上にまいります
誰も居ないフロアに足を一歩踏みいれる。
ここから先は毎日の儀式のようなもの。
エレベーターのスライドドアが静かに開く。
息を吸い込み、扉を潜る。
わたしの仕事場は、再開発時に建てられたというビジネスタワーの最上階。
52階行きのボタンを押して、そのまま奥に進む。
この建物の目玉は、ガラス張りの開放性豊かなシースルーエレベーター。
誰もいないのだから1階から52階までノンストップで昇っていく。
分速200メートル。
ガラスの向こうに見えてくる様相。
自分よりも高かったはずの建物を見る間に見下ろすことになる。
建物は、模型のように小さくなっていく。
目線をあげると、地上では見えなかった空が現れる。
建物の群れと空の境界がうっすらとぼやけている。
わたしの目でその境を見極めるのは所詮無理な話よね。
エレベーターの加速に会わせて、ゆっくりと息を吐き出す。
ちょっとした優越感。
でも、いつからだったか。
とても。
とても偶然に、他の人が同乗するようになった。
誰が乗ってくるかなんてわたしには関係のないこと。
独り占めできないことに、ちょっと残念な気もするけれど。
後ろで少しばかり人の気配がするだけ。
わたしは外の景色に集中すればいい……。
その人は最上階まで乗らず、いつも途中で降りる。
そのことで、会社の人間ではないのだということが分かる。
男性なのか、女性なのか、それも分からない。
でも、それだって知らなくてもいいこと……。
ある時、途中で乗ったその気配がそのまま最上階まで残った。
どうして降りないの?
振り向けずにいる自分。
突然不安になる。
このままでは扉が閉まってしまう。
どうしても振り向いて仕事場に行かなくてはいけない。
「降りないんですか?」
「……」
丁寧な言葉使いの声は男性だった。背中が真っ直ぐになるような。
「お先にどうぞ」
結局、顔を伏せたまま振り向いて扉をくぐる。
その人は、多分顔をあげていたとしても顔を拝めないほど背の高い人だった。
きっと、ボタンを押し忘れたんだな。おまぬけさん。
「じゃ、俺も」
意外な言葉に思わず見上げてしまった。
顔が見える。
「えっ、会社の……人?」
したり顔がわたしを見下ろす。
「そうですよ。先月、朝礼で挨拶したはずだけど。そう、外の景色もいいけど、ここの25階にある『トレッカ』のモーニングコーヒーも良いです。これからどうかな?」
記憶のフォルダをぱらぱらと捲る。確かに新しいボスの顔だ。
そのボスの方は、朗らかに首を傾けて笑っている。
未婚と聞いたが……朝から軟派とは。
驚きながらも、今後の付き合いというものを瞬時に計算する。
ここは同席すべきだ。まずは部下として。
「そうですね、朝一番に目覚ましのコーヒーはいいかも」