛容疑者は「命令を実行した者」に該当する可能性がある。

 北朝鮮は政府調査団に対し「辛容疑者の関与等については今後(日朝間に)法的仕組みができたら提供する」と説明している。警察庁は「国交正常化交渉を急がせる手段にしている」として、引き渡し交渉は難航するとみている。今後も工作員拉致事件で有効な再発防止策を構築するためにも、実態解明に向け、警察当局による取り調べを求めることになった。

「会いに来て」ビデオで訴え 拉致生存5人

2002/10/03 中国新聞

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された被害者の家族連絡会は三日、東京都内で開いた緊急会合で政府調査団から現地調査について詳しい説明を受け、中山恭子・内閣官房参与に対し、生存者の一カ月以内の帰国と「死亡」とされた八人について生存を前提とした真相究明を要請した。

 会合では、現地で撮影された蓮池薫さん(45)ら生存者五人が家族に向け「会いに来てほしい」などと話している約十分間のビデオ映像の内容も確認。

 連絡会代表で、横田めぐみさん=失跡当時(13)=の父滋さん(69) は会合後の記者会見で「厳重な監視の下で話をしており、『日本に帰りたい』などとは言えないはず」とし「強制的にでも連れ帰ってほしい」と訴えた。

 滋さんによると、ビデオは九月二十九日と三十日に撮影され、曽我ひとみさん(43)、奥土祐木子さん(46)、蓮池さん、地村保志さん (47)、浜本富貴恵さん(47)の順で登場。

 続いて、めぐみさんが入院していたとされる病院の全景や医者、めぐみさんの娘とされる十五歳の少女が映っていた。

 生存者は代わる代わる「家族に心配をかけて申し訳ないが、現在は幸せに暮らしている。すぐに帰国する意思はないが、会いに来てほしい」などと家族に呼び掛けたという。

 滋さんは、調査団から少女について三週間程度で血縁関係があるかどうか鑑定結果が出ると聞いたことを明らかにし「結論が出た段階で訪朝するかどうか考える」と述べた。

 蓮池さんの母ハツイさん(70)はビデオについて「わたしの気持ちの中には二十歳の子供しかいなかった。年を取ったなと思った。二十四年間、つらい思いをしたと思う」と話した。

 また松木薫さん=失跡当時(26)=の弟信宏さん(30)は「調査団が持ち帰った遺骨とされる骨は二度火葬されており、鑑定は極めて難しいと言われたが、親族がDNA鑑定のために血液を提供した。ちょっとの可能性があれば確かめてほしい」とした。

 連絡会は、支援室を通じて生存者らにビデオレターを送ることを検討。調査団のビデオについては「公開しない条件で撮影された」として、調査団から提供された写真などと合わせ公開しないこと決めた。

生存者5人を本人と確認 政府、調査を家族に伝達

2002/10/02 中国新聞

 安倍晋三官房副長官は二日午後、緊急記者会見し、政府が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件で、事実確認などのため平壌に派遣していた政府調査団(団長・斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官)の調査結果の概要を公表した。福井県で失跡した地村保志さん=事件当時(23)、浜本富貴恵さん=同(23)、新潟県で失跡した蓮池薫さん=同(20)、奥土祐木子さん=同(22)=の四人と新たに判明した曽我ひとみさん=同(19)=の五人について本人と断定。

 死亡したとされる八人の死因について北朝鮮側は「病気、災害で殺害はない」と伝達。有本恵子さん=同(23)=は就寝中に石炭ガス中毒で家族全員が死亡、横田めぐみさん=同(13)=は自殺、田口八重子さん=同(22)=は交通事故死と伝えた。横田めぐみさんの娘とみられる女性の髪の毛を採取、聞き取り調査の内容から本人の確度が高い。

 今回の調査に対し、北朝鮮側は既に安否を伝えている十四人以外の拉致はないと強調した。

 調査団は生存者の最終的な本人確認のため生存者の写真、ビデオ、血液などを持ち帰った。日朝両国は詳細な調査継続を確認しており、政府は家族の訪朝や被害者本人、家族の早期帰国に最大限努力する方針だ。

 地村さんら四人は「両親や家族に会いたい」としながらも、「子どもは日本語が話せない」「仕事がある」などと証言し、明確な帰国の意思は示さなかった。

死亡したとされる八人の大半について北朝鮮側は「一九九五年の大洪水で墓が流出した」などと回答。調査団は洪水被害の地域から遺骨群を採集したが、本人のものか特定できず、最終確認は難しい状況だ。

 田口さんについて、北朝鮮側は朝鮮名コ・ヘオクで、李恩恵という日本人女性はいないと回答。また曽我ひとみさんとされる女性は、調査団に対し母親のミヨシさんは、拉致されて以来、消息を知らないと答えたという。

 政府は同日午前、中山恭子内閣官房参与、安倍副長官らが内閣府で、横田めぐみさんの父、滋さんら被害者家族連絡会の代表に調査報告書を手渡し、斎木団長らが調査の詳細な結果を説明した。滋さんは記者会見で死因説明について「不自然」と疑問を示した。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から政府調査団が説明を受けた拉致被害者の個別情報は次の通り。(敬称一部略)

 【曽我ひとみ=生存】78年8月12日、特殊機関工作員が身分隠しと語学教育の目的で現地請負業者(日本人)に依頼、引き渡された。入国後、約2年間、特殊機関招待所で語学学習などを通じ実情に慣れた。朝鮮名はミン・ヘギョン。80年8月8日、北朝鮮に65年入国した元米軍兵士と結婚、国家から生活条件を保障され暮らしている。長女(19)は平壌外国語大学学生、二女(17)も同大で勉強している。母親ミヨシさんについては不明で、請負業者から工作員が引き渡しを受けたのはひとみさんだけ。

 【有本恵子】82年、留学のため英国に出国。特殊機関メンバーが接触、共和国に行ってみないかと言うと、一度行ってみたいと言ったことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で83年7月15 日に平壌へ連れていった。入国1年後から石岡亨さんとともに特殊機関の学校で日本語を教えさせた。85年12月27日、石岡さんと結婚し翌年娘を生んだ。娘の名はリ・ヨンファ。88年11月4日夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(煕川)市内の招待所で寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子供を含む家族全員が死亡。遺骨は家族とともに葬られたが、95年8月17―18日の大洪水による土砂崩れで流出。引き続き捜しているが、発見に至っていない。遺品は写真。

 【松木薫】80年にスペインで失跡。熊本市出身。特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で、石岡亨さん=当時(22)=と一緒に同年6月7日、北朝鮮へ連れてこられた。入国後は特殊機関内の学校で日本語を教えていた。独身。朝鮮名はリム・チョンス。

 96年8月23日に革命史跡の参観に行く途中、運転手の不注意による事故で死亡した。遺骨は洪水で流されたが、最近の調査で発見され再火葬された。当人の遺骨に近いと判断した。遺品は写真が残っており、拉致の経緯によど号犯が関与したかどうかは不明。

 【蓮池薫、奥土祐木子=生存】78年7月31日、新潟県柏崎市内で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の特殊機関工作員が語学養成のために拉致し、北朝鮮に入国。2人は80年5月15日に結婚し、現在は平壌市楽浪区域に居住。蓮池さんは朝鮮名パク・スンチョルで社会科学院民俗研究所資料室翻訳員、奥土さんは朝鮮名キム・グムシルで被扶養生活を送っており、長男のパク・ギヒョクは電子計算機単科大学学生。

 【横田めぐみ】13歳の中学生だった77年11月15日、新潟市内で学校から帰宅途中に北朝鮮の工作員と遭遇。発覚の危険を感じた工作員に拉致された。

 同月から86年7月まで北朝鮮の招待所で朝鮮語などを研究。入国直後、曽我ひとみさんと一緒に生活していた。同年8月13日結婚。 93年3月13日、精神病のため平壌市内の病院で死亡した。安倍晋三官房副長官が会見で自殺と説明。

 朝鮮名リュ・ミョンスク。家族は会社員の夫(41)と中学生の娘 (15)。夫は「両親が訪朝時には会いたい」と発言。遺品はバドミントンのラケットと写真。墓の所在地は病院を通じて探索中。

 拉致の実行犯は命令なしに恣意(しい)的に行動したとして職務停止処分を受けた。

 【浜本富貴恵、地村保志=生存】78年7月7日、福井県小浜市で特殊工作員が語学養成のため2人を拉致。79年11月25日、結婚。地村さんは朝鮮名オ・ソンサムで、現職は社会科学院民俗研究所資料室の翻訳員。浜本さんは朝鮮名リ・ヨンオクで、現在は被扶養生活。平壌市ランナン(楽浪)区域に居住し、娘1人、息子2人がいる。長女の名前はオ・ギョンエで、キム・ヒョンジク師範大の大学生。長男はオ・ギョンソクで平壌機械大の大学生、二男はオ・ギョンホでランナン中学生。

 【市川修一、増元るみ子】78年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で特殊機関工作員が語学養成のため2人を拉致。北朝鮮の招待所で朝鮮語習得、「現実体験」などをさせられ、79年4月20日に結婚。市川さんは朝鮮名キム・ヨンチョルで79年9月4日、元山海水浴場で溺死(できし)。死因は心臓まひ。増元さんはホ・ジョンシルで81年8月17日、心臓病で黄海道鱗山郡で死亡した。子供はいなかった。二人の墓は鱗山郡上月里にあったが、95年の貯水ダム崩壊により流出。遺品はない。94年に市川さんが金日成総合大学などで目撃されているとの日本側主張は事実無根。

 【原敕晁】金もうけと病気治療のため海外行きを希望していたが、工作員が本人の戸籍謄本を受け取る見返りとして100万円と北朝鮮への入国を密約した。これによって80年6月17日、宮崎市の青島海岸から連れてきた。入国後は招待所で朝鮮語の習得などをし、84年10月19日、田口八重子さんと結婚。86年に肝硬変で死亡した。墓は田口さんと同じ所にあったが、95年の豪雨によるダム決壊で流された。遺品はない。辛光洙容疑者の関与については今後、法的仕組みができたら提供する。

 【田口八重子】特殊工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、78年6月29日、宮崎市の青島海岸で本人が「北朝鮮に3日程度なら観光がてら行きたい」との意向を示したことから工作員が連れてきた。辛光洙容疑者は関係ない。入国後は朝鮮語の習得などをし、84年10月19日に原敕晁さんと結婚。86年7月19日に夫が死亡した後、精神的衝撃を受けていたが、同月30日、乗用車とトラックの衝突事故で死亡。墓があったが95年7月の豪雨でダムの堤防が壊れ、墓が流された。原さんとの間に子供はなし。事故での死亡者に関する書類が存在する。法的仕組みができた時点で証言と文書を提供できる。北朝鮮側は李恩恵という日本人女性はいないと説明。

 【石岡亨】80年ごろ、スペイン滞在中、熊本市出身の松木薫さんとともに特殊機関工作員の北朝鮮訪問の勧めに応じ、同年6月7日に日本語教育に引き入れる目的で北朝鮮へ連れてこられた。よど号犯が関与したかどうかは不明。

 84年ごろから有本恵子さんとともに特殊機関の学校で日本語を教えさせた。85年12月27日、有本さんと結婚し翌年娘が生まれた。88 年11月4日夜、有本さん、娘とともに暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した。

拉致に日本人請負業者関与【拉致調査報告】

2002年10月02日 The Sankei Shimbun

 政府が2日公表した北朝鮮による日本人拉致(らち)事件に関する調査結果で、詳細な事件の背景や北朝鮮側の関係者に対する処罰内容が明らかになった。  調査結果によると、北朝鮮の特殊機関の一部部署は、1977年11月に発生した横田めぐみさん=失跡当時(13)=の拉致を契機に、日本人成人を連行、工作員の日本語教育、身分隠しに利用するため恣意(しい)的に拉致を実行。78年6月から2年間にわたり日本人男女9人を連行した。

 80年初めごろ、別の特殊機関の一部部署も日本人の連行を試みたが、日本に工作ルートがなかったため、80年6月から83年7月までに欧州で男女3人を連行。拉致された計13人のうち、7人は工作員による拉致、1人は日本人の請負業者により、5人は本人の同意を得て連れてきたとしている。

 また、拉致事件の責任者2人は98年、職権乱用など6件の容疑で裁判にかけられ、1人は死刑、もう1人は15年の長期教化刑に処せられたという。

拉致責任者は死刑と長期刑【拉致調査報告】

2002年10月02日 The Sankei Shimbun

 政府調査団の調査結果によると、拉致事件の責任者である2人は1998年に職権乱用を含む6件の容疑で裁判にかけられ、1人が死刑、もう1人は15年の長期刑に処せられた。

13人を連行、うち7人は工作員が拉致【拉致調査報告】

2002年10月02日 The Sankei Shimbun

 安倍晋三官房副長官は2日の記者会見で、北朝鮮側は、横田めぐみさんの拉致事件を契機に計13人を連行、うち7人は工作員が拉致、1人は請負業者、残る5人は本人の同意があったと伝えた。

寺越武志さんが北京到着

2002年10月01日 The Sankei Shimbun

 1963年5月に日本海で叔父らと漁船で操業中に行方不明になり、現在は北朝鮮の平壌で暮らしている寺越武志さん(53)が39年ぶりに一時帰国するため1日、経由地の北京に到着した。

 寺越さんは北京国際空港で、記者団の質問にコメントしなかった。3日に東京に到着、4日に故郷の石川県に向かう。

 石川県に在住する母親の友枝さんはたびたび訪朝し、寺越さんと会っているが、寺越さん本人が帰国するのは初めて。

 寺越さんは現在、平壌市職業総同盟の副委員長を務めており、日本の自治労中国地区連絡協議会などが招待した職業総同盟の訪日代表団の一員として帰国する。

 寺越さんは87年1月に生存が確認され、今年8月に平壌で行われた日朝赤十字会談の際に日本側代表団と面会、一時帰国する計画を進めていることを明らかにしていた。(共同)

不明者、徹底的に調べる 谷垣公安委員長

2002年10月01日 The Sankei Shimbun

 国家公安委員長に就任した谷垣禎一氏は30日夜、警察庁で記者会見し、北朝鮮による拉致に関連し政府が認定した8件11人以外の行方不明者について「北朝鮮が関与していないと言い切れない案件がある以上、地道に徹底的に調べなければならない。警察だけでなく、外務省その他、日本のあらゆる国家機関との協力が欠かせない」と語り、事実解明に積極的に取り組む姿勢を示した。

 治安情勢の悪化については「少年犯罪、銃器、麻薬など油断できない状況にある。国家公安委員長として全国27万の警察関係職員を督励し、国民が安心して生活できるよう少しでも力を尽くす」と話した。

拉致問題は最優先課題 川口外相

2002年09月30日 The Sankei Shimbun

 川口順子外相は30日夜、初閣議後の記者会見で、10月に再開する北朝鮮との国交正常化交渉について「外務省として最も重要な問題だ。その中でも(日本人)拉致問題は最優先の課題と考える。被害者家族の要望に最大限応えることが大事だ」と述べ、最優先で取り組む姿勢を重ねて強調した。

 その上で、拉致事件への外務省の対応に批判があることには「それぞれの時期に外務省は一生懸命対応してきたと思う。日朝首脳会談につながる過程の努力だった。それより早い段階で結果が出せなかったことは残念だ」と釈明した。

 イラク問題については「国際社会と協調しながら主体的に取り組みたい。今までの国連決議を現実的に実行することが大事だ」と述べ、引き続きイラクに大量破壊兵器の査察受け入れを求めていく考えを強調。外務省改革についても「『行動計画』を着実に進めたい」と述べた。

調査団、拉致生存者との面会を実施

2002年09月30日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮による日本人拉致事件の真相究明のため平壌に派遣された政府調査団(団長・斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官)は10月1日夜に北京経由で帰国する。帰国後速やかに報告内容をまとめ、被害者家族に伝える方針だ。

 これに関連して外務省の竹内行夫事務次官は30日夕の記者会見で「生存しているとされる拉致被害者との面会や、北朝鮮側関係者との協議などの作業は行われている」と述べ、生存者として通知された男女5人らの本人確認や関係者からの聴取を実施したことを明らかにした。

 生存者が今回の調査団と一緒に帰国する可能性に関しては「本人の意向もあるし具体的な準備の問題もあり、私としては今のところ予測していない」と否定的な見解を示した。

 調査団は27日に家族から被害者の写真、筆跡鑑定用の手紙などの提供を受けており、これらを基に生存者とされる男女の本人確認を実施。聴取の際はビデオ撮影や録音もして、1人ひとりに帰国・一時帰国の意思を確認したとみられる。

 死亡したとされる8人に関しては、DNA鑑定や歯型照合など本人確認のための死亡資料の提供を求めたもようだ。

拉致調査団が本格活動

2002年09月29日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮による日本人拉致事件の真相究明のため平壌入りした政府調査団(団長・斎木昭隆外務省アジア大洋州局参事官)は29日、現地での活動を本格化させた。被害者家族には途中経過を連絡せず、10月1日の帰国後速やかに内閣官房に設置した「支援室」から調査結果を報告する段取りだ。

 調査団は、北朝鮮側から通知のあった生死の情報を「確認もせずに確定的に伝えた」(被害者家族の1人)と批判を受けたことから、情報管理に細心の注意を払っている。

 9月17日の日朝首脳会談の際に示された4人の生存者や、「死亡」したという横田めぐみさんの「娘」の本人確認を目指す。警察庁のリストにはなかった「5人目の生存者」とされる女性とも面会予定で、新潟県・佐渡島の曽我ひとみさん=失跡当時(19)=と確認されるかが焦点だ。

 生存者が本人と確認できれば帰国意思を聞くが、「北朝鮮国内で自由に意思表示できるのか」との指摘もある。

 一方、「死亡」と通知した8人の死因について北朝鮮側は「病死、自然災害等」としているが、調査団は個々のケースごとに拉致状況、現地での生活実態、死因などの説明を受け、資料収集を行っているとみられる。

 北朝鮮側が(1)死亡を通知した田口八重子さん=失跡当時(22)=について、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫・元工作員の証言通りに日本語教育係「李恩恵」だったことを認めるか(2)有本恵子さん=同(23)=らの拉致で「よど号」犯グループ関与について見解を示すか(3)金正日総書記が明言した拉致事件関係者の処罰をどう説明するか−もポイントだ。

拉致事件:12都道府県議会で意見書採択 国に真相究明求める

2002年09月29日 Mainichi INTERACTIVE

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件をめぐり、事件の舞台となった新潟、石川、鹿児島など12都道府県議会で、国に真相究明や早期解決を求める意見書を採択したことが29日、毎日新聞の調べで分かった。大阪、宮崎両府県議会も30日に採択を予定、10を超える県議会でも意見書提出の動きが出ている。世論の憤りを背景に、拉致事件解決を求める声が全国の地方議会に波及している。 

 意見書は、日朝首脳会談は評価しつつ、政府に拉致事件の全容解明を求める内容が多い。具体的に被害者の早期帰国、関係者の処罰や謝罪、補償を挙げるものもあった。

 77年に拉致された横田めぐみさん(行方不明時13歳)らが住んでいた新潟の県議会は、首脳会談を「国交正常化に向け、歴史的な一歩を踏み出した意義は大きなものがある」と評価する一方、「正常化を急ぐあまり、北朝鮮との安易な妥協は許されるものではない」と毅然(きぜん)とした態度で全容解明に当たるよう要請。

 滋賀県議会は、さらに「拉致事件の全容解明が正常化交渉の前提であるとの認識を堅持」するよう求め、「安易な経済援助を持ち出すことなく交渉に臨まれるよう強く要望する」と交渉の進め方にクギを刺した。東京都議会も交渉再開前の拉致問題解明を求めている。

 一方、熊本県議会は北朝鮮の対応の不十分さを非難。市川修一さん(同23歳)、増元るみ子さん(同24歳)が拉致された鹿児島の県議会は「隣国の主権を侵害し、その国民を拉致することは断じて許すことはできない」と北朝鮮を糾弾した。

 ◆日朝交渉に関し意見書を採択した都道府県議会と主な内容◆

北海道 拉致は重大かつ許すことのできない行為で強く抗議

秋田  会談は評価できるが、全力で拉致事件の真相解明を

東京  8人死亡は痛恨の極みで、誠に遺憾な結果だ

新潟  国交正常化を急ぐあまり、安易な妥協は許されない

石川  生存者の一時帰国の早急な実現が重要

滋賀  被害者家族の苦しみや政府の対応は断腸の思い

京都  拉致は人道上許し難い国家犯罪で、強く抗議する

奈良  拉致という国家的犯罪に強い怒りと深い悲しみを共有

和歌山 会談は評価するが、拉致で北朝鮮に賠償を求める

岡山  人権を最優先に、毅然(きぜん)とした姿勢で交渉を

熊本  拉致の状況や死亡経緯の説明なしには納得できない

鹿児島 拉致事件関与者の処罰及び謝罪、補償を求める

※兵庫県議会は、拉致事件の早期解決を求める議長名の要望書を首相に提出

朝鮮学校:脅迫文送りつけられ、告訴へ さいたま市2002年09月28日 Mainichi INTERACTIVE
 

 埼玉朝鮮初中級学校(さいたま市堀ノ内、高石典校長)と埼玉朝鮮幼稚園(埼玉県川口市木曽呂、張仙玉園長)は27日緊急記者会見し、「切り刻んであの悪の首領に必ず送りつけてやる」などと書いた脅迫文各1通が郵送されたことを明らかにした。両校は28日、脅迫容疑で大宮署などに告訴する。

 脅迫文ははがきに書かれ、「鬼化人面子」の署名で、拉致事件と金正日総書記を非難する内容。県内の郵便局の22日の消印があった。日朝首脳会談以降、同校では民族服の制服着用を控えているが、脅迫文は「集団登下校、私服に変えたとて、何の役にも立たぬこと思い知るときが来るだろう。切り刻んであの悪の首領に必ず送りつけてやる」などと記している。

 学校関係者は「創立41年の歴史でこのような脅迫は初めて」と憤慨している。 【小谷守彦】

拉致事件:新聞協会、雑誌・民放に協力要請 過熱取材回避で

2002年09月28日 Mainichi INTERACTIVE

 日本新聞協会は、日本雑誌協会と日本民間放送連盟に対し、北朝鮮による日本人拉致事件をめぐる集団的過熱取材(メディアスクラム)を避けるための協力を求めた。

 北朝鮮に拉致された疑いがある甲府市の山本美保さん(84年行方不明時20歳)の家族の苦情に対応した。山梨編集者会(山梨県内の新聞、放送、通信計13社の報道責任者で構成)が要望を取りまとめ、日本新聞協会を通じて協力を要請した。

 山本さんの家族から「東京の週刊誌とかが家に断りもなく上がり込んで、家の中の写真を撮った社も1社あった」などの苦情があった。

拉致事件:憤りと不安 小泉首相と面会の被害者家族

2002年09月27日 Mainichi INTERACTIVE

 閉ざされた国の扉をこじ開けた主役に、家族は憤りと不安をぶつけ、そして最後の望みを託した。27日夕、首相官邸で小泉純一郎首相に面会した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致被害者の家族たち。「25年間の命懸けの日々を、どうか無駄にしないで」。最初の拉致事件から四半世紀を経て、家族の胸にさまざまな思いが募る。日朝首脳会談から10日。初めて家族の前に姿を見せた首相は「全容解明に全力を挙げる」と誓った。

 午後4時。首相官邸2階の大ホールのテーブルに約30人の拉致家族らが着席した。約3メートル隔てた反対側に安倍晋三官房副長官が座る。

 やや遅れて入室した小泉純一郎首相は硬い表情のまま、家族に向けて一礼した。小泉首相の左手に座っていた有本恵子さん(行方不明時23歳)の父親、明弘さん(74)は、両手のこぶしを白いテーブルクロスに押し付けるようにして、小泉首相を厳しい表情で見つめた。着席した小泉首相の視線が、何度も泳いだ。

 「でっち上げと言ってきた拉致事件を(北朝鮮の)最高責任者が認めた」。日朝交渉に対する評価を求める小泉首相の言葉。聞き取りづらい小声だった。

 家族側からは政府、外務省に対する不満の声が相次いだ。増元るみ子さん(同24歳)の姉の平野フミ子さん(52)は「訪朝前に会ってほしかった。帰国直後の面会もかなわなかった。それが実現していれば、これほど政府、外務省を恨むことはなかった」。

 次々と投げかけられる悲痛な叫びに、首相は「全力を挙げて真相究明に取り組む」と繰り返した。面会時間は予定の30分間を超え、1時間近くに及んだ。

 午後6時。被害者9人の家族約20人が、衆院第1議員会館に姿を見せた。50分間にわたる面会を終えた家族の印象はさまざまだった。

 「もっと明確な答弁がいただければよかった。物足りなかった」。家族会代表、横田めぐみさん(行方不明時13歳)の父、滋さん(69)は、静かな語り口の中に、面会への不満をにじませた。家族たちは五つの質問項目をまとめたが、「個々の問題には回答いただけなかった」。

 「総理の言葉は全く聞こえないほど小さな声で、よく分かりませんでした」。蓮池薫さん(44)の母ハツイさん(70)は落胆の表情を浮かべながらも、「この25年間を無駄にしないで、と総理にはお願いしました。今後も頑張るので、無駄にしないでほしい」と今後の成果に期待をにじませた。

 めぐみさんの母早紀江さん(66)は「25年の苦労を背負ってきて、やっと首相に伝えられた」と安堵(あんど)の表情を見せた。そして付け加えた。「首相の姿勢を見つめていくしかない。もし私たちの思いと(行動が)違った場合は、マスコミにも糾弾してほしい」

 首相との面会に出席した松木薫さん(同26歳)、石岡亨さん(同22歳)の家族は会見に姿を見せなかった。曽我ひとみさん(同19歳)の妹、金子富美子さん(37)は出席したものの、硬い表情で前を見据えたまま。

 「セレモニーだった」。会見終了後、蓮池さんの兄透さん(47)はこう言い残して会見場を立ち去った。 【岩崎信道、磯崎由美】

拉致「過度の騒動」と北朝鮮メディアが日本非難

2002年09月26日 Yomiuri On-Line

 【ソウル26日=浅野好春】北朝鮮の朝鮮中央通信は26日、日本人拉致(らち)事件に関して、「朝日間の問題は大局的見地で解決しなければならない」と題する論評を発表し、「現在、朝日間の肯定的な事態発展が気に入らない勢力は、拉致された日本人のうち長い期間に一部が死亡した問題を感情的に極大化している」と、日本国内の動きを批判した。北朝鮮のメディアが拉致事件に触れたのは、これが初めて。しかし、論評は金正日総書記が17日の日朝首脳会談で、事件について謝罪したことには全く触れていない。

 論評は「遺族たちには極めて遺憾なことと言わざるを得ないが、わが政府は彼らの痛みを和らげるため最善を尽くしている」としたうえで、「反共和国(北朝鮮)意識を吹き込む大々的なキャンペーン」が行われていると非難。「日本側が度を超した騒動を起こしては、事態を収拾できない状況に追い込みうる」として、拉致事件をこれ以上取り上げないよう暗に求めている。

未解明の拉致疑惑で北朝鮮に事実関係確認…政府が方針

2002年09月26日 Yomiuri On-Line

 政府は26日、北朝鮮による拉致(らち)事件に関する専門幹事会(議長・安倍晋三官房副長官)の初会合を開き、北朝鮮が拉致を認めていない行方不明者40人以上のうち、拉致の可能性が高いと判断されたケースについては北朝鮮側に事実関係を確認する方針で一致した。また、28日に訪朝する政府の調査団に、警察の鑑識専門家の同行を認めるよう北朝鮮側に求めることを決めた。

 幹事会は「日朝国交正常化に関する閣僚会議」(議長・福田官房長官)の下に設置され、外務、法務、警察など関係省庁の局長らで構成される。

 初会合では、警察庁は「政府が拉致と認定していない事件でも、北朝鮮が拉致に関与した可能性がある」として、再捜査の状況を説明。新たな拉致疑惑が明確になれば、北朝鮮側に情報提供などを求める方針を決めた。

 また、<1>被害者の早期帰国や家族の早期訪朝の実現に向け、被害者と家族を支援する<2>北朝鮮が拉致を認めた事件の事実解明のため、北朝鮮に情報提供に求めるなど必要な措置を取る――方針を確認した。

 一方、外務省は26日、調査団に医師と歯科医師を同行させることを明らかにした。北朝鮮側が死亡したとされる被害者の遺体や遺骨などを示した場合、身元確認作業にあたる。

         ◇

 川口外相は26日の参院決算委員会で、日本人拉致事件の犯人について、「拉致に関与した人物の情報を含め、引き続き事実の解明を求めていく。我が国の対応は真相究明を含めて国交正常化交渉の中で検討したい」と述べ、10月に再開予定の国交正常化交渉などで引き渡しを北朝鮮側に求める考えを明らかにした。

拉致かどうかの認定を「特に急ぐ」警察庁長官会見

2002年09月26日 Yomiuri On-Line

 警察庁の佐藤英彦長官は26日の定例会見で、北朝鮮が提示した安否リストの日本人14人以外にも、全国各地で拉致の疑いがある行方不明者の存在が指摘されている点に触れ、「(拉致かどうかの認定を)特に急いでやらなければならないと思っている」と述べた。ただ、佐藤長官は「一つ一つの事件の詳細が分からなくても、いくつかの事件を組み合わせることで何か姿が見えてくる場合もある。だが、日本が法治国家である以上、その立証はきちんと行わなければならない」として、拉致の認定には時間がかかるとの見通しを示した。

 また、拉致事件の捜査については、「北朝鮮がどの程度答えてくれるかにかかっている」と語った。

「生存」被害者の帰国を優先…拉致「家族連絡会」

2002年09月26日 Yomiuri On-Line

 北朝鮮による拉致(らち)事件の被害者家族でつくる「家族連絡会」は26日、都内で会合を開き、生存している被害者全員の帰国を優先させ、家族はその実現前には訪朝しないという方針を確認した。27日の小泉首相との面会の際に伝える。

 同会事務局長で蓮池薫さん(失跡時20歳)の兄、透さん(47)らは会合後、代表して会見し、「被害者側である家族が、本人の帰国より前に、加害者である北朝鮮を訪問するのは筋ではない」と述べた。同会は、「被害者の安否はまだ確認されていない」としたうえで、生存している被害者らについて、28日から訪朝する政府の現地調査団が身元確認をし次第、1か月以内に子供も含めて帰国させるよう政府に働きかけることを出席者の全員一致で申し合わせた。さらに、「被害者の帰国前に政府側から訪朝の提案があったとしても、拒否する」という。

 ただ、同会では、「方針はあくまで会としてのもので、今後、個々の家族が訪朝を希望した場合は、その意向を縛るものではない」ともしている。

 一方、超党派の国会議員による「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」は同日、衆院議員会館で総会を開き、政府に拉致事件の真相究明を求める決議を採択した。被害者家族が、27日に小泉首相と面会する際、会長の石破茂自民党衆院議員らが同行して申し入れる。

 決議は、<1>生存者とその家族全員の帰国<2>政府が拉致事件と認定した「8件11人」以外の実態調査の申し入れ<3>被害者が死亡していた場合の真相究明<4>拉致実行犯の引き渡しや被害者家族への補償<5>全容解明への取り組みが遅れた原因の究明と責任の明確化――などに政府が取り組むよう要求し、拉致事件が全面解決するまで、人道的支援も含めた一切の食糧支援、経済的支援を行わないよう求めた。

拉致被害者の家族担当、中山恭子氏を任命

2002年09月26日 Yomiuri On-Line

 政府は26日、北朝鮮による拉致(らち)事件被害者家族への対応などを担当するため、前ウズベキスタン大使の中山恭子氏(62)を内閣官房参与に任命し、中山氏を補佐するためのチームを内閣官房に設置することを決めた。

 中山氏は1966年、大蔵省に入省し、官房審議官、国際交流基金常務理事などを経て、今月10日までウズベキスタン大使を務めた。夫は自民党の中山成彬衆院議員。

 福田官房長官は同日の記者会見で中山氏起用の理由として「こういう問題に対応できる国際的な知見があり、その人柄で選んだ」と述べた。

情報全面開示と通告 北朝鮮が拉致事件で

2002/09/26 中国新聞

 参院は二十六日午前、決算委員会を開き、先の小泉純一郎首相と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記との会談結果などを審議した。

 外務省の田中均アジア大洋州局長は日本人拉致事件について「先方は『金総書記が明確に拉致と認め謝罪した。従ってその指示に従い情報の全面開示をしたい』とのことだ」と述べ、北朝鮮側が死亡したとしている被害者八人の死亡理由などをあらためて説明する姿勢を示していることを明らかにした。

 川口順子外相は、警察庁が従来認定していた八件十一人以外に拉致された疑いが指摘されている行方不明者について「まず捜査当局で事実解明されることが第一歩。その状況に応じ、疑いがあるなら北朝鮮側に話していく」と指摘。警察庁の奥村万寿雄警備局長は「八件十一人以外にも拉致の疑いを排除できない事案があり、鋭意捜査している」と述べた。

 外相は拉致事件に関し「国交正常化交渉のプロセスの中できちんとしていくことが非常に大事だ」と述べ、被害者への補償、事件関係者の処罰などを十月に再開される正常化交渉の中で北朝鮮側に求めていく考えを示した。

 外務省が拉致被害者の死亡年月日リストを一時公表しなかった問題で、外相は「大変申し訳ないと思っているが、外務省としてはベストを尽くしている」と述べた。北朝鮮への経済支援は「国交正常化後に行う」と政府の基本姿勢を強調した。

 自民党の三浦一水、佐々木知子両氏への答弁。

小泉首相:拉致事件の全容解明を示唆 コメ支援実施は否定

2002年09月25日 Mainichi INTERACTIVE

 【コペンハーゲン中澤雄大】小泉純一郎首相は24日午後(日本時間24日夜)、アジア欧州会議を終えて市内のホテルで記者会見し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交正常化交渉に関して「拉致家族の皆さんと憤り、怒りを共有している。拉致問題の解明に全力で取り組まなければならない」と述べ、家族の心情を十分踏まえながら拉致事件の全容解明にあたる考えを示した。

 北朝鮮へのコメ支援については、「どの国であれ、苦しみにあえいでいる時に人道上の手を差し伸べることは考えなければならないが、私はコメ支援など一言も言っていない」と語り、当面の支援実施を否定した。

 一方、金融機関などの不良債権処理に関して首相は「経済停滞の大きな原因として不良債権処理が大変大事であると認識している。処理を加速するためにどういう対応が有効か、早期に対応を取りまとめたい」と積極的に取り組む姿勢を表明。補正予算については「国債を増発し公共事業をもっと増やせ、というような補正予算は臨時国会が開会されても組む考えはない」と否定した。

 小泉純一郎首相の24日の記者会見の要旨は次の通り。

 <米朝関係>米国は対話の道は閉ざしていない、と強く感じる。できるだけ早期に交渉を再開するべきだ。金大中韓国大統領、ブッシュ米大統領と連携をとり、日米韓共通の問題として正常化交渉に臨みたい。

 <拉致事件>家族の方々の意見をうかがいながら、解明に全力で取り組む。

 <経済支援>北朝鮮への経済協力支援は正常化後。日朝平壌宣言の約束を北朝鮮が誠実に実施に移すことが大前提で、正常化がならない段階で経済協力を行うことは考えていない。

 <北朝鮮への人道支援>(先のインタビューでの)私の人道支援発言を一部で「コメ支援」と報道されたが、コメ支援など一言も言っていない。

 <経済政策>経済停滞の大きな原因として不良債権処理がたいへん大事と認識している。金融庁や政策当局とよく相談し、早期に対応策をまとめたい。株価対策とか、景気をもっと浮揚するために国債を増発して公共事業を増やせというような補正予算は、臨時国会が開会されても組む考えはない。

拉致事件:政府調査団を28日に平壌に派遣 DNA鑑定要望へ

2002年09月25日 Mainichi INTERACTIVE

 政府は25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の拉致事件解明のために政府調査団を28日に平壌に派遣する方針を固め、被害家族との最終調整に入った。北朝鮮側から拉致に関する詳細な説明を求めるとともに、被害者確定の手段として家族から強い要望が出ているDNA鑑定をしたいとの意向を伝え、被害者のつめや毛髪など提供を求める考えだ。 

 調査団派遣は21、22両日の日朝非公式折衝で話し合われた。日本側が死亡経過など事実関係把握のための情報提供を求めたのに対し、北朝鮮側も「きちんと提供する」と答えた。調査団は拉致の状況や被害者の北朝鮮での生活を調査。北朝鮮側が「死亡」と通知した被害者の死亡に至った経緯を特定するための資料提供を求める。最終的に被害者本人と特定するためにはDNA鑑定が欠かせないと判断、鑑定のための試料提供も要求する。

 政府は、内閣に設置する被害者家族の「支援室」を通じて、来週、調査結果を家族に報告する。その上で、希望する家族については早期の訪朝実現に向けた最終的な詰めを進める。

 これに関連し、政府は25日、各省庁の局長級や警察庁幹部による実務者会合を開き、再開する日朝国交正常化交渉の進め方などについて協議する。

拉致疑惑:元看護師、国広富子さんを公開手配 山口県警

2002年09月25日 Mainichi INTERACTIVE

 山口県警宇部署は25日、76年8月に同県宇部市恩田町の自宅から外出したまま行方不明になっている元看護師、国広富子さん(当時24歳)を公開手配した。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致問題が注目を集める中、妹から「世論が盛り上がっている今、言わなければ見つける可能性がなくなる」と依頼があったという。県警は「拉致をうかがわせる事実はないが、否定できる事実もない」としている。

 調べでは、国広さんは76年8月2日午後8時半ごろ、自宅近くにたばこを買いに出たまま行方不明になった。県警は事件、事故両面で捜査したが手がかりは得られなかった。

有本さん事件で逮捕状 よど号メンバーに誘拐容疑

2002/09/25 中国新聞

 一九八三年に欧州で行方不明になった元神戸外大生の有本恵子さん=当時(23)=拉致事件で警視庁公安部は二十五日、結婚目的誘拐容疑でよど号ハイジャック事件メンバーの安部(本名・魚本)公博容疑者(54)=よど号事件で国際手配=の逮捕状を取った。

 警視庁は近く、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配。外交ルートを通じて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に安部容疑者のほか、よど号事件などで既に国際手配しているメンバー四人と妻の身柄の引き渡しを求める。

 拉致を指示したとされるリーダーだった故田宮高麿・元赤軍派幹部とメンバーの元妻八尾恵・元スナック経営者(46)は同容疑で書類送検する。

 八〇年に起きた原敕晁さん=当時(43)=拉致事件で、公安部は八月、旅券法違反容疑などで北朝鮮工作員、辛光洙容疑者(73)の逮捕状を取ったが、誘拐容疑で実行犯の逮捕状を取得したのは初めて。

 有本さんは警察庁が認定した北朝鮮による拉致事件の八件十一人のうちの一人。十七日の日朝首脳会談で北朝鮮から死亡が伝えられた。

 八〇年に欧州で行方不明となり、同様に死亡が伝えられた札幌市出身の石岡亨さん=失跡当時(22)=と熊本市出身の松木薫さん=同 (26)=についても公安部はよど号メンバーが拉致に関与した疑いが強いとみて捜査している。

 八八年九月、石岡さんの札幌市の実家に「有本さん、松木さんの三人で助け合って平壌で暮らしている」との内容の手紙が届き、三人が北朝鮮にいることが分かった。

 調べでは、「代を継いで日本革命を達成しなければならない」という故金日成主席の教えに基づき、安部容疑者は田宮元幹部、元妻と共謀、ロンドンで日本人女性を誘拐して北朝鮮にいる日本人男性と結婚させようと計画。

 八三年七月中旬、有本さんをコペンハーゲン国際空港からモスクワ経由で北朝鮮に連れ去り、誘拐した疑い。結婚相手の男性は石岡さんか松木さんだったとみられる。

 田宮元幹部が同年一月、平壌で元妻に「二十五歳ぐらいまでの若い女性を獲得せよ」と指示。五月、元妻が語学留学中だった有本さんに接触した。

 七月中旬、元妻が仕事を紹介するなどとだましてコペンハーゲンに連れ出し、安部容疑者と北朝鮮の工作員とされるキム・ユーチョル元外交官を紹介。安部容疑者が「市場調査の仕事をしてきてほしい」とうその依頼を有本さんにし、キム外交官がモスクワ経由で連れ去ったという。

「生死」情報を事前に入手 日本人拉致

2002/09/25

 小泉純一郎首相の十七日の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問に先立ち、日朝政府間で行われた非公式折衝で、北朝鮮側が日本人拉致事件の被害者の安否について「生存者もいれば死亡している人もいる」と明確に伝えていたことが二十五日、分かった。政府筋が認めた。

 十七日には平壌での首脳会談直前の局長級協議で北朝鮮側が死亡者八人、生存者五人などの調査結果を通知。梅本和義駐英公使が生存者とされる男女四人や死亡したという横田めぐみさんの娘とされる女性と面会したが、詳細な照合資料を持っていなかったことが明らかになっている。

 事前の安否伝達情報を踏まえれば、生存者や死亡したとされる被害者関係者との面会は想定できたはずで、本人確認を迫られる場合の準備をしていなかった外務省のずさんな対応ぶりがあらためて浮き彫りになった。

 事前折衝で日本側は、警察庁が拉致認定している八件十一人全員の正確な安否情報を求め、北朝鮮が拉致を認めて謝罪するよう要求した。

 これに対し北朝鮮側は小泉首相が訪朝すれば、少なくとも数人については安否情報を伝えられると言明。この中には生存者と死亡者がいることを伝えていた。

 金正日総書記が拉致を認め謝罪することについては、事務レベルでは最後まで確約しなかったとされる。

 梅本公使は、共同通信などの取材に対し「面会が実現すると事前に分かっていれば家族からもっと詳しく話を聞くなど準備のしようがあったし、捜査関係者を随行団に入れていたと思う」と釈明したが、おざなりの確認作業に終わったのは事前折衝の情報伝達が政府内の一部に限定された結果である可能性が高い。

 首相は二十日のテレビ番組収録で被害者の安否に関し「全員生きていると思っていた」と述べていた。

政府調査団を28日派遣 家族訪朝前に平壌へ

2002/09/25

 政府は二十五日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件の真相究明のための事前調査と家族の早期訪朝に向けた調整のため、外務省などで構成する調査団を二十八日から十月一日まで四日間の日程で平壌に派遣することを決めた。川口順子外相が二十五日午後、正式発表した。

 被害者家族が北朝鮮側の発表情報に疑義を持っているため、政府としてあらためて調査する。生存者と「死亡した」とされる横田めぐみさんの娘という女性の本人確認を行うとともに、死亡したとされる被害者について死亡状況の資料を求め、墓や遺骨の有無なども調査する。本人確認のためDNA鑑定の資料提供も求める。

 一方、福田康夫官房長官は二十五日午前の記者会見で、家族の訪朝について十月中の実現を目指し、調査団が現地で日程調整することも明らかにした。

 調査団は外務省の斎木昭隆アジア大洋州局参事官を団長に、外務省と内閣官房の職員ら約十人で構成。川口外相は「できる限りの情報資料を集めてきたい」と述べた。

 警察庁関係者の派遣について外相は「行かない。どこの国も他国の警察当局が来て捜査活動をするのには前向きでない」と述べ、今回は見送る考えを示した。

 DNA鑑定について福田長官は「本人確認のためDNA鑑定は必須だ」と強調した。

外務省が曽我さんに電話

2002年09月24日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮に拉致され生存しているとみられる新潟県真野町(佐渡島)出身の准看護師、曽我ひとみさん=失跡当時(19)=について、外務省から父親茂さん(70)に「(北朝鮮が示した5人目の生存者は)恐らく本人」との電話があったことが24日、分かった。

 新潟県などによると、外務省から茂さんに電話があったのは21日。「確定的なことはいえないが、名前と生年月日が一致しているので本人と思われる」と伝えた。

 また、外務省が27日(の小泉首相との面会)に来るかどうかと尋ねると、茂さんは「体力的に無理なので親せきに行ってもらう」と答えたという。

 新潟県東京事務所の職員が24日、外務省を訪れ、ひとみさんの情報を茂さんに伝えるよう求めた際、電話していたことを確認した。

 ひとみさんと母ミヨシさん=当時(46)=は1978年8月、一緒に近所へ買い物に出掛け、行方不明になった。

北朝鮮が根拠示すよう首相に要請…有本さんの父強調

2002年09月22日 Yomiuri On-Line

 北朝鮮による日本人拉致事件で、死亡したとされる神戸市出身の有本恵子さん(失踪当時23歳)の父親の明弘さん(74)が22日、同市中央区内で開かれた「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会(救う会)兵庫県協議会」(長瀬猛代表)の緊急報告会に出席した。明弘さんは、「北朝鮮からの情報は信頼できず、生存の可能性はある」と改めて強調し、27日に予定されている小泉首相と拉致被害者家族との面会で、北朝鮮に根拠を明示させるよう要請することを明らかにした。

 報告会には支援者ら約50人が参加。1991年から今年にかけて、訪朝した国会議員やジャーナリストなどから、有本さんの生存情報が複数あったことから、有本さんが死亡したとする北朝鮮側の説明について、「一方的なもので、真偽について何の確証もない。生存の可能性を排除せず、交渉にあたるべき」とした。

拉致「死亡者」に生存説 韓国情報筋

2002年09月22日 The Sankei Shimbun
7月まで集団生活
90年代末「横田さん似」亡命者証言も

 【ソウル21日=黒田勝弘】北朝鮮に拉致された日本人について北朝鮮は八人がすでに死亡したと発表しているが、実際は最近まで生存していたのではないかとする未確認情報があり関係者を緊張させている。韓国の情報関係筋が二十一日までに明らかにした。最も新しい情報では拉致日本人たち約十人がこの七月まで北朝鮮のある招待所(特別宿舎)で当局の厳しい管理の下に集団生活をしており、その後、他の場所に移動させられたという。

≪外務省、情報を把握?≫

 この移動は、小泉純一郎首相がカナダでの主要国首脳会議(カナナスキス・サミット)の各国首脳との会談で拉致問題を取り上げるなど、日本政府が問題解決に強い姿勢を見せたことで、北朝鮮当局として何らかの対応策を迫られたためではないかとみられるという。

 また韓国の有力紙・朝鮮日報は昨年八月二十四日付で情報筋の話として「一九九〇年代末まで平壌のアンサン招待所で拉致日本人八人が集団生活」と報じている。

 同筋によるとこの情報をもたらしたのは、二〇〇〇年春に韓国に亡命してきた北朝鮮の主席府経理部出身の「南グァンシク」という人物。平壌にいた際、職場が招待所の近くにあり、招待所に知り合いがいたことから目撃できた。一同はほとんどが女性で子供もおり、日本の歌なども歌っていたと証言しているという。

 この亡命者は拉致日本人の顔写真から、横田めぐみさんと奥土祐木子さんに似ていると証言したという話もあるが、もしこの目撃証言が事実なら横田さんは一九九〇年代末までは生存していたことになる。

 またこの亡命者情報については日本政府(外務省)が一昨年、ソウルに調査員を派遣、亡命者の事情聴取を行っているという。

 同筋によると、韓国の情報当局は拉致日本人の行方についてはこのほか複数の未確認情報を得ており、拉致日本人のほとんどが最近まで生存していた可能性は十分ありうるとの見方をしているという。

 一方、日本の外務省が今回、北朝鮮側から死亡者の死亡時期を通報されながら公表しなかった裏には、これまで日本政府にこの種の「生存情報」がもたらされていたことも影響しているのではないか、とする見方がソウルでは出ている。

 北朝鮮が一部だけを生存者とし、ほとんどを死亡と発表した背景について同筋は「生存しているとなれば日本に送還、帰国させなければならない。そうなると北朝鮮の内情が暴露される恐れがあるため、その危険性がある人物については死亡としたのではないか」としている。

         ◇

 外務省幹部は二十一日夜、韓国での未確認情報について「そうした情報は聞いたことがない。『南グァンシク』という人物の名前は聞いたことがあるような気もするが、政府が接触したことはないと思う」と述べた。

拉致家族の早期訪朝を要請…日朝事務協議

2002年09月22日 Yomiuri On-Line

 日本と北朝鮮の外務当局者による協議が、21、22の両日、中国・大連で行われた。日朝首脳会談後初めての事務レベル協議で、日本側は、日本人拉致(らち)事件の被害者家族が早期に訪朝できるように要請するとともに、事件の全容解明への協力を求めた。

 協議には、日本側から外務省の田中均アジア大洋州局長と平松賢司北東アジア課長が出席した。

 拉致被害者の訪朝については、日本政府は、27日に予定されている小泉首相と拉致被害者家族の面会後、できるだけ早い時期に実現させたい考えで、今回の協議でも、日朝平壌宣言で10月中の開催を合意している日朝国交正常化交渉の前に実現するよう求めた。

 これに対し、北朝鮮側は「準備をきちんとする必要がある」と述べ、拉致被害者の家族受け入れには時間がかかることを示唆した。

 また、協議では、日本側は、北朝鮮側が拉致被害者として生存していることを伝えてきた、新潟県真野町の曽我ひとみさん(失踪当時19歳)と見られる女性について、さらに詳しい情報を提供するよう求めた。北朝鮮側は、早急に調査する考えを示した。

拉致被害の賠償請求へ2002年09月22日 The Sankei Shimbun

 政府は22日までに、日本人拉致事件の被害に対する損害賠償請求を北朝鮮側に提起する方針を決めた。新たに設置する日朝間の安全保障協議の場で事件の全容解明を行いながら、正常化交渉や安保協議、水面下の折衝を通じて国家賠償を求めていく意向だ。

 拉致事件賠償問題での日朝交渉が長期化した場合、被害者家族への救済措置の実現に時間がかかることから、北朝鮮の補償に先立って政府が家族に支払う「先行補償」も検討する意向。その際は、国交正常化交渉の場で北朝鮮側に補償支払を求める「求償権」を主張していく考えだ。

 同時に北朝鮮のミサイル問題について、日本を射程に収めた弾道ミサイル「ノドン」の照準外しを経済協力実施の条件とし、配備済みミサイルの撤去も求めていく方針。

 政府は、日朝首脳会談で金正日総書記が特殊機関の犯行を認めたことで北朝鮮の国家的関与が確認できたと判断。「国交がない国に拉致被害者家族が直接、賠償を請求できない」(政府関係者)という事情も踏まえ、金総書記の直接的関与の有無とは関係なく「国家犯罪」に対する賠償を政府として請求していくことにした。

 具体的な賠償額は未定だが、死亡した8人の家族に対する補償のほか、生存者家族の精神的苦痛も考慮して、請求額を今後詰める。

 政府は安保協議で個々の事件の経緯や責任者の特定など全容解明を進め、賠償交渉を「補強」していく考えだ。

 安倍晋三官房副長官は22日、NHKテレビ番組で拉致事件について「(日本の)国内法を明確に破っている。国際法などに照らし合わせ、国家としての補償を含めて検討していきたい」と言明。国交正常化交渉については「10月中の再開方針に変わりない」と述べた。

拉致事件:不明の県庁職員の捜査申し入れへ 新潟の会・会長

2002年09月22日 Yomiuri On-Line

 「横田めぐみさん等被拉致日本人救出新潟の会」の小島晴則会長は21日、佐渡島から74年2月に行方不明になった新潟県庁職員の男性(当時27歳)について、拉致の可能性があるとして、近く県警に捜査を申し入れる方針を明らかにした。政府にも解明を求めていくことにしている。

寺越さん来月3日、一時帰国

2002年09月22日 The Sankei Shimbun

 出漁中の日本海で昭和三十八年に行方不明となり、北朝鮮で暮らす寺越武志さん(五三)の一時帰国は来月三日に決まったことが二十一日、分かった。

 森喜朗前首相が同日、金沢市内で寺越さんの母の友枝さん(七一)に会って伝えた。

 関係者によると、寺越さんは平壌市職業総同盟の副委員長。

 今回は職業総同盟の訪日団の一員として北京経由で成田空港から入国する。東京滞在後、五日から八日まで訪日団と離れて石川県入りし、墓参りなどをする。友枝さんは「武志からも午前中に電話がかかってきた。今日(二十一日)が武志の誕生日で、いい話が聞けてよかった」と話している。

よど号犯「拉致関与」改めて否定

2002年09月22日 The Sankei Shimbun
元妻証言事実なら「特殊機関との協力」
苦肉の責任転嫁か

 死亡が伝えられた元神戸市外大生、有本恵子さん=当時(二三)=ら三人を拉致した疑いが持たれているよど号メンバーが二十一日までに、「まったく身に覚えのないこと」などと関与を改めて否定する声明を発表した。声明は、拉致を認めたメンバーの元妻、八尾恵・元スナック店主(四六)の証言が事実なら、「八尾元店主が特殊機関との協力のもとでやった」としている。公安当局は「組織の一員だった八尾元店主が独断で実行することはあり得ない。苦肉の責任転嫁では」と指摘。警視庁も拉致事件での立件を目指して引き続き捜査する方針だ。

 声明は二十日夜、国内の支援者に送られた。十七日の日朝首脳会談後、メンバーが拉致事件について見解を表明したのは初めて。

 声明は有本さん▽札幌市出身の石岡亨さん=同(二二)▽熊本市出身の松木薫さん=同(二六)=の拉致について、「私たちは三人を共和国(北朝鮮)に連れて行ったことも、共和国滞在中に関与したことも消息を聞いたこともない」と関与を否定。そのうえで、「八尾元店主の証言は信じがたい。もし証言通りであるとすれば、いわゆる特殊機関との協力のもとでやったとしか考えられない。なぜ、どのように行われたのか知るよしもない」としている。

 金正日総書記は首脳会談で、日本人拉致について、「特殊機関の一部の妄動主義、英雄主義がやった」と説明。よど号グループの関与には言及しなかった。

 公安当局は「金総書記が言及しなかったことを利用し、八尾元店主に責任を押し付ける作戦としか思えない。声明発表が遅れたのは、どう釈明すればいいか迷っていたのでは」と分析する。

 日本政府は今後の日朝交渉で、拉致実行者の特定など真相究明を求める方針。その中で北朝鮮側が、よど号グループの関与を認めるかどうかが大きな焦点になる。

 石岡さんをめぐっては失跡当時の昭和五十五年、よど号グループとの接触を示す写真がある。滞在先のスペイン・バルセロナの動物園で撮影されたもので、リーダーの故田宮高麿・元赤軍派幹部の妻(四九)と若林盛亮容疑者(五五)の妻(四七)が、石岡さんと一緒に写っていた。妻二人は当時、スペイン滞在中だった松木さんにも接触していた。こうした状況から警視庁公安部は、三人の拉致事件はいずれもよど号グループと北朝鮮工作員が組織的に行った疑いが極めて強いとみている。

「行きたい」「留保する」  「拉致の国」に複雑な思い

2002/09/21 中国新聞

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致被害者の家族に、外務省は日朝国交正常化交渉再開を前に、訪朝する意思があるかどうかを確認する作業を始めている。肉親を奪い去った国に対する家族の思いは複雑で「早く行って自分で確かめたい」と話す人がいる一方で「(北朝鮮訪問は)留保したい」と拒否反応もある。

 一九七八年八月に鹿児島県吹上町の海岸で拉致され、死亡が伝えられた市川修一さん=失跡当時(23)=の兄健一さん(57)は「北朝鮮には行くが、墓を見せられても信じない」。平壌に着いたら「兄ちゃんはここにいるよ。平壌に来ているんだよ」と心の中で呼び掛けるつもりだ。

 市川さんと一緒に拉致され、同じく死亡したとされる増元るみ子さん=同(24)=の弟照明さん(46)は外務省からの問い合わせに「(訪朝は)留保したい」と回答した。

 「本当に姉の死が科学的に証明されれば、お骨を拾いに行くけれど、その前に家族に訪問させていったい何をさせようとしているのか」。照明さんは外務省への不信感をぬぐい切れないという。

 八〇年に欧州で失跡し、死亡したといわれる石岡亨さん=同(22) =の兄章さん(47)は「弟が死んだ状況の確認は無理かもしれないが、北朝鮮の担当者と直接話して、少しでも信じることができるようになりたい」。章さんは兄弟三人で訪朝する意向をみせている。

 七七年に中学からの下校途中に新潟市で拉致され死亡が伝えられた横田めぐみさん=同(13)=の父滋さん(69)は「なるべく早くお願いします」と答えた。滋さんは「(めぐみさんの)娘や夫といわれる人に会って話してみたい」という思いから「調整を早くやってほしい」と外務省に依頼している。

 七八年に福井県で拉致され生存しているとされる地村保志さん (47)の父保さん(75)も早期の訪朝を希望したが、同じく生存と伝えられた蓮池薫さん(44)の兄透さん(47)は「生存が伝えられた家族だけで行くつもりはない。行くなら被害者家族の会として全員で行く」と注文を付けた。

      ◇    ◇    ◇

 ■「拉致被害さらに約60人」 支援団体が捜査訴え

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致事件に絡み、被害者家族の支援団体は二十一日までに、北朝鮮が安否情報を伝えた計十四人以外に「約六十人の拉致被害者がいる」としてリストを作成、政府や捜査当局に迅速な情報収集と捜査を求めている。

 この団体は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」(東京)。

 よど号メンバーの元妻や、韓国に亡命した元北朝鮮工作員、フリージャーナリストらから独自に聞き取った証言を基に、被害者が特定できないものや、断片的な未確認情報も盛り込んだ。

 「旅行」などと称して北朝鮮に誘い出した後、出国や帰国を制限するパターンがほとんどという。よど号メンバーの元妻から直接話を聞いた同会の佐藤勝巳会長は「半ば説得、半ば脅しを使った手口だ」と解説。日本国内で約三十人、ヨーロッパや南米など海外で約三十人の日本人がそれぞれ拉致されたとしている。

 同会の荒木和博事務局長は「公表されている以外にも疑わしい情報がたくさんある。これまで決して認めなかった北朝鮮が拉致の事実を認めた今こそ、国は積極的に情報収集し捜査を急ぐべきだ」と訴えている。

川口外相「拉致は領土主権の侵害」

2002年09月20日 Yomiuri On-Line

 川口外相は20日の衆院外務委員会で、北朝鮮による日本人拉致事件について、「北朝鮮による拉致は、領土主権の侵害に当たる。どういう状況で行われたか真相究明がまず必要だ。国交正常化交渉で拉致問題を最重要課題として取り上げたい」と述べ、拉致被害者が拉致された状況や経緯の解明に取り組む考えを強調した。

 田中均アジア大洋州局長は、17日に北朝鮮側が提示した拉致被害者の安否リストを伏せていたことについて、「非公式のものとは言え、家族に情報がすぐ伝わらなかったことは大変反省している。おわびしたい」と陳謝した。外務省は20日夕、同リストを衆院外務委員会に提出した。

 これに関連し、福田官房長官は同日の記者会見で、北朝鮮が生存を明らかにしたソガ・ヒトミさんと、1978年に新潟県佐渡島で行方不明となった曽我ひとみさんについて、「同じ生年月日であることが確認されている」と述べた。

 北朝鮮はソガさんを「1959年生まれ」として日本側に伝えたが、政府は一時、誤って「1957年生まれ」としていた。福田長官はまた、曽我さんと同時に行方不明となった母親の消息について、「関連することであれば調査している」と語った。

北朝鮮拉致 5人目の生存者は女性

2002年09月20日 The Sankei Shimbun

 日朝首脳会談で、日本政府が認定した拉致被害者以外に北朝鮮が初めて存在を明らかにした5人目の生存者の名前は「ソガ・ヒトミ」で、女性であることが19日、関係者の証言で分かった。

 関係者によると、女性は北朝鮮による拉致事件が集中した1970年代後半に、日本海側から20代で連れ去られた可能性が高く、現在は40代になっているとみられる。

 今回北朝鮮から伝えられた日本人名は、警察庁が把握している拉致の疑いがある非公式リストにも記載がなく、警察庁は同日、全国の警察本部に対し、家出人捜索願などから該当者がいないかどうか調べるように指示した。

 日朝首脳会談で北朝鮮は、日本側が安否確認を求めた拉致被害者のうち4人が生存していることを明らかにし、さらに別の1人が北朝鮮国内で生存していることを伝えていた。

 警察庁は北朝鮮による拉致被害者として8件11人を認定。このほか公式には認定していないが、死亡が伝えられた札幌市出身の石岡亨さん=失跡当時(22)=と熊本市出身の松木薫さん=同(26)=らを拉致の疑いがある人物とみていた。

外務省が死亡情報隠す 局長判断、首相知らず

2002/09/20 中国新聞

 政府は十九日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で十七日に行われた日朝首脳会談直前の事務レベル協議で、日本人拉致事件被害者の死亡年月日が記されたリストが北朝鮮側から提示されていたことを明らかにした。外務省はこれを受けて電話で被害者家族に死亡年月日を伝達した。

 リストによると、元神戸外大生有本恵子さん=失跡当時(23)=と札幌市出身の石岡亨さん=同(22)=は一九八八年十一月四日の同じ日に死亡していたことが判明。小泉純一郎首相は、被害者の不自然な死亡を知らずに首脳会談に臨んでいた。リスト公表を控えるよう指示したのは、首相に同行した外務省の田中均アジア大洋州局長であることも明らかになった。

 田中局長は、正常化交渉再開の合意に影響するのを配慮した可能性があるが、こうした対応に被害者家族は反発を強めており、政府、与党からも批判の声が出ている。首相は外務省に「拉致家族の皆さんに今後十分丁寧に対応すべきだ」と指示した。

 死亡日が判明したのは、ほかに横田めぐみさん=同(13)=は九三年三月十三日、田口八重子さん=同(22)=が八六年七月三十日、増元るみ子さん=同(24)=は八一年八月十七日、市川修一さん=同 (23)=が七九年九月四日、原敕晁さん=同(43)=が八六年七月十九日、松木薫さん=同(26)=が九六年八月二十三日。

 安倍晋三官房副長官は十九日夕の記者会見で、リストについて@ 十七日午前の首脳会談直前の事務協議終了時に北朝鮮の馬哲洙外務省第四局長から田中均アジア大洋州局長に渡されたA首脳会談中に翻訳し、首脳会談終了後の「平壌宣言」署名前に小泉首相らに報告した―と説明。首脳会談前の段階では、首相には被害者の「生死情報」だけを口頭で報告していたことを明らかにした。

 福田康夫官房長官は十九日午前の記者会見でリストの存在について「知らなかった」と外務省から報告がなかったことを明言した。

 安倍副長官は同日午後、首脳会談に出席した田中局長らから事情を聴いた。

「処刑だ」と家族ら 死亡情報に疑問の声

2002/09/20 中国新聞

 「なんでこんなに若く…」。有本恵子さん=失跡当時(23)と横田めぐみさん=同(13)=は、ともに二十八歳で死亡したのだという。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が外務省に伝えた拉致被害者の死亡年月日が十九日、明らかになった。北朝鮮は死亡理由を「病気や災害」と説明するが、家族の間からは「処刑されたんだ」「日時だけでは死亡したことの証明にはならない」と悲痛な叫びや疑問の声が上がった。

 結婚目的誘拐容疑で有本さん拉致事件を捜査している警視庁幹部も「衝撃的だ」と絶句した。死亡日は一緒に暮らしていたとされる石岡亨さんと同じ一九八八年十一月四日。わずか二カ月前の九月六日には札幌市にある石岡さんの実家に手紙が届いていた。

 熊本市出身の松木薫さん=同(26)=も含め三人で平壌で暮らしていることを伝える内容で「最低、我々の生存の無事を伝えたく、手紙をかの国の人に託した」と書かれており、ポーランド消印があった。

 「命懸けで書いた手紙だったのだろう」と石岡さんの兄章さん (47)。「見せしめに処刑されたんだ」と有本さんの母嘉代子さん (76)。北朝鮮が伝えた通りなら有本さんは二十八歳、石岡さんは三十一歳だった。

 「はい乗り」という警察独特の専門用語がある。北朝鮮工作員が拉致した日本人に成り済まして国内に潜入して活動することを指す。八〇年に拉致された原敕晁さん=同(43)=はこの被害者だった。

 八五年に原さんに成り済ましていた北朝鮮の辛光洙容疑者(73)=旅券法違反容疑などで逮捕状=が韓国で逮捕され、拉致の事実が分かった。原さんの死亡は八六年七月十九日。ある警察幹部は「原さんの存在が邪魔になった可能性がある」との見方を示す。

 田口八重子さん=同(22)=は「李恩恵」という名前で八一年七月から八三年三月にかけて大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫・元工作員の教育係だったといわれる。死亡日は事件前の八六年七月三十日で、三十一歳の若さだった。

 七八年に鹿児島県の海岸からカップルで行方不明になった市川修一さん=同(23)=と増元るみ子さん=同(24)。市川さんは翌年の七九年九月四日に二十四歳で、増元さんは八一年八月十七日に二十七歳で死亡したという。

 横田さんは九三年三月十三日、二十八歳で死亡したと伝えられた。事実なら五歳の娘を残したまま亡くなったことになる。

 十五歳になった娘は「白頭山にハイキングに行った」と母との思い出を語る。しかし、横田さんの父滋さん(69)は「この少女が娘の子という確証はない。めぐみの死は信じられない」と話している。

社民党:朝鮮労働党に抗議へ 友党関係見直しも

2002年09月19日Mainichi INTERACTIVE

 社民党は19日の常任幹事会で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮労働党に対し、日本人拉致事件に抗議し、真相究明を求める方針を決めた。「拉致被害者8人死亡」に対する国民の怒りが、朝鮮労働党と「友党関係」を続けてきた社民党への批判につながりかねないとの危機感もあり、「言うべきことを言わなければ友党の役割は果たせない」(保坂展人総合企画室長)と党独自の行動に出たものだ。

 抗議と同時に、これまでの会談で朝鮮労働党側が拉致事件を全面否定した経緯もただす方針。回答次第では友党関係を見直す可能性もあるという。過去の政党訪朝団に対し「なぜ拉致事件を放置してきた」との疑念も強まっているため、今後、党内の委員会で歴史的に検証する。

 同党は旧社会党の60年代から朝鮮労働党と「友党関係」を続け、二十数回の訪朝団を派遣。97年の与党訪朝団に参加した際、拉致事件を追及したが、「拉致は存在しない」と全面否定された。

 常任幹事会では党友関係検証の一方、日朝関係が悪化しないように努力を続ける方針も再確認。土井たか子党首は「南北分裂は永久にあるわけではない。30年、50年先をみて意味のある方向を導き出すべきだ」と呼びかけた。 【堀山明子】

小泉首相:拉致事件の解明を最優先 森前首相との会談で

2002年09月19日Mainichi INTERACTIVE

 小泉純一郎首相は19日夜、自民党の森喜朗前首相と首相官邸で会談した。日朝国交正常化交渉について森氏は「交渉を前に進めることよりも、拉致被害者の家族のことを第一に考えてほしい。正常化交渉は急ぐ必要はなく、慎重にやってほしい」と要請。首相も「私もそう思う。ご家族にすべて満足していただけるということはないかも知れないが、最大限の努力をして詳細を調査したい」と応じ、拉致事件の解明を最優先させる考えを明らかにした。

拉致認定求め県に要望書2002年09月19日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮の拉致問題に取り組む「北朝鮮に拉致された日本人を救出する熊本の会」(加納よしひろ会長)は十九日、死亡したとされる熊本市出身の松木薫さん=失跡当時(26)=を拉致被害者と認定し、事実を厳正に捜査するよう政府に働き掛けてほしい、と潮谷義子県知事などに要望した。

 要望書はまた、拉致の状況や、犯人、死亡の経緯などが明らかになり、家族への補償問題が解決しない限り、国交正常化交渉の再開を凍結するよう求めた。

 加納会長は、同じく死亡が伝えられた増元るみ子さん=当時(24)=の姉平野フミ子さん(52)の「政府の対応に不信感がある。北朝鮮の金正日体制を打倒する運動をしていきたい」とのコメントを紹介した。

有本、石岡さんは同日死亡 北が死亡日時リスト提示 2002/09/19 中国新聞

 福田康夫官房長官は十九日午前の記者会見で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で十七日に行われた日朝首脳会談直前の事務レベル協議で、拉致被害者の死亡年月日が記されたリストが示されていたことを明らかにした。これを受けて外務省は電話で家族に死亡年月日を伝達した。リストによると、有本恵子さんと石岡亨さんは一九八八年十一月四日の同じ日に死亡していたことが判明した。

 福田長官は死亡年月日リストの存在について「知らなかった」と外務省から連絡を受けていなかったことを明言。家族が求めている拉致被害の具体的情報が外務省の事務レベルでとどめられていたことで、家族が反発するのは必至。しかも小泉純一郎首相がこうした情報を知らされないまま金正日総書記との会談に臨んだ可能性があり、大きな問題となりそうだ。

 福田長官は、内容の公表を北朝鮮側と調整していると述べるとともに、「家族に対しては公式、非公式を問わず通知すべきだった」と外務省の対応に問題があるとの認識を表明。福田長官は十九日午後に首脳会談に出席した外務省の高野紀元外務審議官、田中均アジア大洋州局長らから事情を聴く。

 事務レベルでは、日本人拉致事件に関して日本側のリストにない一人を含む十四人の氏名、生年月日と死亡した八人の死亡年月日が記載されていたが、その後、朝鮮赤十字会経由で通知された正式文書には死亡年月日がなかったため、事務レベルで示された文書を非公式なものと判断したという。

 福田長官は死亡年月日リストをめぐる外務省の対応について「不確かな情報で(家族が)混乱しないよう配慮したのではないか」と述べた。

 これに関連し首相は十九日午前、自民党外交関係三部会幹部との会談で「拉致について北朝鮮の発表を確認したのであって、事実だといっているわけではない」と述べ、日本政府として被害者の生死を正式に確認したわけではないとの認識を示した。

北朝鮮、死亡日時も伝達 政府「非公式」と公表せず 2002/09/19 中国新聞
 外務省幹部は十九日午前、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で十七日に行われた日朝首脳会談直前の事務レベル協議で、拉致被害者の死亡年月日が記されたリストが日本側に示されていたことを明らかにした。事務レベル協議後の正式会談で示された文書には死亡年月日などの情報はなかったため、このリストは「非公式なもの」と判断し、公表しなかったという。小泉純一郎首相にも直ちに伝えなかった可能性もある。

 外務省は今後、北朝鮮側にリスト内容の確認を求めるとともに、被害者の関係家族への情報伝達を開始した。

 福田康夫官房長官も十九日午前の記者会見でリストの存在を認め、公表については北朝鮮側と調整、被害者家族に連絡する考えを示した。

 拉致被害の具体的情報が外務省事務レベルでとどめられたまま小泉首相と金正日総書記との首脳会談が行われた恐れもあり、今後問題となりそうだ。

正常化交渉 拉致真相解明が柱

2002年09月18日 The Sankei Shimbun

 政府は18日、小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記との会談を受けて10月中に再開する国交正常化交渉で、8人の死亡が伝えられた日本人拉致事件の真相解明を北朝鮮側に強く求めていく方針を固めた。

 拉致事件の死亡者判明で国交正常化を急ぐべきではないとの世論が強まることを想定。北朝鮮側には、正常化までに事件の真相解明のための情報提示を強く求め、被害者家族に手厚く配慮しながら交渉を進める構え。小泉首相は18日夜、拉致被害者家族が死因や死亡時の状況などの具体的な説明を求めていることについて「できるだけ家族の方々の要望に応えられるよう進めていきたい」と記者団に述べた。

 小泉首相は18日午後の閣議で、国交正常化交渉に関して全閣僚からなる関係閣僚会議を設置する考えを表明。被害者やその家族への補償問題や生存者の帰国問題にも取り組む方針。首相は閣議で「日朝正常化交渉を円滑に推進するために福田康夫官房長官主宰の関係閣僚会議を設けたい。日本人拉致事件をはじめ、重要な諸問題を検討する」と述べた。

 拉致事件の死亡者については、閣議でも複数の閣僚から「拉致された時の年齢から考えると不自然との感じを禁じ得ない」などと北朝鮮の回答に対する批判が出た。

 ただ、17日の首脳会談で、金総書記は「特殊機関」の行ったことで「関係者を処罰した」と言明しており、「真相解明を求めても関係者はもういないと言われればおしまいだ」(自民党議員)と解明の限界を指摘する声もある。

外務省、官邸に抗議電話殺到

2002年09月18日 The Sankei Shimbun

 日朝首脳会談で拉致被害者8人の死亡という衝撃的な事実が明らかになり、外務省や首相官邸には18日、政府の対応を批判する抗議の電話が殺到、職員が対応に追われた。

 外務省北東アジア課では、8人死亡が伝えられた17日夕方から抗議電話が鳴り始め、深夜まで続いた。18日も約20本の回線は朝から鳴りっ放し。職員総出で対応に追われ、通常業務に支障が出ているという。

 内容は「今回の結果の責任をどうするんだ」「20年以上も何をしていた」などと怒りの電話が大半。同課は「政府はできる限りのことはしてきた。拉致問題を棚上げにしての国交正常化はあり得ない」などと説明し、理解を求めている。

 首相官邸でも17日夜から電話が鳴り始め、夜間は警務の担当者が対応。官邸事務所によると「普段に比べると本数が多い。賛否両方あったようだ」という。

法相「拉致、国内法での裁きが必要」

2002年09月18日 The Sankei Shimbun

 北朝鮮との国交正常化交渉再開の合意を受けて、閣僚から18日午後の閣僚懇談会や閣議後会見で、北朝鮮への批判や真相解明を求める厳しい意見が相次いだ。

 森山真弓法相は閣僚懇談会で「拉致は日本の法律に違反する。事実を解明して裁くべきものは裁かなくてはいけない」と述べ、刑事責任追及も念頭に徹底解明の必要性を強調。柳沢伯夫金融担当相は「遺憾だ、悪かったの一言で国際的な責任が済むのか。国際法上、あれでいいのか」と批判した。

 石原伸晃行革担当相は閣議後会見で「拉致疑惑が解決したと思ってない。だれを処分したのか。(拉致事件関与の疑いがある)よど号ハイジャック事件の犯人はどうなるのか」と疑念を示した。

 北朝鮮側の説明に関しては、片山虎之助総務相が「8人が亡くなったことに国民は不自然な感じを持っている。国民がしっかりと納得できる解明が必要」「(死因を)病気とか災害と言うが、(拉致された)年齢的なことを考えるとふに落ちない」と指摘。塩川正十郎財務相は「(拉致事件の)経過、結末、措置を誠意を持って伝えてくるだろうと期待している。それが国交正常化の基礎になる」と述べた。坂口力厚生労働相は死亡者の遺骨や墓地の取り扱いについて、北朝鮮側に説明義務があるとの認識を示した。

 会談自体については厚労相が「歴史の歯車が回った」と評価、総務相も「北東アジアの平和と安定にとって大きな成果を上げた」と歓迎した。

生存者10月帰国で政府調整 調査機関設置へ 2002/09/18 中国新聞

 政府は十八日、日朝首脳会談で、日本人拉致事件をめぐり被害者で生存が判明し、氏名が確認された福井県の地村保志さん(47)ら四人の早期帰国と、死亡した新潟県出身の横田めぐみさん=当時(13) =ら八人の具体的な実態調査の実現に向けた調整に入った。

 福田康夫官房長官は午前の記者会見で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交正常化交渉の再開前に、横田さんら死亡者に関する情報提供を求める考えを表明。北朝鮮側に事実解明の協力を申し入れる方針も示した。

 政府は「国交正常化交渉再開までに帰国させるべきだ」(政府筋)として、十月中の帰国を実現させたい意向だ。政府は被害者家族が北朝鮮に損害賠償を求めた場合の対応も検討する。

 政府は北朝鮮が通告してきたリスト外の生存者一人について身元確認などを急いでいる。

 安倍晋三官房副長官は午前、都内で日本人拉致事件被害者の家族と会い、政府内に事件の真相究明や生存者の帰国問題などについて家族側との連絡調整を担当する専門機関新設を検討する意向を表明した。

 専門機関は、北朝鮮側が死亡者の詳細な状況などを一切公表していないことに対し、被害者家族の反発が強いのを受けた措置。

 安倍副長官との面会で被害者の家族からは「死亡と言っているのは北朝鮮で、日本政府は事実を確認していない」「この状況で経済協力など納得できない」との厳しい意見が相次いだ。

 小泉純一郎首相は十八日の政府与党連絡会議で、公明党の神崎武法代表らが正常化交渉前の生存者帰国、拉致、死亡の事実関係解明などを要請したのに対し、「今日言われたことを踏まえ、しっかり進めていきたい」と強調した。

 生存者については、十七日の首脳会談の休憩中に外務省幹部が地村さんら四人と面談。早期帰国を求めていることを確認。外務省幹部は同日、横田めぐみさんの十代の娘とも会い、帰国の意思を聞いたが、消極的な姿勢だったという。政府は横田さんの娘の帰国について事情を確認した上で対応を検討する。

「めぐみの娘15歳」 横田さんの父ら会見 2002/09/18 中国新聞

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された被害者の家族が十八日、東京都内で会見、あらためて政府や北朝鮮への怒りを語った。

 一九七七年に不明となった横田めぐみさん=当時(13)=の父滋さん(69)は「北朝鮮は一カ月前には、拉致はないと言っており、北朝鮮の説明は信じられない」と主張。「めぐみの娘は十五歳で、子どもが五―六歳のときにめぐみは亡くなったと聞いたが、それ自体も北朝鮮が仕組んだ話かもしれない」と話した。

 生存が伝えられた蓮池薫さん(44)の母ハツイさん(70)も「息子は生存して子どもが二人いると言われたが、『男ですか、女ですか』『いくつですか』と聞いても答えはない。生きていると言われても信じられない」と不安な心境を明らかにした。

 父親の秀量さん(74)も「家族会は汗と涙で力を合わせてきた。北朝鮮に対する怒りと、日本政府の怠慢への怒りを感じている」と語った。

警視庁 有本さん事件立件へ

2002年09月18日 The Sankei Shimbun

 有本恵子さん拉致事件で、警視庁は18日までに、よど号ハイジャック事件メンバーの安部公博容疑者(54)=よど号事件で国際手配=らを、結婚目的誘拐容疑で立件する方針を固めた。

拉致被害11人以外に40―60人?警察など推定2002年09月17日 Yomiuri On-Line

 拉致(らち)被害者と認定された11人とほぼ時を同じくして、突如、消息を絶った日本人は少なくない。警察当局は失跡時の状況から、11人以外にも、北朝鮮に連れ去られた疑いのある日本人は40人を超えるとみている。支援団体の見方は約60人とさらに多い。こうした不明者たちの家族もまた、訪朝の成果に大きな期待を寄せている。

 「我々が注目しているのは3人の事案。うち1人が有本恵子さんだった」。今年3月の衆院外務委員会で、警察庁警備局長は答弁し、有本さん以外にも、欧州で行方不明になった2人について捜査を進めていることを明らかにした。

 その1人、札幌市出身の男性の兄(47)は、「どんな方法でもいいから弟が帰れるようにしてほしい」と同市内の自宅で語った。

 1980年3月、東京都内の大学を卒業した男性は、22歳の時にスペインに渡った。最初は絵はがきなどが実家に届いたが、5月に入ると音信が途絶えた。実家に突然、手紙が届いたのは8年後のことだ。有本さんともう1人の男性の計3人で、平壌にいることを知らせる内容だったが、「命がけで書いたのだろう。その思いを無駄にはしたくない」と兄は語る。

 手紙に書かれていたもう1人の男性、熊本市出身の松木薫さんは、大学院生だった80年、留学先のスペインで行方不明になった。

 当時27歳。熊本県牛深市に住む叔父は「50歳ぐらいの男性を見ると、『薫も今はあのくらいだなあ』と想像してしまう。安否だけでも確認して来てほしい」と話す。

 「よど号」事件の岡本武容疑者(57)と、北朝鮮で結婚したとされる高知県出身の福留貴美子さん(失跡当時24歳)も拉致された可能性が指摘されている。

 76年8月、渡航先を「モンゴル」と記した旅券申請書を残して行方が分からなくなった。3年後、家族に手紙が届き、翌年には横浜の友人を訪ねたが、再び消息を絶った。96年には、よど号グループが、岡本容疑者と福留さんについて「死亡した」と母親に手紙で知らせて来たが、その母親も今年1月に亡くなった。

 神戸市内のラーメン店員だった田中実さん(同28歳)は、78年に経営者の在日朝鮮人から海外旅行に誘われ、ウィーンに向かったところで消息を絶ったとされる。児童養護施設で育った田中さんの親族は確認されていないが、拉致被害者の救出運動をしている長瀬猛さん(34)は「養護施設や中学の同級生は、みな心配している。首脳会談で生存が確認されれば」と語った。

【日朝会談】首相、拉致被害者死亡は「痛恨の極み」2002年09月17日 The Sankei Shimbun

 小泉純一郎首相は17日午後、日朝首脳会談を終えて平壌市内で記者会見し、日本人拉致事件で6人の死亡を含む安否情報が示されたことについて「亡くなられた方々を思うと痛恨の極みだ」と強調、生存者に関しては「早急に家族との再会や、本人の意思による帰国を実現させたい」との考えを表明した。

 日朝国交正常化交渉の再開合意については「過去の問題、現在の諸懸案、将来の日朝関係の改善を図るためにも交渉再開が適切と判断した」と指摘。「金正日総書記との会談でも、誠意ある対応をするとの感触を得ることができた」と述べ、国交正常化が朝鮮半島や北東アジア地域の平和と安定に寄与する、との考えを強調した。

 不審船をめぐり金総書記が「軍部の一部が行ったと思われる。今後一切生じないよう措置を取る」と首脳会談で発言したことを紹介。不審船、拉致事件への対応を含め、今後両国間で安全保障協議を開始することを明らかにした。

 同時に核開発疑惑で「関連するすべての国際的合意の順守」、ミサイル問題では「期限なしの発射凍結」を金総書記から取り付けたことを力説。過去の清算の問題については「これまでのわが国の立場に沿った形で今後、協議していくことになった」と述べた。

 金総書記から米朝交渉に関して「常に対話の門戸を開いている。日本からも伝えてほしい」と米側に伝えるよう依頼されたことも紹介した。(共同)

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