TOPIC No.2-122-1 パチンコ/マルハン(英称:Maruhan Corporation)

 京都市と東京都に本社を持つパチンコチェーン店「マルハン」を中心にボウリング場、映画館も運営するアミューズメント系総合企業。企業テーマは「パチンコ・エンターテインメント マルハン」。

 マルハンの会社規模は既に株式上場基準に達しているため、上場を目指し東京証券取引所と協議中。

しかし、「パチンコホールの営業形態には完全に合法とは言い切れない側面があり、厳密な意味で投資家の保護を保証できない」としてジャスダック証券取引所が上場申請を却下した事例もあり、マルハンの上場申請も困難が予想される。

01. マルハン [売上高 1兆8,149億円(2007年3月期)] byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
02. マルハン byはてなキーワード
03. “パチンコ マルハン”に学ぶ接客法 byキャディ見聞録
04. 10,000人のお掃除革命 実践編 会社の品格を磨くマルハン!  (橋本奎一郎/著, 出版文化社 (ISBN:978-4-88338-385-6) 発行年月:2008年02月 1,600円(税込)) by7&Y
05. 十六歳漂流難民から始まった2兆円企業 パチンコ業で5兆円をめざすマルハンの挑戦 (韓昌祐/著 芦崎治/インタビュー構成, 出版文化社 (ISBN:978-4-88338-388-7), 発行年月:2008年03月, 1,500円(税込)) by7&Y
06. パチンコ・マルハン社長のインタビュー、マルハンの社名の由来。(Ameba vision)
07. 株式会社 マルハン
08. 禁煙席があるパチンコ店「マルハン柏店」
09. 業界を変える。マルハンが替える。(2008年08月07日) ビジネス香川



マルハンの環境ECO活動に環境大臣表彰

2010年12月07日 月刊グリーンべると

 (株)マルハン(本社/京都・東京、韓裕社長)の「パチンコホールの環境ECOマネジメントの取り組み」が、このほど平成22年度「地球温暖化防止活動環境大臣賞」(活動対策実践部門)を受賞した。

 「地球温暖化防止活動環境大臣賞」は、地球温暖化対策を推進するための一環として、地球温暖化防止月間である12月に、地球温暖化防止に顕著な功績のあった個人または団体に対して環境大臣が表彰するもので、平成10年度から毎年行われている。

 今回同社が表彰された「パチンコホールの環境ECOマネジメントの取り組み」は、全店舗にデマンド監視装置を設置し、ECO勉強会を開催するとともに、2008年度には成功事例集と導入マニュアル、2009年度には全社統一マニュアル、2010年度には全店舗の店舗個別マニュアル(管理標準)を作成。年間368万トン(2008年度)のCO2排出量があるパチンコ業界で、同社は2009年度に2007年度比7.1%の使用電力量を削減、2010年度には10%のCO2排出量削減を目指すというもの。

 同社では今後も引き続き地球温暖化防止対策に取り組んでいきたいとしている。

マルハン、中間決算は減収減益

2010年12月03日 月刊グリーンべると

 パーラーチェーン大手のマルハンは11月25日、平成23年3月期中間期(平成22年4月1日〜9月30日)の決算短信(連結)を発表した。

 売上高は1兆467億1000万円(前年同期比1.9%減)、営業利益は248億400万円(前年同期比9.6%減)、経常利益は245億1700万円(前年同期比10.2%減)、中間純利益は135億3400万円(前年同期比17.9%減)となっている。

 なお、通期業績予想に変更はない。平成23年3月期の通期業績予想は次の通り。

 売上高2兆2110億円(前年比4.2%増)

 営業利益557億円(同0.1%増)

 経常利益560億円(同1.0%増)

 当期純利益287億円(同4.8%増)

車いす「マルハンフレンド号」が第100号を達成

2010年11月29日 月刊グリーンべると

 (株)マルハン(本社/京都・東京、韓裕社長)は11月19日、老人保健施設「山中温泉しらさぎ苑」に車いす「マルハンフレンド号」を寄贈。今回の寄贈で2005年5月から行われている「マルハンフレンド号」は第100号を達成した。

 「マルハンフレンド号」はプルタブ・アルミ缶収集活動を通じて、全国各地の福祉施設に車いすを寄贈するというもの。記念すべき第100号はマルハン加賀店から寄贈され、当日は同店の門戸秀人店長、高橋公紀マネージャーほか、計5名が同施設を訪れた。

 同社では今後もプルタブ・アルミ缶収集活動を通じて、地域社会の貢献に努めていきたいとしている。

マルハンが12年春卒の大学生の「ゆめ」支援へ

2010年10月21日 月刊グリーンべると

 マルハンはこのほど、全国の2012年3月卒業予定の四大生・短大生・大学院生を対象に、自分の野望(ゆめ)を語ってもらう「DREAM CHALLENGER CHAMPIONSHIP2012」の開催を発表した。

 同大会の優勝者には、野望(ゆめ)を叶える資金として現金100万円が進呈されるほか、専任のサポーターが優勝者の野望(ゆめ)の実現をバックアップする。

【応募要項】

応募テーマ:「世の中を熱くするような、あなたの野望(ゆめ)を教えてくれ!!」

応募資格 :2012年3月卒業予定の四大生・短大生・大学院生

受付期間 :2010年10月1日(金) 〜 11月30日(火) 当日消印有効

申込方法 :マルハンオフィシャルホームページ 採用情報 特設サイトにて

マルハン韓昌祐会長に韓国サチョン市から市民大賞

2010年10月07日 月刊グリーンべると

 マルハンの韓昌祐代表取締役会長は10月2日、「韓昌祐・祥子教育文化財団」の設立に関し、韓国サチョン市から第1号市民大賞を授与された。

 韓会長の生まれ故郷である韓国サチョン市に今年5月、約60億ウォンを投じて設立された同財団は、“目は世界へ、心は故郷へ”というモットーの下、世界を舞台として活躍していく未来の主役の育成のために、年間50〜100名の優秀な学生を選抜、サポートしており、この生まれ故郷への人材育成や教育に対する情熱が高く評価され、今回市民大賞が授与されることとなった。

 韓会長は日本においても韓哲文化財団を設立、社会還元事業を実施しており、今後も日韓に渡り、教育や文化芸術、スポーツ、学問分野など多様な分野で、人材を発掘、育成していきたいとしている。

マルハン、カンボジアの小学校に井戸寄贈

2010年9月28日 月刊グリーンべると

 大手パーラーチェーンのマルハン(本社/京都・東京、韓裕社長)は9月28日付のプレスリリースで、同8日、カンボジア・プレイベン県クレアング村のクラン小学校に、特定非営利活動法人アジアチャイルドサポートの協力のもと、発電機付井戸と貯水タンクおよび外灯を寄贈したことを報告した。

 同社は2007年にマルハンジャパン銀行を設立して以来、カンボジアにおける地域社会貢献に取り組み、井戸の寄贈は今回で3基目。この井戸により衛生的で安全な水を提供、また共に設置される発電機によって村に灯がつくことで、子供たちを事件や事故から守り、生活環境改善の一助となることを目的としている。

 同日に行われた寄贈式には、市町、村長、小学生の児童ら500名以上が参加した。

架空発注でマルハンから2千万円詐取、元社員ら逮捕

2010年07月22日 月刊グリーンべると

 警視庁捜査2課は7月21日までに、パチンコ経営最大手のマルハンから現金約2100万円をだまし取ったとして、同社元社員、南谷好広(51)、無職の丸山正美(48)ら計3容疑者を詐欺容疑で逮捕した。朝日新聞電子版など各報道機関が報じた。

 報道によると3容疑者は05年3〜5月、マルハンの各店舗から回収した中古パチンコ台を丸山容疑者が経営していた遊技機販売会社から購入したように装い、同社にうその支払依頼書を提出。代金として約2100万円をだまし取った疑い。3人はいずれも容疑を認めているという。このほかにも南谷容疑者らは、同じ手口で05年7月〜06年2月、マルハンから約4900万円を搾取したと同課はみている。

 南谷容疑者は当時、東京本社営業本部の参事で、仕事を通じて知り合った丸山容疑者らに架空取引を持ち掛け、搾取金は遊興費などに使ったと供述しているという。

マルハン、口蹄疫問題で宮崎県に義援金を贈る

2010年07月15日 月刊グリーンべると

 マルハンは7月15日付のプレスリリースで、同14日に口蹄疫被害が発生している宮崎県を支援する目的で義援金281万1380円を贈ったことを報告した。

 この義援金は、今年6月1日から同30日まで九州営業部所管の22店舗に来店したお客様による募金140万1380円と同社従業員からの募金141万円を合わせたもの。

 当日は同社を代表して《マルハン都城店》の大西健治店長とマルハンユニオン代表として同店の公門康職場リーダーが宮崎県庁福祉保健部を訪問した。

 義援金の贈呈に対して福祉保健部の田原新一次長は「口蹄疫発生以来、余暇産業が大きな打撃を受けた事を憂慮し、閉塞感の漂っている宮崎県民が今回の義援金で生活再建を行い、明るい気持ちでパチンコ店へ遊びに行けるように県も頑張ります」と謝辞を述べた

マルハン決算、売上・利益とも過去最高を更新

2010年05月31日 月刊グリーンべると

 (株)マルハン(韓裕社長)では5月28日、都内にて会社説明会を開催し38期(平成21年4月〜平成22年3月)の決算を発表。また、CSRの基盤作り等を軸とした新中期経営計画を発表した。

 韓裕社長は冒頭でマルハンの行っているCSRとしてスポーツ支援や障がい者の採用活動等に触れ、今後も様々な活動に取り組みたいと意欲を示した。その足がかりとなる3ヶ年マルハングループ経営方針として、特にパチンコ事業分野では「市場シェア拡大」「店舗・サービス開発」「経営基盤整備」をテーマにブランディング、トータルクオリティサービス(TQS)等の強化を図りつつ、2013年期末までに新規出店47店舗、同期末店舗数301店舗を計画する。

 38期の経営状況については新規出店が期首計画21店舗に対し実績13店舗にとどまった点、低貸玉営業のシェア拡大といった影響から売上高が期首計画未達となったものの、売上高2兆1209億円、営業利益556億円はともに過去最高を更新した。22年3月期の店舗数は258店舗、設置遊技機台数は15万7160台。うち専門店7店舗を含む212店舗で低貸玉営業を導入しており、台数ベースでのシェアは約15%となっている。

 39期の営業計画としては「7のチカラ」に代表されるブランディングを更に推進、また景品部門を強化し著名人とのタイアップ等によるオリジナル景品による他店との差別化、景品コンシェルジュの教育・配置等を推進する。

 なお、38期の業績(連結)は以下の通り。

売上高  2兆1209億2200万円

営業利益  556億2700万円

経常利益  554億4200万円

当期純利益  273億6800万円

マルハン、売上、営業利益とも過去最高を更新

2009年06月04日 月刊グリーンべると

 マルハン(韓裕社長)では6月3日、都内ホテルにて会社説明会を開催。第37期(平成20年4月1日〜平成21年3月31日)決算を報告した。

 冒頭、決算概要及び業界動向について韓裕社長が、「前期はパチンコ業界にとって舵取りの難しい1年となったが、当社ではいち早くパチスロ設置比率の適正化、低貸玉営業の導入を行い、特にパチンコ機の営業が順調に推移したため売上、利益とも過去最高を更新した」と報告。この他第37期の活動報告、第38期の事業計画等について説明した。

 第37期中の出店は23店舗の計画に対し21店舗を達成。この他3店舗の改装を行い、3店舗を閉鎖、期末での店舗数は243店舗(遊技機設置台数14万8261台)となった。期中、山梨、広島両県に新規出店し、未出店地域は徳島、鳥取、島根、沖縄の4県に縮小。また、新卒335名、中途524名の計859名を期中に採用した。第38期は出店計画20店舗、採用者数1010名を見込む。

 なお、前期(37期)の業績は以下の通り。

売上高  2兆559億7000万円

営業利益 506億2100万円

経常利益 496億8600万円

マルハン「省エネ」賞、八千代店の実績が評価

2009年02月13日 月刊グリーンべると

 2月10日に都内で行われた(財)省エネルギーセンター主催の『平成20年度 省エネルギー優秀事例全国大会』で、大手パーラーのマルハンが「(財)省エネルギーセンター会長賞」を受賞した。

 マルハンでは昨年4月以降、省エネモデル店として4店舗を選定、消費電力状況を監視する装置を導入し、「電力の見える化」に努め、ムダな電力の削減に取り組んでいたが、今回は、4店舗のうち、とくに《八千代店》(千葉県八千代市)の成果が高く評価された。ほか3つのモデル店は《都筑店》(神奈川県横浜市)、《仙台泉店》(宮城県仙台市)、《つくば店》(茨城県つくば市)。

 モデル店の省エネ対策は、「空調」「照明」「その他電源など」の3つの分野の節電が柱。店内の実際の温度に基づく空調の設定運用や照明タイマーの効率的運用を推進するとともに、店舗内の動力設備や遊技台の電源についても営業中及び必要な時以外はOFFとすることを徹底した。

 モデル店4店舗の削減目標は10〜15%の範囲でそれぞれに定めていたが、マルハンによると、《八千代店》は実施から3ヶ月が経過した昨年6月までに、すでに月平均で16.4%の削減を達成。同店に設定された12%削減の目標を大きく上回っていた。

 マルハンではこの省エネ対策を今年4月からチェーン全店舗(242店舗/2月13日現在)で実施する構えを見せている。

マルハン、パチンコへのシフトで増収増益

2008年12月01日 月刊グリーンべると

 (株)マルハン(韓裕社長)では11月28日、都内のホテルにて会社説明会を開き第37期中間期決算等を発表した。

 同社では2009年3月期の計画として、

・売上高 2兆300億円

・営業利益 380億円

・経常利益 390億円

・当期純利益 200億円 

 を計上しているが、今回発表された中間期業績では、

・売上高 1兆73億4500万円

・営業利益 201億6500万円

・経常利益 201億100万円

 と前期中間期に比べ増収増益を達成。特に営業利益、経常利益は前期比160%台の高い伸びを示した。

 好業績の要因として挙げられるのがパチンコへのシフト。08年3月の時点で遊技機のパチンコ設置比率を73%まで高めていたが、08年9月にはこの比率を76%にまで高め、利益の確保に寄与した。

 店舗数については今期中に23店舗の出店を計画しているが、中間期までに11店舗の新規出店を達成する一方2店舗を閉店、現在234店舗となっている。うち、102店舗で低貸玉営業を採用しており、台数ベースでの低貸玉シェアは8. 47%と前期末に比べ3.28ポイントアップ、期末までには「10%に達するのではないか」と予想している。

【第188回】パチンコのマルハン、SBIが口火!

2008年09月11日 『週刊ダイヤモンド』編集部 松本裕樹

カンボジアで相次ぐ日本企業の銀行設立

 今夏以降、カンボジアで銀行を設立する動きが出てきた。

 パチンコホール経営の最大手であるマルハンは5月22日、85%の出資で「マルハンジャパン銀行(資本金2500万ドル)」を首都プノンペンに設立。「同国で18番目の商業銀行で、日本企業からの出資を受けた銀行としては初めて」(マルハン)という。

 国内のパチンコホール経営会社は、大手のダイエーをはじめ多くが経営破綻。一方で、パチンコの出玉を換金することが法律的にグレーゾーンゆえ、大手といえども株式上場ができないなど、経営環境は厳しい。こうした中、同社ではマカオでカジノを含むテーマパーク開発を進める企業の関連会社に出資するなど、新規分野への参入を模索してきた。

 パチンコホールと銀行に共通点はなさそうに見えるが、同社では「(パチンコホール経営で)永年培ってきた『徹底した顧客サービス』を銀行業界に持ち込むことで差別化を図る」という。

 開業当日に行なわれたセレモニーでは、同国の経済財政大臣、中央銀行総裁、駐カンボジア日本国特命全権大使といったVIPが参列し、同行への期待の高さを示した。

 今後は「個人向けローンやリース、保険販売などに加え、中小企業向けの小口融資を行なっていく予定」(マルハン)という。

 さらに9月1日にはSBIホールディングスが40%の出資を行ない、韓国の現代スイスグループと共同出資で「プノンペン商業銀行(資本金1500万ドル)」を設立した。

 当初は預金運用業務から始め、その後に不動産関連のプロジェクトファイナンス、融資を行なう予定という。

 カンボジアが注目されつつある理由の一つは、昨年6月に締結された日・カンボジア投資協定である。規制や税制などの投資環境面において、両国が、自国企業と同等にあつかうことが定められた。例えば、日本企業がカンボジアに進出した際、原料の現地調達や技術移転などの義務はなく、日本への送金も規制されない。

 同国では来年下期にも証券取引所が開設される予定であり、SBIホールディングスでは「株式公開を狙う企業へのコンサルティングも検討している」という。

 カンボジアは2004年に世界貿易機関(WTO)に加盟以降、年率10%前後の経済成長を続けており、近年では中国、韓国からの投資が過熱している。さらに長年続いた内戦の影響で、石油やボーキサイトなどの鉱物資源が手つかずのままであり、今後の資源開発にも注目が集まっている。こうした中、金融業に限らず、カンボジアへの関心が高まる可能性もありそうだ。

マルハン正副社長に聞く

2008-08-15 統一日報

 不振が続くパチンコ業界にあって、成長を続けるマルハン。創業50年で業界トップに上り詰めた原動力は何なのか。不況の中でも売り上げを伸ばす秘訣は何なのか。今年6月、新社長に就任した韓裕氏と、新副社長の韓俊氏に聞いた。単純なことを徹底して行い、サービスの質を向上させてきたことが、成功理由の一つだった。

変化恐れず多店舗展開韓祐社長

 マルハンの1998年の売り上げは約2000億円。今期は約2兆円に達する見込みだ。売り上げだけで考えると、マルハンはこの10年間で10倍になった。

 マルハンイズムを軸に、社員一丸となって努力してきた結果だと考えている。

 マルハンは多店舗経営を念頭に経営を行ってきた。従業員の教育に重点を置き、「業界を変える」という共感をもつ仲間と共に努力をしてきた。多くの権限と責任を営業現場に与えることで、サラリーマンでなく経営者を育てることを考えてきた。

 店舗が増え、幹部が増えると、マニュアルで管理するのは困難になる。従業員の成長にも繋がらない。

 どの会社にも経営理念や社訓のようなものはあると思う。しかし、単なるお題目となっている企業が多いのではないか。マルハンは、経営者を含めた社員全員が一つの理念を共有できるかが重要だと考えている。

 今、パチンコ業界は厳しい時期に差し掛かっている。企業というものは、常に危機に直面しており、それは当社においても例外ではない。重要なのは「徹底してやりきる力」だと思う。

 たとえば、ある企業において新たな取り組みを行いたいが、「人がいない」「予算がない」ということもあるだろう。そういう場合でもあきらめないで何とか工夫をして人材を確保する。どうにかして時間や労力をひねり出す。このわずかな差が大きな違いを生み出すのではないか。

 パチンコ業界は刻々と状況も変わる。成功経験に捉われていては柔軟性を失い、変化に取り残されてしまう危険性がある。社長という役割となって、改めて、従業員の意見に真摯に耳を傾けられるか、経営トップとして、常に自問している。

 パチンコ以外の分野にも積極的に進出していこうと本気で考えている。社員全員で挑戦する。

 私は、入社から定年までの約40年間で何ができるか考えてみろと、新入社員によく話をする。40年あれば、ゼロから起業した会社が世界一の企業になることも夢ではない。現在のマルハンにはある程度の土台もある。世界一のエンターテイメント企業になるのも決して夢ではないと思っている。基盤となるパチンコホール経営をおろそかにせず、更なるサービス強化と変化を恐れない気持ちで、エンターテイメント業界トップを目指したい。

成長持続へ新分野挑戦韓俊副社長

 これまでのマルハンは、多店舗化に取り組んできた。しかし、パチンコ業だけで成長が持続するとは限らない。

 マルハンの新事業で代表的なものを挙げるならマカオのカジノへの出資だ。カジノの業態を学んでいくことで、国内のパチンコ事業におけるサービス向上にも大きな効果があるのではないかと考えている。マルハンは、パチンコはサービス業であるとして、接客サービス向上にいち早く取り組んできた。今後は、さらにお客様を満足させられるサービスを提供できるかが問われてくると思う。

 フロアや店周辺を清潔に保つこと、掃除の徹底はサービス向上の一環にすぎず、刺激的で安心して遊べる店舗演出が次の重点課題だ。これまでのような駅前型・郊外型という大別だけでなく、商業施設への併設や、店独自のコンセプトを打ち出した総合的な演出への取り組みが大事になってくるのではないか。

 新たな挑戦を行うときは、特に徹底して行うという気持ちが重要だ。

 マルハンイズムの土台作りのために始めた清掃の徹底も、当初はなかなか浸透しなかった。人に指示され、ただ清掃を行うということではなく、自ら気づき、清掃を行う気持ちがお客様への接客態度や日常の行動に表れてくるまで、半年ほどかかった。

 現在マルハンは、全国234店舗のホールを展開している。今後はチェーンメリットを生かした統合的な営業判断がさらに有効になってくると感じている。また、機械メーカーや設備メーカーとの関係を含め、業界の構造を変える努力も必要だ。

 当社では、サービス改善のため、異業種(ホテル業など)との相互見学会も行っている。異業種から多くのことを学び、経営陣に提案していくことで、現場と経営陣を結ぶ役割を果たしたい。

マルハントップ交代、新社長は韓裕氏へ

2008年06月06日 月刊グリーンべると

 6月4日に横浜市の『横浜みなとみらい21』で開催されたマルハンの創業50周年記念式典で同社創業者の韓昌祐会長は、6月26日に開かれる同社株主総会において新社長に現副社長の韓裕氏を昇格させることを明らかにした。鈴木社長は副会長に、また現専務の韓俊氏も副社長にそれぞれ昇格する。新たな取締役の布陣は次のとおり(カッコ内は旧職)。

代表取締役会長 韓昌祐(同)

代表取締役副会長 鈴木嘉和(代表取締役社長)

代表取締役社長 韓裕(代表取締役副社長)

取締役副社長 韓俊(専務取締役)

 トップ交代を発表した韓昌祐会長は、「わたしは以前から世襲は嫌いだった。しかしいま、1万2000人の社員からマルハンの将来を託す上で信認されているのは紛れもなく韓裕だ。これがたまたまわたしの子供であった。彼は情熱、努力、根性の人。彼にバトンタッチできたことを非常に嬉しく思う」と語った。

 一方、新社長に就任する韓裕副社長は、「韓会長が50年間、命がけで作り上げてきたこのマルハンを、新たなる決意をもってさらなる飛躍を目指したい」と所信を表明した。韓裕新社長は1963年生まれの45歳。法政大学卒。

マルハン、厳しい業況下で過去最高益を確保

2008年05月29日 月刊グリーンべると

 パーラー最大手のマルハン(鈴木嘉和社長)は5月28日、都内・千代田区の帝国ホテルで会社説明会を開催。36期(2007年4月1日〜2008年3月31日)の決算概要および次期経営計画などを発表した。

 当日の発表によると、36期の連結業績は売上高1兆8381億5700万円(前期比1.3%増)、営業利益339億9900万円(同6%増)、経常利益339億6100万円(同5.2%増)、当期純利益179億9700万円(同8.3%増)と過去最高の収益となった。

 売上高はパチスロ5号機への完全移行をはじめ厳しい業況によって期首計画は未達成となったものの、利益面については計画を達成。鈴木社長は、「市場が変化するなかでニーズに合った積極的な営業展開を戦略的に行ったことが大きな要因」と説明した。

 なお、37期(08年4月1日〜09年3月31日)の連結業績は売上高2兆300億円(前期比10.4%増)、営業利益380億円(同11.8%増)、経常利益390億円(14.8%増)、当期純利益200億円(同11.1%増)を目指す。

マルハン、ケイブと提携。パチンコファン向けの携帯無料サイト開設

2007/05/22 ケ−タイWatch(工藤 ひろえ)

 マルハンは、デジタルメディア事業を新たに展開するにあたり、ケイブとの基本合意を締結したと発表した。マルハンは創立50周年にあたる5月22日、ケイブとの提携による携帯電話サイト「MARUHAN'S NET」のオープンベータ版の提供を開始する。利用は無料。

 「MARUHAN'S NET」では、約100万人のマルハン会員とパチンコファン向けに、パチンコ新台情報やマルハンの店舗情報など情報提供を行なうほか、ブラックジャックやポーカー、マインスイーパーなどのミニゲームも無料ダウンロードで提供。今日の運勢を占う星占いのコーナーも用意している。

 アクセスは、「http://maruhans.net/」に携帯電話から接続する(モバイル専用サイト)。NTTドコモ、au、ソフトバンクモバイルの携帯3キャリアに対応する。

■ URL

  ニュースリリース(ケイブ)マルハン創立50周年についてケイブとのデジタルメディア事業に関するニュースリリース(PDF)

カンボジアにマルハンジャパン銀行が設立

2008年05月20日 月刊グリーンべると

 マルハンは5月16日、カンボジア王国で設立準備を進めていた『MARUHAN Japan Bank Plc』(マルハンジャパン銀行)を5月22日に開業すると発表した。

 同行はカンボジアで初めて日本企業から出資を受けて開業する銀行で、カンボジア国内で18番目の商業銀行になる。資本金は2500万ドル。マルハンの出資比率は85%に達する。残り15%はローカルパートナーが出資。

 マルハンでは同行の設立をきっかけに日本企業による対カンボジア投資の活性化を目指したい考え。またパーラー経営を通じて長年培ってきた「徹底した顧客サービス」を導入。他行との差別化につなげ、東南アジアに支店を持つ銀行として事業を拡大させたい方針だ。

 開業日の22日には現地カンボジア銀行本店前でオープニングセレモニーが行われるが、カンボジア中央銀行総裁、経済財政省大臣、日本国大使が出席、マルハンからは韓昌祐会長はじめ同社役員が出席の予定だ。

 

マルハン入社式、過去最高の384人迎える

2008年04月04日 月刊グリーンべると

 パーラー企業最大手のマルハン(本社/東京都千代田区)では3月31日、都内港区の新高輪プリンスホテル・国際館パミールで2008年度新卒者入社式を開催し、男性299名・女性85名の過去最高となる計384名が入社した。新入社員の内訳は大学院卒4名(男性のみ)、4年制大学卒319名(男性265 名・女性54名)、短期大学卒5名(男性1名・女性4名)、専門学校卒17名(男性15名・女性2名)、高等学校卒39名(男性14名・女性25名)。

 式の冒頭、韓昌祐会長はこれまでのマルハンの歴史を振り返り、「当社が今日の姿にあるのは、皆さんの先輩たちが常に『信用』『努力』『奉仕』を心掛け築いてきた結果。新たにマルハンファミリーの一員となる皆さんには同様の心掛けはもちろん、ハングリー精神やチャレンジ精神、危機感、緊張感を忘れず成長してほしい」と心構えをアドバイス。また、全社員が現在取り組んでいるマナー向上についても、「パーラーはもちろん、ホテルや飲食店など他産業にも負けないよう表面の態度だけでなく、見ていない場所でも常に他人に配慮できる“心のマナー”の向上に努めてほしい」を求めた。

 続いて鈴木嘉和社長は、「レジャー産業はマルハン創業当初の50年前に比べ、その考え方が変わってきており、当時にない海外進出という夢が広がっている。皆さんは、我々とともに『マルハン』を世界に飛躍させていく大切な役割がある」と述べ、「失敗を恐れず何事にも真剣に取り組める人間になってほしい」と新入社員を迎えた。

マルハングループの出店により、名取市はパチンコ超激戦区に

2008年03月02日 ALBATROSS

 マルハングループが名取市(宮城県)に出店したことにより、同市のパチンコ(スロットを除く)総台数が2832台となり、仙南ではダントツのパチンコ激戦区になったようです。

 店 換金率 パチンコ設置台数

マルハン名取店 等価交換 720

ダイエー名取店 約3円 480

パラディソ名取店 約2.857円 396

タイガー名取店 約2.857円 342

X・O 名取店 約2.857円 340

パーラーJ-遊 約3円 400

パチンコ名取ジャンボ 約2.38円 154

合計 2,832

 もとより、名取市には、東北を代表する巨大グループ『ダイエー』、宮城の老舗『タイガー』、宮城をパラディソでいっぱいにする気の扇屋商事率いる『Paradiso』この三強が激しい競合を繰り広げていたというのに、そこに『世界のマルハン』グループも参戦ってんだから、熱くないわけがない。

 とはいえ、世界のマルハンもいずれは平常調整に入り、だんだん渋くなって行くでしょう。

 当たり前のように勝ちまくるのは、グランドオープン直後の今だけなのかもしれません。

 そんなわけで、奥さん!

 タイガーの『注目台』もいいけど、朝の抽選でヤバそうだったら、今が旬のマルハンに猛ダッシュっすよ!

 ※上記の表は、2008年3月現在、P-Worldをもとに作成したものです。

マルハン中間決算、売上微増も利益は微減

2007年12月07日 月刊グリーンべると

 パーラー最大手のマルハン(鈴木嘉和社長)は11月22日付けで、2008年3月期中間決算(連結)を発表。売上高は前年比1.4%増の9145億 4200万円と微増したが、営業利益は同4.3%減の119億9300万円、経常利益は同4%減の121億9200万円と利益面では微減した。また中間(当期)純利益は同21.8%減の59億8700万円となった。

 同期中は引き続き積極的な出店策を図り、13店舗を新規出店したことで売上増加となった一方、パチスロ5号機への全面移行にともなう影響が稼働および売上に対する下方圧力となり全体の売上高は微増にとどまった。また、この下方圧力への対応としてパチスロ機からパチンコ機への変更工事を実施したが、利益は減少した。

 通期では売上高1兆8300億円、営業利益270億円、経常利益280億円をそれぞれ目指す。

マルハン、カンボジアに銀行設立へ

2007年11月30日 月刊グリーンべると

 パーラー最大手の(株)マルハンは11月26日、カンボジア王国において商業銀行「MARUHANJAPANBANKPLC(マルハンジャパンバンク)」の設立に着手することを同社のプレスリリースで発表した。

 同銀行は地元有力事業家であるHuotVanthan(フオット・バンタン)氏の経営する投資銀行へマルハンが出資する形で商業銀行として認可を目指している。

 また、同銀行では2010年に予定されるカンボジアの証券取引所開設に向けて上場企業への融資や貧困層に対する融資(マイクロクレジット)などの融資事業を計画。東南アジアにおける事業拡大も視野に入れる。

マルハン、韓国のポスコ建設と協力関係構築へ

2007年11月16日 月刊グリーンべると

 (株)マルハン(鈴木嘉和社長)が先月10月11日に韓国の鉄鋼大手ポスコ社傘下のポスコ建設と協力関係構築を目的に覚書を締結していたことがわかった。11月12日付マルハンニュースリリースが明らかにした。

 リリースによると今回締結した協力関係はマルハンが計画する海外の不動産開発およびリゾート開発に関するもの。すでに米国グァムなどの地域についてはポスコ建設の事業性の調査を終え、共同開発を進めていく予定だ。

 またマルハンはリリースの中で、ロシアのウラジオストック、サハリン、カンボジアのプノンペン、韓国、香港、マカオ、中国、ベトナム、フィリピン、タイ(プーケット)の不動産開発およびリゾート開発も計画していることを明らかにしている。

【マカオ】在日パチンコ屋がカジノ事業に参入(1)

2007/10/14 賭人の独り言

●マルハンのマカオ出資

 パチンコ店経営大手の潟}ルハン(代表取締役会長・韓 昌祐氏)が、去る10日に資本参加という形でマカオのカジノ事業への参入を公表した。(http://www.maruhan.co.jp/corporate/nr_data/071010.pdf)

 その内容は、現在マカオ西部に建設中の大型カジノ&リゾート、ポンテ16 (Ponte 16、「十六浦」)の開発事業を計画するワールドフォーチュン社の株式を10.2%、その事業に出資する香港の上場企業であるマカオサクセス社の株式9.1%を取得するというもの。

 この類のニュースを見て、「マカオへの事業展開や資本参加を急げ」などと煽る投資アドバイザーや評論家が必ず出てくるだろう。しかし、少なくともこのブログをご覧になっている皆様は、そんな煽動に乗るべきではないと思う。

 「十六浦」の権益は既に決まっていて、澳門博彩股?有限公司(SJM)が51%、澳門實コ有限公司(Macau Success Limited.香港上場、コード0487)が49%。もうこれは動かない。

 SJMは“賭王”何鴻?(スタンレー・ホー)氏率いる澳門旅遊?樂股?有限公司(STDM)の100%子会社、またマルハンが出資するワールドフォーチュン社(世兆有限公司)は、澳門實コの100%子会社である。

 そもそも「十六浦」のカジノ・ライセンスはSTDMが澳門實コに貸している物なので、最大の受益者であるSTDMにとっては痛くも痒くもない話である。マルハンの分け前は極めて少ないものとなろう。

 マルハンの本業、パチンコホールがマカオ初進出するかどうかだが、十年ほど前、マカオの新八百伴デパート裏の「回力娯楽場」に初めてパチンコホールが開店したが、全然はやらず撤退してしまった事があった。

 私もひやかしで覗いた事があるが、閑散としていて驚いたものである。店の入り口に「パチンコ勝利の秘訣はひたすら“忍“である」云々と注意書きが貼ってあり笑ってしまったが、華人系ギャンブラーにパチンコは馴染まないのだろう。

 昨年オープンしたウィン・マカオ(永利度假村酒店、経営は永利度假村股?有限公司=アメリカ・ラスベガスのWynn社)に参入したのが、パチスロメーカーのアルゼ(ジャスダック、6425)であるが、スロットマシンの横にパチスロ台を置くには至らず、「OKADA」という日本料理屋を開業しただけである(アルゼの岡田会長の“岡田”から命名)。

 マルハンもカジノにパチンコ台の設置を考えているだろうが、私の見るところ絶対に失敗するだろう。悠長かつ機械相手のパチンコ・パチスロに嵌っているのは世界中で日本人だけである。こんなものは「ギャンブル」の範疇にすら入らない、くだらない暇つぶしでしかない。

マルハン、マカオのカジノ事業参入を発表

2007年10月12日 月刊グリーンべると

 パチンコパーラー最大手の(株)マルハン(鈴木嘉和社長)は10月10日、10月1日に中国のマカオでカジノホテル『ポンテ16』の開発事業を計画するワールドフォーチュン社および同事業に出資する香港の上場企業マカオサクセス社の株式取得を決定したことを明らかにした。

 今回、マルハンが取得したのはワールドフォーチュン社の株式10.2%(取得額:約2億850万1260香港ドル/1香港ドルは15.11円=10月11 日現在)と、マカオサクセス社の株式9.1%(約2億3760万香港ドル)。マカオサクセス社は『ポンテ16』の49%の権益を持つ。

 マルハンのマカオ参入構想が表面化したのは今年7月下旬。アジア各国などの経済・ビジネス情報を配信しているNNAが報じたが、この時点でマルハンはすでにこの事業に対するデューデリジェンス(適正評価手続き)を進めていることが伝えられていた。今回のニュースリリースによると、9月末までにデューデリジェンスを完了、出資に合意したと報告している。

 マカオのカジノ市場は昨年、米国ラスベガスを抜いて世界のトップに躍り出た。ちなみに2006年のマカオのカジノ売上は69.5億米ドル(約8400億円)。これに対してラスベガスは65億米ドルと推計されている。

パチンコのマルハン マカオのカジノに参入

2007/07/31 J-CASTニュ−ス

パチンコ・ホールなどを経営するマルハンがマカオのカジノに本格参入する。日系企業がマカオのカジノに参入するのは同社が初めて。同社によると、マカオの大型総合テーマパーク「十六浦(ピア 16)」へ参入する意向で、すでに2007年7月27日に意向書を交わしており、8月末までには協定書を締結したいとしている。現在の段階では、「具体的な参入方法や施設について決まっていることはありません」(広報担当者)という。

カジノの本場ラスベガスを抜いてマカオが世界一

マルハンは京都と東京に本社を構え、日本全国に217のパチンコ・ホールと、ボウリング場やゲームセンターなど13のレジャー施設を運営している。07年3月期の売上げは1兆8149億円、経常利益は322億円のパチンコチェーンの大手だ。

同社が参入を計画しているマカオは、06年のカジノの売上高で前年比21.3%増の約562億パタカ(約8280億円)と、カジノの本場である米国・ラスベガスを抜いて世界一となった。また2010年までに新たに9カ所のカジノがオープンする予定。07年7月6日付の深セン商報によると、マカオのカジノの07年上期(07年1〜6月)売上高は368億パタカ(約5520億円)で、前年比47%増を見込んでいるという。

中国をはじめ、他国からの入境人数でみると、06年は前年比で17.6%増の約2200万人になるなど、空前の活況を呈している。

「詳細はコメントできない」(広報担当者)としており、参入がパチンコ施設かどうかも明らかにしていない。

62年前に日本に密航、億万長者になった男 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(1/6)

2007/06/24 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 趙正薫(チョ・ジョンフン)記者

■「パチンコ」で財を築いた韓国人 

 世界的な経済誌「フォーブス」日本版の7月号は「日本の億万長者」というカバーストーリーで、日本の大富豪を紹介している。1位は日本のインターネット革命をリードしている韓国系の孫正義ソフトバンク社長(50)。昨年9位だった孫社長は今年、6960億円で見事1位になった。

 フォーブスが取り上げた日本の億万長者の中には、もう1つ「韓国の名前」がある。1320億円で22位に入った韓昌祐(ハン・チャンウ)マルハン会長(77)だ。「パチンコ皇帝」と呼ばれる韓会長は、孫正義社長と共に日本の億万長者ベスト30に3年連続でランクインしている。

 韓会長はいったいどのようにしてパチンコにおいて日本屈指のグループ企業を築き上げたのだろうか。記者はインターネットでマルハンのサイトを見つけ、代表電話の番号を調べ、オペレーターを介し韓会長に取り次いでもらうよう頼んだ。だが、韓会長の日本人秘書は「海外出張中」と答えた。数日後、韓国にいる韓会長の知人を通じ、「韓国にしばらくいる予定だから会いましょう」と連絡が来た。

 ソウル市江南のホテルで会った億万長者は、きちんとスーツを着込んだ老紳士だった。80歳近いお年寄りではあるが、ぴんと張った背筋にしっかりとした足取りは、還暦と言われても分からないくらいだ。ちょっとした中小企業の会長なら最近は必ずといっていいほど付いて来る秘書やボディーガードもいなかった。

 「孫正義さんと私とでは比較になりません。ただ一生懸命働いていたら、たまたま選ばれただけです。ここで満足することもありません。初心と言えばいいでしょうか。今も会社はチャレンジ精神とハングリー精神で動いています」

 韓会長は謙虚にこう語った。しかし、彼の言葉はすぐに自信に満ちた口調に変わった。

 「実は、フォーブスは昨年の資料からデータを取っているんです。昨年は260億円の経常利益がありましたが、今年の実績は322億円です。今年の実績だったら、(ランキングが)もっと上だったのに…」

 韓会長が築き、育て上げたマルハンはパチンコ会社だ。1年間の売上は1兆8600億円。日本全域に220店舗、パチンコ台13万台、従業員は1万人に達する。この他に上場した建設会社の株式買収による経営権確保をはじめ、外食事業・ボーリング場・ゴルフ場・海外開発といった事業を幅広く展開している。韓会長は「今、東南アジア開発に注目している。世界的なエンターテインメント・グループに育て上げるのが将来の夢」と語った。会長はまた、「日本で生まれ、世界に広がったのは“カップラーメン”と“カラオケ”だが、将来はパチンコもそうなる」とも語った。

 会社名「マルハン」は会長の作った合成語だ。「丸い玉」という意味の「マル」と、会長の姓「韓(ハン)」を合わせたものだという。「パチンコ玉もボーリングの球もゴルフボールもすべて丸いし、地球も丸い…。また円満という言葉にも“丸い”という意味が入っていますよね。それに私の姓を付けたんです」

 05年6月22日、韓会長は日本を仰天させた。東京に近い千葉県幕張にある大型コンベンション・センター「幕張メッセ」で約9000人が出席し、マルハン売上1兆円突破を記念するイベントを開いたのだ。テーブル650台を置くため、大宴会場3つをつなぎ、食事を運ぶスタッフだけで1500人が動員された。会場では東京フィルハーモニー交響楽団の演奏と、フルコースのフランス料理が提供された。イベントの費用だけで15億円かかったという。日本の各メディアはこれを「マルハン・パワー」と伝えた。

 「店舗は日本全国に散らばっているので、従業員は会社のパワーをよく知りません。だからそれを示したかったのです。自負する気持ちを持ってほしかったということです」

 この時のイベントは、会社の売上1兆円突破を記念するものだったが、と同時に別の意味も込められていた。05年は韓会長が日本に密航して来てからちょうど60年になる年だったのだ。

14歳の時、『コンサイス英和辞典』1つで日本へ密航 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(2/6)

2007/06/24 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 趙正薫(チョ・ジョンフン)記者

■『コンサイス英和辞典』1つで日本へ 

 韓昌祐(ハン・チャンウ)会長の故郷は慶尚南道泗川市。だが彼は、現在の行政上の地名である「泗川」ではなく、「三千浦」という昔の地名をずっと口にしていた。1930年12月17日、韓会長は父ハン・ジョンスさん、母ヤン・ゴンイさんの間に、5人兄弟の3番目として生まれた。300坪の土地を借りて耕作し、食べていくだけで精一杯だった小作農の父は、出生届の提出を先延ばしにし続け、日本の警察からさんざん催促された末、3カ月後になってようやく提出した。そのため、韓会長の戸籍上の生年月日は1931年2月 15日となっている。

 日出小学校(現在の三千浦小学校)でずっと成績がトップだった韓会長だったが、入学金がなかったために中学校への進学をあきらめ、精米所で給仕の仕事に就いた。そして同じ町内の村長がお金を工面してくれたおかげで1年後の1944年に三千浦中学校に入学した。ところがその1年後、彼は学校で起こったデモの主導者にされてしまった。学費を工面した村長が左翼の活動家だったため、彼は南朝鮮労働党の下部組織の幹部と見なされたのだ。

 「当時、右翼の若者たちが“皆捕まえて殺すぞ”と脅して回っていました。まだ中学1年だった自分が、左翼や右翼の意味を知っている訳ないでしょう。そんな中で、徴用で日本へ行き、終戦後も日本にとどまっていた一番上の兄の勧めで、1945年10月21日の夜、密航船で日本へ向かったのです」

 当時14歳だった韓会長は、『コンサイス英和辞典』とコメ2升だけを持って密航船に乗り込んだ。3時間で日本に着くと聞いていた密航船は、丸1日かかってようやく下関に着いた。

 「この前、北朝鮮の人たちが木造船に乗って脱北したっていうニュースがあったでしょう。あれを見ていたら、昔のことを思い出します。あの時どれだけ吐いたことか。船を降りてもしばらく地面に倒れこんで、行く当てもなく途方に暮れていました。もしかしたらわたしが“ボートピープル”の元祖かもしれません」

 「韓国では貧しくて勉強ができなかったので、日本では一生懸命勉強して成功してみせる」という思いで、彼が抱えていた『コンサイス英和辞典』は、韓会長の「一番の宝物」として大事にしまってあるという。

 下関に降り立った韓会長は、石炭を運ぶ貨物列車に乗り、茨城県に住んでいた兄のもとを訪ねた。ところが、兄も弟の面倒を見られるほどの余裕はなかった。その後、韓会長は在日韓国人の子どもたちに勉強を教えながら、自らも勉強を続けた。そして東京朝鮮奨学会の奨学生試験に合格し、高校卒業と大学受験の資格を得て、法政大経済学部に入学した。在日韓国人団体の事務所で仕事を手伝い、夜は宿直室で過ごした。

 「キャベツとコメ、味噌を煮て食べていました。粗食でしたが、なぜか美味しかったのです。コンロに火をかけたままずっと勉強しているうちに、コンロのことをすっかり忘れ、真っ黒に焦がしてしまったことも度々ありました。韓国ではマラソンにもよく出ていましたが、日本に来てからは走れなくなってしまいました。今にして思えば、あれは栄養失調だったんですね」 

 1952年、大学を卒業した韓会長は、韓国に帰ることをすっかり諦めていた。彼は「食べていくだけでも精一杯なのに、理念が違うというだけで戦争までするような韓国の状況が嫌だった」という。大学時代の彼は、当時日本で流行っていたマルクス経済学にはまっていたという。だが韓会長は、「あの頃、アダム・スミスの国富論を勉強して、英語の実力向上に努めていれば、今頃実務の上でも相当プラスになっていただろう。それが一番の後悔だ」と回想した。

26歳でパチンコ業開始 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(3/6)

2007/06/24 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 趙正薫(チョ・ジョンフン)記者

■26歳でパチンコ業開始 

 大学は卒業したものの、彼は一文無しだった。当時、韓会長は京都府峰山町(現在の京丹後市)でパチンコ店を経営していた義兄を頼り、従業員として働いていた。パチンコと初めて縁を結んだのはこのときだった。

 パチンコ20台を置いて運営していた義兄の店は、近所に60台規模の新しいパチンコ店ができると、客足が途絶えた。義兄は韓国に帰ると言って店を売りに出したが、買い手は見つからなかった。

 「そのときにわたくしが提案したんです。『店をください。今は金がないけど、成功させて2倍にして返します』と…。義兄は『こいつ何を言っているんだ』と思ったかもしれませんが、それしか方法がなかったんですよ」

 結局、義兄は韓会長に店を任せ、韓国に帰国した。その後、26歳の青年が経営する店は、パチンコで稼ぐプロ級の客に狙われ、赤字になった。しかし、「あの若い素人が経営する店に行けばよく出る」という噂が広まると、かえって客が入り始めた。また、負けた客にはボーナスで玉を出してやったり、たばこを1箱ずつ手渡すサービスも人気を呼んだ。

 しばらくして、韓会長は義兄との約束を守り、本格的な事業家としてスタートした。32歳の時には、地下1階、地上3階のビルも建て、周辺の店舗を買収するなど勢いに乗った。

 韓会長は28歳で結婚した。9歳年下の妻は日本人だ。菓子店で友達と談笑する姿を見て一目惚れしたという。韓会長は「慎ましやかな様子が韓国人のようだった」と振り返った。しかし、妻の実家の反対が強かった。やっとの思いで結婚式を挙げたものの、韓会長の家族は誰1人来なかった。韓会長の家族もまた日本人との結婚に反対だったのだ。

 韓会長は5男2女をもうけたが、長男の哲(チョル)さんは16歳のときに米国で研修中、ヨセミテ公園で事故死してしまった。副社長を務める二男の裕(ユ)さんをはじめ、4人の息子は全員マルハンで働いている。

 38歳になった韓会長はボーリング場経営に参入した。

 「昔のパチンコ店は狭くて暗い雰囲気もあり、社会的にも認められていない業種でした。銀行はお金を貸してくれませんでしたからね。多くの在日同胞がパチンコ業に勤めたのは、就職がなく金を稼ぐ方法がなかったからです。当時のわたしは事業基盤ができていたので、認められる事業をしたかったんです」

ボーリング場事業で失敗、42歳で60億円の負債 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(4/6)

2007/06/24 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 趙正薫(チョ・ジョンフン)記者

■ボーリング場事業に参入して巨額の負債 

 韓昌祐(ハンチャンウ)会長は静岡に120レーンを持つボーリング場など全国に6カ所のボーリング場を建設した。当時の額で27億円を投じた。しかし突然のオイルショックとボーリングブームの下火で、42歳の若さで60億円の負債を抱えることになった。

 「本当に自殺したかった。しかし幼い子供たちや自分を信じてくれる妻、さらに自分を信じて保証人になってくれた30人の友人たちの顔が思い浮かんだ。自分が死ぬのはいいが残る人たちに申し訳なくて、どうすればいいのか」とばかり考えていた。

 そんな時、銀行の幹部が韓会長を呼び出した。「助けてやるからパチンコ屋を1軒買い取ってみろ」と言うのだ。ボーリング場を処分しても10分の1 にもならないのに、逆に韓会長の再起を支援するというのだ。パチンコ屋は融資が受けられないので別会社を1つ作って資金を借り受けた。そしてボーリング場の敷地として探しておいた場所にパチンコ屋を建てた。郊外にあり、車で行くことのできる大型パチンコ店が日本で最初に登場したのはこの時だった。

 「42歳で背負った60億円の借金は52歳で完済した。自分が生きる道は結局パチンコしかなかった。もちろんパチンコに対する否定的なイメージは嫌だった。そこで決心した。自分の行くべき道がパチンコならばパチンコのイメージを変えてやろうと。税金もしっかりと納めて法に反する行為は絶対にやらない。マルハンが九州や沖縄に進出しない理由は向こうでは暴力団がパチンコに介入してくるからだ」

 こうしてマルハンは徐々に成長を重ねた。フィナンシャルタイムズは2004年3月24日の記事で「マルハンは1970年代と80年代の日本経済の成長と共に急成長した。創業者の韓会長は多くの逆境を乗り越えて現在の地位に登りつめた」と報じた。

 マルハンは現在全ての収益と支出をリアルタイムで電算処理し税務署に提出している。全ての資料が自動的に伝えられるので脱税は絶対にありえないというのが韓会長の説明だ。韓会長は「もし自分が脱税や違法行為を行っていたら1999年に日本で勲三等瑞宝章を受けることができただろうか」と言う。日本政府からこの勲章を受けた在日韓国人は新韓銀行を設立した李熙健(イ・ヒゴン)氏と韓会長のみだ。

 ところで韓会長は年間10億円を財団などを通じて社会に還元しているという。また、Jリーグの大分フロンターレや東京フィルハーモニーオーケストラのスポンサーでもあり、出身地の三千浦小学校には2億ウォン(約2600万円)を寄付し、1988年のソウルオリンピックでは10億ウォン(約1億 3000万円)を韓国政府に寄付した。さらに30億ウォン(約3億9000万円)を出資して設立した「韓国文化研究振興財団」は韓国文化についての研究結果を韓国学が開設されている全世界の大学に伝えている。1993年に結成された世界韓人商工人総連合会の会長でもある韓会長は全世界の韓国系財界人たちの交流拡大にも努めている。

 しかし、韓会長率いるマルハンが成長を遂げる中、在日同胞の間では妬みや不満の声も高まった。日本全国にあるパチンコ店の60%を在日韓国朝鮮人が運営しているが、そのうちマルハンに押されて廃業する業者も数多いからだ。

 「韓昌祐が来ると生きていけないというが、日本全国にあるパチンコ屋は1万6000店を超える。マルハンはそのうちの220店舗だ。どれだけの影響があるというのか。ビジネスは自由競争だ。何の努力もしないで1カ月に25回もゴルフに行き、毎日カラオケばかりしているくせに。経営の努力をまったくしないで不満ばかり言っている。そんなことを聞くと怒りが込み上げてくる」

 韓会長は「他の在日韓国人が運営するパチンコ屋が倒産の危機にあった時には125億円の保証をしてやったこともある」「他人の成功を妬むのは敗残兵のやることだ」と語った。

2001年に韓国名のまま日本に帰化 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(5/6)

2007/06/24 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 趙正薫(チョ・ジョンフン)記者

■2001年に日本に帰化、韓国名はそのまま。 

 2001年に韓会長は日本国籍を取得し在日韓国人社会で多くの話題を呼んだ。

 「その問題についても言いたいことはたくさんある。外国に住む同胞は700万人ほどいるが、そのうちのほとんどが自分が住んでいる国の国籍を持っている。しかし在日はそうではない。もちろんいやなことは知っている。日本が昔、韓国に野蛮な行為を行ったので感情的になる。今も子供たちには自分が死ぬまでは帰化するなという人も多い」

 「しかしもう変わるべきだ。そのように非難ばかりしているから同胞が日本に帰化して苗字も名前も日本式に変えてしまうのだ。米国では市民権を得ても苗字は変わらない。米国社会に韓国の苗字を持った米国人が多くなれば韓国にとっていいことだ。同じように日本社会にも韓国の名前を持った日本人が多くなるべきだ。自分が生まれた韓国、自分を育てた日本、両方に恩返しをしたい。自分が韓国ばかり見つめていれば、あいつはいつでも日本を裏切って韓国に戻る人間だと見られるようになる」

 韓会長は国籍を変えながらも韓昌祐(ハンチャンウ)という名は変えなかった。韓会長が韓国名を変えずに国籍を変えようとした頃、朝日新聞は2001年3月24日付けの記事で、本名で日本国籍を申請した韓会長のストーリーを社会面のトップに掲載した。

 「民族は100年、200年、300年経っても変わらない。国籍はその国で生きる権利を得ることだ。次男が高校生の時に甲子園に出場したが主催者側が電光掲示板に西原という日本名を使おうと言って来た。しかし息子は幼稚園の時から自分は韓だったとしてそれを拒否した」

 もちろん韓会長が韓国名を維持するのも簡単ではなかった。法務省の許可は得たが今度は外務省が反対した。そこで韓会長が訴訟も辞さないと出ると1年半で受け入れられた。同じく、韓会長の息子娘たちも皆韓国名で日本国籍を取得した。

 韓会長は激しい競争に生き残るためには他人よりも2倍の努力をする以外に方法はないという。自分は今会長だが、今も専務だと思って仕事に取り組んでいるというのだ。

 京都に住む韓会長は朝5時に起きて1時間ほど散歩し、すぐに出勤して日本の主な週刊誌や地方紙など7つの新聞をすべて読む。「新聞を読まないとこの世の動きがわからないから」というのだ。

 月曜日と木曜日は全国の店舗を結び遠隔会議を主催する。マルハンは京都本社と東京本社に分かれており、実際の業務の70%は東京本社で行っている。しかしすべての決済は韓会長を経なければならない。

「実力・信用・教養があればどんな差別も克服できる」マルハン・韓昌祐会長インタビュー(5/6)

2007/06/24 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 趙正薫(チョ・ジョンフン)記者

■「実力、信用、教養の3点があれば、どんな差別も克服できる」 

 韓昌祐会長は、自らの健康の秘訣について「休まずに動くこと」だと明かした。秘書も連れず、1人で動き回る会長は、今でも出張に出かける際、「自分で靴下やパンツまで用意する」という。

 「以前は慎ましくおとなしかった家内が、今では年を取って男性ホルモンが出ているせいか、目が合うだけでも何かと小言を言います。それでわたしが全部やっているんです」

 以前、韓日女子プロゴルフ対抗戦を後援したこともある韓会長のゴルフの実力について尋ねてみた。

 「82くらいですね。ただし、9ホールでのスコアです」

 ひとしきり笑った後、韓会長は「あまりに時間を取られるような気がするので、特にゴルフに魅力を感じない」と打ち明けた。

 韓会長は「日本でも差別が多かった。だが、結局は実力、信用、教養の3点さえ備えれば、どんな差別も乗り越えることができる」と語った。そしてインタビューの最後には再び「チャレンジ精神」と「ハングリー精神」を強調した。

 最近、日本で自叙伝を出した77歳の会長に、自らの「引退」をいつ頃と考えているのか尋ねてみた。

 「わたしは休みたいとはまったく思っていません。仕事をしているときが一番幸せです。2010年までに売上高5兆円を達成しようと頑張っていましたが、2、3年遅れることになりました。“世界のマルハン”を築くため、すべきことがまだ山のようにあります」

■キーワード:「パチンコ」=日本国内の店舗だけでも1万6000店余り 

 パチンコとは、現金やカードを機械に入れて行う「玉打ち」だ。ハンドルを操作して鉄の玉を打ち出し、パチンコ台に打ちつけられたクギの間を通過し、決められた場所に入れる。当たりが出ると、決められた穴に玉が入るたびに玉があふれ出てくる。その玉は、人形や時計などの景品と交換してくれるが、パチンコ売り場の横に小さなブースがあり、大部分の人がここで景品を現金に交換していく。

 なお、「パチンコ」という名称の由来は、玉がクギの間を通っていく際に出る音が、「パチ」あるいは「パチン」と聞こえ、その後、玉が「コロコロ」という音を立てて落ちていくように聞こえることから、「パチンコロコロ」、「パチンコロ」などと呼ばれ、それが「パチンコ」として定着したという説が有力だ。

 また、カジノを法で禁止している日本ではパチンコが盛んで、市場規模は30兆円を超え、店舗数は1万6000店余り、パチンコ台は400万台を超えるとされている。

パチンコ業界最大手のマルハンで労組結成

2006年10月19日 労政機構

パチンコ業界最大手で、全国に200店舗を展開する(株)マルハン(本社・京都、東京)で 9月28日、ユニオンショップ制の組合「マルハンユニオン」が結成された。10月18日に千葉県浦安市で躍進大会を開催し、正式に明らかにした。UIゼンセン同盟(落合清四会長、83.2万人)が組織化を手がけていたもので、組合員は約5,000人(正社員約3,000人、契約社員・準社員・パート社員約2,000人)。UIゼンセン同盟のパチンコ業界の組織人員は一気に増えて約1万7,000人となった。

大会で挨拶したマルハンユニオンの佐谷友巳委員長は、組合発足の経緯について、「マルハンは2010年までに売上高5兆円、500店舗の達成を目標に掲げている。企業規模が急拡大するなかで、経営のパートナーである労組が必要と考え、発起人とともに準備を進めてきた」などと述べた。

同社会長の韓昌祐氏も出席し、「労組結成は遅きに失した感があるが、マルハンが一流のエンターテイメント企業と認められ、また、パチンコ業界の悪いイメージを払拭してES(従業員満足)、CS(顧客満足)両面で日本一になるには、社員が満足して働ける会社であることが重要と考えている。労組には、現場のファミリー(社員)の声を経営に届けて欲しいし、また今後4年間の目標達成に向け、会社と一体になって頑張ってもらいたい」などと挨拶した。

1957年創立のマルハンは、この5年で160店舗を増やし、全国200店舗まで急拡大。約1兆6,400億円(06年3月期見込み)を売り上げ、従業員数約8,400人(ホール・カウンターアルバイト(CSキャスト)を含むと約1万人)を抱える、業界最大手に成長した。来年、創立50年を迎えるに当たり、マルハンユニオンは、正社員(非管理職)対象者約3,000人、契約社員・準社員・パート社員(パート社員は雇用期間が1年以上で社会保険に加入が要件)の対象者約2,000人のうち、約91%が加入する企業内組合として9月28日に発足した。10月18日に開催した躍進大会では、ユニオンの基本方針のほか、(1) 組織の充実・強化のための活動 (2) 暫定労働協約の締結――などを柱とする当面の活動方針などを決めた。

市場規模29.3兆円まで成長したパチンコ業界は、約6,500社の企業(ホール数約1万6,000軒)がひしめき、約34万人の雇用労働者が働いているとされている(02年時点)。チェーン化が進み始めた98年に、UIゼンセン同盟が当時業界最大手だった(株)ダイナムで初めてユニオンを発足させ、これまでに約1万2,000人を組織化しているが、今回のマルハンユニオン発足で新たに約5,000人を加え、業界の組織化にさらに拍車がかかりそうだ。(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 調査部)

マルハン、従業員有志で労働組合結成

2006年10月13日 月刊グリーンべると

 大手パーラーチェーンの(株)マルハンの従業員有志による企業内労働組合「UIゼンセン同盟マルハンユニオン」が9月28日、結成された。これに続き、来る10月18日、千葉県内のホテルで「マルハンユニオン躍進大会」が開催される。

 同社リリースでは「ビジョンを達成するために共に切磋琢磨しより良い会社づくりを目指していきたい」としている。

パチンコ店業界、株式上場不発

2006年04月30日 (asahi.com)P-World パチンコ店情報

パチンコホールは株式上場できません――。パチンコ店チェーンから上場申請を受けたジャスダック証券取引所は28日までに、上場を認めないことを決めた。出玉の景品を換金する業界慣行の合法性があいまいなため、投資家保護を果たせないと判断した。各地の証券取引所もこれと同じ対応をするとみられ、上場による資金調達とイメージアップを望むパチンコ業界にとって厳しい結論になった。

上場申請をしていたのは首都圏に約30店舗を展開する業界準大手。昨年12月に申請したが、ジャスダックは業績などではなく、「三店方式」と呼ばれる業界独自の換金方式を問題視した。

 パチンコの営業は、刑法が禁じる賭博への抵触を避けるため、客に現金や有価証券を渡すことは認められていない。ただ実際には、(1)客が店内で景品を受け取る(2)客は店外の景品買い取り所で換金(3)景品は問屋を経由して再びホールに戻る――という手法で、客の9割以上が換金しているという。

 警察庁は、ホール、買い取り所、問屋が別経営であれば「直ちに違法とはいえない」との見解を示すが、「合法」とのお墨付きも与えていない。パチンコ機器やプリペイドカードシステムなど周辺産業が相次いで上場する中、ホール業界だけは取り残されていた。

 業界は上場で社会的地位を向上させようと、大手数社が05年、弁護士や公認会計士を集めて専門の監査機関を設立し、経営内容を外部から見えやすくする取り組みをしてきた。今回、申請却下された企業はこの機関の審査を受けて上場申請した最初の会社だった。今回の決定について「何もコメントすることはない」としている。

株式会社マルハン・1兆3千億円を売り上げるパチンコ会社

2005年09月23日(金) 日本財団 寺内昇/「世のため人のためにお役に立つCANPANブログ」

昨日、角田先生から教えていただいたお話の中で、ご紹介させていただきたいお話その2です。

 それは、1兆3,000億円を売上げている、パチンコ産業で業界最大手の株式会社マルハンのことです。 こんな企業があるのか!?と正直大変驚きました。ガツンとやられました。

 パチンコ市場は30兆円と言われています。

 ちなみに、公営競技の年間売上を大雑把に言いますと、中央競馬が3兆円、競艇は1兆円、競輪1兆円、地、方競馬4,500億円、オートレース1,300億円、です。参考までに宝くじは1兆円、totoは200億円です。 市場の推移としては、1991年を100とすると2003年現在で100以上の状態にあるのはパチンコ、宝くじだけです。

 複数の団体から組織されている競艇業界全体の売上を、マルハン一社の売上が上回っています。

 大変しっかりしているマルハンのホームページの主要財務情報を見ますと、2005年3月期の決算は、売上高1兆2,777億円、経常利益214億円。売上高は、対前年38%噌となっています。

 全国の店舗数は166店、対前年19%増。

 社員数は約7,300名(正社員2,700名、パートアルバイト4,600名)で、対前年比は全体で38%増、正社員が18%増・パートアルバイトが53%増。

 機械台数は85,000台、対前年23%増。

 1店舗あたりの単純平均値は、売上高77億円、機械台数512台。 機械1台あたりの売上高は、1,500万円/年で、1日あたりの売上は4万円となります。 また、パートアルバイトは、1店舗あたり28名。

 中期3ケ年経営計画によると、2006年3月期は売上高1兆6,000億円、2007年は1兆8,900億円、2008年は2兆2,600億円となっています。

 角田先生は「ただ拡大を急ぎ社員教育をおろそかにすると、顧客サービスが低下して、業態を拡大したのに結果として業績が低下する。これは膨張といい、拡大ではない」とおっしゃっていました。

 マルハンの決算を見ると、1店舗あたり、また機械1台あたりの売上は昨年以上に伸びていると考えられます。また、パートアルバイトの増加率が売上の増加率と同じようなことから、大量に採用されたパートアルバイトの能力が昨年と同様、または昨年以上であるとは考えられないでしょうか。 マルハンの教育システムにとても興味を覚えます。

 マルハンのホームページによると、「経営理念」「社訓」「提供価値」「企業姿勢」「行動指針」により構成される「マルハンイズム」がうたわれています。

 企業姿勢としては、「企業責任と社会貢献」が打ち出されています。

    ・私たちは社会の持つさまざまな問題に真摯に取り組み、「良き企業市民」としての責務を果たします。

   ・私たちは地域市民のコミュニティーセンターとして、地域社会との「共感・信頼」を実現します。

  また、「業界を変える」として、

   ・私たちは道を切り開くパイオニアとして常に新たなチャレンジを続け、業界のリーダーとして業界そのものを広く社会に認められる存在へと変えていきます。 とありました。

 さらに、お客さまに提供する価値としては、「小さな感動の積上げにより、マルハンが目指すエンターテイメントを提供する」とあります。

 ふと、リゾートレストラン・カシータを思い出しました。

 カシータにはクレドという社員の憲法のようなものがあり、毎日社員同士でクレドを確認しあっていました。クレドに該当することで、自分が失敗したこと、足りなかったことなど自分の体験を自分の言葉で開店前のミーティングで皆に伝え合っているのです。先輩がそのことについて、さらに自分の体験を述べ、クレドの意味を確認しあっていました。 カシータには、カシータが大切にしているお客様に感動を伝えるという方針を、文章ではなく自分の体験や言葉に置き換え、心に染みこませる仕組みがあるのです。

 マルハンには、マルハンイズムを浸透させるためのどのような教育システムがあるのでしょうか?そして、お客さまはどのような喜び、感動を味わっているのでしょう。

 私が大感激した本のひとつに『ビジョナリー・カンパニー2 ―飛躍の法則―(ジェームズ・C. コリンズ )』があります。とても印象に残っている考え方を、間違いを恐れず私の言葉で書きます。

 「ある方向に向うバスを仕立てた。同じ方向に行きたい人には乗ってもらった。でも、違う方向に行きたい人には、お互いの人生の幸せのために降りてもらった。すると、乗っている人々が自ら考え、自分達の進むべき進路、進み方を決め始めた。バスには笑顔と歌が溢れ、力強く進みはじめた。まず人を選び、そして目標が設定されていく」

 カシータ、マルハン、ビジョナリーカンパニー2、どこか共通点を感じます。

 競艇は1日12レースが行われます。 個性ある選手がいて、光(ナイター)と音が踊り、水しぶきが叫び、躍動感溢れるシーンが繰り広げられます。スタート前の一瞬の静寂も味わい深いものです。 また、売上の3.3%は日本財団を通じて、社会貢献活動に使われます。

 競艇は、今まで以上に感動できる地域活性型コミュニティセンターになることができるはずです。 私としては、進むべき方向をしっかり見つめ共有し、そしてそれを維持する仕組みを学び考えたいと思います。

パチンコ参加人口は横這い、レジャー白書

2005年07月29日 月刊グリーンべると

 財団法人社会経済生産性本部では7月29日、「レジャー白書2005」の発表及びそれにともなう記者発表を行った。

 同白書のうちパチンコ関連の数値を抽出すると、まず参加人口に関しては前年比2.9%増の1790万人、また貸玉料は0.5%減の29兆4860億円で両数値ともに横這い。ファン人口の減少傾向、また、それにも関わらず貸玉料が上昇するねじれ現象には一応の歯止めがかかった。

 また同会見ではマルハン、ダイナム両社の売上が1兆円に達した事例などを挙げ、パチンコ業界に店舗の大型化、それに伴う市場の二極分化が進行していると指摘。大手チェーンが順調に業績を伸ばす一方、中小店舗が淘汰の波に晒されていると分析している。

「底から這い上がって億万長者」…パチンコ業界ナンバーワン経営者の韓昌祐会長

2005.06.09 中央日報 東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員

 日本のパチンコ業界を率いる「マルハン」の東京本社会長室には韓昌祐(ハン・チャンウ、74)会長が勲章を授与された写真が大きくかけられている。

 1999年、日本政府から受けた勲3等「瑞宝章」だ。

 日本政府から勲章を受けた海外在住の韓国人は李煕健(イ・ヒゴン)新韓(シンハン)銀行創立者と韓会長の2人だけだという。

  韓会長は最近もう1つ「勲章」を授与された。米国フォーブス誌が選定した世界億万長者ランキングで日本国内の24位にランクされたのである。日本で上位30位以内の韓国系企業家は、孫正義ソフトバンクグループ社長(8位)に続いて2人目だ。 彼の純資産は11億ドル(約1182億円)。フォーブス誌は「彼はあらゆる差別の中でも昨年、売上額1兆3000億円を記録し、パチンコ業界ナンバーワンを獲得した不屈の経営者だ」とし「「マルハン」の快速疾走は続くだろう」と激賛した。

  7日、東京本社で会った韓会長は「今回は日本国内24位に終わったが、来年はロッテを抜くだろう」とし「2010年には売上げ5兆円を記録し、韓国、日本を合わせて5位以内に入る」と自信をのぞかせた。

  日本屈指の企業家として登板した韓会長の人生は波乱の連続だった。

  15歳の1945年10月21日、夜11時。 会長は故郷の三千浦(サムチョンポ)近海に立った。日本でレンガを積む仕事をしていた実兄の招きを受けてそのまま密航船に乗り込んだ。 「5〜6時間もあれば行けたのに24時間もかかりました。船が波に揺れて気がもうろうとした状態で、到着した所が下関でした。 米2袋と英語の辞書が私の荷物の全部でした。旅館に入って横になっていたが、目がぐるぐる回って畳を手でつかもうとしていました」

それから3年間熱心に勉強した彼は、日本の有名私立大学の法政大学経済学部に進学した。 しかし大学を卒業したとしても、韓会長のような韓国人が職を得ることができる時代ではなかった。

そこで会長は52年当時、京都から列車で4時間の峰山で、機械20台でパチンコ事業をしていた義兄のところへ身を寄せた。パチンコとの初めての出会いだった。

義兄の下で仕事を習った会長だったが、67年自ら「ボウリング場」事業に飛び込んだ。ボウリングブームが吹いたときであった。しかし行きすぎた拡張戦略をし、42歳だった72年当時、60億円の借金を抱えてしまった。今のお金に換算すれば1200億円にも達する金額だった。

「毎日自殺しようと決意しては子供たち(7人、当時は6人)と両親の顔が浮かび、戸惑う日々が続きました。そのようなある日、絶望の中でヘミングウェイの『老人と海』を思い出したんです。不屈の意志で魚を捕ろうとする老人の姿が浮かび『若い私にできないわけがない』と闘志がわいたんです」

そうして会長は「本業」のパチンコに戻ってきた。車で寝泊りをしながら全国を回った。良い店舗の位置を1つ1つ確認し、売場を1つ2つ増やしていった。

「借金元金を1年目は毎月25万円、2年目は毎月50万円、3年目は毎月75万円ずつ返して行きました。ハングリー精神とチャレンジャー精神で粘りました。そんなとき運良く、お客さんが来るようになったんです」

いろいろな差別が彼を困らせた。 地域社会では韓国人という理由で青年会議所(JC)にも加入できなかった。

「悲しかったが差別はどの国にでもあることだと自分に言い聞かせました。差別を減らすためには知性と教養を増やし、経済的成功を果たして、そして地域社会に奉仕しなければならないと考え、ほかの人々が8時間仕事をするとき、15時間仕事をしました」

95年には夢に描いた「東京入城」に成功し、売上げは幾何級数的に増えた。 マルハンは現在、日本全国に180カ所の店舗、機械台数10万台の最大規模のパチンコを誇る。 従業員も7000人に達する。

「細心の気配りが売上げを左右します。例えばその日お金をたくさん使った顧客にはそっと近づいて『ああ、申し訳ないです』話しかけて少し玉を融通してあげたり、たばこ1箱サービスしたりするんですよ。また売り場にたばこの臭いを除去する施設を設置し、それでも足りず簡易シャワー施設まで設置した。恋人たちのための専用座席も用意しました」

会長は「パチンコ」が持つ否定的認識を払拭させるのに成功した人物にも評価を与える。

「パチンコというとやくざのような暴力組織や不正な金を連想するでしょう。数年前まで私の会社に入る職員たちは『父母の反対が厳しい』『彼女が別れようという』など訴えてきていました。私は衝撃を受けました。 それでどの超一流企業より、透明な経営をするという目標を立てました。今はあらゆる収入と経費などがリアルタイムで電算処理されるようにし、金融当局も感嘆して行くほどです」

パチンコ業界に明るい大阪商業大学の谷岡一郎学長は「『マルハン』がパチンコ業界を浄化し、パチンコに対する国民認識が改善された」と話す。

マルハンはまた、収益金の1%を地域社会の奉仕に充てている。

マルハンには毎年東京大学、早稲田大学など名門大卒業生を含む5000人の入社希望者が殺到する。 入社競争率は10対1を超。

マルハンは東京証券取引所に上場するために現在金融当局と協議中だ。だが上場の目的がほかの会社と違う。

「私は上場を通じてお金を儲けたり資金を調達したりしようとはしません。マルハンの上場は透明な会社であることを社会に知らせ、私が日本で60年間してきたことに対する社会の評価を受けようとするものです」

「パチンコ王」と呼ばれるのに実際、パチンコの実力はどの程度かという質問に、会長は「パチンコ人生50年だが、実際にしてみたのは10回にもならず、それもせいぜい1000円程度だ」とし、大笑いしていた。

韓会長は「お金をたくさん儲けたのかはわからないが、お金の運用については落第点」とし「私のポケットにある全財産の10億円に、信用で5億円を借り、15億円分株式を買ったのだが、今4億円になってしまった」と打ち明けた。「それで息子らにはくれぐれも株式投資はするなと言っている」と話す。

マルハン、5年後の売上高5兆円で新ビジョン

2005年06月24日 月刊グリーンべると

 パーラーチェーン大手のマルハン(鈴木嘉和社長)は6月22日、千葉市の幕張メッセ国際展示場において売上1兆円達成記念式典を開催し、あわせて新ビジョンと中期経営計画(3ヵ年)を発表した。

 同社は、05年3月期の売上高で前年比37.7%増の1兆2778億円、経常利益で同4.4%増の214億8100万円を計上。1兆円の目標は98年に掲げられていた。

 あいさつの中で同社創業者の韓昌祐(ハン・チャンウ)会長は「1兆円はあくまでも通過点。5年後の2010年には5兆円を目指したい」と強調。これを受け今後3ヵ年の売上および経常利益、店舗数の目標について鈴木社長は、06年3月期の売上高は1兆6000億円、経常利益240億円、店舗数188店舗。07年3月期は同1兆8900億円、同320億円、同220店舗。08年3月期は同2兆2600万円、同410億円、同255店舗を掲げた。

 一方の新ビジョンでは、(1)業界でES(従業員満足)・CS(顧客満足)で日本一になる、(2)あらゆるサービス業の中でトップクラスのサービスを提供する、(3)世界レベルのエンターテインメント企業になる、などが示された。

大手パーラー2社、ともに売上高1兆円超

2005年05月27日 月刊グリーンべると

 パーラーチェーン企業のマルハンとダイナムは2005年3月期の連結業績を発表した。マルハンの売上高は1兆2778億円(前期比37.7%増)、ダイナムの売上高も1兆781億円(同29.7%増)となり、パーラー企業を代表する大手2社の売上高がいずれも1兆円を超えた。経常利益は、マルハンが214億円(同4.4%増)、ダイナムが178億円(同43.4%増)となった。

 マルハンは同期中に27店の新規店を出店、既存店のうち9店を改装し、1店を閉店した。これにより同期末の総店舗数は166店舗となり、総機械台数は8万5123台となった。売上高の増加要因としては「前年比で約3500億円増加したが、そのうち2500億が新規出店による増加、1000億円が等価交換への移行や台売のあがる機械の登場によるもの」(小杉隆専務)としている。

 一方、ダイナムの同期中の新規店舗数は40店舗で、総店舗数は233店舗に拡大。総機械台数は10万8851台となっている

マルハン、5年前倒しで売上1兆円を達成

2005年01月28日 月刊グリーンべると

 大手パーラーの(株)マルハンは1月24日付のマスコミ向けニュースリリースで、2日前の22日をもって、年間売上が1兆円に達したと発表した。

 同社では、企業の存在意義や価値観、取組姿勢、社員の心構え、行動規範を定めた「マルハンイズム」と呼ばれる企業理念を掲げ、その実現のための中間目標として具体的なビジョンを1999年に策定、このビジョンの一つに「年間売上1兆円」を盛り込み、2010年までの達成を目指していた。「売上1兆円」は当初計画より5年前倒しで成し遂げたことになる。

 リリースには、「当社は昭和32年、京都峰山の地にて喫茶店『ルーチェ』をスタートし、その後ボウリング場、パチンコホール経営と事業を拡大して48年の歳月を費やし、さまざまな紆余曲折を経て、ここまでくることができました。これは、私どもにとって大きな自信につながるものであり、業界発展のための大きな一歩ではないかと感じております。我々はこの1兆円達成を、新たな一歩を踏み出す通過点であると考えます。決して現状に甘んじ、慢心することなく、今後もより多くの方に愛され、社会に認められる企業へ、そして業界へと発展しつづけるために努力してまいる所存でございます」と記されている。

マルハン、過労死訴訟で和解

2004年12月17日 月刊グリーンべると

 パーラーチェーン大手のマルハンが経営する《マルハン小牧店》=愛知県小牧市=に勤務していた新入社員の男性(当時23歳)が自殺したのは過労が原因として、男性の両親が同社の韓昌祐会長に計約1億8000万円の損害賠償を求めていた訴訟で、原告と被告が名古屋地裁で和解していたことが分かった。12月9日付け中日新聞などが報じた。

 和解内容を公表しないとの条件が付いているため詳細は不明だが、マルハン側が相当額の支払いに応じたとみられる。

 男性の両親は今年3月、名古屋地裁に提訴しており、関係者によると11月中旬に和解が成立したという。

 訴状によると、男性は昨年3月にマルハンに入社、小牧市の新規大型店に勤務した。接客や台の入れ替え作業など、早朝から翌朝までの長時間勤務をさせられたり、指導のないまま不慣れな仕事を任されたりして、疲労や睡眠不足からうつ状態となり、同年6月26日に社員寮で自殺に追い込まれたとしている。

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